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学びは尽きない

2011-03-05 14:50:41 | 日記
先日のライブで大勢の方から多大な評価をいただいたのであるが、
そうはいっても自分はミュージシャンである。
自分のよいところも、悪いところも理解しているつもりだ。
得意なところをより強調し、苦手な部分を矯正してゆくしか
ないと思っている。

自分でいうのもなんだが、私はダイナミクスの付け方がうまいと
思う。正直ブルースをやり始めた10年間というものこれだけを
考えてきた。というよりこれしか出来なかった。(笑)

しめるところはしめて、盛り上がるところはワーッと盛り上げる。
いうなれば「曲全体のアクセントの付け方」ということになるのだろうが、
これには様々なやり方がある。でも何よりも大切なのは他の楽器、
特にドラムとのインタープレイである。バッキングをやるにも
ソロを弾くにもこれは同じである。だから私はドラムの人との
相性をすごく重視している。
それがうまくいくと大抵はいいライブパフォーマンスが出来る。

(くどいが先日ほめられたのがうれしいので再度リンクを貼る)
 U-ZOさんのブログ「有像賛歩」 

私の演奏はドラムの人との絡みを抜いてはあり得ないと思っている。
例えば、ソロをとるにしても、ソロの最初から最後までひとつの
モチーフやストーリー、そしてダイナミクスを考えながらソロを
弾くのだが、ドラムの演奏が最高に盛り上がるところで自分は何を
やっているかというと、ゴリ押しの、速弾きフレーズを弾いているかと
いうと全くそうではなく、非常に淡々とやっていることが多い。
正直、自分の演奏よりもドラムの演奏を聴いているんじゃないだろうか…。
自分はドラムに乗っかっているわけで、自分がずっとソロを弾いていたい
と思う時は、いつもずっとドラムを聴いていたい時とイコールである。

先日U-ZOさんといっしょに演奏した時、U-ZOさんはいっていた。

「大野のソロをサポートする時は、一旦サウンドをボトムまでおとしてやる
必要がある。」と。

この言葉の意味を私はよくわかっている。ソロをとる直前まではひたすら
バックの刻みをやっているわけで、私がその手を止めてしまうことは
一旦サウンドに空白ができてしまうということなのだ。
そういう空白状態から新しいストーリーを構築する必要があるのだ。

私がU-ZOさんのサポートを貴重に思うのは、そういうサウンド全体への
「視点」の切り替えが、あの人は半端でなく上手いのだ。
前面に立つときは、それこそ獰猛な欲望むきだしのガチンコ演奏をする。
一旦、後ろに下がる時はパノラマのような広角のアングルでサウンドを視ている。
だからU-ZOさんといっしょにやっている時、つまりU-ZOさんのドラムを聴いている
瞬間がたまらなく好きだ。
そういう意味ではU-ZOさんは私にとって唯一無二の存在である。

私はなぜかビジュアル系の人間(とはいっても男前とかそういう話しではなく)
である。ギターを弾きながら、音ではなく映像をみている気がする。
これは人(ミュージシャン)によって様々だとは思うが、それでも時折
U-ZOさんとやっている時に「同じ心象風景を見ている」と思うことがある。

私が考えるダイナミクスとはそんな感じである。
結局、優れた演奏者とやる時しか自分は活きないということか。(笑)

一方で私の苦手な部分というのはサウンドの色彩が豊富ではないことだ。
私にはキメ技、キメのフレーズが極端に少ない。少ないサウンドバリエーション
を使いまわしているというのが実情である。
だから今までその部分を和音楽器(ピアノとかベースとか)に頼るところが
多かった。新しい感覚はやはり新しいハーモニーから生まれるものだから。
シンプルなバンド編成だと、私の演奏はどうしてもモノトーン的になってしまう
のだ。

こういうところを改善してゆけばもっと楽しく演奏できるんだろうなと思っている。
だからこうしてジャズの勉強しているんだろうな…。

何歳になっても学ぶべきことは尽きない。
まあ、それが楽しくてやっているわけだけど…。



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