さて、今回は1989年にフジテレビ系列にて放送された、『鬼平犯科帳』第一シリーズ第4話「血頭の丹兵衛」から、語ってみましょう。
その頃江戸市中には、恐悪な盗賊の一団が横行し、江戸市民を震え上がらせていました。
押し入った店の者達を皆殺しにし、「血頭の丹兵衛」と書かれた札を置いていく。この神出鬼没の強盗には、火付盗賊改も手を焼いておりました。
ある日、伝馬町の牢に入っている、小房の粂八(蟹江敬三)なる男が、血頭の丹兵衛について話したいことがあると言っているという旨の連絡があり、長谷川平蔵(中村吉右衛門)はこの粂八を役宅に呼び、話をきいてみることにしました。
粂八は言います。あれは血頭の丹兵衛のお盗め(おつとめ)ではない、と。
「本格派」の盗賊が決して行わないこと。これは「盗賊三ヶ条」などとも云われ
1.人を殺さず
2.女を犯さず
3.貧しき者からは盗らず
この三ヶ条を厳格に守る者こそが本物の盗賊と言われ、これを守らないお盗めは「急ぎ働き」「外道働き」などと言われ、本格派がもっとも忌み嫌うものでした。
小房の粂八はかつて、血頭の丹兵衛の子分でした。粂八の知る血頭の丹兵衛は、一つのお盗めに数年もの時間をかけ、しっかりとした下調べをしたうえで、三ヶ条を厳格に守ったお盗めを行う本格派でした。だから今市中に横行する「血頭の丹兵衛」は偽物である。
自分はこの偽物を捕まえ、尊敬する血頭の丹兵衛おかしらの汚名を雪ぎたい。
だから、自分に探索させてくれ。粂八はそう懇願するのです。
平蔵は直感的に、この男は信用できると感じ、粂八を解き放ったのでした。
粂八は東海道筋の宿場町に潜んでいるのではないかと踏んで、探索を開始します。そんな折、江戸でまたしても「血頭の丹兵衛」による犯行が!
しかし今回は今までとその犯行の中身が違っていました。この丹兵衛は、忍び入った店の主人の枕元から金を盗み、誰にも気づかれることなく忍び出て行った。そうしてその翌日には、再び忍び入ってきて、金を返し、またしても誰にも気づかれることなく出て行った。
現場には「血頭の丹兵衛」と書かれた札が残されていました。
この鮮やかな犯行、これを聞いた粂八はこれこそ血頭のおかしらのお盗めだ!と喜ぶのでした。
粂八は東海道・島田宿にて、ついに血頭の丹兵衛(日下武史)と再会します。しかし、丹兵衛はかつて粂八が知っていた丹兵衛とはまったく人が変わってしまっていました。
「今時古臭え掟なんざ守っていられるかい!皆殺しにするのが一番さ。おい粂、おめえも好きなだけ女犯していいんだぜ」と嘯く丹兵衛に、粂八は愕然とするのでした。
粂八からの連絡に、盗賊改はついに丹兵衛を捕縛します。
「粂!てめえイヌ(密偵)だったのか!」
詰る丹兵衛、粂八はそんな丹兵衛を「外道!」と叫びながら殴りつけます。
その目には、涙が光っていました。
粂八を伴って江戸への帰路につく平蔵。平蔵は粂八に、俺の下で働かないかと誘いますが、粂八は決断しかねていました。
その途上、粂八は旧知の老人と再会します。老人の名は蓑火の喜之助(島田正吾)。今は引退したかつての大盗賊でした。
喜之助老は言います。今どきのお盗めは急ぎ働きばかりで、本物がいなくなっちまったと嘆き、本当のお盗めはこうだと示すために、江戸でイタズラをしてきたと告白します。
あれは蓑火のおかしらのお盗めだったのか。納得する粂八でした。
今ではすっかり好々爺と化したかつての大盗賊・蓑火の喜之助。そんな喜之助を平蔵は捕まえることなく、黙って行かせます。
そんな平蔵の人となりを見、粂八はこの方の下で働くことを決意するのでした。
ー終-
鬼平さんは言います。「人が横道に逸れるのは、それなりのわけがあるものだ」
鬼平さんは、その人の表向きの行いだけではなく、その人の「心根」を見ているんです。例え元盗賊であろうとも、その心根に「まこと」があるか「美しさ」があるか。
だからこそ鬼平さんは、密偵たちにも分け隔てなく接し、密偵たちはそんな鬼平さんに感激し、このお方のためなら命をかけると思う。
『鬼平犯科帳』のファンはみな、そんな鬼平さんが好きなんです。
盗賊三ヶ条なるものが本当にあったのか、私には分かりません。あるいは原作者・池波正太郎氏の創作だったかも知れない。
でも、ありそうだなと思ってしまいますね。盗賊には盗賊なりの「仁義」がある。そう思ってしまうのは
日本人ならでは
なのだろうか。
小房の粂八(蟹江敬三)