風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

斬り捨て御免は命がけ!?

2018-09-10 04:32:01 | 時代劇





「おのれ、下郎の分際で無礼な奴め!手打ちにしてくれるわ!」



時代劇などでよくみられる、武士が町人などを斬り捨てる「無礼討ち」。


「斬り捨て御免」などとも云われますが、これは制度としては本当にありました。



「御免」というのは「ごめんなさい」のごめんではありません。これは「御上」から「免除」されている、許されているという意味です。間違えないでね。



ただし、この無礼討ち。時代劇で見られるほどには、簡単なものではありませんでした。




江戸時代が250年に亘って泰平の時代だったということには、現代程ではないにしろ、「人命」というものが尊重されていたからである、という側面があるようです。「無礼討ち」「斬り捨て御免」は認められていたとはいえ、そこには非常に強い制限が加えられていたのです。



まず無礼討ちを行った場合は、直ちに奉行所など役所へ届けでなければならず、これを怠ると単なる殺人犯、辻斬り犯として捕らえられ処罰の対象となります。時代劇では乱暴者の旗本などが町人を斬り捨てたあと、「無礼討ちじゃ!」とセリフを残して去っていき、町人は殺され損、さあ、仕事人の出番!なんてシーンがよくありますが、実際はそういうわけにはいかなかったんです。






『新・必殺仕事人』三味線屋勇次(中条きよし)





そうして届け出たあとは、どのような理由があるにせよ人一人を殺めるというのは罪が重いということで、最低でも20日間は謹慎しなければなりませんでした。20日もの間外出を許されずお役もこなせない。家族に迷惑をかけ、近隣には見せしめともなる。


そう、たとえこちらが武士であり、相手が町人であろうとなんであろうと、人の命を奪うということは、簡単に許されるべきではないというのが、江戸時代の常識的な考え方だったのです。これ、意外に思う人多いんじゃないかな。



さらには、相手が無礼を働いたという確かな物証、もしくは信頼するに足る目撃者が必要でした。そうしたものが見つからなければ無礼討ちは認められず、本人は切腹か、状況によっては打首という、武士としてはまことに不名誉極まりない処断を受け、家名断絶の憂き目を見ることになってしまうのです。




武士は名を重んじるもの。その名(名誉)が汚された場合、武士はその恥辱を晴らさねばならない。


これが武士の価値観の基本的な部分の一つです。


しかし一方で、武士はよく教養を修め、徳を高めなければならないともされた。武威のみをもって治める「覇道」ではなく、徳をもって治める「王道」でいく。


ですから、武士の名誉を守るため、無礼討ちは「一応」認められてはいたけれども、そんな簡単に認めるわけにはいかなかったわけです。



無礼討ち、斬り捨て御免とは、本人の命は勿論、家族の生活や命をも巻き込むほどの高い高~いリスクを伴っていたわけです。



こういうわけですので、この「無礼討ち」の権利を実際に行使したものは圧倒的に少なかったようです。それでも行使した者たちもいたし、結果「お咎めなし」とされた例もないわけではない。しかしいずれにしろ、大きなリスクを伴っていることは間違いないので、ほとんど行使されることはなかったとみていい。



江戸250年の泰平を支えたものの一つとして、こうした「人命尊重」という側面もあるといえるのではないだろうか。ここから導きだされる結論、それはいつも通りです。


江戸時代は、決して云われているほどには「暗黒時代」なんかじゃなかった。


そうした秩序が壊れていくのはむしろ幕末、ペリー来航前後からのことだと云えましょう。秩序を壊した「テロリスト」は誰?



歴史は視点。色々な角度から見ていきましょうね。




とはいえ、リアルだ事実だと、そんなことばかり言っていたのでは、時代劇は観れなくなってしまう。史実は史実としてしっかりと捉えつつも、時代劇の「ファンタジー」な部分を楽しむという、心の「余裕」をもって、



時代劇を楽しんでいただきたいですね。







三十六番所シリーズ『斬り捨て御免!』主人公、花房出雲(中村吉右衛門)

お若い!