奉行所に務める与力・同心は、将軍家直属の家臣団である旗本や御家人であり、先祖代々の世襲でした。
その役宅は現在の東京都中央区の八丁堀にあったことから、奉行所の役人のことを通称「八丁堀」と呼んでいたことは、時代劇通の方ならご存知ですね。
必殺シリーズの中村主水(藤田まこと)が仲間内で「八丁堀!」と呼ばれていたことは有名です。また、村上弘明、片岡鶴太郎らが主演した『八丁堀の七人』とか、古谷一行、役所広司、いかりや長介などの主演による『八丁堀捕物ばなし』など、奉行所の役人といえば八丁堀、八丁堀と云えば奉行所の役人。ツーと云えばカーというくらい(古っ!)時代劇通の間では当たり前の話。
『江戸の旋風(かぜ)』などでは「八丁堀」とは呼ばれず、「お町の旦那」と粋な呼ばれ方をされておりましたが、着流しに羽織を付けたスタイルは確かに粋でカッコよく、江戸町民、特に女子たちには人気があったとか、なかったとか。
各奉行所に配置された人員は、与力が役25名、同心が役100名ほど。両奉行所を合わせても役250名から、多くても300名に満たないほどの人員で、これで人口50万人から最高100万人とも云われた江戸町民の、司法、行政から治安維持に至るまでを取り仕切っていたなんて、
ちょっと信じ難いですね。
奉行所内には15から17種類くらいの部署がありました。主なものを挙げると
【内与力】
町奉行直属の家臣。奉行の秘書役。
【年番方】
人事や出納など、奉行所全体の管理にあたる。現代で云うところの人事課や経理課、総務課などにあたるでしょうか。
【吟味方】
民事訴訟の審理、取り扱いおよび管理から、刑事事件の取り調べ、時には拷問までも担当。
【例繰方】
判例の記録と調査。
【養生所見廻】
幕府直轄の医療施設である小石川養生所の管理
【牢屋敷見廻】
伝馬町牢屋敷の管理、取り締まり。
【定橋掛】
幕府が普請した橋の維持、管理。
【町火消人足改】
町人による消防組織「町火消」の活動を指導、指揮する。
【人足寄場定掛】
人足寄場(犯罪人の社会復帰支援のための職業訓練校。鬼平さんが設置)の事務監督。
その他その他。まだまだたくさんの部署に分かれていました。
中でも「花形」と云われたのが、犯罪捜査と犯人の捕縛にあたる「三廻同心」でした。
三廻同心は同心のみで構成された部署で、その内わけは
【定廻(定町廻)同心】
現代でいうところの警察官。
【臨時廻同心】
定廻の補佐を担当。主に現役を引退したご老人方によって構成されていたようです。
【隠密廻同心】
奉行直属で、市井に紛れて犯罪人等の情報収集や偵察にあたる。時代劇『大江戸捜査網』の隠密同心とは似て非なるもの。
定廻同心の人員は3名から5、6名でした。これに臨時廻や隠密廻を合わせても15名前後。南北両奉行所を合わせても精々30名ほど。
たったこれだけの人数で、江戸の治安を本当に守り切ることなどできたのでしょうか?
普通に考えたら出来るわけがない。そこで同心たちは、目明し(岡っ引、下っ引)などを自費で雇い、捜査に当たらせていました。
目明しは元盗賊ややくざ者などであったり、などの被差別民であったようです。これらの人々は裏の社会にも通じており、情報を得やすい立場にあった。
しかしこうした人々を雇っていたにしても、やはり圧倒的に人手は足りない。こうしたことから、「江戸の町は治安が良かった」などと、日本人は素晴らしい的な解釈をして満足している人たちが存外に多いのには、少々驚きです。
そりゃ確かに、同時代の他国の都市に比べたら治安は良かったのかもしれない。
確かに日本人は素晴らしいでしょうよ。
でも、本当に「それだけ」なんでしょうかね?
いいえ、それだけじゃないんですよ、それだけじゃ。
というわけで、つづく。