心理カウンセリング ウィル

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人はどのように死ぬのか

2011-06-28 22:37:54 | インポート
 心が死を受け入れたとしても、肉体が死を受け入れていくプロセスはもっと過酷なようです。「死ぬときに人はどうなるか」(大津秀一著 致知出版)によれば、余命が週単位といわれた頃からの苦しさは想像以上のようです。
①余命が1~2週間となった時 全身の倦怠感が強くなる。栄養をとることが必要なくなるため、点滴を減らし意識レベルを下げていく。
②余命が数日となった時 意識障害がおこる。褥そうに苦しむ。死の24時間~48時間前頃がもっとも辛い。見る家族も辛い。
③余命が時間単位の時 意識はほとんどなく、昏睡状態に陥る。血圧低下。尿量ゼロ。呼吸の変化そして停止。
 私達は、無意識のうちに「死」を遠ざけ、できるだけ考えないようにしています。しかし、平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす」という言葉を思わずにおられません。

 

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死を受け入れるということ

2011-06-27 22:12:30 | インポート
 最近、相次いで身近な人の死を看取りました。2人ともガンでした。年齢が近いせいもあり、決して他人事には思えませんでした。かつては、遠い彼方にあると思っていた「死」は、いまや確実な足音を立てて背後から迫ってきています。
 人は「死」をどのように受容するのでしょうか。アメリカの精神科医キュブラー・ロスは、「死ぬ瞬間」とい著書の中で、死を宣告されたものがたどる5つの段階を述べています。
 ①否認の段階  何かの間違いに違いないと、自分自身の病気を否定する
 ②怒りの段階  なぜ、よりによって自分なのか、周囲に対して怒りや恨みを抱く
 ③取引の段階  何でもするから助けて欲しい、と神や仏に対して延命のための取引を行う
 ④抑うつ段階  すべての希望が失われ、抑うつ状態となる
 ⑤受容の段階  来るべき自分の死を避けられないものとして従容として受け入れようとする
 はたして、自分がこのような心境になれるのどうかわかりませんが、悔いのないように一日一日を精一杯生きていこうと考えています。
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どこまてが個性でどこからが障害?

2011-06-24 21:28:18 | インポート
 その人がパーソナリティ障害かどうかについて、精神疾患の分類と診断の手引き(DSM-IVーTR)では、診断基準として、その人の行動や考え方、受け止め方、対人関係の対応の仕方がその人の属する文化から著しく偏っていて、それが青年期前後にあらわれ、持続的であり、社会生活や職業生活に支障をきたしている場合と定義しています。
 この定義は、社会が健全であることを前提にしています。しかし、私たちの育つ場所はじつに多様で、社会もすべてにわたって健全とは限りません。言葉や音楽、絵画等の表現手段を持ち、それが社会的に認知されている場合、社会生活の価値観と違った行動パターンをしても個性的であると評価されます。
 しかし、感受性が強く、他の人とは違った認知や行動パターンを持っていても、表現する手段がなければ、奇人変人扱いとなり、ときに障害者と呼ばれます。
 多様な価値観を受け入れる成熟した社会ならば、個性として許容されても、余裕のない均一的な価値観の社会では障害とされてしまう場合もあります。
 20世紀初頭のドイツの哲学者フリードリッヒ・ニーチェの「善人は常に終わりの始まりである」という言葉を20代の時に読んでから、ずっとその意味を考え続けています。
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感情の起伏が極端な人

2011-06-24 09:37:52 | インポート
 あなたの周辺に、対人関係や自分に対する評価、感情が不安定で衝動的な行為をとる人がいませんか。「あなたしか頼る人がいない」と言っていたかと思うと、突然「私のことなんか嫌いなくせに、見かけだけ優しくしていたんだ」と怒ったり、これ見よがしに自殺をほのめかしたり、リストカットを繰り返したりします。
 不適切で激しい怒りをコントロールできずない、自傷行為を繰り返す、見捨てられまいとしてなりふり構わない行動をとる、感情がいつも不安定であるような項目が該当する人を境界性(ポーダーライン)パーソナリティ障害といいます。
 幼い頃、母親との関係が難しかったことが考えられます。子育ての環境の問題が良くなくて、母親が十分に子どもと関われなかったか、気質的に育てにくい子どもで、親がもてあましてしまったような場合が考えられるようです。
 中途半端な気持ちでなく、腹をくくって関わらないと、振り回されて疲れ切ってしまいます。本音で語り合い、本音で叱ることができるか、そして本人が親離れして自立できるかがポイントかもしれません。
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孤独が性に合っている人?

2011-06-22 22:17:20 | インポート
 孤独であることは、一般的に辛くさびしいものですが、無表情で人との関わりを避け、ほとんどいつも孤立した行動を選択する人がいます。無表情で感情の起伏に乏しく、服装にも無頓着で他人の賞賛や批判を気にしません。ですから、家族以外に親しい人はほとんどいません、いてもごくわずかです。
 こういう人を統合失調質(ジゾイド)パーソナリティ障害といいます。幼い頃に母親から愛情をかけてもらえなかったことが原因だと言われていますが、大切に育てられたはずなのにこうした傾向を示す人もいるということです。最近の研究では、鈍感なのではなく感情が敏感すぎて周りの人と関わることが苦痛になってしまうのではないかともいわれています。
 人間相手よりも自然や機会を相手にした技術屋さんか、学者、研究者、自然保護などが適職のようです。
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しがみつく人と尽くす人

2011-06-21 20:55:14 | インポート
 人当たりや愛想がよく、サービス精神旺盛ですが、自分一人では生きていけないと思い込み、誰かれかまわず頼ろうとする人や自分で何かを決めることができなくて、他人の判断や意見に従おうする人を依存性パーソナリティ障害といいます。
 しがみつくタイプの人は、自立心が弱く、相手の保護を受けるためにペットのように上手に甘え、パートナーに横暴なことをされても、ひたすら耐えて相手にしがみついて離れません。
 一方、尽くすタイプの人は一人では生きていけないという思いこみから、ヒモのような相手や遊んでばかりいて仕事をまったくしない相手に献身的に尽くしたりします。
 どちらも根っこは同じで、過保護に育てられたり、アルコール依存症の親に育てられたりして、自立する機会を得られなかった場合が多いといわれます。失敗や他人の非難を恐れずに自分で意志決定をしていくことが大切です。
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自分だけが好きな人

2011-06-20 20:32:24 | インポート
 野心家といわれる人は自信を保つために、それなりの努力を怠りません。常に自分は優れた人間だと思い、その賞賛に値するだけの地位や金銭を得るために頑張ります。それはそれで、生き方の一つですから、何ら非難されることはありません。
 問題は、十分な業績がないにも関わらず優れていると認めさせたがる人。自分が特別な存在であると信じて、過剰な賞賛を求める人。他人を認めようとせず、嫉妬心が強く、尊大で傲慢な態度をとる人です。こういう人を自己愛性パーソナリティ障害と言います。
 幼い頃は誰でも自分が全能で何でもできると思っていますが、成長するに従って自分を客観視できるようになります。ところが、溺愛や、過大評価、一人っ子だったりして自分を客観視することができずに育った場合に、世界は自分中心に回っているという考えから抜け出せないまま大人になった場合が考えられます。
 社会的に成功して自尊心が満たされると良いのですが、過大評価した自分自身と社会の自分に対する評価とのギャップに耐えられなくなって引きこもりになる場合もあるようです。
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占いや心霊現象に凝る人

2011-06-19 18:32:11 | インポート
 他人と親密になることが苦手で、風変わりで疑い深い人がいます。テレパシーやオカルト、超常現象、占いなどに興味関心があり、思いこみが激しい人を失調型(スキゾスタイバル)パーソナリティ障害といいます。
 直感やインスピレーションにとみ、宗教活動などで社会貢献することもあるようです。遺伝的な気質もあるようですが、格式張って人間的なぬくもりのない家庭で育った場合があるようです。まわりくどかったり、細部にこだわりすぎる傾向があり、周りの人とうまくやるには少し難しいようですが、マイペースで独特のライフスタイルを持ち、社会性や協調性を備えていれば、セラピストや占い師、宗教家、作家などに適職があるといわれています。
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他人を傷つけることを何とも思わない人

2011-06-18 21:04:15 | インポート
 自分の欲望を満たすためには、暴力をふるって他人を傷つけたり、人をだましたり、嘘をつくことを何とも思わない人がいます。法律や規則を破ることに良心の呵責を感じません。
 こういう人を反社会的パーソナリティ障害といいます。幼い頃に虐待やネグレクト(育児放棄)をうけたり、逆に溺愛されて育った場合が考えられます。つまり、自分の欲しいものを手に入れるために、攻撃的に振るまって奪い取るしかなかったか、欲しいものは何でも手に入ったので、我慢することができないという2つのケースが考えられます。
 中途半端な形で関わることはなかなか難しいかと思います。弱みを見せればつけあがりますし、親切にするとなめてかかってきたりします。信じ続けて見守ってやり、彼らがうまく立ち直ることができれば、今までの負のエネルギーがプラスに転じ、大きな仕事を成し遂げることがあります。
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こだわりの強すぎる人

2011-06-17 21:53:19 | インポート
 過ぎたるは及ばざるがごとし、といいます。心の問題を引き起こす大きな要因の一つに、こだわりが強すぎることがあります。こだわりが強すぎる人は、結果よりも手続きや規則にこだわり、柔軟性に欠ける傾向があります。自分の決めたとおりにやることに固執し他人に任せることができなかったり、将来のためといって、自分のためにも他人のためにも極端なまでにけちでお金を使わなかったりします。
 このタイプの人を強迫性パーソナリティ障害といいます。強迫性障害と似ているところもありますが、強迫性障害が手洗いや、確認といった細かいところにこだわるのに対して、強迫性パーソナリティ障害の人は、ライフスタイルや価値観にこだわるというところが異なります。
 管理人や警備員、消防署員など正確さや責任感、信頼を求められる仕事が適職です。のんびりした、おおらかなパートナーと付き合い、柔軟性を身に付けられればよいのですが、まじめすぎると心身症やうつ病になりやすいので注意が必要です。

(ホームページものぞいてください)
http://www14.plala.or.jp/yorii-will/
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