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家政婦のミタに見る理想の母親像?

2011-12-24 00:04:33 | インポート
 TVドラマの「家政婦のミタ」が視聴率40%を記録したという報道がありました。私も欠かさず見ていて楽しむと同時に考えさせられました。
 ご案内のように「家政婦は見た」という松本清張原作のドラマを市原悦子さんが演じた番組が以前にありましたので、これをどのようにパロディ化するのだろうという興味もありました。松本清張という作家は、社会的・経済的に成功した人間のダーティな部分を庶民の視点から暴くという作品が多く、「家政婦は見た」も社会的地位のあるお金持ちの家の汚れた部分を家政婦の目を通して暴くものでした。
 しかし、今回のドラマのねらいはまったく違っていました。母親とは何かというのが隠れたテーマのような気がしました。夫や子どもが求める理想の母親像は、「母親」という一人の人格でなく、完璧なお手伝いさんなのではないか、という問いかけです。なぜなら、ミタさんにお母さんになってもらった瞬間、家族全員がとまどって、拒否反応をしめしたのです。
 家事を完璧にこなし、家族の悩みを何でも解決してくれ、自己主張しない人。それこそが求める理想の母親で、家庭のすべてを口うるさく指図する支配者のような母はいらないということなのでしょうか。


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自分だけを愛する若者

2011-12-14 16:49:11 | インポート
 うたれ弱く、ひ弱になった反面、非常に頑固でわがままなところがあり、「人それぞれだけれど、自分だけは別」という意識をもった若者が増加した気がします。家庭の中で大切に育てられ、赤ん坊の時のような全能感(自分が望めば誰かがそれを叶えてくれるはず)が壊されることなく成長したため、他者との比較で自分を相対化し、世界の中で自分は小さな存在にすぎないということが認識できず、自己愛幻想の中に生きている若者です。
 こうした若者は、人と深く関わると自分の全能感が傷つくことがわかっているので、フェイストゥーフェイスで深く関わることを巧妙に避けているのです。情報ツールを活用し、自分の気に入った人たちや気の合う仲間らしき人たちとツィートすることで、社会参加や社会の中の自己実現が果たされていると錯覚できるのでしょう。
 リアルの中での自分を直視するのは辛いこともあり、顔も名前も職業も隠し、バーチャルな世界の中で、傷つくことなく全能感を感じて生きていくことで幸福を感じるなら、それはそれでよいのでしょう。しかし、それが逆転したとき、すなわち、ひ弱な現実の自己を認識することをさけるためにバーチャルな自己が現実を破壊しようとしたときに、思わぬ悲劇がまっているような気がするのですが・・・。
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プレッシャーに弱い人

2011-12-08 17:47:38 | インポート
 先日の日経新聞にサッカーJリーグで、柏レイソルを優勝に導いたネルシーニョ監督の話として、「チャンスを生かせない原因」についての記事が掲載されていました。大きな試合で結果を残せない原因は3つあると監督は話したそうです。
①ゲームに対して十分な準備ができていなかった。コンデションの調整に失敗したというだけでなく、どんなゲームになるかのシミュレーションが整理できていなくて、的確な対応ができなかった。
②そのゲームに勝たなければという責任の重さに勝てなかった。
③ゲームの重要性に対する認識が希薄で、もともと責任そのものを感じていなかった。
 ネルシーニョ監督は、選手が力を発揮できなかったとき、原因がどこにあるかを探ったうえで指導するということです。
 プレッシャーに弱いという人は多いかと思いますが、ともするとその原因をプレッシャーによるものだけにしがちですが、果たしてそうなのでしょうかと記者は書いています。自分が行わなければならないプレゼンテーションやパフォーマンスに対して納得のいくまで十分な準備ができていれば、失敗しなかったのではないか、あるいは、なんとかなるさと高をくくっていたから失敗を招いたのではないかということも考える必要があるという、大変示唆に富んだ記事でした。「偶然に勝利することはあるが、偶然に負けることはない。失敗には必ず原因がある。」と語ったスポーツ選手の言葉を思い出しました。プレッシャーのせいにする前に、十分な準備をして臨んでみることも大切ではないでしょうか。 
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もの忘れと情報の取捨選択

2011-12-05 06:07:46 | インポート
 歳をとるともの忘れが多くなるといわれます。果たしてそれは正しいことなのでしょうか。確かに駅名や車の車種などの単純な記憶力は小学校の高学年がピークだと言われています。スイスの心理学者ピアジェが言う具体的操作段階がこの時期です。
 しかしながら、11歳~15歳以降の形式的操作段階に入ると、論理的思考力や判断力がついてきます。機械的な記憶から生産的な記憶への移行期ともいえます。このバランスが最も良いのが20代前半だと言われています。
 情報量は年齢とともに増加してきます。すると、情報を取捨選択をするようになると言われています。つまり、この情報は記憶する必要がないとか、この情報は覚えなくても必要に応じて調べればよいとか、自分にとって必要な情報に優先順位をつけて記憶していくわけです。
 年齢が高くなるにしたがって経験値が高くなり、高度な判断力が可能なので、不必要な情報を切り捨てているのだと考えると、もの忘れをあまり気にすることはないと思うのですが、これは高齢者の自己弁護でしょうか。
 
 
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