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怒りと憎しみからの解放 №187

2013-05-26 14:41:34 | インポート
 もし、あなたが、あなた自身を含めて、愛する家族や友人を不当に傷つけられたと感じたとき、その加害者に復讐するのではなく、「ゆるす」ことによって、あなたの怒りや憎しみから解放されたいと望むでしょうか。
 「ゆるし」というのは、これまでどちらかという宗教の分野でしたが、これを初めて科学的に検証したのがアメリカ・ウィスコンシン大学心理学教授ロバート・D・エンライトの「ゆるしの選択」(河出書房新社刊 水野修二郎訳)です。
 先日、日本カウンセリング学会認定カウンセラーの研修会で、翻訳した麗澤大学の水野修二郎教授から直接お話を伺うことができました。
 私たちは、不当に傷つけられたと感じると、相手には怒りや憎しみを感じ、加害者と同じように醜い存在になってしまうことさえあります。自分自身に対しては何もできなかったという無力感が残り、自己嫌悪に陥り、時には自分を否定してしまうこともあります。
 また、怒りや憎しみは、それを向けられた人(加害者)よりも、むしろ、怒りや憎しみを向ける人(被害者)に悪い影響をもたらします。怒りや憎しみを抱き続けることより、精神的に疲労し、生活の活力を失うような事態を招き、二重の被害者となります。
 そうした、怒りや憎しみから解放されるには、悪いことをされたのだから同じように相手を痛めつける、というリベンジの気持ちを脇に置いて、「ゆるし」の決心をすることが必要だといいます。では、「ゆるし」とは何でしょう。
1 個人が自由意思で始める心の内側のプロセスである。
2 あなたに対してアンフェアな行動をした人に対する激しい感情をレッツ・ゴー(手放す)する。
3 過去にあなたを傷つけようとした人を罰しようとは思わなくなる。
4 罰したところであなたの傷はいやされない。
5 あなたの持つエネルギーをもっと良いほうに活用する。
6 先に進む。
 しかし、「ゆるす」ことに対しては、相手に対する敗北であるとか、自分の感情を否定することであり、反省もしない相手を不当にのさばらせることになる等々、様々な感情があり、それほど単純なことではありません。
 それでも、怒りや憎しみの感情の牢獄から抜け出すにために、相手を「ゆるす」という選択肢があってもいいというのが、カウンセリングとして必要なのではないかということでした。ただ、この「ゆるし」の作業には様々なワークがあるようです。また、大目にみたり、忘れたり、冷静に対処したり、和解することは「ゆるし」ではないとも言っています。


血液型でわかるかかりやすい病気(2) №186

2013-05-14 17:13:23 | インポート
③ B型は遊牧民族
 アフリカから移動した人類のうち、ヒマラヤ山岳などへ移動した人類は、遊牧民となり、過酷な環境の中で家畜の肉や乳製品を食料にしていたたため、腸内細菌が乳製品を分解するのに適したB型物質をつくるようになりB型が誕生したということです。
 環境の変化に適応する生活をしていたため、常識や慣習にとらわれず、行動力があり、他人に対する警戒心がうすいため、結核や肺炎などの感染症や食中毒にかかりやすい。性格的には、狩猟に適した動物的カンが鋭く、本能や衝動で行動することが多い。
④ AB型は突然変異
 人類が世界中に拡がっていくことによりそれぞれ違う血液型の混血が誕生するようになり、およそ 1000年~1200年前にAB型がうまれた。このため、AB型は新人類的な特性を持っているということです。 きまぐれで、感受性豊かで、天才かだらしないかの両極端にぶれやすい、消極的なくせに、他人に対する優越意識が強いが、A型タイプに弱い。ただ、免疫力がもっとも弱く、病気にかかりやすい血液型なのだそうです。ただし、ノロウイルスやフィラリア、コレラには強く、体質的にあわない食べ物はないという特徴あるということです。

 免疫学的に見た場合、①AB型はAとBのふたつの血液型物質をもち、どちらににも抵抗できないためもっとも病気に弱い。②A型はA型の細菌が多く、自分と同じA型の細菌に対して抵抗できないため2番目に弱い。③B型は A型と同じだが、B型をもつ細菌がすくないためA型より強い。④O型はA型とB型の両方に対して抵抗できるため、様々な病気に強い。
 また、各血液型の精神的な力関係は、①AB型はB型とO型には強いが、A型には弱い。
②A型はO型とAB型には強いが、B型には弱い。③B型はA型には強いが、O型とAB型には弱い。④O型はB型には強いが、A型とAB型には弱い。という構造になっているということです。
 生育環境や生活習慣との関係もあるのでこの通りとはいかないでしょうが、大変興味深い説得力のある本でした。

血液型でわかるかかりやすい病気(1) №185

2013-05-14 16:59:28 | インポート
 免疫学的にみて、血液型によりかかりやすい病気があるということです。A型はガンになりやすく、O型は病気に強く、B型は感染症に弱く、AB型は免疫力が弱く一番病気になりやすいのだそうです。
 寄生虫学、熱帯医学、感染免疫学が専門の人間総合科学大学教授・藤田紘一郎博士の「血液型の暗号」(日東書院)という本によると、人類の血液型はO型が最初に誕生したのではないかということです。以下は、藤田博士の考える血液型の起源とそこからくる病気や性格の特徴です。ちなみに、日本人の血液型の比率はA型40%、O型30%、B型20%、AB型10%ということです。
① O型は狩猟民族
 世界各地の先住民族の血液型がほとんどO型だったところから類推すると、10万年前にアフリカで誕生し狩猟生活をしていた人類は全てO 型だったのではないか。動物の肉を主食としてたため、胃酸を多く分泌する必要があった。このため胃潰瘍や十二指腸潰瘍になりやすい。
 しかし、ストレスに強いのでガンや心臓病などにかかりにくい。感染症などにもかかりにくく病気に強いので、誰とでも仲良くでき、性格も細かいことにこだわらないO型の性格ができたのではないか。歴代総理大臣でもっとも多かったのがO型で、次に多いのがA型だそうです。
② A型は農耕民族
 アフリカからアジアに移動して農耕生活をするようになり誕生したのがA型ではないかということです。私たちアジア人の祖先のモンゴロイドの血液型はA型でした。A型は伝染病や感染症に弱く、精神的にも肉体的にもストレスに弱いためガンにもか かりやすいのだそうです。
 そうした病気に弱い面と、農耕民族に必要な資質が相まって、「慎重で用心深い」、「几帳面で神経質」といわれるA型の特徴的な性格ができたのではないかということです。また、順応性が高く、情にもろく、保守的・内向的で、論理的だということです。A型は、B型のような直感的タイプが苦手でどう接して良いかわからないところがあるということです。


「何者」にもなれずに漂白する若者 №184

2013-05-09 16:47:12 | インポート
 朝井リョウの「何者」を読みました。小説としての出来映えがどうというよりは、偏差値の高い大学生の就活の雰囲気が良くわかりました。成人式が、単なるセレモニーとなってしまっている日本の社会では、就活こそが「一人前の人間」としての通過儀礼(イニシエーション)となっているのかもしれません。
 小説の中で、拓人の友人が最終面接で落とされた場面で、こんな描写が出てきます。
 「いくらこちらから願い下げだとしても、最終的に選ばれなかったということは、そこまで選ばれていたのに決定的に足りない何かがあったと感じてしまう。エントリーシートや筆記試験で落ちるのと、面接で落ちるのとではダメージの種類が違う。決定的な理由があるはずなのに、その何かがわからないのだ。コレまでの人生で何度も経験してきた試験のように、数学ができなかったから、とか、作文で時間が足りなくなったから、とか、そんな分析すらさせてもらえない。就職活動において怖いのはそこだと思う。確固たるものさしがない。ミスが見えないから、その理由がわからない。自分がいま、集団の中でどれくらいの位置にいるかがわからない。」
 学生という、ある意味で均質な集団の中で周囲の空気を読みながら、巧みに自分の立ち位置を確保していた若者が、不意にその足場を失って漂白していく不安がよく捉えられている部分だと思います。
 企業が最終的にどのような価値判断で内定を決めるかは教えてもらえないから、内定を得られなかった学生は、まるで、人間性が否定されたような不安に苛まれるのでしょう。 一定の水準に達していながら内定をなかなか得られないのは、就活が恋愛に似ているからではないかと思います。企業との相性や企業風土に即したタイプでないと、いくらその企業に恋をしても叶わぬ恋になってしまうのではないでしょうか。ただ、入社したい会社を選べるのはごく一部の人達でしかありません。多くの学生は、自分探しの旅をしているゆとりはなく、「自分に合った仕事を探すのではない。自分がその仕事に合わせるのだ。」と言われながら就活しているのが現実のような気がします。 
 自分を捨ててまで就活なんかしたくないという、宮本隆良に真剣に就活に取り組む田名部瑞月が言います。
 「私たちはもう、たったひとり、自分だけで、自分の人生を見つめなきゃいけない。一緒に線路の先を見てくれる人はもう、いなくなったんだよ。」
 「10点でも20点でもいいから、自分の中からだしなよ。自分の中から出さないと点数さえつかないんだから。」
 だから、多くの若者は「何者」かの仮面を被って入社していきます。その仮面がそのまま自分の顔となって剥がれなくなれば、それはそれでいいのではないでしょうか。仮面を被っていることに耐えられなくなって外すには、それなりの覚悟が必要です。ようやく探し出した自分の素顔が、じつは「のっぺらぼう」であるかもしれないのです。

失われた時を再生する「デジタルフォトフレーム」  №183

2013-05-07 16:59:17 | インポート
 先日ソニーの「デジタルフォトフレーム」を購入しました。これは想像していた以上のすぐれものだと思っています。大きさは7インチで黒いフレーム。内蔵メモリーは2ギガバイト。約4000枚の写真が内蔵でき、7秒間隔のスライドショーで8時間楽しむことができます。外部記憶媒体としてSDカードやUSBメモリも使用できるので、もっとたくさんのスライドショーも楽しめますし、動画再生も可能です。
 早速、パソコンのピクチャに眠っていた海外旅行や家族の様々な記念日のスナップなどのファイルをコピーして、スライドショーで楽しみました。食卓近くの棚にフォトフレームを置き、ワイン片手に時系列で次々に写し出されるスライドを見ていると、失われかけた記憶が楽しい思い出とともに鮮やかに蘇えってきました。
 かつてフランスの作家プルーストは「失われた時を求めて」という長編小説を書きました。その長さは日本語訳では400字詰め原稿用紙で一万枚にも及びます。何度か読破しようと試みましたが、そのたびに挫折しました。その物語は、ある日、口にしたマドレーヌの味をきっかけに、幼少期に家族そろって夏の休暇を過ごした町全体の記憶が鮮やかに蘇ってくる経験から書き起こし、自らの生きてきた第一次世界大戦前後の歴史を記憶の中で織り上げていくものです。
 プルーストはこの作品を描くために、部屋に閉じこもり耳にコルクの栓をして記憶の再生に没頭したといいます。しかし、現代に生きる私たちは、昔の写真をデジタル化する手間を惜しまず、外部記憶として大容量のUSBメモリを使えば、さしたる努力なしに自分の一生をスライドショーで振り返ることができるようになりました。
 少し時間の余裕ができたら、認知症を予防する意味でも、自分の生涯をデジタル映像化し、好きな音楽にのせて楽しみたいと考えています。