荻野洋一 映画等覚書ブログ

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Au Pairs『Playing with A Different Sex』

2007-05-25 05:25:00 | 音楽・音響
 1981年の映画『スローなブギにしてくれ』を見たついでに、もうひとつだけ1981年のものを取り出してみよう。ハスキーな女性ヴォーカルを擁する短命ポストパンク・バンド、Au Pairsのデビューアルバム『Playing with A Different Sex』。当時ZigZag East誌で絶讃されているのを読み、放課後に小滝橋通りの新宿レコードで購入した(学校が西新宿へ歩いていける距離だったため)。もちろん洋楽の方が偉いといったことではまったくないけれども、悪いがやはりAu Pairsの方が南佳孝の数十万倍凄い。

 特に2曲目"Love Song"、14曲目"Diet"は現在でも我が家のヘヴィローテーション(2~3年前にCDで再購入)。どうもブリティッシュNWというのは、いまではすっかり古びてしまって聴くに堪えないものが多い気がするが、Au Pairsは実に不滅の怖さを出している。

 オリジナルリリースLPでは確か、上の蒙古族女性の写真が撮りきり一杯にあしらわれていたはずである。中ジャケがショッキングピンクで。いまでも実家の押し入れで埃を被っていることだろう。

『スローなブギにしてくれ』 藤田敏八

2007-05-23 16:26:00 | 映画
 テレビにて『スローなブギにしてくれ』(1981)。根無し草のごとく享楽的に生きる老若男女を、藤田敏八が「彼独自」としか言いようがない骨抜きスタイルで撮り上げた当時の大ヒット作である。
 福生の旧米軍ハウス、そして横浜という2つの空間、そしてそれらを取り結ぶ第三京浜という1本の線だけが、この映画のすべてである。ここでは、すべての人々は2つの空間と1本の線上で「ひょんなこと」から知り合い、セックスをし、「それとない」なにがしかの理由で別れてゆく。藤田敏八の映画としか言いようがない。

 1981年、まだ子どもだった僕は、南佳孝による同名主題歌が流れる本作のTVスポットが放送されると憂鬱になった。角川映画お得意のメディア露出絨毯爆撃に、子ども心に反発を感じたし、南佳孝の鼻にかかった「♪I want you! オレの肩を~抱きしめてくれ~」という歌声も嫌いだった。

 26年後の今日、すべては水に流された。ここには何一つ嫌なものがない。時間とは面白いものだ。1981年というのは、つい最近のことのような気もするが、描かれる風俗はどうしようもなく古びている。小津や成瀬の映画より古く感じる。そしてそのことがかえって、快いわびしさと感興を誘うのだ。

 監督・藤田敏八、脚本・内田栄一をはじめ、古尾谷雅人、室田日出男、伊丹十三と、この作品の関係者に死者が多いことが、偶然とはいえ気になった。

マドリーまたミラクル

2007-05-22 23:42:00 | サッカー
 リーガ第35節。レアル・マドリーがまたミラクルをやってのけた。
 2位バルセロナと勝ち点差なしで首位に立つマドリーは、もちろん引き分けも許されない薄氷の状況。2-1リードで迎えた試合終了5分前、レクレアティーボのナイジェリア人FWウチェに痛い一発を浴び、同点に追いつかれてしまう。
 これでこのあとキックオフされるアトレティコvsバルセロナで、バルサが勝てば再び首位の座はバルサのものとなる。

 ところが、やった。
 後半ロスタイム。今シーズンは控えに甘んじていた老兵ロベルト・カルロスが、ガゴの反転から繰り出されるラストパスに走り込み、土壇場で3-2と勝ち越す。2000人ほど訪れていたアウェーのマドリー・サポーターがどっと沸く。
 いまのレアル・マドリーは、選手、ベンチ、サポーターがひとつになっている。シビアさで知られる同クラブの環境としては、これは近年なかったことだ。

 その2時間後、バルサはアウェーでアトレティコ・マドリーを0-6で粉砕した。だが、順位は変わらず。
 マドリー、バルサ、セビージャ、バレンシア。僅差にひしめくこの4チームのうち、どれが今シーズンのチャンピオンになるか皆目見当がつかない。

ムージカ・カタラン(カタルーニャの音楽)その1

2007-05-22 00:58:00 | 音楽・音響
 現在、フランス以外でカイエ派が残存するのは、日本とカタルーニャだけだと斎藤敦子は述べているようだが、『カイエ・デュ・シネマ・エスパーニャ』が創刊された背景にはそうした事情もあるのだろうか。もちろんカタルーニャは厳密には「エスパーニャ」ではないわけだが。

 『イブラ・ダミック』、1980年代を代表するバルセロナの詩人ジョアン・ビニョーリの詩に、やはりバルセロナ現代音楽界を代表する作曲家エルネスト・ボラースがメロディをつけたもので、ソプラノ、メゾソプラノ、バリトン、そしてピアノの3声組曲。『イブラ・ダミック』とは13世紀カタラン貴族で著述家・数学者ラモン・ユイ(Ramon Llull)が人間と神との関係をアレゴリカルに謳った詩『Llibre d'Amic e Amat 』に材をとったものらしい。
 ある意味、ゲルマン的とさえ言える絶対的な音を探求するストイックな、声による彫刻である。静かだがきわめて推進力の強い音楽。
 カタルーニャ芸術にのめり込んだアメリカ人ピアニスト、マック・マクルーアの伴奏も素晴らしく、3人のカタルーニャ人ソリストを、時に個別に、時にグループとしてリードする。

 カンプ・ノウからディアゴナル大通りを東に行ったショップで購入。

 われらは黄金を求め 炭坑奥深くへ下りた
 そして暗闇が ぱっと煌めきに満ちた
 故にわれらは二人 夜を拒み続ける
  ──ジョアン・ビニョーリ

『Llibre d'amic: Lieder』
http://www.columnamusica.com/

『クィーン』 スティーヴン・フリアーズ

2007-05-20 13:55:00 | 映画
 先日おこなった退陣演説が「感動的」だったため保守系各紙でさえ絶讃したとかいうトニー・ブレアを、まるで諸葛孔明のごとき賢宰相として扱ったプロパガンダ的な思惑たっぷりの作品。『マイ・ビューティフル・ランドレッド』『グリフターズ』など、かつて全盛を誇ったセゾン系映画、そのイングランド代表の座をめぐりピーター・グリーナウェイあたりとタメを張っていた時代からずっと(グリーナウェイはウェルシュではあるが)、スティーヴン・フリアーズは常に何かを企んでいる欲深い映画作家であり、またその欲深さが彼の作品に大いなる魅力をもたらしていた。

 ダイアナ元皇太子妃の非業の死と葬儀の手続きという、それじたい重苦しく生々しい題材を、一編の風刺喜劇に仕立て上げようという、不適な企てである。友人Hからのeメールに、「いわゆるイーリング・コメディとか言われるような英国製シチュエーション・コメディの伝統を引き継ぐ、英国映画の正統性を主張する作品であることを認めるのにやぶさかではなく」うんぬんなどと書いてあるものだから、すごすごと見に行ってしまったわけだが、ここでとりあえずの悪として設定される「衆愚的なもの」「大仰でヒステリックなもの」は、すべて記号にのみ還元されていたことが、本作の要点であると考える。
 つまり本作においては、悪を体現する人物──たとえばタブロイド紙のゲスな編集長にその役まわりを担わせるなど──を特定できないのである。いまよく使われる表現を借りれば、ここには「空気の読めない人と、空気の読める人」の2種類の人間しか出てこない。

 きわめて生臭くハードルが高い題材をあえて選んだ上で、ジャンル形式の原則を、その最も正統的なありようを首尾よく復習してみせる、というところに欲深きフリアーズ監督の思惑が見て取れる。その思惑は物欲しげで下品一歩手前のものではあるが、少なくとも復習ドリルは軽くクリアしている。
 労働党の党首ブレアと女王エリザベス、その傍らで、自分もライオンハートを持った同類なんだ、という作者フリアーズの主張がなされている。

日比谷シャンテシネ他にてロードショー中
http://www.queen-movie.jp/