五所平之助の作品を再見(『白い牙』)したついでに思い出したことがある。
数年前、通訳を買って出た梅本洋一の手伝いで、当時カイエ・デュ・シネマ編集長だったシャルル・テッソンが計画した某インタビュー取材のために藤沢市へ出かけた日のことを思い出す。
往きの湘南電車が大船に途中停車した折、「ここはショーチクの本拠地であるか?」というテッソン氏の問いに対して、僕がこの地で活躍した幾人かの映画作家の名を挙げたところ、彼はキノシタをキヌガサと、ゴショをゴシャと混同したのだった。
日本人のうち手厳しい連中は、この混同をたやすく嘲笑するかもしれないが、僕にはかえってそれが、この上もなく愛おしく感じられたものである。
では逆に、研究家資質の御仁を除いて、いったい世の中の何人の人が上のような混同をしうるというのか。それは心許ないことである。
数年前、通訳を買って出た梅本洋一の手伝いで、当時カイエ・デュ・シネマ編集長だったシャルル・テッソンが計画した某インタビュー取材のために藤沢市へ出かけた日のことを思い出す。
往きの湘南電車が大船に途中停車した折、「ここはショーチクの本拠地であるか?」というテッソン氏の問いに対して、僕がこの地で活躍した幾人かの映画作家の名を挙げたところ、彼はキノシタをキヌガサと、ゴショをゴシャと混同したのだった。
日本人のうち手厳しい連中は、この混同をたやすく嘲笑するかもしれないが、僕にはかえってそれが、この上もなく愛おしく感じられたものである。
では逆に、研究家資質の御仁を除いて、いったい世の中の何人の人が上のような混同をしうるというのか。それは心許ないことである。