荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『ホットロード』 三木孝浩

2014-08-24 10:53:59 | 映画
 最初のシーン、「夜明けの蒼い道 赤いテールランプ もう一度あの頃のあの子たちに 会いたい…」という主人公(能年玲奈)の物憂げなナレーションが、走るバイクからの見た目ショットにかぶさってくるとき、これから本作を見ようとしている観客の誰もが、本作が回想の映画であることを了解するだろう。主人公の語る「あの頃のあの子たち」とは、彼女が恋をする暴走族少年(登坂広臣)のことであり、少年の仲間たちであり、また「あの頃の」彼女自身をも指しているはずである。
 そして観客は、「あの頃」が1980年代を指していることを歓迎するだろう。この時代に支持された少女漫画を原作としている点だけでなく、能年玲奈が1980年代にオマージュを捧げるという光景は、観客にとってはなじみ深いものだからである。昨年のNHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』においても、能年は母親(小泉今日子)の青春を遡行=追体験していた。この映画を見に来る観客のほとんどは原作のファンか『あまちゃん』のファンだから、装置としてはじつに穏便な作動ぶりを見せているわけである。

 「あの時代の暴走族やスケバンを美化し過ぎている」とか「さすがに20歳の能年玲奈に14歳の中学生を演らせるのはムリがある」とか「同棲して肉体関係がないのは不自然だ」とか「ストーリー展開が尻すぼみに過ぎる」とか、上映中、私の脳細胞は文句、苦情のシュプールを思い思いに描いていた。しかし、それはナンセンスなシュプールである。リアリティの見地から文句を言っても意味はない。いわばこれは、誰かのホラ話につき合ってやるのに近い体験なのである。
 原作漫画の最終決着がどうなるかは知らないが、主人公が冒頭一番「もう一度 あの頃のあの子たちに会いたい」と語り始める以上、少年少女たちの関係はその後は終わりを迎えたのだろうし、会うことはおろか、おそらく連絡を取り合うことさえなくなっているのだろう。みんな、関係のない異性とくっついて、おのおの「ドキュン家族」の第一世代を築いたのかもしれない。少なくとも、中年になったみんなの生きざまに主人公が失望して、この連中もあの時代はあんなに輝いていたのに、と天の邪鬼を気取っているというのではあるまい。
 しかし、問題はそういうことではない。最重要な問題は、ひとりのアイドル女優が朝ドラの一発ヒットで終わらず、おもしろい芸能人生を送ってほしいと案じてしまうという問題である。杉本哲太が『あまちゃん』の劇中、能年玲奈を可愛いと思うのは「チンパンジーの赤ちゃんが可愛いと思うのと同じ」というセリフを吐いていたが、私はこれに同感で、この女優を異性として見る向きは意外と少ないと思う。本作『ホットロード』は、その基準にあくまで従順だったように思える。


丸の内ピカデリー(東京・有楽町マリオン)ほか全国で公開
http://hotroad-movie.jp