荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『GODGILLA ゴジラ』 ギャレス・エドワーズ

2014-08-01 00:26:24 | 映画
※文中、物語内容にふれている箇所があります
 いかにもカイル・クーパーがつくりそうな、しゃれたデザインのオープニングは、ゴジラ履歴のアーカイヴといった様子で、スタッフ・クレジットの文字列が国防総省の秘密文書のように一行一行塗りつぶされていく。だからこの映画は、怪獣の来襲による恐怖だけでなくて、過去の危機についての秘密事項を明るみにしていこうというサスペンスにも時間が費やされている。
 15年前、日本の地方都市でおきた原発事故で妻(ジュリエット・ビノシュ)を失った科学者(ブライアン・クランストン)は、日米両政府が隠蔽した事故原因の真相を解明するのに躍起になっている。もう一方の軸に日本人科学者の芹沢博士(渡辺謙)という登場人物がいて、この「芹沢」というのは言うまでもなく、60年前の初代ゴジラを倒した黒眼帯の博士(平田昭彦)の名前からとられているのだが、ゴジラという存在の意味を教訓的、あるいは神話的なレベルにまで拡大解釈していくその姿勢は、芹沢というより、志村喬が演じた山根博士を思い出させる。今作のなかで初めて怪獣の名前が発語されるのは、芹沢を演じる渡辺謙によってであり、このとき渡辺は日本語ネイティヴに忠実に「ゴジラ…」と発音する。今作の邦題は『GODGILLA ゴジラ』という並列タイトルであるが、「GODGILLA=ゴジラ」であるという等号と共に見るべきなのであろう。『パシフィック・リム』で登場人物たちが日本語の「カイジュウ」という単語を好んで使用していたのと繋がっている。
 この等号の不気味さ。映画の前半は、日本の東京および原子力発電所の所在都市がおもな舞台となっているが、ハリウッド映画がいつもやってしまう「ヘンな国」とのカルチャーギャップやディスコミュニケーションに時間を費やすことはもはやしない。日米はすでに密接な同盟関係にあり、東京──ハワイ──プレシディオの横断線は、前世紀の軍事的衝突のラインとしてではなく、怪獣たちの産卵の導線として、つまり集団的自衛ラインとして提示される。この隠れた意図はおのずとあきらかではないだろうか?


全国東宝系で上映中
http://www.godzilla-movie.jp