こんなうっかりしたことを書いていいのか分からないが、私は草森紳一のエピゴーネンなのかもしれない。膨大な著書数を誇る大家と、どこぞの馬骨たる自分を比較するほど、夜郎自大ではない。そうではなく、自分の関心の持ち方、方向の順番などあらゆる点で、気づくと草森紳一がすでに踏破した地点に過ぎないのである。彼のニヒリズム、保守的傾向にはまったく同調できないし、たくさんある著書のうち読んだのは10冊に満たぬけれど、そのうち初期の『ナンセンスの練習』(1971 晶文社 刊)以外はすべてが中国文芸、近世日本についての本である。この分野では私淑と言っていい気分に勝手になっている。
十年前に出た『荷風の永代橋』(2004 青土社 刊)は、すばらしい表紙に惹かれて刊行後すぐに買ったが、900ページ近いこの大著を私はまだ読了していない。拙宅の「積ん読」棚に10年間置いてある。他にも読みかけの本はたくさんあるのだが。そして、再び永代橋である。「文人」という言葉の薫りを残す数少ない一人だったこの評論家が没して6年。没後の新刊ラッシュにまったく乗りそびれた私も、何かの縁とばかりにこんどの『その先は永代橋』(幻戯書房 刊)は購入した。なんとこれが没後13冊目の新刊だそう。つまらぬ付言だが、購入場所は永代橋から遠からぬコレド室町のタロー書房である。
草森紳一(1938-2008)が、元禄11年(1696)に架かった永代橋のたもとのマンションに住み始めたのは1988年。優雅な流線型を描く現在の鉄橋はもちろん、元禄のものではなく何代目かである。草森としては、小田原あたりで隠居するまでの腰かけ程度のつもりが、隅田川と永代橋に惹かれてしまい、移転できなくなった。亡くなるまで20年間住んだことになる。この大家が永代橋なら、私は、それより2つ上流に架かる清洲橋である。この対抗心は偶然の産物だが、私の中で手前勝手に奇遇と解釈している。永井荷風の有名なエピソード──発表を望まぬ過去の原稿を隅田川に投げ捨てた──はたしかに永代橋だそうだが、じつを言うと荷風のメインブリッジはどう考えても清洲橋であろう(拙ブログ「中洲病院」の記事を請参照)。でもまあいいのである。大国の中華思想にはヘドが出るが、狭隘なローカリズムから生ずる中華思想には、可憐がある。浅草の住民たちや、新宿の酔客たちが醸す中華思想に耳を傾けるのは、わが趣味のひとつだ。
幕末の志士・清河八郎、小津安二郎の『一人息子』、七代目市川團十郎、河竹黙阿弥、志賀直哉、フランシス・ベーコン、阿部定、セルゲイ・M・エイゼンシュテインetc.…と直接間接に永代橋にかかわった人名が縦横無尽に語られる。縦横無尽と言うべきか、グダグダに垂れ流されていると言うべきか。特に本書後半は、著者自身の吐血についての描写がまことにしつこい。著者は完全にこの吐血という体験を、一生に一度しかない特権的な体験、はっきり言うとひとつの文芸的体験と受け取っており、うれしさのあまり筆が止まらなくなったのだろう。今となっては、晩年の稚気と言っても差し支えない。
崩れる書物の山に埋もれて逝った現代の文人──草森紳一、それから田中眞澄も忘れまじ。
十年前に出た『荷風の永代橋』(2004 青土社 刊)は、すばらしい表紙に惹かれて刊行後すぐに買ったが、900ページ近いこの大著を私はまだ読了していない。拙宅の「積ん読」棚に10年間置いてある。他にも読みかけの本はたくさんあるのだが。そして、再び永代橋である。「文人」という言葉の薫りを残す数少ない一人だったこの評論家が没して6年。没後の新刊ラッシュにまったく乗りそびれた私も、何かの縁とばかりにこんどの『その先は永代橋』(幻戯書房 刊)は購入した。なんとこれが没後13冊目の新刊だそう。つまらぬ付言だが、購入場所は永代橋から遠からぬコレド室町のタロー書房である。
草森紳一(1938-2008)が、元禄11年(1696)に架かった永代橋のたもとのマンションに住み始めたのは1988年。優雅な流線型を描く現在の鉄橋はもちろん、元禄のものではなく何代目かである。草森としては、小田原あたりで隠居するまでの腰かけ程度のつもりが、隅田川と永代橋に惹かれてしまい、移転できなくなった。亡くなるまで20年間住んだことになる。この大家が永代橋なら、私は、それより2つ上流に架かる清洲橋である。この対抗心は偶然の産物だが、私の中で手前勝手に奇遇と解釈している。永井荷風の有名なエピソード──発表を望まぬ過去の原稿を隅田川に投げ捨てた──はたしかに永代橋だそうだが、じつを言うと荷風のメインブリッジはどう考えても清洲橋であろう(拙ブログ「中洲病院」の記事を請参照)。でもまあいいのである。大国の中華思想にはヘドが出るが、狭隘なローカリズムから生ずる中華思想には、可憐がある。浅草の住民たちや、新宿の酔客たちが醸す中華思想に耳を傾けるのは、わが趣味のひとつだ。
幕末の志士・清河八郎、小津安二郎の『一人息子』、七代目市川團十郎、河竹黙阿弥、志賀直哉、フランシス・ベーコン、阿部定、セルゲイ・M・エイゼンシュテインetc.…と直接間接に永代橋にかかわった人名が縦横無尽に語られる。縦横無尽と言うべきか、グダグダに垂れ流されていると言うべきか。特に本書後半は、著者自身の吐血についての描写がまことにしつこい。著者は完全にこの吐血という体験を、一生に一度しかない特権的な体験、はっきり言うとひとつの文芸的体験と受け取っており、うれしさのあまり筆が止まらなくなったのだろう。今となっては、晩年の稚気と言っても差し支えない。
崩れる書物の山に埋もれて逝った現代の文人──草森紳一、それから田中眞澄も忘れまじ。