どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ゆめをしんじた大工の長者・・山形

2024年03月31日 | 昔話(北海道・東北)

        山形のむかし話/山形とんと昔の会・山形県国語教育研究会共編/日本標準/1978年

 若い貧乏な大工が、腕を磨くため出稼ぎにいって、大きな川のそばの村に着いた。その村は川をこえて向こうに行こうにも橋もなく、流れがはやくて渡し船も難儀していた。

 なんとかしてこの川に橋をかけたいとおもった大工の夢に、神さまが現れ、船橋を作ればいいもんだと教えてくれる。大工は村の庄屋へいって、橋を架ける仕事をさせてくれるよう頼みこみ、船づくりの大工をあつめてたちまち百艘ほどの船をつくった。ところがあと一艘、川の真ん中に浮かべるおおきな船を作る木がなく、はたとこまった。

 お宮さまにとまりにいった大工が、神さまにお願いすると、親船の木なら、このお宮のクスノキを切って作れ、人のためなら、喜んで切られるべ、という。つぎの日、さっそく村いちばんの大クスノキを切り倒して、親船をつくった。

 よろこんだ村の人たちが、少しずつお金を集めて、大工にお礼にさしだしたが、大工は、「仕事させてもらったばかりでもありがたい。人の役に立ってえがった」といって、お金はもらわずまた旅に出かけることにした。その日、最後だと思ってお宮さまにとまっておれいをのべた。するとまた、神さまがあらわれて、「あのクスノキで作った親船の上に、これから三日、日の出に立っていると、きっといいこと聞くから」と言って、姿を消した。

 若者は、神さまの言うことを信じていたから、つぎの朝、さっそく親船の上にいってみた。三日目に、馬をひいた人から、「朝早くから、なにして立っているなや」と声をかけられたから、「ここに三朝立っているといいこときくからって、神さまの夢見たから」と返事した。

 声をかけた人は、「夢信じるなどばからしい。おらもゆうべ、親船をつくったクスノキの根っこを掘り返すと、金銀の宝物がでてくる夢を見たが、おら本当のこととおもわねえもの」と、せせらわらいしながら馬をひっぱって、さっさと行ってしまった。

 これが神さまのお告げだべと、若者がクスノキの根っこをほってみると、馬をひいた人の言うように、目の覚めるみたいな金銀ぴかぴかつまっている壺がでてきた。

 村の人たちは、「これは正直な大工さんへ、神さまの贈り物だべ」って、おおよろこびしてくれた。そこから大工の若者は、山の村へ帰って、困っている人へお金をくれたりして、金持ち大工の長者さまよばれるようになった。

 善良な人しかでてこない ほっこりする結末。


大木の秘密・・山形

2024年03月27日 | 昔話(北海道・東北)

        山形のむかし話/山形とんと昔の会・山形県国語教育研究会共編/日本標準/1978年

 

 中津川の山の上に大きなスギの木が生えていた。一晩たつと一尺、二尺のびして、くにじゅうのどこからも見えるほどになった。「大スギのために、酒田の海がみなかげになってしまって、魚がよりつかなくなった。このへんの漁師が困っているから、スギの木を切ってくれ」と、いわれた中津川の村の人が相談するがなんともならない。

 そこで、酒田と中津川から若いもんをだして、大スギの木にのこぎりを入れることにした。ところが毎日ズイコズイコとのこぎりでひいても、つぎの朝になると、みんなきのうののこぎりのあともみえないように、もとどおりになってしまった。切りはじめてから、ひと月ふた月たっても、スギの木はびくともしないで、のびてのびて、先の方は天まで届いてしまった。

 お盆が来る頃になったとき、たんぼのほとりに生えたミソハギが、村の一本松からうわさを耳にした。一本松がいうことには「毎日のこぎりを入れられているから、山じゅうの木という木が毎晩見舞いにいっているから、おらも今晩見舞いに行く」という。そこでミソハギも、一本松と見舞いにいくと、山じゅうの木はみんな集まって、今日の昼にでたのこぎりくずをひろってきては、大スギの切り口に、べたべたはりつけている。

 大スギは、ミソハギをぎょろりとみて「おめえはだれだ。このあたりでは見たことがねえが」というもんで、「一本松と見舞いにきた」というと、「ミシハギざあ、木の仲間でねえべな。草でねえが」と、さげすむようにいった。おこったミソハギは、すぐ村に帰ると、木切の若いもんに教えたそうだ。「夜になったら、山の木が見舞いにきて、のこぎりくずをひろって、みなべたべたはりつけるのよ。だから、その日ののこぎりくずは、その日のうちに燃やしてしまえば、あの大スギもたおれんべ」。

 それから村の衆は、その日ののこぎりくずをその日のうちに焼いてしまったから、さしもの大スギも、一週間めには、どうとたおれてしまった。それからは、村にも日がさし、酒田の海にも、また魚がよってくるようになった。

 ミソハギは多年草で、湿地や田の畔などに生えているという。

 一寸の虫にも五分の魂といったところか。


なみなみのへっぴりじじ・・岩手

2024年03月15日 | 昔話(北海道・東北)

        岩手のむかし話/岩手県小学校国語教育研究会編/日本標準/1976年

 

 ”へ”の話もいろいろ。

 正直で一生懸命働くずんつぁが、長者どんの山で、パッカパッカ木を切っていると、長者さまに見つかって、「そこで木を切るやつ。どこの何者だあっ」と、大きな声で叫ばれた。

 「なみなみのへっぴりじじでがす」というと、長者は「こごさきて聞かせろ」という。ずんつぁは、「へっつーものに、ポー、ピー、スーと三いろあって、スーと出るのがいちばんくせいが、このじじのたれるのは音っこのほうでがす。一番大きいのは、てっぽう玉へで、つぎは太鼓へ、そのつぎははしごへです」といったれば、長者が「みんなたれてみろ」という。

 ずんつぁは、まずドカンとてっぽう玉へをやらかして、つぎに太鼓へでポンポンポン。それからブー、ブーと二回たれてはしごへ。

 よろこんだ長者が、「宝物をやるが、重いほうがいいか、軽いほうがええか」というので、ずんつぁは、「年とって、力もねえから、軽いのもらっていきます」といって、軽いほうをもらって家に帰った。軽いかごには、きれいな着物だの、米だの、おさかなだの、ぜにっこが たくさん出はってきた。

 つぎの日、となりのばあさまが、火のたねっこもらいにきて、「なんで、赤い着物着て、うまいものくってませ」と聞かれたから、長者どんの家からもらってきた」と語って聞かせると、となりのずんつぁも、長者のところで、”へ”をたれることになりますが・・・。

 

 「となりのずんつぁが、重いかごをもらってかえると、なかからでてきたのは きたないものばかり」というのは、「隣の爺」型の終わり方です。


あざみ姫の首・・岩手

2024年03月10日 | 昔話(北海道・東北)

        岩手のむかし話/岩手県小学校国語教育研究会編/日本標準/1976年

 

 五助という男が、きくという妹といっしょに山の中に暮らしていたが、きくが遊びにいってから なかなか帰ってこない。つぎの日の朝はやく探しにいくと、きくの下駄が落ちていた。ようやく山のおくの、大きな岩のなかに、きくをさがしあてたが、そこにはおおきな山男がいて、「あざみ姫の首持ってきたら、きくをわたしてやる」という。山男には勝てそうもないと、家に帰ってきたが、山男がいう、あざみ姫の首が気になっていた。

 何日かたって、ぼろぼろの着物のおじいさんが、「今晩ひと晩とめてけろ」という。食べ物などはいらないから泊めてくれといわれ、五助は、おじいさんを泊めることにした。五助が、いなくなったきくのことを話すと、おじいさんはあざみ姫のことを話し、いつのまにか姿を消してしまった。

 五助は、これはきっと神さまが教えてくれたに違いないと、夜が明けると、東の方へ歩いて行った。すると、きれいな小鳥が鳴いている一軒の家に、ばあさんがいたので、おじいさんから教えてもらった「岩切丸」という刀を貸してくれるよう頼みこみ、刀を借りて、また東へいった。

 沼のそばにあった切株にこしかけていると、神さまみたいなのが鏡みたいなものをもって沼からあがってきた。「かしてけれ」「かせねえ」「かしてけれ」とやりあって、鏡を借りた五助は、岩切丸と鏡をもって、あざみ姫のいるところへむかった。

 ずんずんいくと、岩山のおくへ大きな御殿があって、そこらじゅうに大きな石ころがごろごろころがっていた。この石はあざみ姫ににらまれて、石になった人石だった。五助はあざみ姫ににらまれないよう、鏡を見ながら後ろ向きに歩いていくと、足までとどく髪をして、それはそれはぞっとするようなきれいなおひめさまが、鏡にうつって見える。そばにつかずくと、一本一本の髪の毛がヘビになって、赤い舌をだしながら、五助にかかってきた。五助は、きくのことを思い、腹決めて、あざみ姫の首へ、岩切丸をたたきつけると、首がおちて、真っ赤な血が流れ、湯気のようにもやもやになると、あたりは、真っ赤な霧が かかるようになった。そのうち、その霧は馬のようになり、ぴょんととびあがって、しばらくするとあたりは晴れて、そこらじゅうあかるくなってきて、その山一面きれいな花が咲いた。

 御殿も人石も消えて、五助は馬といっしょに、あざみ姫の首をもって山男のところへいって、きくを家に連れて帰った。

 

 山男がなぜあざみ姫の首がほしかったのかは全く出てこないほか、ぼろぼろの着物のおじいさが なぜあざみ姫のことをおしえてくれたかもでてきません。さらに岩も切るという岩切丸や、あざみ姫と直接目を合わせないための鏡もとつぜんでてくるなど、戸惑う部分もある話です。


木っこりじっこ・・秋田

2024年03月02日 | 昔話(北海道・東北)

       秋田のむかし話/秋田県国語教育研究会編/日本標準/1974年

 

 正直にして、まじめに働いていれば、いつでもいいごとあるもんだど。

 じっこ、山さ小屋たてて、木切にいったそうだ。いっしょうけんめい切っているうち暗くなると、なにか きたような音がした。

 ねこが三味線ひいていたそうだ。こんだ、むじな。いたち、きつねが いっしょうけんめい踊りだした。そして、おっかなくなって 小屋のすみっこにいる じっこに、おっかなくないから、戸を開けてくと言ったそうだ。そっと戸あけると、みんなにぎやかに踊りだした。じっこも面白くなって、一晩じゅう 踊った。夜が明けるとみんな踊りをやめて、また明日くるからといって帰っていった。

 みんないなくなったあとには、たくさんの木が切って積んであった。一生懸命働いているじっこをみて、みんな手伝ったのだろう。

 

 じつにシンプルな話だが、踊りの擬音語が何とも楽しい。

 ねこは、「ニャンニャンコロリの ニャンコロリ。ニャンニャンコロリの ニャンコロリ。」

 いたちは、「チャッチカ、チャッチャカ、チャッチャカ、チャ」

 むじなのひょうしは、「むじなの はらたいこ スッデゴデン。むじなの はらたいこ。スッデゴデン」

 おもわず マネしたくなります。 読むより聞いたほうが楽しそうなリズムです。


けちんぼ長者と三吉さん・・秋田

2024年02月26日 | 昔話(北海道・東北)

        秋田のむかし話/秋田県国語教育研究会編/日本標準/1974年

 

 長者さんもなかなか苦労がつきないようで・・・。

 けちんぼ長者の楽しみは、奉公人が寝てしまってから、穴倉に隠しているぜぇんこ(お金)を、部屋いっぱいにひろげ、ジャンジャラ音させて、数がふえていくのをみて、よころぶことだった。こうもぜぇんこがたまってくると、泥棒に盗まれることが心配で、夜も眠れなくなり、あれこれ考えたあげく、ぜぇんこやお金を貸したという証拠の証文を、小屋の漬物桶にかくし、いかにもたくわんがっこ(漬物)と見せかけ、重い石をのせておいた。

 ところがある日、久しぶりにぜぇんこの顔を拝みたくなって、小屋の漬物桶をのぞくと、桶の中はからっぽ。奉公人をあつめ、問いただすが、誰も知らないという。「漬物桶にぜぇんこあるってこともしらねえから盗むはずがねえべ」と、長者のところに奉公にあがってから、はじめて口ごたえしたのは、三吉。

 三吉は、借金のかわりに長者のところで働いて12年。三吉は、お相撲さんのように力がつよく、ほかの人の三倍も五倍も、しばを背負って帰ってきて、長者の財産形成?をたすけていた。

 まじめに働いて、泥棒呼ばわりされた三吉が、「10年の年季奉公に、2年もおまけをつけて働いたから、ひまをもらうべ」というと、長者は、「おめえのほしいものは なんでもやるから、いってみれ」という。三吉は、「たんぼの稲束、背負われる分だけもらうべ」と、たんぼの稲束を、全部担いで大平山のほうへ、歩いていってしまった。

 ところで、ぜぇんこと証文のゆくへは?

 長者が大黒様にありかを教えてもらおうと神棚を、ひょいとみると、大黒様の後ろには、証文が、ばらばらにちぎれて、うず高く積まれてあった。ねずみがすをつくるため、たくあんずけのにおいのする証文やぜぇんこをかじって、せっせと神棚のすみっこに運んだのだった。

 

 秋田の国の大平山のふもとの村の話。


九百九十九の石段・・秋田

2024年02月23日 | 昔話(北海道・東北)

      秋田のむかし話/秋田県国語教育研究会編/日本標準/1974年

 

 ナマハゲのおこり。

 むかし漢の武帝が白い鹿のひく飛車にのり、五ひきのこうもりをひきつれて男鹿にやってきた。そのとき こうもりは、五ひきの鬼にかわってしまった。

 鬼は、武帝によほどこき使われていたのだろうが、一日だけ休みを許された。ところが鬼たちは、村の畑作物や家畜、しまいには娘たちまでさらってしまった。憤慨した村人が、鬼の退治に出かけるが、散々な目にあわされてしまう。そこで、みんなで相談し、「毎年、ひとりずつ娘をさしあげる。そのかわり、五ひきの鬼どもは、五社堂まで一晩のうちに、しかも一番どりのなく前に、せんだんの石段を築くようにしてくれ。まん一、これができなかったときは、ふたたび村へおりてこないでくれ」と、武帝にお願いした。

 村人は、一夜のうちに千段の石段を作ることはできないだろうと思ってお願いしたが、鬼たちは、あれよあれよというまに、石段を積み上げていった。一番どりがなくまえにできあがりそうなので、あわてた村人は、ものまねのうまいアマノジャクに、あと一段というところで、とりのなきごえの「コケコッコウ」をやってもらった。鬼たちは、はねあがっておどろき、やがて、おどろきがいかりにかわり、ぶるぶる身をふるわせ、大声を出すと山へ帰ってしまった。それからは、鬼は村におりてくることはなかった。

 門前にある赤神神社から五社堂までの石段は、今も続いている。五社堂には、いまなお、この五ひきの鬼たちをまつって、むかしを物語っている。これが今日のナマハゲのおこりともいわれている。

 

 ナマハゲは、秋田というイメージがありますが、日本の各地にも同様の行事があるといいます。

 この話、「ナマハゲのおこり」としていますが、すこしイメージが違います。


”ぶんのう”の話・・秋田

2024年01月08日 | 昔話(北海道・東北)

      子どもに贈る昔ばなし18/小澤俊夫・監修/小澤昔ばなし研究所/2022年

 

 ”ぶんのう”は、骨皮筋右衛門で、医者のような連歌作者風の妖術使い。ちょっと不思議な話を代表させたのか?

・足を焚く男

 日も暮れて寒さもまして、一軒家で暖を取ろうとして断られた男。

 自分で勝手にするからと、そこにあった鉈で自分の脛を削りはじめ、その木くずを、囲炉裏にくべるとパチパチと燃えた。そのうち火が燃え尽きると、”ぶんのう”は、「ああ、十分ぬぐまった。へばな」と言って出て行ってしまった。

 その家のじさま、しばらくぼーっとしていたけれど、ふと夢からさめたように、囲炉裏を見ると、囲炉裏の炉ぶちが削り取られ、火の気もなくなって炉石だけが残っていだと。

(足を焚くと、びっくりさせるが、オチは・・)

・西瓜畑になった街道

 のどが渇いて、道端の西瓜売りに、西瓜をわけてくれるようにたのんだぶんのう。ただといわれて、ことわった西瓜売り。

 ぶんのうは、自分で作って食うしかないと、杖を道端にたて、呪文を唱えた。すると杖の根元から、芽が出て、蔓伸びて、葉っぱが出て、花っこ咲くとあっというまに大きな西瓜が、ぶんのうの足元にゴロッところがった。それだけでなく道いっぱいに西瓜が。通りがかった村人も、一人食うと、おらもおらもとかぶりついた。ああうめかったと、みんなはどこかへ行ってしまった。

 日が暮れて、西瓜売りが店に戻ってびっくりした。いっぱい積んであった西瓜が、かげもかたちもなくなっていたど。

・はたはたを釣った話

 むかし、あまりはだはだが取れない年があった。大きな大鍋で、ご馳走が出てくると思ったぶんのう。ところが鍋の中は、汁ばかり。

 ぶんのうは、いま、はだはだ釣っているから、みんなを呼んで来いと、声をかけた。ぶんのうが窓からさげた釣り竿を引き上げると、糸のさきにピンピン跳ねるはだはだ。釣っては鍋に入れ、釣っては鍋へ。近所の人が、どぶろく一升づつさげて集まってきた。その晩、はだはだ貝焼きでたいした酒盛りになった。

 つぎの朝、近くのはだはだ売りの、はだはだが百匹はいった一籠が、なくなって大騒ぎした。

 (はたはたは、歌にもある秋田名物)

・蛇ノ崎橋を呑んだ話

 たいした人出をみたぶんのうが、蛇ノ崎橋を呑んで見せようと大声をはりあげ、橋を呑みはじめたので、みんな呆気にとられた。しかし、ひとりのへそまがりの若者が、橋を呑み込むなどできるはずがないと、橋のそばの鐘つき堂の杉にのぼってみた。

 上から見てみると、ぶんのうは、橋の上を這っているだけ。若者が大声でさけぶと、阿呆面を見ていた見物人も、ハッと正気に戻って笑った。

 妖術がみやぶられたぶんのう、怒るが、見物人の声で、消されてしまった。

 そのとき、急に大風が吹いてきて、若者の のぼっていた杉の木が、倒れ、若者が 杉ののてっぺんからから落ちてしまった。

 ところがこの大風も、ぶんのうの妖術で、その日は、ほんとうのところ、風一つないええ天気だったんだぞ。


小僧の貸傘・・宮城

2023年11月08日 | 昔話(北海道・東北)

     いまに語りつぐ日本民話集5 あわてんぼうの早とちり/監修:野村純一・松谷みよこ/作品社/2002年

 

 けちな和尚さんと小僧さんの話。

 買ったばかりで一度も使っていないの傘を檀家の人に貸した小僧さんに、和尚さんは、「日向にだしてたら、バラバラになったんで、骨は骨、皮は皮としてたばねて、物置においてあります」って、断るもんだとえらくおいかり。

 すると、小僧さん、馬を貸してほしいという檀家の人に、「あれは、日向にだしてたら、骨は骨、皮は皮になったんで、束ねて物置においてあります」という。これを聞いた和尚さん、そういうときは、「馬が草を食べすぎて、具合悪くして寝てます」っと、断るもんだといいます。

 つぎの日、檀家の人が、法事のまねごとするから、和尚さんにおいで願いますとやってくると、小僧さん、「あれは草を食べすぎて、腹をこわして寝ております」と、答えます。

 

 和尚さんと小僧さんの話は、最後和尚さんがガックリするオチが普通。欲を言えば、もうすこし、やり取りがほしいところでしょうか。


にげた鬼・・宮城

2023年08月19日 | 昔話(北海道・東北)

        宮城のむかし話/「宮城のむかし話」刊行委員会編/日本標準/1978年

 

 「むかしむかし、あんたみたいな、かしこいむすこと、とうちゃんと」とはじまります。目の前の子が、「かしこい」と話しかけられると、それだけで昔話の世界に入っていけそう。

 昔話は口承されてきたもので、その場に応じて 長くなったり 短くなったりするのは自然です。夜眠る前に、聞いていて そのまま眠ってしまったら、語りつづける意味はなくなります。いまのお話し会というのは、それなりの場所で、テキストどおり話すのが普通で、出典が重視されますが、個人的にはこだわりがありません。

 この話は、すぐに、鬼とむすこの知恵比べがはじまります。一つ目は「タケノコくい競争」、二つ目は、「縄ない競争」。

 さらに鬼に食われてはたいへんと、とうちゃんとむすこは、便所へ行きたいという。鬼は腰に縄をつけて便所へいかせるが、二人は、縄を便所の柱にゆわえつけてにげだします。ここから逃走がはじまりますが、二人はヨモギとショウブが一面にのびた谷地に にげこみます。ショウブのにおいがうんとつよいので、人間のにおいを消してくれたので、危機からのがれます。

 五月の節句あたりに話されたのでしょうか。タケノコの性質、縄ないについても参考になります。

 便所は、むかし閑所(かんじょ)と、よばれていたといいます。


五ひきの名とり・・宮城

2023年08月18日 | 昔話(北海道・東北)

        宮城のむかし話/「宮城のむかし話」刊行委員会編/日本標準/1978年

 

 五ひきのキツネのせいぞろい。

 橋本のおさんギツネは、夜になると台所の流しに走り出てきて、コツコツ洗い物の真似をしながら 食べ物をさがしにきます。洗い物の音が聞こえると、「あっ、また、おさんがが来た」と、いってたもんだと。

 姉さんぶんのお玉ギツネは、たくさんの子持ちキツネ。雨っこが降って、カエルがケロケロと鳴くころになると、あっちにもぽかぽか、こっちにもぱかぱかとあかりがついて、それはそれはきれいなキツネ行列だったと。みんなは、「あっ、またお玉ギツネの娘っこがよめっこさいくどこだ」といって見ていたんだと。

 男ギツネのえび三郎は、お姫様に化けるのがとくいだったんだと。

 新山のにざえもんギツネは、旅の人が、近くまで来ると、大水の幻影をみせて、よろこんでいたと。

 村いちばんの元気者のさかなやさんが、「おれはぜったいにキツネにだまされるもんか」と山王山にでかけ、山の坂のところで、石さつまづいてよろよろとなったと思ったら、片方の目玉がぺろっとでてきたんだと。あれやとおもってかたほうの手でおさえたら、こんどはもうかたほうの目玉がぺろっとでてきたんだと。しかたないから、両方の手で目をおさえていたら、その間にさかなはみんなさらわれて、きがついてみたときには、さかな入れはすっかりからっぽになってだったと。これは、山王山の山三郎ギツネのしわざだったと。


花さかじい・・宮城

2023年08月16日 | 昔話(北海道・東北)

        宮城のむかし話/「宮城のむかし話」刊行委員会編/日本標準/1978年

 

 おなじみの「花さかじい」ですが、ほかの話と違うのが、花を咲かせる場面。

 灰をまくさい、「チチンポンポン黄金さらさら」というと、枯れ木に花が咲きますが、隣のじさまは、この言葉を知らなかったので、花が咲かなかったというもの。これまで読んだものには、掛け声はありませんでした。

 木のひきうすは、「木ずるし」

 灰は、「あくこ」

 カメバチは、「かめばつ」

 ツチバチは、「つづすがり」

 と、地方の言葉ならでは!

 

 最後は、「えんちこもっこさけた」としめます。


ベコになったばっぱ・・福島

2023年04月22日 | 昔話(北海道・東北)

        福島のむかし話/福島県国語教育研究会編/日本標準/1977年

 

 「旅人馬」をおもわせる話。

 一軒の宿屋に泊まった坊さまが、夜中にへんてこな音がするので、ふすまの蔭からのぞくと、ばっぱ(ばあさま)が口で何やら言いながら、炉の中へ ごまの種をまいていたんだと。ばっぱが種をまき終わったか終わらないうちに、にょろ にょろ芽が出て、葉が出て、花が咲いて、ごまの実ができてしまった。坊さまは、なんて不思議なごまだべと思いながら見ていたと。そのうち、ばっぱは、うまそうな ごままんじゅうをつくったと。

 つぎの日の朝、坊さまが起きだして、ばっぱのいる部屋に行ってみると、お膳の上に、ゆうべの ごままんじゅうがならべてあったと。「これは なにかあるな」と、思った坊さんは、「わしは、毎朝散歩してから 食べる」と、宿屋をでて、町で、ごままんじゅうを買ってかえってきた。

 だされた、ごままんじゅうと、買ってきたごままんじゅうをすり替え食べ終わると、ばっぱに ばっぱのつくったごままんじゅうをすすめた。ばっぱが 何も知らないで食べると、ばっぱは、みるみるうちにベコ(牛)になってしまう。やさしそうなばっぱが、こんな風にして旅の者をベコにしては、それを売って金をもうけていたことがわかっただと。

 坊さまが、「いままで、旅の者を苦しめてきたから、そのむくいで こんな姿になったんだ。」と、おしえてやったんだと。ベコになったばっぱは、「ベコになって、はじめてその苦しみを知ることができた。わたしは、なんてむごいことをしてきたんだべ。仏さま許してくんなしょ」と、拝んだと。

 心を入れ替えたのならと、ばっぱは もとの人間のばっぱになることができたと。

 

 昔話では、反省をすることが少ないが、あやまって、もとにもどるという安心感がありました。


サルとカエル・・福島

2023年04月18日 | 昔話(北海道・東北)

        福島のむかし話/福島県国語教育研究会編/日本標準/1977年

 

 むかし、山の上の森にいっぴきのサルが、その下の田んぼにカエルがすんでたんだと。

 ある日のこと、サルがカエルのところへやってきて、「うめえ餅でも食いたいと思ってきたんだが」ともちかけると、カエルは、「うめえ餅食うにはどうやるんだ」と聞く。サルは、「うめえものっていうのは、今すぐ食おうと思ってもできねえもんだ。これから おまえさんと田んぼを作って、秋には食いきれないほどの餅をついて、タヌキどんのように、腹づつみうってもてえもんだなあ」って、もちかけた。

 相談がまとまって、やがて春になって、お百姓が苗代の準備をはじめるが、サルからはいっこうに便りがない。カエルがサルのところにいくと、昨日から腹が痛くて、一人で苗代を作ってくれと、にわかに腹をおさえて、ウーンとうなる。

 正直なカエルは、わき目もふらず、苗代づくりに精を出し、種まきのだんどりになるとサルをたずねるが、サルは腹痛がまだよくなっていねえという。仕方ないのでカエルは、せっせともみをまき、水をかけて、苗を育てた。田植えの時期になると、またサルを訪ねていくと、こんどは木からおちたと寝床にもぐりこむ。

 それからカエルは、暑い盛りの草取りも一人でやって、やがて秋。ずっすり実った稲穂の取入れも終わるが、それでもカエルは顔を出さない。

 もち米もたんととれ、あした餅つきするからとサルのところへいくと、おれ、もちつきするという。

 サルは、餅をつきおわると、向かいの山のてっぺんから、臼ごと落として、先に餅さ追いついたほうが、全部食うことにすべえと、持ち掛ける。

 次の日、臼を山へもちあげ、「一二の三」で転がすと、臼はどんどんころがり、木の根っこにぶつかったはずみで、餅が臼から飛び出てしまう。サルはそれに気がつかないで、臼をおいかける。カエルがぴょこんとゆっくりはねていると、目の前に餅。大喜びして餅を食いはじめた。下の沢まで、転げ落ちていった臼に、ひとかけらの餅がついていないのをみたサルが、あっちこっち探しながら登っていくと、カエルどんが、さもうまそうに餅食っていた。

 「カエルどん、おれにも ちっと食わせてくれんか」とサルが言うと、カエルは見向きもしないで、「サルどん、神さまはちゃあんとみている。おらにおさずけくださったんだ。なまけもんのあんたには、ひとかけらだってやらん」と、いったんだと。

 

 最後のおいしいところだけをとろうとして、しっぺ返しされるのは、当然か。


ふえふき太郎・・岩手

2023年04月04日 | 昔話(北海道・東北)

           岩手のむかし話/岩手県小学校国語教育研究会編/日本標準/1976年

 

 継母からいじめられ、しまいにはころされてしまうかもしれないと、父親から逃げ出すように言われた太郎。風呂敷に晴れ着と、銀の笛を包んだ荷物を持って旅に出て、長者のところで働くようになります。そこでつけられた名前は「かってぇぼ」。

 長者の家では、みんなが嫌がる仕事を、はいはいと働いていた太郎でしたが、長者の家でつかってもらうまえに、父親にいわれたとおり、顔に泥をぬっていました。いつも、一番後に風呂に入って、すっかり顔を洗い、晴れ着を出すと、銀の笛を取り出し、練習をしていました。

 長者の家にはむすめが三人いました。ある日、末のむすめが、笛の練習している太郎に気がつきますが、なにか理由があるだろうと、だれにも何も言わずにいました。

 秋祭りには、村同士の笛上手が集まる笛比べがあります。長者は、今年こそ一等賞をとろうと、若い使用人に仕事を休ませて練習をさせていましたが、笛吹き比べがすすむにつれて、一番になりそうなのは、隣の村の人と決まりそうになります。がっかりする長者に、すえのむすめが、「かってぇぼ出せばいいんだ」といいます。みんなは笑いますが、とにかくだしてみるべと、かってぇぼがでると、その笛の音は、いままで聞いたこともねえような上手なもので、一番に。

 長者は、「いままで粗末にしたことを許してほしい。すえのむすめといっしょになって、家をついでもらいたい」と頼みます。それからふえふき太郎は、長者の家をつぐことに。

 

 継母が出てくると、女性が主となる昔話が多い中で、男が主人公になるという話です。