どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

しつれいですが、魔女さんですか

2013年05月31日 | 絵本(外国)
しつれいですが、魔女さんですか  

    しつれいですが魔女さんですか/エミリー・ホーン・作 パヴィル・パヴラック・絵 江國香織・訳/小峰書店/2003年初版

 

 魔女というと昔話では敵役ですが、この絵本の魔女は、魔女学校にかよっている子どもで、とんがり帽子をかぶり、しましまの靴下をはき、ほうきにまたがって人形のようなかわいらしい姿をしています。

 ひとりぼっちのハーバートという黒猫が、ある日図書館で魔女の百科事典を読み、魔女が黒猫を愛することを知り、魔女を見つければ、さむい思いもさびしい思いもしなくてすむと思い、魔女さがしに出かけます。

 女の子や道路そうじのおじさん、黒い鍋で料理をする女の人など魔女の特徴にあう人に声をかけるが、どなられたりで散々な目に合います。

 やがて、図書館で魔女の子どもたちにあい、先生の好意で、魔女学校に入学するところまでが、この絵本の内容。

 シリーズものでしょうか。

 ハーバートくん(めすかな?)と魔女学校の子どもたちの成長が描かれていけば、ハリーポッターの世界でしょう。

 なんとも言えない黒猫君の今後を期待させてくれます。        


ヤルマギツって・・ウズベキスタンの民話

2013年05月29日 | 昔話(アジア)

   シルクロードの民話3 ウズベク/小澤俊夫編・池田香代子 浅岡泰子・訳/ぎょうせい/1990年初版


 ウズベキスタンは、この本が出版された1年後の1991年旧ソ連から独立している。中には、イスラム圏らしいお話も収録されている。

 あるパーデシャーに4人の妻がいたが子どもがひとりもいなかった。しかし一番若い妻に子どもができると、ほかの3人の妻がこの子どもを殺そうとする話(ツアルリクとムングリク)

 あるカーンに41人の妻がいたが子どもがひとりもいなかったが、一番若い妻に子どもが生まれてできた王子の話(羊飼いのアリ)

 あるパーデシャーに2人の妻がいて、両方の妻に息子がいたが、大切にされなかった妻の息子の話(追放された王子と妖精)など、ほかの国の話に見られない展開も。

 面白いキャラクターとしてヤルマギツと表現されている人物があらわれる。
 ヤルマギツは日本でいえば山姥でしょうか。適切な訳がないのでそのまま使用されているようである。ヤルマギツは女の悪党を意味するとあるが、
  老婆(ヤルマギツ)
  馬をもつ(足の悪い狼)
  頭は天幕の丸屋根のように大きく、その口はとびらのように大きく(金の巻毛の若者)
  顔はしわだらけ、口びるはかさかさに乾き、歯はまるでシャベルのよう(キリチュ・カラ)
 などと表現されている。またヤルマギツとは別にマスタン・カムピールという女の魔法使い、奸計にたけた老女も登場する。脇役ではあるが、光る存在。

 この本の訳は、パーデシャー(中東の支配者の称号の一つ)、ワジール(高位の臣下の称号)などがそのまま使われており、なじむのに時間がかかるかも。
 
 ウズベキスタンの民話は、ヨーロッパや日本の昔話と似たものも多く、東西の接点に位置するこの国が昔話の伝播に大きな役割を果たしていたのではないかと思わせる。
 
 少し長めの話は盛りだくさんすぎて焦点が絞りきれない印象がある。


くるみわり人形

2013年05月25日 | 絵本(昔話・外国)
くるみわり人形  

   くるみわり人形/E.T.A原作 中井貴恵・抄訳 いせひでこ・絵/ブロンズ新社/2008年初版

 残念ながらこれまでバレエを見る機会にめぐまれませんでした(何となく敷居がたかく興味をもてませんでした)。

 したがって定評があるこの作品の内容についても不案内でした。例によってたまたま手に取った本がこの絵本。
 抄訳とあるので原作全体が訳されていないということ。しかしこの本を訳しているのが女優の中井貴恵ということで新しい発見。

 「大人と子どものための読みきかせの会」の代表をつとめ、年間100回以上の公演活動をしているという。多分中井貴恵さんの活動は知る人ぞ知るということなのでしょうが、今回はじめて、絵本を通じて、これまでふれたことがなかった世界をみることができるのも大人の楽しみか。

 現在から過去にさかのぼり、最後にどんでんがえしがあるこの物語は子どもにとってはやや複雑か。

<あらすじ>
 クリスマス・イブの夜、ドイツのシュタールバウム家のマリーはドロッセルマイヤー老人からくるみ割り人形をプレゼントされる。

 ところが、兄のフリッツが何度もかたくておおきなくるみを人形の口に押し込んだので人形が壊れてしまう。マリーがくるみわり人形をハンカチでやさしくくるみ、自分の部屋で一緒に眠ることにする。夜中、マリーが目を覚ますと人形の姿がみえない。いつの間にか、おもちゃのたなの中に人形がねむっていた。ちょうど時計の針が12時をしらせるとマリーの足元にねずみが次々にあらわれる。そして食べ残しのケーキが兵隊に変身し、ねずみと大戦争になる。

 くるみわり人形も、とつぜん腰の剣をもって、ねずみと戦い始める。そこに七つの王冠をかぶった王さまねずみがあらわれ、くるみわり人形におそいかかろうとする。マリーはとっさにスリッパを王さまねずみに投げつけると、王さまねずみの頭に命中するが、マリーは気を失ってしまう。やがておかあさんの声でマリーは目をさます。

 ドロッセルマイヤーおじさんが人形を修理してきたよと声をかけ、くるみわり人形にまつわる話をはじめる。

 むかしあるお城でうつくしいお姫さまが生まれ、その誕生を祝って、王さまがパーテーをひらく。王さまが大好物の脂身の入ったソーセージを食べていると、ネズミのマウゼリングス夫人とその7人の息子があらわれ、ソーセージを食べさせてくれという。おきさきが脂身をすこしわけてあげると、親戚のねずみまでが脂身をねだりはじめたので、王さまは脂身のほとんどはいっていないソーセージを食べるしかなくなる。おこった王さまは、ドロッセルマイヤーという職人にねずみ退治の機械をつくらせ、ねずみたちは、次ぐから次へとわなにかかってマウゼリングス夫人の7人の息子は殺されてしまう。


 マウゼリングス夫人は、その仕返しのために姫の顔をみにくい顔にしてしまう。王さまは姫の顔を元に戻せなければ職人を死刑にするという。職人とその友人の占い師は解決方法をさがすだすが、それに必要なクラカトークのくるみを探すために世界中を歩くがみつけることができない。ところがそれはいとこのドロッセルマイヤー家にあった。そしてそのくるみと、姫の顔をもとにもどすためには、いちどもひげをそったことがなく、ブーツをはいたこともない若者が必要であったが、この条件にあっていたのが、いとこの息子だった。この若者が順序を踏んでくるみをお姫様に食べさせると、姫はもとの姿にもどる。

 しかしこの若者がねずみのマウゼリングス夫人を踏みつけて殺してしまう。マウゼリングス夫人は、自分の息子が7つの王冠をいただき、お前の息の根をとめるだろうと言い残して息絶える。そのとき若者は、みにくいくるみわり人形にかわってしまう。占い師は、この呪いをとくには「自分で7つ頭のねずみを殺さなければならない。みにくい姿であっても、自分を愛してくれる女の子にであわなければならない」と話す。

 ドロッセルマイヤーおじさんの話はここで終わるが、マリーが、ねずみと兵隊の戦争や、くるみわり人形を助けようとスリッパを投げつけたこと、7つ頭の王さまネズミはマウゼリングス夫人の7人の息子だったのかしらとなどと考えながら、人形を抱きしめていると、人形はすてきな若者に姿をかえる。そして若者はお菓子の国の王子となのって、マリーとお菓子の国にたびだつ。マリーは生かしの国で夢のような日々をすごす。

 クリスマスの夜・・・・・・・。


ウズベクの民話・・その出だし

2013年05月22日 | 昔話(ヨーロッパ)

 翻訳ものでは、日本の発端句のような出だしがないと思っていたら、やはり探せばあるもので(株)ぎょうせいから出版されている「シルクロードの民話3 ウズベク」の中の話の出だしが

「今は昔、今はもうない・・・」
「昔はむかし、帰らぬ昔・・・」
「二度と帰らぬ昔むかし・・・」

などとはじまるので、親近感をもって読むことができた。終わりの言葉がなかったのが残念。

そのなかのグリムの昔話と同じような「羊と狼」は

「今は昔、今はもうない・・・腹ぺこたちが腹いっぱいだったって、そんな昔があったとさ・・」

リズム感にとんだ出だし。

ちなみに、この本の訳者は池田香代子さんと浅岡泰子さん。
ウズベクは、1991年、ソビエト社会主義共和国連邦からウズベキスタン共和国として独立しています。

*これ以降、さまざまな発端をみることができています。(2014.12.30)


商人とオウム・・ペルシャのおはなし

2013年05月21日 | 絵本(外国)
商人とオウム ~ペルシャのおはなし~  

   商人とオウム/ミーナ・ジャバアービン・文 ブルース・ホワットリー・絵 青山 南・訳/光村教育図書/2012年初版

 

 この絵本の宣伝文句がよくできています。「商売上手のペルシャ商人VSふるさとに帰りたいオウム、ここ一番の大勝負のかけひきのゆくえは?」とあって、思わず読んでみたくなります。

 ペルシャの商人が、歌もうたえば、言葉もしゃべる、羽はあかるくひかるオウムのおかげで、商売は順調。ある外国人の商人たちは、オウムにびっくりして、品物を全部買ってしまいます。
 売るものがなくなった商人はインドに仕入れにでかけ「自由に飛んでいるオウムをみたら、わたしもみんなともういちど飛びたい、森のかおりをすいたい」と伝えてくれと伝言します。

 商人はインドで、商売の品物をどっさりと買い込み、おくさんやむすめ、料理人にもお土産を買いこみます。
 ペルシャへの帰り道、商人は深い森で、自由に飛び回っているオウムにあい、伝言を伝えると、オウムたちは次から次へと木の枝からおっこちて、地面でぴくりともしなくなります。

 やがてペルシャにもどった商人は、オウムからどうしても教えてくれといわれ、森の中であった不思議なできごとについて話します。それを聞くとオウムは金でできたブランコからすとんとおちて、ぴくりともしなくなってしまう。
 商人がオウムが死んだものと思って、かごからオウムをテーブルにおくと、オウムが羽をはばたかせ天井に舞い上がっていきます。

 オウムは「インドのともだちからのメッセージのおかげです」というと、天井の穴からはるばるインドへ、自由に飛んでいる友だちのところへ飛んでいきます。

 この本のもとになったのは、13世紀にペルシャにいた詩人の詩とあり、もとの詩には、ペルシャからインドへシルクロードを旅する風景もうたわれていたのではないかと思わせる。

 イランはペルシャと呼ばれた昔から古い歴史をもつ国で、世界史を彩っており、もういちど見直してみたい国でもある。


私家版・・すてきな三人ぐみ

2013年05月16日 | 私家版
 中川李枝子さんや松谷みよ子さんのおはなしには、不思議な魅力があり、やさしく楽しい語り口は、そのもとになっている昔話の世界を広げてくれる。
 
    <読んであげたいおはなし/松谷みよ子の民話 上・下/筑摩書房/2002年初版>
    <よみたいききたいむかしばなし 1のまき 2のまき/中川李梨枝子・文 山脇百合子・絵/のら書店/2008年初版>

 こうしたものを読んだからというわけではないが、以前読んだ絵本「すてきな三人ぐみ」が、お話として語れるのなら楽しいだろうなという思いがあり、私家版として文をつくってみました。文をつくってみると作者の苦労がしのばれるところ。

<すてきな三人組>

あるところに三人組の泥棒がおったと。
泥棒のいでたちは、黒いマントに、黒い帽子で、黒い帽子の下には、目玉だけがギラギア光っていた。
一人目はらっぱ銃をもち、二人目はこしょう・ふきつけ、三人目は大きな赤いオノをもっていた。
暗いまっくろな夜になったら、獲物をさがしに、でかけていくんだと。
泣く子も黙る三人組にであうと、女の人はびっくりして気をうしない、男も犬もあわててにげだす。
三人組が狙うのは、馬車。広くてまっすぐな道を走る馬車を馬に乗って追いつき、まずは めつぶしに、こしょうをたっぷりふきつけ、馬車がびっくりして止まると、おつぎは 大きな赤いオノで車輪をまっぷたつし、おしまいにラッパじゅうを かまえて、
「さあもっているものを出せ」
こうして奪った宝物を山のてっぺんの洞穴にもっていった。泥棒の家の大きな箱には 金銀、宝石、指輪に お金に 首飾り、宝物が、ざっくざくとあった
ある日のこといつものように馬車をとめ、中にむかって
「さあもっているものを出せ」
そのとき馬車に乗っていたのは、美しいお妃さまと侍女。
侍女たちは大騒ぎした。
「どうして、どうしてこんなことをするの」
お妃さまは
「私が誰か知っているの、どうしてこんな目にあわせるの」と言ったが、
三人組は、お妃は知らなかったので、いつものようにいただくものをいただいて家に帰った。
もったいないことに、三人組は美しい女性に、興味をしめさなかった。
それからしばらくたった日、あるすみをながしたような夜のこと、三人組は、いつものように馬車をとめて、
「さあもっているものを出せ」
といおうとしたが、馬車にのっていたのは小さい子どもだけ。
三人組はがっかりして
「おまえさんの名前は」
その子はこたえた。
「テファニーよ」
「なんでこんな夜に馬車にのっているんだ」
「これからおばさんのところにいくところよ」
テファニーは、母親と二人だけだったのが、母親がなくなったので、おばさんと暮らすことになっていたのです。
他に獲物は何にもなかったので、三人組は、テファニーちゃんを大事にかかえて隠れ家へかえった。いじわるなおばさんのところにもらわれて、いっしょに暮らすはずだったので、それよりは、このおじさんたちのほうが何だか面白そうとテファニーちゃんはよろこんだ
ふかふかのベッドでテファニーちゃんは、ぐっすり眠ったが、次の日、目をさますなり三人組の宝の山にきがついた。
「まああ こんなにいっぱい、どうするの」
テファニーちゃんに聞かれて、三人組は 顔をみあわせ考えた。
というのは、別に使うかうあてもなかったからだ。
そこで 三人組は、さびしく、かなしく、暗い気持ちで暮らしている捨て子やみなしごをどっさりあつめた。そして、みんなが住めるように すてきな大きなお城を買った。
子どもたちには、赤い帽子に赤マントを着せて、お城につれていった。
お城のうわさは、すぐに国中にひろがり、子どもはお城に次から次へとやってきた。
三人組は住むところだけではなく、牛や鶏を飼い、畠には野菜を植えて子どもたちの食料も自分たちで作って毎日を過ごしていた。
しばらくして、この国の王様が、兵隊100人を引き連れて三人組を捕まえにお城にやってきた。
というのは、王さまのお妃さまが。馬車に乗っていたとき、三人組に首飾りや宝石を盗まれ憎んでいたからだった。
王さまは
「盗んだ首飾りや宝石をだせ」
といったが、泥棒が集めた金銀、宝石は子どもたちのために使ってしまったから何にもなくなっていた。王さまは怒って、三人組を連れて行ってしまった。
「どうしよう、どうしよう」
「これからどうして暮して行ったらいいの」
子どもたちは大騒ぎになってしまった。
そのとき、テファニーちゃん
「泣いてもばかりいてもしょうがないわ。自分たちでなんとかしなくっちゃ」
そこで、みんなは料理係、掃除係、畑仕事係、牛の世話係、鶏の世話係に分かれて仕事をすることにした。
始めのうちは料理ができず、牛乳もよくしぼることができなかったのが、毎回失敗することでだんだん上手くなっていった。子どもたちの食事はそれはそれはにぎやかでしたよ。50メートルもある3つのテーブルにすわりパクパク。
牛からはミルクを、ニワトリからは卵を頂戴し、牛や鶏の糞は畑の肥料にしたから、野菜もよく育った。
こうして、いくつもの季節がすぎて、やがて、こどもたちは すくすく育ち、次々に結婚した。
そして、お城のまわりに家をたて、村をつくった
小さな村はどんどんおおきくなった。
ある日、テファニーちゃんはみんなを集めて相談することにした。
「私たちがこうしてうまくやっていけるのも、あの三人組のおじさんたちのおかげだわ。なにか記憶に残るものを残そう」
そこで、みんなはどうしたらいいか相談し、屋根がとんがり帽子で、三人に似た塔をたてましたよ。

でいだんぼう・・小川町の巨人伝説

2013年05月14日 | 昔話(関東)

 一度紹介したことのある「おがわまちの民話と伝説」のなかに、「でいたんぼう」という話がある。

 話の内容は「でいだんぼうという大きな男が定峰峠にさしかかり、夕飯を食べようとして笠をぬいだところが笠山となり、箕を脱いでおいた場所が箕の山、水を含んで山に吹き付けたところ、霧がかかったのが大霧山、おなかが一杯になって二本のはしをたてたところが二本木峠、粥を煮たところが粥仁田峠、粥を煮た釜を洗って伏せたところが釜伏山」というもの。

 松本清張の短編小説「巨人の磯」の冒頭に、巨人伝説にふれている箇所がある。先住巨人説、英雄巨人説、双子山巨人説、背比べ巨人説などがあることにふれ、さらに柳田国男が「山人に対する里人の畏怖感が自然観に混じりこんで構成されたものだろう。つまり超自然的なものに対する古代の呪術心理」という解釈を紹介している。

 松本清張の小説を読んで、巨人伝説に興味をもって調べてみた。

 巨人は「でいだらぼっち」、「だいらんぼう、「だいだらぼう」、「でいらんぼう」、「だいらぼう」、「デエダラボッチ」、「デイラボッチ」、「デイラボッチャ」、「デーラボッチャ」、「デエラボッチ」、「デーラボッチ」等様々に呼ばれているようである。

 これとは別に、私の生まれ故郷の秋田では「八郎」が秋田の男鹿湾をせきとめ「八郎潟」を作ったという話が有名である。八郎は雲に届くほどの大男で、素手で木を倒すほどの力持ちであったが、あるとき、竜になってしまう。竜になった八郎は谷川を全部せき止めて大きな湖を作るが、これが十和田湖だという。
 この十和田湖にやってきた修行僧が、ここを永住の地とするために、八郎と戦いになる。戦いに敗れた八郎は十和田湖をおわれ、八郎潟と呼ばれる湖を作る。ところが八郎潟は冬になると凍りついてしまうので、冬の間だけでも凍らない湖に住みたいと思い、田沢湖の主である辰子姫に頼み込み、冬の間だけは田沢湖で辰子姫と暮らし、春になると八郎潟へ帰るようになる。
 この話は、斎藤隆介作 滝平 二郎 絵で福音館書店から絵本も出版されている。

 小川町近くの、東秩父でもダイダラボッチ伝説が残っているという。小川町の話とほぼ同じ内容。

 巨人伝説は日本、世界とわず数多く存在しているようであるが、ここでは、埼玉県内の伝説にしぼってみる。

<川越の刺橋(とげばし)>
 昔、小畦川はカーブが多いうえに流れも速かったため、橋をかけようにも橋桁にする杭を打つのも大変で、やっと打ってもすぐに流されてしまった。そんなある日、ダイダラボッチがやってきて、川越市下小坂の辺りを通った際、足に刺がささった。ダイダラボッチは刺を抜き、小畦川の真ん中にさしていった。その刺は、流されることのない橋の杭となり、無事、橋が完成し、棘橋と名付けた。

<長瀞・皆野町>
 昔、巨人が宝登山と武甲山をモッコに入れて担いできたが、紐が切れモッコが地上に落ちてしまった。武甲山は固い岩だったので残り、もう一方は宝登山と蓑山(美の山)になった。そして、天秤棒は、長尾根の山になったと言う。

<飯能地方>
 昔、ダイジャラボッチと言う巨人が、多峯主山と日和田山をモッコに入れて天秤棒の両端につるし担いで、高麗までやってきた。ここで一休みしようと担いできた山を降ろした。その時、日和田山はそっと置いたので高いが、多峯主山はどんと降ろしたので、低くなったと言う。また、日和田山に腰掛け、高麗川で足を洗った所を新井と言う。


「イクトミと大岩」「イクトミとおどるカモ」・・アメリカ・インディアンの民話

2013年05月11日 | 絵本(昔話・外国)

 スー族の話を絵本にしたもの。スー族というと、西部劇で第7騎兵隊を全滅させたインディアンとして映画などにたびたび出ていた(といっても最近ではあまり西部劇そのものを見る機会も少なくなっているが)。この戦いが明治9年のこと。

イクトミと大岩(アメリカ・インディアンの民話1 ポール・ゴブル・作 倉橋由美子訳/宝島社/1993年初版)

 イクトミはおしゃれをして隣村の友だちや親類をたずねます。日が高くなり、暑くなったので大きな岩の陰で休み、もってきたブランケットがじゃまになり、岩の日除けのためにかけてあげます。
 しかし、雷雲がむくむくと集まってきたので、「上等のブランケットを岩に着せておくという手はない」と取り返し、降ってきた雨宿りのためにブランケットをかぶります。
 しかし、大地を揺るがすような音とともに、大きな岩がはずみながら、すさまじい勢いでイクトミのほうにむかってきます。岩は登れないだろうと丘にのぼっても、川に逃げても、岩はイクトミを追いかけてきて、脚にのしかかってしまいます。様子を見にきたバッファローに助けをもとめ、牛は岩を動かそうとしますが、岩はまったく動きません。ヘラジカ、レイヨウ、熊、プレーリー・ドッグ、小さなネズミまで一緒になって岩をどかそうとしますが、イクトミの脚にのしかかっている岩をどかすことはできません。
 夜になってコウモリがやってくると、「この岩は、コウモリのことを、昼日中には顔をだせないほど醜いんだって。逆さにぶら下がっているのは、上と下の区別がつかないからだって。ほかにもいろいろ言っていたよ」と でっち上げた話をします。
 次々に集まったコウモリにさらに怒るような話をすると、怒ったコウモリが岩に体当たりし、岩をこなごなにしてしまうと助かったイクトミは、また歩きはじめます。


イクトミとおどるカモ(アメリカ・インディアンの民話3 ポール・ゴブル・作 倉橋由美子訳/宝島社/1993年初版)


 イクトミはパレードで乗る自分の馬をさがしにいきます。しかし馬はなかなかみつかりません。
 途中池で楽しそうに泳ぐカモをみつけ、つかまえようとします。ふとい枝をみつけ、ブランケットには草を包みこの荷物を持って池にちかずく。黙って歩くイクトミにカモたちには「イク、止まれよ。なんとかいってくれよ」「何をしょっているだ」と話しかけます。
 イクトミは「最新作の歌を仕上げたところでな。パウワウ・パーテイで歌おうってわけさ。みんなこの歌に合わせておどりたくなるぜ」。そのまま行こうとするイクトミにカモたちは何か歌ってくれと頼みます。
 やがてカモたちが、池から上がってくると目をつぶってないといけないぞ。目を開けたらその目が真っ赤になってしまうぞと脅かします。
 カモたちが輪になって目を閉じて踊り始めるとイクトミはカモの頭を殴りはじめ、何羽か死んだところで、一羽のカモが片目をあけてイクトミのしていることを見てしまいます。
 「おい、飛ぶんだ!みんな殺されてしまうぞ」。恐怖にかられてカモは空に飛び立ちます。
 イクトミは火をおこし、カモを丸焼きにするため棒をたて、一羽は蒸し焼きのために灰の中に埋めます。 できあがるのをまっていると風がふき、木々がゆれて二本の木がからみあいます。
 イクトミは木に登って、二本を引き離そうとするが、そのときに風がやんで、二本の木に挟まれて動けなくなってしまいます。
 木をたたいたり、蹴ったりしても木はイクトミを離してくれません。これをみていたコヨーテが、イクトミがおこした火に駆けてきてカモの丸焼きをたいらげてしまいます。
 コヨーテは蒸し焼きのカモに真っ赤に焼けたおきをつけて逃げていきます。また風が吹いてきて、やっと二本の木から離されたイクトミは、蒸し焼きのカモを食べますが、真っ赤なおきにめちゃくちゃにとびはね、わめきちらし湖に飛び込ます。
 「盗人のコヨーテに追いついて借りをかえすぞ。しっかり仕返してやるぞ」と思いながらイクトミはまた歩き続けます。

 色が鮮やかで見ているだけで楽しめる絵本。しかし話のほうは不思議な内容。子どもたちはどんな反応を示しているのか知りたいところです。

 ところでこのキャラタクター、トリックスターであるという。「ウィキペディア」によると

 <トリックスター>

 神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を引っかき回すいたずら好きとして描かれる人物のこと。善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、全く異なる二面性を併せ持つのが特徴。
 時には悪意を持って行動するが、結局は良い結果になることが多い。引っかき回す行動としては、盗みやいたずらというパターンが多い。抜け目ないキャラクターとして描かれることもあれば、愚か者として描かれる場合もあり、時には両方の性格を併せ持つ者もある。文化的に重要な役割を果たしているとき(例えば、火を盗むなど)や神聖な役割をしているときでさえ、おどけてみせたりもする。文化的英雄であると同時に悪しき破壊者であり、あるいは賢者であり悪者など、法や秩序からみれば一貫性を欠いた矛盾する役割が属性である。


「アナンシと五」「くものアナンシ」・・ジャマイカの昔話、アナンシと6ぴきのむすこ・・絵本

2013年05月10日 | 昔話(外国)

 右も左もわからなかったとき「アナンシと五」を聞いて、こんな楽しい話があるんだとはじめて思いました。それもドイツやフランスなどではなくジャマイカの話。お話を語る人が一度は取り組む話でしょうか。何回か聞いたことがありますが、話す人の個性も楽しめます。

 「くものアナンシ」は、最近読んだ本のなかに入っていたもの。

アナンシと五
 ジャマイカ島のアナンシという男の近くに、五という名前の魔女が住んでいましたが、魔女は五という自分の名前が大きらいで、五と呼ばれるのをとても嫌がっていました。

 あるとき、アナンシが魔女の家をのぞくと、魔女は大ナベで魔法の草を煮ていてナベから煙が立ちはじめると、魔法のつえを振り上げて「五」と言う言葉を言った者は、その場で死んでしまえ」という恐ろしい呪文をとなえます。
 これを聞いたアナンシは、「『五と言う言葉を言った者は、その場で死んでしまえ』」か。これは良い事を聞いた。こいつをうまく使えば、ごちそうにありつけるぞと思う。

 次の日、アナンシは市場へつながる道にサツマイモの山をならべて誰かが通るのを待つます。そこに通りかかったアヒルの奥さんに、「サツマイモを作ったんだが、頭が悪いものだからいく山とれたか数えられない。代わりに数えてくれませんか?」ともちかける。アヒルは気軽に引き受けサツマイモの山を数え始めます。
 「一、二、三、四、五」アヒルの奥さんは五と言ったとたん、魔女ののろいにかかって死んでしまいます。アナンシはアヒルの奥さんを、ペロリと食べてしまいます。
 次にウサギが通りかかると、アヒルと同じように、サツマイモを数えさせ、丸ごとペロリと食べてしまいます。
 しばらくすると今度はハトの奥さんが、やってきて同じようにサツマイモの山を数えさせるが、ハトの奥さんは「一、二、三、四、それから、わたしの乗っている分」と五とは言わない。それを聞いて、アナンシはハトの奥さんにもう一度数えさせるが、またハトの奥さんは同じように数えます。さらに数えさせるがまた同じ答え。おこったアナンシが「何てバカなハトだ! いいか、こうやって数えるんだ。一、二、三、四、五」。そして『五』と言ったとたん、アナンシはバッタリ倒れて死んでしまいます。


くものアナンシ(ブリッグズの世界名作童話集Ⅱ 長ぐつをはいたねこ/小林忠夫訳 レイモンド・ブリックズ絵/篠崎書林/1989年初版)

 森の中で動物たちが、一番強いのはトラで、一番弱いのはくものアナンシという。くものアナンシがとトラのところにいき「ぼくたちはあなたが一番強いことを知っています。だからあなたの名前をいろんなものにつけているんです。トラひげとかトラねことか。そしてみんなはぼくが一番弱いと知っています。トラさん、どうか一番弱いものにちなんだ名前をつけてください」と頼み込みます。

 トラは「わしの言うこときいたらいろんな話におまえにちなんだ名前をつけてやろう」といい、ヘビを生きたまま自分のところに連れてこいと条件をだします。

 「トラさん、あなたの言うことをききます」アナンシが言うと動物たちやトラは大きな声で笑う。

 アナンシは、月曜日あれこれ考えすてきな計画を思いつき、木のつるでわなをつくります。

 火曜日つるの輪のなかに、へびの好物のイチゴをおいてへびを捕まえようとしますが、へびの体が重すぎてつるのわなは失敗します。

 水曜日、アナンシは地面に深い穴をほり、穴のわきを油ですべりやすくしておいて、バナナをおいておきます。ところがへびはしっぽを木の幹にまきつけて、バナナを食べてしまい、またも失敗します。

 木曜日には別のわなをつくり、そのなかに卵をいれておきますが、今度もへびを捕まえることができません。
 金曜日は一日中考え込む。

 最後の土曜日、へびは「おまえはこの1週間ずーとおれを捕まえようとしていたな。俺はどうしてもお前を殺すからな」。アナンシは「そうです。あなたをつかまえようとしましたが、つかまえられませんでした。あなたはかしこいですね。とてもかないません。ところでぼくにはあなたが世界で一番長い動物で竹よりも長いというのが、どうしてもわからない」と言います。

 へびはアナンシのゆびさす竹より長いと自慢し、からだをいっぱいに伸ばして見せる。アナンシは、どうも竹のほうが長いように見えるというと、へびは竹を切り倒して近くにもってこいという。アナシンがいうことには「あなたがうごきまわるので、竹よりも長そうにみえるが、本当は竹のほうがながそうだ」。

 へびは怒って、「おれのしっぽをしばれ。おまえがなんと言おうとも俺のほうが竹よりも長いんだから」。アナンシはしっぽを竹のはしのしばりつけ、へびがずりさがらないように体の真ん中もしばる。そして最後には、頭も竹に結び付けてしまう。こうしてアナンシは一人でへびをつかまえてしまい。動物たちはもうアナンシのことを笑うことはありませんでした。


 はじめジャマイカの昔話と聞いてピンときませんでした。最近は陸上短距離100m、200m世界記録をもっているウサイン・ボルトの活躍もあっておなじみになってきました。
 ジャマイカは「中央アメリカ、カリブ海の大アンティル諸島に位置する立憲君主制国家であり、英連邦王国の一国である。島国であり、ケイマン海峡を隔てて北にキューバとケイマン諸島が、ジャマイカ海峡を隔てて東にイスパニョーラ島に位置するハイチとドミニカ共和国が存在します。
 国名は、先住民だったアラワク人の言葉(ザイマカ)に因み、木と水の地あるいは泉の地を意味する」とあります。

 もう一つ、アナンシという共通項があったので、気になって検索してみました。

**アナンシは、西アフリカの伝承で最も重要な登場人物のひとり。ニャメ(父で天空神)の名代として活躍する文化英雄である。アナンシは、雨をもたらして火災を消し止めるといった役割を果たす。アナンシの姿は蜘蛛として、または人間として、さらにはその両方の形をとりうるものとしても描かれる。
 一部の物語では、アナンシは、太陽、星、月の創造に関わり、人類に農耕の技術を教えたとされる。またある物語によれば、アナンシが世界中の知恵を瓢箪に封じ込めようとしたという。アナンシは結局、知恵をすべて独占しようとすることの虚しさを悟り、知恵を解き放つ。アナンシが登場する民話を持つ文化の多くが、アナンシが自身の物語にとどまらず「すべての物語の王」となったとする物語を持つ。この物語のうち、原型となるアシャンティのあるバージョンでは、アナンシは天空神ニャメに「すべての物語の王」の名を乞うた。そこでニャメは「短剣の歯のジャガー」、「火の針の雀蜂」、「人がまだ見ぬ妖精」を捕らえることができたら「物語の王」にしてやろうと言った。ニャメは無理だと考えたのだが、アナンシは承知した。それからアナンシは、彼を食おうとするジャガーをだましてあるゲームに引き込み、ジャガーを縛り上げてしまう。雀蜂には、雨が降っていると偽って瓢箪に入るようにとだます。妖精は、タールの赤ん坊を使ってだます。彼はこれらの獲物をニャメに差しだし、「すべての物語の王」となった。**とあります。

 絵本にもアナンシがありました。

アナンシと6ぴきのむすこ  

    アナンシと6ぴきのむすこ/作・絵:ジェラルド・マクダーモット 訳:代田 昇/ほるぷ出版/1980年初版

 幾何学的な直線が特徴的で、色がカラフルです。
 カラフルな色づかいはほかの絵本にも見られますが、見た目以上に鮮やかな感じがします。

 アナンシには、6人の息子がいますが、一匹一匹の胴体の模様がそれぞれちがったくもの親子。

 アナンシがお魚に呑み込まれ、息子たちが助けにいきます。
 息子たちは一匹一匹特徴があるのが昔話らしいところ。

 ”じけんみつけ”の息子が、父親の危機を発見し、”どうろづくり”が道路をつくり、”川のみほし”が川の水をのみほし”てじなし”が魚のなかからアナンシを救い出しますが、はやぶさが、アナンシをつれさります。
 そこで”石なげじょうず”の息子が”はやぶさに石を命中させ、そらから落ちてきたアナンシを”ざぶとん”息子がうけとめます。

 息子たちに助けられたアナンシは、ひかるおおきなたまをみつけ、これをむすこたちにやろうと考えますが、誰にやったらいいか頭を悩ましますが?

 ここにでてくる魚や、はやぶさ、ニヤメという神さまの絵も楽しい。


ツバメのたび

2013年05月06日 | 絵本(自然)
ツバメのたび  

    ツバメのたび/鈴木まもる/偕成社/2009年初版

 

 昔話に鳥の出番が少ないと感じていて、「世界の鳥の民話」に出会ったが、こうなると奇妙なもので、鳥に関するものが目につくようになった。鳥をテーマにしたお話し会なども開催されているが、今回はツバメに関する絵本。

 町中に巣をつくるツバメ。

 地域のどこにツバメの巣があるのか調べたことがあるが、毎年同じところに巣をつくる習性があるようで一度発見すると毎年楽しめる。

 ところがこのツバメ、どこから渡ってきているのか?
 日本から5000キロ離れた東南アジアから渡ってくるという。

 集団ではなく単独で孤独な旅を続けてくるツバメは何日をかけて日本にやってくるのか。
 
 このツバメも大分減少しているという調査もあるようで心配なところ。
 
 自然への関心を呼び起こしてくれる絵本。      


ナイチンゲール

2013年05月04日 | 昔話(外国)

 「世界の鳥の民話」(日本民話の会 外国民話研究会編訳/三弥井書店/2004年初版)の中に、「ナイチンゲールの歌」というロシアの昔話が載っています。

 アンデルセンにも「ナイチンゲール」というのがあります。話を読むと鳥とわかりますが、ナイチンゲールといえば人名のほうを思い浮かべてしまい、なんとなくイメージがわきませんでした。
 日本にいる鳥では聞いたことがない名前。

 ナイチンゲールは、森林や藪の中に生息し、別名サヨナキドリ (小夜啼鳥)といい夕暮れ後や夜明け前によく透る声で鳴き、西洋のウグイスとも言われるほど鳴き声の美しい鳥という。別名ヨナキウグイス(夜鳴鶯)や、墓場鳥と呼ばれることもあるというのも想像をふくらませてくれます。

 こうしたことを頭に置いてアンデルセン童話「ナイチンゲール」を読んでみると納得がいくところ。

 イギリスの「三つの金の首」(子どもに贈る昔ばなし8 つぶむかし/小澤俊夫監修/小澤昔ばなし研究所/2008年初版)にも、ナイチンゲールが登場します。

 王女が井戸のそばに座っていると、金の首が三つでてきて、”あらって、髪をとかしておくれ”というので、王女がそのとおりにしてあげると、金の首がナイチンゲールより、ずっときれいな声の持ち主にしてあげるというもの。
 ナイチンゲールと対照的な「くいな」は水辺にすむ渡り鳥であるが、この話のなかでは、金の首をビンで ばしんとたたいた娘が「くいな」のようなきいきい声になります。

 その後もナイチンゲールが登場する昔話が、いくつかありました。

 サヨナキドリはヨーロッパ中央部、南部、地中海沿岸と中近東からアフガニスタンまで分布します。ヨーロッパで繁殖した個体は冬季アフリカ南部に渡り越冬するという。
 また体長は約16cm。体の上面の羽毛は褐色で、尾はやや赤みをおび、体の下面は黄色がかった白色といいます。