どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

床屋とバラモン・・インド

2024年10月10日 | 昔話(アジア)

      語りつぐ人びと*インドの民話/長弘毅/福音館文庫/2003年

 

 貧しい床屋とバラモンが、どこかの町で仕事を見つけ金を稼ごうと旅に出ました。どんどん歩いているうちに、深い森にさしかかったところで日が暮れてしまった。「深い森の中を夜、歩くのは無茶だ。けものにおそわれるか、それとも追剥にやられるかのどっちかだ」と、床屋はバラモンをひとりおいて家に帰ってしまいました。

 バラモンは一軒の家を見つけ、今夜はとまって、また仕事をさがそうと、その家に行ってみましたがだれもいません。バラモンが、暗闇の部屋にいると、ライオン、オオカミ、コブラがつぎつぎに入ってきて話をはじめました。バラモンはけもののことばがわかる力を持っていたので、片隅でちいさくなってきいていました。

 ライオンは、「くる日もくる日も小塚の上で張り番ばかり。くたびれちゃったよ。小塚の下には、金と銀の延べ棒が埋めてあるんだが、それをだれかがもっていかない限り、おれはその番をしなきゃならない。その宝は、この国の王さまの先祖がうめたものなんだが、王さまはそれを知らない。もしだれかがそれをもっていってくれれば、おれもらくになるんだが・・・」
 オオカミは、「この国の王子がこの一年ずっとねたきりなんだ。八方手を尽くしても、王子の病気はよくならない。ヤギの肝を食わせればすぐ元気になるんだが。このぶんだと王子は死ぬよりほかない。それを思うと心配で心配で、ほれ、このとおりやせるいっぽうさ。」

 コブラは、「じつは、おれも王さまの先祖が残した宝の番をしているんだ。ところが、王さまはそれを知らない。もし王さまがこのことを知って宝を手に入れたら、おれの役目も終わるんだが・・・」

 この話を聞いたバラモンが、医者に身をやつして王さまの宮殿に出かけましたが・・・。

 

 どこの国にも、けだものの内緒話はあるようです。もちろんバラモンは宝物を手に入れ、バラモンを一人ぼっちにした床屋は、おなじ家に出かけ、命を失ってしまいます。
 床屋がでてくるのは、いかにもインドらしい話。


黄金の値打ち・・インド

2024年10月08日 | 昔話(アジア)

      語りつぐ人びと*インドの民話/長弘毅/福音館文庫/2003年

 ご馳走をただでいただく話。

 小さな村にやってきた商人が、地主の旦那のところによばれたと、村びとに自慢話をはじめました。それを聞いた百姓のひとりがいいました。「それがどうだっていうだ。おらがその気になりゃあ、地主のところでたらふくご馳走ぐらい食うのは朝飯前だ」。
 商人が、むっとして、百姓が地主のところでご馳走になるはずはないと、「たぶん、この世じゃむりだな」というと、百姓は勢い込んでいいました。「それじゃあんた、なにをかけるかね?」。

 もし百姓が地主のところでご馳走を食べたら、商人は牝牛を二頭、百姓に買ってやる、そしてもし食べられなかったら、商人の畑をむこう三年間のあいだタダで耕す約束をしました。

 百姓は地主のところに出かけると、「旦那様!おらあないしょで話がしてえだが」「たまごぐれの大きさの黄金の値打ちはいくらだね?」と尋ねました。

 黄金と聞いて、地主の目がかがやきました。「まあ、すわんな。飯を食ってから、その話、ゆっくり聞こうじゃないか」。

 地主は自分と一緒に百姓の分も用意させました。そして食事が終わると百姓に尋ねました。「じゃ、見せてもらおうか。どこにあるんだい。おまえの黄金は? なあに、わしはおまえをだましたしやせん。安心しな」。
 百姓は小さな声でいいました。「おらあ黄金なんてもっちゃいねえだ。おらあ、ただ黄金てえのはいくらぐらいするもんか、聞いてみただけなんで」。
 地主が、「たわけ! とっとうせろ! このまぬけめ!」とどなつけると、百姓はいいました。「ご馳走をしてくれたのは旦那、牝牛を二頭くれるのは商人。旦那が息災なあいだは、おらあ まぬけといわれるすじあいはねえだ」。


遺産、アッパージーの裁き・・インド

2024年10月07日 | 昔話(アジア)

 インドの遺産相続のふたつの話。

・遺産(人になりそこねたロバ/インドの民話/タゴール瑛子:編訳/筑摩少年図書館/1982年)

 インドらしい数のマジックの昔話。単なる勘違いではありません。思わず?。

 三人の息子と十七頭のラクダに囲まれていた老人が、自分が亡くなったらラクダの半分は、長男が、次男は三分の一、三男は九分の一に分けるよう遺言を残して亡くなりました。

 三人兄弟はとても仲良く、近所の評判も上々。ところが遺産分割となると、洋の東西をとわず紛争の種です。

 十七頭のラクダの半分となると、どうしてもうまく分けられません。

 長男は九頭をよこすようにいいますが、弟たちは不公平と文句を言います。それではと長男が八頭をとり、残りはお金に換えて分けようとしますが、こんどは長男がだまっていません。

 一頭のラクダを殺して、父親の供養に親戚にふるまったらどうかという提案も納得されません。言い争いが続いているところにイスラム教の聖者がラクダに乗って通りかかりました。

 聖者は、自分のラクダを差し上げるから、はじめから分けなおすようにいいました。

 兄弟は、いったんは辞退しますが、どうしてもというので、もらったラクダの一頭を加え、全部で十八頭のラクダを遺言どうり分けることにしました。

 長男は十八頭の半分で九頭。

 次男は十八頭の三分の一で六頭。

 三男は十八頭の九分の一で二頭。

  (全部で十七頭!)

 不思議なことに聖者のラクダだけが残ってしまいます。聖者はラクダにまたがって去っていきました。

 

・アッパージーの裁き(語りつぐ人びと*インドの民話/長弘毅/福音館文庫/2003年)

 もうすこしシンプルな遺産相続の話。

 四人の兄弟が、17頭のゾウをわけることになって、それぞれ理由をならべて、ゾウをもらおうと話し合いがつづけられますが、どうしても決まりません。そこでアッパージーに決めてもらうことにします。

 アッパージーは、17頭のゾウを一列にならべると、一番大きいゾウの背中にまたがり、のこりのゾウを、みんなでわけるようにいいます。四人はそれぞれ4頭づつのゾウを手に入れ、ここまでは文句がありません。

 アッパージーは、「余計なゾウで、けんかになったら、このゾウは、不吉だ。このゾウをこのままにしておくと、おまえたちの身に何が起こるか、わかったもんじゃない。これを四人の名前で寺に寄進することにしよう。おまえたちの名もあがり、喧嘩もなくなる。そのうえ、功徳が得られるとなれば、これにこしたことはなかろう」と、ゾウに乗って立ち去ります。

 昔話では、遺産相続の仕方も明快です。


王さまの難題・・インド

2024年10月04日 | 昔話(アジア)

      語りつぐ人びと*インドの民話/長弘毅/福音館文庫/2003年

 

 王さまが、たいそうな金持ちの商人の財産をとりあげようと、手に入れてきたいものをいいだしました。

 「ひとつはどんどんへっていくもの、二つめは、どんどんふえていくもの、三つめはへりもせずふえもしないもの、最後はへってもまたふえるもの」。

 証文を書き、王さまの頼みごとをもとめるように手配し、八方手をつくしさがしますが、どうしても見あたりません。このままでは、財産は残らず王さまのものになると、すっかり気を落としてしまいました。商人が元気のないことを見た女房がわけを尋ねますが、商人はなにもいいません。女房がしつっこく尋ねると、とうとう商人はわけを話して聞かせました。話を聞くなり女房は、「そんなものだったら、あたしがお嫁にきたとき里からもってきたわよ。いまもちゃんとしまってあるわ」といい、「城にいって、おもとめになった四つのものは、女房が持っています。」というように商人にいいました。

 王さまは、女房をよぼうとしますが、女房は、信用のおける召使をよこし、召使からお妃、お妃から王さまに四つのものをわたそうとします。使いの者からそれを聞いた王さまは、それに耳を貸さず、また使いをだしました。同じことを四度目繰り返すと、商人の女房は、お盆に、牛乳のはいった器を一つ、ヒヨコ豆を一粒、ヤハズエンドウ豆を一粒、草を一本のせて宮廷に出かけました。

 こたえは、器に入ったものかと思うと・・。商人の女房のいうことには!

 へりつづけるものは、寿命

 ふえつづけるものは、人間の欲望

 へりもせずふえもしないものは、人の運命

 へってもまたふえるものは自然

 それでは、器に入ったものの意味は?

 「あなたにおつかえするものたちは、ロバか馬のいずれかでございます。大店の女房を人前によびだすことになっても、それをとめようとしないのは、畜生でございます。だからロバや馬が大好きなものを、こうして持ってまいったのです。それから王さま、あなたがご自分を子どもであると思いなら、その牛乳をお飲みくださいませ。もしわたしたちの王さまであるとおっしゃるなら、なにももうしあげることはございません」


大きな宝石を失った王さま・・チベット

2024年06月25日 | 昔話(アジア)

      チベットの昔話/アルバート・L・シェルトン 西村正身・訳/青土社/2021年

 

 <月すら見えないときに泥棒はヤクの子を盗む・・チベットのことわざ>

 むかし、大きなダイヤモンドをもっている王さまが、太陽の光にきらめいているのをみて楽しんでいた。不誠実な召使が、王さまから、疑いの目を向けられることのないように宝石を盗んでやろうと策をねった。

 王さまがいつものように宝石を外に持ち出し、離れたところにおいてみると、それはきらきら輝いていたが、そのきらめきがだんだんと弱くなっていき、ついには王さまの目の前で消えてしまった。王さまと召使がさがしまわったが、みつけることができなかった。こうして王さまは、かけがえのない宝石を失ってしまったのだ。

 召使たちが、王さまの目を欺くために氷を使っていたからである。王さまの目の前で消えたので、誰一人責任を問われることがなかった。

 

  <ところで、氷の調達は?>


三キロの銀塊はだれのものか・・チベット

2024年06月22日 | 昔話(アジア)

      チベットの昔話/アルバート・L・シェルトン 西村正身・訳/青土社/2021年

 

 目の見えない年老いた木こりの世話をよくしていた孝行息子が、薪を背負って険しい山道をくだっているとき、小さな皮の袋を見つけた。中には三百グラムの銀塊が十個はいっていた。それは莫大な財産で、彼と父親が残りの生涯を安楽に暮らせるほどのものであった。

 父親に、「誰にも言わないでおこう」というと、父親は、正直でなければならないと、村長に銀塊のことを話すようにいいます。

 ある日のこと、ひとりの男が銀塊の入った袋をなくしたと、役人にいいました。すぐに見つけてやれるとおもった役人は、礼の若者に袋を持ってくるようにいいました。あまりに簡単に銀塊の入った袋が見つかりそうだと思った男は、袋には二十個入っていたのであって、若者が十個盗んだと役人に申し立てた。村長は、召使いに、父親の話を聞き、なんていったかを聞かせてくれといいました。

 さて、召使は、父親の言うことは若者とおなじでしたと報告しました。銀塊に難癖つけた男は、十個だけでなくもう十個余計に手にはいるとわくわくしていましたが、役人がいったのはこうでした。

 「この袋はあなたのものではありません。あなたのは二十個入っていたものであり、これには十個しか入っていませんから、ご自分のものは、どこかほかのところで探してください。これは年老いた父親を支える手助けとして若者に与えることにします。」

 

 正直者には、福きたるの典型でしょうか。


頭のいい大工・・チベット

2024年06月19日 | 昔話(アジア)

      チベットの昔話/アルバート・L・シェルトン 西村正身・訳/青土社/2021年

 

 とにかく素晴らしい作品を描く画家、もうひとりは最高の仕事をする大工がいましたが、ふたりはいがみあっていた。

 画家が大工をおとしいれようと、天国から持ち帰ったという手紙を王さまに差し出しました。その手紙は、亡くなった王さまの父からの手紙で、「寺院を立てたいが、こちらには優れた大工がいないので、そなたの町に住む最高の大工を送り届けてほしい。」とありました。大工は、厄介払いをするため画家の思いついたたくらみに違いないと、どうして天国に行くかを画家にたずねました。画家は必要な道具類を地面に積み上げた薪の上に置き、そのうえにすわったら、そのまわりにさらに薪を積み上げて火をつけ、煙にのれば天国にいけるといいました。

 大工は、自分を殺すためのたくらみに違いないと、準備のための七日間のあいだに、家から焼かれる予定の畑までトンネルを掘りました。そして火が燃え上がる瞬間にトンネルにとびこみました。

 大工は三か月間家のなかにこもり、神々が着るような服をつくらせました。そいて、三か月が過ぎると、ユリのような白い肌をして家をあとにし、王さまのところへ出かけました。そして、「寺院が完成したので、こんどは最良の画家を天国に送り届けて、寺院に絵を描いてほしい」という手紙をさしだしました。画家を送り届けるには大工を送り届けたときとおなじやりかたをするようにとありました。大工は王さまに、父上がどんなに豊かな暮らしをしているか、天国でどんなすばらしい体験をしているかを語って聞かせました。

 王さまは画家をよんで、天国へいって絵を描くようにいいました。画家は大工が真っ白な肌をし、見慣れぬ服を身にまとい、首にサンゴのネックレスをかけているのを目にし、一方自分は相も変わらず着古した服を着ているのをみて、大工はほんとうに天国へ行っていたのだと信じるようになりました。

 火が画家に燃え移り、画家が焼け死にそうだと大声で叫びましたが、太鼓やラッパ、シンバルの大きな音で、声がかき消され、画家は本当に天国へ行ってしまいました。

 

 画家は素晴らしい絵を(・・天国か? 地獄か?・・)描き続けているでしょう。


トラになった王さま・・モンゴル

2024年06月13日 | 昔話(アジア)

      子どもに聞かせる世界の民話/矢崎源九郎編/実業之日本社/1964年

 

 貧しい羊飼いの夫婦にうまれたグナンは、生まれるとすぐ歩き出し、一時間ごとに大きくなって一日もたたないうちに、普通の大人よりももっとおおきなってしまいました。さきゆきを心配した羊飼いの夫婦は王さまのところなら、つかってくださるかもしれないと、ダナンを旅に出してやりました。

 おなかのすいたダナンはとちゅう、とびかかってきたオオカミをひっとらえると肉を焼いて、食べてしまいました。王さまの御殿につくと、王さまはダナンを試してやろうと牛を一頭丸焼きにして出しますが、ダナンはその肉をぺろりとたいらげたので、おそばつきの家来にしました。

 ある日、王さまのおともをして狩りにいったとき、ふいに、しげみの中から、目を光らせたトラがおどりでてきました。びっくり仰天した王さまと、家来たちも慌てふためいて逃げ出しましたが、ダナンはとびかかってきたトラの片足をつかんで、ぶるんぶるんとふりまわし、そばの大きな木めがけて、たたきつけました。ダナンがしんだトラをかついでかえると、王さまはトラの皮でりっぱな敷物を作りました。なんともいえないいい気持になった王さまは、トラの王の皮で、きものをつくってみようと、ダナンにトラの王をつかまえることを命じました。

 三日の間という期限でしたが、ダナンは、トラの王がどこにいるかけんとうもつきません。ところが、ふいにひとりのおじいさんが、「トラの王は、遠い北の山の、洞穴にいる。この、あしげのウマにのっていきなさい」というと、おじいさんのすがたは消えて、あしげのウマだけが残っていました。目にもとまらないはやさで走っていると、「助けてえ。」という、子どもの声がしました。オオカミが女の子にとびかかろうとしたのをみたダナンは、矢で女の子を助けました。その家のおかあさんは、子どもが助かったのをみると、たいそう喜んで、ヒツジの骨をさしだし、もっていくよういいました。

 北へウマを走らせていると、大きな川。大ガメがあらわれ、目玉を新しいのと、とりかえたいので手伝ってくれるよう頼まれました。ダナンが指の先で、カメのめだまをほじくりだしてやると、カメは、一ぴきのリュウになり、目玉をもって川へいくよういうと、天へ、とびさっていきました。その目玉は、きらきらかがやくスイショウの玉に、かわっていました。

 ダナンが、いわれたとおりに、玉をもって川の中に飛び込むと、川の水は二つに分かれ、真ん中に道があらわれたのです。川をわたると、トラの王に、娘をさらわれたというおじいさんにあいました、きっと助け出すと約束したダナンは、山の上の洞穴にちかづき、番をしていたトラどもに、もっていたヒツジの骨を投げ出すと、トラは一斉に、骨にあつまりました。洞穴のおくにすわっていた娘と山をかけおりるとトラの王がおそってきましたが、ダナンが大きな岩を投げたので、トラの王は死んでしまいます。

 助けた娘はダナンのよめさんになり、いっしょに、王さまのもとへかえりました。王さまはトラ王の皮で、きものをつくるようダナンのおよめさんに命じます。やがて王さまが、皮のきものをきると、そのとたんに王さまの口は、みるみるにさけ、おまけにきばをむきだしました。ほんもののトラになってしまったのでした。ひとびとは、びっくりしてにげだしました。トラが暴れまわるので、ダナンは、トラをたいじしてしまいました。

 ダナンはうつくしい妻と、あしげのウマにのって、両親のまつ家に帰っていきました。

 

 ところでこのダナン、一日でおおきくなるので、いくつで王さまのところへいったものやら。
 そして、この王さまは、もっぱらダナンの引き立て役で、悪い面はでてきません。


こじき王・・インド

2023年11月19日 | 昔話(アジア)

  人になりそこねたロバ/インドの民話/タゴール暎子・編訳/ちくま少年図書館67/1982年

 

 ある王国の王さまの楽しみは、狩りにいくことでした。この王さまが狩りにいったとき、あまりに夢中になりすぎ、一行からはぐれて、森の奥にとりのこされてしまいました。

 夜になり雨が降って冷気があたりに漂いはじめました。王さまは助けを求めましたが、ふかく暗い森は、ジャッカルのほえ声いがいはなにも聞こえません。やっと小さな村で一軒の家に宿を頼むと、年老いた農夫は、あたたかくむかえてくれました。あくる朝、王さまは農夫が手入れしてくれた馬にのって都にかえりましたが、別れを告げる前に、一片の紙切れを農夫にわたしました。そこには、何か困ったときは都へきて、この紙を城の門番にわたすようにとかかれていました。

 数年が過ぎたある夏。日照りが長く続き、村じゅうは大変な苦しみでした。穀物は枯れ、家畜はうぎつぎに死んでしまいました。やがて農夫は、ふと旅人がくれた紙切れのことを思い出し、村人を救いたい一心で、紙を片手に、遠い都をおとずれました。

 農夫は、いつかの旅人がチャムダンパ神に祈りをささげているところでした。旅人が王さまと気がつき、農夫は腰を抜かさんばかりに驚いてしまいました。

 王さまは、大声をはりあげ祈っていました。「おお、母なる女神さま、あなたのご加護を心から感謝いたします。でも、これではまだ十分とはもうしません。わたしは、この世のすべての富、すべての幸福がほしいのです」

 王さまの祈りを耳にした農夫は、ゆっくりとそのあとをあとにしました。そして、それまでたいせつに握りしめていた紙切れを城門の前で破り捨て、村へ帰っていきました。門番から紙切れを見せられた王さまは、なぜ自分に会いもせず帰ったのかと、不審がりました。そこで翌日、王自身が家臣を連れ農夫に会いました。

 「王さま、あなたさまほど、この世の富にめぐまれておいでのおかたはありません。それなのにもっと恵んでほしいと女神さまにおねがいになっていられます。わたしはまずしい村のために、今日、明日の食べ物を恵んでいただきたいと思い、あなたさまのお力をお願いにまいったのです。でも、王さま、あなたさまは、わたしずっと上手のおこじきさんでございます。そのような方から、食べ物をいただくわけにはまいりません。」

 農夫の言葉を聞いて、あっけにとられ、声も出ません。やっと落ち着きをとりもどすと、王さまは低く頭を下げ、「そなたのことばで、目がさめた思いがするぞ。いたく恐れ入った」と、申され、数日後牛車に積んだ山のような穀物、野菜、果物が村へとどけられました。また、この村ばかりだけではなく、ほかの村にも、おなじような牛車の列がつづきました。


牛どろぼう・・インド

2023年11月17日 | 昔話(アジア)

  人になりそこねたロバ/インドの民話/タゴール暎子・編訳/ちくま少年図書館67/1982年

 

 雄牛を盗まれたお百姓が、「盗まれた一頭をとりもどすより、八頭の牛を買うほうがかんたんだ」ということわざどうり、村から遠い牛市にでかけました。

 数ある牛の中に、忘れもしない自分の雄牛を見つけました。子どもときから育ててきたので見まちがうはずがありません。俺の牛だと主張する男に、「一年以上も飼っていたなら、なんでも知っているだろう。ひとつたずねるが、どっちの目がみえないんだね?」と、尋ねます。

 男は、二、三日前に盗んだので、牛の目に注意を払っていませんでしたが、疑われたらたいへんと、ためらわず、「左目さ」と、答えます。お百姓が、「違うぞ、右の目さ。右目が見えないんだよ。こいつは」というと、こんどは、男が右目だとこたえます。そこであつまった人にお百姓は言います。

 「おーい、みんな見てくれよ。この牛のどっちの目が悪いかな。ほれ、両目ともとっとも悪くないんだよ。わしは、この男がほんとうのことを知っているかどうか、試してみたのさ」。

 男は牛どろぼうとして、裁判で六か月の刑をいいわたされました。

 

 疑わしい電話があったら、こんな ”かま”をかけてみたいもの。


姑対嫁・・インド

2023年11月13日 | 昔話(アジア)

  人になりそこねたロバ/インドの民話/タゴール暎子・編訳/ちくま少年図書館67/1982年

 

 よめさんが年老いた姑にききました。「お義母さん、あんたはいつガンジス河」へいくんです?」。

 インドのヒンドゥー教徒は、ガンジス河のほとりで葬られ、遺灰を河へ流すのが習慣ですから、ようはいつ死ぬかということ。姑は「そうだねえ、息子とあんたがなかよく暮らすのを、もっと見とどけてからにしようかね」と、答えました。しばらくして、よめさんがまた姑におなじ質問をしました。すると姑は、「そうだねえ、孫の顔を見るまでは、当分いけそうもないね」と、いいました。

 そのうち、よめにも息子ができました。

 「いやいや、孫がよめをもらうまでは、わたしも生きながらえないとねえ・・」

 やがて孫もかわいらしい新妻をめとりました。あたらしく姑になったよめが、「お義母さん、ほんとうにいつガンジス河にいくんです?」ときくと、「そうだねえ、わたしも知らん間に、ずいぶん年をとってしまった。そろそろガンジス河に行くとしようかね。けどね、わたし一人ではこわいから、おまえさんもいっしょに来とくれよ」姑はよめに手をさしのべました。それ以来、よめは二度とおなじ質問を口にしなくなりました。

 

 このよめさん、自分が姑の立場になって、息子のよめから、おなじ質問をされたのでしょう。


カエルになったブラフマー神・・インド

2023年10月15日 | 昔話(アジア)

     大人と子どものための世界のむかし話2/インドのむかし話/坂田貞二・編訳/偕成社/1989年初版

 

 あるとき、人の運命をさだめるブラフマー神と、慈悲深くて人をすくうヴィシュヌ神が天界で話し込んでました。ヴィシュヌ神は、ブラフマー神に、「人の運命をさだめるときは、もうすこし考えてやってもらえませんか。もし厳しすぎる運命をさだめてしまったらとおもったら、あとで多少かえてやるくらいの慎重さがほしいものですな。」

 ブラフマー神は、絶対に間違いなどない!と、ヴィシュヌ神の言うことには、耳を貸そうとしませんでした。

 さて、あるところに、人にやとわれて畑仕事をしていた男がいましたが、男が、毎日、朝から晩まで汗を流して働いても、一日の仕事でもらえるのは、少しだけの豆だけ。その男のおかみさんは、なかなか気のきいた女で、男が毎日もらってくる豆をひとにぎりずつためていました。豆がいくらかたまると、おかみさんは、それを市場で売って、かわりに白いお米や小麦粉、それに野菜も買ってきました。

 男がお昼に、仕事からかえってみると、小麦粉でつくったおいしいブーリー(あげパン)、おかずもたっぷり用意してありました。いつもはぼそぼそした豆のパンしか食べられなかった男はびっくりして、おかみさんにたずねました。おかみさんは、「かみさまの、おめぐみで、こういうごちそうになったのです。たまにはおいしいものをおあがりなさいな。」といいました。よく働く男のためにおいしいごちそうを食べさせたいと思っていた おかみさんだったのです。

 このようすを天界でみていたヴィシュヌ神は、ついうれしくなってブラフマー神をからかいました。「どうです。あなたはあの男の運命を、<一生苦労ばかり>と、帳簿に書き込みましたけど、きょうはあんなにおいしそうなごちそうをたべているじゃないですか。」「なにっ、そんなばかな! これはほおっておけぬ。わしがさだめた運命とちがうことはぜったいにゆるせぬ」というと、天界から地上におりて、カエルにすがたをかえたブラフマー神は、テーブルのそばにいくと、ごちそうをちょっとばかり横取りしようとしました。

 ところが、「これは人間のごちそうだ。カエルのたべるものじゃない」とおいはらわれてしまいます。ものかげにかくれてじっとしていたカエルは、男のすきを見て、ごちそうに小便をたっぷりひっかけました。せっかくのごちそうは、小便だらけで、とてもたべられなくなってしまったのです。おこった男は、ふとい棒をもってきてカエルにばけたブラフマー神を、ガンガンうちすえました。それでも、いかりがおさまらない男は、あとでもう一度うちすえようと、カエルを布につつんでこしにぶらさげ野良へでました。

 これをみたヴィシュヌ神が、「カエルに よーくおしおきするから わしによこしなさい」と男にいうと、カエルがにげだそうとしたので、男は、またびしびしとたたきのめしました。ヴィシュヌ神は、ブラフマー神にいいます。「苦労もあればしあわせもあるというのが、人の運命なのに、いじわるく<苦労ばかり>などという運命をあたえるから、こういうめにあうのです。男の足元にひれふしてあやまりなさい。」

 ブラフマー神は、頭をさげ、きずだらけになって天界にもどっていきます。

 

 <苦あれば楽あり>といいますが、男の<楽>は、神さまのおかげなのではなく、おかみさんの知恵のおかげです。


幸運の神とちえの神・・インド

2023年10月10日 | 昔話(アジア)

     大人と子どものための世界のむかし話2/インドのむかし話/坂田貞二・編訳/偕成社/1989年初版

 

 あるとき、幸運の神とちえの神が、どちらのほうがえらくて力をあるかということで、言い争いをしました。

 はじめに幸運の神が、不思議をおこしました。ある村のまずしいヒツジかいの畑のトウモロコシの一粒一粒を、全部真珠にかえたのです。ところがヒツジかいは、「これでは、トウモロコシが真珠になったから、とても食えやしない。ことしは食い物がたりなくなるなあ」と、がっかりしました。

 このとき、となりの国から穀物を買いにきた商人が、真珠のなったトウモロコシ畑を見て、大喜びしました。ヒツジかいは、かたずける手間がなくなるから全部持って行ってくれといいましたが、商人はなにがしかの金貨をヒツジかいにおしつけて、人足を雇って、トウモロコシをとりいれると、王さまに一本献上しました。王さまはすっかり感心し、その土地のひとは、とてもゆたかにちがいない。王女も年頃になったから、その畑のもちぬしと婚礼をあげさせることにしようと、商人に頼みました。

 ヒツジかいは、商人にいわれるままに、旅のしたくをしました。商人は、ヒツジかいの髪をととのえ、あたらしい衣服をきせて、別人のようにりっぱな身なりにさせました。それから、国についたら、あまりよけいなことをいわないように注意しました。

 用心深くなったヒツジかいは、王さまがなにをたずねても、ろくに口をききませんでした。「王さま、むこどのはこの国のことばがよくわからないようす」と商人はうまくとりつくろい、そうそうに退散していきました。

 王女がヒツジかいのところに、嫁いでいくと、ちっぽけな小屋に、家具も食器もろくにありません。おかしいと思った王女は父親に手紙を書きました。手紙を読んだ王さまも心配になり、むこどのをお城に招き、市をたたせて、ありとあらゆる品物を並べるように、命じました。むこどのがどういう買い物をするかを見れば素性がわかるとおもったのです。

 むこどのが買ったものは、見たことのない赤い野菜。ヒツジかいは、こんなきれいな野菜を見るのははじめてで、そのまま、がりがりとうまそうにたべはじめました。市に集まった人たちはあきれて見ています。おつきの者もこまってしまい王さまに報告すると、王さまは、むこえらびをを商人にまかせっきりにしたことを、くよくよ考えこむようになりました。

 幸運の神が、ちえの神に相談し、ちえの神から知恵をさずけられたヒツジかいは、「あのニンジンとかいうものは、わたしの国にありませんので、味を見たのです。なかなかけっこなものなので、国に持って帰りひろめたいとおもいます。わたしの国には、ほかのものはなんでもたくさんあって、何一つ不自由しませんが、ニンジンだけはありませんので」。

 こうしてむこどのの面目はたもたれ、王女とヒツジかいは、なかよくくらしていくことになったのです。

「ちえの神さま、どうやら人間というのは、幸運の神と、知恵の神の両方のたすけあいがあって、はじめて、しあわせになれるようですな。」

 


猫の足・・インド

2023年06月21日 | 昔話(アジア)

        語りつぐ人びと*インドの民話/長弘毅/福音館文庫/2003年

 

 冤罪事件で有罪とされると、その人の人生は、それで翻弄される。時間がたってから無罪とされてもその人の人生は取り戻すことができない。裁判で一審と二審の判決がまったく正反対になることも多い。ただ、昔話で裁判?になると 明快な判決がでる。

 

 商売物の綿がネズミにかじられないように、四人の商人が共同で猫を一匹かっていました。四人は猫の足を一本ずつ自分の持ち物とし、思い思いの飾りを猫の足につけていました。

 あるとき、その猫が一本の足に大けがをしてしまい、その足の持ち主は、傷の手当てをし、油にひたした布を傷の上にまいてやりました。ある日のこと、商人たちが商いに出かけたとき、猫がかまどのそばで、じゃれはじめました。そのうち運悪く、足に巻いた布に火がついて、綿のしまっている倉庫に逃げ込み、猫は助かりましたが、倉庫にあった綿は全部灰になってしまいました。

 商人たちは、綿が灰になっているのをみると、けがをした足の持ち主が、損害をつぐなうようよう法廷に持ち込みました。けがをした足の持ち主は、猫は畜生で、分別がない、猫もやけどで苦しんでいる、損害は四人が力を合わせれば、もとどおりにすることができると、申し立てます。裁判長が、この男の言う通り四人で力を合わせ、受けた損害をうめる気はないか、尋ねますが、三人はあくまで責任をとるよう声をそろえて申し立てます。

 裁判長は、けがをしていた足が一本だけだったことを確認すると、次のように判断をくだします。猫は、残りの三本の足で、かまどのそばに歩いていき、それで布に火がついたことになる。じょうぶな三本の足の持ち主のほうが損害をつぐなう責任がある。したがって三人が、けがをした足の持ち主に損害を支払うように。

 

 猫の足を一本ずつ持ち合うのは理解しがたいのですが、それだけネズミの被害に悩まされることが多かったことを思わせます。


小さな黄色い竜・・中国 ペー族

2022年11月30日 | 昔話(アジア)

     けものたちのないしょ話/中国民話選/君島久子・編訳/岩波少年文庫/2001年

 

 自慢の宝の衣をなくし、湖の流れ口をとめた黒竜のため、水浸しになった村。

 黒竜退治のため、銅でつくった竜の頭をかぶり、手と足の指に鉄のつめをはめ、それから口に一本の剣をくわえ、背中に三本の剣をくくりつけ、両手に一本づつもった、ひとりの子どもが、小さな竜になって黒竜にたちむかいます。

 戦いが三日三晩つづき、小さな竜は、黒竜の口の中へとびこみ、あばれまわります。あまりの痛さに、黒竜は、ねをあげます。

 そこでのやりとりが、妙にリアルで楽しい。

 「おまえがでてくれたら、おれは、もう、どこかへおちのびて永久に帰ってこないよ」

 「よし、じゃあ、おれをどこから出してくれるのだ。」

 「おしりの穴はどうだろ。」

 「ばかいえ、ウンチをするついでに出されたと思われちゃこまる。」

 「そうだな。じゃ、鼻の穴からすべりでてはどうだい。」

 「ばかいえ、鼻水といっしょにかみ出されたと思われちゃあいやだ。」

 「耳の穴にするか。」

 「耳くそといっしょに、ほじくりだされたっていわれるぞ。だめだだめだ。」

 「もうたまらん。わきの下からでも、はいだしてくれよ。」

 「だめだだめだ。そこからはい出せば、おれをはさみ殺すにきまってる。」

 「それなら、足のひらに、穴をあけてとび出すがいい。」

 「だめだ。足のひらから出たら、おれをふみ殺すにきまってる。」

 「なあ、ちび竜よ。もうかんべんしてくれ。さあ、おれの目をくりぬいて出ていけ。」

 

 独眼の竜は、遠くまでのがれ、ちび竜は、二度と姿を現しませんでした。

 いろいろなものをのみこんだネコや赤ずきんにでてくるキツネのおなかの中からでてきたりと、おなかの中から出てくるのもいろいろですが、こんなのも ありでしょうか。 

 

 ペー族はチベット系民族で、2010年現在195万人といいます。