どんぴんからりん

昔話・絵本いろいろ。語るのを目的としたものでしたが・・。それにしてもまるで森に迷い込んだ感じです。(2012.9から)

がまの皮、うばっ皮・・木下順二作、おんば皮

2016年11月30日 | 昔話(日本)
▼がまの皮(がまの皮/子どもに贈る昔ばなし10 がまの皮/小澤俊夫監修/小澤昔ばなし研究所/2010年初版)

 じさが蛇に飲み込まれそうになったひきがえるを助けるかわりに、娘を一人、よめにやると蛇に約束することからはじまります。

 じさには三人の娘。

 上の二人は、とんでもないと断りますが、末娘は「よめにいくで」と千成りふくべと針千本をもって、へびのところにいきます。へびは娘がもっていった針を沈めようとして毒が回って死んでしまいます。

 後半部はがらりと場面がかわります。

 末娘は、へびによめにいったといううわさが広がっているだろうからと、旅に出ます。
 娘は、途中にであったばさまからがまの皮というのをもらい、それをかぶって年寄りのよごればさに変身し、長者の屋敷で働きはじめます。

 長者の息子が、夜になると変身前の姿になる娘を見て、恋煩いになって、やがて娘と結婚するという結末。

 異類婚の話も多いが、後半部からいうと、日本版シンデレラ物語。

 おばあさんが語るのを想像すると、やはり外国版はイメージがわきません。

 途中で会うばさは、ひきがえるが変身してもおかしくはないのですが、一人暮らしで、寂しいところにきてくれたので手助けをしてくれる存在です。


▼うばっ皮(わらしべ長者 日本民話選/木下順二・作 赤羽末吉・画/岩波少年文庫/2000年初版)

 同じ再話で、モチーフが同じですが、細部は大分異なります。
 娘が途中で会うばあさんは、カエルの変身とはっきりしています。

 子どもに贈る昔ばなしでは、三人の娘がでてきますが、木下版では一人。

 長者のわかだんなが、娘を見初めるのは芝居見物にきていた美しい娘。

 わかだんなに、芝居見物をすすめられ、娘はせっかくいくならと「うばっ皮」をぬいで、芝居小屋にはいったのでした。
 
 子どもに贈る昔ばなし版では、娘が部屋で本を読んでいるのをみて、恋煩いになるのですが、木下版のほうが舞台の設定が巧みな感じがします。


▼おんば皮(子どもに語る日本の昔話②/稲田和子・筒井悦子/こぐま社/1995年初版)

 タイトルがことなりますが、同じ話です。
 
 子どもに贈る昔ばなし版とおなじようですが、冒頭部がことなります。田んぼの水がかれてしまって、だれか水をかけてくれる者がいたら、三人の娘の一人をよめにくれてやるんだが、とひとりごとをいうと、次の日、田んぼには水が入っていて、そのときおおきなヘビが帰っていきます。
 ヘビからのがれた娘が、途中、ひきがえるのばばから「おんばの皮」をもらって、長者のところにでかけていきます。
 

 ヘビに飲み込まれそうになったカエルを助けるため、娘をよめにやるというのは、感覚的には受け止めにくく、こぐま社版のように、田んぼが日照りになって、独り言をいうと、ヘビが水を田んぼに入れるというほうが、受け止めやすい。
 この話では、それぞれに特徴があるので、いいとこどりをしたいところです。

 日本の昔話は、各地に同じような話があり、さらに再話、絵本化されているものもあるので、一つのテキストにこだわるのではなく、いろいろなテキストを比較してみることも必要なようです。
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空へいく、空を飛ぶ

2016年11月30日 | 昔話(外国)
 昔話では、空へいく、空を飛ぶのもさまざです。

 アラビアンナイト「空飛ぶじゅーたん」は、いきたいところにいくことできます。
 また「魔法の馬」(黒檀の馬と訳されているのもあり)は職人がつくったものですが、いきたいところにいけるというので、これももう一つの方法です。

 イギリス「ジャックと豆のつる」では、植えると翌日には天までとどいている豆のつるをよじ登って、天までいってお宝を頂戴するというもの。豆のつるをよじ登るのは大変そう。

 日本の昔話、大川悦生・文の「かみなりごろべえ」では、豆の木をのぼり かみなりさまのところに行く話。同じ「鼻ののびるうちわ」では、天狗のもっていた羽うちわで鼻をのばし、天の川までいきつきます。

 ロシア「石の王子」(世界むかし話6 ロシア 空飛ぶ船/田中 泰子・訳/ほるぷ出版/1979年初版)では、空にまでのびているトナカイの角をのぼっていきます。

 天へいくのは縦への移動ですが、縦の移動に比較すると、横への移動の事例は数多く見ることができます。
 
 ロシアの昔話「7人のセミョーン」(子どもに語るロシアの昔話/伊東一郎 訳・再話 茨木啓子 再話/こぐま社/2007年初版)では、三×九=二七番目のそのまた向こうの30番目の国に住んでいた美しいエレーナ姫を王さまのところにつれてくるというシーンがあり、「火の鳥と王女ワシリーサ」では、はるか遠く離れた国のかなた、そこから太陽がのぼる、この世の果ての国に住む王女ワシリーサのもとへ若者が旅をするシーンも。

 日本の昔話には、このように遠くまでいくという例が少ないように思いますが・・・?。                             

 空を飛ぶのもさまざまで、インドの昔話(大人と子どものための世界のむかし話 インドのむかし話/坂田貞二 編訳/偕成社/1989年初版)には空を飛ぶベッドがでてきます。

 「王子とふたりの若者」や「かいば入れから生まれたおよめさん」にも「空飛ぶベッド」(こちらは実際には飛ばないが)がでてきます。

 ジュータンは何となく不安定なイメージですが、ベッドとなると安定感があります。

 アイスランドの「リヌシとシグニ」(子どもに語る北欧の昔話/福井信子・湯浅朱美 編訳/こぐま社/2001年初版)でもベッドが空を飛びます。二人のトロル女から連れ去られた王子をシグニという娘が救うというお話。

 空を飛ぶといえば、魔法使いがのっている「ほうき」は、これまで読んだ昔話にはあまりでてこないと記憶していますが・・・・。

 ハリーポッターや魔女の宅急便キキ、魔法使いサリーなどでおなじみの空飛ぶほうきは、創作から生まれたものでしょうか。


 アンデルセンの「空とぶトランク」(アンデルセン童話集1/大畑末吉・訳/岩波少年文庫/1986年初版)
は、トランクが空を飛びます。

 親からうけついだ財産を浪費した男が、一人残った親切な友だちからもらったトランク、錠前をおすとどこまでもどこまでも飛んでいきます。

 城のてっぺんにいた、恋人のために不幸せな目に合うというお姫様と結婚することになるのですが、まっていた結末は?
  
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貧乏神

2016年11月29日 | 昔話(日本)
 貧乏神は外国の昔話にはみられないキャラクターのようです。
 そのまま居座るものや、福をもたらしてくれるものと二通りです。

・貧乏神・・香川(子どもに語る日本の昔話②/稲田和子・筒井悦子/こぐま社/1995年初版)
 よめさんが片付けや掃除が大嫌いで、これにほれ込んだ赤毛のやせこけた小さい年よりの貧乏神。
 貧乏神からいわれて、よめさんを追い出してしまった男。

 貧乏神から酒を買ってこいと言われ、銭がないというと、貧乏神はふところから銭をだしたので、二人は酒をくみかわします。
 大歳の晩、殿さまの行列になぐりこめば、金持ちになると知恵をつけられた男は、殿さまの行列になぐりかかりますが、さきぶれの男が倒れます。先ぶれの男は銅貨でできていました。
 貧乏神は、殿さまをなぐるように、もう一度やってみろといいます。
 うまく成功すると、かごがこわれ、中から大判小判がザックザックとでてきます。

 この行列は、大歳と元旦の晩だけにとおる金神さまの行列でした。


・貧乏の神・・山形(新しい日本の語り9 渡部豊子の語り/日本民話の会/悠書館/2014年初版)
 貧乏な爺さまが、正月用の買い物のため、草履や織物用の糸を売りに町に出かけますが、さっぱりうれません。
 途中であったのは、炭を売りに来た爺さま。
 二人は、品物を取り替えて家にもどります。

 炭を持ち帰った爺さまと、ばさまは、せめて暖かくして年越しをしようと、囲炉裏にザーと炭をあけ、火をおこします。
 すると薄黒い子どもような、へんなものが2,3人でてきます。
 子どもは貧乏神で、こんなに火を焚かれては、暑くてこごの家にいられねえや。家うつりだといいます。

 この貧乏神、長く世話になったと、餅や銭をのこして、いなくなります。


・びんぼうがみ(わらしべ長者 日本民話選/木下順二・作 赤羽末吉・絵/岩波少年文庫/2000年初版)
 びんぼうがみが、めでたく、うちから出て行ったはなし。

 平作というお百姓がいたが、いくら働いても、くらしが楽にならない。
 あるとき、押入れをあけてみると、ちいさなやせたじいさまがねむっておった。
 おまえのうちが好きなもんで、やっかいになっているという、びんぼうがみ。

 かみさんと相談して、びんぼうがみにわからんように、そっとひっこしをすることに。
 相談していると、押し入れでがさがさ、ごそごそ音がするので、のぞいてみると、びんぼうがみが、わらぐつをつくっていました。
 びんぼうがみは、平作の引っ越し先に一緒にいこうと準備していたのです。

 このようすでは、どこへいっても同じだと、平作はもうひとふんばりすることにします。
 人が変わったように働き始めると、貧乏神のじいさまが、どんどんやせ細って、いつの間にかいなくなります。

 貧乏が、よめさんが食いのこしを捨てたり、掃除をしないのが原因としてあげられているのは、やっぱりいただけない。
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さあ、はこをあけますよ!

2016年11月27日 | 絵本(外国)

        さあ、はこをあけますよ!/ドロシー・クンハート・作 ふしみみさを・訳/岩波書店/2014年初版   

 はこからなにがでてくるか、興味津々。
 ワクワクするタイトルです。

 「さあさ よってらっしゃい みてらっしゃい。このちいさな ちいさな ちいさなはこのなかには、びっくり どっきりぎょうてんするものがはいっているよ」
 サーカスのおじさんの口上がなんともいえない。

 でてきたのは、ちいさな ちいさな ちいさな ちいさな犬のピーウィー。絵の真ん中にちょこっと。

 人気者のピーウィーでしたが、ある日、どんどん どんどん どんどん大きくなります。

 ひとつも芸がないピーウィーは、サーカスからお別れといわれますが・・・。

 ところが、またもや ぐんぐん ぐんぐん大きくなって

 大きくてかわいらしいピーウィーは、またサーカスのにんきものに。

 どんどんおおきくなるさまと、ピーウィーのことが大好きなサーカスの人間や動物が、あっと驚くほど超個性的です。

 手書きの文字も味があります。
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嫁さまときつね

2016年11月25日 | 昔話(日本)
          嫁さまときつね/かたれやまんば 藤田浩子の語り 第二集/藤田浩子の語りを聞く会/1997年初版


 昔話で、きつねは、ほとんどが人をだます役割。

 しかしときには、救いの手を差し伸べてもくれます。

 姑にこきつかわれて、ゆっくりするひまもなく働き続けるよめさん。なかなか里帰りするもままなりません。

 よめさんが、裏山で涙を流しているのをみたきつねが、里の男にばけて、よめさんの母親が、危篤状態になったとしらせます。
 姑もさすがに、よめさんを里にやりますが、里にいってみると、母親は病気ではありませんでした。

 もしかして、きつねがと思った、よめさんが裏山に行ってみると、そこには確かにきつねがいました。
 
 それからよめさんは、自分の食い扶持を少し減らして、裏山に持っていくようになります。

 きつねは、人の心理を読むことができたのかも。

 きつねが騙すのは男であって、女はめったに騙されないという藤田さんの指摘がありました。そういえばそんな気もします。    
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パパとママのつかいかた

2016年11月24日 | 絵本(外国)

            パパとママのつかいかた/ピーター・ベントリー・文 福本友美子・訳/BL出版/2016年初版 

 タイトルが気になりました。

 親の心理をうまくくみ取ってパパとママとうまく付き合う方法かと思いきや、どこにでもある家族の風景でした。

 「はをみがきなさい」「ぐずぐずしないの」「さっさとかたづけて!」「てをあらいなさい」。
 ああしろこうしろとまったくうるさいパパとママ。

 でも子どもはパパとママのいいところもちゃんとみています。

 パパは、おうまさんをやってくれるし、ぐるぐるまわし、だっこしていいこいいこ。
 ママは、つめたいときは、あったかいヒーターがわり、まいばんおはなしをよんでくれます。

 誕生日やクリスマスには、プレゼントを忘れないパパとママ。

 子どもたちは、ママの洋服をタオルがわりに手をふいたり、顔に絵をかいたり、やり放題(作者悪乗りのかんもあります)のところもありますが、信頼関係があるからでしょう。
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くつ屋のギター・・ポルトガル

2016年11月23日 | 昔話(外国)
             くつ屋のギター/子どもに贈る昔ばなし12 石のカヌー/小澤俊夫監修/小澤昔ばなし研究所/2010年初版

 ひょんなことから大金を手に入れたくつ屋。

 お金をどうしたらいいか、誰かがやってきて、お金を奪わないだろうか、魂も良心もない悪漢がやってきて、お金目当てに自分たちをころしはしないだろうかと毎日不安でいっぱい。

 このお金は、くつ屋がギターをひいて、家族でうたい、おかみさんはギターに合わせてお皿を洗ったり、掃除をしたり、せきれいのように気楽に歌って、子どもたちもおおはしゃぎをしているのをみた大金持ちの男が、くつ屋の様子がうらやましくなり、ギターと交換にやったものでした。

 くつ屋の家族は地獄にいるような思いから、お金を金持ちにかえしギターを手に入れ、もとのしあわせな生活をとりもどします。

 一方味気ない生活をおくっていた金持ちも、ギターを手に入れても一向に楽しくなかったのです。


 しあわせはお金では買えません。しかし現代ではお金はしあわせの出発点かも。
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ちいさな きしゃ

2016年11月22日 | 絵本(日本)

               ちいさなきしゃ/五味太郎/岩崎書店/1982年初版、2016年改版

 小さな子が喜びそうな絵本です。

 おもちゃのきしゃが、寝ている男の子の体中を走ります。

 鉄橋は足指。
 トンネルはパジャマのなか。
 手から足、おなか、おでこと走り回ります。

 多分寝る前に、やってとなりそうです。
 でも、やってあげると眠らなくなるかもしれません。

 ところで、今朝の地震、3.11の余震といいます。
 3月の福岡地震、10月の鳥取地震と続いています。
 いつどこでも大規模な地震がおきてもおかしくありません。

 北海道に立て続けに台風が上陸したり、いつもより早く雪が積もったりと、なにか自然の怒りも感じられます。

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こびとのくつ屋・・グリム、かじ屋としわくちゃこびと・・オランダ

2016年11月21日 | 昔話(外国)
 どちらもこびとがでてきます。  

 こびとのくつ屋(グリム童話集 下/佐々木田鶴子・訳/岩波少年文庫/2007年)では、貧乏なくつ屋が最後にのこった革を準備しておくと、次の朝にはくつができあがっています。
 そのくつが高くうれたので、今度は二足分の革を用意すると、次の朝にはくつができあがっています。
 高く熟れたので、今度は四足分の革を用意しておくと、次の朝にはやはりくつができあがっています。

 不思議に思ったくつ屋の夫婦がかくれてみていると、はだかのこびと二人が、くつをつくっているのでした。
 こびとがはだかでいるので、奥さんがお礼にシャツとズボン、くつ屋は、ふたりのくつを用意しておくと・・・。

 グリム版では、なぜこびとがくつをつくってくれるのかわかりません。

 オランダの「かじ屋としわくちゃこびと」(世界の民話26 オランダ・ベルギー/小澤俊夫・編訳/ぎょうせい/1986年)は、くつ屋とかじ屋という違いはありますが、こびとがしらないうちに、仕事をしてくれるという点では、同じです。

 オランダ版では、お祭りでぼうしを岩の割れ目に挟めてしまったこびとのぼうしを拾い上げたお返しに、仕事をしてくれます。
 オランダ版でも、かじ屋が、お礼に、シャツ、ズボン、くつを用意しておきます。

 にかよった話ですが、オランダ版では、ダイヤモンドをあげるといわれて断ったり、
いいなずけのむすめと結婚するところもでてきます。

 グリム版は、やや小さい子向けで、オランダ版は、もうすこし上の子向けでしょうか。

 しかし、なぜ、しわくちゃこびとなのかもわかりませんでした。
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ねずみくんのチョッキ

2016年11月20日 | 絵本(日本)

            ねずみくんのチョッキ/作・なかえよしを 絵・上野紀子/ポプラ社/1974年初版

 1974年の出版以来、ロングセラーという絵本。

 お母さんがあんでくれた赤いチョッキをきたねずみくん。

 「ちょっときせてよ」とアヒルがやってきます。

 次にはさるがやってきて「ちょっときせてよ」

 ペンギン、ライオン、うま、ぞうがつぎつぎにチョッキをきます。チョッキは伸縮性が抜群だったのでしょう。どんどんのびていきます。

 シンプルなストーリーで、モノクロのなかに、チョッキの赤が印象的です。

 はじめは、表紙にあるように、ねずみくんの絵が下に小さく小さくあり、つぎつぎにやってくる動物がだんだん大きく描かれています。

 最後にのびたチョッキが、ぞうの鼻でブランコになり、ねずみくんが楽しんでいるようすに、ほっとします。
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死神と神さまがでてくる昔話

2016年11月20日 | 昔話(外国)
・死神の名付け親(グリム)

 「死神の名付け親」というタイトルの ”の”という助詞にひっかかっていましたが、「死神とその名づけ子」としているのもありました。(世界の民話6 ドイツ編 赤ひげとぶどう酒商人ほか/小川一枝 佐藤忠良・絵/家の光協会/1978年)
 「名付け親になった死に神」というタイトルは、完訳グリム童話(小澤俊夫・訳/ぎょうせい/1985年)。
 タイトルにも、いろいろあって、この場合は小澤訳がピッタリしていると思うのですが、「死神の名付け親」のほうが一般的になっているので、これをかえるのは大変そうです。

 ある貧乏な男が子どもの名付け親のなり手を捜しにいく。神、悪魔、死神と順に出会うが、死は誰にも平等だということから、死神に名付け親になってもらうという出だし。


・神さまと死神さま(魔法のオレンジの木/ダイアン・ウォルクスタイン採話 清水 真砂子訳/岩波書店/1984年初版)
       
 神さまと死神さまが、ある男に水をくれと頼んでみて、どっちに水をたくさんくれるかみてみようと、はじめに神さまが頼みます。

 男がいうには「水を汲むのに往復18キロもある。ところがあなたときたら、ある人たちに水を全部やってしまって、わしなんぞはほうりっぱなし」とことわります。
 死神がたのむと、男はすぐにヒョウタンに冷たい水をいっぱいもってきます。
 男の言い分は「死神はえこへいきしない。金持ちでも貧乏人でも、若くても年とっていても死神さまには、みんな同じ」というもの。

 水にめぐまれないハイチの昔話ですが、ここでは持てるものと持たないものを作りだした神さまへの痛烈な皮肉があって、神さまもあまり評判がよくない。

 グリムでは死神が男を連れ去るが、ハイチのお話では水をくれた男の家を避けていくという終わり方になっています。


・ウリボとっつぁん(世界むかし話3 南欧 ネコのしっぽ/木村 規子・訳/ほるぷ出版/1979年初版)
       
 タイトルからは想像できないできませんが、文句なしに楽しいイタリアの話。

 貧しいが、自分より困っている人がいると、自分のものを気前よくわけてやったウリボとっつぁんのところに、神さま(キリスト)と12人の巡礼が、食べものをもとめてきます。
 半分のパンしかなとく、暖炉の火は消えかけ、ぶどう酒も半分しかないなかでも、ウリボとっつぁんはもてなそうとします。
 こんなやさしいウリボとっつぁんに、神さまは奇跡をおこします。パンはたっぷり、暖炉には薪が、ぶどう酒瓶は1ダースも。
 ローマにむかおうとする神さまの弟子が、ウリボとっつぁんに、何か願い事をしたらどうかというので、囲炉裏の傍にある椅子に誰かが座ったら、いいというまで、立ち上がれないようにしてほしいと願い事をします。
 なんて馬鹿げた願い事をするんだと弟子がいうので、次は、「誰かが木にのぼったら、わっしがいいというまでおりられないようにしてくださいまし」。
 さらに三つまでおねがいできるというので、「ポーカーをやったら、かならず勝つようにしてくださいまし」と願い事をします。
 ここまでは、後半への舞台設定。

 後半は、願い事をしてから何年もたった2月のある日、死神がむかえにやってきます。ウリボとっつぁんはこの死神を椅子に座らせ動けないようにして300年の命をえます。
 300年後に死神がやってくると、今度は木に登らせ、動けないようにしてさらに300年の命をえます。

 次に死神がやってきたとき、ウリボとっつぁんは661年も生きたしと、死神とでかけることにします。
 途中、地獄の門を通りかかったとき、二度ポーカーもできなくなると悪魔とポーカーをすることに。
 1回勝ったら地獄にいる12人の魂をいただくという条件で、ウリボとっつぁんは勝ち続け、地獄はからっぽになってしまいます。
 そして地獄から助かった数百の魂と天国に旅立ちますが、ここでも一波乱。

 訳もなじみやすく楽しい話です。勉強会で話してみました。22分でおさまりました。
 女性の方は語りにくいと思っていたら、やはり話をされていた方がいらっしゃったようです。
   

・死神のふくしゅう(大人と子どものための世界のむかし話12 フィンランド、ノルウエーのむかし話/坂井玲子・山内清子・編訳/偕成社/1990年初版)

 ノルウエーの昔話でグリムの「死神の名付け親」と話型は同じです。       

 ビールづくりの親方のところで、長年奉公した若者が、小型のビール樽をもらって、国に帰る途中、樽がだんだん重くなります。
 ビールを一緒に飲んでくれる人を探している若者に、神様が声をかけます。
 若者は、この世の人たちに差別をつけ、公平なあつかいをしないからと、これを断ります。
 次に会ったのは、悪魔。人を苦しめ悩ませるからとこれも断ります。
 次に会ったのは死神。死神とは一緒にビールを飲みます。
 すると死神は、どんなにビールをのんでも、ビール樽がからにならないようにして、樽のビールが<いのちの水>となって、これを飲めば医者がみはなした病を治すことができるようにします。
 ただ、いのちの水の効力は死神が病人の足元にすわったときだけ。枕元にすわったら、いのちの水でも病人を助けることはできません。

 そののち、若者は有名な医者になり、あるお姫さまの病気を治すことになりますが、死神は枕元にすわっています。
 死神がうつらうつらといねむりをはじめたとき、若者はベッドをくるりとまわして、お姫さまの病気を治すことに成功しますが・・・。
 最後に、若者が主のいのりをとなえるところがでてきますが、印象に残る終わり方です。

 神様を拒否した若者が、最後は神様に祈るという皮肉な結末です。      
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トランクのなかの日本

2016年11月19日 | 画集・写真集


トランクのなかの日本 米従軍カメラマンの非公式記録/ジョー・オダネル/小学館/1995年初版


 若い海兵隊員が、カメラマンとして1945年9月から1946年3月まで、ヒロシマ、ナガサキほか日本を記録した非公式記録写真(私用のカメラ)で、戦後ずーとそのままにしていたという。
 出版されたのは1995年。

 1995年には、スミソニアン博物館でも展示が企画されていたのが、キャンセルになったといいます。

 出版直後に、日本で写真が展示され、昨年も安全保障関連法案が国会で議論されていたとき、この写真展が開催されていたようです。

 戦争の傷跡だけでなく、少ないながら戦後直後の人びとの生活の状況もうかがえます。

 雨の夜、海兵隊員が蒸気機関車との事故で10名が亡くなって、その出棺風景もあります。

 もちろん、広島、長崎の廃墟と化した風景に息をのみますが、やはり衝撃だったのは、一人の少年が、直立不動で赤ん坊の焼却を見送る場面です。

 少年の弟は夜の間に死んでしまったのだといいます。

 決して忘れてはならないことばかりです。 

 南スーダン国連平和維持活動で、駆け付け警護なるものが閣議決定されたというのは15日。

 さまざまな条件がつけられていますが、いざ戦闘がはじまったら、殺す殺されることは、目に見えています。テレビで訓練の模様が報道されていましたが、あまりにも現実離れしていました。

 決めた内閣の支持率は50パーセント。誰が支持しているのでしょうか。
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猫と小僧様

2016年11月17日 | 昔話(日本)
       猫と小僧様/かたれやまんば第三集 藤田浩子の語り/藤田浩子の語りを聞く会・編/1998年


 お寺の小僧さん、仏の道を学ことより、絵がだいすきで、いつも猫の絵をかいていたので、寺を追い出され、泊ったのが古いお寺。

 ところがこのお寺、化け物がでるという。外で寝るよりは屋根の下のほうがよかんべと、この寺にとまることに。

 翌朝、村の人が心配してきてみると、そこらじゅうに猫の絵が。天井をみてみると大きなねずみが嚙み殺されていました。
 村の人は、猫がねずみを退治してくれたに違いないと話し合います。

 あまり長くない話で、別のタイトルで同じ話があります。

 藤田浩子さんにかかると、これがなんとも面白い話になります。

 小僧さんが猫の絵をかくところ。
   庭掃かせれば、竹ぼうき持ったまま、そこらの木っ端で絵をかく
   塀に寝そべって、しっぽ だらーんと下げたまんまの猫
   蝶とろうとして、じゃれている猫
 ほかでは、こんな描写はでてきません。

 いつもながら擬音語も効果的に使われています。

 天井で音がする場面
   カタン カタン カタン
 枕元の写経が音する場面
   サワサワサワサワー

 読むだけでイメージが湧いてきます。

 小僧さん、猫の成仏ねがい、仏の道を究めるため、せっせせっせとお経を読む最後もほっとします。
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その後のでいだんぼう

2016年11月16日 | 昔話(日本)
          でいらんぼう/子どもに贈る昔ばなし10/再話・茅野昔ばなし大学再話コース 監修・小澤俊夫 /小澤俊昔ばなし研究所/2010年)


 地元小川町の巨人伝説「でいだんぼう」。

 でいだんぼうが、笠をかけた場所が笠山、蓑をぬいでおいた場所は蓑が山、ふくんだ水をふきつけた場所が大霧山などと、当地にかかわる伝説?がありますが、このでいだんぼう、最後は信州にむかっていくところで終わっています。

 この「でいだんぼう」が、信州では「でいらんぼう」としてあらわれているようです。

 でいらんぼうが、かまどの形をした岩の中に木をぽんぽん投げ入れると、地の底でドカーンと音がして、大きな山のてっぺんから、真っ赤な灯がふきだします。これが浅間山といいます。

 でいらんぼうが、腰に下げたつつみの砂でできた山は小浅間。

 伝説には連続性があるのでしょうか。

 「でいだんぼう」は小川町図書館のHPを参照してください。

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食わず女房

2016年11月14日 | 昔話(日本)
             信濃路の民話を語ってひとり旅/瓜生喬・著/郷土出版社/1986年初版
             食わず女房/日本の昔話29 信濃の昔話/日本放送出版協会/1980年


 テキストも多く、絵本にも紙芝居にもなっており、端午の節句とよもぎと菖蒲が魔よけとなったいわれが盛り込まれているので、5月に語られることが多いようです。

 しかし前半部からは、こうした展開を予測することは難しい。

 「食わない女」を嫁にしたいというのは、どうにも男の身勝手。
 「食わない女」、男と一緒にいるときは何も口にしないが、男が仕事にいくと、にぎりめしや味噌汁を頭の中の口に、ぽんぽんと投げ込むという山姥。怖い怖いと思いながらつい引き込まれます。

 しかしこの男じつに身勝手にうつる。この男のところには、お米も味噌もたっぷりあるというのは、話がすすむとわかってくる。不作が続いて食べるものがないというならまだしも、男の身勝手としかいいようがない。

 男はあぶないところを助かる結末ではあるが、救われると、身勝手さを認めるようで、しっくりこない。

 「食わない女」とは、つまりは山姥、鬼、河童、ヘビなどで、各地でことなるようである。


 「あれわいさのさ」は、瓜生喬さんが、九州肥後の「食わず女房」から書かれたものですが、最後のほうが楽しい。

 正体がばれた女が、桶の中に男をぽいと投げ込み、あれわいさのさと歌うことを要求し、阿蘇の山めぐりするというのですが・・・・。

 「お金や田地田畑なんぞ、つまらん浮世の通行手形。旅にはいりません」とうそぶく女。
 この女が、なに者であったのかはでてきません。

 もうひとつあったのが、正月バージョン。

 信濃版では、松の枝を家のまわりにさしておくと、鬼ばばあは、どうしても男をみつけることができず、あきらめて山に帰っていくという結末。

 こんな話からは、四季に応じたものもありそうです。
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