どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ひばりの矢

2013年10月30日 | 絵本(日本)
ひばりの矢  

    ひばりの矢/斎藤隆介・作 滝平二郎・絵/岩崎書店/1985初版

 

  空に君臨している黒雲おやじ。むかってくる奴は、そいつの首をこわきにかかえこんでしめころし、手をかいくぐって、なおもたちむかってくる奴は、大きな口でひとのみ。お天道様や月も黒雲おやじのらんぼうろうぜきをしのぶだけ。

 うんだばかりの、かわいいたまごを黒雲おやじにふみつぶされ、気がちがって空をどこまでもかけあがってしまうよめさんたちをみた、いちろうじは、「ヤーイ、なかまたちおれたちは、いくじがなさすぎたぞ」と叫んで、黒雲おやじに立ち向かう。

 ひばり村のみんなはたたかう決心をし、ちいさなからだに、ちいさな弓矢をつかんで、なのりをあげながら黒雲にむかって、矢を射かける。つぎつぎに矢はおち、ひばりもつぎつぎにおちる。

 それでもひばりはなのりをあげて、空の黒雲をめざしてかけのぼる。年をとった黒雲も閉口して逃げ出すが、ひばりはそれでも空にとびあがり、矢を射かける。それでも矢はたたき落とされるが、落ちた矢は大地にふかくささって麦の穂になる。

 擬人化されたひばりが次々に空に駆けのぼる場面が印象にのこる。
 ひばりは漢字にすると“雲雀”。ひばり村は雲にあったのかも。
 
 斎藤さんの絵本には、自分を犠牲にしても勇気をもって強いものに立ち向かうという強烈なメッセージがこめられている。

 作者はこの絵本の完成をみることなく天に旅立たれたそうであるが、たった一人でもけっしてあきらめるな、正しいことだったらかならず、あとにつづくものがでてくると天から語りかけているようです。              


やきいもの日

2013年10月29日 | 絵本(日本)
やきいもの日  

    やきいもの日/村上 康成/徳間書店/2006年初版

 

 落ち葉で焼き芋という風景もみられなくなってきました。ダイオキシンの問題もありますが、住宅密集地では隣近所との関係で困難。都会ではそれほど広い公園もなくみられないのが残念です。

 女の子とけんかしてしまったりっちゃん。なかなりをしたいのに、きっかけがつくれない。
 おじいちゃんがたきびでつくってくれたやきいも
 けんかしたれいちゃんと一緒にやきいもをたべるが、目の前のれいちゃんがきになってあじがよくわからない。

 目があったふたり。おらえていたきもちがいっぺんにあふれて涙、涙
 わらって ないて、またたべて
 なかなおりした二人は、公園の落ち葉のうえにねころがって
 そらを みあげると、ひこうきぐもが

 貼り絵と一筆がきを思わせるオレンジ色を基調とした絵が、秋の風景をうまく表現しています。
 笑って、泣いてまた食べるというのに、仲直りしたいという子どもの気持ちがつたわってきました。

 最後に、「なかなおりのにおい」とありますが、どんなにおいだったのでしょうか。やきいものぬくもりを残したにおいだったんでしょうね。                  


さるかにかっせん

2013年10月27日 | 昔話(日本)

 さるかにかっせんとして知られている昔話を覚えてみたいと思い、さてどのテキストを使おうかと探していたら、よく知られているものなので、多くのものがあってどれをつかうか頭を悩ますところ。各地域によっても少しずつ異なっているというこの話、絵本なども含めたら相当なものになりそうだ。

 あまり多くはないが、ここでは次の本を参考にしてちがいをさがしてみたい。


 さるかにかっせん/日本の昔話4 さるかにかっせん/小澤俊夫 再話 赤羽末吉 画/福音館書店/1995年初版
 さるとかに/子どもに語る日本の昔話2/稲田和子・筒井悦子/こぐま社/1995年初版
 猿と蟹/語りつぎたい日本の昔話7 舌切りすずめ/小澤俊夫・監修 再話・小澤昔ばなし大学再話研究会/小峰書店/2011年初版
 蟹の仇討/日本昔話百選改訂版/稲田浩二・稲田和子・編著 丸木位里・丸木俊・絵/三省堂/2003年改訂第一冊
 さるとかにむかし/新訂 子どもに聞かせる日本の民話/大川悦生・文/実業之日本社/1998年初版

 ここであげたのは、これまで昔話を読みはじめて何回か目をとおしたもの。

 「さるかにかっせん」というタイトルがついているのかと思ったらそうでもない。三省堂版では「蟹の仇討」とされており、実業之日本社版では、広島の昔話をベースにして再話されており、「さるかにむかし」というタイトル。メジャーなものでも編者や再話者のこだわりがありそうである。

 前段部分に出てくる蟹の母親が、猿の投げた柿で殺されてしまう場面では、唯一福音館書店版では殺されずに怪我をする。

 話の後段部分に蟹の仇討があり、そのとき蟹におともする蜂や臼などに違いがあるのはともかくとして、五つもでてくるとくどく感じる。
 この場面で擬音語がうまく取り入れられているのと、そうでもないのがあるが、語りのリズムからすると擬音語がほしいところ。

 また、蟹がおともをさがすのにきびだんごが役立っているが、三省堂版ではきびだんごはでてこず、熊ん蜂が仲間を集める。小峰書店版では、猿のところにむかう蟹がどこに行くか聞かれてその答えを聞いた蜂や臼などが、対価をもとめることなく一緒にでかける。
きびだんごにひかれていく?か、それがなくてもおともするかは考え方によっては難しいところ。

 山梨県の昔話をとった三省堂版では、猿のおばあさんがでてくるのが異色である。


ストーン・エイジボーイ

2013年10月26日 | 絵本(日本)
ストーン・エイジ・ボーイ  

   ストーン・エイジボーイ おおむかしへいったぼく/きたむら さとし/BL出版/2009年新装版初版 

 

 作者が洞窟壁画のいきいきした動物にひかれてつくったという絵本で、副題に「おおむかしへいったぼく」とあるように、「ぼく」はある日、タイムスリップして石器時代へ。

 子どもたちが将来の夢をみるきっかけはさまざまで、もしかしたら一冊の絵本がそのきっかけになることもあるのかも。

 「ぼく」は、石器時代にタイムスリップしたのがきっかけで、考古学者へ。

 表紙の裏と、裏表紙の前のページには多分壁画で描かれたであろうマンモスの親子や、バイソン、トナカイ、ノロジカ、オーロックスといった動物の絵が。

 木や石をつかって道具をつくり、やりで魚をとったり、チ-ムワークでしとめたシカの肉はみんなで火をかこみながらお祭り騒ぎ。

 ある日、「ぼく」が洞窟の中へ入っていくと、そこには生きているようなたくさんの動物が描かれています。

 当時の生活のようすを、火をつくる、石の道具をつくる、道具をつかう、動物の皮をつかう、料理をつくるに区別して詳しく描かれています。
 大人は説明がわずらわしいと思われるが、子どもは興味をひかれそうです。


このラッパだれのかな

2013年10月26日 | 絵本(日本)
このラッパだれのかな  

   このラッパだれのかな/ぶん=まど・みちお え=なかがわ そうや/瑞雲舎/2009年新装版初版

 

 クレヨン?でえがかれた素朴な感じの絵がとびこんでくる絵本。幼児むけであるがゆったりと絵の世界にひたることができます。

 ぴかぴかのラッパはりすさんの
 ながーいながーいラッパはペンギンさんの
 ちいさいちいさいラッパはひよこちゃんの
 おおきいおおきいラッパはかばさんの
 こわれているラッパはぼうやたちの

 きいろのラッパ、しろいラッパ、あかいラッパ、みずいろのラッパ
 そしてみどりいろのラッパはぼくたちの

 見ていると、とてもやさしくなれます。


宝の三つのくだもの・・モンゴル

2013年10月24日 | 昔話(アジア)

          宝の三つのくだもの/大草原に語りつがれるモンゴルのむかし話/Ch.チメグバール監修 籾山素子 訳・再話 藤原道子 絵/PHP研究所/2009年初版

 

 ある日、貧しい若者が盗賊からおそわれていた一人のおじいさんを助けると、そのおじいさんはお返しするから、明日の朝、高い山の頂上にきてくれと話して姿を消します。

 翌日、若者が山の頂上に着くと、おじいさんは木の下の枝になっている白、黄、赤の果物を指さし、すきなものを選ぶようにいう。
   白い実は、世界で一番かしこい者になり、
   黄色の実は世界中を一人で支配するお金持ちになり、
   赤い実を選んだら美しい娘たちがみなきみを好きになってあとをついてくるだろう

 若者がどれをえらんだのかは?

 モンゴルのむかし話というタイトルで他の本も出版されていますが、この昔話はモンゴルの方がまとめられたものが訳されています。これまで読んだものと内容が重複するものがなくモンゴルにも数多くの昔話があることがよくわかります。訳もわかりやすい。

 「宝の三つのくだもの」で若者が選んだのは、赤。

 選んだ理由が味わい深い。
 「わたしはただの狩人だ。そんなに賢くなる必要はない」
 「この世のすべてが、わたしの財産になるというのは、人々をおさえつけて苦しめる金持ちになることだ」

 さらに「美しさや財産ではなく、妻となる人の心がきれいかどうかを大切にしなさい」というおじいさんの言葉も金言です。


1000000ぼんのブナの木

2013年10月23日 | 絵本(自然)

 

1000000ぼんのブナの木  

    1000000ぼんのブナの木/塩野米松・文 村上康成・絵/ひかりのくに/2005年初版

 

 くまさんの案内で、百万本のブナの木の森へ

 なにより四季のワクワクする表現にびっくり。

 なつには みどりの さわさわした ふくを きるし
 あきには きいろや あかの ふくに きがえるんだ
 1000000ぼんの おしゃれ、ためいきが でちゃう
 ゆきが やみ かぜの においが くすぐったくたくなる ブナの木やまが ほんのり あかく なってきます
 はるを つげる きつつきの ドラミンゴの おとが ひびきます
 はるの やまは わらっています
 もこもこ わくわく うれしいのです

 ふるさとの秋田の近くに、自然遺産に指定されている白神山地がありますが、ブナで有名な白神にいったことがないのが残念です。

 それでも住んでいたところから小一時間もあるけば山の森のなかへはいることができたので、この絵本に描かれた鬱蒼とした森のイメージが想像できました。作者は秋田出身とあるので、白神山地をイメージしてこの絵本をつくったのかもしれません。

 外国語は知りませんが、こんな多彩な日本語の表現を目にすると、あらためて日本語のよさが実感できるところです。

 「はるだ。はるだ。ねびらきが はじまったぞ」とこぐまがさけぶのも、はるを待ち望んでいた気持ちがあらわれているようです。

 ブナの果実は多くの哺乳類の餌となりますが、ブナは基本的に毎年不作であり、5-10年に一度豊作になるだけとあるので、不作の年は、動物たちはどう過ごしているんでしょうね。

 白神山地のブナ林の四季を描いた写真絵本とはまたちがった趣きがありました。        


テキストの表現・・「空飛ぶじゅうたん」、「ブレーメんのおんがくたい」

2013年10月22日 | 昔話あれこれ

 「空飛ぶじゅうたん」を話してみたことがあります。普通に話をすると25分はこえますが、少し工夫をしてみました。もとはこぐま社の子どもに語るシリーズのアラビアンナイト。

 この話は、いとこどうしの結婚が伏線になっていますが、いとこ同士の結婚というのにひっかって、いとこというのを変えてみました。

 また時間のことも考え、大分省略してみたところがあります。3人の王子がそれぞれ別の国にでかけ、空飛ぶじゅうたん、みたいところがみえる望遠鏡、病をいやすいのちのりんごを手にいれ、旅のはじめに3人が泊まった宿でおちあい、それぞれ手に入れたものを説明しあうシーンがありますが、前段でどのようなものかは説明があるので、後段でどのようなものか説明しあう部分については簡略化しました。そのほかも意味をそこなわないかぎり短くし、2分ていどは短くできています。

 また一番上の王子が空とぶじゅたんを買う場面で、金貨3千枚という表現がありますが、こぐま社版では「おどろいてじゅうたん売りに声をかける」とありますが、金貨3千枚というイメージがうかばないため「途方もない値段におどろいて」としてみました。声にだすと一瞬のことですがこのほうがうまくつたえられそうです。

 次に、「市場」とあるのは「バザール」としてみました。この方がひろがりがでてきます。

 そのほかにもこまかなところで表現をかえましたが、これはあくまでも他の訳を参考にしたもの。

 「ブレーメんのおんがくたい」では、せたていじ訳を、すこし表現をかえてみました。子ども向けの絵本とあってか、年とって役割をはたせなくなったロバや猟犬、ねこが、「ぼく」というのがみょうに若々しい感じがして「おれ」「わし」としてみました。またこれも他の訳を参考にして、次の例のほか、何か所か表現をかえてみました。

 「ブレーメんのまちをめざして でかけました」・・「ブレーメんのまちをめざしてひとりであるきはじめました」
 「この三にんぐみが あるやしきのそばを」・・・・「この三にんぐみのやどなしが あるやしきのそばを」
 「ブレーメんのまちまでは 一にちでは」・・・・・「ブレーメんはとおかったので 一にちでは」
 「ごはんがすむと」・・・・・・・・・・・・・・・「おなかがいっぱいになると」

 メジャー?な作品は訳も多くあるのでこうしたことができますが、たとえばアフリカの昔話でスワヒリ語を訳したものは、本当にかぎられてくるので、頭をなやますところです。


話のテキストの展示は?

2013年10月21日 | いろいろ
 昨日、現代の語り部ともいえる方の大人のためのお話し会を聞くことができました。あいにくの雨でしたが、ゆったりとした時間をもつことができました。会場にはお話のもとになったテキストも展示されていました。
 
 お話し会でいつも思うことの一つは、男性の参加がすくないということ。昨日も40人ほどの中で、男性は二人。濃密な時間をもてるにもかかわらず、もったいないところ。

 かくいう自分もこの間までは、お話にまったく無縁の生活をしていたのであまり言える立場ではないが・・。

 お話のひとつに「ジャックと豆の木」がありました。覚えてみたい話だったので、石井桃子訳の文脈が頭のなかに7割かたは入っていて、こうしたことから話をきくとまた別の面がみえるところも面白いところ。
 お話は石井訳を忠実にされていましたが、このブログで何回かふれましたが、翻訳ものは多数の訳があるので、こうしたものをどう生かしていくのかも考えたいところです。

 昔話を語る場合、どんなテキストを選択するかが重要な要素ですが、それだけでなく個々の工夫があってもよさそうな感じがしています。

 はじめのころは覚えるのが中心で、それ以外は目に入りませんでしたが、いろいろ読んでみると微妙なちがいがあって、自分に適したものを工夫する楽しみもでています。

 話のテキストを展示するのを見るのは今回だけではないのですが、いつからはじまったのでしょうか。展示の意味がいま一つよくわかりません。

 もしテキストを知りたいと思ったら、今は、即時にいくらでも探すことができます。

 プログラムが用意され、そこに出典が記載されているならなおさら必要がなさそうですが?・・・。

ひさの星

2013年10月19日 | 絵本(日本)
ひさの星  

     ひさの星/斎藤 隆介・作 岩崎ちひろ・絵/岩崎書店/1972年初版

 

 大人の方なら小さいころ読んでもらったか、手にとってみたことがあるかもしれない絵本。斎藤隆介さんといえば、すぐに滝平二郎さんとの絵本が思い浮かぶが、この本の絵は岩崎ちひろさん。

 文も絵も同じかたの絵本とちがって、文と絵を別の人が分担する場合、絵をかく人を作者かきめるのか、出版社の人が選んでいるのかがよくわかりませんが、この絵は斎藤さんの世界をやさしく表現していてピッタリです。

 無口でおとなしいひさは、犬にかまれた赤ん坊を助けてけがをするが、おっかあから、どうしてけがをしたかについて聞かれてもなにも語ろうとしない。

 ある日、夏の大雨の後、川のあさのほたるをとろうとして、川に落ちた子供を助けるが、代わりに自分の命を落としてしまう。村の人が夜中探し回るが、どうしても見つからない。

 ひさがいなくなった日の夜から雨がやんで東の空にあおじろい星が輝きはじめる。村の衆は、この星をみるたんびに「ああ、こんやもひさの星がでてる」といいおうたげな。

 私の生まれ故郷、秋田が舞台で、方言がさりげなくつかわれていて親近感があります。

 無口で多くを語ろうとしない「ひさ」は、本当は、とても強く優しいこころを持った少女だったんですね。

「ひさ」のように、自分にどんな結果をおよぼそうとも、やるべきことをなしとげる真の勇気をもつことは、なかなかできそうにもないですが・・・。
 
 40年以上前のもので、今なかなか、こうした作品はできにくいという感じもあるところ。                    


ちゃんとたべなさい

2013年10月18日 | 絵本(外国)

 

ちゃんとたべなさい  

    ちゃんとたべなさい/ケス・グレイ 文 ニック・シャラット・絵 よしがみ きょうた・訳/小峰書店/2002年初版

 

 どこにでもみられそうな親子のやりとり。

 おまめがだいきらいなデイジーに、ママはあの手この手でおまめをたべさせようとします。

 はじめは、おまめをたべたらアイスクリームをあげるからと

 つぎには、アイスクリームをあげるし、いつもより30分おそくおきていいし、おふろにはいらなくてもいいからと

 それでもおまめをたべようとしないデイジーに
 世界中のスーパーパケットとおかしやさんと、おもちゃやさん、じてんしゃやさんをかってあげるし、ずっとおきていていいし、がっこうにもいかなくてもいいし、おふろにはいらなくていいし・・・・・・・
 ロケットをすきなだけかってあげるし、ちきゅうだって、つきだって、ほしだって、太陽だってかってあげる

 ここまでいってもデイジーのこたえは
 「ママがメキャベツをちゃんとたべると、わたしおまめをたべる」

 ところがメキャベツがだいきらいなママはなきだしそう。

 だれでも、きらいなものがあるんです

 最後はふたりでだいすきなアイスクリームを。

 遅くまでおきていいし、お風呂にはいらなくていい、学校にもいかなくていい、歯も磨かなくていい、おへやの掃除もしなくていい、髪をとかさなくてもいいなどなど、ママすこしやりすぎ。

 ママがなんでもあげるというのはいいのですが、本当に食べてしまったらママはどうしたんでしょうね。心配になるところ。

 「まめはきらい」というデイジーの言葉がだんだんおおきくなり、顔もアップに。ママのイヤリングとネックレスがおまめというのも作者の遊び心か。


預言者スレイマンの魔法の杖・・タンザニア ザンジバル島につたわる話

2013年10月16日 | 昔話(アフリカ)

   預言者スレイマンの魔法の杖/大人と子どものための世界のむかし話13/宮本正興・編訳/偕成社/1991年初版


 語る人が、はじめに「ハディシ(お話) 、ハディシ(お話)」というと、聞き手の全員が「ハディシ、ンジョー。(お話、出てこい)」とこたえる様子がうかんできます、

 このお話は、預言者がさまざまな奇跡をおこしても、さいごまで不信心だった男の話。

 預言者が旅にでようとすると、となりに住んでいた不信心な男が、一緒につれていってくれとたのみ、二人で旅にでる。イスラム教では一日に5回のおいのりをするのがしきたりであるが、預言者がおいのりをしているとき、不信心な男は、預言者からあずかった3つのパンのうち、一つを食べてしまう。おいのりをすませた預言者と男は一つずつ、パンをたべるが、それだけでは満腹しなかったので、もう一つパンを食べようとするが、そのパンは男の腹の中。もう一つのパンはどこにあるか預言者からたずねられた不信心な男は、「もうひとつパンがあったのですか。わたしは知りません」ととぼける。
 預言者はこの男をイスラム教に入信させ、正直な人間にしなければならないと考える。

 二人は、海の向こうの島にわたろうとするが、渡しの舟が見つからない。そこで、預言者がもっていた杖で水面をたたくと、沈まずに海をわたることができる。

 旅をつづける二人。おなかがすいたとき、預言者はガゼルをつかまえて、その肉を焼いて食べるが、食べ終わったガゼルの骨を杖でぽんとたたくと、食べてしまったガゼルがもとどおりの姿になってどこかへ走っていく。

 さらに旅をつづけたふたり。預言者は牛飼いにであい、牛をくれるよう頼み込み、その牛も食べてしまうが、杖で牛の骨をぽんとたたくと、牛はもとどおりになって、仲間のむれにもどっていく。

 預言者は、奇跡をみせたあとで、3つ目のパンは誰が食べたか男に聞くが、やはり不信心な男は自分が食べたとは白状しない。

 このお話、笑い話の部分も含めまだまだ続く。

 日本の昔話には登場しない預言者が、さまざま奇跡を起こすのを素直に楽しみたい昔話。

 タンザニアは、イギリスから独立したタンガニーカ共和国と、インド洋にうぶザンジバルが1964年に合併してできた国。ザンジバルという語源はペルシャ語で「黒人の国」を意味するという。また、タンザニアでは、他のアフリカ諸国に多く見られる、特定部族による政権の独占や民族による投票行動が見られないことがあげられるという。複数政党制導入時に民族を基盤とした政党結成が禁じられたこと、国内に特別大きな民族グループが存在しないこと、スワヒリ語による初等教育と、教育プログラムに盛り込まれた汎タンザニア史などを通じてタンザニア人としてのアイデンティティ創出に成功したことなどが理由になっているという。


いつでも星を

2013年10月15日 | 絵本(外国)
いつでも星を  

    いつでも星を/文 メアリー・リン・レイ 絵 マーラー・フレイジー 訳 長田弘/ブロンズ新社/2012年初版

 

 語りかけてくるような絵本。

 おとなも子どもも 防寒着でみんなならんで見上げる先には星が。

 星がみえない夜もあるけど、いつの夜も世界のどこでも星はそこにあって、世界中の人と結びついているよと語りかけてきます。
 うれしいときにも悲しいときにも、輝く星はいつも静かに見守ってくれるよう。

 しろい星は いちごの花
 きいろい星は かぼちゃの花
 ひとひらのゆきも ぜんぶ 星
 たんぽぽの けだまを フーっとふくと、たくさんの星が空をとんでいく

 と、星はみじかなところにもあるよとも語りかけてきます。

 そして

 輝いていない日は ポケットのなかの星にさわってみて
 星を、ぼうのさきにくっつければ、立派な魔法のつえにかわるよ。魔法の杖をちゃんとまわせば、いつもじゃないけど、ときどきは、望みがかなうよ。だけど、かなうがどうかわからないのが望みなんだ

 とも語ります。


ぼくの村にジェムレがおりた

2013年10月14日 | 絵本(日本)
ぼくの村にジェムレがおりた  

     ぼくの村にジェムレがおりた/小林 豊/理論社/2010年初版

 日本から西へ1万キロ、アナトリア高原にすむ少年オルタンは、朝から村ではもう飼っている人も少なくなった羊の世話。
 オルタンのお兄さんは都会へ働きにいっており、きのうまで学校でいっしょだった友だちも引っ越し。

 春になっても村にはまだ一滴の雨も降らない。この村で何十年ぶりかで雨乞いが行われることに。さむい冬のあいだ、ねてばかりいたおじいちゃんは「さあ、ひさしぶりの仕事だぞ」と馬に語りかけ、村の人たちと石の柱が10本たっている山の草原へ。

 石の柱の前に箱を置いて、ごちそうをならべ、火をたくと、ほのおが上がり、煙がまっすぐ天にのぼっていきます。
 村の人びとが祈り、おどると、山からつめたい風がふいてきて、空の一点に黒い雲があらわれ、雨が降り始めます。草や木も畑も山もうれしくふるえ、オルタンはみどりを増した草原に羊をつれていきます。

 この絵本の背景には、もともと遊牧民だったユルックの人びとが、トルコの定住化政策の中で農耕を中心に生活をはじめたことがあります。
 定住化した人たちの血に流れる遊牧民としての誇りと自然のへの畏敬の念は、今も生きているという。

 冒頭に「ジェムレがおりた」「ジェムレは春のしるしのようなものじゃ」とおじいちゃんにいわれたオルタンは、ジェムレってなんだろう?ジェムレは、どこにおりたのか?と思う。

 雨乞いで雨がふるとは信じていなかったオルタンに、都会からかえったお兄さんは「おじいちゃんは自然と話ができるんだ」と話してくれます。
 
 アナトリア高原は東洋と西洋をつなぐ渡り廊下のようなところで、東と西の宗教や言語、習慣が混じりあい、反発しあいながら独特の文明を築いてきたという解説があります。    


ジャックと豆のつる(私家版)

2013年10月13日 | 私家版
昔話を語る場合、どんなテキストを選ぶか苦労するところ。最近は「語る」ことに重点をおいた本も多く出ていて参考になるが、外国の昔話を訳したものは、有名?なものでは、数多くの訳があり、どれをつかうか迷う。
 ところで、「ジャックと豆のつる」を覚えてみたいと考えていたが、ピンとくるテキストがなかった。木下順二(岩波書店)訳を読んで昔話風方言のつかいかたやリズム感に魅力を感じていたが、話すとなるとなかなかむずかしい。そこで石井桃子(福音館書店)訳を参考にして個人的な「ジャックと豆のつる」にしてみた。
 パソコンに自分で入力すると、これまで気がつかなかった微妙な言葉づかいや文の区切りがどれほど考えられているのかに、あらためてきずかされたのは、今回の副産物である。

 ところで実際にシュミレーションしてみると思った以上に時間がかかった(20分)。そこで今回こまかく修正してみた。(2014.1.8)

<ジャックと豆のつる>  

 むかし、あるところにジャックという男の子が、おっかさんと二人で暮らしていました。
 この親子の暮らしといったら、め牛がだしてくれる牛乳だけがたよりで、それを市場で売ってほそぼそと暮らしていました。
 ところがある朝、め牛が牛乳をだしてくれなかったもんで、さあ、親子はどうしたらいいかわからなくなりました。
 「どうしたもんだ、どうしたもんだ」とおっかさんは両手をにぎりしめながらいいました。
 「元気だしなよ、おっかさん。おいらどこかで仕事をみつけてくるからよ」と、ジャックがいいました。
 「そんなこた、前にもやったよ。けど誰もおまえなんかをやとってくれなかったじゃないか。こりゃめ牛を売るしか仕方ねえな。その金で店なんかはじめるさ。」
 「よしきた。今日は市の立つ日だ。おいらすぐめ牛をうってくるで。それからどうするか考えようや」
 そこでジャックは、め牛をひいて市場にでかけました。
 しばらくいくと、へんな見かけのじいさんに声をかけられました。
 「おはよう、ジャックくん どこへいくね」
 「おはよう、ウシを売りに市場へ」とジャックは答えてから、あれ、なんでこの人おいらの名前を知っとるんだろうと思いました。
 「なるほど」とじいさんはしゃべりながら、ポケットから妙な見かけの豆をとりだしながら言いました。
 「どうだね、この豆とそのウシをとりかえねえか?」
 「よしなよ、うまいことをいってら」とジャックがいうのへ、じいさんは「ははあん、あんたはこれがどういう豆だか知らんのだな。こいつを埋めて一晩おいておくと、翌朝にはちゃんと天までのびとるぞ」
 「ほうとうかね? まさか」
 「いんや、そうなんだよ。もしうそだったら、ウシをかえしてやるよ」
 そこでジャックはウシと豆をとりかえて、うちにもどりました。
 そこでうちにもどりましたが、そう遠くまでいったのでもなかったから、ドアのところに帰りついても、まだ日暮れというわけでもありませんでした。
 「もう帰ったんかい?ジャック」と、おっかさんが言いました。
 「め牛がいないとこをみると、売れたんだね。いくらになったね?」
 「おっかさんにあたるもんか」と、ジャックは言いました。
 「そんなこというもんじゃないよ。5ポンドかい? それとも十ポンド? 十五ポンド? まさか二十ポンドじゃ」
 「あたりっこないといったろ? 売るかわりに、おいら魔法の豆と、とっかえてきた。これを埋めてひと晩おくと・・・」
 「なんだと!」おっかさんがどなりました。
 「肉にしたって最上等のあのウシを、そのくだらない豆つぶととっかえてきたたァ。こんちくしょう!こんちくしょう!こんちくしょう! 何が大事な豆つぶだよ。窓からほうりなげちまえ! さあ、さっさと寝ちまうんだ。今夜ばかりァ、ひと口だってなんにも飲ましちゃやんねえし、ひとっかけだって食わせるもんか」
 そこでジャックはすっかりしょげて豆を庭にほうりだすと、すきっ腹をかかえたまま、屋根裏の部屋で寝てしまいました。

 次の朝、ジャックが目を覚ましてみると、部屋のようすが奇妙です。
 ところどころ日がさしこんでくるのに、あとは大変暗くて陰になっています。そこでジャックは窓のところにいってみました。庭には豆のつるが生えていて、それがまた、のびたものびたも空へ届くまで伸びていました。
 あのおじいさんのいったことは本当でした。
 豆のつるは、ジャックの部屋の窓のすぐ近くをのびていましたので、手をのばせばすぐ豆のつるにとどきました。そこでジャックはおおきなはしごみたいにかかっているその豆のつるへとびついて、よじ登ってよじ登ってよじ登って、よじ登ってよじ登ってよじ登って、またよじ登って、とうとう空に行きついてしまいました。さてそこまできてみると、長い広い道が投げ槍みたいに一直線に突き抜けていました。そこを歩いて歩いて歩き続けていくと、最後にすごくでっかくて背の高い家に行きつきましたが、その入り口のところには、すごくでっかくて背の高い女の人がたっていました。
 「お早ようございます。おばさん」とジャックはうんとていねいな調子で言いました。
 「あのう、朝ごはんを食べさせてもらえんでしょうか?」何しろジャックは、ゆうべから何も食べていませんでしたから、お腹がぺこぺこでした。
 「朝ごはんがほしいだなんていっていると・・」と、そのすごくでっかくて背の高い女の人はいいました。「お前さんが朝ごはんになってしまうよ。わたしのだんなは人食い鬼だからさ。男の子をあぶってパンにのせたのが一番の好物なんだよ。どっかに行っちまわないとすぐやってくるよ」
 「なあおばさん、何か食べるものをおくれよおばさん。きのうの朝からなんにも食べてないんだよ。ほんとにほんとだよおばさん」とジャックはいいました。「死にそうにおなかがすいちまってるだよ、あぶられちまったほうがいいくらいだ」
 さて、人食い鬼のおかみさんは悪い人ではありませんでした。
 ジャックを台所につれていってくれて、パンとチーズのかたまりと、一杯のミルクをくれました。けれども、まだジャックが、このごちそうを、半分も食べ終わらないうちのことです。どしん!どしん!どしん!と、だれかがやってくる足音がして家じゅうがゆれだしました。
 「あれま、たいへんだ!わたしのだんなだよ!」と鬼のおかみさんがいいました。「早くこっちへきて、このなかへ飛び込みな」
 そして、おかみさんがジャックをかまどの中へおしこんだところへ、人食い鬼がはいってきました。なるほど、こいつはでっかいやつでした。腰のベルトには子牛を三匹、足でくくったのがぶらさげてありました。鬼はそれをほどくとテーブルの上に放り投げていいました。「こいつで朝ごはんをつくってくれ。やあ!なんだ?このにおいは。
  ふうん、へえん、ほおん、はあん
  人間の血の匂いがするぞ
  生きとろうと死んどろうと
  そいつの骨でパン粉をこねてやる
 「ばかなことをいいでないよ」とおかみさんがいいました。「あんた夢でも見てるんでないの? でなければ、ゆうべの晩御飯においしがって食べたあの小さな子どもの残りがにおってるんだよ。さあ、手を洗って身なりをなおしといで、それまでに朝ごはんをつくっておくからさ」
 そこで、人食い鬼は、いってしまいました。
 ジャックが、かまどからとび出して逃げようとすると、おかみさんが、「うちの人がねむるまで、おまち。朝ごはんがすむと、いつも、ちょっと、一休みするんだからさ」といって、とめました。
 さて、人食い鬼は、朝ご飯がおわると、大きな箱のところに行って、金貨の入っている袋を2つとりだしました。それからどっかりすわりこんで、あとからあとから金貨をかぞえているうち、頭をコックリ、コックリさせはじめ、やがて、いびきをかきはじめたので、家じゅうがガタガタゆれました。
 そこでジャックはソーっとかまどからはいだしました。それから鬼のそばを通るとき、金貨の袋を一つ、こわきにかかえこむと、豆のつるのところまで、わき目もふらずにとんでいきました。そして、豆のつるをすべりおりすべりおりして、とうとう家に帰り着き、おっかさんに金貨を見せながらこういいました。
 「どうだいおっかさん、この豆、おいらのいったとおりだろ?やっぱり魔法の豆だったんだよ」
 そこで、親子は、しばらくのあいだ、金貨をつかってくらしていましたが、とうとうそれもおしまいになったので、ジャックは、もう一ぺん豆のつるのてっぺんまで登って行って、運をためしてみようと決心しました。

 そこである晴れた朝、ジャックは早く起きると豆のつるにとっついて、よじ登ってよじ登ってよじ登って、とうとうまたあの道のところに出て、それから前に行ったあのすごくでっかくて背の高い家に行きつきました。そこには、またあのすごくでっかくて背の高い女の人が入口のところに立っていました。
 「おはようございます。おばさん」とジャックはずうずうしくも声をかけました。
 「あのう、何か食べるものをもらえんでしょうか?」
 「こんなところに立ってるんでないよ」と、でっかくて背の高い女の人はいいました。「でないとうちのだんなが、お前を朝ごはんにたべちまうによ。だけど おまえいつかきたことのあるあの子だな? あの日に、うちのだんなが金袋を一つなくしちまったんだけど、おまえ知らないかい?」
 「そいつはおかしいね。おばさん」とジャックはいいました。「でもそのことで何かおしえてあげること、あるかもしれんけど、何か食べんことには、おなかが空きすぎててものがいえないや」
 するとでっかくて背の高い女の人はすごくそのことが聞きたくなって、ジャックを家につれていって食べさせてくれました。
 ところが、ジャックがなるべくゆっくりと口をもぐもぐやりかけておるところへ、どしん!どしん!どしん!と、あの大きな奴の足音がひびいてきたので、おかみさんはジャックをかまどの中にかくしました。
 全部がこの前のとおりでした。この前のとおりに人食い鬼がはいってきて「ふうん、へえん、ほおん、はあん」といって、朝ご飯に、あぶったお牛を三匹たいらげてしまいました。
 それからおかみさんに「金のたまごをうむメンドリをもってこい」といいました。
 そこでおかみさんがメンドリをもってくると、鬼は「たまごをうめ!」といいました。するとメンドリはコロリと、まじりけのない金のたまごをうみました。そのあとで、鬼はコックリコックリやりはじめ、やがていびきをかきはじめたので家じゅうがガタガタゆれました。
 そこで、ジャックはソッーと、かまどからはいだすと、金のたまごをうむメンドリをひっつかみ、目にもとまらぬはやさで、どんどん逃げだしました。けれども、こんどはメンドリが「コケッコ、コケッコ」と鳴いたので、鬼は目をさまし、ちょうどジャックが家をとび出したとき、「わしのメンドリをどうしたんじゃ?」と鬼がいってる声がしました。するとおかみさんが「なぜ、そんなこと聞くんだよ、おまえさん?」といいました。
 ジャックは、ここまで聞いただけで、あとは夢中。豆のつるところまでとんでいき、まるでおしりに火がついたように、すべりおりました。
 それから、家につくと、おっかさんにその不思議なメンドリをみせて、「たまごをうめ!」といいました。するとジャックが「たまごをうめ!」というたびに、メンドリは、金のたまごを一つずつうみました。

 さてジャックは、これでも満足できませんでした。そこで、まもなく、またもう一度、運をためしてみようと決心しました。
 そこである晴れた朝、ジャックは早く起きると、豆のつるにとっついて、よじ登ってよじ登ってよじ登って、てっぺんまでいきつきました。ところが行ってみると、きょうはあのすごくでっかくて背の高い女の人はいませんでした。そこでジャックは台所にしのびこんで、大鍋のなかにかくれました。
 するとじきに、まえと同じに、どしん!どしん!どしん!という音がして、人食い鬼とおくさんがはいってきました。
 「ふうん、へえん、ほおん、はあん、人間のにおいがするぞ」」と鬼はどなりました。「においがするぞ、かみさん、においがするぞ」
 「ほんとかね?」とおかみさんはいいました。「だとすると、あの金袋と金のたまごをうむメンドリを盗んだチビすけが、きっとかまどのなかにはいっとるんだよ」。
 そこで夫婦は、かまどにかけよりました。けれども、運よくジャックはそこにはいませんでした。
 そこで鬼のおかみさんは「あんたのふうん、へえん、ほおん、はあんもあてにならないね。あんたがゆうべつかまえてきて、けさのごはんにわたしがあぶってやった子どものにおいにきまっとるよ。わたしも忘れっぽいけど、あんたもこれだけ年をとってるのに、生きとるもんと死んだもんの区別がつかないのは、ずいぶん間のぬけた話だね」
 そこで人食い鬼はテーブルにすわって、朝ご飯を食べ始めました。けれどもときどき口の中で、こうつぶやいていました。「いいや、まちがいなしに・・・」、そうして立ち上がっては、食糧部屋やら食器戸棚やらあちこちを探しまわりましたが、大鍋のことだけは考えつきませんでした。
 朝ご飯がおわると、人食い鬼は大きな声で「わしの金のたてごとをもってこい。」といいました。
そこで、おかみさんがたてごとをもってきてテーブルの上におきました。そして鬼が「歌え!」というと、たてごとはじつに美しい音で歌いだしました。 すると人食い鬼は、いいきもちでコックリコックリ寝てしまいました。
 そこでジャックは大鍋のふたをソッーともちあげて、よつんばいでテーブルのところまで行くと、はいのぼるようにしてたてごとをつかみ、ドアのほうへ走りはじめました。ところが、たてごとが大きな音で「だんな!だんな!」とさけびだしたので、人食い鬼は目をさまし、ちょうどジャックがたてごとを持って逃げていくところを見てしまいました。
 ジャックは夢中でにげだしました。人食い鬼も風を切っておいかけてきました。しかし、ジャックは、だいぶさきにかけだしていましたし、自分のゆきさきもわかっていましたから、とうとう、つかまらずに、豆のつるのところまできました。そのとき鬼はジャックから20メートルとは離れていませんでした。そのうち、きゅうにジャックが消えたように見えなくなったので、鬼が道のはしまでいってみると、ジャックは命からがら豆のつるをおりていくところです。けれども鬼は、そんなあぶないはしごをおりていかれないで、立ちどまってみているうち、またまたおくれてしまいました。
 ところがちょうどそのとき、また、たてごとがさけびました。
 「だんな!だんな!」
 鬼が身をひるがえして豆のつるにとっついたので、その重みで豆のつるはユッサユッサゆれました。ジャックはどんどん、すべりおり、鬼もそのあとをおいかけました。それでもジャックはどんどんすべりおり、家のちかくまで来ると、大きな声でさけびました。
 「おっかさん!おっかさん! オノをくれ、オノをくれ!」
 おっかさんはオノを手にしてとび出してきましたが、雲のすきまから人食い鬼の足がみえたので、こわくなって一歩も動けなくなってしまいました。
 けれども、ジャックは地面にとびおりるなり、オノをひっつかみ、豆のつるにたたきつけたので、つるは半分ぐらいまで切れました。豆のつるがユラユラゆれると、鬼は何事が起ったのかと思って、途中でとまって下をながめました。そのときジャックがもういちどオノをたたきつけたので、豆のつるはぷっつり切れて、人食い鬼はどしん!と真っ逆さまに墜落して死んでしまいました。

 それからジャックはおっかさんに金のたてごとを見せました。そして、そのたてごとを人に見せたり、金のたまごを売ったりして、大変な金持ちになりました。
 
 やがて、ジャックは、えらいおひめさまをおよめにもらって、それからのちは、しあわせにくらしましたとさ。