ちいさなりょうしタギカーク/作:V.グロツェル G.スネギリョフ 絵:高頭祥八 訳:松谷 さやか/福音館書店/1993年こどものとも発行
アジアエスキモーの昔話とありました。
タギカークは、父親が仲間の五人と海でなくなった直後に生まれ、母親との二人暮らし。暮らしは厳しく食べるものは昆布だけでした。
ところが、ある日一人で昆布をとりにいったとき誤って海に落ちてしまいます。そこであったのは死んだお父さんでした。
父親の助けもあってタギカークはたくましい男の子に育ちます。(幻想でなく、じっさいに食料を与えてくれるあたりがややわかりにくいかもしれません)
やがて海に出かけようとしますが、漁師は船に乗せてくれというタギカークを馬鹿にしてのせてくれません。三そう目の船はボロ船でのっているのはおじいさん。おじいさんは、運が向くようにとタギカークを船にのせてくれます。
のろのろ進む船でしたが、タギカークとおじいさんは、くじらをとらえることができます。
他の漁師は空手でかえってきて、タギカークのくじらをみて、ころりと態度をかえ、一緒に漁に出ようとさそいますが、タギカークはおじいさんと漁に出ることを選択します。
各ページ文のあとに記号のようなものがあるのですが、エスキモー関係の記号でしょうか。
表紙もそうですが、きりりとしたタギカークの目が強い意志の力を感じさせてくれます。
昆虫の体重測定/たくさんのふしぎ 2016年4月号/福音館書店
昆虫の体重測定とあって思わず手に取ってみました。
たしかに昆虫図鑑をひらいても体重はかいてありません。
作者は1200種類、3700個体をはかっているというのですが、のっているのはごくわずか。
テントウムシは一円玉の20分の一、切手一枚と同じ重さです。
カブトムシの幼虫の重さは30グラムですが、さなぎの重さは20グラムと成長するにつれて体重が軽くなるといいます。
とじ込みに天秤を描いた絵があって、昆虫の体重のバランスがわかりやすくなっています。
そして、アリが、20倍もの体重の差をものともせず、アオムシを運んでいます。こんな視点から昆虫を考えてみるのも楽しそうです。
ただ、測定には息をするだけでも影響するようですから大変そうです。
新装世界の民話11 地中海/小澤俊夫・編/ぎょうせい/1999年新装版
金持ちの商人の長男が、船でついた町。おふれがあって、宮殿にいる王女を一週間以内に見つけた者には妻とするというので、長男が挑戦するが失敗して打ち首に。
次男も同じような運命をたどります。
末息子もどうように、王女探しに挑戦しますが、その前にであったのが、ひとりのおばあさん。お金の入った財布ごとおばあさんにあげると、おばあさんがうまい方法を教えてくれます。
黄金のライオンを金細工師につくってもらいなさいといいます。ライオンの体の中はくりぬいて、水晶の目をつけてもらい、きれいな音楽を演奏するライオンです。
おばあさんが、末息子をライオンの中に入れ、王さまの前に運ぶと、音楽が気にいった王さまは、それを買い取ろうとしますが、おばあさんはうんといいません。しかし、一日だけなら城におくことを承知します。
王さまは、床を召使に開けさせ秘密の階段からライオンをおろします。七つのドアを通ってたどり着いたのは大きな広間。そこには王女が11人の遊び仲間と同じ着物をきていました。
ライオンのなかから一部始終をながめていた末息子ですが、どれが王女かわかりません。しかし・・・・。
このタイプでよくあるのが、末息子が旅の途中で動物を助け、その動物にたすけられるというもの。
ギリシア神話に登場するトロイアの木馬を思わせる展開ですが、この神話の影響がありそうです。
シチリアはイスラム教徒による支配の時期もあったという。
メリー・ゴウ・ラウンド/魔法使いのチョコレートケーキ/マーガレット・マーヒーお話集 石井桃子・訳/福音館文庫/2004年
サーカス団つきの、メリー・ゴウ・ラウンドの持ち主は、トーニーとバーニーというふたりの男。
二人はやり手の商売人でなく、子どもが喜んでいると、一回分は無料で乗せていました。
売り上げの半分は、団長にわたさなければならないのですが、無料で乗せているので、売り上げはあがりません。 業をにやした団長は、新しいメリー・ゴウ・ラウンドをよびます。トーニーとバーニーのメリー・ゴウ・ラウンドより新しいものでした。
いくところがなくなった二人の前に、森から出てきた男の子。二人が以前無料でのせてあげた子でした。森からでてきて森に消えていった子でした。
男の案内で森のなかに入っていた二人は、夜にメリー・ゴウ・ラウンドの小屋を建て、メリー・ゴウ・ラウンドをまわしはじめます。
おぼろな姿が列をつくり、だまってメリー・ゴウ・ラウンドにのる森の人たち。
昼は眠り、夜には、影のような森の住人のためにメリー・ゴウ・ラウンドを動かす二人には、あの男の子がいつも食べ物をもってきてくれ、ひもじい思いをすることはありませんでした。
ある日、男の子はメリー・ゴウ・ラウンド大競技会開催というポスターを見つけて、二人に見せます。
競技議会の審査員は子どもたち。
ここで優勝した二人は賞金で金持ちになり、また旅まわりをはじめます。半年はただで、半年は世界中の森で夜、森の人たちを乗せてやります。
「二人が町にやってきたとき、ただにっこりするとか、「ありがとう」というとか、笑うとか、キスをするとかすれば、それでいいのです。」という最後には夢があります。
語るとなると、30分はこえそうですが、忘れかけた夢と思いやりのあふれた素敵なお話になりそうです。
神の道化師/作・絵:トミー・デ・パオラ 訳:ゆあさ ふみえ/ほるぷ出版/1980年
舞台はイタリアですが、フランスの民話がもとになっているといいます。
ジョバンニ少年は、一文無しでみなし子。しかし得意技をもっていました、
なんでも空中に投げ上げてお手玉のようにまわすことができたのです。
あるとき、旅芸人の一行にくわわり、道化の化粧をして、上手になんでも手玉にとれる少年として、広く知れわたります。
ジョバンニのいくところ、ぼうや皿、こん棒、輪やたいまつが とびかいさまざまな色の玉がつくりだす虹や”空にかがやくお日さま”が人の目をうばうのでした。
ある日、ジョバンニがお昼ご飯をたべているとき、二人の修道士からたべものをこわれ、一緒に食べながら「聖フランシスさまは、あらゆるものは、神さまの栄光を ほめたたえていると おっしゃっています。あなたの芸だって、そうなのですよ」といわれ、ジョバンニは「わたしは、ただ、お客さん方に笑って 拍手していただくためにやってるだけさ」とこたえます。
しかし、ジョバンニも年をとり、やがてつらい日々がやってきます。自分の得意な芸も失敗するようになり、人々からは嘲笑されるようになります。
やがて、芸をあきらめたジョバンニは、パンをめぐんでもらう生活にもどり、故郷に帰ります。
故郷にたどりついたとき、そこでは聖フランシスコ教会のクリスマスのミサがおこなわれていました。
人が去ってがらんとした教会で人生の最後にマリアと悲しそうにみえる幼子キリストの像の前で心を込めて芸を捧げるジョバンニでしたが・・・。
みなし子のジョバンニが、人気者になって、人々を喜ばせ、拍手喝采の日々から一転して、食べものにも事欠くようになって、最後は神のまえで、芸をはじめます。
人は、なにが幸せなのでしょう。宗教色が強いのですが、人の一生をじっくり考えさせてくれます。
クリスマスの日に読みたい絵本です。
かみながひめ/作:有吉 佐和子 絵:秋野 不矩/ポプラ社/1970年
「かみながひめ」というので、グリムの「ラプンツェル」をイメージしていたら大分違っていました。
文が有吉佐和子さんでびっくりしましたが、あとで調べてみたら、講談社から1960年発行”おむすびころりん”というのがありました。ちなみに絵は川上四郎さんです。
紀の国の日高に一人の美しい女の子が生まれますが、どういうわけか髪の毛がはえません。
神さま、仏さまにおいのりしても、いつまでたっても子どもの頭は、くりくりぼうずのまま。
そのころ、海が荒れ、いく日も魚が採れない日が続いていました。夜になると沖に光ものがでます。漁師は無理をして魚をとりにでかけますが、でかけるとたちまち、船がひっくりかえってしまいます。
光もののせいかと、漁師が相談していると、「わたしが とりにいきましょう」と、一人の女がいいます。それは、くりくりぼうずの女の子の母親でした。
子どもに髪が生えないのは、自分のせいと、自分の身を犠牲にしてでも、神さまの許しを請おうとしたのでした。
母親の必死の思いで、光ものはみえなくなり。漁師は再び漁にでかけけられるようになりますが、母親は死んでしまいます。
光ものは金の観音様だったのですが、里の人びとが母親を丁寧にほうむって、お墓の上に観音様をおまつりすると、そのときから女の子の頭に髪がはえはじめ、観音様をおがむたびに、髪はどんどん長くなります。
女の子は髪の毛が抜けても大事にして捨てるようなことはしません。桜の花の咲く枝にそっとかけておくと、つばめが、髪の毛をくわえて、都の方に飛んでいきます。
つばめが巣をかけたのは、藤原不比等の屋敷。不比等が屋敷をでようとすると、ひとすじの絹糸のようなものが、さがっているのをみつけます。不比等は「これほど ながい かみの もちぬしなら、きっと うつくしい ひめに ちがいない。」と、同じ長さの髪をもつ姫を捜しに行かせます。
かみながひめは、やがて都にのぼり・・・・。
昔話風でかつ歴史小説風です。
かみながひめは、不比等と結婚するのではなく政略結婚?に利用されるあたりも興味深くなっています。
和歌山県の道成寺に残る資料がもとになっているといいます。
3つのことば/絵:イヴァン・チャマーヤフ 訳:八木田 宜子/西村書店/1990年
スイスの伯爵の一人息子。おろかもので何もおぼえられません。心配した父親は有名な教授のところへおくりますが、一年たって息子がおぼえてきたのは「犬のことば」。
次の一年は「鳥のことば」。
三年目は、「カエルのことば」。
父親は役に立ちそうもないことをおぼえてきた息子を殺すよう召使にいいつけます。しかし召使は息子を助けます。
息子はある城で一夜の宿をこいますが、そこは獰猛な犬がいて、毎日一定の時間になると男をひとりほうりこまなければならない恐ろしいところ。
しかし、犬のことばがわかる若者は災難をのがれ、さらには法王が亡くなったばかりのローマについて・・・。
貼り絵手法の絵本。独特の味わいのある絵が特徴的です。絵本にしては小型で、一人で読むのを前提としてつくられているようです。
動物の言葉を理解できるというのは、そのあとに素敵な結末がまっているのが昔話です。
うまくいきすぎている感もあります。
おによりつよいおれまーい/土方 久功・再話絵/福音館書店/1975年こどもとも発行
南太平洋のミクロネシア、サトワヌ島の再話です。
本文はすべてひらがななのですが、”おれまーい”は、男の名前、子どもの肉が大好きという”やにゅう”は、日本風に言うと鬼でしょうか。
といっても日本の鬼のイメージとは大分異なります。
オレマーイは、生まれてすぐに大きくなった強い子。ところがちょっとしたことで、家をひっくりかえしてしまいます。
乱暴もので、このままにしておくと何をしでかすかわからないと、島の人は、あの手、この手で殺そうとします。
森に連れていって木を伐り倒して、オレマーイに倒れるようにしますが、オレマーイは、片手で木を支えると、船小屋にもっていき、船だとおいていきます。
次は、網の中に入れて、海の底に沈めますが、しばらくするとオレマーイは網に魚をいっぱいいれて海からあがってきます。
三度目は、ヤニュウという鬼がいるビーク島においてきます。
ここでもオレマーイは、ヤニュウを投げ飛ばし、こんな強い子がいては、大変とばかり、船を提供されます。
オレマーイは、最後には島の酋長に。
乱暴だからといって、子どもを殺そうとする島の人にびっくりしていると、ここではオレマーイの強さを表すためのものです。安心して読めるのが昔話です。やや物足りないのは両親の存在感がまったくないことです。
オレマーイや島の男たちの褌姿がさまになっています。
セルコ/作:内田 莉莎子 絵:ワレンチン・ゴルディチューク/福音館書店/2001年
絵には好き嫌いがでそうですが、ソ連時代に政府の依頼により外国元首の肖像画などを描く仕事をしてきた方が描いていて、細密画風で、人物が特徴的です。
年とって、お百姓の家をおいだされた犬が、おおかみから知恵をつけられて一芝居うちます。
麦の刈り入れにいそがしいお百姓が、あかんぼうを寝かせて作業をしていると、おおかみがあかんぼうをさらっていきます。おおかみをおいかけて、赤ん坊をとりもどしたのは犬でした。
お百姓夫婦は、涙を流して喜び、それからは犬を大事にします。
おおかみの知恵ですくわれた犬は、れいをしようとします。
お百姓の娘の結婚式におおかみをよび、ごちそうのならんでいるテーブルの下にかくし、ごちそうを持ち込みます。
おおかみはたらふく食べて、おさけまで飲んですっかり、いい気持ち。そして大声で歌いだします。
びっくりしたのは結婚式によばれたお客たち。あわてて逃げ回ります。
ここでも犬は、おおかみを家の外に追い出し・・・。
おおかみと犬のセルコの奇妙な友情? おおかみを追い出したと思わせる策略はセルコの知恵でしょうか。
うまくいきそうもない二匹の取り合わせが楽しい話です。
たこあげ大会/魔法使いのチョコレートケーキ/マーガレット・マーヒーお話集 石井桃子・訳/福音館文庫/2004年
外国のかたがたこあげを取り上げても、ちっとも不思議ではないのですが、なぜかほっとします。
ジョーンは手先が不器用で、たこをつくることができません。そんなことをしてくれる父親も兄もいません。
みんなが集まる丘の上に急いでいるとき、他の子はきがつきませんでしたが、ジョ-ンは一人のおばあさんをみます。おばあさんはパイプをすって、わきには、麦わらでつくったかごがおいてありました。そのかごには「宝さがし。夢と願い」とかいてありました。
このかごに銀貨をひとつ出すと、夢とお願いがでてくるといわれ、ジョーンは、母親からもらった銀貨で、かごのなかからとても小さい銀紙で包んだ包みを手に入れます。
たこあげ大会の会場で、この包みをあけると、でてきたのはたこでした。
たこは、どんどん空にあがり、しまいにはジョーンまで、もちあげます。
空からは、丘のみどりと丘の向こうの海が見えました。
「空飛んで、どんな気持ちした?」とみんなから聞かれても、どう話していいかわからないジョーン。
おばあさんは魔法使いだったのでしょう。
素敵な魔女の贈り物でした。
魔女は誰にでも見えるわけではありません。必要な人だけに見えるのです。
兵六ものがたり/作:西郷 竹彦 絵:箕田源二郎/ポプラ社/1970年
きつねに騙されるという噂をきいて、きつね退治に出かけた者が、やはり騙されるという話も数多い。
大鬼、首がするすると天井まで伸びるのっぺらぼう、くらやみこぼうず、うっとりすような娘など、あらゆる手でおどし、ばかそうとするきつね。
だまされまいとする兵六でしたが、髪の毛がいつのまにか、すっかりそられ、つるつるてんあおぼうず。
祭文語りの口調を試みたというのですが、祭文語りは、山伏などがほら貝や錫杖などを鳴らして祭文を語り,かどづけして歩いたもので、江戸初期には三味線を伴奏に流行歌謡や浄瑠璃を取り入れた人情物で、浪曲の源流ともいわれているようです。
結びに祭文語りの調子が現れているようです。
おにかとみれば きつねなり、
きつねと おもえば きのこなり、
人か きつねか、きつねか 人か
・・大石兵六ゆめものがたり。
はじまりもユニーク。
はなせば ながい ことながら、
さつまの くには かごしまの、
「大石兵六ゆめものがたり」。
じさま ばさまの まめかむように、
ぽつり ぽつりと、かたると しよう。
鹿児島では有名な話のようで、検索してみるといろいろでてきます。
せかいいちのはなし/北 彰介・作 山口晴温・絵/金の星社/1974年
津軽の八甲田山のてっぺんにいたでっけえオオワシが「せかいで、おらほど でっけえものは いねえべな。ひとつ、せかいめぐりさ でかけて いって、みんなさ いばって やるべがな」と、バホラ バホラ バホラ バホラ」と東の海へ。
世界一大きいと思っていたオオワシが驚いたのはガサエビ。オオワシが一日力いっぱい跳び続けても、エビの右の髭から左の髭までしか飛べません。
このガサエビも大ウミガメの大きさにはかないません。
そしてこの大ウミガメもくじらにはかないません。
表表紙と裏表紙いっぱいの迫力あるオオワシが、じつはとっても小さな存在であったという落差が対照的です。
昔話の”ほら話”は、単純に楽しめるものが多いのですが、人ではなく、動物がでてくるのが新鮮でした。
方言は気にならず、擬音語が効果的です。
大きさはクジラ、カメ、エビ、オオワシの順ですが、絵はオオワシが一番の迫力です。
おれがおれがの世界。とってもちっぽけな存在であることに気がつかされます。
魔法使いのチョコレートケーキ/マーガレット・マーヒーお話集 石井桃子・訳/福音館文庫/2004年
魔法使いのチョコレートケーキ、はてな?と思いましたが、ペットも友達もいない魔法使いが、町中の子どもたちをお茶とチョコレートケーキのお茶会に招待します。
孤独だった魔法使いが子どもたちと仲良くなろうと計画したものでしたが、きみわるいものかえられるだろうと、だれもやってきません。
ある日のこと、魔法使いは一本の苗木を見つけます。リンゴの木でした。はじめは水をやったり肥料をやるつもりがありませんでしたが、木がしおれているのを見て、水やりをします。
それから腐葉土と混合肥料、窒素ひとつまみをつかったケーキをつくり、ケーキには石灰の粉をいれ、肥料をやるようになります。
やがて魔法使いは、りんごの木のそばで、一緒にお茶をのむようになります。
そして、リンゴだけだとさびしいだろうと、他の木もうえはじめます。
木々は時がたちにつれてどんどん大きくなり、やがて森になります。
そこになんと子どもたちがやってきます。
魔法使いは、子どもの名前をよくおぼえていて、ピリーボレジ、ソレル・シリクとよびかけます。
ところがこどもの答えは、「ビリー・ボレジは、ぼくのおじいさんですよ。だけど、ぼくもビリーっていうんです」「ソレル・シリクはあたしの大叔母さんよ」。
何十年間の時間の経過を、さらりと表現していて、木を育てることに夢中になっていた魔法使いは、孤独を感じるひまもなかったのでしょう。
子どもたちは、町の博物館で、「危険物」というしるしの古い招待状を見てやってきたのですが、森をつくるなんていい魔法つかいでなくちゃするはずもないといいます。
そして、その日、大きいチョコレートケーキでの何十年後かの素敵な茶会がひらかれます。
魔法使いが出てきますが、魔法は一回もつかわれることはありません。けれど木々の笑いや泣くときの声がわかるのは、やはり魔法でしょうか。
タイミングがいいというか、最近、この話を聞く機会がありました。おはなし会でも取り上げられています。
作者はニュージーランドの作家です。
かわいい めんどり/イギリスとタジクの民話から/木島 始・作 羽根 節子・絵/福音館書店/こどものとも 1967年
おそうじ、せんたく、ぬいもの、あみものが大好きなかわいいめんどりは、ひとり暮らし。
ある日、買い物にいくめんどりに目をつけたきつねが、今夜は鶏肉のごちそうとばかり、めんどりめがけてとびかかっていくと、めんどりは木の上に。
きつねは動物どうしは仲良しになることになり、だれもいじめたり、たべられたりなんかなくなると言葉巧みに、木の上からおりてくるよういいますが、めんどりは、猟師の犬がやってくるといってきつねをだまし難を逃れます。
次の日も同じようにきつねにおそわれためんどりは、また木の上に逃げますが、こんどは木の下でぐるぐる駆け回るきつねに目をまわし、木から落ちて捕まってしまいます。
けれども、袋に入れられためんどりは、いつももっているはさみと針と糸を取りだすと・・・。
めんどりは、とってもキュート。
きつねは、塩味、コショウ味で料理の腕前をみせようとするのですが。
山奥の貧しいお寺にいた猫が、和尚様に恩返しする話。
和尚様が可愛がっていた猫でしたが、食わせることもできず、好きなところにでていくように話すると、猫は、近く長者の娘の葬式があって、困ることが起きるから。お経を読むように言い残します。
猫がいったように、長者の娘が亡くなると、棺桶が空に上がって、降りてきません。
偉いお坊さまたちが、ありがたいお経をあげますが、棺桶はおりてきません。
山奥の坊さまは役に立たないでしょうと、まわりの者はいいましたが、長者は、とにかく呼んでこいと、坊さまにお経をあげてもらうと、棺桶は少しづつ少しづつおりてきて、棺桶を無事、お墓にいれることができます。
この話にもいろいろあって、棺桶を空中に釣り上げるのが、猫だったり、風だったりします。
また空中に浮くのではなく、雨で娘の葬式ができなくなって、和尚のお経で、雨がやんで、無事葬式がができるものも。
猫が自分でお寺をでていくものと、和尚様にいわれてでていくものもある。
調べてみるともっと違いがでてきそうです。
この話で、藤田浩子さんの「ねこ檀家」のお経の受け売り・・・。
お坊さんがとなえるのは
「なむからたんの とらにゃあにゃああ~」
このもとは大悲円満無疑神呪というお経のなかの厄除けのことば
「南無喝羅旦那多羅夜耶(なむからたんのとらやあやあ)」
というありがたいお経といいます。
とら猫とおしょうさ/おざわとしお・再話 かないだえつこ・絵/くもん出版/2010年
青森県八戸市の「猫檀家」の再話ですが、猫がいつも夜中にでかけていくので、不思議におもった和尚が、猫のあとをついていくと、壊れかけた古寺で猫たちが、酒盛り真っ最中。これをみられた猫が寺を去っていきます。
なによりもいいのは、葬式の風景です。このあたりは語りでは表現がむずかしいところです。
猫の酒盛りもにぎやかで、和尚さんもいい味です。最後、桜?のなかを猫がとんでいるのですが、どこへいったのでしょうか。