どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

おおとしの客・・福井

2022年12月31日 | 昔話(北信越)

          福井のむかし話/福井のむかし話研究会編/日本標準/1977年

 

 庄屋さんが村を歩いていて、今にも息を引き取りそうな病人を見つけ、だれか世話をしてくれる家をさがしますが、あしたは正月。どこにもひきうけてくれる家がなく、庄屋は米五升を出すからと、貧乏で難儀をしている家に頼みます。

 正月の支度もままならないその家では、土間にわらをしいて、病人をねかせ、その上にコモを着せて休ませた。かつぎこまれた病人のことを思えば、たとえ貧乏で難儀していても、けっこうなことだと思わなばならないと納得した夫婦。

 正月の朝、もう病人が息をひきとってしまったかと思いながらそばにいってみると、かぶせてあったコモが、むくんとかさが高くなっているので、ゆうべのうちに死んでしまったかもしれないと、コモをあげてみると、千両箱がいくつも積み重なっていた。

 庄屋さんのところにいくと、いきなり、「病人は死んだか!」と早合点し、「死んだやろうなあ。正月三が日はそうしきだせんから、三日たつまで、死んだ人をあずかっておいてくれ。米をもう一俵だすから、それでそこそこのそうしきをやってくれんか」という。

 かくさずに、今朝からのことをゆっくり話した夫婦が、「お米も金もいりません。」というと、庄屋はなんと正直なことかと感心しました。

 金持ちになったこの家では、毎年暮れの大みそかの夜は、土間にわらをしいて、コモを頭からかぶり、ねぞめをするようになったとさ。

 

 情けは人の為ならずです。

 

 物価高、新型コロナ、戦争、軍事費増強といいことのなかった今年。来年こそはウクライナの子どもに笑顔がもどりますように!   2022年の暮れに


ぴよぴよ ひよこ

2022年12月30日 | 絵本(外国)

    ぴよぴよ ひよこ/ジョン・ローレンス・作 いけ ひろあき・訳/評論社/2005年

 

あるひ、ひよこさんが でかけると あったのは

ぶたさん、あひるさん、うしさん、かえるさん、ひつじさん

ぶたさんは 「ぶうぐるん ぐるん おんいく おんいく ぶう

あひるさんは 「ぐわ があ ぐえっぐえっ ぐわぐわ ぐわぐわ がぁ」

うしさんは 「もお もう むう むう もお むう」

かえるさんは 「ぎごぎご けろろ かろ かっく」

ひつじさんは 「めえめえ ばあばあ めえ めえ ばぁ」

そして ひよこさんが ねているときにないたのは・・・

 

鳴き声がリズミカルで、声を出すのが楽しい

樹脂版画とコンピューター技術を組み合わせたイラストといいますが、色鮮やかで、動物の羽や模様もくっきり。遠くから見ても見栄がします。

 

ひともじ えほん

2022年12月29日 | 絵本(日本)

    ひともじ えほん/こんどう りょうへい・作 かきのきはら まさひろ・構成 やまもと なおあき・写真/福音館書店/2015年(2011年初出)

 

”ひともじ”を”一文字”とおもったら”人もじ”でした。

一人で、二人で、三人で 五十音を表現します。

からだを 伸ばしたり 寝転んだり 曲げたり 

”く”、”し”は一人で

”い”、”こ”は二人で

”な”、”お”などは三人で

和装の三人 やや 苦しいポーズも。

五十音すべてですから大変

 

人の写真に目がいきますが、文もリズミカル。

 おっと びっくり おどろいた

 おいらの おめんが

 にげていく

 おみごと あっぱれ

 おおおの

文の”お”は赤字です。

遊び心もあり、こんな絵本から文字に入っていくと楽しそうです。


しゅとめとよめさん・・福井

2022年12月28日 | 昔話(北信越)

          福井のむかし話/福井のむかし話研究会編/日本標準/1977年

 

・よめのちえ

 息子のよめさんをいじめてやろうと考えていたしゅうとめ。

 ある日、ご飯のおかずに、魚の頭を出すと、よめさんはにこにこ笑って「お頭さまをくださるなんて、ご先祖さまにもうしわけないわの」と、うまそうに骨までなめた。

 これは失敗したと、しゅうとめが、つぎに魚のしっぽを よめさんにやると、またにこにこ笑って「尾さま(王様)を、くださるなんて、ご先祖さまにもうしわけないわの」と、よめさんは、うまそうにたべた。

 しゅうとめが、これではどうだと、魚のまんなかの身のところを出すと、よめさんは、すこしも笑わず、ウンともスンともいわず、しぶしぶ、まずそうに食べた。しゅうとめさんは、これはうまくいったわいと、それからは、ずうーっと、魚のまんなかをだしたので、よめさんは、うまーい身ばかし、くうことができたと。

 

・よめとしゅうとのちえくらべ

 無理難題で、よめをこまらせようと、「風を紙にのせてもってこい」というと、よめさんは、すぐにうちわを一本持って、いじわるいしゅうとの前へさしだす。

 「こんどは、火を紙につつんでもってこい。」と、しゅうとがいうと、よめさんは、ろうそくに火をともしたちょうちんを持って、しゅうとにさしだした。

 「灰で、なわのうてもってこい」といいつけると、よめさんは、わらでなわをのうて、それを火で燃やしましたという。

 このしゅうとは、よめさんにかなわないと思い、自分が悪かったとあやまり、よめさんをだいじにして、なかよくなったとさ。

 

 大家族のなかで苦労してきたよめさんの知恵がいきている話。


おっと おとしもの

2022年12月27日 | 五味太郎

    おっと おとしもの/五味太郎/福音館書店/1988年

 

 おもちゃのトラックで遊んでいた男の子が、トラックの荷台がなくなっているのに気がつき、荷台を探そうと来た道をさかのぼっていくと、やはり落とし物をしてさがしている人がいたり、子どもを探しているおかあさんがいたり。

 ピンクのリボンを拾い交番にいくと、そこには、探していたトラックの荷台が。

 じつにシンプルですが、そこは五味さん、楽しい仕掛けが。

 はじめは気はつかなかったのですが、もういちど読み返すと、鉛筆をさがしているおじさんの鉛筆は 前のページに転がっています。お母さんが探していた子どもは、何ページか前で泣いていますし、あわてていたせいか、おかあさんのバッグからは、にんじん、キュウリ、リンゴが道に、ころがっています。

 拾ったリボンは、最後のページで、片方のリボンをなくして泣いている女の子とつながります。

 よく見ないと気がつかないのですが、交番の張り紙にある行方不明のねこも、道のなかに。

 ただ、一度に全部探すのは大変そうで、何回か繰り返し読む楽しみもあります。

 裏表紙に本物のトラックの絵がでてきますが、そこには、おもちゃのトラックであそんでいた子が乗っています。


南極のスコット大佐とシャクルトン

2022年12月26日 | 絵本(日本)

    南極のスコット大佐とシャクルトン/佐々木マキ・作/福音館書店/2016年(1994年初出)

 

 第64次南極地域観測隊を乗せた観測船「しらせ」が昭和基地に接岸するといいます。出航してから、定着氷に到達するまで1カ月余り。

 南極大陸を最初に見つけたのはよくわかっていないようですが、1774年ジェイムズ・クックが、その存在にふれていて、最初の上陸は1821年、アメリカのジョン・デイヴィスによるヒューズ湾上陸とされているようである。

 南極点到達は、1912年ノルウエーのアムンセン。それもはじめは北極点を目指す予定だったがアメリカのロバート・ピアリーに先をこされ目標を変えたという。

 佐々木マキさんの「ナンギなたんけんたい」という絵がいくつが載っていますが、そのほかは当時の写真をつかって、南極探検の歴史をつづっていきます。

 船は帆船、キャンプはテント。今から見れば粗末な装備で、よくも南極を目指したと思う。

 人間は、なぜ生死の危険をかえりみず、困難をおかして探検をつづけるのか。凡人には理解できない世界です。


すっすっはっはっ しんこきゅう

2022年12月25日 | 紙芝居

    すっすっはっはっ しんこきゅう/脚本・長野麻子 絵・長野ヒデ子/童心社/2019年

 

”すって” ”はいて” ”すって” ”はいて” ”すって” ”はいて”

呼吸もゆっくりだったり、はやく、あさく、ふかく、ながーくと いろいろ。

呼吸がうみだす声。

まあるい声

おこっている声

けんかしている声

ないている声

うれしい声

これはみんなで やってみないと わからない。

奥が深い呼吸

12画面すべてが 呼吸しています 


すつぼ池・・大阪

2022年12月24日 | 昔話(関西)

     大阪のむかし話/大阪府小学校国語科教育研究会・「大阪のむかし話」編集委員会編/日本標準/1978年

 

 惣平という飛脚が仕事を終えて「とろす池」のそばをとおりすぎようとすると、白い髭の老人から声をかけられ、久米田池の主に渡してくれるよう一通の手紙を差し出される。

 「池のそばで手を三つ打つと、池の主がでてくる」といわれ、惣平は大きな力にひきずられるようにいつのまにか久米田池までたどりつきます。

 手を打とうとするが、どんなこわいことがおこるかわからんので、おそろしさにふるえていると、ひとりの坊さんがとおりかかります。惣平が坊さんに、ありのままをはなすと、坊さんが手紙をあけてみます。そこには、「この男をたべてしまえ。」とあったので惣平はおどろいて、これはみ仏にすがるしかないと、念仏をとなえました。お坊さんは、手紙をかきかえ、久保田池の主に渡すように言うと、立ち去っていきます。

 惣平はもうにげられないと観念し、池にむかって手を三つ打つと、池の中から、それはそれは美しい女があらわれます。惣平が手紙をわたすと、女は手紙を読み上げます。

 「この男は、正直な人だから、何かよいものをあげておやり」

 惣平が、女の人からもらったのは、いくら出しても出しても、なくならない酢つぼでした。女は、つぼのなかは、けっしてのぞいてはいけないと念をおします。

 惣平は、酢屋の店を開いて、しばらくのうちに大金持ちになりますが・・。

 

 手紙を書き換えるのは、外国にはよくみられるパターン。飛脚は、荷物を届けるのが仕事で、手紙をとどけるのも自然です。


ガタローに勝った子ども・・大阪

2022年12月23日 | 昔話(関西)

     大阪のむかし話/大阪府小学校国語科教育研究会・「大阪のむかし話」編集委員会編/日本標準/1978年

 

 先入観で、どこでも同じと思うと、ちがう呼び方もあるようで、これもその一つか。ガタローというのは河童のこと。

 

 体が小さくて子どもの姿をしているガタローは、子どもを相撲に誘い、池の底にひきずりこんで、おしりから生き血をすうという。

 ある日、ガタローが、池のふちで遊んでいる子どもと相撲をとるが、どうしてもその子に勝てない。ガタローは、首をかしげけ、「こら、子ども、おまえはきょう仏さんのごはんをたべてきたな。そんなことをするから、おれはお前に勝てんのや」と、捨て台詞をのこして池の底にかくれてしまう。

 仏さまにお供えしてあるごはんを、”おっぱん”という。


スズメと子ネズミとホットケーキ

2022年12月22日 | 絵本(昔話・外国)

    スズメと子ネズミとホットケーキ/再話・イリーナ・カルナウーホヴァ 絵・アナトーリー・ネムチーノフ 訳・斎藤君子/ネット武蔵野/2003年

 

 チュンチュンネズミとムクムク子ネズミ、バターたっぷりのホットケーキの同居と不思議な組み合わせ。まさにお話の世界。ロシアの昔話です。

 隣の芝生は青く見えるならぬ、ほかの人の仕事が楽に見えるが、やってみると・・。

 スズメは食べ物を運び、子ネズミは薪割、ホットケーキはシチューとおかゆをつくると、それぞれが役割分担しながら仲良く暮らしていた三人?でしたが、ある日、スズメが自分だけが働きすぎだと、仕事の分担を変更することを提案します。

 ホットケーキが食べものを探し、スズメが薪割、子ネズミがシチューを作ることになりました。

 ところが、ホットケーキはキツネにおなかをかじられ、子ネズミはシチューの壺に飛び込んでやけど、スズメはくちばしが ひんまがってしまいます。

 ホットケーキが、「じぶんのしごとをしたくなくて、ひとのせいにすると、こういうことになるんだよ!」というと、三人はさんざん泣いたあげく、これまでどおり、なかよくくらすことに。

 

 ホットケーキの存在感がいっぱいで、スズメや子ネズミの痛々しい包帯姿、暮らしやすい室内と、鮮やかな色合いです。


鬼の面

2022年12月21日 | 昔話(日本)

・鬼の面(かたれやまんば/藤田浩子の語り 第四集/藤田浩子の語りを聞く会/2000年初版)

 貧しい母と娘の二人暮らし。母が無理をしたので稼げなくなり、娘は町の大尽のところに、子守奉公いくことに。母は娘におたふくの面をもたせます。

 娘は奉公先で一日の仕事が終わると、行李に入ったおたふくの面に向かって、語りかけます。
 この様子をみた奉公人の仲間が、娘をからかってやろうと行李のお面を鬼の面にかえてしまいます。
 鬼の面をみた娘が、母親に何かがあったのではないかと、奉公先のおかみさんにお願いして、様子をみるために家にかえることに。

 気がせいていた娘は、その晩に奉公先から家に向かい、途中、博打うちに見つかって火のばんをすることに。
 生木が多くてなかなか火がもえないし、煙だけでて、煙くてしかたないので、鬼の面をかぶってぷーぷー吹き始める。
 博打うちたちが、ひと博打うって、娘の方をみると、鬼がじいーとみているので、博打うちは大判小判もそこらにおいて逃げ出す。
 
 娘が面をとってみると、博打うちはいない。
 翌日までまっても、博打うちがもどってこないので、娘は大判小判を集めて、母のところに帰る。
 そのお金で、娘は奉公先にはもどらず、母と二人で仲よくくらすことに。

 子守奉公とか博打うちは、うまく子どもにつたわるか心配になるが、藤田さんの語りは、そんな心配をこえて、昔話の世界に引き込んでくれそうである。

 すこし、じんとくるのが、娘がおたふくのお面にかたりかけるところ。
 「おっか様ぁ 今日も一日 みててっくちゃがン あぁ おっか様は にこにこしてっから 達者でいらんだべなン」。
 娘と母親の絆がでていて、他の昔話には見られないところ。

 自分の言葉で、自分の思いで語ってくださいという藤田さんのメッセージがあるので、何とか語ってみたい話。

 

・鬼の面(兵庫のむかし話/兵庫県小学校国語教育連盟/日本標準/1978年)

  お多福の面で、ぼうやの子守をするよういいつけられたおひさ。おひさは病がちの母親のために薬代をと、分限者の家で年季奉公していました。

 おひさは、ひとりになると自分の荷物の上に、お多福の面をおき、泣いたりわらったりしていました。のぞき見したご新造さんが、心配して、お多福の面の代わりに鬼の面と取り替えます。母親が恋しくて泣いているとおもったのでした。

 鬼の面をみたおひさは、親に何か変わったことが起きたのではないかと心配し、二日間のひまをもらい、急ぎ足で分限者の家をでます。

 夜になって、あかりのほうにいくと、そこにいたのは盗人。小屋につれこまれ、魚を焼くよう言いつけられ、薪を燃やしますが、夜露にぬれた薪はなかなか燃えず、くすぶるだけ。

 風呂敷から鬼の面をだし、それをかぶって、ふうふう火をふいていると、大男がやってきて「もうさかなやけたか」と、声をかけました。

 ふりむいたおひさの鬼の面をみた盗人は、おどろきあわててにげだします。夜が明けて、筵の上の大判小判をみたおひさは、それを代官所にとどけます。代官所では、親を思うおひさの心に感心して、ほうびをどっさり。

 こまかなところで、違いがありますが、昔話には珍しい人情話です。

 

・鬼の面(大阪のむかし話/大阪府小学校国語科教育研究会・「大阪のむかし話」編集委員会編/日本標準/1978年)

 親孝行の男の子が主人公。船場のお店で、働いていた十歳の庄吉という子が、おこずかいをためておいて、長い間かかって買った「おたふくめん」。ほかの奉公人にかくれて、離れて暮らしている母親代わりに、おたふくめんに いつもあいさつをしていた。

 様子を見ていたほかの奉公人が、いたずらで、おたふくめんを鬼の面にとりかえてしまいます。

 箱のふたをあけ、鬼の面が入っているのをみた庄吉は、母親になにか変わったことがあったのではないかと、二日のひまをもらって、母親のもとへ急ぎます。

 山道で、焚火をしている男にあい、弁当を食べるためお茶を所望すると、焚火番を条件に、男は、おやすいごようだといいます。焚火のそばにすわっていた庄吉は、焚火の熱さを防ぐため鬼の面をかぶります。

 「おーい」と、山の上から声がすると、庄吉は、土瓶と湯のみをもって山の上へ。焚火をしていた男から、そういわれていました。

 山の上では、小屋の中で六人がばくちをしていましたが、鬼の面をかぶった庄吉をみて、鬼がきたと、逃げていきます。そこには、お金が、あたり一面にちらばっていて、このお金をもって焚火のところにもどります。

 焚火をしていた男は、ばくちの見張り番で、この男も庄吉をみて逃げていってしまいます。ようやく自分の面に気がついた庄吉は、母親にそのことをはなし、お金を持ち主にかえそうとしますが、庄屋が、ばくちの金をわすれていったものは、とりにくるようと、村中にふれまわりますが、だれひとりあらわれず、お金は庄吉親子のもとへ。

 庄吉親子は、そのお金で、おもち屋の店をだし、大変繁盛したという。

 

 博打の金であっても、すぐ自分のものにするのではなく、返そうとする正直な庄吉で、おもち屋の看板商品が、「おたふくもち」というのも大阪らしい話。

 

 落語絵本にもなっています。


・おにのめん/文・絵:川端 誠/クレヨンハウス/2001年

 河内屋という荒物屋で奉公中のお春。
 道具屋で見かけたおめんが、おかんにそっくり。お金がないというお春に、道具屋は気前よく、大事にしいやとただであげます。

 それから仕事のあいまに、たんすの引き出しをあけて、さびしさをまぎらわしていたお春。それをみた若旦那の徳兵衛が、いたずらで、鬼の面をかわりにさしいれます。

 いつものようにたんすをあけたお春が、鬼の面をみて、おかんに大変なことがおこっとと思いこみ、大人の足で半日はかかる家にむかいます。

 誰にも行き先をつげずにでたので、河内屋はおおさわぎ。向かいの近江屋に手伝いをたのみますが、近江屋は泥棒に入られて、それどころでありません。

 お春が、暮れかかった道を急ぐと、いいにおい。かれたススキが顔にあたり、痛いと、鬼の面を顔につけすすみます。草原の真ん中で焚火をしていた三人の男は、「おにがでた」と、ころがるようににげていってしまいます。

 家に着いたお春が、あくる日、おとんと草原を通りかかると、そこには、風呂敷包み。この荷物をもってかえると、近江屋の印。近江屋から盗まれたものでした。

 もちろん近江屋さんはおおよろこび。年あけにはお礼をさしあげたいというと、鬼の面が笑っていました。

 奉公にでるのはまだまだ子ども。道具屋も大騒ぎする河内屋も、大八車にお春をのせて、河内屋にむかうおとんも優しく、あったかい話です。

 「来年のことをいうと 鬼が笑う」というオチ。   


あくたれラルフのクリスマス

2022年12月20日 | 絵本(外国)

    あくたれラルフのクリスマス/ジャック・ガントス 絵・ニコール・ルーベル 訳・こみや ゆう/童話館出版/2022年

 

 あくたれねこのラルフは、いたずらばかり。セイラが編んでいる毛糸を引っ張ってほどいたり、ピアノの鍵盤の上を踏んで歩いたり。とうとうセイラに叱られたラルフは、あっかんべーをして、自分の部屋に行って 寝てしまいました。
 次の日の朝、セイラがパーシーというかわいいねこをだっこしていました。ラルフは、パーシーにやさしくやろうと思い、雪玉の投げ方を 教えてやりますが、セイラから止められてしまいます。クリスマスのかざりつけを頼まれると、ラルフは、パーシーのくつしたを、はさみで ちょんぎり、パーシーが おもちゃの汽車で遊んでいると、線路に しばりつけて しまいます。それからクリスマスツリーの飾りをつけていたパーシーの はしごを はずしてしまいます。さらにさらに・・・。

 クリスマスイブの夜、セイラが、ラルフとパーシーにお話を読んでくれることになり、ラルフは、いつも通り、セイラのひざの上にすわろうとしますが、もうそこにはパーシーがすわっていました。自分の部屋で寝ようとすると、ラルフのベッドにはパーシーが ねていました。

 セイラは、クリスマスツリーの下にあるパーシーへのプレゼントを、ぜんぶ自分の名前にかきかえてしまいました。

 しばらくすると、トントンと 玄関の ドアが なって・・・。

 

 自分だけの世界と思っていたら、突然ライバルの出現。敵対心で いじわるしようとするセイラの気持ちが にじみでています。

 最後はハッピーエンドになりますが、そのあともセイラは あくたれしたのでしょうか。セイラは、ラルフのあくたれを なんとも 思っていないようですが。

 下の子が生まれ、上の子が下の子に思う気持ちといっしょです。


びんから だしてごらん

2022年12月19日 | 絵本(外国)

    びんから だしてごらん/デボラ・マルセロ・作 なかがわ ちひろ・訳/光村教育図書/2022年

 

 折り紙風のうさぎのルウェリン?は、怖い、悲しい、うきうき、うれしい、悔しいきもちを、つぎつぎに、瓶に入れ地下室にしまっていました。

 瓶はどんどん増え、ルウェリンの こころは とてもしずかになりました。しかし、地下室がもういっぱいになり、瓶に無理やり押し込むと、とつぜん がっしゃーんと、瓶が粉々に割れて なかみがとびだし、とんでいきました。

 それからというもの ルウェリンは いろんな 気持ちを まぜこぜに 感じるようになりました。うれしいのに ちょっぴりかなしくなったり、しんぱいだけど わくわくしたり。

 こころが ふっわと ひろがり 自分の 気持ちを 隠さなくなりました。その気持ちを感じ取り、ときには だれかに、言葉で伝えました。

 あばれだしそうな気持も、まっすぐに みつめ、ぎゅっと だきしめてから、そらへ はなしてやることが できるように なりました。だからこんどこそ みんなと 気持ちを つうじあわせることが できました。

 

 こころをコントロールできない自分から ある日、いっぺんに、解放される瞬間。解放されると 別の視界がひらけてきます。そうした瞬間が、いつ生まれるかが問題です。

 さまざまな形の瓶に閉じ込められた「気持ち」の表情が、目玉にあらわれています。


パンフルートになった木

2022年12月18日 | 絵本(社会)

    パンフルートになった木/巣山ひろみ・文 こがしわ かおり・絵/少年写真新聞社/2020年

 

 国民小学校の校庭に根を張っていたカイヅカイブキ。
 ピアノに合わせた歌声が聞こえなくなり、サイレンが鳴り響きます。兵隊の姿が多くなり、校庭は畑になり 三年生以上の子どもの姿が見えなくなりました。
 8月6日、講堂は鉄わくだけになって、カイヅカイブキも黒焦げ。
 なんにもなくなったと思っていたのに、ある日の夕暮れ、子どもたちの歌声が聞こえてきます。
 テントでの授業がはじまり、やがて黒焦げの木に、小さな葉っぱが。
 カイヅカイブキには、いつのまにか葉がたくさんつき、それから祈りの夏を何度も見つめます。
 月日は流れ、倒木の危険があるからと、切り倒されたカイヅカイブキ。
 「なんとかして、この木をこどもにつなぐことはできないだろうか」と、力をつくした人たちがいました。三年をかけ95台ものパンフルートによみがえり、小学校の合唱隊におくられたのです。
 
 ずっと子どもたちの成長を見つめてきたカイヅカイブキが被爆し、何十年も草木が生えないといわれた中で、命を吹き返し、それからも長い年月こどもたちを見つめ続け、さらにパンフルートにうまれかわって子どものそばに 生き続けるという感動的な話です。
 パンフルート工房の職人さんが運び込まれた木に、「よくきたね」と話しかけ、出来上がったパンフルートに、「いきぬいたいのちを、これからは、うたうことで、みんなにつたえるんだよ」と 声をかけますが、この職人さんにも 別のドラマが存在していたかもしれません。
 
 パンフルートという楽器は知りませんでしたが、YouTubeで演奏を聞くことができました。カイヅカイブキの目線で書かれたこの本全体に、パンフルートの音色、子どもの笑い声や音楽が、聞こえてきました。
 

 広島出身・在住の作家が取材した実話です。

 広島市では、爆心地から概ね2kmで被爆した木を「被爆樹」として登録していますが、この木が約160本。この絵本のほかにも、被爆樹に関する絵本があります。


ハリーのセーター

2022年12月17日 | 絵本(外国)

    ハリーのセーター/ジーン・ジオン・文 マーガレット・ブロイ・グレアム・絵 わたなべ しげお・訳/福音館書店/1983年

 

 お誕生日に おばあちゃんからセーターをプレゼントされた黒いぶちのある白い犬のハリーでしたが、バラの模様が気に入りません。街を歩いていると、道行く人たちや他の犬たちが、ハリーのセーターを見て笑います。ハリーは、こんなセーター捨ててしまおうと思いました。
 ペットショップ、食料品売場、花屋さんのところで捨てようと思いますが、そのつど 親切な人たちが追いかけてきて届けてくれるのです。
 ハリーはしょんぼりしていましたが、セーターの毛糸が すこし たれているのにきがつき、毛糸をちょいと 引っ張っていると、それをみた鳥がまいおりてきて、毛糸の端をくわえ空に向って一直線。みるみるうちにセーターは、一本の長い長い毛糸にかわり、空へ飛んで行ってしまいました。
 おばあちゃんがやってきて、子どもたちといっしょに、公園に散歩にいくと、そこでみんなが見つけたのはハリーのセーターにそっくりの毛糸でできた巣。

 クリスマスの日、おばあちゃんから とどいたのはハリーそっくりの 黒いぶちのある 白いセーター。ハリーは、こんどは とても気に入ったようです。

 

 怪我の功名で、セーターを鳥にあげたのがハリーと勘違いした子どもたち。おばあちゃんも 巣をみて 気分を害さないでニ度目のプレゼント。

 捨てようと思ってもその都度ハリーへもどってくるセーター。ハリーのしょんぼりした目が 心の動きを表現しています。とどけてもらい むっとするハリーですが、みんな 他人を思いやる やさしい人ばかりです。