どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

小さな黄色い竜・・中国 ペー族

2022年11月30日 | 昔話(アジア)

     けものたちのないしょ話/中国民話選/君島久子・編訳/岩波少年文庫/2001年

 

 自慢の宝の衣をなくし、湖の流れ口をとめた黒竜のため、水浸しになった村。

 黒竜退治のため、銅でつくった竜の頭をかぶり、手と足の指に鉄のつめをはめ、それから口に一本の剣をくわえ、背中に三本の剣をくくりつけ、両手に一本づつもった、ひとりの子どもが、小さな竜になって黒竜にたちむかいます。

 戦いが三日三晩つづき、小さな竜は、黒竜の口の中へとびこみ、あばれまわります。あまりの痛さに、黒竜は、ねをあげます。

 そこでのやりとりが、妙にリアルで楽しい。

 「おまえがでてくれたら、おれは、もう、どこかへおちのびて永久に帰ってこないよ」

 「よし、じゃあ、おれをどこから出してくれるのだ。」

 「おしりの穴はどうだろ。」

 「ばかいえ、ウンチをするついでに出されたと思われちゃこまる。」

 「そうだな。じゃ、鼻の穴からすべりでてはどうだい。」

 「ばかいえ、鼻水といっしょにかみ出されたと思われちゃあいやだ。」

 「耳の穴にするか。」

 「耳くそといっしょに、ほじくりだされたっていわれるぞ。だめだだめだ。」

 「もうたまらん。わきの下からでも、はいだしてくれよ。」

 「だめだだめだ。そこからはい出せば、おれをはさみ殺すにきまってる。」

 「それなら、足のひらに、穴をあけてとび出すがいい。」

 「だめだ。足のひらから出たら、おれをふみ殺すにきまってる。」

 「なあ、ちび竜よ。もうかんべんしてくれ。さあ、おれの目をくりぬいて出ていけ。」

 

 独眼の竜は、遠くまでのがれ、ちび竜は、二度と姿を現しませんでした。

 いろいろなものをのみこんだネコや赤ずきんにでてくるキツネのおなかの中からでてきたりと、おなかの中から出てくるのもいろいろですが、こんなのも ありでしょうか。 

 

 ペー族はチベット系民族で、2010年現在195万人といいます。


だんご待て待て・・島根

2022年11月29日 | 昔話(中国・四国)

          島根のむかし話/島根県小中学校国語教育研究会編/日本標準/1976年

 

 じいさんが山へ仕事にいくと、あとから ばあさんが だんごをこしらえて もっていっていた。

 あるとき、だんごが ネズミの穴へ ごろごっろと まくれた。(ころがった) ひとつぐらいはまいいかと 歩いていると、またごろごろっと まくれた。「ふたつなら まあいいか」といくと、また まくれこんだ。「みっつは、おしいわ。だんご待て待て、おれもついていくぞ」と おいかけていくと、まあ、大きな広い穴のなかに、ネズミが大勢いて、「ネコさえござらにゃ ネズミの世の中。キットン、キットン」と、米ついていた。

 まあ、えらいことだなと、「ニャーオーン」と、ネコの真似すると、ネズミが、どこか穴の中へ 入ってしまった。その間に、ばあさんは、達者なばあさんだったので、杵や、臼や みんな持って帰っていった。うちで米をついていると、一升つけば、二升になり、二升つけば三升になり、だんだん米が多くなって、いくらついても、米が多くなって、もう、多くて多くてたまらなくなった。

 そうしていると、となりのばあさんがきて、「おまええのところは、どげんしたもんだか。こげに米がよけえああが」と聞いたので、わけをはなすと、となりのばあさまは、じいさまを 山へいかせ、それから だんごをこしらへ あとからじさまのところへ でかけます。

 ネズミたちが「ネコさえござらにゃ ネズミの世の中。キットン、キットン」と、米ついているところで、「うまい調子だ」とばかり、ネコのなきごえをすると、「また、きんにょの くそばばあ」がきたと、ネズミは、ばあさんをかみころして しまったげな。

 それで、あんまり、なんでも人の真似をするもんでないと。

 こっぽち。 

 

 あとからでかけた ばさまというのが、ほかの話とちがいます。三個目のだんごで やっとだんごを おいかけるというのも、なかなかの ばさまです。


おむすび ころりん

2022年11月29日 | 紙芝居(昔話)

       おむすび ころりん/文・柴野民三  画・安井康二/教育画劇/2000年

 おむすびが おちた穴から 楽しそうな歌声が 聞こえてきて おじいさんは、もってきたおにぎりを 一つ 、また一つ穴に落としてやりました。おにぎりがなくなると、こんどは重箱まで。

 ついたのはねずみの国。踊りながら餅つきをしていました。おじいさんは、おむすびのかわりに、あんころもちやきなこもちを、おなかいっぱい、たべました。

 かえりは 金のこづち をもらってかえります。

 金のこづちは、重くなくて、おじいさんにぴったりです。うちにかえって金のこづちを ふると お米や、お金、ほしいものがザラザラ。

 かわいい ねずみに 癒されそうです。


ケンカオニ

2022年11月28日 | 絵本(日本)

    ケンカオニ/富安陽子・文 西巻茅子・絵/福音館書店/2014年(1996年初出)

 

 のぶちゃんがおもちゃ箱に投げ込もうとしたボールが、とっちゃんの背中にコチンと ぶつかると とっちゃんの頭に赤いケンカオニがくっついたのです。

 ケンカオニに くっつかれた とっちゃんは、きゅうにはらがたって、でっかい 怪獣の ぬいぐるみを、のぶちゃんにむかって 投げつけました。そのぬいぐるみが のぶちゃんの 顔に命中したそのとき、こんどは 青いケンカオニが ひょいと のぶちゃんの あたまにとびのりました。すると、赤いケンカオニと、青いケンカオニが おたがいに あかんべーをすると たたかいが はじまりました。

 「のぶちゃんなんか カエルにたべられちゃえ!」と言うと、おおガマが のそりと 顔をだし のぶちゃんを見つけると おおきなくちをあけました。

 「こ、こ、こんな カエルなんか ヘビに のまれちゃえ」と、のぶちゃんが 必死にさけぶと、こんどは ヘビが ぞろりと、あらわれました。

 負けては大変と、「のぶちゃんの ヘビなんか ライオンに くわれちゃえ!」というと、ライオンが とびこんできて。

 ライオン、クジラ、恐竜がつぎつぎに でてきて 恐竜が 屋根に手をかけ ゆっさゆっさと 家をゆすりはじめたから、「うひゃあ!」「たすけてー!」と 大騒ぎ。 

 その声を 空のうえで ケンカオニとうさんが ききつけて・・・。



 ケンカオニがいなくなると「へへっ」と、とっちん、「あはっ」と、のぶちゃん。ぽかんと 笑って、「ごめんね」「ぼくも、ごめんね」と、顔を見合わせ 仲直りです。

 ちょっとしたことではじまる兄弟喧嘩。ケンカオニのせいと考えると エスカレートしないかも。

 西巻さんのケンカオニ ちっとも 怖くありません。仲直りした部屋に、ヘビや怪獣の ぬいぐるみが 何気なくあります。


にぎりめし ごろごろ

2022年11月27日 | 絵本(昔話・日本)

    にぎりめし ごろごろ/小林輝子・再話 赤羽末吉・画/福音館書店/1984年

 

 タイトルから「ねずみ浄土」の話かと思ったら、にぎりめしがころがったさきは、地蔵さまがいるお堂の棚。

 じさまが、にぎりめしの土のついたところを 自分で食べ、きれいなところを地蔵様に さしあげると、地蔵様は「じさまや、じさま。よなかに 面白いことがあるから、天井に隠れていろ」と いうたっけと。

 ところが天井にとどかない。お地蔵さまから「ひざかぶさ あがれ」といわれ、「もったいなくて あがれない」というと「あがれ あがれ」というので、じいさま 足の裏 手でこすってひざかぶへ。それでも天井にとどかない。お地蔵さんから「つぎは、肩さ、あがれ」「頭さ あがれ」といわれたじいさまは、「もったいねえことだ。ゆるしてたもれと」と、手を合わせて天井にかくれ、夜になるのを まっていたっけと。

 夜中になると、お堂の前に たくさんの鬼たちが集まってきて、飲めや歌えの大酒盛り。夜明け近くになっても 酒盛りは 終わらないで、じさまは「コケコッコー」と 叫びました。「やや、いちばんどり ないた」と、鬼たちはそわそわ。少し、時間をおいて、じさまがもういちど「コケコッコー」とさけぶと、鬼たちは、前より慌てだし、三度目には、「夜があけだぞ。たいへんだ たいへんだ」と、鬼たちは、わらわらと にげていってしまいました。後にはあずきめしや、くるみもち、あかやら あおやらの 着物がどっさり。

 ばさまとふたりで、あずきめし たべていると、「ひっこ たもれ」とやってきたのは、となりのばさま。「なんとして、そんたな うまそうなもの たべてるべ」と聞くので、じさまは、にぎりめしが ころがったこと、みんな はなしたんだと。

 じいさまの話を聞いたとなりのばさまは、じぶんのじさまを 山にいかせることに。

 となりの じさまはわざとにぎりめしを転がし、きれいなところは自分で、土のついたにぎりめしは地蔵様に。となりのじさまは、鬼たちに見つかって、ふんずけられたり、けられたり、たたかれたりとさんざん。

 家で待っていたばさまは「いまに あずきめしや くるみもちや、あかやら あおやらの 着物いっぱい しょって、おらのじさまも かえってくるべ」と、いままで 着ていた着物 ぜんぶ 焼いてしまって、腰巻一枚で、じさまのかえりをまっていると・・・。

 

 鬼たちが残していくのも、小判や宝物というのではなく、あずきめし、くるみもち、きものと、やや控え目。このほうが親近感がわきそうです。腰巻一枚でじさまをまっているばさま、ちょっと かわいそう。

 じいさまを、正直者と欲張り者にわけるものが多いのですが、ここでは、「じいさま」「となりのじいさま」としているのにも好感が持てます。 作者は岩手在住で、岩手弁もぴったりでした。

 じさまが、お地蔵さまにのぼるところで、「ばちがあたる」といいますが、いまそんなことを言う人も少なくなりました。ご飯粒を残すと「罰があたる」と よくいわれた記憶があります。


とんでにげたおに・・島根

2022年11月26日 | 昔話(中国・四国)

        島根のむかし話/島根県小中学校国語教育研究会編/日本標準/1976年

 

 ある年、雨が降らず田植えをしようにも水がない。ある金持ちが、「もしも、この田ん中に、水を入れてくれるものがおったら、むすめをやってもええがのう」というと、みしらぬ赤ら顔の男が出てきて、念を押して水を入れてくれるという。稲が枯れて米がとれないよりは、むすめをよめにやったがええと思った金持ちは、「水をいれてくれるなら、むすめを あげるわな」といった。

 あくる日、金持ちが田にいってみると、ほんとに水が入っていた。一番目、二番目のむすめに断られ、一番下のむすめが よめにいくことに。むすめは、ヒエの俵に穴をあけ、いきさきがわかるようにして、大男といっしょにいきます。

 何日かたって、金持が落ちたヒエのあとを歩いていくと、山を一つも二つもこえたところに家があって、むすめが 機を織っていました。足音が近づくと、むすめは、父親を押しのなかに押し込みます。大男が戻ってきて、「もどったぞ。や、だれんぞ来たか。人間くせが。」と、鼻をくんくんさせたので、むすめが、「だれも来んだったぞ。人間くせのは、わしの腹のなかに あかんぼうができたけんだ。」といったところ、「ほんとか、そうなら いわいをせなあかん」と大男。おおいそぎでごちそうをつくったり、酒の用意をして、人をよんで、酒盛りがはじまりました。

 むすめは、「さ、この間ににげらや」と、棚にあった黒豆のはいった袋をもって、押し入れにはいっていた父親と逃げ出します。きがつくと、大男はいつのまにか赤鬼になって、そばまでやってきます。むすめがふところに入れておいた黒豆の袋から、豆を取り出し、「あっちへ行け。あっちへ行け。」と投げると、赤鬼は、「こら、たまらん。こらえてごせえ。こらえてごせえ。」といって、逃げていってしまいます。

 

 これも類似の多い話ですが、おわりのほうは節分を思わせます。「人間くせえ、人間くせええ」といわれ、「おなかに あかんぼうが できた」と、答えるのは、はじめて。


まあちゃんの まほう

2022年11月25日 | 絵本(日本)

    まあちゃんの まほう/たかどの ほうこ/福音館書店/2003年(1992年初出)

 

まあちゃんのお母さん、なんだか いつもと 違っています。

まあちゃんとお母さん 自転車の 二人乗り。

二人 台所で つまみぐい。

部屋中に おもちゃをだして 遊びます。

洗濯もので 凧あげ。

いつも 怒られることばかりなのに 今日はお母さんも一緒に 遊びます。

物分かりの良いお母さんどうしたのかな。

 

なんと おまじないをかけ お母さんを タヌキにして、あわてて もとにもどすまじないをかけていたのです。お母さんは タヌキでした。

 

お母さん、たまには 子どもにもどって ハメをはずしても いいんじゃない。だって、昔は子どもでしたよ。


だるまちゃんとてんぐちゃん

2022年11月24日 | 絵本(日本)

    だるまちゃんとてんぐちゃん/加古里士/福音館書店/1967年

 

 加古さんの「だるまちゃん」シリーズの第1作目で1967年の発行。もう50年以上も前になりますから、親から子と読み継がれている絵本でしょうか。

 だるまちゃんは、真っ赤なまるいからだ。

 ある日、おともだちの ちいさいてんぐちゃんと遊んでいると、てんぐちゃんの持っているうちわが気になりました。じぶんもほしくなって、「てんぐちゃんの ような うちわが ほしいよう」というと、お父さんのおおきなだるまどんが、家中のうちわを出してきてくれました。その数17種類。「こんな うちわじゃ ないんだけどな」

 だるまちゃんは考えているうちに、いいことに気がつきました。そっくりなものを見つけたのです。それは やつでの はっぱ。

 ところが今度は、てんぐちゃんのかぶっている帽子がうらやましくなってきました。

 またまたおうちへ帰って、「てんぐちゃんの ような  ぼうしが  ほしいよう」というと、おとうさんがだしてくれたのは37種類。「こんな ぼうしじゃ ないんだけどな」

 こんどほしくなったのは、はきもの。お父さんが出してくれたのは、34種類。「こんな はきものじゃ ないんだけどな」

 つぎにほしくなったのは? とんぼがとんできて、てんぐちゃんの はなのさきに とまったのですが。


 うちわ、ぼうし、はきものの、ひとつひとつ 見ていくだけでも会話がはずみそうですす。

 だるまちゃん ほしがるだけでなく ちゃんと 工夫しています。うちわは「やつでの はっぱ」、ぼうしは「おわん」、はきものは、「おもちゃの まないた」を ひもでむすんでいます。んー 子どもの発想は素晴らしい。自分で考えたものが一番。期待にこたえようとするお父さんの奮闘も 褒めてあげたい。


空とぶ馬と七人のきょうだい

2022年11月24日 | 絵本(昔話・外国)

     空とぶ馬と七人のきょうだい/イチンノロブ・ガンバートル・文 バーサンスレン・ボロルマー・絵 津田紀子・訳/廣済堂あかつき/2021年

 

 昔、空に星はなく、夜が くらやみに おおわれていたころ。

 モンゴルの草原では、王さまが七人の美しい王女と暮らしていました。夜、王女たちが姿をあらわすと、くらやみも 光が ともされたように明るくなるのでした。

 あるばん、七人の王女がたのしそうにおどっているすがたをみた見た鳥の王ハンガリドが王女たちをさらってしまいました。王は祈とう師のお告げにより、草原に住む七人の兄弟に王女を取り戻すよう命令します。

 タカの目、風の足、かっこうののど、金の手、鼻きき、耳きき、力こぶの七人兄弟。よぼよぼの馬に、銀のくつわを はめ、かしこいおじいさんが声をかけると、馬にはつばさが はえ、この馬に乗って、七人兄弟は王女を探す旅に出ました。

 名は体を表すように、それぞれが特技を持っています。ほかの話にあまりみられないのが、金の手、かっこうののどでしょうか。金の手はゲルづくりの達人、かっこうののどは、ハンガリドの口から多数の毒へびが はきだされると 歌をうたって 眠らせてしまいます。

 ハンガリドから王女を助け出した七人兄弟でしたが、馬が 空を飛べなくなって そのまま王女たちと天で暮らすようになりました。

 

 天に暮らすようになった七人のきょうだいと七人の王女が北斗七星になり、馬は北極星になったという壮大なモンゴルの昔話です。

 七人が力を合わせて鳥の王ハンガリドにたちむかうという安心できる?お話です。

 王女の黄色いワンピース、結んだ髪、兄弟の帽子など見どころもいっぱい。ただ、ハンガリドを文字で表現するのは難しい。


いろって なあに?

2022年11月23日 | 絵本(外国)

    いろって なあに?/作・絵:アリス&マーテイン・プロベンセン 訳・こみやゆう/アノニ・スタジオ/2022年

 

 黄色、紫、青、赤とはじまって、最後は白。

 みどりいろは 植物、信号機、葉っぱ、ホウレンソウ、カメムシなどをあげながら、ページいっぱいの水族館。海の深いところもみどりの世界といわれると、首をかしげたくなりますが、みどりといっても さまざまな色合いをもっています

 ちゃいろは 地面、ミンスパイ、みずたまり、シチメンチョウ、チョコレート、ちゃいろいウシなど。

 明るいものもあれば暗い色も。淡いものもあれば濃いものも。鮮やかなものもあればくすんだものも。人それぞれイメージするものが違う色。

 あらためて「色」を見直す絵本です。


古くて新しい椅子

2022年11月22日 | 絵本(外国)

    古くて新しい椅子/中嶋浩郎・文 パオラ・ボルドリーニ・絵/福音館書店/2014年(1997年初出)

 

 マルコは10さい。背が急に伸びてきて、子ども用の机では窮屈になってきました。お父さんに新しいのを買ってくれるようにいうと、お父さんは、物置に連れていき、古びた机と椅子を、マルコのだといいます。机と椅子は、ひいおじいさんのころから家にあるものです。こんなオンボロつかえないというマルコとお父さんは、机、椅子を家具修理の職人パオロさんに運びました。

 ここから家具修理屋さんの工程がつづきます。パオロさんにできない椅子の座る部分はアンナさんに、引き出しのとっては金具職人のランベルトさんに依頼します。出来上がった机と椅子をみて、マルコはそれが物置にあったボロボロの机と椅子と同じものだと、信じられませんでした。

 

 「イタリアの家具のしゅうりの話」というサブタイトルがついていて、舞台はフィレンツェ。作者はフィレンツェ大学で講師をされており、絵もフィレンツェ在住の方。

 机と椅子を修理していく過程がていねいにつづくのも興味深いのですが、職人さんのネットワークもあって、ツーカーのなかというのも町の魅力でしょうか。

 フィレンツェでは、1966年11月、人の肩までくらいの大洪水で家具などが水浸しになったエピソードもかかれています。椅子の座る部分のチェス盤スタイル、封筒スタイル、ウイーン風のワラのデザインもしゃれた感じですが、発行の時点で、ワラ張りをする人がフィレンツェではニ、三人しかいないとありましたから、これからどうなるでしょう。

 骨董品の事情にもふれられていますが、修理する人がいなくなったら、古い家具は捨てられるだけ。高価でも長く使えるのが理想ですが、なかなか手が出ません。

 再利用も考えて、捨てないで保管しておきたいのはやまやまですが、いかんせんスペースがありません。


ぼくがげんきにしてあげる

2022年11月21日 | 絵本(外国)

    ぼくがげんきにしてあげる/ヤーノシュ・作 石川素子・訳/徳間書店/1996年

 

 小さなクマが、草原の真ん中で倒れていた小さなトラを見つけて看病し、動物病院で手術をして小さなトラが元気になるまで。

 こういうとあっというまにおわってしまうようですが、トラとクマの楽しい会話がつづき、おおぜいの動物も登場します。

 トラが両手、おなか、背中、足も痛いというので、全身包帯をまいてあげると、こんどは、おなかがすいてきたという小さなトラ。自分の好きなものをつぎつぎあげていきますが、「それはできない」と小さなクマ。小さなクマが「スープといって」というと、「そう!スープ! ぼくそういおうとおもっていたんだ」という小さなトラ。

 少し眠ると、すこし具合がよくなった小さなトラが、お見舞いがほしいといいだします。もぐらみちをとおっているホース電話で電話すると、ガチョウおばさんが、ワインをもってきてくれました。もうすこしお見舞いがほしいという小さなトラに、ウサギもやってきて動物病院いくことになりました。

 つぎの日、オオカミとヤギが、小さなトラを担架に乗せて病院へ向かうと、ゾウ、アヒル、ウサギ、ネズミ、キツネ、イヌ、ハリネズミ、ロバがくわわって動物病院へつきました。このどうちゅうのやりとりも楽しいのですが、病院の中でも、たのしいやりとり。

 いい気持になる注射をしてもらい、あおい夢を見ている間に、手術はおしまいです。注射と聞くとイヤな感じですが、いい気持になる注射といわれると、痛くなさそうです。

 小さなトラのわがままなところが これでもかとでてきますが、甘えん坊な感じで苦笑してしまいます。でも病気になると弱気になるので、これも仕方がないかも。

 小さなトラのわがままに 辛抱強くこたえてあげる小さなクマのなんとやさしいこと。小さなクマが病気になったら、こんど 元気にしてくれるのは小さなトラの番です。

 

 目立たないですが、小さく描かれたカエルが、毎ページのようにでてきて、小さなトラと小さなクマのやりとりを なぞっている絵があります。包帯を巻いているところでは、おもちゃに包帯をまいてあげ、小さなトラが病院からかえる場面では、おもちゃをおしています。


源十郎 弥十郎・・神奈川

2022年11月20日 | 昔話(関東)

          神奈川のむかし話/相模民俗学会編/日本標準/1977年

 

 鎌倉の源十郎という魚売りが、いつもように由比ヶ浜を歩いていると、犬に追われたキツネが一ぴき、一目散にかけてきて源十郎が担いでいる荷の中へとびこんでしまいました。追いかけてきた犬がもの凄い剣幕で吠え立て源十郎のまわりをぐるぐるまわりました。源十郎が天秤棒で犬を追い払うと、キツネは一目散に山へ帰っていきました。

 その晩、源十郎は、夢枕で 昼間助けたキツネから、魚売りをやめて佐介ケ谷でダイコンをつくるよう話かけられました。お金持ちになるといわれ、源十郎はさっそくダイコンづくりをはじめました。あけてもくれてもダイコンづくりにはげみ、いつか寒い冬になりました。

 その冬、村じゅうに悪い病が流行っていました。その病気にかかると、たいていの人は助かりません。そんなとき、村のひとりが夢の中で、源十郎が作っているダイコンを食べれば、たちどころに、病はなおるという神さまのお告げを聞きました。お告げを聞いた村人は、村じゅうに、お告げのことを知らせました。ためしにダイコンを食べてみると、不思議なことに、たちまち病がなおりました。評判が評判を呼び、源十郎のところへダイコンを買いにくる人がおしかけました。残り少なくなると値段はどんどん高くなるばかりでしたが、それでも人びとが高いダイコンを買ったので、源十郎は、たちまち大金持ちになってしまいました。

 源十郎は大金を手に入れ、御殿のような家を作り、たくさんの召使を雇ったり、かってなことをするようになりました。こんな振る舞いは、身分をわきまえないと、殿さまが財産を取り上げ、鎌倉から追い出してしまいました。

 仕方なく旅に出た源十郎夫婦が旅をつづけ、いつのまにか筑紫(福岡)のある村につき船にのりこんだときのことです。急に海があれだし、船が沈没しそうになりました。船頭は「海が荒れるのは、竜王さまがおこっているからだ。みんながもっている宝物を、海に投げ込めば、海は穏やかになる。」といいます。源十郎は、命惜しさに、残り少なくなったお金を海に投げ込みました。すると、海はもとどおり静かな海になり、無事に博多につくことができました。

 年の暮れに、魚を買ってお祝いしようと妻が言いだしますが、源十郎は、お金がすっからかんになるので難色をしめします。それでも妻からしつっこくいわれ、大きな魚を買いました。ところが魚を調理しよう腹をさくと、さきほど海に投げ込んだお金があるではありませんか。

 このお金で再び商いをはじめた源十郎は、その商売があたって、いつのまにか、また大金持ちになりました。このとき名前を弥十郎とあらため、こんどは大金持ちになっても、おごらず、貧しい人には、ほどこしをするなどのよいことをしました。

 このうわさが鎌倉にもきこえ、源十郎を追い出した殿さまの、次の殿さまから「鎌倉にかえってきてもよい」とのお許しをもらい、鎌倉に帰って、しあわせにくらしたという。

 

 スケールがちがいますが、どんな贅沢をしても使いきれないほどの大金持ちもいます。天国(地獄?)までもっていっても仕方がありませんが・・・?


トスカのクリスマス

2022年11月19日 | 絵本(外国)

    トスカのクリスマス/マシュー・スタージス・文 アン・モーティマー・絵 おびかゆうこ・訳/徳間書店/2022年

 

 1991年発行(講談社)の復刊です。

 まるで写真のように繊細に描かれた猫、クリスマスではならのおもちゃやケーキ、クリスマスツリー、そしてサンタクロース。

 見開きの左右を使って、片方に絵、片方に文が配置されていますが、各ページの文の部分には、三分の一ほどの円形のモノクロの絵が文を補完しています。

 その日は、邪魔者扱いでどこにいっても居場所がない猫のトスカ。外に出され窓から部屋をのぞき込んでいると、やってきたのはサンタクロース。

  サンタさんの袋の中に入って家の中に入ると、サンタさんのためにおいてあった お菓子を食べて 膝の上に 飛び乗りました。ちゃんと ひるねをしなかったせいか、サンタさんが やさしくなでてくれると トスカは すぐに ねむりこんでしまいました。

 つぎの日の朝、めをさますと 目の前の一番小さなくつしたに 猫の顔が刺繍してあります。あけてみると ほんものそっくりの おもちゃの ねずみがでてきました。トスカにとって はじめての クリスマスプレゼントでした。

 

 子どもの夢をこわさないように、ちゃんとサンタクロースがでてくるのも好感が持てます。

 プレゼントのねずみは、ゼンマイ式でした。時代の違いを感じます。


クリスマス・イブ 「ふたりはいつも」の中から

2022年11月18日 | 絵本(外国)

    ふたりはいつも/アーノルド・ノーベル・作 三木卓・訳/文化出版局/1977年

 
 
 この「ふたりはいつも」には、「そりすべり」「そこの かどまで」「アイスクリーム」「おちば」と「クリスマス・イブ」の がまくんとかえるくんの季節感あふれるエピソードが五編。
 
 クリスマス・イブの晩、がまくんは、もみの木を飾り、ごちそうもつくって かえるくんの到着をまっていました。時計をながめますが、時計はこわれていました。
 
 玄関のドアを開けて暗闇をのぞきますが、かえるくんはいませんでした。
 
 「穴におっこってでてこられないかも」
 「もし森で迷っていたら」
 「するどい歯の いっぱいはえた おおきな けものに おっかけられてたら」
 
 がまくんの心配の種はつきません。地下室で縄を見つけ、穴からひきあげる用意をし、けものたいじには フライパンで ぶんなぐろうと、うちから はしりだしました。
 
 すると かえるくんが いたのです。かえるくんは プレゼントを つつむのに 時間がかかっていたのです。
 
 がまくんが かえるくんの プレゼントをあけてみると・・・。
 
 
 友だち思いのがまくんが、あれこれ妄想するところに、やさしい気持ちがあふれています。あったかい暖炉のそばで過ごすクリスマス・イブは、素敵なものになりました。
 
 相手のことを思いやる気持ちがあれば、動物だって人間だって うまくまわっていけるのです。
 
 それぞれの季節に読み聞かせするのもよさそうです。