どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

風と木の歌

2015年06月30日 | 安房直子

                          風と木の歌/安房直子/偕成社/2006年


 1972年に出版されたものが文庫版として2006年に発行されていて、発行年からいうと初期の童話集のようです。

 どの作品にも、とても想像できない風景がひろがっています。

 「空色のゆりいす」には、虹からとった絵具。
 「鳥」には、女の子の耳に入った”ひみつ”。
 「夕日の国」には、薬をぬった縄跳びを五十回飛ぶと夕日の国に。
 「だれも知らない時間」は、二百年も生きてきたカメが、だれも知らない時間をくれます。

 虹は、希望を感じさせてくれますが、虹から色をとるという発想がどこからきているのか不思議です。

 夕日の国には砂漠にひろがる風景。砂漠のラクダが盗賊におそわれ、たった一頭、残ったラクダがいますが、そこで夕日の国への旅は終了で、手がとどきそうでとどきません。

 カメがくれる時間は、自分の命を削ってくれる時間。

 想像の翼が限りなくひろがります。
 
   空色のゆりいす(1964年初出)
   鳥(1971年初出)
   夕日の国(1971年初出)
   だれも知らない時間(1971年初出)


二羽のオウム・・ブラジル

2015年06月29日 | 昔話(南アメリカ)

    二羽のオウム/ブラジルのむかしばなし2/カメの笛の会/東京子ども図書館編/2013年初版


 昔話というと、意地悪か欲張りなおじいさんがでてきたり、こわい動物や魔女がでてきたりするのが多いが、この話に登場するのはさわやか?な太陽と月と二羽のオウム。
 
 ある日、太陽が狩り!に出かけオウムのひなをみつけ、家でそだてることに。食べ物をやったり、指にとまらせたり、ことばを教えたりとかわいがって育てます。

 オウムが大きくなると、狩りで疲れて帰ってくる太陽と月のために、娘に姿をかえ、こっそりと食事の用意をします。
 毎日、毎日同じことが起こるので、太陽と月は狩りにいくみせかけて隠れて様子を見守ります。

 やがて、二人の娘が食事を作っているのを見つけます。娘はあわててオウムに戻ろうとしますが・・・。
 
 育ててくれたお礼をしようと思ったオウム。オウムにもどることなく、太陽と月と結婚することに。
 
 食事をつくるのに、オウムがトウモロコシをすりつぶすのもブラジルらしい。

 太陽と月というのが、二人の若者であってもおかしくない。


いい夢とつまらない旅・・フランス

2015年06月27日 | 昔話(ヨーロッパ)

      いい夢とつまらない旅/空にうかんだお城 フランス民話/山口智子・訳/岩波書店/1981年初版


 イソップをおもわせるフランスのお話。

 オオカミがみつけたのは生ハム。
 塩からすぎる、もっといいものをみつけるぞといくと
 おおきなブタのあぶらみが。
 古すぎる、もっといいものをみつけるぞといくと
 子馬をつれた雌馬に。

 食べようとすると雌馬の後足でひずめの一撃をくい、オオカミのあごはガタガタに。
 こぶたをつれた雌豚にであうが、雌豚にだまされてしまう。

 今度はケンカをしているおヒツジにあうが、二匹のおヒツジから角の突きで、オオカミはひっくりかえってしまう。

 こわいオオカミが道化役のお話。


イソップのお話から

2015年06月26日 | 絵本(昔話・外国)
イソップのお話から  

   イソップのお話から/絵:バーナデット・ワッツ 訳:やがわ すみこ/西村書店/1990年初版

 

 北風とおひさま、ウサギとカメなど、短くてもピリリとからい20篇の話がおさめられています。

 イソップは、紀元前6世紀の人といいますが、よくわかっていない人物なので、今残っている話がどこまで彼自身のものか不明のようです。

 絵はモノクロとカラー版がでてきて、田園風景が落ち着いた印象です。

 しかしお話はいずれも皮肉のきいたもので、今でも決して古くはありません。

 イソップの話は、日本の昔話にもとりいれられているようで、「触れると金になる話」というのが、福井県では「すべて金」という話に翻案されているようです。

 神さまに金の蔵がほしいというと、金の蔵が、もっとたくさんの蔵がほしいと願うと、さらに多くの蔵が。
 それだけでいいのかと言われた男。何でもかんでも金にしてくれと頼むと、触ったものが金にかわり、食べ物まで金にかわってしまうという結末。

 大分県の「サルの仲裁」というのは、イソップの「ずるい狐」の翻案。

 光村図書の小学五年生の国語教科書には、宣教師が出版したという「伊會保物語」があり、その中の一つが紹介されていました。


中学校国語教科書に昔話などは?

2015年06月25日 | いろいろ
 小学校につづいて、中学校編。
 光村図書の国語教科書には、昔話はありませんでした。

 
 (小説などで目についたもの)

一年生  杉 みき子  にじの見える橋
     鎌田 實   雪とパイナップル
     安東 みきえ 星と花が降るように
     米倉斉加年  大人になれなかった弟たちに

二年生  太宰 治   走れメロス
     三浦 哲郎  盆土産

三年生  井上 ひさし 握手
     浅田 次郎  蝉の声

 偕成社からだされている安房直子コレクション7に教科書にのった作品がのっていました。(2015.9.3)
 <青い花>     中学校国語一  学校図書 昭和59~61年度
 <鳥>       新版中学国語1 教育出版 昭和53~平成4年度
 <木の葉の魚>   中学校国語1  学校図書 平成9~平成13年度

きつねのおきゃくさま

2015年06月24日 | あまんきみこ
  きつねのおきゃくさま  

   きつねのおきゃくさま/作:あまん きみこ 絵:二俣 英五郎/サンリード/2001年初版

 

 教育出版の二年生の国語にのっていたので、図書館からかりました。

 先生による指導の記録もあり、絵本ナビには60人をこえる感想があります。
 教科書にのるだけあって、読んだときの子どもたちの感想をひきだすにはぴったりのようです。

 こんな話を語る人がいても不思議ではないのですが、なぜか聞いたことがありません。

 教科書にのっているので、話しにくいかもしれませんが、他の出版社の教科書では、取り上げられていないので、ぜひ聞きたいもの。
 
 図書館から借りてきて読んだ絵本のなかでは、相当の人気があるようです。      


 2015年7月9日、勉強会でこの話を語ってみました。

 昨日の小学校の授業で、この話の音読を聞かれた方がいて、この時期に小学校でとりあげられていることがわかりました。
 いつもはどんなに短くても一つの話を覚えるのに2か月以上は必要ですが、この話は2週間で覚えることができました。
 やはり魅かれる話だと覚えやすいようです。

 「むかしむかしあったとさ」からはじまって、最後は「とっぴんぱらりのぷう」でおわる昔話風なので、よけいにそうなのかもしれません。

 この話は、心理劇風でもあり、芝居にしてもおかしくありません。    

(おぼえるために書き写してみました。絵本版のものです)

 むかし むかし あったとさ。
 はらぺこきつねが あるいていると、やせた ひよこが やってきた。
 がぶりと やろうと おもったが、やせているので かんがえた。
 ふとらせてから たべようと。
 そうとも。よく ある、よく ある ことさ。
「やあ ひよこ」
「やあ きつねおにいちゃん」
「おにいちゃん? やめてくれよ」
 きつねは ぶるると みぶるいした。
 でも ひよこは、目を まるくして いった。
「ねえ、おにいちゃん。どこかに いい すみか ないかなあ。こまってるんだ」
きつねは こころの なかで、にやりと わらった。
「よし よし、おれの うちに きなよ」
すると ひよこが いったとさ。
「きつねおにいちゃんって やさしいねえ」
「やさしい? やめてくれったら、そんなせりふ」
でも きつねは うまれてはじめて 「やさしい」なんていわれたので、すこし ぼうっとなった。
 ひよこを つれてかえる とちゅう
「おっとっと おちつけ おちつけ」
 きりかぶに つまづいて、ころびそうに なったとさ。
 きつねは ひよこに、それは やさしく たべさせた。
 そして、ひよこが 「やさしい おにいちゃん」というと、ぼうっと なった。
 ひよこは まるまる ふとってきたぜ。

 あるひ、ひよこが さんぽに いきたいと いいだした。
――はあん。にげるきかな。
 きつねは、そうっと ついていった。
 ひよこが はるの うたなんか うたいながら あるいていると、やせた あひるが やってきたとさ。
「やあ、ひよこ。どこかに いい すみかはないかなあ。こまっているんだ」
「あるわよ。きつねおにいちゃんちよ。あたしと いっしょに いきましょ」
「きつね? とおんでもない。 がぶりと やられるよ」
と、あひるが いうと、ひよこは くびを ふった。
「ううん。きつねおにいちゃんは、とっても しんせつなの」
 それを かげで きいた きつねは うっとりした。
 そして 「しんせつな きつね」という ことばを 五回も つぶやいたとさ。
 さあ、そこで いそいで うちに かえると、まっていた。
きつねは、ひよこと あひるに、それは しんせつだった。
そして、ふたりが 「しんせつな おにいちゃん」の はなしを しているのを きくと、ぼうっと なった。
 あひるも まるまる ふとってきたぜ。

 あるひ、ひよこと あひるが さんぽに いきたいと いいだした。
――はあん。にげるきかな。
 きつねは、そうっと ついていった。
 ひよこと あひるが なつの うたなんか うたいながら あるいていると、やせた うさぎが やってきたとさ。
「やあ、ひよこと あひる。どこかに いい すみかはないかなあ。こまっているんだ」
「あるわよ。きつねおにいちゃんちよ。あたしたちと いっしょに いきましょ」
「きつねだって? とおんでもない。 がぶりと やられるぜ」
「ううん。きつねおにいちゃんは、かみさまみたいなんだよ」
 それを かげで きいた きつねは うっとりして、きぜつしそうに なったとさ。
 そこで きつねは ひよこと あひると うさぎを、そうとも、かみさまみたいに そだてた。
 そして、三人が、「かみさまみたいな おにいちゃん」の はなしを していると、ぼうっと なった。
 うさぎも まるまる ふとってきたぜ。

 あるひ。
 くろくも山の おおかみが おりてきたとさ。
「こりゃ、うまそうな においだねえ。ふん ふん、ひよこに あひるに うさぎだな。」
「いや、まだ いるぞ。きつねが いるぞ。」
 きつねの からだに ゆうきが りんりんと わいた。
 おお、たたかったとも、たたかったとも。
 じつに じつに いさましかったぜ。
 そして、おおかみは、とうとう にげていったとさ。

 そのばん。
 きつねは、はずかしそうに わらって しんだ。

 まるまる ふとった ひよこと あひると うさぎは、にじの もりに ちいさい おはかを つくった。
 そして、せかいいち やさしい しんせつな、かみさまみたいな そのうえ ゆうかんな きつねのために なみだを ながしたとさ。
              
 とっぴんぱらりの ぷう。


 「きつねは、はずかしそうに わらって しんだ。」のですが、なぜ恥ずかしかったのでしょうか。

 ひよこ、あひる、うさぎをオオカミから救ったきつねは、自分を犠牲にしています。

 信頼され、ほめられてきつねの気持ちがかわってきたのですが本当はどうだったのでしょうか。

 ひよこは本当に一点の曇りもなくきつねを信頼したのでしょうか。

 素直にうけとるのが一番でしょうが、疑問をもつと、またちがった意味合いが生まれてきそうです。


もりのともだち

2015年06月22日 | 絵本(外国)
もりのともだち  

   もりのともだち/作・絵:アンドレ・ダーハン 訳:田島かの子/小学館/2002年初版

 

 ほのぼのとして心あたたまります。

 表紙の鹿の角はまるで木のよう。

 森の番人でもある鹿は、馬に乗ったテオという少年を森のひみつの場所に連れて行ってくれます、
 森では動物たちの運動会が。

 テオはメダルをかけてあるかかりになります。一等賞はかたつむり、二等賞はカメ、三等賞はウサギ。

 ウサギはとちゅう眠ったようではないのですが・・・。順位はどうでもいいんですね。

 動物たちの前で、笛を吹くテオ。踊り始める動物たち。
 やがてテオの誕生日に、鹿はプレゼントをもってやってきます。

 プレゼントの中身はなんだったのか気になるおわりです。

 作者がアルジェリア生まれで、絵が演劇の世界で活躍している方という組合わせにひかれました。       


きつねの窓

2015年06月20日 | 安房直子

 安房直子さんの童話(1971年初出)。

 小学生の教科書にのっているというのですが、何年生でしょうか。

 猟師の”ぼく”が、青いききょうの花畑であったのは、子どもの白ぎつね。

 ”ぼく”は親ぎつねをしとめたいと、白ぎつねののあとをおいかけていきます。

 すると小さなお店があります。”そめもの、ききょうや”の看板が。

 そこには子ぎつねがばけた子どもの店員が、たっていました。”ぼく”は、すぐ子ぎつねがばけたとわかります。
 帽子や靴下、ズボンでも上着でも何でもそめますといわれて、ハンカチでもそめてもらおうとすると、きつねは、親指をおそめしますといいだします。
 きつねの親指とひとさしゆびが青くそめられていて、両手の指でひしがたのまどをつくると、母ぎつねの姿がみえます。

 このきつねのお母さんは鉄砲でうたれ、なくなっていたのです。

 ぼくも手をそめてもらって、ひしがたをつくると、そこにうかんだのは、昔大好きで、いまはもうけっしてあうことのできない少女でした。

 指をそめ、窓をつくると、そこにはもうなくなった親しい人がうかんでくるという情景がせつなくせまってきます。
 
 ”ぼく”のお母さんも妹もなくなっていて、小さいころ家が焼けたというのが後半にでてきます。

 このまどがずっといきていたら母親や妹のすがたも見えたはずなのですが、最後にどんでん返しがあります。

 ここにでてくるのは小さなお店。ききょうの青。どちらも安房さんの童話にはかかせません。

 ”ぼく”も子ぎつねもひとりぼっち。窓にうつる亡くなった人への追想。
 それにしても少し悲しくなる話です。

 文庫本で読みましたが、ポプラ社から絵本も出版されているようです。


雪の男の子・・フランス

2015年06月19日 | 昔話(ヨーロッパ)

    雪の男の子/空にうかんだお城 フランス民話/山口智子・訳/岩波書店/1981年初版


 子どものいなかった夫婦が、雪の降った日に雪だるまをつくると、その雪だるまが腕や足を動かしはじめます。この男の子は心がうつくしく、やさしい子でした。
 国中の人が男の子をみようとやってきます。

 しかし冬中いきいきした男の子は、春がやってきて6月の夏祭りのとき、子どもたちがたき火のそばにつれていくと炎で溶けて消えてしまいます。

 短く幻想的で、絵本にしてみたい話です。

 どこの国にも沢山の昔話があって、そのなかから訳者のかたはどのように選択しているのでしょうか。


わすれないよいつまでも 日系アメリカ人少女の物語

2015年06月15日 | 絵本(社会)
わすれないよいつまでも 日系アメリカ人少女の物語  

    わすれないよいつまでも 日系アメリカ人少女の物語/文:ヨシコ・ウチダ 絵:ジョアナ・ヤードリー 訳:浜崎 絵梨/晶文社/2013年初版

 

 住み慣れた家からタンフォラン収容所へ。さらにトパーズ収容所へ。
 戦争がはじまるとアメリカ西海岸に住む日系アメリカ人は番号をつけられ強制収容所へおくられることに。
 
 出発の日、ローリエという女の子がブレスレットをエミにつけてくれます。

 辛かったであろう収容所での生活にはほとんどふれられていないのが、逆にここでの生活を想像させてくれます。

 お父さんは家族とはなればなれ。お母さんはエミに語ります。
「どこへいっても、思い出は、わたしたちといつもいっしょ。心のなかで、たいせつにのこしておけるのよ。」

 1988年、アメリカ政府は、強制収容は過ちだったことを正式に認め、謝罪し、人権を迫害され続けた日系アメリカ人や在米日本人に補償をおこないます。

 楽しく読める本ではありません。

 裏側から戦争をみつめていく必要がありそうです。広島に原爆が投下されたとき、アメリカ人捕虜も亡くなったことを思い出しました。


あさの絵本

2015年06月12日 | 絵本(自然)
あさの絵本  

        あさの絵本/作:谷川 俊太郎 写真:吉村 和敏/アリス館/2006年

 

 ゆっくりと空が明るくなる前の一瞬
 湖に映る森
 朝靄のなかに浮かび上がる家や丘
 地平線から浮かび上がる太陽
 やがて太陽がのぼると草花も木々もいきいき
 風にいきおいよくなびいている洗濯物
 
 昨日どんないやなことがあっても、これをみるとさっぱりと流れ、希望が生まれてきそうです。

 はじめみたとき、読み聞かせなどにはどうかなと思ったのですが、絵本ナビには小学生、中学生に読み聞かせた体験ものっていて、いずれも好評だったようです。
 
 一見、なんでもないような風景が、写真家の手にかかると、ドラマを感じさせてくれます。

 谷川さんの詩で草地がひろがるところに「くさのかおり かぜのかおり いのちのかおり」とありますが、いのちのかおりというのに魅かれました。                


小便小僧のピンケル・・スウエーデン、かしこいモリー・・イギリス

2015年06月11日 | 昔話(外国)

 話を選ぶとき、聞いて楽しかったので、その話をしてみたいと思う人も多いようですが、 イギリスの「かしこいモリー」(エパミナンダス 愛蔵版おはなしのろうそく1/松岡享子・訳/東京子ども図書館編/2004年)もその一つでしょうか。

 モリーにくらべると、「小便小僧のピンケル」(スウエーデンの森の昔話/編絵 アンナ・クララ・テイードホエルム 訳・うらた あつこ/ラトルズ/2008年初版)は聞いたことがありませんが、話型は同じです。

 モリーの方は三人姉妹ですが、スウエーデン版は三人兄弟。
 モリーもピンケルも末っ子。なぜ小便小僧とよばれていたかは訳の中でははっきりしません。

 モリーの方は三人姉妹が森に捨てられるところからはじまりますが、ピンケルは母親から自分の力で幸運をつかんでおくれといわれ旅にでます。

 人食い鬼の大男のところに、泊まり込んだ三人姉妹。
 大男に殺されそうになるが、大男の三人姉妹がしていた金の鎖と自分たちのわら縄を取り換えて難をのがれる。
 モリーたちは王さまのところにいくが、王さまから大男のもっている刀、財布、指輪をもってくるようにいわれ、それをなしとげる。

 一方、ピンケルたちがころがりこんだのはトロルの家。ここにはおばあさんと娘。

 スウエーデン版では、すぐにトロルのところから去って、王さまのところにいく。
 ピンケルはすぐ王さまのお気に入りになるが、それをねたんだ二人の兄は王さまに入れ知恵する。しかしピンケルは、ランプ、金の角をもつオスヤギ、金の刺繍してある毛皮のコートをトロルのところから持ち出すことに成功します。

 どちらも大男やトロルのところに3回でかけますが、このあたりのやりとりはスウエーデン版のほうが詳しく、テンポもリズミカル。

 モリーは三人姉妹があらそうことはないが、ピンケルの方は兄たちが弟を困らせやろうと画策するあたりが特徴になっている。

 逃げ出すのに、モリーの方は「髪の毛一本橋」が決め手になるが、ピンケルの方は舟で逃げ出す。

 イギリス版では人食い鬼の大男、スウエーデン版はトロルといずれもおなじみのキャラクター。
 ここでのトロルはちっとも恐ろしくなく主人公の引き立て役です。


うしかたとやまんば・・紙芝居

2015年06月10日 | 紙芝居(昔話)


      うしかたとやまんば/作・坪田譲治 画・福田庄助/童心社/1985年初版

 

 昔話では、いまではなじみにくい道具などがでてきて、ときどきどう受け止めているのかきになります。

 例えば井戸。井戸に映ったものを本物と勘違いする話も多いが、今の子どもたちは、井戸をみる機会がほとんどないのでは?
 
 この話では、やまんばの餅を屋根裏にかくれたうしかたが、かやで餅を引き上げてたべたり、米びつ(からと)に寝る場面があるが、米びつといっても今ではおおきなものをおいてある家庭はほとんどない。

 貯蔵手段の少なかった昔は、いまでは想像できないようなことも多い。

 このあたり、紙芝居では絵があるので、かやというのがよくわからなくても、それほど抵抗なく話の世界にはいっていけそうである。         


おねがいもうしあげます

2015年06月09日 | 昔話(日本)

    日本の昔話4 さるかにかっせん/おざわとしお・再話 赤羽末吉・画/福音館書店/1995年初版


 欲張りや悪役がでてこない話です。

 不作が続いて年貢が納められなくなった村の人が、村一番のばら八という知恵者に殿さまへのおねがいの手紙をかかせます。
 ばら八は「一,二,三,四,五,六,七,八,九,十」という手紙をだします。
 不思議に思った殿さまがばら八をよんでたずねると

 一、ひとつねがいあげまする。
 二、にがにがしくも 
 三、三年続きの米不作
 四、忍に忍べず
 五、年貢もおさめかね
 六、ろくろくたくわえないものは
 七、質入れしてもまにあわず
 八、八方ふさがりいきどまり
 九、きゅうきゅう苦しい村びとに
 十、年貢のおゆるしを、おねがいもうしあげます

 これに殿さまもかえしことばでこたえます。

 十、じゅうじゅう承知いたしたぞ
 九、暮らしてゆけぬそもじもの
 八、野暮なやつらと思えども
 七、難儀をすくうのは、お上のお慈悲
 六、ろくろく食えぬものどもや
 五、ご年貢だせぬものどもは
 四、思案できるはずもない
 三、三年つづきの不作ゆえ
 二、二度はならぬが
 一、一度はゆるす

 昔話では、殿さまがでてくると何かと難題をだしますが、この話は掛け合いが楽しめます。
 
 しかし粋な殿さまもいたもので、税金であっぷあっぷしているわが身をふりかえると、誰かに聞かせたい話です。


わっ

2015年06月07日 | 絵本(日本)
わっ  

    わっ/作・絵:井上 洋/小峰書店/2012年初版

 

 おじいさんが散歩していると”わっ”と驚かされる。
 おじいさんではなく、建物の窓が口になって”わっ”
 ねずみが”わっ”
 もぐらが”わっ”
 とんびが”わっ”

 池の鯉も、こうもりも、かみなりも、傘も、星も・・・・

 線が主体の絵ですが、何かなつかしい感じ。次になにがでてくるか興味をもたせてくれます。
 親しみやす絵です。

 よく見ると背景の家の人もえがかれていています。

 ”わっ”って何かとおもったら・・・。