どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

トルストイと毛呂山町

2016年08月30日 | 日記

学校の日本史で、武者小路実篤が「新しき村」を開村したというのがでてくるが、その後については詳しく触れられていませんでした。

 1918年宮崎県に開村された新しき村は、1938年にダムの建設により農地が水没することになったため、1939年に、今住んでいるところからそれほど離れていない埼玉県西部の毛呂山町に移転し、残りは日向新しき村として存続しているという。

 HPに代表のかたのお話がのっています。

 「新しき村は理想的社会を作ろうと願うものです」とお話ししています。(そんなことが…)と思われる方が多いと思いますが、理想的社会の第一条件は、自分が理想的な生き方をしてゆこうというのがその第一歩です。自分だけよければいい、他人はどうなっても構わない。そんな手前勝手なものでなく、新しき村の目指しているものは【自他共生】の世界です。心のままに生きることが互いに通じ合える生き方を求めての世界です。ですから他人を思い通りにしなければ満足できないという人達はここには居りません。自分を磨いてゆくこと生長させてゆくことは私達の生き方の中心になっています。武者小路実篤の提唱によって始まった運動ですが、その【新しき村精神】を基準に自他共生の世界を目指しております。

 武者小路実篤は、トルストイに傾倒し、その影響もうけて「新しき村」を開村しています。

 トルストイの民話を読んでいて、身近なところにトルストイの影響があったというのが驚きでした。


ふたりの兄弟と金貨

2016年08月29日 | 創作(外国)

     トルストイの民話/トルストイ 藤沼貴・訳/福音館書店/1989年初版


 トルストイの思想があらわれている民話。

 二人の兄弟は人がとどけてくれる物を食べて暮らしていました。

 二人は貧しい人のために朝から晩まで働きずめ。
 病人やみなしごや夫に死なれた女がいると、兄弟はそこにいって働き、お礼はもらいませんでした。
 普段は別々に過ごし、日曜日だけはふたりとも家にいてお祈りをしたり、話をしたり。すると天使がふたりのところに降りてきて、祝福をあたえてくれました。

 ある月曜日、兄弟は別々の道をあるいていましたが、兄はかわいい弟と別れるのがつらくて、うしろをふりかえります。すると弟が何かをみつけたように、じっと手をかざして離れた所を見つめ始めると、急にわきにとびのいて走り去ります。
 兄が不思議に思い、そこにいってみると、草に上に金貨の山があります。兄は弟がなぜとびのいたかふしぎでした。
 兄は、金貨に罪はないと、金貨をもちかえると、町の中に土地をかい、三軒の家をたてます。

 一軒目は夫を亡くした女とみなしごを住まわせるための施設。
 二軒目は病気や体の不自由な人たちのための病院。
 三軒目は、浮浪者や物乞いをしている人たちの家。

 兄は信仰にあつい老人をみつけて、三軒の家を取りしまりをさせます。
 そして残った金貨は貧しい人に直接てわたしします。

 兄は自分のした方がいいはずと考えましたが・・・。

 ところが天使がいうことには

 「でていけ。お前は弟と暮らす資格がない。弟は金貨のそばから飛びのいた。お前が金貨を使ってやったことより、尊いのだ。」

 兄がどれほどたくさんの人を世話をしたか話しはじめると、天使はさらにいいます。
 「お前を誘惑するために金貨を置いた悪魔が、お前に今の言葉をいわせたのだ」
 
 そこで、兄は良心がめざめ、自分の間違いに気がつくのですが・・・。

 トルストイは民衆に根差した独特の信仰を人々に伝えること、その信仰を実践することに全量をそそいだといいます。
 そして軍隊や税金を否定し、ロシア正教会から破門されます。

 82歳の時、自分の主張を実践するために家も財産も捨てて家出をし、旅の途中で病気になり、小さな駅で生涯をとじています。

 自分では、当たり前と思っていたお金について根本的な疑問をなげかけています。


ほんとうはなかよし

2016年08月27日 | 絵本(外国)


     ほんとうはなかよし エルモアとアルバート/ローレンチャイルド・作 明橋 大二・訳/一万年堂出版/2014年初版



 ひとりっこのエルモア。部屋もテレビも一人じめ。セシールおじさんがプレゼントしてくれた、だいすきなオレンジのジェリービーンズも誰かに食べられる心配もありません。

 ところがある日、弟がうまれてすべてがかわってしまいます。

 なにかというと、まわりの大人は「この子は、まだちいさいから」と、弟に味方します。

 弟のアルバートはいつもとなりにすわりたがり、まねしたり。エルモアはにげまわります。

 ところが、エルモアが、こわいゆめをみて悲鳴をあげると・・・・。

 兄弟がいるとどこにでもみられそうな風景。

 ひとりでは考えられなかったことも、弟ができると、かわってきます。
 多分おとうとがいじめられていると、お兄さんは弟をかばうでしょう。
 二人でいる楽しさを知ると、楽しさは2倍以上。

 でてくるおもちゃがユニークでほしいものばかり。
 二人のコスチュームも、子どもごころをつかまえそうです。


赤いイチゴと黒いイチゴ・・長野・伊那市

2016年08月26日 | 昔話(北信越)

         信州むかし語り6 食べものの話/しなのき書房/寺島俊治/2012年初版


 巻末に参考文献がのせられています。再話でしょうか。

 お千代とお花の姉妹。

 お千代にとって、今の母は継母。

 おっかさんは自分のうんだお花だけをかわいがり、お千代は働きずめで、食べるものも粗末なものばかり。

 雪の降る日のこと、お花は赤いイチゴを食べたいといいだします。

 継母は、赤いイチゴをとってくるようお千代にいいつけます。

 冬のさなかですから、赤いイチゴがみつかるわけはありません。

 「12のつきのおくりもの」では、ここで12月の精があらわれるのですが・・・。

 でてくるのは亡くなったおっかさんいにたおじいさん。

 赤いイチゴをとってくると、こんどは、黒いイチゴです。

 またおじいさんがあらわれて、お千代は、黒いイチゴを籠につみとります。

 黒イチゴを食べた継母とお花は、お腹が痛み出し顔も黒ぐろとしてしまい、死んでしまいます。

 昔話のよくあるパターンですが、ややものたりません。せっかくですから土地言葉を生かしてほしいとおもいました。               


ふとっちょローザ

2016年08月25日 | 絵本(外国)


     ふとっちょローザ/クリステル・デスモワノー・作 工藤直子・訳/ブロンズ新社/2001年初版

 国一番の「びじんめうし」のローザ。
 表紙を見るとおなかまわりをメジャーで測っていて、となりでは飼い主のジャンがびっくり。

 ローザは、まいにちバケツにあふれるほどのミルクをだし、ケーキをつくると、みんなおいしいと、うっとり。
 ローザのからだは、つやつや・ぴかぴか、まんまる・おなか、ふっくらピンクのおちちです。
 
 ところが、雑誌を見ていたローザは、雑誌にのってみたいとダイエットをはじめます。

 ジャンがほしくさをあげると、ローザがいうことには「きょうからわたしダイエット」とたべません。
 たいそう、ダイエット食品。

 ジャンががんがんいい、わんわんないて、いっぱいたのんで、ぷんぷんおこってもローザはしらんぷり。

 たしかにローザはどんどんやせていくのですが・・・・。

 
 まわりみちをしても、いずれはきがつけばいいのですが、よのなかそんなにあまくはないようですが・・・。

 誰が”びじん”の基準をいいだしたのでしょう。

 牝牛がやせていては、どうにもさまにならないようです。

 ジャンもローザなみに大きいのですが、親しみがもてます。


ちんぴら悪魔がパンの端のつぐないをした話

2016年08月24日 | 創作(外国)

       トルストイの民話/トルストイ 藤沼貴・訳/福音館書店/1989年初版


 人間を堕落?させようとちんぴら悪魔がとった方法です。

 ちんぴら悪魔が、貧しい百姓のなけなしのパンの端を盗んで食べてしまいます。この百姓が怒ることを期待した悪魔でしたが、百姓は怒るどころか「盗んだ奴はパンがないとこまるのだろう。たっぷり食べさせてやればいい!」と、また畑を耕し始めます。

 これをみた悪魔の親分は、ちんぴら悪魔をだらしないとののしり、三年の間百姓に勝てなかったらひどいめにあわせるぞと驚かします。

 ちんぴら悪魔は、百姓のところにでかけ、日照りの時は沼に種をまかせ、雨の多い季節には山の上に麦をつくらせたので、たくさんの小麦ができます。

 この百姓は、あまりたくさんの小麦ができたので、ちんぴら悪魔からおしえられた酒をつくりはじめます。

 この酒をのみはじめると、みんなおたがいにおせじをいい、おたがい同士をほめあい、こころにもない調子のいいことをいいはじめます。

 もう一杯酒を飲むと、百姓たちは話が大声になり少し乱暴になります。そしておたがいに悪口をいいあい、いがいみあい、つかみあいのけんかをはじめます。

 そして三杯目には、みんなへべれけになり、水たまりに鼻をつっこみ、体中どろだらけになり、豚のように寝そべってしまいます。

 酒をのませ、けだものにするというちんぴら悪魔がとった方法ですが、麦がでてきますからビールでしょうか。

 余裕がでてくると、貧しさをわすれてしまう人間を皮肉っていますが、トルストイは少々厳しすぎるようでもあります。


レンヘェンのひみつ

2016年08月23日 | 創作(外国)

     魔法の学校 エンデのメルヘェン集/池内紀他訳/岩波書店/1996年初版


 ミシェエル・エンデのメルヘン。

 思春期をむかえたレンヘェン。両親がききわけがいいときはいいのですが、そんなことはめったになく、いつも両親と衝突。
 なかなか自分の思い通りにしてくれない両親に我慢ならず、レンヘェンがとったのは・・・。

 魔女にたのもう。その魔女からもらったのは、二つの角砂糖。

 この角砂糖を紅茶かコーヒーにいれて飲むと、自分のいうとおりにしなと、両親の体の大きさが半分になるというもの。さらにいうとおりにしないと、さらにその半分。

 両親の体はどんどん小さくなり、レンヘェンは好きなことをし放題。
 顔は洗わず、歯も磨かず、学校へ。

 どこまでも小さくなるお父さんでしたが「半分、その半分とずっと半分ずつになっても、すっかりなくならないことはない」とおちつきはらっていたお父さんでしたが・・・。

 レンヘェンが遅く帰っても、誰も玄関のドアをあけてくれず、おなかがすいても食べ物はない。お金もなくなにも買えないと気がつくまでには、そんなに時間がかかりません。

 両親をもとにもどそうと、もういちど魔女のところにいくと、やっぱり渡されたのは角砂糖。しかし今度は自分が角砂糖を食べなくてはならないというもの。今度はレンヘェンが親のいうことをきかないと、体が半分になることに。

 もとにもどった両親のいうことをなんでもきいていたレンヘェン。

 あまりにもいうことを聞くレンヘェンにとまどう両親。はてさて結末は?

 魔女がでてくる場面は楽しく、両親の体が半分ずつになっていく様子には、ハラハラさせられます。

 面白い展開なのですが、語るには少しながすぎるようです。


ディッコンのおはなし

2016年08月22日 | 創作(外国)

     月あかりのおはなし集/アリソン・アトリー・作 こだまともこ・訳 いたやさとし・絵/小学館/2007年初版


 ワイルドグースさんは息子のディッコンに、市場にいって子ブタを4匹売ってくるようにいいつけます。

 ワイルドグースさんが心配したのは、ようせいやらばけものにだまされること。それでも一人でいかせるところがおはなしの世界。

 最初にあったのは男で上着はぼろぼろ、黒いフエルトの帽子もやぶれています。男は子ぶたを、いつも6ペンスのコインがはいっているお財布とひきかえに手に入れます。

 二番目にあったのは女の人。ディッコンは、いつでも咲いてるバラの花と子ブタを交換します。

 三番目にあったのは女の子。ディッコンは、どんな寒さにも大丈夫な子ヒツジの毛と子ブタを交換します。

 四番目にあったのは赤ちゃん。ディッコンが子ブタと交換したのは、いつも心をあたためてくれるキス。

 ディッコンが子ブタと交換したあとみたものは
   一番目の男は、木の葉に
   二番目の女の人は、ミツバチに
   三番目の女の子はチョウチョウに
   四番目の赤ちゃんはハトに

 お父さんは、ディッコンが、やっぱりようせいに合い、でもとんでもないものにかえられなかったことを喜びます。

 イギリスのものらしく、ディッコンが5~8月の歌をうたいながら歩き、いつもほがらかな顔で、にっこりわらう純真なところが、ディッコンの人柄をあらわしています。

 繰り返しで、次はどんなものがでてくるか興味津々といったところ。              


ヘリコプターのぷるたくん

2016年08月21日 | 絵本(日本)


          ヘリコプターのぷるたくん/鎌田歩・作/小学館/2014年初版   

 乗り物好きの子どもにはぴったり。

 レスキューヘリコプターの最新型のぷるたくん。
 さっそく工場の火事で緊急出動。

 ドクターヘリと大型ヘリコプターは、けむりをものともせず、飛び込んでいきます。
 ところがぷるたくんは、けむりにむせて、こわくておりていけません。

 工場からはなれたぷるたくんが山道でみたのは、がけくずれで、トラックが落ちた現場。

 こんどは、まよわず、トラックにのこされた人の救助をすることになりますが・・・。

 ヘリコプターが擬人化され、めだまがついていて、親しみがもてそうです。

 工場の火災現場から、ぷるたくんが離れる理由がちょっとわかりにくいかな。

 最後はほっとさせる結末で、小さいお子さんも納得できそうです。


もりのおるすばん

2016年08月20日 | 絵本(日本)


            もりのおるすばん/丸山陽子/童心社/2012年初版


 森のなかにある赤い三角屋根の家。

 くま、しか、きつね、りすが森の中を歩いていると、家から小さな女の子が、口に手をあてて「しずかに しずかに」とお願いします。

 きつつきが、とんとんと家をつくっていると、みんなで「しずかに しずかに」。

 なぜと思いながら読み進めていくと、素敵な結末が・・・。

 森、赤い屋根の家と、一見すると外国の人がかいたようです。

 女の子と動物たちが、とてもやさしい感じです。


トム・ミラーとかげぼうし・・アリソン・アトリー

2016年08月19日 | 創作(外国)

     月あかりのおはなし集/アリソン・アトリー・作 こだまともこ・訳 いたやさとし・絵/小学館/2007年初版


 トム・ミラーは、いつも自分のかげぼうしにだまされていました。

 いつかかげぼうしが、手に持っていたのは光る金貨。でも次の朝、おきてみると金貨ではなく黄色いキンポゲ。
 かげぼうしがつぎにもってきたのはダイヤモンド。次の朝、宝物は雨つぶに。
 金、銀、青、緑・・・いろんな魚は次の朝、魚はいません。

 トムはほんとうに腹をたて、おまえなんかいらないと大声をだします。
 びっくりしたかげぼうしは、黒いなみだを流して泣き出し、家からにげだします。

 長い年月がたって、トムはおとなになり、むすこも生まれます。その子は「小さなトム」とよばれていました。

 トムがおまつりの日、呼び声につられて、赤と白のテントにはいると、そこの舞台で、ロープにおなかを結ばれた黒いかげがハーモニカをふきながら、はねたり、とんだりしていました。

 黒いかげは、ずっとむかしトムのところからにげていったかげぼうしでした。
 ちいさなトムは、あの子を家につれてかえろうとささやきます。そして・・・・。

 チム・ラビットシリーズの作者の魔法のような世界。

 かげぼうしは、やっぱり本人とは別れられない存在のようです。

 かげぼうしは、トムをだましたのではなく、トムのどこかにひそんでいた夢を実現させてくれたのかもしれません。そしてその夢は簡単に実現できなかったことも。


モーリッツと空とぶ船

2016年08月17日 | 絵本(外国)


    モーリッツと空とぶ船/デイーテル・ヴィースミュラー・作絵/福間書店/1999年初版


 夏休みのある晩、モーリッツはひとりで留守番。
 友だちもみんな、キャンプや別荘にいっていて、のこっているのはモーリツツだけ。
 そこへ三本マストの空飛ぶ船がモーリッツを迎えにやってきます。 乗っていたのは、不思議な三人組。リジーという女の子、オウムのヘドロ、ネズミのヴィクトール。

 それから4人は海賊に奪われた宝物を探しに冒険の旅に出かけます。

 いかにもこわもての海賊たち。なかなか雰囲気がでています。

 空とぶ船が大きいのか小さいのか微妙です。
 
 夜の冒険で、夜の都市、森の風景が幻想的で、猫の目、月の明るさが印象的です。

 海賊のところに、魔法の本があるのですが、字が読めないので宝の持ち腐れ。モーリッツが字を教え始めるのですが・・・・。

 最後のオチが子どもからうけそうです。


女の子のほうがおとなよりかしこい・・トルストイ

2016年08月16日 | 創作(外国)

     トルストイの民話/トルストイ 藤沼貴・訳/福音館書店/1989年初版


 高校生のころ、よくわからずトルストイを読んでいたが、とにかく長いのでストーリーについていくのにやっとでした。長い物語が多い中で「女の子のほうがおとなよりかしこい」は比較的短い話です。

 晴着をきた女の子同士が、水遊びしていて、晴れ着をどろどろにしてしまいます。
 汚された方の母親が、汚した子をひったかくと、女の子は大声で泣きわめきます。
 今度は、泣きわめく女の子の母親が、隣の女に文句をつけます。
 売り言葉に買い言葉、男たちもでてきて、ののしりあい、すごい取っ組み合いになります。

 ところが大人が大騒動している間に、二人の女の子はいつのまにか、仲良く遊び始めます。

 おばあさんが、男たちの真ん中に走り込みいいます。

 「おまえさんたちは、ほかでもないこの子たちのことでけんかをはじめたのに、子どもたちはとっくになにもかも忘れてている。またいっしょに仲良く遊んでいる。かわいいじゃないか。この子田たちのほうが、おまえさんたちよりかしこいよ!」

 けんかをしていた男たちは、自分のことがおかしくなって笑い出します。

 最後に教訓があるのですが、なくてもよさそうです。

 ところで、いまトルストイやドストフエスキーは、読まれているのでしょうか。


算数の天才なのに計算ができない男の子のはなし

2016年08月14日 | 絵本(外国)


     算数の天才なのに計算ができない男の子のはなし/バーバラ・エシャム・文 マイク&カール・ゴードン・絵 品川裕春・訳/岩崎書店/2013年初版

 タイトルがすべてをものがたっています。

 小学校3年生のマックス・レオンハード。

 九九ができず、いやがらせやからかわれていたマックス。

 家で、算数の宿題をやろうとノートをだそうとしますが、見当たりません。
 ある日、両親が学校から呼び出されますが・・・・。

 算数のノートをひろったのは先生で、そこにかかれていたのは代数の問題でした。計算するのは苦手でも、数の概念を理解し、分析して判断するのが得意とする人もいますと、校長先生。

 算数障害というのは、はじめて。表面的なことだけで判断することの危うさ。大人には、その子の持つ本当の力を見抜く目がもとめられているようです。


児食仁王・・埼玉・比企郡

2016年08月13日 | 昔話(関東)

    グラフィックカラー日本の民話4 関東1<茨城・栃木・群馬・埼玉>/研秀出版


 比企郡都幾川村の慈光寺釈迦堂に安置されている仁王像にまつわる伝説。

 泣き虫の一人のこども。いちいちかまっては母親は仕事にならない。「あんまり泣くと仁王さんに食わしちまうで」とおどかします。

 仕事がおわった母親が家にかえると、子どもはいません。あちこちさがすと慈光寺の仁王さんの口に、子どもに結んでやった付紐がぶらさがっています。

 仁王さんにこどもが食われてしまったと思った母親が、「かえせかえせ」といいますが、もちろん返答はありません。

 怒った母親は、力任せに仁王さんを、谷底に突き落して、しまいます。
 仁王さんはごつんごつんと岩にぶつかって「オホホ、オホホ」と苦笑いしながらころび落ちていったので、いまでも、このへんのところを”ホホ沢”と呼ぶという。

 児食仁王といいますから、児を食べるというのでしょうか。

 それにしても、沢に落ちた仁王さんが、釈迦堂にあるというのは、はいあがってきたのでしょうか。


 親が言ったことが、そのとおりになるというのは、グリムの「七羽のカラス」でも「カラスになってしまえ」と父親がいうと、七人の息子がカラスになってしまう冒頭部を思い出します。