どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

どのようにしてグルジア人は土地を得たか・・グルジア

2024年08月06日 | 昔話(ヨーロッパ)

   五分間で語れるお話/もっときかせて!短いお話48編/マーガレット・リード・マクドナルド・著 佐藤涼子・訳/編書房/2009年

 

 この世を創ると、神さまは、すべての人々に土地を分け与えました。ブルガリア人がやってきて、トルコ人もやってきました。

 さて、グルジア人はあちらこちらぶらついていましたが、何ともうつくしい土地にやってきました。みんなはイチジクの木の下に腰を下ろし、果物を積み、パンを取り出し、ワインのビンをあけ、大宴会を開きました。みんなは乾杯を唱え、ワインを飲みました。とにかく飲みすぎて、葉の茂った木の下でぐっすり寝込んでしまいました。目を覚ますと、あたりはくらくなっていました。

 「やや、なんと、今日は神さまのところへ土地をもらいに行く日じゃないか? それいそげ!」

 神さまは、仕事を終えてひきあげるところでしたが、グルジア人は楽しく暮らすにはどうしたらいいかを知っていましたから、遅れてきたのをとがめませんでした。グルジア人が、神さまのために乾杯していて、その間に、時間がたってしまったというと、神さまはよろこんで、神さまをやめてときのためにとっておいた特別の土地をグルジア人に与え、自分は空の上にいってすむことにしました。

 そこでグルジア人は、神さまの土地をもらい、今に至るまでそこにすんでいるのです。

 

 グルジアは、神に愛されている美しい国ということでしょうか。お国自慢?


ヒルトン屋敷のブラウニー・・イギリス

2024年07月10日 | 昔話(ヨーロッパ)

   かじ屋と妖精たち/イギリスの昔話/脇明子・編訳/岩波少年文庫/2020年

 

 ヒルトン屋敷に住みついているブラウニーは、いたずら好き。塩壺に砂糖を入れるやら、ビールのコショウを入れるやら、椅子はなげたおし、テーブルはひっくりかえすやら、まったくなにをしでかすか見当がつかない。

 ところが召使いたちが、ボールにクリームを入れとくか、パンにハチミツを塗っとくかすれば、皿洗いを全部やって、台所をきれいに片づけといてくれた。

ところがある晩、召使たちが夜更かししておったら、なんとブラウニーが 焼きぐしを回す鎖につかまって、ぶらんぶらんやりながら、こんな歌をうたっていた。

 悲しや、悲しや、どんぐりは
 さっぱり木から、落ちてこん
 そのどんぐりが、芽を出して
 それが大きな木になって
 それで作ったゆりかごで
 ゆ-らりゆらりと、赤んぼが
 育って大人になったらば
 おいらを放してくれように
 悲しや、それは、いつの日か

 みんなは、そのブラウニーのことをかわいそうに思って、近所にいたたニワトリ飼いのばあさんに、どうすればそいつを放してやれるかのと、たずねてみた。ばあさんの話によれば、仕事をしたのに対して、食べ物や飲み物なんかでなく、もっと長持するお礼をもらったら、すぐにいってしまうのだそうだ。そこで、みんなは、緑色の布で、フードのついたマントを作り、それを暖炉のそばにおいて、かげからこっそりようすを見ていた。するとブラウニーがやってきて、フードつきのマントをみると、さっそくそれを着こみ、片足で立って、ぴょんぴょん跳ねまわりながら、歌をうたった。

 マントを、もーらった
 フードも、もーらった
 これでおしまい おいらの仕事
 ヒルトン屋敷に、おさらばさ

 そして、それっきりいなくなり、二度とその姿をみることはなかったということだ。

 ところで、ブラウニーって?

 小さくておかしなやつで、半分人間、半分コブリンのようで、もじゃもじゃと毛深くて、とがった耳。宝を埋めて、それを守りたいなら、埋めたところに殺したばかりの子ヤギか子羊の血を、ちょっぴりまいとくといい。宝とそのからだをまるごと埋めると、ブラウニーが 近づくものを脅かして、あんたの宝をまもってくれる。

 

 日本の貧乏神どうよう、外国にも屋敷に住みついている存在があるという話。いなくなったあとも気になります。グリムの「こびとのくつ屋」も、服やくつを手に入れると、いなくなる存在です。


ネコとネズミ・・イギリス

2024年06月24日 | 昔話(ヨーロッパ)

      愛蔵版おはなしのろうそく11/東京子ども図書館/2020年

 

 ネズミがネコにしっぽをくいちぎられ、「雌牛のところでミルクをもらってくるまではかえさない」と言われ、雌牛のところにいくと、「お百姓から干し草をもらってこい」といわれ・・。
 つぎつぎと訪れる先は、肉屋、パン屋。

 パン屋で、「うちのごはんを たべっこなし」という条件で、パンをもらい、パンを肉屋にやって、肉をお百姓にやって・・ 最後は、ネコは大事なしっぽを かえしてもらった。

 こうした話では、もっとでてくるものもあるが、この話では四回の繰り返しで、ちょうどいい繰り返し。もっと長いものもあるが、ややくどい。

 

 日本の昔話では、こうした話にあったことがないのも 不思議といえば不思議。


スイショウの国の妖精・・ギリシャ

2024年06月03日 | 昔話(ヨーロッパ)

     子どもに聞かせる世界の民話/矢崎源九郎編/実業之日本社/1964年

 今年(2024年)は、ギリシャと国交が開始されてから125年。そういえばギリシャといえば神話のイメージがおおきく、あまり昔話を読んだ記憶がないことにきがつきました。この話は典型的な昔話でしょうか。

 

 王さまが亡くなるとき遺言を残しました。王さまには三人の王女と三人の王子がいましたが、三人の王女が三人とも結婚してから、王子が結婚することでした。ただ三番目の王子には、小箱にしまっておいた妖精と結婚するように言い残しました。

 さて、王さまが亡くなってまもなく、ライオンがやってきて一番上の王女に結婚を申し込みました。人間だったら五年はかかるという遠いところへ、妹を、お嫁に行かせるわけにはいかないと、年上のふたりの王子はかくそうとしましたが、三番目の王子は、「妹をライオンにあわせてみなくては、いけませんよ」と、一番上の王女の手をとって、ライオンのところへ、つれていきました。ふしぎなことに、王女はライオンが気にいりました。

 つぎの日、トラがやってきて二番の王女に結婚を申し込みました。人間だったら十年はかかるという遠いところへ、妹を、お嫁に行かせるわけにはいかないと、年上のふたりの王子はかくそうとしましたが、三番目の王子は、「妹をトラにあわせてみましょう」と、二番目の王女を、トラのところへ、つれていきました。トラと王女は、すっかり気があいました。

 あくる日、三番目の王女は、おなじようなやりとりで、人間だったら十五年かかるという、ワシのところへいきました。

 王女が三人ともおよめにいったので、一番上の王子、二番目の王子も結婚しました。三番目の王子が、王さまの遺言にあった小箱のふたをあけると、妖精が「ダイリセキの山をこえて、スイショウの牧場で、まっています」と、うたって見えなくなってしまいました。

 王子が五年歩きつづけてライオンの家につき、王子が戸をたたくと、一番上の王女が出てきて、王子を ほうきにかえてしまいます。ライオンのおくさんになった王女はしあわせにくらしていました。王女が、帰ってきたライオンに、「一番上のにいさんが、ここへきたらどうしますか」と、たずねると、ライオンは「ずたずたに、ひきさいてやる」と、こたえました。「じゃ、二番目のにいさんがきたら」「こまぎれにして、くっちゃうさ」「三番目の兄さんがきたらどうなさいますか」ときくと、「あのにいさんなら、大好きだ。丁寧に迎えてやるよ」とライオンは、こたえます。このこたえをきいた王女が戸口にたてかけておいた、ほうきをポンとたたくと、ほうきは王子になりました。ライオンは両手をひろげて王子をむかえ、心から喜んで、もてなしました。王子は、「ダイリセキの山をこえた、スイショウの牧場」の場所をたずねると、ライオンも、けものたちも誰も知りませんでした。

 王子がライオンの家を出て、五年の間歩きつづけ、トラの家につくと、王女は、王子を紙屑箱にかえ、トラが危害をくわえないことを確認してから、また王子にもどします。ここでも、王子は、「ダイリセキの山をこえた、スイショウの牧場」の場所をたずねますが、トラも、動物たちも誰も知りませんでした。

 さらに五年歩きつづけ、ワシの知り合いのタカばあさんといっしょに、「ダイリセキの山をこえて、スイショウの牧場」につきました。そこにはとくべつうつくしい妖精が、ひとりまっていました。ここでようやく、王子は妖精と結婚することができました。


はちみちの好きなキツネ・・ウクライナ

2024年05月11日 | 昔話(ヨーロッパ)

      子どもに聞かせる世界の民話/矢崎源九郎編/実業之日本社/1964年

 どんなすばらしいごちそうよりも、はちみつの好きなキツネがいました。はちみつをさがして、ミツバチの巣箱へちかづきましたが、ミツバチにみつかって、めちゃめちゃに刺されてしまいました。やっとのことで、逃げ出したキツネでしたが、どうしてもはちみつのことが忘れられません。

 「クマさんといっしょにくらせばいいわ。クマさんも、はちみつがすきだから、きっと どっさりをもっているにちがいない」と、いっしょに暮らすことになりました。

 クマは、毎日、森へ狩りにっておいしいご馳走を、キツネに食べさせてくれました。クマの奥さんになっていたキツネは、朝から晩まで、はちみつのことを考えていました。ある日のこと、はちみつをねだると、クマは、村へ出かけていって、大きな巣箱を二つも、かついでかえってきました。ひと箱食べて、もう一つは冬のためにとっておこうと、クマは巣箱の一つを、屋根裏にかくしました。

 ここからクマをだまし、はちみつにありつくキツネのたくらみがはじまりました。

 クマに気がつかれないように、しっぽで壁をたたき、坊やが生まれたお祝いに、お客さんに呼ばれたといい、屋根裏のはちみつを たっぷりなめました。昼寝からおきたクマが、赤ん坊の名前を聞くと、「たべはじめ」とこたえました。このやりとりが三回。二回目に、「たべてるとちゅう」、三回目は「ひっくりかえして、なめちゃった」という名前。

 クマが、はちみつが欲しくなって、屋根裏へ行くと、巣箱は からっぽ。クマは、かんかんに おこって キツネを くいころそうとすると、キツネは どこかえいってしまいました。

 

 戦争が続くウクライナ。今日で807日目。子どもたちが、こころから、お話しを楽しめるのはいつのことでしょうか。連れ去られた子どもたちは?


愛しい人の贈り物・・ウクライナ

2024年03月05日 | 昔話(ヨーロッパ)

      世界の水の民話/日本民話の会・外国民話研究会:編訳/三弥井書店/2018年

 

 遠い昔、浜辺に住んでいたアザという娘が、とてもハンサムな若者を愛していた。ところが動乱の時期になり若者はトルコとの戦いにでていった。

 若者は戦争に出ていく前に金の指輪を渡して、「待っていてくれ、忘れないでくれ」「もしこの指輪をなくしたら、君の不実のあかしだ」と、いいのこします。

 娘は贈り物を大事にし、何年もずっと若者の帰りをまっていましたが、若者は戻ってきませんでした。

 あるとき、娘が海へ洗い物をしにいき、物思いに沈んでいて、指輪をするっと海に落としてしまいました。そこへいきなり波がきて贈り物は消えてしまった。哀れなアザは、大事な贈り物を取り戻そうと波に飛び込んだが、おぼれてしまった。

 いらい、海はアゾフー不幸な娘、愛しい人の帰りをまつことができなかった娘の名でよばれるようになった。

 

 このアゾフ海域はクリミア戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦など、多くの重要な歴史的出来事の舞台。いまは、ウクライナとロシアの戦争の最前線。古くは、ギリシャ、ローマ、ビザンチン、オスマン帝国などの影響を受けてきました。
 この地域には、ウクライナ人、ロシア人、クリミア・タタール人など、さまざまな民族が共存していましたが、いまはどうでしょうか。


アザラシ女房・・アイルランド

2024年02月28日 | 昔話(ヨーロッパ)

     世界の水の民話/日本民話の会・外国民話研究会:編訳/三弥井書店/2018年

 

 人間の女の姿をして岩の上で髪をとかしていたのは、アザラシの化身。そのことを知っていた一人の男が、女のそばにある上着を、さっと取り上げて、それをもって家に向かって一目散に走った。女は、上着を取り戻すため男のあとを追っていくしかなかった。その上着がないとアザラシはもとの姿に戻って海に帰れないからだ。男は家に入ると、すぐに上着を暖炉のそばにある中二階のずっと奥のほうに投げ込んだ。

 海に帰ることができなくなったアザラシの女は、男の家に住み、時がたつうちに数人の子が生まれた。その子どもたちの足の指と指にはガチョウやアヒルのような水かきがついていた。

 ある日、男が収穫したカラスムギを中二階に運び入れることを思いついた。中二階にはずいぶん長い間上がったことがなかったから、その間に投げ込まれたものでいっぱいだった。男はガラクタをつぎつぎに上から下に投げはじめた。そうしているうちに、あの上着も投げてしまったのだ。下で夫の仕事ぶりを見ていた女は、上着をすかさずそれをとって、自分が座っている椅子の尻の下に隠した。男は中二階が片付くと、カラスムギの袋を運び入れた。夫が仕事を終えて外へでていくと、女は上着をもっと安全な場所に隠した。

 夕方近くなると、女は家の中をきれいに掃除し、夕食の準備をした。それから子どもたちの一人一人の体を洗い、服をきちんと着せ、テーブルにつかせると、自分は外に出て、上着をはおると、浜辺に向かって一目散におりていった。

 

 羽衣伝説のひとつですが、アザラシというのは、地域の特徴を表しているようです。その後、誰も女の姿をみたことがないという結末なので、子どもたちがどうなったかが気になりました。


海底の王国に行った船乗り・・イタリア

2024年02月20日 | 昔話(ヨーロッパ)

     世界の水の民話/日本民話の会・外国民話研究会:編訳/三弥井書店/2018年

 

 イタリア版「浦島太郎」。

 難破した帆船の船乗りが、離れ小島の浜辺につくとすぐ力がつきて気を失い、そのまま眠ってしまった。
 誰かが起こす声がして目を覚ますと大きな亀。男は好奇心が強く亀に誘われままネプチューンの海の王国へ。船乗りは王に迎えられ、王の娘と結婚し、幸せな日々を過ごします。

 ある日、船乗りは両親に会うため、地上に戻りたくなった。王女は考えを変えるよう泣いて頼みます。だがどうしようもないとわかると、蓋をした小箱をあたえ、けっして捨てないようにと頼んだ。
 船乗りが故郷にかえってみると、なにもかも変わっており、亀に出会ってから百年がたったことに気がついた。気落ちした船乗りが小箱を開けると、昏睡状態におちいり、目を覚ますと、長く白い髭の老人にかわってしまっていた。老人はたちまち皺だらけになり、地面に崩れて、あっという間に息をひきとった。

 

 男は、亀を助けることもなく、海の王ネプチューンのところへいき、すぐ王になりますが、よほど見込まれたんでしょうか。


よい妻

2023年09月06日 | 昔話(ヨーロッパ)

    金のリンゴと九羽のクジャク/東欧の昔ばなし2/直野敦・訳 赤坂三好・絵/小峰書店/1987年

 

 ある貧しいお百姓が、居酒屋から帰ってきて自分の妻に言いました。「商人たちはなんであんなにひまがあって、しかも楽な暮らしをしているんだろうね。おれたちは、汗水たらして働いているのに、いつも貧乏なんだがなあ」。妻は答えて言いました。「商人たちはお金があるから、穀物を安く買って、その値段が高くなるまで、それを取っておいて、高い値段で売るんですよ」

 夫は、雌牛が一頭いるから、商売するといいだし、雌牛をつれて歩いていきます。ところで、夫の商売はびっくりするほど。ヤギをつれているおばあさんにあうと、ヤギと雌牛をとりかえ、つぎにそのヤギをオンドリに、オンドリをこじきが帽子の下にあるものとかえようとして、こじきの帽子の下には、なんにもなく手ぶらで家に帰っていき、居酒屋にたちよると、三人の商人に子細を語りました。

 お百姓が「妻はこうなったことに心から満足しているというでしょうね」というと、商人は、「あなたのおかみさんが、きっといやな顔をするにちがいない、というほうに金貨四百枚をかけましょう。だって、もし、それでもにこにこ顔をして満足していたら、それは世界にふたりといない女の人でしょうからね」

 賭けによばれた妻がなにひとつ夫を非難しないのは、お話の流れ。お百姓は四百枚の金貨を手に入れることに・・・。

 

 もうひと工夫したタイトルが欲しい話。

 同じように、妻が夫のしたことに文句をいわない例もありますが、ほかの昔話とちがって、商品経済が発展しはじめた状況を反映しています。

 

 それにしても、東欧という言葉も聞くことが少なくなりました。チェコスロバキアの話と紹介されていますが、この本の出版が1987年と、旧ソビエト解体前の発行。1993年、チェコスロバキアも連邦制を解消し、チェコとスロバキアに分かれています。

 どの国の昔話というのは便宜的なものであって、本来 昔話は、国境とは無縁なのかもしれません。


死神をだましたお百姓・・ポーランド

2023年09月04日 | 昔話(ヨーロッパ)

   金のリンゴと九羽のクジャク/東欧の昔ばなし2/直野敦・訳 赤坂三好・絵/小峰書店/1987年

 

 こどもがいない夫婦が出てきても、すぐに子に恵まれるところからはじまるのは、よくみられる昔話の冒頭。いい星めぐりがやってきて息子が生まれるところからはじまります。

 同様のグリムの昔話では、神さまや悪魔にであいますが、これを断り、死神に名づけ親になってもらいますが、この話では、「行いの正しい人」ということで、こじきのつぎに死神が登場します。

 名付け親になれば親類も同然なので、死神は百姓を自分の家に招いて、人間の「命のともしび」を見せてやりました。お百姓は、自分のろうそくの灯が、死神の言葉によれば、あとわずか十年で、彼の息子は八十年の長さがありました。(グリムでは、後半にでてくる場面が前段であらわれます)

 お百姓は死神に自分の生命のともしびをのばしてもらうよう頼みますが、死神は行いの正しい人間として、そんなことはできないと断り、その代わり、医者になるようにすすめます。そして、「あなたが病人の家に往診を頼まれたら、わたしもあなたについていって、病人のところへいきましょう。もし、わたしが病人の足元に立ったら薬をあたえなさい。まくらもとにたったら、薬は与えないで、”この病気は治りようがありません。わたしにも手のほどこしようがありません”といいなさい」といいます。

 お百姓は医者になり、あちこちからたっぷり礼金をもらい金持ちになりました。やがて伯爵の息子の病気を治すようによばれてて出かけますが、死神はまくらもとにたっています。伯爵から、「財産の半分をやる!」といわれ、自分の命がまだ九年のこっていることを知っていたお百姓は、伯爵と相談し、大工たちにベッドの横に巻き上げ機を作らせ、ベッドを回転させ、死神を追い払います。そして伯爵の息子がバター・ミルクでのどをうがいすると症状は改善します。

 死神は、その一か月後の同じ時刻、朝ごはん時にくることになっていました。死神がドアをいくらたたいても、お百姓は聞こえないふり。死神は、からだを小さくしてドアのかぎ穴から家にはいり、伯爵の息子の代わりに、お百姓が早く死ぬことになると、脅します。

 お百姓は、死神がかぎ穴からはいったことが信じられないので、飲み干したビールビンの中にはいられたら信じるともちかけます。死神がビンのなかにはいると、お百姓はビンの蓋を固く締め、深い湖の底へ沈めました。

 それから二十年、死人はひとりもいませんでした。ある年の夏、日照りがつづき、どの井戸も水がかれ、お百姓たちは、湖だけに残っていた水をくみ上げました。そして底のどろさらいをしたとき、ひとりのお百姓がスコップでビンをたたき割り、死神はふたたび自由の身になりました。

 さあ、それから死神の大がまでの刈り取りがはじまりました。はじめにだましたお百姓、それから刈り取られたのは、もうとくに死ぬはずになっていた人々です。人々はばたばた死んでいき、つぎつぎとはやりの病気にかかりました。そして、人びとはその病気を「コレラ」と名づけました。

 

 すっぱくなった牛乳、バター・ミルクが薬としてでてきますが、つまるところなんでもよかったのかも。”死”が”刈り取り”と訳されているのがみょうにリアルです。


いうことを きかないウナギ・・イタリア

2023年08月28日 | 昔話(ヨーロッパ)

   ながすね ふとはら がんりき/愛蔵版おはなしのろうそく4/東京子ども図書館編/2000年

 

 外国では比較的短いイタリアのわらい話。

 ある時、ベニスの近くのチョギヤの町の漁師が、かごにいっぱいウナギをいれてベニスにやってきました。そして、ゴンドラの船頭に、運河をわたりたいんだが料金はいくらかとききました。

 「ひとりあたま五銭」ときいた漁師、「あんりゃー、そりゃ高くつくわ。これだけ頭があるもんな」と、漁師はかごの中のウナギを見ながらいいました。

 「ンだば、水へへえれ。お前たちにゃ、泳いで、わたってもらおう。おら、向こう岸でまってるからな」。

 漁師はかごのウナギをぜんぶ川に流し、それからひとりぶんの料金をはらい、向こう岸に腰をおろして、ウナギを待ちました。待って待って、待ちました・・・。

 

 松岡享子さんの味わいのある訳が生きています。


3びきのくま・・イギリス、”3びきのくま”絵本版

2023年07月23日 | 昔話(ヨーロッパ)

 この話は、1834年から1837年にかけて書かれたロバート・サウジという詩人の創作で、昔話の条件にかなっているので、ほんものの昔話?として使われてきたといいます。(岩波書店の訳者のことばから)

 あるお話し会で、小さい子も熱心に聞いていたのが印象に残りました。絵本もたくさん出ています。

三びきのクマの話(イギリスとアイルランドの昔話/石井桃子 編・訳/福音館書店/1981年)

 この本は何回か読んでいたはずなのですが、語るのを聞いて、覚えてみたいとあらためて目をとおしてみました。
 例によって、一冊だけではなく、文元社からだされている山室静編著も参考にしてみました(新編世界むかし話集1 イギリス編/山室 静 編著/文元社/2004年)

 石井訳では
 ちいさいおばあさんがおかゆをたべてしまって、三匹のクマが叫ぶところ。
 おっきなクマは「だれかが、おれのおかゆをたべたな!」
 中くらいのクマは「だれかが、おれのおかゆをたべたな!」
 ちっぽけなクマは「だれかが、ぼくのおかゆをたべたな。そして、すっかりたいらげちゃった!」

 これが文元社では
 デカグマは「だれだ、おらのオートミールにさわったのは!」
 中グマは「だれかがわたしのオートミールにさわったのは!」
 チビグマは「だれかがあたいのオートミールを、みんなたべっちゃったわ!」

 三匹のクマの表現、おかゆとオートミールのちがい。クマの性別をうかがわせるセリフ。

 これ以外にも微妙な表現のちがいがあります。
 
 さらにほるぷ出版では麦がゆと訳されています。クマのところに入ってくるのはゴールデロックという女の子。
 石井訳では、ちいさなおばあさん、文元社版では小さな女の子。

岩波書店の木下順二訳(ジェイコブス・作/イギリス民話選/ジャックと豆のつる/木下順二・訳 絵・瀬川康男/岩波書店/1967年)では、小さなおばあさんとオートミールと訳されています。

・さらに篠崎書林版(ブリッグの世界名作童話集1/フローラ・アニー・スチール・再話 小林忠夫・訳/篠崎書林/1988年)では、おかゆ、かんしゃくもちのゴールデイロックス。


    3びきのくま/ポール・ガルドン ただ ひろみ・訳/ほるぷ出版/2020年新装版

 3びきのくまのところにやってくるのは、無邪気な感じのキャンディという女の子。前歯が欠けています。”おかゆ”は、キャンディの目の高さのやや高いところ。

 ちいさなこぐま、ちゅうぐらいのこぐま、でっかいおおぐまと、くまと、説明の文まで大きさがちがいます。

 3びきが椅子に座って本をよんでいますが、もっている本は、おおぐまの本がいちばん小さく描かれています。

 ベッドがどの階にあったのかは不明です。


    3びきのくま/スズキコージ文・絵/鈴木出版/2015年初版

 スズキコージさんのものは2015年と最近の出版。

 スズキさんのは、やや短くなっています。
 きんいろのかみのおんなのこがでてくるのは、ほかにもありますが、やんちゃなおんなのこが天衣無縫といった感じです。

 くまのいえにやってくるところ。
    あたい かえりみちが わかんなくなったちゃった。
    あれえ、あそこに ちっこい おうちがあるわ。
    それに ドアもあいているし。(手書き文字です)
 くまの朝食をたべるところ。
    でっかいまめのスープ      うわあ、アッチッチイ
    ちゅうくらいのさらのスープ   うーん まだまだ、アッチッチイ
    ちっこいおさらのスープ     うん、ちょうど いいわ。
 いすにすわるところ
    みあげるぐらいのいす      うわあ、この いす いわみたいに かたいわね
    つぎのいす           うわあ、わたみたいに フワフワだわ
    ちっこいいす          あっ、このいす あたいに ピッタリ

 このあとも擬音語がうまく生かされています。

 訳されているのは繰り返しが多すぎる感じもしますが、スズキさんのものは別のリズムのようです。

 くまの朝食を「おかゆ」「オートミール」と訳されているのが多いのですが、スズキさんは「豆のスープ」とされています。



    3びきのくま/バーナデッド・絵 ささきたづこ・訳/1987年初版

 バーナデッド版の最後。くまから追いかけられる場面ですが、窓から飛び出すというのが多いのですが、女の子は階段をかけおります。
 そして、くまが追いかけるというのはあまりありませんが、バーデッド版では、くまが女の子をおいかけ、髪が キラキラきんいろにひかるので、まぶしくてつかまえられませんでしたとあります。

 くまのベッドは、2階にあり、窓から飛び出すとたしかに足をくじたり、骨折したりしそうなので、バーデッド版は、そのあたりも配慮したのかもしれません。

    3びきのくま/L・N・トルストイ バスネッツオ・絵 小笠原豊樹・訳/福音館書店/1962年初版

  出版年からいうと、最初にふれるのはトルストイ版が多いでしょうか。女の子には名前がなく、クマのお父さんは、ミハイル・イワノビッチ、お母さんはナスターシャ・ペトローブナ、クマの子はミシュートカとロシア風。

 朝食はたんにスープとあります。そして椅子に座りながら女の子がスープをおわんで飲むというのが、ほかのものとの違い。

 絵も、お父さんクマが薪を背負い、お母さんクマが野イチゴ?、子クマがキノコをもっていますから、単に散歩しただけでなく、食材も調達してきたようです。


おなかの皮が ぼろぼろにむけた牝ヤギのお話・・ロシア

2023年07月18日 | 昔話(ヨーロッパ)

  子どもに語るロシアの昔話/伊東一郎:訳・再話 茨木啓子・再話/こぐま社/2007年

 

 昔話を聞いている子どもは、お話しの世界をイメージしているといいますが、「おなかの皮が ぼろぼろにむけている」牝ヤギのイメージはどうでしょうか。

 あるお百姓が、おなかが半分なく、あとの半分も、皮がぼろぼろにむけている牝ヤギをみつけ、かわいそうにおもい、納屋にねかせてやりました。ところがこの牝ヤギ、お百姓とウサギがでかけると、家に入り込んで、中からカギをかけてしまいました。

 かえってきたウサギが、家に帰ってきて、入り口をあけようとしても、戸があきません。「中にいるのは、だれ?」と、ウサギが聞くと、「あたしさ、半分腹なし、半分皮むけの牝ヤギさ。すぐに出て行って、おまえをの腹をけとばしてやる!」と、大声で答えたので、ウサギはびっくりして逃げ出し、道ばたで泣いていました。そこへオオカミがやってきて、おいだしてやろうと、戸口でどなりますが、牝ヤギが「あたしさ、半分腹なし、半分皮むけの牝ヤギさ。すぐに出て行って、おまえをの腹をけとばしてやる!」と大声を出すと、オオカミがあわてて逃げ出してしまいます。

 ウサギの話を聞いたオンドリも、「オンドリがきたぞ! 肩にサーベルをかついで、牝ヤギの心臓をつきさし、頭を切り落とそうと、オンドリがきたぞ!」と、大声を出しますが、牝ヤギに、脅されて、逃げ出してしまいます。

 次はミツバチ。牝ヤギに脅かされると、ミツバチは怒って、家のまわりをブンブンとびはじめ、壁に小さな穴を見つけ、そこから中へ入り込むと、牝ヤギのおなかを、いきなりチクンと、さしました。牝ヤギは、びっくりぎょうてん。そのまま逃げて行ってしまいました。

 ウサギは、無事家に入って、思う存分食べたり飲んだり。そしておなかがいっぱいになると、ゴロンと、横になって、寝てしまいました。


はんぺらひよこ・・スペイン

2023年07月10日 | 昔話(ヨーロッパ)

       世界のむかしばなし/瀬田貞二・訳 太田大八・絵/のら書店/2000年

 

 目が二つ、手が二つ、足が二本と、人のからだは対称的ですが、これがすべて一つというのは想像しにくい。しかし昔話では、半分人間がでてきたりします。ここでは、足は片足、はねはかたつばさ、目は片目のひよこが主人公。

 はんぺらひよこは、ごうきのかたまりで、にいさんひよこたちより、ずっとつよく、やりたいことは、なんでもやるし、いきたいところは どこでもいくというしまつ。

 あるとき、はんぺらひよこは、「おかあさん、ぼくは王さまにあいたい。マドリッドのみやこへいってくる。」と、いいだし、おかあさんがとめるのをふりきって、ぴょこん、ぴょこん、野原をこえて、でかけていきました。

 だいぶいったところ、はんぺらひよこが、小川にさしかかると、「水草で道がつまって、ながれることができない。どうかつまっている枝や水草を、おまえさんのくちばしでおしながして、わたしをたすけてくれないか。」と、水がさらさらいいますが、「なんてことをいうんだ。無駄足をくってられないや。ぼくは王さまにあいに、みやこへのぼるところなんだ!」と、水の頼みに耳を貸さずに、ひよこは、ぴょこん、ぴょこんと、とおりすぎました。

 焚火から、「つばさで、あおいでくれないか」、風から、「からみあった枝や葉をちょっとどけてくれれば、いきがつけるんだ。」と、頼まれても、ひよこは無視して、王さまの宮殿にやってきます。

 宮殿のなかにわをとおりすぎようとすると、料理番につかまって、火にかけたなべの水のなかに、投げ入れられてしまいます。ひよこが、「水さん、水さん、おぼれさせないでよ! それいじょうのぼってこないでよ、おねがいだ」と、大声をああげますが、水は、「わたしがこまっているときに、おまえは、たすけてくれなかったね。」と、ますますのぼっていきました。そのうち水は、あたたくなって、あつくなって、ひどくあつくなってきたので、「そんなにひどくもえないでよ! 火さん」と、ひよこは大声をあげますが、火から無視されてしまいます。

 焦げてしまったひよこを、料理番は窓のそとへすてました。するとそこへ風がふいてきて、木よりもたかくまいあげました。そして、風はいちもくさんに、ひよこを、お寺のとんがりやねのてっぺんにふきつけて、そこにくぎづけにしてしまいました。

 

 どうやら風見鶏の由来らしい話ですが、調べてみるとちょっとちがうようです。


キューピッツとうさんの知恵・・ドイツ

2023年05月10日 | 昔話(ヨーロッパ)

     雪の白いのは/シャハト・ベルント編 大古幸子・訳/三修社/2006年

 

 土地はほんのわずかしかなく、雌牛が一頭いるだけの農夫のキューピッツとうさんが町へ行こうとしたとき、途中でお金のたくさん入った財布を見つけました。ちゃんと拾ったことを届けないと罰せられます。自分だけならなんとかなりそうだが、女房はだまってはいないだろうと策を講じます。

 まずは、ふたりいっしょにテンの罠を仕掛けます。そして夜になると、キューピッツとうさんは、市場で買った大きなウナギを罠の中においておきます。翌朝、奥さんが罠をみてみると、そこにはウナギ。はじめは食べたくないと言っていた奥さんも、においに誘われ、おいしいおいしいと言って食べました。

 つぎの日、奥さんの目を盗み、肉屋で買った脂身を細かいサイの目に切り、窓から外へまき散らしました。夫婦がちょうど寝床に入ったとき、外で犬たちの鳴き声がきこえ、奥さんは、外を見て「窓の外は真っ白よ。雪が降ったんだと思うわ。」とさけびますが、キューピッツとうさんは、「脂身が雪みたいに降ってきたんだ。拾い集めて家の中に運び入れよう」と、脂身をふたりで拾い集めました。そして、翌朝、朝食用に焼いて食べました。

 ここで、キューピッツとうさんは、はじめて財布のことを奥さんに話し、だれにも話さないようにいいます。

 だれにも話さないと言っていた奥さんは、村長の奥さんに財布を拾ったことを話してしまいます。絶対にいわないといっていた村長の奥さんも、村長に財布のことを話してしまい、村長は役所に報告しました。

 二、三日して役所からよびだされ、財布のことを問いただされたキューピッツとうさんは、「お金なんぞみつけませんでしたよ」と申し立てます。役人が奥さんをよびだし、財布のことを問いただすと、本当のことだといいます。そして、「テンの罠で大きなウナギを捕まえたり、夜に脂身が雪のように降ってきたのは、ほんの二、三日前だったじゃないの」と、亭主にたずねました。これを聞いた役人は、キューピッツのいうほうが信用できるといいました。

 こうしてキューピッツとうさんはお金を自分のものにしました。

 

 昔も、ネコババはダメとされていたのでしょうか。