金のリンゴと九羽のクジャク/東欧の昔ばなし2/直野敦・訳 赤坂三好・絵/小峰書店/1987年
こどもがいない夫婦が出てきても、すぐに子に恵まれるところからはじまるのは、よくみられる昔話の冒頭。いい星めぐりがやってきて息子が生まれるところからはじまります。
同様のグリムの昔話では、神さまや悪魔にであいますが、これを断り、死神に名づけ親になってもらいますが、この話では、「行いの正しい人」ということで、こじきのつぎに死神が登場します。
名付け親になれば親類も同然なので、死神は百姓を自分の家に招いて、人間の「命のともしび」を見せてやりました。お百姓は、自分のろうそくの灯が、死神の言葉によれば、あとわずか十年で、彼の息子は八十年の長さがありました。(グリムでは、後半にでてくる場面が前段であらわれます)
お百姓は死神に自分の生命のともしびをのばしてもらうよう頼みますが、死神は行いの正しい人間として、そんなことはできないと断り、その代わり、医者になるようにすすめます。そして、「あなたが病人の家に往診を頼まれたら、わたしもあなたについていって、病人のところへいきましょう。もし、わたしが病人の足元に立ったら薬をあたえなさい。まくらもとにたったら、薬は与えないで、”この病気は治りようがありません。わたしにも手のほどこしようがありません”といいなさい」といいます。
お百姓は医者になり、あちこちからたっぷり礼金をもらい金持ちになりました。やがて伯爵の息子の病気を治すようによばれてて出かけますが、死神はまくらもとにたっています。伯爵から、「財産の半分をやる!」といわれ、自分の命がまだ九年のこっていることを知っていたお百姓は、伯爵と相談し、大工たちにベッドの横に巻き上げ機を作らせ、ベッドを回転させ、死神を追い払います。そして伯爵の息子がバター・ミルクでのどをうがいすると症状は改善します。
死神は、その一か月後の同じ時刻、朝ごはん時にくることになっていました。死神がドアをいくらたたいても、お百姓は聞こえないふり。死神は、からだを小さくしてドアのかぎ穴から家にはいり、伯爵の息子の代わりに、お百姓が早く死ぬことになると、脅します。
お百姓は、死神がかぎ穴からはいったことが信じられないので、飲み干したビールビンの中にはいられたら信じるともちかけます。死神がビンのなかにはいると、お百姓はビンの蓋を固く締め、深い湖の底へ沈めました。
それから二十年、死人はひとりもいませんでした。ある年の夏、日照りがつづき、どの井戸も水がかれ、お百姓たちは、湖だけに残っていた水をくみ上げました。そして底のどろさらいをしたとき、ひとりのお百姓がスコップでビンをたたき割り、死神はふたたび自由の身になりました。
さあ、それから死神の大がまでの刈り取りがはじまりました。はじめにだましたお百姓、それから刈り取られたのは、もうとくに死ぬはずになっていた人々です。人々はばたばた死んでいき、つぎつぎとはやりの病気にかかりました。そして、人びとはその病気を「コレラ」と名づけました。
すっぱくなった牛乳、バター・ミルクが薬としてでてきますが、つまるところなんでもよかったのかも。”死”が”刈り取り”と訳されているのがみょうにリアルです。