どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ぼくのねこ みなかった?

2023年01月31日 | 絵本(外国)

    ぼくのねこ みなかった?/エリック・カール・作 おおつき みずえ・訳/偕成社/1991年

 

 「ぼくのねこ みなかった?」と、ねこを探し回る少年の行き先は、アメリカ、アフリカ、砂漠と 大冒険。

 あっちと、指さされたほうを見ると、「じぶんの ねこじゃない」と、その先へ。

 指さされた先には、ライオン、ひょう、とら、ピューマ、チーターなど、ねこ科の動物。

 「ぼくのねこ みなかった?」「じぶんの ねこじゃない」の繰り返し。

 

 エリック・カールさんの色使いが 満喫できます。動物を描きたかったのでしょうか。動物だけでなく、聞いて歩く人物の服装も楽しい。空飛ぶジュータンの上でも、ねこの居場所をきいています。


くつがあったらなにをする?

2023年01月30日 | 絵本(外国)

    くつがあったらなにをする?/ビアトリス・シェンク・ドゥ・レニエ・文 モーリス・センダック・絵 いしづちひろ・訳/福音館書店/2001年

 

横長の絵本で、だぶだぶの服を着た男の子と女の子のかけあいがつづいていきます。

くつがあったらどうする?

椅子があったらどうする?

帽子があったらどうする?

・・

落ち着くところに落ち着くのですが、ちょとおふざけする途中の発想が楽しい。

帽子があったら なにをする?

  ポップコーンを やまもりにする

  ピクルスで いっぱいにする

  とりのおうちにも なる

  カメだって 遊びに こられるよ

  馬がかぶるのが いちばんかも!

ほうきが あったら なにをする?

  ヘアーブラシに しても いい

  ハブラシに しても いい

  くつブラシに いい

  いすブラシにしてもいい

子どもの自由な発想にびっくり。

「いつまで ばかなこと いってるの!」「いいかげんに してちょうだい!」と きめつけないでください。

当たり前と思っていても、じつはそれが固定観念であって、そうでもないことに気がつくこともありそうです。

椅子はすわるものときめたのは誰? テーブルのかわりに 使ってもいいし ドアの前に置いて どろぼうよけにしても 列車にしても 悪くない。


とりあえず まちましょう

2023年01月29日 | 五味太郎

    とあえず まちましょう/五味太郎/絵本館/2020年

 

「とりあえず まちましょう」 何を?

表紙では碁を打っているのでしょうか。相手が打つのをまってます。

病院では、麻酔がきかない人の手術を お医者が待っています。

UFOを見つけようとする人は イメージをもって とりあえず まってます。

宇宙の飛行船 地球に帰還するのを まちます。

トイレの 順番まち 大勢ならんで とりあえず まてるでしょうか。

 

とりあえず 待とうと 一呼吸おくと 何か見出すことができるかも。怒りに手を上げようとするとき ちょっと まったら いがいに バカバカしくおもえることも ありそう。にっこりを追加すると なおいいかも。

オヤオヤ ホー ニヤニヤ する場面が 続きます。

五味さん、この絵本を読んでもらうのを まっているのでしょうか。絵本の初版部数の算出を とりあえず まってます。


きみだけの夜のともだち

2023年01月28日 | 絵本(外国)

    きみだけの夜のともだち/作・セング・ソウン・ラタナヴァン 訳・西加奈子/ポプラ/社2022年

 

 ガスパールは、さみしがりやで、ちょっぴりこわがりの男の子。みんながねむっているあいだも、なかなかねむれません。

 「ぼくに夜だけのともだちがいてくれればなぁ。小さくてもいいから」とおもっていたガスパールに、ちいさなねずみが こえをかけました。「きみ、夜だけのともだちをさがしているんでしょ」

 ネズミのあとをついていくと本をまもるモグラが。「夜だけのともだちをさがしているんだ」とガスパールがいうと、モグラは、うちゅうについて書かれた本をひらきます。そのときリビングでだれかがピアノを弾いている音。コンサート練習中のウサギでした。ガスパールとネズミは、うさぎの練習を聞いて拍手。

 お風呂場から「シュー」という音。水もジャンプも真っ暗も、クモもこわいというペンギン。みんなでお風呂に入りながらペンギンに なにもかも大丈夫なことを おしえてあげました。バスタオルをみつけると、こんどは洗濯機からパンダが。

 バドミントンのチャンピオンになるのが夢というパンダとバドミントンで遊んで、おなかがすいて冷蔵庫をあけると、そこには小さなブタがいて、チョコレートを ほおばっていました。

 ブタが作ってくれたごちそうを、みんなで わけあいます。

 ガスパールは、なかまたちをみまわし、「もう夜なんてこわくない」と、思います。

 やがて、ガスパールのまぶたがおちてくると、夜だけのともだちが、二階に連れて行き、ベッドにねかせてくれました。

 

 夜がこわいという男の子と、悩みをかかえた動物たちの出会い。自分だけでないと、動物たちの夜のともだちになる 優しさがつたわってきます。


山んば・・香川

2023年01月27日 | 昔話(中国・四国)

     香川のむかし話/香川小学校教育研究会国語部会・香川県国語教育研究会編/日本標準/1977年)

 

 長次郎は、馬に塩を積んで、山をこえて、となりの村へ運ぶのが商売。

 ある日、山ごえの道を歩いていると、山んばがでてきて、塩をひとくちなめさせてくれんかという。長次郎は、塩はやれないというが、山んばに、馬も塩も全部食べるといわれ、ひとくちだけ塩をなめさせる。

 長次郎が山道をのぼっていくと、いったんは、消えた山んばがまたでてきて塩を一口なめさせやという。

 馬も食うといわれ、何度も塩をやった長次郎だったが、しまいには、馬もバリバリ食われてしまう。

 長次郎が、木のかげから様子を見ていると、山んばは、人のおらんおんぼろ寺のなかで、風呂桶のなかでグウグウたかいびき。長次郎は、風呂場にいって風呂桶のふたをして、おおきい石をのせ、そこらへんの木を、火どこに投げ入れ、火をつけてしまう。

 やがて、山んばが、「馬も塩も、かえすけん、こらえてくれ」と泣き叫ぶが、長次郎は、「何ぬかすんな。食べたもんが、もとにもどるか」と、なおも どんどこ焚き続けたので、やがて、風呂のなかは静かになる。夜が明けて、ふたを開けてみると、風呂の底に、灰がすこしあっただけ。

 そうろう。

 

 全国に分布する昔話で、馬または牛が運んでいるものもいろいろ。「食べたもんが、もとにもどるか」という切り返しは、もっとも。


ブロロンどろろん

2023年01月26日 | 絵本(日本)

    ブロロンどろろん/高畠邦生/小学館/2022年

 

道にペンキがこぼれています。そこにブロローン!と 車がやってきて、ペンキがとびちり バシャ どろろん。

「どうなるの ?どうなるの?」

ネコがチーターみたい

荷物を持った人に ペンキがとびちり バシャ どろろん。

「どうなるの ?どうなるの?」

ペンキのあとが ゾウみたい

工事作業中のふたりに ペンキがとびちり バシャ どろろん。

「どうなるの ?どうなるの?」

ペンキのあとが イヌみたい

 

繰り返しがつづきます。車が走ると ペンキが飛び散って 壁にうかぶ造形の楽しさ。毎回ペンキの色が違います。

壁の造形は、そのまま残しておいてほしいが・・・。

 

日本マクドナルド「ほんのハッピーセット」の絵本として2019年秋に店頭配布されたものを、加筆・修正・再構成し、エピソードとシーンを増やして出版したとありました。


ぼくたちのいえは どこ?

2023年01月25日 | 絵本(外国)

    ぼくたちのいえは どこ?/アレクシス・ディーコン・文 ヴィヴィアン・シュワルツ・絵 木坂涼・訳/徳間書店/2012年

 

 小さな暗い穴のなかで一緒に育った7ひきのなかまたち。だんだん大きくなって、小さかった穴に別れを告げて、新しい家を見つけに出発しました。7ひきのなかまは ねずみのようでもあり、モルモットのようでもあり。

 外にでると、そこは ガラクタ置き場。小さな穴は、ベッドの破れた部分でした。暗いところで暮らしてきた七匹は、暗くないと安心できません。そこで、ガラクタ置き場から、くつ、なべ、てぶくろ、なべ、つつを集めて頭にかぶり、新しい家さがしに出発です。一匹は顔がかくれていないので案内役です。

 大冒険がはじまります。まずは海へ遭遇(じつは、水たまり)。それから砂漠(砂場)、山(机)、大きな穴(洗濯機)、かいぶつ(犬)に遭遇し、犬に連れていかれた仲間を救い出し、穴のむこうに あたらしい家を みつけたのですが・・・。

 

 七匹のセリフは、吹き出しで手書き文字。セリフから性格を推測しようと思いましたが、うまくいきませんでした。

 コマ割りがあり、見開き2ページを大胆に使った絵があったりと、にぎやか。

 不要としてポイポイ捨ててしまう人間への皮肉もこめられていそう。


こぞうとカメ・・香川

2023年01月24日 | 昔話(中国・四国)

    香川のむかし話/香川県小学校教育研究会国語部会・香川県国語教育研究会/日本標準/1977年

 

 法事によばれていったある寺のこぞうが、とちゅうで子どもにいじめられていたカメをみて、離してやれと子どもらに言うが聞き入れない。こぞうさんは、法事の帰りに銭をやる約束をして、カメを海へ帰してやる。

 ここまでくると「浦島太郎」かと、思いきや、ある日あらわれたカメにつれられていったのは大きいお屋敷。そこでごちそうになり、お土産にもらったのが、一本の筆。

 しばらく大事にしていた筆で、鬼をかいて、本堂の柱に貼っておいた。すると、泥棒が本堂にちかづくと、その鬼がとびついていくので、その寺には、信心な人ばかりがお参りするようになり、寺は、銭やお米をたくさんもらって、こぞうも一生安楽に暮らすことができたという。

 

 カメは、けっこい(きれいな)むすめになって、こぞうさんの前にあらわれます。男に「きれい」という言葉は使うことがなさそうですから、「きれい」は、女性の形容詞になりジェンダー視点からいうと問題ありか?。これが「けっこい」というと、印象が全く異なります。


かいじゅうトドラ・トットコ

2023年01月23日 | 紙芝居

  かいじゅうトドラ・トットコ/作・半沢一枝 画・仲川道子/童心社/1973年(12画面)

 

 出版年をみると、それこそ半世紀まえの紙芝居ですが、古さは感じません。いつでもつうじる内容でしょうか。

 

 かいじゅうトドラの子トットコは、おとうさんからおそわって なんとか目から火をだし、空を飛べるようになり、かいじゅうらしくなりました。

 ところが、ブドウの木の葉のかげにいた ヘビに似た かいじゅうヘビラーから 一喝され、おうちへ逃げ帰りました。

 泣いて帰ったトットコは、おとうさんから 「つよい かいじゅうになるためには ゆうきをもたなくちゃ ならん。どんなものにも おそれずに むかって いくのだ」といわれ、また ヘビラーのところへ もどっていきました。

 トットコが、「弱虫でない。つよいかいじゅうトドラの子だ。うそだとおもったら、ブドウの木から おりてこい」と さけぶと ヘビラーは 本気になって おこり、大きな口をあけて、ちかづいて きます。

 「こわーいっ」と、トットコが ブドウの木のまわりを ぐるぐる 逃げ回ると、ヘビラーのからだは 木に ぐるぐる まきついてしまい、悲鳴をあげました。トットコが、こんどは、反対まわりでまわると、ヘビラーの からだは やっと もどりました。

 ヘビラーは、いのちを たすけてくれたおれいに、トットコにもてるだけの ブドウを もたせてあげます。

 

 おとうさんが トットコの練習を一生懸命サポートし、泣いて帰ってくると 勇気を持てと励ますのは人間の親子関係と同じかな。喧嘩といっても騒々しくないので、小さい子にも受け入れられそうです。


干したから・・・

2023年01月22日 | 絵本(日本)

    干したから・・・/写真・文 藤枝卓士/フレーベル/館2016年

 

 トマトからはじまって、野菜、果物、魚、肉、ナッツ、そうめん、パスタなど、さらに、珍しい外国の干したものをふくめた写真集です。

 干したものといわれて浮かぶのは、干し柿や煮干し、切り干し大根、スルメなど。食事で、どれが干したものかあてるコーナーもあって、梅干しや米も干したものといわれて、ああそうだったと、あらためて気づかされます。

 干し大根と生の大根を同じ重さで比較すると、どのぐらい量が違うかは、写真だと説得力があります。

 外国の店で売られているものも紹介されています。ラオスのカエルやネズミ、コウモリの干物。ネズミの大きいこと大きいこと。

 モンゴルのゲルの上には、チーズ。ミャンマーのつぶした納豆を干したものは、センベイ風。

 

 保存食として工夫されてきた乾物と干物は、冷蔵庫などなかった時代、人の命をつないできました。

 保存食は、太陽と風の贈り物、感謝です。


ほんやねこ

2023年01月21日 | 絵本(日本)

    ほんやねこ/石川 えりこ/講談社/2021年

 

 港町の高台にある本屋。らせん状の階段があり、何段もの棚がズラリとならぶ本屋は、ねこが経営していました。

 本屋のねこは、最後のお客をみおくると、はやめに、店じまいをして 日課の散歩にでかけました。
 いそいそと エプロンを はずして でかけたので、窓を一カ所閉め忘れてしまいました。ねこがドアを閉めたとたん、開けっ放しの窓へ、強い風が吹き込み、棚の絵本が パラパラ パラパラとめくられ、物語の 人たちを 窓の外へと 連れて行ってしまいました。

 ねこが、いつもの野原で 仕事でつかれたからだを ほぐし けづくろいしていると、「もしもし、ここから ぼくを おろしてくださいな」という声。木の枝に ぶらさがっていたのはピノキオ。ピノキオが「みんなは どこにいるのでしょう」と心配そうにいうと、ねことピノキオは、散歩しながら みんなを さがしはじめます。

 シンデレラがなくしたくつをさがしていたのは、「ながぐつをはいたねこ」でした。

 ねこは、ピノキオとシンデレラひめと、ながぐつをはいたねこを せなかにのせて ゆっくりとあるいていきました。ほんやのねこが、かたみみのきれたねこからおそわれそうになったのを助けたのはチルチルとミチル。

 ラプンツェルは 洗濯ものの中にいました。3びきのこぶた、白雪姫のなかの魔法使いをすくい、みんなを背中に乗せて お店につくと、みんなは いそいで、ものがたりのなかへ、もどってゆきました。


 こんなのがあったらなあと思わせる本屋。そしてつぎつぎにでてくる 物語の主人公。多くの物語を 読んだことがある子どもと、そうでない子とは、面白さに差が出そうです。親の方も、「どんな話?」ときかれて、どれだけこたえられるかが試されそうです。

 町の風景や本屋には、ひかれるのですが、物語の主人公たちの描き方は やや物足りませんでした。本文に出てこない「人魚姫」「おやゆびひめ」「ヘンゼルとグレーテル」などの絵に気がつく子もいるかもしれません。


くさがくしのうど・・愛媛

2023年01月20日 | 昔話(中国・四国)

       愛媛のむかし話/愛媛県教育研究協議会国語委員会編/日本標準/1975年

 

 死人を丁寧にほおむってあげると・・。

 

 むかし、西浦に働き者の清八という漁師がおった。ある日、海がしけちょるのに沖に出たが、波が高くなり風も強くなって、うど(ほら穴)に逃げ込もうと船をこいだが、いっこうに前に進まない。船の後ろを見ると、大きなコモ俵が引っ掛かっていた。コモをとりのけようと俵をほどくと、なんとまあ、中みは死人じゃった。

 「どないなわけかわからんが、なんともあわれな姿よ。これじゃあ、うかぶせもあるまいに。われ、いったいどこもんぞ」と死人に話かけ、崖の棚場にかつぎあげ、寄り木(打ち寄せられた木)を集めて火そうにしてやったんじゃ。

 それから三月ほどして、テングサ取りの時期が来た。この年は、とのさまの江戸のぼりの年で、おさめもんのテングサの割り当てが、いつもの年より五割もよぶんにきた。 ところがテングサのつきが悪く、漁に出てもなかなかわりあてぶんが取れない。おさめもんがおさめられないと、来年は漁をさせてもらえない。

 その日も、漁をしていたが、ちょっとしかとれず、岩かげに船を寄せて、休んでいると、だれかが「清八、清八」と呼ぶ。よくみると しょうりょうせん(死んだ人のたましいを送る船)に乗った男が手招きをしていた。あがらうことができんような気がして、船をこぎながらついていくと、大きなほら穴のなかに消えてしまった。船を寄せてみると、ほら穴のおくに、小さなほら穴がつづいている。そのほら穴にはいってみると、そこは浜になっていて、テングサが山積みになっていた。

 夢をみるような気がしたが、夢中になって、テングサを船に積み込み、おおいそぎでほら穴の外にこぎだすと、ちょうど待ち構えたように潮がみちて、ほら穴の口が、ぴしゃりとふさがってしまった。

 浦の人が、きゅうに大漁するようになった清八のことをふしぎがって、きづかれないようにあとをつけていくと、清八がほら穴の中へはいっていく。そのほら穴にはテングサなどはえたことがないのをしっているので、みんな安心して見ていた。ほら穴のなかにまたほら穴があるのは誰も知らなかった。でてきた清八の船のテングサの山をみて、みんなはタヌキにばかされたとように思うたんじゃ。そして、てんでにほら穴のなかを調べてみたが、なにひとつみつからなかった。

 それから後、清八のとってくるうどのことを「くさがくしのうど」というようになったんと。

 

 しょうりょうせんというのはこの地方独自のものでしょうか、はじめてききました。とのさまの江戸のぼりは参勤交代、おさめもんは年貢のことですが、こんな表現もはじめて。江戸時代に語られた話でしょうか。類似の話が多い昔話の中で、ちょっとめずらしい展開です。


ごろべえ もののけの くにへいく

2023年01月19日 | 絵本(日本)

    ごろべえ もののけの くにへいく/おおともやすお/童心社/2018年

 

 むかし、”ただの ごろべえ”という侍がいた。力の強さは百人力、剣をとれば向かうところ敵なし。

 ごろべえに だいてもらえば 元気に強く 育つというので、国中から赤ん坊を連れた人がやってきた。

 そんな ごろべえにも たったひとつ 困ったことが。みんながいう「ぞっとした こわかった」と思ったことがいちどもない。

 怖いというのはどんな気持ちだろうと、和尚様に相談すると、もののけの すむくにへいけば 怖いおもいをするだろうという。

 さっそくたびにでたごろべえ。満月の日、みわたすかぎりの すすきのはらで、笛や太鼓の音。もののけたちの月見の宴だった。ごろべえ、「こわい」どころか、「みごとな 舞だ! みごとな 歌だ!」と、やんやと 手をうった。

 あねさまに いわれ、こわいこわいという大入道のところにいき、おおなまず、”かおばっかり”に変身した大入道と力比べ。投げられた大入道は、「わしより こわいものなど どこにも おらん」という。大入道から、投げられたことは内緒にしてくれといわれ、内緒にすることを約束したごろべえは、「ピカリ! ガラガラドーン!」の音で、寺の庭へ。

 小坊主から こわいということを おしえましょうといわれ、陽が昇る前に山門にいくと・・・。

 このあと、二度、やられたというオチがまっているのですが、強いだけでなく、心優しい ごろべえでした。

 

 もののけの 月見の宴は たしかに楽しそうでした。大入道が変身する”おおなまず””かおばっかり”は、迫力満点です。


大きな卵・・ミャンマー

2023年01月18日 | 昔話(東南アジア)

         ビルマのむかしばなし/中村祐子他再話/新読書社/1999年

 

 王さまと大臣たちが、生まれてくる子どもが、男か女かを知らせる合図を待っていると,突然二本の糸が同時にひかれました。「双子だ!」と、そこにいた人々がみな叫びました。

 ところが王妃が産んだのは大きな卵でした。産婆が驚きのあまり糸を二本引いてしまったのです。王さまは恥ずかしさのあまり気が動転して、卵を川に投げ捨て、王妃は庭師の手伝いをするように命じました。

 卵は川下で、老婆に拾い上げられ、老婆が食べようとすると、卵の中からひとりの男の子がでてきました。男の子は、「私は、お前のお母さんだよ」といわれて、いっしょに暮らしました。

 ある日、老婆がジャングルにでかけるとき、見張り塔、地下室、台所にはいかないように言い残しでかけていきました..

 「行くな」といわれると、たいていというか かならずというか、それを無視するのが昔話。少年は、まず見張り塔にはいって、そこに鎖につながれている老人をみつけました。老人は、鬼婆にとらわれていて、もうすぐ食べられること、時期が来れば少年も食べられてしまうことを告げます。地下室で人の骨を見つけ、老人の言うことが本当だったことを知り、台所にあった壺のなかの三つの玉をもって、鬼婆のところから逃げ出しました。

 少年が玉を投げると、おいかけてくる鬼婆のあいだに、深い森、七つの山、火の山があらわれ、鬼婆は火の山で燃えてしまいます。

 少年は、羊かいと賭けをし、米を手にしますが、半分は返して旅を続けました。まもなく「ナットの精」の寺院につくと、少年は米の半分をあげ、「かわいそうなナット、かわいそうなナット」と叫びました。すると「ナットの精」は巡礼の姿で現れました。巡礼は、少年を、父親である王さまのところへつれていき、逆上して川に捨てた王さまの息子であるといいます。巡礼がナットの精だと知った王さまは、自分の後継者であると宣言し、少年の母も、王妃の座にもどしました。

 

 あまりこだわりはないのですが、「ナットの精」が何なのか、気になりました。


おちゃのじかんにきたとら

2023年01月17日 | 絵本(外国)

    おちゃのじかんにきたとら/作・ジュディス・カー 訳・晴海耕平/童話館出版/1994年改訂新版

 

 おかあさんとソフィーが、お茶の時間にしようとしていると、とつぜん玄関のベルがなりました。牛乳屋さんは朝やってきたし、雑貨屋さんが来る日でもないしと思いながらドアを開けてみると、そこにはおおきくて けむくじゃらで しまもようの とら。

 おなかがすいて、お茶の時間を いっしょに させてくださいというとらに、サンドイッチをすすめると、とらは ひとつだけではなく テーブルの上のサンドイッチをぜんぶのみこんでしまいました。それでもまだ おなかがすいていそうなのでソフィーがパンをさしだすと、お皿のうえのパンを全部 食べてしまいました。それからは、牛乳だけでなく、つくりかけの夕ご飯、冷蔵庫のもの全部、おまけに 水道の水を ぜんぶ、のみました。

 このあいだ、おかあさんとソフィーは どうしていた?

 とらが かえっていくのを 手を振ってバイバイしていて、困った様子はありません。

 お父さんが帰ってきて、なにがおこったか話すと、いい考えがあると、三人はレストランへ。

 次の日の朝、フォフィーとおかあさんは、いつ とらが お茶の時間のきてもいいように たっぷり 買い物です。それから とらは やってくるのでしょうか。

 

 まるで煙に包まれるような話。とらが やってきて 家中のものを全部食べてしまっても泰然としている家族。一夜の夢でおわったのでしょうか。

 

 ロンドン在住の方が、ポピュラーな絵本と紹介されていましたが、初版は1968年、世界で300万部を売り上げているとありました。

 作者の経歴に、1933年ナチスの手を逃れ、スイスとフランスで過ごし1936年にイギリスに移ったとありました。