愛媛のむかし話/愛媛県教育研究協議会国語委員会編/日本標準/1975年
死人を丁寧にほおむってあげると・・。
むかし、西浦に働き者の清八という漁師がおった。ある日、海がしけちょるのに沖に出たが、波が高くなり風も強くなって、うど(ほら穴)に逃げ込もうと船をこいだが、いっこうに前に進まない。船の後ろを見ると、大きなコモ俵が引っ掛かっていた。コモをとりのけようと俵をほどくと、なんとまあ、中みは死人じゃった。
「どないなわけかわからんが、なんともあわれな姿よ。これじゃあ、うかぶせもあるまいに。われ、いったいどこもんぞ」と死人に話かけ、崖の棚場にかつぎあげ、寄り木(打ち寄せられた木)を集めて火そうにしてやったんじゃ。
それから三月ほどして、テングサ取りの時期が来た。この年は、とのさまの江戸のぼりの年で、おさめもんのテングサの割り当てが、いつもの年より五割もよぶんにきた。 ところがテングサのつきが悪く、漁に出てもなかなかわりあてぶんが取れない。おさめもんがおさめられないと、来年は漁をさせてもらえない。
その日も、漁をしていたが、ちょっとしかとれず、岩かげに船を寄せて、休んでいると、だれかが「清八、清八」と呼ぶ。よくみると しょうりょうせん(死んだ人のたましいを送る船)に乗った男が手招きをしていた。あがらうことができんような気がして、船をこぎながらついていくと、大きなほら穴のなかに消えてしまった。船を寄せてみると、ほら穴のおくに、小さなほら穴がつづいている。そのほら穴にはいってみると、そこは浜になっていて、テングサが山積みになっていた。
夢をみるような気がしたが、夢中になって、テングサを船に積み込み、おおいそぎでほら穴の外にこぎだすと、ちょうど待ち構えたように潮がみちて、ほら穴の口が、ぴしゃりとふさがってしまった。
浦の人が、きゅうに大漁するようになった清八のことをふしぎがって、きづかれないようにあとをつけていくと、清八がほら穴の中へはいっていく。そのほら穴にはテングサなどはえたことがないのをしっているので、みんな安心して見ていた。ほら穴のなかにまたほら穴があるのは誰も知らなかった。でてきた清八の船のテングサの山をみて、みんなはタヌキにばかされたとように思うたんじゃ。そして、てんでにほら穴のなかを調べてみたが、なにひとつみつからなかった。
それから後、清八のとってくるうどのことを「くさがくしのうど」というようになったんと。
しょうりょうせんというのはこの地方独自のものでしょうか、はじめてききました。とのさまの江戸のぼりは参勤交代、おさめもんは年貢のことですが、こんな表現もはじめて。江戸時代に語られた話でしょうか。類似の話が多い昔話の中で、ちょっとめずらしい展開です。