どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ドーナツのあなのはなし

2019年08月31日 | 絵本(外国)

    ドーナツのあなのはなし/パット・ミラー・文 ヴィンセント・X・キルシュ・絵 金原瑞人・訳廣済堂あかつき/2019年

 

 ドーナツの話らしく、文、絵とも円形のなかです。

 諸説あるようですが、1847年、アイヴァンホー号のコック助手だった16歳のハンソン・グレゴリーが、パン生地をラードで揚げた朝食が、どうしても中の方が、生のままなので、食べると胃の中に大砲のたまがおちたようで、水夫たちが”おもり”とよんでいたのに、缶のまるいふたをつかって、”おもり”の、まんなかに、まるいあなをあけたのが最初と紹介しています。

 ただグレゴリーは、36歳の時、船の仕事をやめ、鉱山技師として働いています。帆船が蒸気船に追い抜かれたのが理由でした。

 1941年、ドーナツを発明したのは、わたしの祖母だと主張する人があらわれ、グレゴリーの従妹の息子とニューヨークで「大ドーナツ論争」がおこなわれ、グレゴリーの主張が正しいと判断されました。

 1948年グレゴリーは、「ドーナツのあなの発明者」として、アメリカ、パン協会から功績をたたえられます。

 どうでもよさそうですが、一番最初に発明したという栄誉は、ゆずれないのかも。

 もうひとつ興味ぶかいのは、第一次大戦中、救世軍のヘレン・バヴィアンズとほかの女性たちが、戦場の近くでドーナツをつくって兵士たちにくばったのを記念して、1938年に6月の最初の金曜日が「ドーナツの日」になったということ。

 1847年というのは第一次世界大戦よりだいぶ前ですから、やはりグレゴリーさんが、最初だったのかも。


やまのバス

2019年08月30日 | 絵本(日本)

    やまのバス/文・内田鱗太郎 絵・村田エミコ/佼成出版社/2009年 

 

 病院帰りのおばあさんたったひとりのバスが、終点につくと、運転手の山田さんは、峠から山の村をながめていました。山田さんが25年間かよいつづけた道でした。

 それも今日で最後。バスは廃線になります。

 山田さんは、なみだで かすんでいく 山に、ふとつぶやいていました「だれでもいいから、のってくれたら、 バスは なくならないのになぁ」

 つぶやきは、風にのってクヌギの森や、湖のほとりまで運ばれていきます。

 「だれでもいいから・・・ だれでもいいから・・・」

 すると、めったに 人のいない、バス停に イノシシの親子が たっていました。

 はじめはびっくりした山田さんですが「お客は だれでもいいんでしょう」といわれ、次の停留所でクマ、キツネの親子も のせます。

 イノシシのお代はヤマイモ、クマのお代は、ニジマスとミツバチの巣、キツネのお代は、柿とクリ。

 まちのてまえ停留所で動物たちは、山田さんをみおくります。

 山の幸をみたバス会社の社長さん、市長さんはバスツアーを企画し おくやまいきのバスは今日も走っています。

 モノトーンの木版画ですが、柿、栗、キノコ、ヤマイモ、ニジマスには、色がついています。

 紅葉やバス乗客のほっぺの色合いが、楽しそうです。

 それにしても山道に手すりがゆれるレトロなバスです。

 ラストが甘いようにも思いますが、経済性ばかり追求される世の中、まだまだ残していきたいものがたくさんあります。


ぼくのイスなのに!

2019年08月29日 | 絵本(外国)

            ぼくのイスなのに!/ロス・コリンズ:作・絵 いしい 博・訳/PHP研究所/2017年

 

 ネズミ君が 自分のイスにすわろうとすると、もうすでにシロクマが イスを占領中。

 すっごく おっきくて いっしょにすわるすきまなんてありません。

 シロクマを何とかどかそうと、ネズミ君は、じぃーっとにらみつけてみたり、ちょっとほめてみたり、ナシでつってみたり、びっくりさせたりしますが、シロクマは新聞を読んだり、携帯をみていたり へいっちゃら。

 ひどい! ずるい! ず!る!い!  もうしらない

 ところが シロクマが自分の家にかえってみると・・・・

 地団駄ふんででくやしがったネズミ君のとっときの手は? オチに思わず笑ってしまいました。

  「ぼくたちをまもってね」と、数少なくなっているシロクマの現状にも さりげなくふれられています。

   

てのひらむかしばなし さばうりどん

2019年08月28日 | 絵本(昔話・日本)

        てのひらむかしばなし さばうりどん/長谷川摂子・文 伊藤秀男・絵/岩波書店/2004年

 

 日本の昔話「牛方とやまんば」「馬方とやまんば」とおなじですが、方言や擬音語の楽しさがあって、一味違うものになっています。

 さばうりが、ふきつける雪で道に迷い 明かりが見えた家に行くと、そこには おっかない やまんばが。

 もう一本、もう一本と、こわいやまんばに サバをぜんぶたべられ、さばうりが、金を払うように言うと、お前も食べてしまうぞと驚かされ、天秤棒もなにもなげだして、とんでにげます。

 けれども、くやしくてくやしくて、さばうりは 山姥の家にもどり、天井裏にのぼって、ようすをみます。

 そして、山姥がねていにるあいだに おもちや あまざけを そだや あしのぼうを使って食べてしまいます。

 このあと、山姥が囲炉裏の神さまに きの からとか いしのからと のどちらかで眠るかたずねると、さばうりは きの からと にはいって ねろ ともったいぶって いいます。

 さばうりは、きのからとを しっかんかんと ふんじまり きりで あなをあけると ぐらぐら わかしたゆを、そそぎます。

 「あちゃちゃあ こちゃちゃあ、ねずみの しょんべん あついわな」と、大声でわめきはじめた山姥は、金なら部屋のすみにも、松の木のしたにも たんと ある」といいだします。

 さばうりどんは、サバをいれてきた かごに 金銀小判をいれて家に戻ります。

 しばらくたって、さばうりどんが、山姥の家にいって、からとの なわを といて ふたを あけると・・・・。

 「そだや あしのぼう」とあるのは、漢字なら「粗朶」「葦の棒」、 「きの からとか いしのからと」とあるのは、漢字なら「木の唐戸」「石の唐戸」でしょうが、絵本ですから意味がわからなくても、イメージできます。

 食べたサバの代金を払えといったり、金銀小判をどっさりせしめるあたりは現代風です。

 山姥が怖いのは、サバにかぶりつくところ。そこ以外は、どこか同情したくなる山姥です。


おばあさんとぶた・・イギリス、プッチェットと帽子・・イタリア 、やぎとぎんのすず・・ルーマニア、ひよこのコンコンがとまらない・・北欧、ほか

2019年08月27日 | 昔話(外国)

 次々とことわられ、また元に戻るパターンの話。こうした繰り返しの昔話は日本には少ないようです。


おばあさんとぶた(イギリス)(おばあさんとぶた/ブリッグズの世界名作童話集1 3びきの子ぶた/バージニア・ハヴイランド編 レイモンド・ブリッグズ・絵 小林忠夫・訳/篠崎書林/1988年)

 おばあさんが市場で買ったぶたをつれて家に帰る途中、柵をこえようとしますが、ぶたがいうことを聞きません。そこで、犬にぶたに噛みつくようにいいますが、犬がいうことをききません。
 杖をみつけ、犬をぶっとくれといいますが、杖はいうことをききません・・・・・。

 おばあさんは、たき火、水、うし、肉屋、綱、ねずみ、ねこと次々に頼んでいきます。

 おばあさんが、ねこにミルクをあげると・・・

 ねこがねずみにかみつき、ねずみが綱をかじり、綱が肉屋をはたき、肉屋が牛を囲いに入れようとし、うしが水を飲みだし、水がたき火をけそうとし、たき火が杖を燃やし、杖が犬をぶち、犬がぶたにかみつき、ぶたは柵をこえます。

 レイモンド・ブリッグズの絵がなんともいえない味があるおばあさんになっています。

 藤田浩子さんのお話の小道具を利用して、幼児向けに話したことがありますが、藤田さんのものは、肉屋のところで、反転します。
 繰り返しの反転が特徴ですが、もとの話はやや長すぎる感じもします。
 聞いている方の様子を見ながら、柔軟に話せるといいのかもしれません。


プッチェットと帽子(イタリア)(プッチェットと帽子/イタリアの昔話/剣持 弘子 編・訳/三弥井書店/1994年)

 帽子をなくしたプッチェットが、チョッケットにかえしてくれるよういうと、パンをくれなきゃといわれ、パンをもらいに奥さんのところに行くと、ミルクをもってこなきゃといわれ、雌牛のところに行くと、草をもってこなきゃといわれ、鎌を、ラードを、豚はカシの実を、風をもってこいといわれ、風から反転していきます。

 何回も繰り返が続くと、先の展開が予想でき、集中できなくてもお話の中身の理解ができるのがいいのかもしれません。


男の子と豆(魔法のゆびわ/世界むかし話13インド/光吉夏弥・訳 畠中光亨・絵/ほるぷ出版/1979年)

 男の子が豆を食べていると、最後の一個が敷居の割れ目にはいってしまいます。

 大工さんにたのむと、たかが豆一個のためにしきいはわったりできないといわれ、お妃さまに王さまに大工をしかってもらおうと頼むと、ことわられ、ネズミ、ネコ、イヌ、棒、火、海、ゾウと頼み、アリに砂糖をあげると、次々に反転していきます。


かわいいメンドリ(チェコスロバキア)(世界むかし話 東欧/松岡享子・訳/ほるぷ出版/1989年初版

 大きなオンドリとかわいいメンドリが、何か見つけたらなかよく半分こしようと約束します。かわいいメンドリはいつでも半分こしますが、大きなオンドリは、メンドリがみていないときは、独り占め。

 ところがトウモロコのつぶをみつけ、あわててまるのみにすると、トウモロコシがのどに引っかかって、息がつまり、メンドリに水をもってきてくれるよう頼みます。

 かわいいメンドリが井戸にいって水をおねがいすると、仕立て屋へいって、ハンカチを一枚もらってきてくれたらといわれ、仕立て屋では、くつ屋からスリッパをもらってきてといわれ・・・。

 頼み込むのが多いのが特徴ですが、ちゃんとオチがあって、それからは二度とずるいことをしなくなったとおわります。


ペリコおじさんの結婚式(スペイン)(スペイン民話集/三原幸久:編・訳/岩波文庫/1989年)

 イギリス、イタリア、インド、チェコスロバキアと続きましたが、こんどはスペインです。

 タイトルからは内容がイメージできないのですが、ペリコおじさんの結婚式に招待されたオンドリが、大麦を含んだうんこにであい、食べようとしますが、嘴がよごれると結婚式に行けないだろうと我慢するところからはじまります。

 二度までは我慢しますが、三度目にはペロリ。結婚式にでたら、いくらでも食べられるはずですが・・。
 汚れた嘴をきれいにしてくれるよう葵に頼むと、いやだとことわられ、今度は羊に葵を食べておくれとたのみますが・・・。

 葵、羊、狼、犬、棒、火、水、雌牛、ナイフ、鍛冶屋まで。
 ここでも終わらず、死神、神様まで登場します。

 

スズメとカラス(バングラデッシュ)(まめたろう/愛蔵版おはなしのろうそく10/東京子ども図書館編/2010年)

 友だちのカラスとスズメがトウガラシをみつけ、どっちがたくさん食べられるか競争。勝ったものは負けたものを食うという約束。スズメが正直にひとつずつ食べたのに、カラスは一つ食べては三つをござの下にかくします。カラスは勝った勝ったと、スズメを食おうとするちょっとびっくりするでだしです。

 スズメが、けがれた嘴で食べられるのは、ごめんだからというので、カラスは川に行って水が欲しいといいますが、川は水瓶をもってこいといいます。

 カラスが瀬戸物屋に行って水瓶をつくってくれというと、水瓶は土をもってきてくれたら、すぐにでもつくってやるさ、とこたえます。

 次に地面、かじ屋。

 かじ屋からは火が欲しいといわれ、近くのおかみさんにおねがいすると、「どうやって持っていくのさ」ときかれ、「おれの背中にのせてくれ」といったカラス。最後は詰めが甘く、カラスの羽がもえあがってしまいます。

 友だちを、ずるして食べようとしたカラスを冷たく突き放したオチです。

 

 おなじようなパターンの絵本もあります。

やぎとぎんのすず(ルーマニア)(八百板洋子・文 小沢良吉・絵/すずき出版/2006年初版)
             

 ぎんの鈴をつけたやぎが、いばらを無理やり通ろうとして、鈴がいばらのなかに落ちてしまいます。鈴を返してとやぎがいってもいばらはいうことをききません。

 そこでやぎは、のこぎりのところにいって、いばらを切ってくれといいますが、のこぎりは刃がぼろぼろで切るなんて御免だねとことわります。
 そこでやぎは、火、川、牛、お百姓のところへ。

 上の二話と違うのは、このあとの展開です。

 自分の言い分ばかりを通そうとするやぎに、いばらのしげみのところにいって、銀のすずを自分でとるようにいいます。前足をのばすとすずはすぐにとることができます。

 やぎは、わがままをいったことが、はずかしくなります。
 火も 水も 牛もちゃんと言い分があるところが、ほかの話とちがっています。

 うまくいかないと、誰かのせいにしたくなりますが、やんわりと諭してくれる人がいるのはありがたいですね。

 同じ作者の「山羊と銀の鈴」(いちばんたいせつなもの/バルカンの昔話/八百板洋子:編・訳/福音館書店/2007年)では、「なにひとつしないで、みんなにやってもらおうとばかりするのは、おかしいぞ。そのうえ、みんなに腹をたてるなんて、こまったやつだ」と、お百姓がいばらから鈴をはずして、持っていくという終わりかたです。


ひよこのコンコンがとまらない(北欧)(ポール・ガルドン・作 福本友美子・訳/ほるぷ出版/2007年初版)


 めんどりのお母さんが、ひよこのタッペンのコンコンをとめるため、大奮闘。タッペンは、おかあさんの言いつけを聞かずに 大きいタネをのどに詰まらせて、コンコンがとまらなくなったのです。

 お母さんが泉にいって水をもらおうとすると、「コップをもってきたらわけてあげる」といわれ
 カシの木にコップ(コップといってもどんぐりのようです)をお願いしますが、「だれかが、枝をゆすってくれたら、コップをあげるよ」といわれ
 木こりのむすこにお願いすると、「くつをもってきてくれればね。くつをはいたら木の枝をゆすってあげると」といわれ

 くつや、めうし、おひゃくしょう、かじやと次々に頼み込み、鉱山で鉄をほっているこびとにであって・・・


ひつじかいとうさぎ(ラトビア)(内田莉莎子・再話 スズキコージ・絵/福音館書店/2017年(初出1975年)


 ひつじかいがうさぎをつかまえ、かこいのなかで飼うことにすると、せまいところはイヤだとばかり逃げてしまいます。

 ひつじかいは、おおかみ、棒、火、川、牛、熊に うさぎをさがさせようとします。

 おおかみ、熊がでてくるあたりが、ほかのものとちがっています。

 棒や火、川の表情がなんともいえないのは、絵本ならではです。


 こうした話だと自分でも作れるような親近感が生まれるかも!


足ふきの上にすわったネコ

2019年08月26日 | 創作(外国)

    足ふきの上にすわったネコ/しずくの首飾り/ジョーン・エイキン・作 猪熊葉子・訳/岩波少年文庫/2019年

 

 昔話では、おばあさん、おじいさんなどが突然あらわれ、主人公を手助けしてくれるのですが、女の子エマに赤、青、ねずみ色の服と子ネコのサムをくれたのは。妖精のおばあさん。

 エマがどんどん大きくなって、服がみんな小さくなったとき、一緒に住んでいるルウおばさんは貧乏でエマに服ををかってやることができず、服をぬいで洗ったら、ちぢんで、もうきられなくなってしまうからと、エマと服を一緒に洗い、服を着たままのエマをものほしづなにぶらさげて、かわかしました。

 そこへやってきた妖精のおばあさんが、ものほしづなにぶらさがっているエマを見て大笑い。

 妖精のおばあさんからたすけおろしてもらったエマが、おばあさんにアップル・パイをあげると、三枚の服と子ネコをもらったのでした。

 エマはルウおばあさんと古いバスのなかに、すんでいました。ルウおばあさんは、バスの近くのラクストン・スーバーブ卿の果樹園で、リンゴをもぎ、店におくり出す仕事をしていました。

 毎日もらうおかねはたった一円。そしてくさりかけのリンゴだけが、おばあさんの収入でした。

 でも、エマはくさりかけのリンゴで、アップル・ソ-ス、アップルケーキ、リンゴのさとうかけをつくりました。

 ルウおばあさんが、ねずみ色の服で足ふきをつくり、子ネコが、その足ふきにすわったとき、エマが「大きなミートパイとアイスクリームをルウおばあさんのごはんにほしいわ」というと、その願い事がかなうことにきがつきました。

 エマは、絵の具を手に入れ、でラクストン・スーバーブ卿の果樹園の白いへいに、果樹やキツネやリス、ウサギがパンやゼリーをたべているところを描きました。ところが、ラクストン・スーバーブ卿のいかりをかい、すぐにでていくようにいわれてしまいます。

 エマとおばあさんがすんでいる古いバスは、ラクストン・スーバーブ卿の果樹園の白いへいのそばにありました。

 バスを動かすようにいわれたとき、子ネコが足ふきの上に、とびのっていました。

 ラクストン・スーバーブ卿が、おんぼろバスなんか空に吹き飛ばせばいいんだと叫ぶと、バスは雲の上に着陸します。

 サムが足ふきにいると食べ物も手にはいります。

 サムの足ふきで願いがかなうなら、どこへでもいくことができますが、二人は雲の上で暮らすことにしました。

 おんぼろバスで、雲の上で暮らすという作者の発想にびっくりです。

 

 ところで、作者のジョーン・エイキン(1924-2004)は、イギリス国籍の方。12歳になるまでは家でカナダ人の母親に勉強をみてもらっていましたが、幼いころから詩や物語をつくっていたといいます。19歳で結婚、30歳のとき夫が亡くなり、二児をかかえて、本格的に作家の道を歩みはじめたと紹介されていました。


ぼくと弟はあるきつづける、ぼくは弟とあるいた、ぼくの家から海がみえた

2019年08月25日 | 絵本(日本)

    ぼくと弟はあるきつづける/小林 豊:文・絵/岩崎書店/2007年

 

 戦争から逃れて、両親と離れ、おじいちゃんの家に逃げてきた兄弟。ところが、そのおじいちゃんもまもなくなくなってしまいます。

 おじいちゃんは、たくさんのカギを残していってくれました。

 戸棚をあけると、世界中のたからもの。おじいちゃんは船乗りでした。

 二人は、おじいちゃんの残してくれた望遠鏡や時計をライター、チョコレート、ビスケットなどにかえ、列車の乗客に売って毎日をなんとか暮らす毎日。

 あるとき、列車の中で女の人がバイオリンを弾き、男の子が歌いだします。ところが車掌さんが入ってきて、兄弟は二人と逃げ出します。

 ともだちになった四人。女の子はアナヒタ、男の子はアビというふたりの村へ。

 この村には、あちこちの国や地方からやってきた人が仲良くくらしていました。

 畑仕事をし、秋の実りの時期をむかえ、まつりがはじまります。

 そして翌春、村の畑のアンズの木に花が咲いたころ、うれしいしらせが。

 「停戦だ! 戦争が おわったよ」。

 二人は両親にあうため、港で船をまちます。

  子どもたちが道ばたで、物を売っている場面には、戦争の影響があらわれていますが。兄弟がたどりついた村は牧歌的な風景がひろがり理想郷にもみえました。

 両親の返信に「停戦になったら、さいしょの船で おまえたちを むかえにいく」とありましたが、「テーセンって、なに?」、と弟がたずね、兄が「ぼくにも わからないよ」と兄がこたえるのですが、これから普通の生活がまっていたのでしょうか。

 港に両親がのっている船が着くところがラストです。

 借りてきたら、前作があるので、こちらを先によむべきでした。

 兄弟がたどり着いた村には、いろんなことばをはなす人がいて、「ここでは、だれでも だいかんげいさ」とあるのは、難民を意識したものでしょうか。

    ぼくと弟はあるいた/小林 豊:文・絵/岩崎書店/2002年

 

 「ぼくは弟とあるきつづける」をよんで気になったので、借りてきました。

 「ぼくは弟とあるきつづける」は、おじいさんのところについたところから、はじまりますが、ここでは、戦争がはじまり、両親と別れて南に住むおじいちゃんの家をめざします。

 最期のおんぼろバスで村から出発した兄弟でしたが、途中バスがエンストし、むかしの遺跡の後だという岩山で一晩すごします。

 自転車をのせていた人がつれてきたのは、旅芸人の一座。この一座と村へ到着した兄弟。アンズや桃の花が咲いていました。

 バスで出会ったおばあちゃんの娘にあかちゃんが生まれたばかりでした。

 旅芸人の一座と、あかちゃんのおいわいをして、平和がいかにたのしいかを実感した人々は、それぞれの道をあるきます。

 新しい命の誕生は、戦争が終わった後の希望をしめしているようです。

 先の見えないなかでの、人々のつながりが感じられるエピソードが続いています。

    ぼくの家から海がみえた/小林 豊/岩崎書店/2005年

 

 シリーズになっているのが頭になく、逆から読んでいきました。気になる三部作の最初の絵本です。

 お父さんとお母さん、ぼくの家族にエルタンという弟が生まれます。お父さんは造船所の仕事をみつけます。お父さんの作る船は、足が速くて評判がよく、仕事はますますふえます。

 お母さんも、町の工場で木の実のしわけ、夏には茶摘み、秋にはとりいれの仕事。

 海の見えるアンズの木のそばに、家もたてます。家ができると庭に畑を作り、ニワトリもかいました。

 「家族は、長い旅をして、むかし船乗りだったおじいちゃんが生まれた町につきました」と、はじまりますが、なぜ長い旅をしたのかにはふれられていません。

 暮らしが落ち着いたころ、北の国から大きな貨物船がつきました。長いコートをきた おおぜいの人が 人間よりもおおきな荷物をひきずるようにしてて 桟橋をあるいてきました。

 次の日、町の広場に市がたちました。貨物船でついた人々が、楽器や毛布、たべものなど、みているとほしくなってしまうものばかりを並べました。

 エルタンが急に座り込みますが、貨物船でついた女の人が医者で、心配ないことをおしえてくれました。ぼくは、このお医者の女の子ミッシャという女の人とともだちになりました。

 海を見ながら、「あの海のむこうに、ミッシャの国があるんだね」と、ぼくが言うと、ミッシャは「私の国は もう ないの。お父さんは大学の先生。でも、いま しごとはありません」と、こたえます。

 ある日、ぼくは、たくさんのたまごを、ミッシャの店で売ってもらおうとでかけます。しかし、石畳のでこぼこみちで、たまごのほとんどが われてしまいました。われたたまごをもって、家に帰ると、お母さんは、畑でとれた野菜を、たくさんいれて大きなオムレツをつぎからつぎへと やきました。 

 ぼくと弟のエルタンは、オムレツを 口にいっぱいつめこみ、残りのオムレツを町に売りに行きました。

 やがてミッシャとお母さんが船で国へ帰ります。

 ぼくは、海の向こうの まだあったことのない人たちのことを考えながら海をみていました。

 ミッシャと母親は、戦火からにげてきたのですが、国に帰ったというのは?

 一家は、平和な暮らしをしているようにみえますが、前段に長い旅をしたとありますから、ようやく得た安らぎだったのかもしれません。

 そして、ミッシャの家族もまた戦火にまきこまれています。 

 三部作をつうじて戦火の影。「ぼくと弟はあるきつづける」は、停戦でおわっていますから、このあと本当の平和が訪れたのでしょうか。

 さまざな人々との出会いが”ぼく”を成長させています。


ホネホネ絵本

2019年08月24日 | 絵本(外国)

         ホネホネ絵本/ステイーブ・ジェンキンズ:作・絵 千葉茂樹・訳/あすなろ書房/2010年

 

大きなホネ 小さなホネ 手、足、安全第一、きみのうしろだて、長いの短いの、あっぱれ!、ジャンプ!、動けや動け!といった項目のあとに ホネです。

人だとあちこちさわってみて、かたさを実感できるのも骨のよさでしょうか。

ヒトの手の指の骨27個、骨は206個、組み立てるとヒトの骨格ができあがり。

キリンも 人間も 首の骨の数は7つ

小形のニシキヘビの肋骨は200対

骨を持つ動物のほとんどは左右対称

ところが地球に生きる動物の97パーセントには骨がないという。昆虫、クモ、カニは体の外側に骨格をも動物。外骨格自体は生きていないので成長もしない。

サメのからだをささえているのは軟骨。軟骨はヒトの鼻や耳たぶにあるもの。

ヒトだけでなく、カメ、ウマ、フクロウ、ワシ、トラ、さらに恐竜の足まで

実物大から縮尺つきまであって、比較も可能です。

巻末に「骨についてのおもしろ情報」がのっていますが、全ページおもしろ情報です。


ぼうしの上に またぼうし

2019年08月23日 | 絵本(外国)

 

    ぼうしの上に またぼうし/ローラゲリンジャー・作 アーノルド・ローベル・絵 福本友美子・訳/文化出版局/2003年


 三代目アール・アール・ポットルさんは帽子が大好き。朝おきていちばんにすることは、ぼうしをえらぶこと。

 お父さんは杖、お母さんは傘が大好きでした。こだわりは家にもあって、傘と杖をもした家。 

 ポットルさんは、かなしくなるとぼうしを2つかぶりました。

 ふたつのぼうしをかぶり散歩していると、2ひきのヘビがいちょうの木の下をなかよく散歩、あおいとりはが2わ 楽しそうにワルツをおどっていました。カエルも2ひき、こえをあわせてうたっています。

 黒い雲がひろがり、とおくでかみなりのおとがして、ポットルさんがはいったのは町で一番大きなぼうしやさん。

 そこで であったのは、笑顔が素敵でぼうしがにあうイザベル。

 二人は結婚し、4代目アール・アール・ポットルがうまれますが、4代目がすきだったのは くつでした。

 初代目は、なにを収集していたのでしょう。

 でてくるぼうしは半端ではありません。

 こんなに集めてどうするの?と考えるのは、好きな人の気持ちがわからないということでしょう。

 切手や小銭をあつめたり、ミニカーや陶器をあつめたりと、収集家にとっては実用かどうかは問題ではありません。


たまごからかえった家

2019年08月22日 | 創作(外国)

               たまごからかえった家/しずくの首飾り/ジョーン・エイキン・作 猪熊葉子・訳/岩波少年文庫/2019年


 たまごからかえったのは一本足の家。家がたまごからかえったのにはこんなわけがありました。

 四人連れの音楽団。ギリシャ人のゼノはチター、アイルランド人のイワンはハープ、フランス人のスクピノーはトライアングル、インド人のダンヌーはドラムをたたきました。

 どこへいっても四人は歌い、楽器をひきならながら食べ物やお金をもらい、おんぼろ自動車で移動していました。

 ある冬、あれた土地のこおった川をわたっているとき、氷がわれて車はゆっくりと水の中にしずんでいきました。風が吹き雪がふっていました。

 四人は、ツルの巣、クマの穴、小さな家で、一晩とてくれるようにたのみますが「おかえしには、なにをしてくれる?」と聞かれ「うたったり、ひいたりしてあげます」とこたえますが、どこもとめてくれません。

 ちいさな木の家には、おじいさんがすんでいましたが、ベッドも椅子も一つ、たまごもひとつとことわらます。

 この小さな家のそばに井戸があって、つるべがさがっていました。「せめて水だけのんでも、じいさんが文句をいうまいよ」と、イアンがつるべを引き上げると、なにやら白いものが、ころがりでました。フットボールよりも大きい玉で、玉は丘をころがり落ちていきました。

 おじいさんからおどかされて、にげだした四人は丘の上でふしぎなものを見ました。小さな一軒の家が一本足で立っていたのです。

 その家のちいさなおばさんは、「わたしの家が、きょう、うんだたまごをみつけてくれば一晩とめてやろう」といいます。どうも盗まれてしまったようでした。

 大きさを聞くと、それはおじいさんの井戸にあった白いもののようでした。

 苦労して なんとか たまごをみつけ、おばさんの家にもちかえりますが、たまごには大きなひびがはいっていました。そのひびがみるみるうちに長くなっていき、おばあさんの家とそっくりの一本足の家が、たまごのなかからでてきました、

 「これじゃたべられないよ」と、おばあさんはいって、さっさと自分の家にはいってしまいます。

 約束が違うと四人が言うと、おばあさんは「自分の家がちゃんとできたじゃないか」とこたえます。

 四人は、たまごからかえった家にはいりこんで、ねむりました。次の日、四人のあとを、一本足の家がひょこひょことついていきました。

 一本足といえば、すぐにバーバー・ヤガーの家がうかびます。この家も黄色でニワトリの足のように、うろこでおおわれていました。

 この四人組、家連れ?ですから、それからはとまるところに困ることはありません。

 物語の進行には、四人組の国籍はあまり関係がありませんが、国際色豊かな音楽団です。このメンバーどこで知り合ったのでしょうか。


 こんな楽しい話なら、たまごから他の物が かえるという話があってもおかしくなさそうです。


ばしん!ばん!どかん!

2019年08月21日 | 絵本(外国)

           ばしん! ばん! どかん!/ピータ・スピア:作・絵 渡辺茂雄・訳/童話館出版/2004年

 

最初から最後まで擬音語だらけ。

乗り物、料理、あかちゃん、子ども、日曜大工、工事現場、自然、空の乗り物、スポーツ、海などなど。

花火のシーンは

しゅしゅ しゅしゅ ぱち ぱち どおん! うおお! うおお! ああ! ぱあん!!

39ページありますが、すべて音。それも一ページに最低六つぐらいはありますから、200以上。

工事の場面では

だだだ だだた だだた どしん!どしん!どしん! ぶるるるるる ぶるるるる だだんだだんだだんだん!!

ずっとみていくのは相当の根気がいります。

ちょっとしたときに みていくのがいいのかも。

とにかく、作者がよくあつめました。

ただ、むかしと今が同居しているのは、ひろげすぎです。


ふるいせんろのかたすみで

2019年08月20日 | 絵本(外国)

    ふるいせんろのかたすみで/チャールズ・キーピング・作 ふしみ みさを・訳/ロクリン社/2017年初版

 

 いまではつかわれなくなった線路のそばに、6軒の家がならぶ長屋がありありました。そこにすんでいるのは 年をとった まずしい人ばかり。

 線路長屋の人たちは、毎週10ペンスだしあって、サッカーくじを買うことにしていました。

 このくじが ある日、大当たり。25万ドルでした。

 突然手にした大金に、線路長屋の人たちは、どうしたでしょうか?

 お金がはいる前とお金がはいったあとの人物の描き方がたくみです。

 世界中のごちそうの つくりかたを切り抜いていた アダおばさんは、かべに はった料理を かたっぱしから つくり、ぜんぶ たいらげたので、すっかり ふとってしまいました。

 すてきな服や宝石が、夢だったケチケチおばさんは、つぎつぎに 服を買っていきました。

 ゲバラ?の写真をはっていたウイリアムおじさんは、「チャンスがあれば わしが 世界を かえてやるんだがのう」といっていましたが、ぴたりと 世の中を かえたいといわなくなり、ともだちと 賭け事にでかけることに いそがしくなります。

 大金が手にはいったとき、残り少なくなった人生を、どうすごすか? いろいろ考えさせられます。

 ささやかな望みをかなえた人、お金で変わってしまった人、社会貢献する人と、さまざま。

 その人の本当の地がでてくるかもしれません。 (お金には縁がありませんから、心配は無用かな(笑))

 原著は1974年、日本で1983年「たそがれえきのひとびと」(らくだ出版)として出版され、2017年に新装新訳とありました。どちらのタイトルでも、内容を想像するのは困難ですが、久しぶりに読み応え、見ごたえのある絵本でした。

 6家族で25万ドル、一家族で4万ドルといえば、それほど大金ではなさそうですが、40年以上前というのを考えると、いまでは相当な額かも。

 人生が刻み込まれた人物の絵が魅力的で、レンガ造りの長屋も見ごたえがあります。

 小学校だと どうかなとも思いましたが、高学年の読み聞かせでは、集中して聴いてくれたようです。 


いやといったピエロ

2019年08月19日 | 絵本(外国)

 

      いやといったピエロ/ミーシャ・ダムジャン・作 ヨゼフ・ウイルコン・絵 いずみ千穂子・訳/セーラー出版/1988年初版

 

 あるサーカス団で、こっそりサーカスを後にしたのは、サーカスのへんてこなピエロのペトロニウスと ごうじょっぱりのロバ、ポニーのフエルデイナンド、キリンのルイーゼ、ライオンのグスタフ、そしてイヌのオットーでした。

 それぞれに理由がありました。

 ピエロはがやりたいのは、みんなにお話をすること。ロバも本当はごうじょうっぱりではありませんでした。ポニーは、おしえこまれた芸だけをやっているのがいやでした。

 キリンのルイーズは首を見せてお金儲けにつかわれるのがいやでした。ライオンのグスタフは、いつかふるさとのアフリカへかえりたいと思っていました。そしてイヌのオットーは首のくさりがきらいでした。

 逃げ出した動物たちが、森の中で「いよいよ ぼくたちは 自由だ」「すばらしい 人生が はじまるぞ」「苦労も いろいろ あるだろうがな」「芸術家に 苦労は つきものよ」と話し合います。

 ピエロの提案で、みんなは自分たちの手による自由なサーカスを作ることにしました。

 仕事をし、テントとトランペットを買い入れて、かれらがつくったのは、「こどもとゆめみるひとのサーカス」でした。

 なんとも愛らしい動物たちで、夢をかなえた先には、どんなことがまっていたでしょうか。

  いわれたとおりにするだけで、やりたいことができないことに疑問を持つ。疑問をもつことまでは だれでもできそうですが、その先を切り開くのは、難しい。しかし、その一歩を踏み出したのは、仲間の存在でした。


ふうせんばたけのひみつ

2019年08月18日 | 絵本(外国)

    ふうせんばたけのひみつ/ジャーデイン・ノーラン・文 マーク・ビーナー・絵 山内智恵子・訳/徳間書店/1998年初版 

 

 みかけは普通のハーベイ・ポッターが農場でそだてているのは、なんと風船です。

 世界一きれいな色で、ぶどうのむらさき、おひさまのオレンジ、バナナのきいろ、くちべにのまっかなど。

 形も、丸いの、長いの、動物の顔や、ピエロの顔、ハローウイーン用の顔だったり。

 どうしたって、「ふうせんばたけのひみつ」を知りたくなりますよね。

 「あたし」は、月がまん丸の晩、ハーベイ・ポッターがどうやってこの風船をそだてるのか見てしまいます。

 しかし秘密をみられたことで、後継者にめぐまれます。風船づくりは「あたし」が、ハーベイ・ポッターとは別のやり方で。

 今年は「あたし」の32回目の風船のとりいれです。

 

 カラフルな風船、愛嬌のあるイヌやウシ、ニワトリなどを見るだけでも楽しいですが、農場で風船を育てるという着想はユニークです。

 お役人が防護服をきて、こわごわ農場をしらべたり、空を飛ぶ大きな風船、農場に風船がいっぱい広がっている風景とみどころも、いっぱい。ところどころにでてくるブタが気になりました。


びっくりたまご

2019年08月17日 | 絵本(外国)

     びっくりたまご/エリック・バテュ:作・絵 小森香折・訳/フレーベル館/2006年

 

 色の違う たまごが三つ。白いたまごに黒いたまご、ぶつぶつたまご。

 白と黒からは小鳥のひな。でもぶつぶつたまごからは、まだうまれません。

 白いひなと黒いひなは、こんなおかしな たまごいらない、と巣から放り出すと、あらら 自分たちも一緒に落っこちて。
 あっと思ったら池に落ちて命びろい。でもまだ泳げません。一難去ってまた一難。

 ところがぶつぶつたまごから しっぽがでてきて、白黒はのせてもらってスイスイ。今度は足が。

 ところが崖っぷちにでて先にいけません。

 するとこんどは、ぶつぶつたまごに つばさがでてきて、空を飛んで、もとの巣へ。

 白黒ひながごめんなさいして、おかおをみせて というと 赤い小鳥が かおをだしました。

 

 いじわるされても、赤い鳥は あしたから 飛び方をおしえてあげると とてもやさしい 小鳥でした。

 たまごがでてくると、どんなものが生まれるかワクワクします。ぶつぶつたまご 兄弟だったのかな。