どんぴんからりん

昔話・絵本いろいろ。語るのを目的としたものでしたが・・。それにしてもまるで森に迷い込んだ感じです。(2012.9から)

鬼のヘラ

2017年03月31日 | 昔話(日本)
               鬼のヘラ/日本のわらい話/浜田廣介・編著/偕成社/1970年初版

 岡山の昔話がもとになっています。

 「幸せに暮らしました」と終わることが多い昔話ですが、ちょっとちがったオチが楽しめます。

 一人暮らしのおばあさんが、お彼岸のだんごをつくっていると、だんごがひとつころがって、土間の穴におちてしまいます。
 おばあさんが穴をのぞきこむと、からだ全体がちぢまって穴にひきこまれてしまいます。

 穴の道を歩いていくと石の地蔵さんが立っていました。だんごはお地蔵さんが食べてしまったのですが、そのときやってきたのは鬼でした。

 鬼に見つかったおばあさんは、食べられてしまうのではと思いましたが、ご飯炊きとして手伝うことになります。

 大きな釜にたっぷり水を入れますが、米粒はたった一つ。何という無茶なことだというと、鬼はヘラを取り出し、このヘラでかきまわすと一粒の米が釜いっぱいにふくれるという。たしかにそのとおりでした。

 当初、臨時の手伝いだったはずのおばあさんは、何日かご飯炊きをしますが、代わりの人はやってきません。そこで逃げ出します。

 三途の川を船で渡ろうとすると十匹の鬼が追いかけてきて、川の水を飲み込みはじめます。
 おばあさんが、ヘラを手に持ち、おかしな身振り、変な顔つき、おしりをぬっとつきだしたりすると、見ないふりをしていた鬼が笑い出し、飲み込んだ水を吐き出してしまいます。

 助かったおばあさんが、このヘラをどうしようとお地蔵さんに相談すると

 「ヘラは米粒一つが万倍にもなる鬼のヘラ、たからものだよ。わしがよごれただんごをそっくりたべてしまったなんて人にやたらというんじゃないぞ。だんごやヘラのことを、だれにかもヘラヘラいうなということじゃ」。

 ころがってきただんごを食べてしまったお地蔵さん、あまり人に知られたくないと思うあたりがほほえましいところです。

 このヘラ、ほかのものも増やしてくれたのでしょうか。
 まあ、米を増やしてくれればあとはどうでもなりそうです。





 






コメント

妖精の花嫁ポリー

2017年03月30日 | 創作(外国)
          妖精の花嫁ポリー/西風のくれた鍵/アリソン・アトリー・作 石井桃子・中川李枝子・訳/岩波少年文庫/1996年初版

 絵本は別として、創作はもっぱら語れるかどうかで読んでいます。創作はどうしても長めでなかなかとっつきにくいところがありますが、あるおはなし会のプログラムに「妖精の花嫁ポリー」がありました。文庫本で28ページありますから40分以上はかかるでしょうか。

 題名のように妖精の花嫁になったポリーの物語です。

 子どもが14人という農家の作男は、暮らしはいつも苦しく、食べるものにも事欠きひもじい思いをすることもたびたび。

 一番上の娘ポリーは一日中母親の手伝いをし、幼い弟や妹の面倒をみ、編み物をしていました。
 小さい妖精のピクシーが見かけたのは、ポリーが弟や妹を荒れ野でつれだして遊んでいるときです。

 ピクシーは、ポリーと結婚させてくれるようやってきます。

 一度目はほしいだけの金貨を、二度目には、からっぽになることのないシチュー鍋、三度目は世界中の歌をうたうオルゴールをもって。

 貧しい暮らしで、金貨と鍋があれば楽になることはわかっていたのですが、だいじなポリーを嫁にやるなんてと断り続ける両親。

 ポリーはパン屋で働く人と結婚するつもりでしたが、パン屋が馬を鞭でたたくことに我慢できませんでした。それにくらべピクシーは馬を鞭でたたくことは一度もなく、みじからピクシーと結婚することをえらびます。

 地下の妖精の国は、いつもあたたかく南の国の果物がみのり、花が咲く国でした。

 やがて男の子、女の子がうまれ、しあわせな日々。しかし過去のことはいつのまにかおぼえていませんでした。

 子どもが九つと十になったとき、突然両親とうまれた家のことを思い出します。子どもが岩の上で人間の赤ん坊の靴の片方をひきずって走ってかえってきたのをみたときでした。

 夫を説得して、なんとか生まれ故郷にかえってみると、じつは百年以上もたっていたのです。

 胸が張り裂けんばかりに泣いていた女の人というのは母親だったのでしょう。

 時間の外で暮らしているというピクシーのところにもどったポリーの悲しみは消え去るのですが・・・。


 子どもを思う両親の気持ち、そして永遠の命をもったポリー。
 ポリーは幸せだったのでしょう。どこか切ないものが残ります。
コメント

ジプシーの杯

2017年03月29日 | 創作(外国)
          ジプシーの杯/風の妖精たち/メアリ・ド・モーガン・作 矢川澄子・訳/岩波少年文庫/1979年初版

 メアリの作品は作者の没後、長らく埋もれていたが、再評価されはじめたと1979年の矢川さんのあとがきにありました。

 「ジプシーの杯」は、語ることができたら楽しそうですが、文庫本でページ数が54ページ。時間は90分以上かかりそうです。
 創作のほとんどは、語られるのを前提にしていないので無理もないのですが、60分ほどの話も聞いたことがありますから、あながちダメということでもないと思うのですが・・・・。

 注文があればどんな型の鍋でも土瓶でも作らぬものはなかった一人の若い陶工が、街道端に轆轤をすえて仕事していると、ひとりの若いジプシーの娘がやってきます。
 じっと陶工の仕事をみていた娘が、おまじないのかかった杯をこしらえてあげたいといいだします。
 娘は、轆轤を借りて、陶工の目の前で、手際よく水差しや鉢のジョッキを作っていました。

 「平凡で色柄も地味だけど、あんたがさきにその杯でのんで、それから恋人にものませてやれば、恋人のこころはすっきりあんたのものになるのよ。でも気をつけて、その女に二度とはのませないようにしてね。一度目は恋するためだけど、二度目にのんだらこんどは相手を憎むようになるんだから」
と、ばら色のくちびるを杯にふれんばかりに近かづけて、なにごとかをささやきながら、せっせせっせと轆轤を動かしつづけます。

 祭りの市で陶工が娘のつくった作品をじぶんのものといっしょに露台にならべると、これまでにない高い値段で売れ、何か月もかかっても稼ぎきれないほどの儲けでした。

 ジプシーの娘は姿を消してしまいます。

 このジプシーの娘は、やがて陶工の妻のところに、小さい男の子をつれて、ひもじくて死にそうなので、なにか食べ物を恵んでもらえないかとやってきます。しかし、これは後半です。

やがて、陶工は、祭りの市で糸つむ車で機を織る娘に恋します。しかし娘は一年後の祭りのときに返事をさしあげたいといいます。
 一年後、陶工は例の杯で娘にワインを飲ませます。するとジプシーの娘がいったとおり、陶工の妻になることを承諾します。
 そのご二人は楽しく暮らし、やがて子どももうまれます。
 杯は棚の上におかれていました。

 妻が赤んぼと留守番していると、ひとりの色黒の荒くれ風体の人相がやってきます。この男は後半で明らかになるのですが、ジプシー娘の亭主でした。
 杯の秘密を知る男は、なんとか例の杯で、陶工の妻に酒を飲ませ、杯を取り上げます。

 二度目に杯から飲んだ陶工の妻は、つまらぬ結婚をしてしまったと後悔し、夫がかえっても、くるりと背をむけ、ふれてはいやといいます。妻が不機嫌になり怒ったりするのを見たことがなかった陶工は、杯がなくなっていることにきがつき、その原因に思い当ります。
 陶工は杯を持ち去った男を捜す出すため、家をでます。

 妻は、夫を見ないですむと思うとうれしくてたまらず、しばらくは赤んぼと楽しく暮らしますが、次第に貯えが底をつき、昔使った織り機で布を織り上げます。

 そこにジプシーの娘が小さい子を連れてやってきます。病気でした。
 ジプシーの女は杯のことを知ると、ひどい亭主が杯をもっていたのにきがつきます。明日の晩にも死ぬかもしれないと心配するジプシーの女に、あとことは心配しないでと陶工の妻は話します。
ジプシーの女は、死ぬ前に最後の力を振り絞って、小さな茶色の杯を作り上げ、陶工の妻がこの杯で水をのむと、夫のことを思い出します。

 夫のことを思い出し、もとのように愛していることを告げるにも、夫はどこにいるかもしれません。

 また貧乏に追い込まれた妻ですが、ジプシー女の残した男の子の機転に助けられ、わらマットを織り、何とか暮らしていけるようになります。わらマットの模様はきまって杯のかたちになってしまいます。

 ジプシーの男の子は、陶工の妻にいいます。
 「あんた、会う人ごとに言伝するんだ。空の鳥にも、野のけものにもだよ。なにか遠くへ知らせたいときにはそうしろって、母さんに教わったんだ。風によびかけ、砂にも記し、地面にも、木々の葉っぱにも。万一とどくことがあるかもしれないからね。どうしてマットにそのことを織り込まないの?マットを買った人たちはあちこちに持っていくだろ。もしそれが旦那さんの目にとまれば、あんたが帰ってきてもらいたがっていることがわかるじゃないか」

 陶工の妻は、そこでじぶんの思いをマットに短い詩を織り込みます。
     ジプシーの杯により、わたしは愛し
     ジプシーの杯により、わたしは憎んだ
     ふたたび愛の杯は 与えられたものの
     時すでにおそく 恋人はもどらない

 やがて、再会をはたす二人ですが・・・・。

 ジプシーの女は魔法の杯を作れるのに、自分の運命はコントロールできず、つまらない男に引っかかってしまいますが、他人のことはよくみえています。
 月のひかりを手のひらにうけて陶器をつくるようにみえるジプシーの女にとって、陶器をつくり生活の糧にもできそうですが、自分の思いを陶工に重ねていたのでしょうか。

 ジプシーの女が残していった男の子も不思議な存在。
 わらを手に入れ、それでマットを織るようにすすめ、陶工の妻を励まし、思いを表現する手助けもします。

 「矢車菊の花みたいなまっさおな眼で、金色の唐黍粒みたいな金髪をした愛くるしい女」とは、陶工の妻の表現です。



 


コメント

グリム童話 ミリー

2017年03月28日 | 絵本(昔話・外国)

          グリム童話 ミリー 天使に出会った女の子のお話—— /ヴィルヘルム・グリム・原作 モーリス・センダック・絵 神宮輝夫・訳/ほるぷ出版/1988年初版

 グリム童話集にはのっておらず、グリム兄弟の弟、ヴィルヒルム・グリムが母をなくしたミリーという少女にあてた手紙にそえられていた物語で、ながらく少女の一家に所有されていて、1974年に売却され1983年に出版社にわたったといいます。

 ある村はずれに、夫に死に別れ子どもたちもつぎつぎに死んで、小さい娘がひとりだけになってしまった女の人。女の人はこの子をそれは大事にしていて、娘も気立てのよい子で、毎日寝る前と朝起きたとき、必ずお祈りをしていました。
 この子のすることはなんでもうまくいき、花壇にスミレの苗をうえたり、ローズマリーを挿し木すればしっかり根付いて見事に育っていました。
 しかし母と子のしあわせな暮らしは長くは続きませんでした。激しい戦が国中に広がったのです。

 小さい子の命を守るため、母親は日曜日食べたケーキの残りを娘のポケットに入れて、森の中で三日の間じっとまって、もどっておいでといいます。

 やがて森にでかけた子は、イエスのお世話をなさった聖ヨセフと森の中でしか見えないという女の子にであいます。

 女の子は森でとれる草や木の根で料理をつくります。もうひとりの女の子は、いい根のある所をおしえてくれたり、花を摘んでくれたりと、やさしく気をつかってくれます。

 三日たって母親のところにお帰りという聖ヨセフは、蕾のバラを一本わたしてくれていいます。
 「蕾が開くとき、また、わたしにあえる」

 もとの村にかえっていくと、村はよそよそしい感じでした。見たこともない家があり、戦争の傷跡もみられません。村は平和そのものです。
 自分の家に近づいていくと、たいへんなおばあさんの姿がみえます。
 母親は女の子をみて胸にだきしめます。
 聖ヨセフとくらした三日間は、じつは三十年だったのです。女の子は母親がなめたおそろしさと苦しみを知らずにすごしたのでした。

 その夜、親子は楽しく語り合いますが、翌日村の人がきてみると・・・・。

 守護天使が森の中を案内してくれたり、千年以上もいきている聖ヨセフがでてきたりと、キリスト教の影響が色濃く感じられます。

 最後親子とも息を引き取りますが、バラが花びらをいっぱいにひらいていましたから天国にいったのでしょう。

 現生では苦しく辛い日々だった親子は幸せだったのでしょうか。来世での幸せとは?

 子どもたちを前に、横たわって指揮棒をふっている音楽家はなに者でしょうか。

コメント

椿も桃も

2017年03月28日 | いろいろ

 大分前から椿が咲いています。
 日当たりがあまり良くなく、大きさもいま一つですが、毎年楽しませてくれています。
 蕾を一輪摘んで小さな花瓶にさしておくと、よく水を吸い上げているようで、こちらも開花です。


 桃も蕾が大きくなっています。
 去年は大分実がなったのですが、あまり食べられませんでした。
 途中落下したり、虫にくわれたり。

 いずれも最近植えたものばかり。
 リンゴも植えてあるのですが、こちらはまだまだのようです。
 果樹類は二本以上植えなさいということですが、スペースを考えると難しいところです。

 嬉しいのは、わが家の桜も開花です。


コメント

かんがえるアルバート ぼくのじかん

2017年03月27日 | 絵本(外国)
 
        かんがえるアルバート ぼくのじかん/ラニ・ヤマモト・作絵 谷川 俊太郎・訳/講談社/2008年初版

 世界一みじかい哲学の本とあります。

 アルバートがロボットをつくっていても、無人島をつくっていても、お風呂で滝をつくって遊んでいても、パパやママからは時間に追われているように止められてしまいます。

 アルバートは「とまれ、とまれ、とまれ!」と叫びます。
 そして、パパとママがベッドにはいると、窓の外の夜をみつめます。

 夜空の星をみながら
   この星たちはぼくがうまれるまえから、ここにある
   パパとママが生まれる前から
   おばあちゃんとおじいちゃんが生まれる前から
   恐竜がうまれ・・
 アルバートが考える前に星が一つ消え、もういちどみつけようとすると、星はあかるみはじめた空に消えて・・。
 とまっているものなんてひとつもないのかもしれない、なにもかも止まらずに変わり続けている・・・

 アルバートくん、お日さまがのぼるころ、スヤスヤ。

 歳を重ねると時間の通りすぎるのが、早いこと早いこと

 過ぎ去った時間がかえってくることはありません。小さいころ一日の長かったことを思い出しました。

 時間よ とまれと言いたくなることが確かにあります。
コメント

ひゃくにんのおとうさん・・中国

2017年03月26日 | 絵本(昔話・外国)

          ひゃくにんのおとうさん/譚 小勇・天野 祐吉・文 譚小勇・絵/福音館書店/2000年初版

 働き者の若い夫婦が畑を耕しているとき、大きな瓶をみつけます。何が入っているだろうとのぞきこんだとき笠が瓶の中に落ちてしまいます。あわてて笠をひろいあげると、どうしたことか瓶の中からまた笠が出てきます。次から次へとでてきた笠。百枚でした。
 やさしい夫婦は村の人に笠をあげ、よろこばれます。

 瓶に鉄鍋をいれてみるとあっというまに百個の鉄鍋がでてきます。二人はこの鍋も村人にあげます。

 この瓶、百倍にしてくれる不思議な瓶でした。

 うわさを聞いて、町一番のいばっている地主が、二人から無理やり瓶を取り上げてしまいます。

 地主が暗くてみえない瓶の中をのぞきこもうと蠟燭で照らすと蝋燭が瓶のなかに落ちてしまい、炎が百倍になって大騒ぎ。火を消そうと水をかけると水が百倍になって洪水に。

 騒ぎをききつけたお父さんが、そんな馬鹿なことがあるわけないと、瓶を覗こうとする瓶のなかにおちてしまいます。すると・・・・・。

 最後に地主は瓶を竹やぶに捨てるのですが、どうもこの続きがありそうです。

 いろいろ話が弾みそうなものがいっぱいです。

 百人のおとうさんどうなったのでしょうか。
 もしお金を入れたら百倍?
 食べ物をいれたら?

 若夫婦、ひとり占めしないところがいいですね。


コメント

さるのはし

2017年03月25日 | 絵本(昔話・外国)

          インドの昔話/さるのはし/唯野元弘・文 くすはら順子・絵/すずき出版/2013年初版

 これまで見たことのない光沢のある紙質。
 作者だけでなく編集者の方もさまざ工夫をされているのがしのばれます。編集者を意識することはほとんどないのですが、絵本を作る編集者の影の?力にも注目したいものです。

 インドの説話集「ジャータカ」がもとになっています。

 マンゴーをめぐるさるとおうさまの争いで、さるのおうさまが自分を犠牲にして、仲間のさるを助ける物語です。

 さるのおうさまは、息をひきとるとき、おうさまにむかって「なかまをまもるのが おうであるわたしのつとめです。あなたも おうさまなら みんなのしあわせを ねがってください」といいのこします。

 さるのおうさまを、この国のリーダーとよみかえることもできます。

 国会でわけのわからない答弁に終始する指導者や官僚に聞かせたいセリフです。


コメント

よくばりワシカ

2017年03月24日 | 絵本(昔話・外国)

          よくばりワシカ/内田莉莎子・再話 平出衛・画/福音館書店/1988年

 ラトビアの昔話で、内田さんの再話です。

 よくばりがすぎると・・・。捕らぬ狸の皮算用という昔話でしょうか。

 おなかをすかせていたねこのワシカがとおりがかった森で小鳥の巣をみつけました。

 さっそく食べようとしますが、卵はたったふたつ。これではおなかがふくれません。ワシカは4つか、5つになるまで待つことにしました。

 2、3日していくと、卵は5つになっていました。でも、ひなをむしゃむしゃやるほうがいいかなと、ワシカはもうすこし我慢することにしました。

 ワシカは、2週間も我慢して木のうえにのぼると5羽のひながぴくぴく動いていました。
 こんどこそごちそうになろうとしますが、もっとおおきくなったやつを、ばりばりむしゃむしゃちょうだいするほうが、どれだけ素晴らしいかもしれないと、もう少し我慢することに。

  また2週間していってみると・・・・・。

 ねこも小鳥の巣も木のはだも葉も一つ一つが丁寧に描かれています。子どもが聞いたら、話の結末を予想できそうです。
コメント

モンゴルの黒い髪・・モンゴル

2017年03月22日 | 絵本(昔話・外国)

          モンゴルの黒い髪/バーサンスレン・ボロルマー・絵文 長野ヒデ子・訳/石風社/2004年初版

 モンゴルの草原に暮らす遊牧民のところに、カササギがやってきます。
 カサササギは、邪悪なカラス4羽がやってくるというのを知らせてくれました。
 草原を奪おうとする国がやってくるというのです。

 男たちはこれを迎え撃とうとしますが、心配なのはあとに残される女性や子ども。

 邪悪なカラスを追い払うため、女たちは、自分の黒髪を束ね、大きなつばさをつくり、かざりをつけます。
 (水牛の角をおもわせる髪形です)
 カラスは女性の髪を見て、恐ろしさにおびえ、逃げていきます。

 ゲルの様子や、モーリン・フール(馬頭琴)をひきながらむかしがたりをする風景がでてきて、民族衣装とともに、ごく一部でしょうがモンゴルの文化や風習を知ることができます。

 モンゴルの昔話がベースになっているようです。

 作者が民族衣装とここにでてくる髪形をしている写真がのっているのですが、大分重そうですよ!。
 女性に比べて子どもたちも男も髪はちょこんと描かれています。それなりの理由がありそうですが、気になるところです。
コメント

おかねもちとくつやさん

2017年03月20日 | 絵本(昔話・外国)

          おかねもちとくつやさん/ラ・フォンテーヌ・文 ブライアンスミス・絵 わたなべしげお・訳/らくだ出版/1998年初版


 隣りあわせにすんでいるお金持ちと、貧乏だけど一日中歌を歌いほがらかに仕事をしているくつやさん。
 くつやさんのまえは、いつもこどもがあつまっていました。

 朝になってからベッドに入ったお金持ちでしたが、くつやの歌声がうるさくてねむれません。
 そこで考えたのは・・・。

 お金持ちから見たほどもないほどの金貨をもらったくつやさん。

 金貨がきになったくつやは、ベッドのなかに金貨をもちこみますが、心配で眠れません。
 屋根裏部屋にかくしますが、やっぱり安全かどうか心配になります。
 煙突に隠し、鳥小屋に隠し、土の中に埋めますが、やっぱり心配です。

 歌もうたえなく、はたらくこともままならなくなったくつやさんは、お金持ちに金貨をかえし、前とおなじように楽しく働くことができるようになります。

 寝ながら考えたり、穴を深ーく深ーく掘ったりと、くつやの苦労は相当なものです。ちょっぴり皮肉っぽいラ・フォンテーヌの作品です。


 パッチワークのような絵です。

 くつやさんの屋根には数々の小鳥がとまっていて、屋根裏部屋にも小鳥がいて、お金を隠そうとしているくつやをみているところが楽しくなっています。
コメント

たかにさらわれた子・・岐阜

2017年03月19日 | 昔話(日本)
          子どもに語る日本の昔話①/稲田和子・筒井悦子・著/こぐま社/1995年初版

 今昔物語に見られ、山梨、滋賀にも同じ話があります。

 たかにさらわれた子が木の枝において行かれてしまいます。

 その子を助けたのは和尚さん。
 和尚さんのもとで修業をして立派な和尚さんになった子。

 やがて説教の日に、母親にめぐりあいます。

 和尚さんは、子どもを助けたときに大事にとっておいた着物を、いつか親にあったら、証拠にするように残していました。

 これまた世界中に類話があるといいます。あまり語られることがないようですが・・・。

 安心して聞ける話でしょうか?。

 

 
コメント

たろとなーちゃん

2017年03月18日 | 絵本(日本)

                たろとなーちゃん/きたむら えり・作絵/福音館書店/1973年初版

 うさぎのなーちゃんのところへ、むこうのやまにすんでいるおばあさんから手紙がきました。そのなかには花の種がはいっていました。デージーの種でした。

 ゆきがとけると、デージーの種をまき、毎日水やり。
 だんだん大きくなるデ-ジー。
 箱いっぱいになって花壇に植え替え。

 むくどりが苗を食べてしまったり、あらしがきたり。
 それでも花が咲き始めます。
 デージーのそばに、たろがもってきた黄色のすみれも植えて。

 春、草花が一斉に咲き始めますが、こんな時期にピッタリです。

 派手さはありませんが、気持ちを優しくしてくれ、切り株の家が印象的です。
コメント

おおかみのまゆげ

2017年03月17日 | 昔話(日本)
          <日本の民話6 土着の信仰/瀬川拓男・松谷みよ子・編/角川書店/1973年初版>

 おおかみに食われて死んでしまったほうがよいと貧乏人が、おおかみのいる奥山へ。
 おおかみがやってきて、人の姿をしとっても、本性がそうでないものは食うが、お前のような真の
人間は食えないという。

 おおかみは、自分のまゆげを一本引き抜いて、これをもっていればひもじいめにあうことはないといって、山の奥へ行ってしまう。

 食われるつもりで山に行って、おおかみから宝のまゆげをもらった貧乏人。
 帰る途中おおぜいの娘たちが田植えをしていたが、男がまゆげをかざしてみると、娘たちは蛇やむかで、猫やら鶏にみえる。

 真の人間とはめったにおるもんでないなあと思っていた男が、長者から家の跡継ぎになってくれといわれ、一生、ひもじい思いをしたことがなかった。


 おおかみのまゆげで、政治家をみるとどんな本性がみえるでしょうか。

 おおかみが北、東、西からと順番にでてきて、西のおおかみから眉毛をもらうあたりが、いかにも昔話です。(子どもに語る日本の昔話➀ 稲田和子・筒井悦子 三省堂)

 松谷みよ子さんの絵本は、木こりの娘が主人公のようですが、残念ながら絶版のようです。
 
 
コメント

みんなぜんぶいろんな

2017年03月16日 | 絵本(日本)

      みんなぜんぶいろんな/中川ひろたか・文 奥田高文・写真/ブロンズ新社/2004年初版

 何かかが欠けているタイトルだと思ったら、「ぜんぶいのち」「みんないのち」「おなじいのち」としめられます。

 コップ、とけい、色、果物からはじまって、最後は地面からの芽。

 くだもの、虫、動物、どれもあざやかです。

 「いのち」というのは何だろう。
 無機物にも「いのち」があるというのが新鮮です。

 多彩な写真で構成され、どこからはいっていっても、いつでも見れる絵本です。

 最後に人の顔が18人、みんな笑顔です。

コメント