どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

うばすて・・三重、静岡ほか、ドコ・・ネパール

2024年09月13日 | 昔話(日本・外国)

 親を捨てるというのは、今昔物語にもみられる昔話ですが、中国やインドからのものが日本の話として語り継がれているといいます。ヨーロッパ、アフリカなどにも分布しているといいますが、であったことがありません。

 冒頭部は、老親が小枝を折っていき、親心に打たれた子が、老親を連れ帰るというのが多い。そこから難題がだされ、老親の知恵で解決し、それから親捨てはなくなるというものと、子どもから捨てるためにもっていった駕籠や車を、次には親を捨てるときに必要と言われ、考え直す二つのパターンがあります。


ドコ(ネパール)(アジアの昔話/松岡享子・訳/福音館書店/1978年)

 ドコとは竹かごのこと。この籠に年とったおじいちゃんを背負い、どこかに捨ててこようと市場にいって買ってきたものでした。

 ところが幼い息子がいいます。
 「とうちゃん、おじいちゃんをすてても、ドコはすてないでね。」
 父親が「そりゃまたどうしてだね」

 幼い息子のこたえ。
 「とうちゃんが年とったとき、すてにいくのにいるもん」
 これを聞いた父親は、おじいちゃんをつれて家にもどります。

 ブラックユーモアで、子どもにはなんのことかわかりにくいかもしれません。

 この「ドコ」がこぐま社から出版されている「こぐまのどんどんぶんこ りこうな子ども」(2016年発行)にものっています。途中がだいぶカットされて半分ほどの長さ。

 福音館版では、ドコが何か話をする前に説明が必要ですが、こぐま社版では意味が文中にのっていました。これも松岡さんの編訳となっています。

 老親と子の関係が生々しすぎてとりつきにくかったのですが、こぐま社版ではすっきりしています。

 

親捨山・・三重(日本昔話百選改訂新版/稲田和子・編/三省堂/2003年

 ネパールの話と同じパターンです。

 子どもと一緒におじいさんを山に捨てに行くと、こどもは””背負いこ”をもってかえるといいます。父親が年とったとき役に立つからといわれ、父親はおじいさんを連れ帰ります。

うばすて山・・三重(かもとりごんべえ ゆかいな昔話50選/稲田和子・編/岩波少年文庫/2000年初版)

 「ドコ」と同じ話型ですが、籠ではなく、車です。

 年寄りが60になったら山へつれていってすてるというのがお上のきまり。
 父親が、おばあさんをつれていった車をすててかえろうとすると、むすこが、おとうさんが年とったとき必要だからというと、父親が反省して、おばあさんをつれてかえります。

・おばすて(栃木のむかし話 下野民俗研究会/日本標準/1977年)

  二人の兄弟が、もっこで 親を捨て行き、かえりぎわ 「おまえたちが うっちゃられるときに このもっこが 必要になる」といわれ 親を連れ帰り お殿さまの難題を 親の知恵で切り抜けます。殿さまの難題は、「灰で縄をなる」ことのひとつ。

姥捨て山(定本日本の民話17 信濃の民話/信濃の民話編集委員会/未来社/1999年初版)

 年寄の知恵で、それ以降、親捨てがなくなるという話です。兄弟がでてくるのが、ほかの話と異なります。

うば捨て山(栃木 栗山の昔話/柏村祐司・編著/随想舎/2009年初版)

 「栗山の昔話」には、二つの「うば捨て山」がのっています。
 出版は宇都宮市の随想舎。デジタル化のなかで地方の出版社が頑張っているのはうれしい。高山さんという方の「うば捨て山」は父親を、川俣さんという方は母親です。

 殿様の難題を、いずれも母親、父親の知恵で解決しますが、高山さんは難題が一つで、川俣さんのは二つ。

 同じ地域でも語り手によって微妙な違いがあり、全国の同様な話にも違いがありそうです。

 栗山の昔話には、うばすての背景は何もふれられていません。
     
・おば捨て山(富山のむかし話/富山県児童文学研究会編/日本標準/1978年)

 息子が母親を捨てにいきますが、結局は連れ帰るとこでおわります。最初に、「先月は五郎助どんにじいさまが山へまいらっしゃたと。」「ついこないだも」市助さのばあさまも山にまいらっしゃたと。」と、みょうに具体的です。さらに母親が「おらのう、今月の十五夜におやまにまいろうと思う。たのむぞ。」と、自分から言い出すのも、ほかの話にはありません。

 また、同時に収録されている「灰のなわ」というのがありますが、こちらは、とのさまからとんでもないおふれがだされ、捨てたばかりの母親のところへ聞きにいくという進行です。

・親捨て場(秋田のむかし話/秋田県国語教育研究会編/日本標準/1974年)

 再話でしょうが、親が70歳になると、けわしい山の親捨て場に捨てるというきまり。とっちゃと孫が山にいきますが、孫が木の枝を折って、道するべにします。いったんは親捨て場においてきた ばっちゃですが、ニ、三日後に孫がつれかえります。一度捨てた親を連れ戻したためしは、それまであったことがないからと、村八分になってしまいます。そのため台所の縁の下に穴を掘り、そこにいれてかくします。

 次の年、寒い夏で田畑の仕事がうまくいかず、飢饉の恐れがあったとき、ばっちゃの知恵で危機を脱したので、みんながお礼をいい、それからは親捨て場に、としよりを捨てに行くことを しないときめます。

 「灰縄」もでてきますが、どうして作ったかは、ばっちゃしかわからいと、つきはなします。

 ほかの話では、親を捨てるきまりをつくるのは お上というのが多いのですが、ここでは、村のきまりです。


グリム「漁師とおかみさん」の翻案、金のさかな(ロシア 絵本)ほか

2023年08月20日 | 昔話(日本・外国)

 欲望がエスカレートし、元の木阿弥にもどる昔話

漁師とおかみさん(グリム童話集 上/佐々木田鶴子・訳/岩波少年文庫2007年初版)

 漁師が助けたカレイ(実は、魔法をかけられた王子)に、おかみさんからいわれて、小さな家に住みたいと願うとそのとおりになります。

 これに満足できないおかみさんは、次に野菜畑も庭もある家に住みたいと願い、これも実現すると、次には、王さまに、皇帝に、法王に、そして最後には神様になりたいというおかみさん。

 さすがに神様になりたいというと、もとの木阿弥にもどるというオチがきいた話。人間の切りのない欲望を皮肉たっぷりに盛り込んだ内容です。


じいさまと小さな鳥(めんどりがやいたパン 中央アジア・シベリアのむかしばなししゅう/小檜山 奮男・訳 宮澤ナツ・画/新読書社/2006年初版)

 ケトのむかしばなし「じいさまと小さな鳥」も同様の話型ですが、森にたきぎをとりにいったじいさまが、小鳥から切り株を取らないでくれと言われ、家にかえった翌日、たきぎがどっさりと家のそばにあります。

 わけを聞いたばあさまは、食べもの、お金持ちのあきんどと、どんどん要求をエスカレートさせていきますが、森の王さまと女王さまになりたいというと、すべてがもとの木阿弥になります。

皇帝になったおじいさん(大人とこどものための世界のむかし話19 ソビエトのむかし話/田中泰子:編訳/偕成社/1991年初版)

 森に薪をとりにいったじいさまが、小鳥から小枝をとらないでくれといわれ、家にかえってみると薪と小枝がどっさりつんでありました。わけを聞いたおばあさんは、小屋をなおしてもらい、役人に、皇帝に、神さまにしてくれるよう要求をエスカレートさせていきますが、最後は、おじいさんが牛に、おばあさんはブタに。


漁師とその妻(定本 日本の民話11 越後の民話/水沢謙一・編/未来社/1999年初版)

 助けた鯛にお願いして、楽して暮らせるようになると、次には立派な家に住めるようなります。ここから少し飛躍するが、お天道さまが東から出て、西にはいるのをあべこべにするよう頼むと、もとの木阿弥に。

 越後版は、お天道さまの件をのぞけば、やや遠慮したところがあるのがほほえましい。


    金のさかな/アレキサンドル・プーシキン・作 ワレーリー・ワシーリエフ・絵 松谷 さやか・訳/偕成社/2003年

 プーシキン(1799年- 1837年)が、民間伝承を研究して書いたといいますが、グリムの「漁師とおかみさん」そのものです。

 おじいさんが33年目にして初めて捕まえた金のさかな。人間のように話します。海に帰してくれるとなんでもお望みの物をさしあげますというのです。けれども、おじいさんは、欲もなく金のさかなを海に放します。

 ところがこれをきいたおばあさんが、はじめは、ささやかな望みが実現すると、次々に欲望をエスカレートさせていきます。

 新しい洗濯桶からはじまって、家、貴族、女王、海の君主とおばあさんの欲望は、どんどん膨らんでいきます。最後には、もとの木阿弥にもどるのですが。

 最後は、もとの土小屋で、二人の前にはこわれた洗濯桶があります。

 「こわれたおけのそばにいる」というのは、ロシアで「もとのもくあみ」ということわざといいます。

 なんとも強欲そうなおばあさんと、人の好いおじいさんが対照的で、雰囲気がよくでています。「金のさかな」が金魚のようにみえるのは、ご愛敬でしょうか。
 海の色が、どんどんかわっていくのが、金のさかなの気持ちを代弁しているようでした。


    きんのさかな/八百板洋子・再話 スズキコージ・絵/福音館書店/こどものとも2023年8月

 マケドニアの昔話とあります。

 かなり遠慮した要求からはじまります。やきたてのパン、洗濯桶、大きなお屋敷、女王様、海の王さま。

 もとのもくあみになると、ふたりは また、毎日 たべる分だけの魚を捕るという つつましい もとのくらしにもどりますと、八百板さんの結末は、余韻を残しておわります。

 スズキコージさんがえがく海の様子、きんのさかなの気持ちでしょう。

 

 明治20年代にはグリムの翻訳がでており、江戸時代にも蘭語で紹介されているようなので、だれかが翻案していても不思議はありません。
 越後の「漁師とその妻」は、編者が直接採集した昔話を記録したものとして紹介されていますが、内容はグリムを翻案した内容のようです。

 活字になってはいないが、川越の昔話にも、翻案のものがあるといいます。(民話伝承の現実/大島 廣志/三弥井書店/2007年初版)。どんな人が翻案したものか興味をそそられます。

 同じくグリムの『死神の名付け親』が、幕末期から明治期にかけて活躍して多数の落語を創作した三遊亭圓朝(初代)の翻案による「死神」という落語になっているようなので、さがせば他にもまだありそうである。

 以前気になった昔話に、「 吹っとび話」があります(かもとりごんべえ ゆかいな昔話50選/稲田和子編/岩波少年文庫/2000年初版)。
 解説には1935年に岩手で聞いた話がもとになっているとありますが、グリムの「六人の大男」の翻案のようです。

 日本の映画がハリウッドでリメイクされたものを見る機会があるが、昔話の場合、翻案はどのような位置づけになるのでしょうか。

 だれかが、時間が経過すれば立派な昔話といっていたので、楽しむというだけなら、あまり気にする必要はないのかも知れません。しかし、翻案しようと思えば、いくらでも可能になるので、何か一線を画す必要もありそうなのですが・・・・。             


亀が空を飛ぶ

2023年01月15日 | 昔話(日本・外国)

 亀が空を飛ぶという奇想天外な話。仕掛けは簡単で、亀が棒をくわえ、鳥に運んでもらっているということ。しかし、空を飛んでいる途中に棒から口を離し地上に落下して、亀の甲羅にひびがはいる(または死んでしまう)というもの。

 12世紀日本の今昔物語にもあるというこの話は、世界のあちこちに見られるが、古くは2千年前に成立したとされるインドの「パンチャタントラ」にもあるという。
 

カメと二羽の白鳥(パンチャタントラ)(カメと二羽の白鳥/世界名作おはなし玉手箱 語り聞かせお話集/齋藤チヨ/すずき出版/2000年初版)

 カメがすんでいる池の水が干上がって、水のあるところを探しに、二羽の白鳥に助けてもらって空を飛んでいると、それをみた子どもたちが騒ぐので、カメが「なんでそんなに騒ぐんだ」と叫ぶと、カメが棒から離れて地上に墜落してしまいます。


かめのこうらは、ひびだらけ(ブラジル)(こども世界の民話 上/内田莉莎子他訳/実業之日本社/1995年初版)

 星のそばに行ってみたくなったカメ。歩いても歩いても星に近くならない。カメが悲しんでいるとあおさぎがとおりかかり、背中にのせてくれ空高く舞い上がる。実はあおさぎは魔法使いで、空中で宙返りして、カメは地上にまっさかさま。地面にものすごい勢いでぶつかったカメの甲羅はこなごな。しかし親切な魔法使いが甲羅のかけらをつぎあわせてくれます。

 カメがかならずしも棒をくわえて空に飛び立つということでもなさそうです。


バイバイ(ハイチ)(魔法のオレンジの木/ダイアン・ウォルクスタイン採話 清水 真砂子訳/岩波書店/1984年初版)
     
 ハトが口に棒きれをくわえ、カメが棒のもう一方の片方のはしにくらいついて、ニューヨークをめざして飛びはじめる。大海原の近くまでくるとけものたちがハトとカメを発見して手をふる。うれしくなったカメが自分の知っているたったひとつの英語でバイバイと口をあけたとたん海に落ちていってしまいます。

 

空をとんだかめの話(たのしいどうぶつ昔話 じょうずなわにのかぞえかた/マーガレット・メイオ・再話 エミリー・ボーラム・絵 竹下文子・訳/偕成社/1997年初版)

 亀がワシに飛び方をおしえてくれと頼みますが、「むりむり はねもないじゃないか」と笑われます。
 そこで亀は、いろんな鳥から羽を一枚づつもらって、甲羅にくっつけます。でもとべません。
 ワシは亀を背中に乗せて空中散歩。一週間ほど続けてから、亀は飛べるよとワシの背中から飛び降ります。
 亀の負け惜しみの捨て台詞が楽しい再話になっています。この絵本には、イソップ寓話がもとになっているという注釈があります。      


鶴と亀の旅(日本昔話百選/稲田浩二・稲田和子 編著/三省堂/2003年改訂新版

 カメが地べたにいるだけではつまらないから天竺を飛んでみたいとツルにたのむ。そこで棒の片方をツルが、もう一方をカメがくわえて空に舞い上がる。それを見た村の子どもが「カメがツルにさらわれていく」とさわぎはじめると、カメは「さらわれていくんではない」と思わず口を開くと、棒から地べたに落ちてしまいます。

 ニューヨークや天竺がでてくるあたりが、楽しいところです。



・馬のくつじゃないわい(愛媛のむかし話/愛媛県教育研究協議会国語委員会編/日本標準/1975年)

 タイトルが楽しい。カメが、ツルのくちばしをくわえ空中へ。

 下の原っぱで遊んでいたこどもたちから「ツルが馬のくつ、くわえとる」といわれ、カメが、「おら、馬のくつじゃあないわい。」と、くちを あくと、真っ逆さまに落ちてしまう。


空を飛んだ亀(かたれやまんば第三集 藤田浩子の語り/藤田浩子の語りを聞く会・編/1998年)
日本
 同じ話でも、藤田浩子さんの手にかかると、なんとも楽しい話に。
 出だしから楽しい。むかしは亀はおしゃべりで、魚には地上の楽しさを、猫には水の中の面白さをいって、からかったり。ひとつだけ残念なことは、空を飛べないこと。そこで雁にお願いすることに。

 亀の目玉が横についていて、空を飛んでいても、真下がみえないなど、亀の特徴をよく表しています。


亀と雁(新版日本の民話57 埼玉の民話/根津富夫・編/未来社/1975年)
 
 雁が亀を空につれていくが、ズドンという音で、空から真っ逆さま。
 他の話と一味違うのは、ズドンという鉄砲の音で空から落ちてしまい、「羽がなくてしあわせ。空を飛ぶなんてことは大変なことなんだ。」と嘆息するところ。
 今の暮らしが一番だと亀は思うのですが・・・・。    


「部屋の起こり」、「百べでこりた」、幸運の屁・・朝鮮 ほか

2022年10月11日 | 昔話(日本・外国)

 「部屋の起こり」という話、別のタイトルのものも含めると相当分布しています。

 三省堂「日本昔話百選」の「へやの起こり」は、京都。

 息子が出稼ぎ先から連れてきたよめさん。くるくる働くいいよめだったが、十日たち十五日たつと、嫁さんの顔が蒼く青くなり、心配した姑ばあさんが声をかけると、一日に一つは大きい屁をこかないと、どうにも辛抱ができないという。

 「人間だれでも屁はする 遠慮しないでこきたいだけおきなはいや」という姑ばあさんのさばけたことばで喜んだ嫁さんが、ボガアンという大きいのをこくと、家はぐらぐらゆれ、ばあさんは天井まで吹き飛ばされてしまう。
 これが原因で家をだされてしまったよめが、山の峠までくると、呉服屋と小間物屋の商人ふたりが、美味しそうな梨がなっている大きな木の下で、石を投げて、とろうとするが、何回投げても梨はとれない。
 それを見た嫁さんが「この梨を取るぐらい、うちにやらせたら屁でもない」と笑うと、二人の商人は、梨が一つ残らずとれたら、自分たちがもっている荷物をあげることを約束します。
 屁で梨を全部落とした嫁さんは二人の荷物をもらうことに。ちょうどそこに婿がかえってきて、こんな宝女房をなんで離縁されようかと、家につれかえり、母屋とは別に、嫁さんが屁をこく離れをたててやったという。

 京都の話らしく、屁は丹後地震にたとえられています。


 この屁こきよめの話が「かたれやまんば 第一集 藤田浩子の語り」では、「百べでこりた」というタイトル。

 よめさまのする屁は、なんと百回!。
  一回目はめんこい屁「プツ」
  二回目は「ピッ」
  三回目は「ポン」
  そのあと「ブウ」、「ププン」、「ブ~~~ッ」、「ピピピ」
 そして、99回目が「ボカーン」
 100回目がおさめの屁で「プッ」

 このやりとりが、抱腹絶倒で、藤田さんならでは。(ぜひ、全文を読んでみてください)

 よめの屁で、縁側の下に落ちて寝込んでしまった婆様のところに、隣の婆様がお見舞いにせんべいをもっていくと、婆様がいうことには 「あーぁ せんべはいらん。百べこりたぁ」

 オチに おもわずうなりました。


 「おならで成功した嫁さん」(世界の民話9 アジアⅠ/小澤俊夫・編/ぎょうせい/1976年)は、朝鮮の話で、おならをするまでがとにかく長い。結婚してから3年もたってからおならをするというもの。

 後半部は、よめが梨を木から落としますが、この梨を三つ食べると病気がなおるというもので、これで王さまの病気がなおり、梨を食べたよめの屁も、治ります。

 よめさんの屁は、労働力として、家に縛られ、不自由な生活をじっと我慢をしなければならなかったよめの解放されるさまが込められています。
 

 山形の「部屋の起こり」では、は少しおさえたものになっています。
 大黒柱も倒れるかと思うような屁をたれるよめさんのために、屁我慢して、身体悪くされると困るからと、壁でもつけて屁屋(部屋)をつくるというもの。

 高知の「おならよめ」(ちゃあちゃんのむかしばなし/中脇初枝・再話 奈路道程/福音館書店/2016年)では、村の人たちが麦刈りの途中、いきなり雨がふりはじめたので、よめさまが着物をまくって、お尻を出し、空に向かってふといおならをして、雨雲をいっぺんに吹き飛ばすという豪快な話です。

 栃木の「へっぴり姉さん」(栃木のむかし話/下野民俗研究会/日本標準/1977年)は、よめさんがおならをすると、おっかさんの頭の髪の毛が吹き飛ばされてしまいます。後半では、子どもたちの凧が木にひっかかったのを、おならでおろすと、ばくろうの馬十四頭を手に入れます。ばくろうと賭けをしたのですが、気の毒に思ったよめさんが、二頭の馬をばくろうに返し、さらに村の人にも馬をやって、みんなに喜ばれます。

 

 秋田の「屁たれ嫁」(秋田のむかし話/秋田県国語教育研究会編/日本標準/1974年)は、家からだされたよめさんが、馬喰と梨を屁で落す賭けをし、馬を手に入れるとその馬に乗ってぽっくり家に帰ります。一方馬喰は、梨を売って たくさんの金をもうけるという、後味がいい終わり方です。

 

大分の「へひりのじょうずな女」(大分のむかし話/大分県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1975年)。よめごの屁で、家の前の畑にふきとばされたしゅうと。よめごが、屁を出るのをこらえて、しりをつぼめると、そのひょうしに もとのところへ もどってくる。そのしゅうとが手に持っていたのは大根。

 よめごが、がまんできなくなってスーと ひると しゅうとは また畑に。よめごが しりをつぼめると また しゅうとが 大根を手に持って、もどってくる。

 この繰り返しで、大根の取入れができて、しゅうとは たいそう 喜ぶ。いいよめを もろうたと しゅうとはよろこび、よめごの顔色もよくなる。

 大分版で楽しいのは、おわりのことば。

 「もうすこす 米んだんご、こんどは、○○さんの番で、はよう話さにゃ、だんごが かとうなるで(かたくなるよ)」

 

 昔話に誇張はつきものですが、話しての方が楽しんで誇張しているようすが、目に浮かびます。


アジアを旅する「腰折れ雀」型昔話

2022年06月18日 | 昔話(日本・外国)

 動物が助けられたお礼をする昔話も多い。そのなかでツバメなど鳥が主役になるもの。
 助けられてから、いったん助けた人の前を去り、翌年にプレゼントをもってくるというのにうまくマッチするのがツバメか。渡り鳥ならではの話ができる。

腰折れ雀(日本昔話百選 改訂新版/稲田浩二・稲田和子編著/三省堂/2003年)

 羽を折られた雀を助けたおばあさんが雀から種をもらい、植えてみると見事なひょうたんができ、その中からお米がでてきて、使っても使ってもつきることがない。
 それをみた隣の欲深婆さんが、石をなげて木から落ちた雀に、優しいお婆さんのまねをして米粒をやったり、水をやったり。この欲深婆さんにも、雀が種をもってきます。
 欲深婆さんができたひょうたんをあけると、蛇、蜂、むかでがでてきてお婆さんを殺してしまいます。

 この話は、1200年代の前半までに作られた「宇治拾遺物語」にものっており、すくなくとも900年までさかのぼることができそうだ。(宇治拾遺ものがたり/川端義明/岩波少年文庫/1995年初版)


かぼちゃの種(朝鮮民話選/岩波少年文庫/1987年改版)

 ツバメを助けた心のやさしい弟が、ツバメからかぼちゃの種をもらう。できあがったかぼちゃから大工や木材が出てきて立派な家を、二つ目のかぼちゃからは百姓や女の召使いがでてきて「なんでも御用を言いつけてください」と声をそろえていい、さらに三つ目のかぼちゃからはたくさんの金や銀がでてきます。
 これをみた欲深兄さんもわざとツバメを傷つけ、薬と白い布で介抱してあげるが、翌年ツバメがもってきた種からできたかぼちゃからは、大勢の鬼や借金取り、さらに泥がでてくる。兄弟とあってか、最後には兄弟がなかなおりするという結末。 

 どちらも「恩返し型」で、登場人物は「ペア型」。一方はおばあさんと欲深おばあさんで、もう一方は兄弟。ペア型の登場人物は、一方は正直で勤勉、もう一方は欲深。対比させることで劇的な構造をもたせるのはペア型の特徴である。


男の子とつばめ(シルクロードの民話1 タリム盆地/小澤俊夫編 虎頭 恵美子訳/ぎょうせい/1990年初版)

 男の子が、翼さが折れていたツバメを助けたことから、翌年ツバメがまくわうりの種をプレゼントしてくれる。大事に育てると、まくわうりのなかから金がでてくるというもの。
 まくわうりを育てるのは、男の子ではなく父親。この育て方を丁寧に描いているのがほかの二つとはちがうところです。
 この金のことが王さま(パーデシャ)に知られることになり、金がとりあげられてしまいます。王さまはツバメのもってきたまくわうりの種からできたまくわうりをもってきたら、金をかえすという。
 最後は、想像できるように、まくわうりから蛇がでてきて、王さまを殺してしまうという結末。似たような話でも微妙な違いがみられる。


二人の隣人の物語(チベットの民話/W・F・オコナー編 金子民雄訳/白水社/1999年初版)

 貧乏な男が、けがをした燕を助け、もらった穀物の種をまくと、宝石が実ります。金持ちの男が無理やり燕を傷つけ、手当てして離してやり、もらった穀物の種をまくと、見るからに恐ろしい顔つきをした男があらわれます。
 恐ろしい顔をした男は、「前世に金を貸してあった債権者だ」となのり、金持ちの家や、土地、家畜などの所有物を取り上げ、奴隷の身分に落としてしまう。この話はここで終わらず、さらに続きます。


金色のカボチャ(世界民話の旅7中国・東南アジアの民話/河野六郎他/さ・え・ら書房/1980年初版)

 上と同じくチベットの昔話。
 助けた鳥がくれたかぼちゃの種。カボチャの中身は金でした。
 欲張りのお爺さんのカボチャからは、こわい顔のおじいさんがでてきて、おじいさんの首をきってしまうというもの。

金色のカボチャ(チベットの昔話/アルバート・L・シェルトン 西村正身・訳/青土社/2021年)

 上記のものと微妙にちがっていて、出典が異なっているものかもしれません。

 助けた鳥がくれたかぼちゃの種。やがてできたカボチャは、五人がかりでやっと運ぶ大きさ。カボチャの外側の皮をむくと、それは紙のように薄くて、洗うと純金。老人は、貧しい人々に与えたり、必要とするすべての人を助けけるために、使います。
 欲張りのお爺さんのカボチャからは、閻魔大王に頼まれて、お前の重さをはかるためにきたという老人があらわれ、いざ体重をはかり、軽すぎて何の役にもたたんと、老人の首をきってしまいます。

コウノトリのおはなし(ウズベクのむかしばなし/シェルゾット・ザヒドフ編・再話 落合かこ 他訳/新読書社/2000年初版

 コウノトリを助ける貧しい男が、コウノトリからもらったスイカの種をまくと、スイカからは金貨があらわれ、怠け者が無理やり傷つけたコウノトリがもってきた種からは、ミツバツがでてくるという話があった。
 怠け者は誰にも見られないようにドアのカギというカギを全部かけたので、ミツバチから逃げ出すことができず、死んでしまう結末になっている。

 この手の話はアジアを旅しているのかなとも思う。      


犬とねことうろこ玉・・岩手、黄金のえび・・ベトナム、パーベルじいさんの光る石・・ブルガリア  ほか

2022年03月21日 | 昔話(日本・外国)

 日本、ベトナム、ブルガリア、韓国とまったく違った地域で、同じような構成の昔話です。

 ねこ、ねずみがでてきて、宝物?が行方不明になり、みつけだすと、それを川に落としてしまい、魚の中からでてくるという構成です。ただしブルガリア版では、アヒルとネコという組み合わせです。

 「犬とねことうろこ玉」では貧しいおじいさま、「黄金のえび」では金持ち。
          
犬とねことうろこ玉(子どもに語る日本の昔話1/稲田和子・筒井悦子/こぐま社/1995年初版)

 じいさまは三毛ねこと子どもにいじめられていた犬を買いとって大切に飼っていました。
 ある時、たきもの置き場をこわしていたときでてきた白いヘビを世話して、ひとり立ちするほど大きくなったので、家をでていくように話すと、白いヘビは庭の五葉の松の根方の穴にするすると入っていきます。じいさまは、その穴の中にうろこ玉を見つけます。
  
 このうろこ玉をからは、毎日黄金のつぶがわき、じいさまは金持ちになり、その金で呉服屋商売をはじめると、これも大繁盛。
 
 ある日、上方から一人の若者が番頭に使ってくれと頼むので、雇ってみるとりこう者ですっかり、じいさまに気に入られ、たちまち店のことをまかされるようになります。
 
 ところが、ある日、番頭は、たんすの鍵をあずかったのをこれさいわいと うろこ玉を盗み出し、消え失せてしまいます。するとじいさまは日に日に貧乏になってしまいます。
 じいさまが犬と三毛ねこに貧乏で飼えなくなったことを言い聞かせると、2匹は家を出て、番頭を探しに行きます。
 
 とくいの鼻で番頭の足あとをかぎながら上方で見つけたのは、おぼえのある番頭の店。
 ここで、ねずみをおどし、うろこ玉をもってじいさまの家をめざして行きますが、途中、きつねとあそんでいるうち、うろこ玉を川に落としてしまいます。

 あちこち探してもうろこ玉はみつかりません。手ぶらでじいさまのところに帰るわけにはいかないと、一軒の魚屋の魚をさらってじいさまのところにかえります。じいさまが喜んで魚に包丁を入れるとなかからでてきたのはうろこ玉でした。

 それからは一家はまた昔のように栄えます。


・イヌとネコと青い玉(新潟のむかし話/新潟県小学校図書館協議会編/日本標準/1976年)

 うろこ玉が青い玉。それも、一日に、にぎりめしを三つずつ青い玉にあげれば、のぞみしだいのものがでるというもの。(玉が食べるというのも昔話らしい)

 助けたヘビからもらった青い玉で、おじが立派な家を作り、きれいなよめさんを もらったのはよかったが、そのよめさんが宝物の青い玉を盗んで家に帰ってしまいます。

 ネズミに、倉を七日七晩かじってもらい、青い玉を取り戻します。ネコがイヌの背中におぶさって川をわたっているとき、イヌが深いところにはまり、ネコの耳に水が入ったとき、口にくわえていた青い玉が、川のなかに落ちてしまいます。

 そのとき、おじが 子どもたちからいじめられていたのを助けてやったカメが、青い玉をくわえて あがってきます。

      

黄金のえび(ベトナム)(世界の民話10 ベトナム・タイ・インドネシア/小澤俊夫・編/ぎょうせい/1999年新装版)

 黄金のえびといううろこ玉に似たものがでてきます。

 美しいねこを飼っていた金持ちの男が金細工師の親方に黄金のえびを作ってくれるよう頼み、できあがったえびを大切にしていました。

 ところが急な用事ででかけてえびをもっていくのを忘れ、帰ってみるとえびはどこを捜してもみつかりません。
 ねこに聞いてもわからず、ねこがねずみに尋ねると、どうも盗んでいったのは金細工師です。
 ねずみが黄金のえびをみつけ、帰る途中、ねこが黄金のえびを川に落としてしまいます。

 ねことねずみが、あれこれ相談しているとき川の水面を泳いでいた魚をみつけ、魚を捕まえると、魚は、あまり固すぎるので吐き出してしまった言います。

 魚をおどして、川底に落ちていた黄金のえびを持ち帰る途中、今度はカラスにとられてしまいます。ねこは死んだふりをして、黄金のえびを取り戻すのですが・・・。


パーペルじいさんの光る石(吸血鬼の花よめ ブルガリアの昔話/八百板洋子:/編・訳/福音館文庫/2005年)

 ブルガリア版を段落ごとにみてみます。
 <羊飼いのおじいさんが、トカゲを助け、お礼に光る石を手に入れます>
 <おじいさんは、光る石で立派な屋敷を手に入れます>
 <隣に住んでいるイワンが、光る石をもっていってしまいます>
 <アヒルとネコが、光る石をとりかえすためにでかけますが>
 <ネコとアヒルが光る石を取り戻しますが、川に落ちてしまいます>
 <漁師が魚を釣って、それをアヒルとネコにあたえると、魚のなかから光る石が出てきます>

 このおじいさん、欲はなく、光る石に、なにか特別なことを頼むわけでもなく、やがておじいさんが亡くなると、どこからトカゲがやってきて、石をくわえて立ち去るという余韻の残るおわりです。


男の子と指輪(西アフリカおはなし村/文・江口一久 画・アキノイサム 編集・国立民族学博物館/梨の木舎/2003年)

 「犬と猫とうろこ玉」のうろこ玉が指輪になっているちがいはありますが、構造はおなじです。”うろこ玉”は日本の昔話では比較的長い方ですが、この話はその三倍以上の長さになっています。

 子どもが生まれるとき、父親は五フラン硬貨七枚を残し亡くなります。

 男の子が15歳になったとき、硬貨をもって遊びにいき、虐待されているネコ、イヌ、ヘビ、そして小鳥を、いずれも五フランでもらいうけ、残っていた硬貨で、動物たちに食べ物を用意します。

 さて、この町の王さまにはきれいな娘があって、男たちはみんな結婚させてくれとおねがいしますが、その条件というのが、牢屋で七日間絶食して死んでいないこと。

 何人も挑戦しますがうまくいきません。もちろん男の子も挑戦し一旦は、牢屋にはいりますが、急に王さまが心変わりし牢屋から出ます。

 男の家にはヘビがいましたが、殺されかけたとき命を救ったお礼に、ヘビの父親から不思議な指輪を手に入れます。男の子がほしいものはすべて指輪がくれます。
 
 男の子はもういちど王さまのところへでかけ、牢屋の中で七日間の絶食を行います。
 指輪が食べ物と水をもってきますから、七日後に元気で牢からでてきます。

 娘との結婚が許されますが、そのためには黄金でできた何階もある家をもってくるのが次の条件でした。
 黄金の家も指輪がもってきてくれて、娘と結婚します。おそろしいほど娘が好きだった男の子は、指輪を娘にはめさせます。

 王さまの娘と結婚したいと思っていたもう一人の男がいました。この男は、この家の隣にすむおばあさんが、娘とよく話をしている間柄を知って、おばあさんに指輪を手に入れてほしいと頼み込みます。

 ほしいものはなんでもやるという男につられて、おばあさんは指輪を手に入れ、もう一人の男にわたします。もう一人の男は、指輪の力で、娘の住んでいる屋敷ごと、自分のものにしてしまいます。

 王さまは、娘が消えてしまった男の子に、三日間のうちに、娘がかえってこなかったら、首を切ってしまうといい、牢屋に入れてしまいます。

 これから、ネコ、イヌ、小鳥が川を七つこえて、もうひとりの男から、指輪を取り戻します。ネコが指輪をとりもどしたのですが、イヌがこんなに苦労した指輪を川に投げ込んでしまいます。

 漁師が魚をとっているところで、ネコは魚のはらわたを手に入れ、はらわたのなかを探ってみると、そこには指輪がはいっていました。

 この指輪は男の手にもどり、王さまの娘も屋敷ももとどおりに。最後は因果応報で、男もお婆さんも殺されてしまうと結末。

 かなり長い昔話で、1995年にアラビア語で語られたとありました。

 発端は「慈悲ふかき 信じるものに慈悲ふかき アッラーのみ名によって」とイスラム風です。


       いぬとねこ/再話:ソ・ジョンオ 絵:シン・ミンジェ 訳:おおたけ きよみ/光村教育図書/2007年

 おばあさんが漁師にとらえられていたすっぽんを助けことから、おばあさんは竜宮にいきます。
 竜宮には、乙姫ならぬ竜王がいました。
 楽しく暮らし、竜王の杖に埋め込まれている玉をもらって、家に帰ります。

 でだしはスッーと進んでいきます。

 竜王の玉は、大きな家に住みたいと思えば、立派な家が、新しい着物が着たいなあと思うときれいな着物が、おいしいものを食べたいと思うと、ごちそうが、パッとあらわれる魔法の玉。

 やがて噂を聞いたよくばりばあさんが、小間物売りに変装しておばあさんのところへやってきて、魔法の玉をにせものの玉にかえてしまいます。

 おばあさんのくらしはもとどおり。
 そこでいぬとねこが、玉をとりもどすべくでかけます。
 よくばりばあさんのところへいくには、川をわたらなければなりません。

 ねこは、王さまねずみをつかまえて脅し、玉を見つけてくれるように頼みます。

 やがてねこが玉をくわえ、いぬがねこをおぶって川を泳いでいきますが、ねこは玉をくわえているので、いぬから「玉はあるか?」と聞かれても、返事ができません。いぬが大きくからだをゆすると、ふりおとされては大変と、ねこはおもわず「玉は口にあるとも」とこたえると、その瞬間、玉は川にポチャンと落ちてしまいます。

 いぬはそそくさとかえりますが、ねこは川辺をさがしまわります。

 おなかがすいたねこが、こいをみつけガブリとかみつくと、こいのおなかから探していた玉がポロリと転げ落ちます。

 ねこがいえのなかで、いぬは家の外で暮らすようになったのは、こうしたわけがあるというオチ。

 国が違えば、表現もちがいます。ネコは「ヤオン!」、イヌは「モンモン!」、後記には、ぶたが「クルクル!」、とらは「オフーン!」とありました。

 竜宮がでてきたり、よくばりばあさんがでてくるなど、より昔話の特徴がつまった再話でしょうか。

 絵は色鉛筆とコラージュ技法で描かれたとありましたが、色鉛筆でここまで表現できるのにはビックリ。ねずみや船の窓からみえる海の様子も注目です。

 

     ねこといぬとたからの玉/藤かおる・文 梶山俊夫・絵/太平出版社/2001年

 韓国・朝鮮の昔話がもとになっていますが、日本人コンビによる絵本です。イェンナル(むかし)、イェンナレ(むかし)ではじまり、最後はクー(おしまい)でおわる

 じいがやっと釣りあげたのは、でっかいでっかい金の魚。

 金の魚から「わたしは、竜宮の王子で、いのちを たすけてくれたら 竜宮の たからの玉を あげます」といわれ、じいは にどと はりにかからないようにいい、海に はなしてやります。

 次の日、一人の立派な若者が、じいの小屋を訪ねてきて、ほしいものが手に入るという たからの玉をおいて かえっていきます。

 それから、大きな屋敷、米、味噌、小判を出して村一番の長者どんになったじい、ばあは、川の向こうにすんでいるよくばりばあに騙され、たからの玉を 失くしてしまいます。すると、たからの玉をなくしたじいの屋敷は、もとの藁ぶき小屋にもどってしまいます。

 じいと いっしょにくらしていた いぬとねこが これは いちだいじ たからの玉をとりもどそうと よくばりばあの 屋敷に のりこみます。

 ねずみの協力で、たからの玉をとりもどし、小屋にかえるとちゅう 川の中で いぬの せなかにのったねこが 口をきいたとたん くわえていた たからの玉が川のなかに 沈んでしまいます。

 二匹が川下にはしっていくと、川下の漁師が つりあげた大きな鯉の口から、たからの玉が ころっと とびだしました。その玉をもちかえり、またみんな仲良く暮らします。

 

 展開がスムーズで、シンプルにまとめられています。ねずみの おおぜいのかぞくに びっくり。最後は、いぬ、ねこ、ねずみが、じいとばあの 餅のつきあがりを待っています。


金貨のつぼ・・ベトナム、金の壺・・ミャンマー、天福地福

2022年01月05日 | 昔話(日本・外国)

天福地福

 正月三日の朝、正直なお爺さんと欲張りなお爺さんが、見た夢を教え合います。
 正直な爺さんは天から福を授かった夢、欲張りな爺さんは地から福を授かった夢でした。
 それから何日かして正直な爺さんが畑を耕しているとでてきたのは瓶。中には大判小判がぎっしり。
 これは地福にちがいないと欲張りな爺さんに早速しらせます。

 欲張りな爺さんが、畑にでかけると、瓶からでてきたのは、ヘビ。

 怒った欲張りな爺さんが、瓶を正直な爺さんの家に投げ込むと、瓶からでてきたのはヘビではなく大判小判。
 天から福が降ってきたと正直なお爺さんは喜びます。

 正直な爺さんと欲張りな爺さんの二人を対比した不思議な話ですが、見る人によって見えるものが違うことをいいたいのかもしれません。

・天福地福(岐阜のむかし話/岐阜児童文学研究会編/日本標準/1978年)

 夢ではなく、白いひげのおじいさんがきて、「おまえはとても正直に働くので、天福をあたえよう」と、いいます。正直なおじいさんは、木の切り口に、小判が入ったかめを見つけます。

金貨のつぼ(世界の民話10 ベトナム・タイ・インドネシア/小澤俊夫・訳/ぎょうせい/1999年新装版)

 でてくるのは、貧しい百姓と泥棒です。
 金貨がいっぱいつまった壺を発見した百姓が、おくさんと話をしているのを聞いた二人の泥棒が、田んぼのあぜ道においておいたという壺を見つけると、そこに入っていたのはヘビ。

 怒った泥棒がこのつぼを百姓の家に担ぎ込みますが、百姓がみてみると金貨がつまっていました。


泥棒と金の壺(ビルマのむかしばなし/中村祐子他訳/新読書社/1999年初版)

 おじいさんとおばあさんが同じ夢を見て、夢のなかのタマリスクの木の精から、ある木の下を掘って金の壺を掘り出すようにお告げがあります。

 この話を聞いていた泥棒の一味が、木の下を掘ってみると金の壺が見つかりますが、開けてみると大きなヘビが入っていました。泥棒たちはおじいさんたちをびっくりさせようと、壺を運びこみますが・・。

 どこで入れ替わったかはわかりませんが、国が違っても類似の話があります。

 多分真面目に働いている人にくれた神さまの贈り物でしょうか。

     てんぷく ちふく/渋谷勲・文 松本修一・絵/ほるぷ出版/1984年初版

 作者が福島で聞いた昔話です。

 正月と限定せず、働き者のじさまとばさまが、大判小判が入っている瓶を見つけたのを、草むらでみていた せやみじっさまが 夜 瓶を掘り出すためにでかけます。
 「今夜は よなべしごとだ」と たらふく めしをかきこみ、またまた昼寝をしてから いさんで でかけるせやみじっさまの存在感がなんともいえません。

 おわりのことばも「これでいちごさけもうした。あまざけ わいたら おまられも。あおなが しょんだら おまられも」と、軽快です。

 楽天的なじさまとばさまが、生き生きと描かれています。


「ふるやのもり」と類似する外国の昔話

2021年12月22日 | 昔話(日本・外国)

 「ふるやのもり」は、日本の各地に同じような話があり、地域によってすこしずつ内容が異なっていますが、雨漏りを恐ろしい化け物と思ったオオカミと泥棒の話。
 これと類似する外国の昔話。


ふるやのもり(鳥取県の昔話)

 一番こわいものは、ふるやのもりというおじいさんの話を、ウマを食べようとウマ小屋にひそんでいたオオカミとウマ小屋のウマを盗もうと屋根裏にかくれていたどろぼうが聞いていて、どんな化け物だとビクビクしているところに、雨漏りが泥棒の首にポタリとおちます。

 それにびっくりした泥棒は足をふみはずして、オオカミの上に落ちてしまいます。オオカミはウマ小屋から飛び出し、どろぼうは必死にオオカミにしがみつき、オオカミは振り落とそうと走り続けます。

 夜明けごろ、うまいぐあいに突き出ている木の枝を見つけたどろぼうは、その枝に飛びついて、そのまま高い枝にかくれてしまいます。 オオカミは背中にくっついていた物がとれて、ホッとひといきし、ふるやのもりを友だちの強いトラに退治してもらおうと、トラのところへ出かけていきおます。

 話を聞いてトラも恐ろしくなりますが、いつもいばっている手前オオカミの前でそんな事は言えず、退治してやるとトラとオオカミは一緒に、ふるやのもりを探しに出かけます。
 そして、高い木のてっペんに、なにやらしがみついてるのを発見したオオカミがそれを見て、ガタガタとふるえだします。

 トラは、こわいのをガマンして、ほえながら木をゆさぶりると、泥棒が二匹の上に落ちてきます。どろぼうは地面に腰を打ちつけて大けがをし、オオカミは遠い山奥に逃げ、トラは海を渡って遠い国まで逃げて行って二度と帰ってこなかったというお話。

 「ふるやのもり」を聞く機会も多いが、いつも思うのは子どもたちの受け止め方。
 今の子どもは雨漏りと無縁の生活をしているだでしょうから、雨漏りの鬱陶しさがうまく伝わらないのではないかということ。 このお話は雨漏りの情景が浮かばないと面白さが伝わらないと思う。

・もうどの(鳥取のむかし話/鳥取県小学校国語教育研究会編/日本標準/1977年)

 おなじ鳥取県の昔話ですが、”もうどの”というのは雨漏りのこと。タイトルからは想像できません。

・もるどの話(富山のむかし話/富山児童文学研究会編/日本標準/1978年)

 ”もるど”というのは雨漏りのこと。

 ひとりぐらしのおばあさんのところに、トラとオオカミがやってきて、おばあさんが便所で話しているのを聞いて、そのまま逃げ帰ってしまいます。



トラと干し柿(韓国)(アジアのわらいばなし/松岡享子・監訳 田中美保子・訳/東京書籍/1987年初版)
 干し柿を化け物と思ったトラと泥棒の話。

 おなかをすかしたトラが山をおりて、ある家にやってくると赤ん坊が泣きだします。

 赤ん坊を泣きやませようと、クマやトラにつれていかれるよと家の女の人が声をかけるのを聞いていたトラ。トラという名前を聞いても赤ん坊は泣きやみません。しかし、女の人が干し柿をあたえると赤ん坊はすぐに泣きやみます。

 これまで自分をこわがらない生き物にあったことがないトラは、ホシガキは何者だろうとすっかり怖くなってしまいます。

 ちょうどそのとき、牛泥棒が屋根からトラを牛とまちがってトラの背中に落ちてきます。泥棒もトラと気がついて死ぬほどおどろく。トラは泥棒を振り落とそうと走り出し、泥棒も振り落とされまいとトラの背にしがみつく。夜明け頃、泥棒はちょうど手の届くところに木の枝がたれさがっているのに気がついてその枝に飛びつく。背中がかるくなったトラのほうも、ほっとして、安全な山のすみかへと走り帰ります。

 「トラと干し柿」では、干し柿を赤ん坊に与えると泣き止みますが、赤ん坊が食べるというので離乳食のようにあたえたのでしょうか?。

・とらよりこわいほしがき(小沢清子・文 太田大八・絵/太平出版社/2003年)

 韓国・朝鮮の民話第一集とあって、上記の「トラと干し柿」とほぼ同様です。

馬のたまご(バングラデッシュの民話/アブル・ハシム・カーン・え ビプラダス・バルア・再話 たじま しんじ・訳/ほるぷ出版/1985年初版)

「馬のたまご」ってなんなのと思いながらみたら、「ふるやのもり」に似た話。

 むすこから馬がほしいといわれた父親(ハンダという名前)は貧乏暮らしで、馬を買えるお金がないため、たまごだったらずっと安いだろうとおもって、馬のたまごをさがしにいきます。人々から笑われながらも探し続け、ずるがしこい男から買ったたまごは、白い色をぬったうり。

 家に帰る途中、田んぼの中の小魚をつかまえようと、馬のたまごなるものを、道端において田んぼにはいっていきます。するとキツネが走ってきて、たまごをつぶしてしまいます。逃げていくキツネをみたハンダは、キツネがたまごから生まれたものと思ってそのあとを追っていくが、見失ってしまう。
 ハンダは大きな家の納屋で一晩とまらせてもらう。真夜中その家のむすこがおしっこにいきたいから父親についてきてくれと頼むが、ねむりかけだった父親は面倒になって、「そとにはトラの何十倍もこわいおそろしいきりさめがいる」といいます。

 トラはハンダを食べようと思ってあとをつけてきていたが、この話をきいて怖くなり逃げだします。このトラを馬の赤ん坊に違いないと思ったハンダは、トラとはおもわず、飛び乗ります。トラは一晩中走り続けますが、あたりがあかるくなって、ハンダがしがみついるのはトラと知ってびっくりし、バニヤンという木の下を通り過ぎる時に、枝にとびつきます。

 サルにあったトラはゆうべのできごとをはなし、きりさめが一晩中とりついていたがどうやら助かったらしいと話す。サルはきりさめがみたくなり、バニヤンの木にのぼるが、ハンダからしっぽをギリギリとねじられ、「きりさめなんかじゃない、ギリギリマキだ」といってそこから逃げ出します。
 今度は熊がでかけていきますが、ハンダがつくった穴に落ちてしまい、すっかりこわくなった熊も逃げ出します。

 次にジャッカルがでかけていきますが、そこにいたのが人間だと知って、ハンダを食べようとします。しかしハンダは頭をつかってジャックルを追い払い無事に家に帰りつきます。

 冒頭部でだまされて馬のたまごを買ったハンダが、今度は動物をうまくだます?(本人はだますつもりはありません)という二重構造になっていて、すれ違いが楽しめます。

 ところで、バングラデシュは日本でどの程度知られているのでしょうか。世界で7番目に人口が多い国であり、2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層が国民の75%を超える約1億1800万人と推定されているとある。日本の装丁のしっかりした絵本とおなじといえないまでも、バングラデシュの子どもたちが絵本に親しむことができるか気になるところです。


 「馬のたまご」は絵本ですが、木や花の描き方に特徴があります。特にバニヤンの木にびっくりです。
 画家のアブル・ハシム・カーンは、陶芸を学び、これまでにデザインした本が多数あり、バングラデッシュ政府の憲法読本、教科書のデザインをされています。

トーントイとトーンモーン(大人と子どものための世界のむかし話14 ビルマのむかし話/大野徹・編訳/偕成社/1991年初版)

 子どもが夜泣きして、母親が「そんなに泣いたら、トラがきますよ」「なきやまないとクマがきますよ」といってなだめますが、いっこうに泣き止みません。

 母親が「いうことをきかないならトーントイとトーンモーンをよびますよ。ほらもうあそこにきているわ」というと、子どもはぴたりと泣き止みます。
 トーントイとトーンモーンは二人組の泥棒で、腕は名人級です。

 牛小屋にいたトラが、その話を聞いて様子をうかがっていると、牛を盗みにやってきたのはトーントイとトーンモーン。暗闇の中でトラを牛と思い込んで縄をかけ、外に連れ出します。
 月の明かりで、自分たちがつれてきたのは牛ではなくトラだったのにきづいたトーンモーンは逃げ出し、トーントイは、縄をミミイチジクの木の結びつけて、木の上によじのぼります。そこにはクマが。


恐ろしいデポー(ビルマのむかしばなし/中村祐子他・訳/新読書社/1999年初版)

 怖いものが「雨漏り」ではなく、デポー(にわか雨)です。  泥棒とトラが羊を盗もうとして、羊の番人が、デポーが怖いといっているのを聞いて、デポーがすごい怪物と思いこむ話。ほかにも猿や野兎が登場します。

 「ふるやのもる」に類似する昔話は、アジアには多いのですが、ヨーロッパのものは読んだことがありません。この違いなども面白いところです。          


ねずみのよめいり(絵本)

2021年06月03日 | 昔話(日本・外国)

     ねずみのよめいり/田中尚人・再話 アンヴィル奈宝子・絵/玉川大学出版部/2021年

 インドにつたわるおはなしとあります。

 立派な相手を探して、太陽、雲、山、ねずみと、探していくお馴染みの話。この原典は、インドの「パンチャタントラ」といいますが、再話でどこまで原典に沿ったものかはわかりません。

 ねずみと同行者が、探し当てていくというのが多いですが、この話では、ねずみが娘に姿をかえています。

 なぜ、ねずみが娘になったのかが、冒頭部にでてきます。

 ”せんにん”が、タカに襲われたねずみを助け、ねずみを人間の女の子に変えて育て、としごろになると結婚相手を探します。

 タカはネズミを助けようとする”せんにん”にいいます。「ひとが むぎや こめを たべるように、ねずみが むしを たべるように、いきものには それぞれの たべものが きまって いるのですよ。それなのに、あなたは わたしが たべものを つかまえるのを じゃまするのですか」

 タカの言い分は、ほかのものにはみられません。

 擬人化された太陽、雲、山の表情、いかにも”せんにん”らしい人物の描き方、むすめの民族衣装などの色合いにも注目です。

 

      ねずみのけっこん/マヤ族の昔話/ジュデス・デュプレ・文 ファビリシオ・ヴァンテン・ブレイク・絵 晴海耕平・訳/童話館/1994年

 絵本ですが、メキシコマヤ族の昔話です。
 太陽、雲、風、壁の表情が楽しい。



      ねずみのよめいり/小澤 俊夫・再話 金井田英津子・絵/くもん出版/2007年

 ちょっと渋い?大人好みの絵本でしょうか。

 「猫にご用心」の張り紙があったり、最後の満月の日、提灯行列で嫁入りする場面がいいですね。

 本文にはないのですが、大工のおとうさんが、あかんぼうを優しく見つめています。


さきざきさん・岡山、ばあさんとどろぼう・和歌山、フリーダーとカーターリースヘェン・・グリム、”これから先”氏・イギリスほか

2020年12月21日 | 昔話(日本・外国)

さきざきさん(かもとりごんべい ゆかいな昔話50選/稲田和子・編/岩波少年文庫/2000年初版)

 読んでてもそれほどインパクトがなくても、聞くと楽しさが伝わってくる昔話。

 おじいさんがためておいたお金。
 おじいさんは、”さきざき”のためにおいとくお金と、おばあさんにいつもいっていました。
 ある日、おばあさんがお金をかぞえているところに、こわい顔をした、物もらいがきて、お金をくれといいます。
 おばあさんは、このお金はさきざきのためのお金といいますが、物もらいは「おばあさん、わしが、そのさきざきだがな」と、騙します。おばあさんはお金をみんな物もらいにやってしまいます。

 おじいさんが帰ってきて、あきれかえり、正月がまもなくやってくるので、借金とりもくるから、夜逃げをすることになります。
 「おばあさん、戸をしめとけよ」と、おじいさんはいいますが、ちょっと耳の遠いおばあさんは戸を背負ったり、さげたりして歩いていきます。
 くたびれて道端の大きい木の根にこしかけて休んでいると、そこに大勢の人がやってきます。夜逃げをみつかったらこまると、木に登ってかくれることにしますが・・・・。

 オレオレ詐欺風でだまされる、なんとも愚直なかんじのするおばあさんです。

 木の根にやってきた大勢の連中のなかには、お金をまきあげた男もいて、戸をえんやら持ち上げたおばあさんが、手がだるくなって戸を下に落とすと、びっくりした連中が逃げたあとには、お金がたくさんあったというオチ。


ばあさんとどろぼう(子どもに贈る昔ばなし6 再話・和歌山昔ばなし大学再話コース 監修・小澤俊夫 小澤 俊昔ばなし研究所 2006年)

 和歌山の昔話です。
 おじいさんが孫のところに遊びに行こうとおばあさんに留守番を頼むのですが、おばあさんはどうしても一緒にいきたいと、戸をもっておじいさんとでかけます。途中、泥棒にあい見つけられないように戸をもって木の上にのぼります。
 木の下では泥棒がお金の入った壺を穴を掘って、埋めはじめます。

 たえきれなくなったおばあさんが、戸を離すと、びっくりした泥棒が逃げ出し、お金はじいさんとおばあさんのものに。

 おばあさんは、戸がなかったら、人がいると思って泥棒が入らないだろうと戸をもっていくのですが、あまり細かな詮索はしないほうがよさそうです。


フリーダーとカーターリースヘェン(グリム)
 木の上から家の戸が落ちて、取られてしまったお金をとりもどす結末です。

 若夫婦がでてきて、妻がとぼけた感じで次から次へとドジなことをしでかします。

 地下室のビール樽のせんをあけっぱなしにして、樽が空になったり、大事な金貨を行商人にとられりと、どこか憎めないカーターリーヒェンと夫のフリーダーが行商人を追いかけます。 

 家の戸の鍵をちゃんとかけてきたかとフリーダーに聞かれカーターリーヒェンは、鍵をかけたのは、上下わかれている扉の上だけ。下の扉は はずしてもっていきます。木の上で夜を明かすことにした二人でしたが、木の下にやってきたのは金貨をもっていった男たち。

 干しリンゴ、お酢の壺、戸を落とすと泥棒たちは、大急ぎで逃げ出します。そして二人は下にあった金貨を、ちゃんと取り戻します。

 それにしても、戸を担いで木の上にのぼるとは!

 西洋の戸はがっしり固定されていますから、わざわざ、外したのでしょう。



”これから先”氏(ジェイコブズ作/イギリス民話選/ジャックと豆のつる/木下順二・訳/岩波書店/1967年)

 グリムの「フリーダーとカーターリースヘェン」とほとんど同じです。

 ジャンという百姓が結婚した娘さんは、いつも失敗ばかり。
 牝牛を買って乳をしぼろうとするが、牛を池に連れていき、早く水を飲ませようとして、牛がおぼれてしまいます。
 ブタに飼料を食べさせようと、ブタを桶の中につっこむとブタは息がつまって死んでしまい、パンを焼こうとして、粉が風で吹き飛ばされます。

 さらに酒をつくろうとすると、樽の栓を抜いて、犬に投げつけ、犬をおっかけているうちに、樽はからっぽ。

 ここまでが前段。

 ある日、奥さんがベッドに発見したのは銀貨の袋。ジャンがいうのには”これから先”のためにとってあるという。
 この話を聞いた泥棒が立派な紳士みたいな洋服を着て、「わしが”これから先”ですがな」というと、奥さんは銀貨の袋を渡してしまいます。

 二人は木の枝にドアをのせて眠りますが・・・・。

 すると木の下に、泥棒がやってきて・・・。
 この話でも、最後はドアを泥棒のところへ落とし、残していった金袋を手にするというもの。

 なにしろ何があっても奥さんをせめることのないジャンの度量の大きさに感服です。

 そういえば、昔話で夫婦がどちらかが主導権をにぎるというのはあっても、喧嘩するというのがないのも不思議です。

 

おろかなむすこ(世界のむかし話6 ペルー・ボリビアのむかし話/加藤隆浩・編訳/ポプラ社1989年)

 ペルーのケチュヤ族のむかし話。

 食べ物がなくなる八月にそなえていた種。おばあさんが、おろかなむすこに、「これは八月のために、とっておくのだから、手をつけてはいけないよ。」といいます。

 むすこは、だれかが家の前をとおりかかるたびに「おまえさんが、八月という人ですか?」とたずねました。すると、あるとき悪知恵のはたらく男が「そうさ、おれが八月という男だ。」と、こたえたので、むすこは、その男に種を全部あげてしまいました。

 おばあさんは、これを聞くとすぐに家を飛び出し、八月と名乗った男をおいかけました。おばあさんが「家の戸を、まもっておくれ」と、むすこにいうと、むすこは戸をかついで、おばあさんを追いかけます。

 男を追いかけているうちに、夜になって、ふたりは野宿することになりました。真夜中。どろぼうたちが、音をたててもどってきて、山にむかって「ひらけ、ゴマ。」といい、左右にひらいた山のなかへはいっていきました。そのとき、おろかなむすこが、担いできた戸を、足でけとばしたので、戸はドドドッカーンという音をたてて、山道を転げ落ちました。その音にびっくりしたどろぼうたちは、「とじよ。ゴマ。」といって、山を閉じると、もときたほうへさっていきました。

 おばあさんたちが、山のなかへはいっていくと、そこには金銀や宝石の山。

 「アリババと四十人の盗賊」のような展開。じつは、この話にはオチがあります。

 家につくと、おばあさんは、たくさんのドーナツをつくり、屋根よりたかくドーナツをなげあげ、「ドーナツの雨がふっているよ」と、おろかなむすこにいいました。

 おろかなむすこが「ドーナツの雨がふっているときに、おれたちは黄金を担いできたよ」と、村人にいいますが、村人は、嘘にきまっていると誰も信じません。こうして、おばあさんは村人たちをだましとおし、どろぼうの宝物で、すっかりお金持ちに。

 あれこれ詮索されないためにとった、おばあさんの知恵が見事です。

 

小づちよ、出番だ(オーストリアの昔ばなし いちばん美しい花嫁/飯豊道男・編訳/小峰書店/1983年)

 この話にも冒頭部だけですが、こじきがやってきて、自分が将来だといって、将来のためにためておいたものを、もっていくところがでてきます。


夢にまつわる昔話・・スワファムの行商人、味噌買橋ほか

2020年09月12日 | 昔話(日本・外国)

 古来から夢をみつづけた人間。読み進めると、この国にも同じようなものがあると知ると、なにか楽しくなります。「話千両型」というのですが、夢をみた人が他の人から、その意味を教えてもらうものと、話そのものを買うという二つのパターンがあるようです。


スワファムの行商人(イギリスとアイルランドの昔話/石井桃子編・訳/福音館書店)

 スワファムというところの行商人が、夢に導かれて、ロンドン橋に行きます。しかしいつまでたってもいいたよりは耳にはいってきません。

 しかし近くの店の主人が自分も夢をみたといって、行商人の家の果物畑のカシの木下を掘ると宝物が見つかるという話をします。

 店の主人は、ばかばかしいと思って話をしますが、この話を聞いた行商人が家に帰ってカシの木の下を掘り起こすと宝物が出てきます。
 
 足元をみつめてごらんなさいといったところか。

 また、<新編世界むかしはなし集1 イギリス編/山室 静・編著/文元社/2004年初版>では、「ロンドン橋の上で」という題名です。


あの連中(マン島の妖精物語/ソフィア・モリソン・著 ニコルズ恵美子・訳 山内玲子・監訳/筑摩書房1994年初版)

 同じイギリスのマン島の話です。
 「スワファムの行商人」と同じ内容なのですが、夢ではなく「小さなやつ」にいわれて、ロンドン橋にいくというでだしです。
 「小さなやつ」とは、妖精のことですが、マン島の人たちは妖精とはいわず「ちっちゃいやつら」「あの連中」とも。
 このあたりは、「ハリーポッター」のヴォルデモートと同じでしょうか。ヴォルデモートも名前はいっていけない人物としてあらわれます。

 おもしろいのはマン島。世界最古の議会をもち、1979年には議会千年祭がひらかれたといいます。人口は8万人ほどですが、歴史を調べてみると興味深いことばかりです。


ハンスのゆめ(世界むかし話 フランス・スイス/八木田宣子・訳/ほるぷ出版/1988年)

 スイスの昔話です。
 牧夫のハンスは、びんぼうでしたが、男ぶりのいい男。金持ちの美しいむすめに恋しますが、娘の父親は許可をだしません。

 ある日、ハンスは不思議な夢をみます。橋の上にたっていると、一人の男がそばにきて、一生ハンスをたすけてくれるようなことを、なにかいおうとしましたが、その前にハンスは目が覚めてしまいます。
 ハンスは町の橋の上で夢の中の男にあおうとしますが、何時間まっても、夢の中の男はあらわれません。
 辛抱強く待ち続けるハンスでしたが、そばをとおりかかった男が自分がみた夢を話します。
 それはハンスが住む山小屋の床下に金銀の入った壺をみつけたというものでした。
 この話を聞いたハンスが小屋の床板をあげてみると・・・。

 スイス版は、ほかのものよりストーリー性があります。


悪魔の宿屋(新装世界の民話11 地中海/小澤俊夫・編/ぎょうせい/1999年新装版)

 コルシカ島の話ですが、コルシカ島といえばいうまでもなく、ナポレオンの出身地。
 同じ夢でも、15フランで三つの忠告を買うもの。

 ひとつは、よその人のことに頭をつっこまないこと。二つ目は、新しい道のために古い道をすててはいけない。三つ目は、見ざる聞かざること。忠告を買うという話も、アジアからヨーロッパに広く分布しているといいますが、ヨーロッパのものはあまり紹介されていない気がします。

 舞台は悪魔が経営をする宿屋。うんと醜い顔をした悪魔の息子に、客が同情して、どうしたと尋ねようものなら客は地下の国へ(地下の国は地獄?)。

 悪魔の息子に同情する客のおかげで、地下の国はいつもいっぱい。

 貧しい母親から幸運をつかむようにいわれた三人兄弟の上の二人は、やはりこの宿屋の犠牲に。

 末っ子も兄と同じように15フランをもってでかけますが、途中であったのは美しい貴婦人。貴婦人は幸運を探す出すには15フランで忠告を買うことだといいます。

 新しい道をいかなかったので、命がたすかり、大喧嘩をしている二人にかかわらないことで、やはり命が助かります。
 そして、宿屋で見ざる聞かざるを貫いたので、末っ子は無事に旅を続けることができます。

 末っ子が幸運をみつけたかどうか、話し手は知らないとやや冷たく終わります。

 旅の途中にでてくるのはおばあさんだったりおじいさんが多いのですが、ここでは貴婦人。婦人は聖マリアさまです。

 ことわざや忠言には、人生の教訓がこめられているので、先人の教えを大切にしなさいということでしょう。 


・秋田県の「徳五郎翁の昔ばなし」のなかにある「話を買った男」では、「大木の下に長居するな」「訳のわからないご馳走になるな」「短気は損気」という3つがでてきます。


味噌買橋(日本) 

 「スワファムの行商人」と同じ内容ですが、味噌買橋にでてくるのは正直な炭焼きです。
 夢、橋、自分のそばに宝物がねむっているというのが共通の要素です。

 イギリスの話に、にていると思っていたら、「味噌買橋」は、岐阜県高山市の小学校の先生が翻案したものが広まったものといいます。

 橋は、村の境にあることが多く、地上と水界が接するところでもあり、異郷との接点でもあるといいます。


夢を買った話(宇治拾遺物語/川端義明/岩波少年文庫/1995年初版)

 宇治拾遺物語に、夢占いの女のところで、備中の国司の長男が相談しているのを聞いた郡司が、夢を引き取り、ひたすら勉強し、やがて遣唐使になって、長い間学問や技術を習い覚え、やがて大臣にまで任命されます。ただし、この夢はきっかけになっただけのようです。 

 当時の役職なので少しイメージがわきにくいところがありますが、話はシンプルですから、語ってもよさそうな話です。


 このほか日本の昔話/柳田国男/新潮文庫/1983年にも、夢がテーマになっている昔話があります。   

・「夢見小僧」は正月二日に見た夢を話すことからはじまりますが、ここでは最後になってみた夢を話します。

・「夢を買うた三弥大尽」は、夢をお酒で買いとります。

 日向の国の三弥という貧乏な旅商人が、仲間と二人連れで旅の途中、一休みしていると、連れが珍しい夢をみたといいだします。近くの山に金がいっぱいになっているところがあるというのです。
 三弥は、何日の後に、一人でこの土地に戻ってきて、山を捜しまわり、外録という金山を見つけ出します。ところが、三弥が死んでしまうと、すぐに大地震がおこって金山が崩れ、今では沼になっていると結んでいます。話を聞いた人が、本気にして探さないように忠告したのかも。
  
・「夢と財宝」(福井県)

 越前のある村の源治という一人者の男がいましたが、源治はろくに働きもしないで、何か楽に儲けられないかといつもいつも思っていました。

 年の瀬を迎えた早朝、あたりには霜が降りてすっかり白くなるなかで、隣に住む働き者の爺さんが、霜の降りている庭に出て何かを探していました。

 隣の爺さんは「菅笠程のサイズで丸く霜の降りてないところを掘ると、宝が出てくる」という夢のお告げがあったことを話します。

 それを聞いた源治は、夜の間に爺さんの家の前に菅笠を置いて、丸く霜の降りていない場所を作ります。翌朝、そうとも知らない爺さんは、源治の作った丸い場所を見つけて、さっそく掘り始めます。

 源治は冗談のつもりでしたが、なんと驚いたことに本当に小判の詰まった壺がでてきます。これには源治も驚き、自分の家の庭でもやってみようと考え、その夜、源治は沢山の菅笠を買って自分の庭に敷き詰めますが・・・。

 

夢見(群馬)(いまに語りつぐ日本民話集8/動物昔話・本格昔話/監修:野村純一・松谷みよ子/作品社/2001年)

 正月の夢見の晩に、主人が奉公人を集めると「いい夢をみたもんにゃ、たんとお金を出して買うから、みんないい夢をみてくんろ」といいます。次の日、主人は一番番頭からひとりひとり夢を聞いては買っていきます。

 ところが一番最後の小僧が夢を売ることはできないと言い張ります。怒った主人は小僧を箱につめ、川に流してしまいます。

 小僧の入った箱は岩や石にぶつかりながら流れていきますが、川の中ほどで、でっかい石にぶつかりこわれてしまいます。そこへカッパがチョチョロと泳いできました。

 小僧はカッパから川たびを、すこしだけと借りだし、ショロショロと川を下っていきます。小僧がなかなかかえってこないので心配になったカッパでしたが、もどってきた小僧にかえすようにいうと、ただでかえすわけにはいかないといいだした小僧。

 やむをえず、カッパは、生き針、死に針というたからものを小僧にあげてしまいます。

 川から上がった小僧が、家にかえる途中、ある大尽の家で、娘が死んだと大騒ぎ。カッパからもらった生き針で娘を生きかえすと、小僧は、娘の婿になってほしいといわれますが、これを断わります。

 次の村で、また大尽の娘が死んだと大騒ぎ。ここでも生き針で娘は生き返ります。ここでも婿になってくれるよう頼まれますが、小僧はこれも断ります。

 ところが、あとから二人の娘がおっかけてきて、婿になってくれるよう小僧の両袖をひっぱります。

 小僧が「いてぇ、いてぇ」というと、ひとりの娘が手をはなします。そこで小僧は手を離した娘の婿になって、いつまでもしあわせに暮らします。

 生き針がでてきたら、死に針の出番もありそうですが、ここでは出番がありませんでした。死に針がでてきたら、もっと長い話に。


ふしぎなやどや・・中国、旅人馬・・日本

2020年06月11日 | 昔話(日本・外国)


     ふしぎなやどや/はせがわ せつこ・文 いのうえようすけ・絵/福音館書店/1990年


 中国唐代の伝奇からの再話です。

 はじめきがつかなったのですが、あとでよく表紙をみてみると、ロバがいっぱいかかれ、雰囲気がよくでていました。

 美しい三娘子というおかみさんの宿屋。しっかりものでもてなしもいいし、親切で、ロバも安く売ってくれるという評判。

 ところが趙という商人が、なぜか眠れず、壁の向こうで音がするので、こっそりのぞいてみると・・。

 三娘子が手箱からとりだしたのは、おもちゃのよう犂と木で作った牛、それと木の人形。水をくちにふくんで、ぷーっと木の人形と牛にかけると、人形と牛が動き出し、土間を耕しはじめます。三娘子がソバの種を一つまみ人形に渡し、人形が種をまくと、またたくまにソバの実がびっしりなります。

 翌朝、宿屋の朝食に並んだのは、ソバもち。

 胸騒ぎがした趙は、食べずに宿をでますが、ソバもちを食べた客は、一人残らずロバになってしまいます。

 三娘子は、客のお金や荷物を、すっかりせしめてしまいます。

 やがて一月後に 趙は、べつの店でつくらせたソバもちを持って宿屋にやってきます。そこで三娘子はいつものようにソバもちで趙を騙そうとしますが、逆にロバにされてしまいます。

 三娘子はロバの姿で4年間をすごすことになりますが・・・・。

 三娘子は悪役なのですが、妙に色っぽく憎めません。ロバの目から涙が流れていますが、本当に反省したのやら。

 この話「ロバになった旅人」というタイトルで、(世界民話の旅7 中国・東南アジアの民話/前野直彬/さ・え・ら書房/1980年)にのっていました。


 「旅人馬」という日本の昔話があります。
 金持ちの息子と貧しい家の息子が宿にとまり、そこでだされた団子を金持ちの息子がたべると馬になってしまいます。
 貧乏な家の息子は、宿屋の女将が何やらやっているのをみて、団子を食べなかったので、難を免れるというもの。

 小沢正さんの「たびびとうま」という絵本がありました。

      たびびとうま/小沢正・文 石倉 欣二・画/教育画劇/2000年


 泊めてもらった家で、貧乏な若者が、どこかで足音がするので、隣をのぞいてみると不思議な光景が。

 女の人(おにばば)が、囲炉裏のそばで箱をあけ、木でできた三つの人形に、おまじないのようなことをつぶやきながら、両手を動かすと、人形がちょこちょこと動き出します。

 鍬をふるって、囲炉裏の灰をたがやし、きびの種をぱらぱら。いま種をまいたばかりというのに、きびのめが つんつんとかおをだし、ぐんぐん大きくなって、実をつけました。
 人形たちが刈り入れをするとすると、こんどは、臼で粉に。粉を水でこねて、お団子にまるめます。火にあぶってお団子ができると、女の人が手をふって、人形たちは、ぱたぱたたおれて動かなくなります。

 次の朝、お団子を食べた長者どんのむすこは、馬の姿に代わってしまいます。

 「たべないほうがよさそうだ」と思った貧乏なわかものがであったのは、髭を生やしたおじいさん。

 おじいさんは、七つの実をつけたなすをくわせれば、もとのすがたになると教えてくれます。

 人形が動くというあたりが「ふしぎなやどや」と共通しています。

 貧乏な若者が、ともだちをほうっておけないと、なすをさがして、おにばばの家にもどるというのに説得力がありました。


旅人馬(読んであげたいおはなし/松谷みよ子の民話 上/筑摩書房)

 貧乏な若者が茄子を探す出す場面が、大分長い。

 また苗がでてくるのが「つくつくと苗が出てくる」、箱をあけるのが「ことりと木の箱をあけ」とリズムが感じられます。

 

旅人馬(日本の昔話3/ももたろう/おざわとしお・再話/福音館書店/1995年)

 「奥備中の昔話」(稲田浩二・立石憲利/三弥井書店/1973年)からの再話ですが、絵本の「ふしぎなやどや」と、ほぼおなじ構成になっています。

 馬を商う人々が泊まる馬宿にとまった博労が、馬を買いに来たものばかりで、馬を売りにきたものがいないことに疑問を持った博労が、寝たふりをして様子をうかがっていると、ばあさんがきれいな色の大きな箱をあけます。すると箱の中から人形ぐらいの大きさの人間があらわれ、いっせいに土間をほりかえします。土間を畑にし、種をうえ、刈り入れ、臼で粉に仕上げると、小さな人間たちは、また土間の隅の箱の中にはいります。

 おばあさんが粉で作ったのは団子でした。翌日の朝ごはんにでてきた団子を食べると客たちはみんな馬になってしまいます。

 便所に行くふりをして難を逃れた博労は、すぐに宿を抜け出し町に行くと、持ってきた団子を入れたまんじゅうを二つつくらせ、それとそっくりのまんじゅうをもって、あの馬宿にもどります。

 ばあさんは、宿泊客がみんな馬になったとおもい、博労を疑うことはありませんでした。

 博労は、おばあさんの前で、まんじゅうを食べてみせ、団子が入ったまんじゅうをすすめます。するとおばあさんは、あっというまに馬になってしまいます。この馬は口がきけました。団子二つ食べると口がきけなくなり、ひとつだと口がきけるのです。

 「わるいことをしないから、ゆるしておくれ」というばあさんの馬から、馬を人間にもどす方法をきいた博労は、まず宿屋にいた馬を人間にもどしてやりました。

 おまえは、これまでたくさんの人を馬にして売りとばしてきたにちがいないと、博労は、ばあさん馬と国中をまわり、馬にされた人間をもとにもどしてやります。


姿が消える昔話

2019年04月30日 | 昔話(日本・外国)

 空想が実現できたらと思う一つが、もし姿がみえなったらということ。
 「ハリーポッター」では、マントで姿が見えなくなります。

・日本の「天狗の隠れ蓑」は、天狗から蓑をだましとって、いたずらをしたり、料理を食べたりとやりたい放題。

・ぼうしをかぶると姿がみえなくなるのが「小人のぼうし」(黒いお姫さま/ドイツの昔話/上田真而子・訳/福音館書店/2015年)。

 ぼうしは小人のおじいさんのぼうし。ぼうしをかぶった羊飼いが、村の結婚式に出かけ、小人と一緒にワインを飲んだり、肉屋おかゆをたべたり、ほしいだけ飲み食い。

 こんな便利なぼうしをかえそうとしない羊飼。それはそうでしょうね。

 小人は、花よめと花むこのまえの、おかゆがはいった大きな鉢にかがみこむと、おかゆの鉢が見えなくなるとたきつけ、羊飼いがかがみこんだとたん、頭から、ぼうしをとって、逃げ出します。
 姿をあらわした羊飼いは、ふくろだたきに。

 飲み物や料理が見えなくなるわけではないので、空に浮くさまは、どうクリアしたのでしょう。

 姿が見えなくなったら、泥棒にも利用できそうですが・・・。


海の水がしょっぱいわけ

2019年01月13日 | 昔話(日本・外国)

 海がどうして、しおからいのかにこたえる昔話。
 海にかこまれた国では、どこでも同じような話があってもおかしくはない。

 日本では3千年ほどの壺に、海の水からつくった塩の痕跡があるというから、この手の話はずいぶんふるくからあってもおかしくなさそうです。


塩ふきうす(沖縄昔話の世界/石川きよ子・編/沖縄文化社/1961年初版)

 ある大みそかの日、泊めてくれといった白いひげのおじいさんからもらったのは、石うす。
 右に回すとほしいものがなんでもでてきます。
 不作で苦しんでいた村人に、この石うすからお米をだしてくばってあげます。
 昔話らしく、兄弟が出てきて、石うすをもらったのは、弟の方。
 兄は欲張りというパターン。
 石うすを盗み出した兄が、金をだそうとすると、でてきたのは塩。いくらやっきになってもでてくるのは塩だけ。兄は船で沖合に出ていたのですが、首まで塩に使って、船もろとも沈んでしまいます。

 海の水が塩からいのは、いまでも石うすが回り続けているから。

 このタイプの昔話では、とめる言葉も出てくるのが普通ですが、この沖縄の話では、石うすをとめる言葉が出てこないのが特徴でしょうか。


海と魔法のコーヒーミル(雪の色が白いのは・グリムにはないドイツのむかし話/シャハト・ベルント・編 古幸子・訳/三修社/2006年初版)

  おばあさんから小さいコーヒーミルをもらって見習い水夫になった少年。
  これは、まじないの文句をかけると、なんでもだしてくれる魔法のコーヒーミルでした。金貨はもちろん、食べ物まで。
  不思議に思った、はら黒船長が、まじないの文句を聞くと、ごようずみとばかり少年を海に突き落としてしまいます。
  しかしやめさせる文句を聞かなかった船長。
  塩をださせますが、とめる文句を知らなかったため、船に塩があふれて、やがて船は沈みはじめます。
  海の底に沈んだコーヒーミルが塩を出し続けるため、海の水がしょっぱいというという話。

  あまりに深いところにコーヒーミルがあるため、ただしい文句をいっても聞こえないでしょうというオチになっています。


まほうの石うす(ノルウエー)(世界のなぞなぞ話/塩谷太郎・解説/偕成社/1971年初版)

 なんでもさずけてくれるという魔法の石うす。深い海にしずんだ石うすが、塩を出し続けるので、海の水が塩辛いというもの。
 おまけがあって、石うすがしずんだところには大きな塩の渦があって、どんな船でも飲み込むというメイルストリームは、そのときできたものという。

 この話は王さまのほか、二人の力持ちの大女がでてくる。この大女が石うすをまわすと、”金”や”眠り”がでてくるなど一味ちがう話である。


粉ひきうすと海の水(世界むかし話8 イギリス おやゆびトム/三宅 忠明・訳/ほるぷ出版/1979年初版)

 まさに昔話で、三人兄弟がでてきて、上の二人は裕福。末っ子は食うや食わずの生活。末っ子が、白髪の長いひげの老人の助言で手に入れた粉ひきうす。
 この粉ひきうすは、なんでもほしいものをだしてくれる魔法のうす。一番上の兄が持って行きますが、止める言葉を知らないため、ビールの海におぼれてしまいます。二番目の兄が、塩で商売しようと塩を出します。


海の水はなぜからい?(ノルウエー)(太陽の東 月の西/アスビョルセン・編 佐藤俊彦・訳/岩波少年文庫/1958年初版)

 兄が裕福で、弟が貧乏。
 ここでも、ほしいものはなんでもひきだしてくれるのは、ひきうす。
 ひきうすのあるところは地獄。
 クリスマスを祝うための少しばかりの食べ物をわけてもらおうと、弟が兄のところにいって、ベーコンのかたまりをもらうが、兄は地獄にいけと言う。その言葉通り地獄にいった弟。
 途中あったお爺さんの助言で、ベーコンを悪魔にやるかわりに、ひきうすを手に入れます。

 このひきうすを手に入れた兄が、止める言葉を知らなかったために、ニシンとおかゆがどんどん流れて、村中がのまれそうになるところがあります。


海の底で塩をひく臼(デンマーク)(世界の水の民話/日本民話の会 外国民話研究会:編・訳/三弥井書店/2018年初版)

 ノルウエー版とおなじようですが、貧しい男と金持ちの男がでてきます。貧しい男が金持ちのところへ出かけ、クリスマス・イブに食べるベーコンを分けてくれないかと頼みます。あまりにしっつこく頼むので、金持ちは一片のベーコンを投げつけて「これをもって地獄へ行つちまえ!」とさけびます。

 貧乏な男が、木こりにおしえられ、地獄にたどりつきます。地獄の者どもは、ベーコンをみると狂喜し、かわりに、望むものはなんでもひきだす臼をくれます。

 臼は金持ちに買い取られ、粥をだしますが、臼を止められず、臼はまた貧乏な男へ。といっても、もう貧乏ではなく金持ちになっていますが・・・。
 その臼は、船乗りに買われ、塩をだしますが、ここでも止め方がわからなかったので、海の底で塩をひきつづけています。

 ノルウエーとデンマーク版は、兄弟、金持ちと貧乏な男とちがいますが、地獄から臼を手に入れるのは共通しています。


「ネズミの嫁入り」に類似する昔話

2018年07月21日 | 昔話(日本・外国)

 絵本も30種類以上のものがあり、世界中にも分布しています。

 ねずみの夫婦がむすめに世界一のむこをさがすことになり、お日さまに頼むが、お日さまは、雲のほうがえらいといい、雲は風がつよいといい、風は蔵の壁が世界一えらいという。蔵はねずみがえらいといい、結局ねずみ同士が結婚することになるというおなじみの話。

・子どもに語る中国の昔話/松瀬七織訳 湯沢朱実再話/こぐま社/2009年初版

「ネズミ美人」(けものたちのないしょ話・中国民話選/君島久子訳編/岩波少年文庫/2001年初版)の中に、カザフ族の話が入っています。


・ウズベクの「ねずみ娘」(シルクロードの民話3 ウズベク/池田香代子訳 小澤俊夫編/ぎょうせい/1990年初版)も同じ話型。ストーリーはほぼ同様であるが、ねずみが女の子に変身したので、最後にねずみと結婚することになっても、ねずみの巣に入れず、母親が神様に頼んでねずみの巣穴に入れるようもとのねずみになるという結末が楽しい。

・「ミャンマー」では「ねずみの婚約者」(ビルマのむかしばなし/中村祐子ほか訳/新読書社/1999年初版)

 太陽、雲、風のつぎにくるのは山、そのあとに水牛がでてきます。

・ギリシャでは「ネズミのむすめご」(世界むかし話3 南欧 ネコのしっぽ/村 則子・訳/ほるぷ出版/1979年初版)               

・古代インダス文明発祥の地パンジャブの「行者とねずみ」(世界の民話19 パンジャブ/小澤俊夫・編 関楠生・訳/ぎょうせい/999年新装版)もねずみの嫁入りの話であるが、でだしがカラスからのがれたねずみが、行者にたすけられ、いったん人間の子どもにかわり、女の子が大きくなると、行者がその子を見つけたときの様子を語って聞かせ、夫を探しなさいというもの。

猫はやっぱり猫(ベトナムの昔話/加茂徳治・深見久美子・編訳/文芸社/2003年初版)

 「ネズミの嫁入り」のベトナム版ですが、猫の名前です。

 一匹の猫を飼っている人が猫に天という名前をつけていました。
 ある日友人が天は雲にかくされてしまうのではといわれて、そうしたら雲と呼んだほうがいいかと思いますが、友人が今度は風は雲を追い払うといいだします。
 猫を風と呼ぼうとすると、城壁は風にびくともしない、城壁は、ネズミに穴をあけられてしまう、猫はネズミを捕まえることができるといわれて、猫の飼い主は結局、猫と呼ぶことになります。

 あちこちめぐって、もとのさやにおさまります。ほかのものがよく見えることがあるのですが、そうでなくあしもとをよくみてみなさいという話です。


石工の高のぞみ(ものぐさ成功記 タイの民話/森幹雄・編訳/筑摩書房/1980年初版)

 額に汗して働く石工。
 とある金持ちの家によばれ、身の不運をなげくと神様が金持ちにしてくれる。
 金持ちもお役人には平身低頭。

 なるなら役人がいいというと今度は役人に。あたりかまわずいばりちらしてまわる。
 ところがにぎにぎしく村を練り歩いていると、太陽の直射日光にやられてしまう。
 頭がズキズキした男は、今度は太陽に。
 ところが太陽は黒雲におおわれてしまう。
 黒雲は風にとばされて、今度は風に。
 しかし、岩は風にもゆるぎもしない。
 岩になった石工は、やがて数人の石工に切り出されてしまう。
 最後は石工にもどる。


          
月の上の鍛冶屋(五分間で話せるお話/マーガレット・リード・マクドナルド 佐藤涼子・訳/編書房/2009年初版)

 ラオスの話には鍛冶屋がでてくるものがある。
 鍛冶屋が石になり、彫刻家、太陽、月と姿をかえるが最後にはもとの鍛冶屋に。      
 神様も人間のきりのない願い事をよくかなえてくれるのも、落ち着くところを見通しているのでしょう。

 タイ、ラオスの昔話は、ねずみではないが、話型が同じもの。

 

・中川李枝子さん作の「ねずみのおむこさん」(よみたいききたいむかしばなし2のまき/中川李枝子 文 山脇由利子 絵/のら書店/2008年初版)も楽しいお話。

 

・ネズミのよめ(佐賀のむかし話/佐賀県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1977年)

 お日さまは、「暑すぎていっしょにいられないだろう」と言い、お月さまのところへいくのは、「静かで、いつもりっぱに光っている」というもの。ほかの話では、こうした理由がでてこない。


 「ねずみの嫁入り」をたどると古代インドの寓話集パンチャタントラ(1~6世紀)に同様の話があるといいます。
 「シンデレラ」の内容も9世紀の唐の文献にみえ、ヨーロッパの古い記録が17世紀ということからすると800年前に原型があったということになる。

 こうした内容は現時点存在する文献で確認されていうことだけで、記録に残されなかったことも考えるともっとさかのぼることができそう。古代エジプトは紀元前何千年もの歴史があることから、昔話の源があっても不思議な話ではない。

 昔話がどのような道を通って広まっていったかに思いをはせることも楽しい。宗教の広がりと同時に、また大陸や海を行き来した商人がもたらしたことも。そしてローマ帝国、モンゴル帝国、そして中国の歴代王朝などの超大国が伝播を可能にしたこともありそうである。