どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

今年の桜

2024年03月31日 | 日記

東京では30日開花宣言。

当地の30日の桜。今日は夏日で開花が進んだよう。

今年は入学式に桜満開かな?

        

ソメイヨシノ               陽光桜


ゆめをしんじた大工の長者・・山形

2024年03月31日 | 昔話(北海道・東北)

        山形のむかし話/山形とんと昔の会・山形県国語教育研究会共編/日本標準/1978年

 若い貧乏な大工が、腕を磨くため出稼ぎにいって、大きな川のそばの村に着いた。その村は川をこえて向こうに行こうにも橋もなく、流れがはやくて渡し船も難儀していた。

 なんとかしてこの川に橋をかけたいとおもった大工の夢に、神さまが現れ、船橋を作ればいいもんだと教えてくれる。大工は村の庄屋へいって、橋を架ける仕事をさせてくれるよう頼みこみ、船づくりの大工をあつめてたちまち百艘ほどの船をつくった。ところがあと一艘、川の真ん中に浮かべるおおきな船を作る木がなく、はたとこまった。

 お宮さまにとまりにいった大工が、神さまにお願いすると、親船の木なら、このお宮のクスノキを切って作れ、人のためなら、喜んで切られるべ、という。つぎの日、さっそく村いちばんの大クスノキを切り倒して、親船をつくった。

 よろこんだ村の人たちが、少しずつお金を集めて、大工にお礼にさしだしたが、大工は、「仕事させてもらったばかりでもありがたい。人の役に立ってえがった」といって、お金はもらわずまた旅に出かけることにした。その日、最後だと思ってお宮さまにとまっておれいをのべた。するとまた、神さまがあらわれて、「あのクスノキで作った親船の上に、これから三日、日の出に立っていると、きっといいこと聞くから」と言って、姿を消した。

 若者は、神さまの言うことを信じていたから、つぎの朝、さっそく親船の上にいってみた。三日目に、馬をひいた人から、「朝早くから、なにして立っているなや」と声をかけられたから、「ここに三朝立っているといいこときくからって、神さまの夢見たから」と返事した。

 声をかけた人は、「夢信じるなどばからしい。おらもゆうべ、親船をつくったクスノキの根っこを掘り返すと、金銀の宝物がでてくる夢を見たが、おら本当のこととおもわねえもの」と、せせらわらいしながら馬をひっぱって、さっさと行ってしまった。

 これが神さまのお告げだべと、若者がクスノキの根っこをほってみると、馬をひいた人の言うように、目の覚めるみたいな金銀ぴかぴかつまっている壺がでてきた。

 村の人たちは、「これは正直な大工さんへ、神さまの贈り物だべ」って、おおよろこびしてくれた。そこから大工の若者は、山の村へ帰って、困っている人へお金をくれたりして、金持ち大工の長者さまよばれるようになった。

 善良な人しかでてこない ほっこりする結末。


小さなみやげ話・・島崎藤村

2024年03月30日 | 創作(日本)

          赤い鳥代表作集1/小峰書店/1998年

 1919年「赤い鳥」掲載。

 「太郎もおいで。次郎もおいで。お末もおいで」父さんが、遠い外国で聞いたきたみやげ話をしましょうと、三つのごく短い話。国語教科書でしかなじみがなかったが、島崎藤村が、こんな話を書いていたというのもあたらしい発見でした。

・うさぎとはりねずみ

 うさぎとはりねずみが競争しようということになりました。はりねずみは、メスとオスが、出発地点と到着地点にかくれて、うさぎが勝ったと思った瞬間、顔を出し、先についたといいました。もういちど、もういちどと、なんと七十四へんもやり直し。はりねずみは、力がつきたうさぎを、自分のたちの巣にはこんでいき、いいごちそうにありつきました。

・いちご

 伯母さんは、庭にいちごがつくっていましたが、娘に、いちごに さわらにようにいっていました。ところが我慢できなくなった娘が、いちごを摘んで、四つ五つばかり食べました。

 伯母さんから、いちごに さわっていないだろうねと聞かれた娘は、首をふってみせました。ところが、伯母さんから息をしてごらんといわれ、いちごの香氣で、いちごを食べたことがわかり、娘ははずかしい思いをしながら、じぶんの過失を白状しました。

・盲目のすずめ

 あるところの奥さんが、ロンドンのラスキン公園で、編み物をしたり、本を読んだりして、ときをおくるのを楽しみにしていました。この公園には小鳥もたくさんきていて、パンのきれだのおかしだのをもっていって、いつのまにか小鳥仲間のいいともだちになっていました。

 小鳥のなかに、毎日のようにやってくるすずめがいましたが、なげてやったパンを食べようとしませんでした。ときどきそのすずめがみじかくなくと、ちょうど巣にでもいるように他のすずめが、パンのきれを拾って食べさせてやりました。よくみるとそのすずめは盲目で、おかあさんらしいすずめや、他のすずめ仲間が巣にいるとおなじようについていて、その盲目のすずめをいたわっていたのだそうです。

 奥さんは深く心に感じて、よけいにその小さな鳥の群れをかわいがるようになったそうです。


アラジンとまほうのランプ・・紙芝居

2024年03月29日 | 紙芝居(昔話)

   アラジンとまほうのランプ/脚本・若山甲介 画・中村景児/童心社/1999年(16画面)

 

 紙芝居はながくても16画面程度。もちろん原作が大分省略されているが、コンパクトにまとめられていて物語の雰囲気を味わうのには最適。

 アラジンが古ぼけたランプを手に入れるところから、かがやくばかりの宮殿を手にいれ、お姫さまと結婚。ところがランプを魔法使いにとりあげられ、元の木阿弥。七年と七か月旅をし、ケガしたロック鳥を助けたことから、ランプを取り戻し、お金持ちでも幸せに限らないと気づくところまで16画面。

 ある日、ひとりの男から声をかけられ、町のはずれの穴の中にはいっていったアラジンが見つけたのは男が探しているランプ。ランプをすぐにわたそうとしないアラジンは、大きな岩で入り口をふさがれてしまいます。ところがきたないランプのほこりを ふこうと こすると、煙とともに見上げるほどの魔人があらわれ、なんでも望みをかなえてさしあげますという。とりあえず腹ごしらえし、宮殿が出来上がると、王さまのお姫さまと結婚。

 そんなある日、古いランプを交換するというランプ売りがやってきて、何も知らないお姫さまが、アラジンのランプをとりかえてしまいます。ランプを手に入れた男は魔法使いで、お姫さまと城を、砂漠のかなたの魔法使いの国へ運びます。

 すべてを失ったアラジンが、七年と七か月旅をし、やってきたのはコーカサスの山。怪我したロック鳥の足を、ターバンで包帯代わりに結んであげると、ロック鳥は、お姫さまと、魔法使いを退治する方法も教えてくれました。

 やがて・・・。

 

 穴の中のランプをアラジンに託して手に入れようとするなど魔法使いらしくないところなどツッコミたくなるところも沢山ありますが、こすると魔人があらわれたり、空飛ぶジュータンが出てくるなど、わくわくするアラビアンナイトの世界です。


ヴィンセントさんの しごと

2024年03月28日 | 絵本(日本)

   ヴィンセントさんの しごと/乾栄里子・文 西村敏雄・絵/福音館書店/2024年(初出2019年)

 

 こどものとも2019年10月号特製版。

 ヴィンセントさんのルーチーンは、毎朝7時におきて、夜9時にベッドにはいること。
 朝ごはんは、ゆで卵、トースト、フルーツ、ミルク。夕食後はチョコレートケーキを食べながら、テレビのニュースを見ます。

 帽子をかぶりカバンを下げて「ヴィンセント事務所」にはいると、世界中の子どもたちが送ってきた手紙に目を通します。今日は、南の島の子トントの「雪が見たい、雪で遊びたい」という願いにこたえることにしました。

 そう、ヴィンセントさんの仕事は、世界中の子どもたちからの手紙を読み、それにこたえること。とてもむずかしい問題は、さきおくりすることあります。

 何かを調べ、たくさんの計算をして地図の上の線を引き、風向きをたしかめると、はしごを屋根にかけはじめました。その上に、もうひとつのはしごをたてて、しっかりしばると、つぎのはしごを また たてかけての繰り返し。つぎは大きな大きな扇風機を背中に背負うと、はしごを のぼりはじめました。

 雲より高いてっぺんにくると、お弁当のハムサンドを食べ、小鳥にも少し おすそわけ。これからが腕の見せ所。遠くの高い山で 雪雲が雪を降らせているのを見つけると、扇風機のスイッチを いれました。そして、山の上の雲を扇風機で南の島へ誘導すると・・・。

 

 夢を実現させるヴィンセントさんの素敵な仕事。チョビヘゲをはやした、ちょっととぼけた感じのヴィンセントさんです。
 南の島で雪が降ったという大騒ぎのテレビニュースを見ているヴィンセントさんは、たのしそう。
 一人暮らしでしょうか。


大木の秘密・・山形

2024年03月27日 | 昔話(北海道・東北)

        山形のむかし話/山形とんと昔の会・山形県国語教育研究会共編/日本標準/1978年

 

 中津川の山の上に大きなスギの木が生えていた。一晩たつと一尺、二尺のびして、くにじゅうのどこからも見えるほどになった。「大スギのために、酒田の海がみなかげになってしまって、魚がよりつかなくなった。このへんの漁師が困っているから、スギの木を切ってくれ」と、いわれた中津川の村の人が相談するがなんともならない。

 そこで、酒田と中津川から若いもんをだして、大スギの木にのこぎりを入れることにした。ところが毎日ズイコズイコとのこぎりでひいても、つぎの朝になると、みんなきのうののこぎりのあともみえないように、もとどおりになってしまった。切りはじめてから、ひと月ふた月たっても、スギの木はびくともしないで、のびてのびて、先の方は天まで届いてしまった。

 お盆が来る頃になったとき、たんぼのほとりに生えたミソハギが、村の一本松からうわさを耳にした。一本松がいうことには「毎日のこぎりを入れられているから、山じゅうの木という木が毎晩見舞いにいっているから、おらも今晩見舞いに行く」という。そこでミソハギも、一本松と見舞いにいくと、山じゅうの木はみんな集まって、今日の昼にでたのこぎりくずをひろってきては、大スギの切り口に、べたべたはりつけている。

 大スギは、ミソハギをぎょろりとみて「おめえはだれだ。このあたりでは見たことがねえが」というもんで、「一本松と見舞いにきた」というと、「ミシハギざあ、木の仲間でねえべな。草でねえが」と、さげすむようにいった。おこったミソハギは、すぐ村に帰ると、木切の若いもんに教えたそうだ。「夜になったら、山の木が見舞いにきて、のこぎりくずをひろって、みなべたべたはりつけるのよ。だから、その日ののこぎりくずは、その日のうちに燃やしてしまえば、あの大スギもたおれんべ」。

 それから村の衆は、その日ののこぎりくずをその日のうちに焼いてしまったから、さしもの大スギも、一週間めには、どうとたおれてしまった。それからは、村にも日がさし、酒田の海にも、また魚がよってくるようになった。

 ミソハギは多年草で、湿地や田の畔などに生えているという。

 一寸の虫にも五分の魂といったところか。


なら梨とり

2024年03月27日 | 昔話(日本)

 病気の母親のために、兄弟がなら梨をとりにでかけ、三人兄弟の末っ子が、なら梨を持ち帰るのに成功するのですが、でかけていく途中のリズムが楽しい話です。

なら梨とり(子どもに語る日本の昔話3/稲田和子 筒井悦子/こぐま社/1996年初版)

 病気の母親のため、三人兄弟がなら梨をとりにくという出だし。
 「いげっちゃガサガサ」「いぐなっちゃガサガサ」というフレーズが話の世界にひきこんでくれます。
 こぐま社版では、青笹、からす、ふくべが道をしめしてくれます。


山梨もぎ(かたれやまんば/藤田浩子)

 行く方向をしめしてくれるのが笹、鳥、滝で、ちんこいわらしが大きくなって、上の二人をのみこんでしまいます。

 三人兄弟が、病気の母親のために、山へ梨を取りに行きますが、次男の扱いは、長男と同様とそっけないものがあるなかで、藤田さんのものは次男についても丁寧にふれられています。しかし同様の繰り返しが続くので、さらっといきたい場合もあります。

 藤田さんのは、読んでいて楽しいのですが、福島弁なのでどうしたものか悩むところ。

 藤田さんは、子どもや大人など、そのときの相手によって、こまかいところにこだわらず、あなたの言葉で、あなたの思いで語ってみてくださいというのですが、いざとなると難しい。
 
なら梨とり(日本の昔話4 さるかにかっせん/おざわとしお・再話 赤羽末吉・画/福音館書店/1995年初版)

 この再話では、おばあさんではなく、おじいさんが道を示してくれます。
 羽をいためたすずめがでてきて、上の二人はすずめを見捨てますが、末っ子がこのすずめを助けたことから、このすずめに助けられます。青鬼、赤鬼が上の二人を呑み込んでしまうという展開。

・ほうらじ山の山ナシ(宮城のむかし話/「宮城のむかし話」刊行委員会編/日本標準/1978年)

 病気の母親が、ほうらじ山の山ナシを食べたいというので、一番上の太郎がほうらじ山にでかけます。

 茶屋のおどっつぁまに教えられて山ナシをとりにいきますが大きなオニに呑み込まれてしまいます。二番目の次郎も同じ運命に。

 三郎もオニに吞み込まれそうになりますが、三郎はオニに組みついて池のなかに投げ込んでしまいます。

 ほかの話では、ここで山ナシを母親のもとへとどけるのですが、ここからまだ話が続きます。

 オニを追いかけた三郎は、オニの屋根裏にあがって、オニが焼いたもちを竹でズックリさして食べてしまいます。さらに唐戸で寝たオニの鼻にお湯をそそぎ、お湯をつぐのをやめると、太郎、次郎がオニの鼻の穴からでてきます。そこで三人で家に帰ります。

 最後は「牛かたと山姥」風。

 行く方向を示してくれるのは、「帰れやささくさ、帰れやささくさ」「行けやささくさ、行けやささくさ」と、笹だけです。

 山への距離感も半端ではありません。これまでのなかでいちばん長い話です。

・ナラナシとり(山形のむかし話/山形とんと昔の会・山形国語教育研究会編/日本標準/1978年)

 ナシはざんざん山にあります。兄弟の行く道をしめしてくれるのが白い髭を生やした老人。牛がねていたり、フジつるがでてきます。牛のしっぽをふんで、おきたらいけばいいし、おきなければもどってくるようにアドバイスされます。さらに滝の音が、「いくな ざんざん いけざんざん」と聞こえてきます。

ならなしとり(女の子の昔話 日本につたわるとっておきのおはなし/中脇初枝・再話/偕成社/2012年初版)

 ちょっとかわっていて兄弟を姉妹に置き換えて?再話されています。

 確かに兄弟を姉妹に置き換えても違和感がないのですが、それでは姉妹が活躍する話を、兄弟におきかえてみても違和感がないのでしょうか。展開の仕方によっては、必ずしもそうはならないと思いますが、「ならなしとり」では気になりません。
 
 他の話で、兄弟、姉妹を置き換えたり、一人であっても女と男を置き換えてみたいと思いました。
 
 ご自身も語りを行いながら創作もされているという作者ですが、話を聞いてみたいものです。

  

     ならなしとり/峠 兵太・文 井上洋介・絵/佼成出版社/1993年初版

 「ならなし」のある場所をしめしてくれるのは、まっしろい髪のばあさま。
 太郎、次郎を吞み込むのは沼の魔物。
 道を示してくれるのは、笹、からすが巣をかけている木、ひょうたん。

 次郎は、あっというまに 吞み込まれます。そして魔物のなかから太郎と次郎がでてきます。

 兄弟のきりりとした顔が力強く描かれています。

 「ならなし」は奈良の都の梨を意味すると、西本鶏介さんの解説にありました。  


みつごちゃんと びっくりセーター

2024年03月26日 | 絵本(日本)

   みつごちゃんと びっくりセーター/角野栄子・文 西巻かな・絵/童心社/2024年

 

 三歳の三つ子ちゃん。名前は、アーちゃん、レーちゃん、マーちゃん。あわせると 「あー」「れー」「まー」

 ママのスカーフ、パパのネクタイなどを利用してあそんでいて、みつけたのは、ビックリママのセーター。(どんなママかと思っていると、最後のページにちょこっと 出てきます)

 三人いっしょに もぐりっこすると セーターは どんどん のびて びっくりセーターに。

 三人はセーターの中に入って ぽいぽい散歩。あひるさんも 散歩のおじさんも びっくり。公園で いもむし、トランポリン お花をつけて ファッションショー

 髭のサボテンおじさんに貸したら ビリビリ トゲトゲ

 みつごの おばけちゃんに トゲトゲをとってもらい ビリビリを つくろってもらって 

空を飛んで ようやく おうちに かえってきました。

 

 花、木、山、チョウなど西巻さんのほのぼのする絵です。おばけのみつごちゃんと、みつごちゃんが セーターをなおすシーンも 楽しい。

 「あー」「れー」「まー」の出番が思ったより 少ないでしょうか。


ニッキーとヴィエラ

2024年03月25日 | 絵本(社会)

    ニッキーとヴィエラ/ピーター・シス・作 福本友美子・訳/BL出版/2022年

 

 少し前「英国のシンドラー」という放送番組をみる機会がありました。ここにでてくるニッキーのことですが、タイミングが良すぎてびっくり。絵本の原著は2021年の出版で、番組の担当者にも影響を与えたのでしょうか。

 

 1938年12月スキーに行こうと思ってたニッキーのもとに、友だちから電話がかかります。 「プラハへきてくれ」

 この年の10月、ドイツ軍がチェコスロバキアのズデーテン地方にはいってきました。村の人はドイツ軍をおそれ、もてるだけの荷物をまとめて逃げ出しました。戦争がはじまりそうなので、ニッキーは、できるだけのことを何とかしなければと思ったのです。イギリスでは17歳以下の子どもたちを難民として受け入れていました。それには、引き取ってくれる家庭を見つけ、必要な手続きをすべてしなければなりません。ニッキーは子どもたちのリストを作り、顔写真を用意し、汽車の乗り継ぎを調べます

 翌年、イギリスに戻ったニッキーは、新聞に子供を引きとってくれる家庭をさがす広告をだします。そして必要な書類を用意し、汽車の切符を用意します。

 1939年3月、ドイツ軍がチェコスロバキア全土にせめこんできました。

 春と夏には8本の列車がプラハをあとにし、669人の子どもたちが、ロンドンにつきました。9月1日、ドイツ軍がポーランドにせめこみ、その日、プラハをあとにするはずだった250人の汽車は出発できませんでした。

 戦争が終わっても、ニッキーは、子どもたちのことは 50年間だれにも 一度も話しませんでした。ニッキーがすっかり年をとったころ、おくさんが古い書類をみつけました。そして、ニッキーはテレビ番組のゲストによばれました。そのとき、ニッキーと同席していたのは、助けられた子どもたちでした。

 

 ニッキー、本名ニコラス・ウィントンの両親はドイツ系のユダヤ人。絵本にはおいたち、戦後のことにもふれられています。
 もう一人の主人公、ヴィエラもイギリスへ脱出しますが、だれに助けられたのか知らなかったヴィエラが、テレビ番組でニッキーに対面するまでが、並行して進行します。

 戦争で犠牲になるのは弱いもの、子どもたち。今戦火にあるウクライナやガザの子どもたちの姿が重なります。


 ニッキーが沈黙していたのは、250人の子どもたちを間一髪救えなかったということでしょうか。

 ニッキーは、「私は英雄ではありません。本当の英雄たちのように、危険に立ちむかったわけではなく、やるべきことがあったから、やっただけです。」といいますが、いざというとき、やるべきことをやれるでしょうか。

 

 絵はあまり見られないタッチ。多数の戦車がならんでいたり、8本の列車が2ページに上下に描かれ、子どもたちが乗った列車が宇宙空間を走っているなど、心に残ります。


魔術・・芥川龍之介

2024年03月24日 | 創作(日本)

          赤い鳥代表作集1/小峰書店/1998年

 1920年「赤い鳥」掲載の作品。「杜子春」や「くもの糸」も「赤い鳥」掲載作品でした。

 男の人生の落とし穴といえば、ギャンブル、酒、薬、女?か。

 

 男が訪ねて行ったのが、ハッサン・カンからまなんだ魔術をつかうというマティラ・ミスラ君。いくつかのお魔術を見せてもらい、ミスラの家に泊まり込んで魔術を教えてもらうことになりました。教えてもらう前に「欲がのある人間には、使えない」と、念をおされていました。

 それからひと月ほどたって、男が銀座のクラブの一室で、五、六人の友人と雑談にふけっていました。友人の一人がすいさしの葉巻をだんろのなかにほうりこんで、近頃魔術を使うと評判の男に、みんなのまえで使って見せてくれないかともちかけます。

 「いいとも」男は両手のカフスをまくりあげて、だんろのなかで燃えさかっている石炭をむぞうさに手のひらへすくいあげました。そして、その手のひらの石炭の火を、しばらく一同の前につきつけてから、今度はそれをいきおいよく寄せ木細工の床へまきちらすと、無数の金貨になって、床の上にこぼれとびました。

 友人が、ほんとうの金貨かとたしかめてみますが、たしかに本物です。石炭の火がすぐに金貨になるなら、一週間もたたないうちに、たいした金満家になってしまうだろうとほめそやしました。そしてもったいないからと、金貨をもとの石炭にもどそうとする男に反対しました。男は、「ぼくの魔術というのは、いったん欲心をおこしたら、にどとつかえないから」といいますが、友人は、カルタで勝負して、男が勝ったら自由にして、友人が勝ったら金貨のままわたすようにいいました。

 なんども押し問答をして、金貨を元手にカルタを闘わせますが、なんどやっても男が勝ち続け、しまいにはすべての財産をかけるからと、最後の勝負をはじめます。男が勝ち誇ったように、ひきあてた札を、相手の目の前にだしてみせました。するとそのカルタの王様が、冠をかぶった頭をもたげて、ひょいと札の外へからだをだすと、にやりと気味の悪い微笑をうかべます。

 ふと気がついてあたりをみまわすと、そこはミスラの家。一か月たったと思ったのは、ほんの二、三分のできごとでした。つまり、男には魔術の秘宝をならう資格のない人間だったのです。

 

 人間にとって欲をコントロールするのは至難のわざ。わかってはいても・・・。


ぼくは ふね

2024年03月23日 | 五味太郎

    ぼくは ふね/五味太郎/福音館書店/2024年

 

 ちいさな船が けっこうきまま かなりきらくに 海を進んでいくと、じゃま! どけ!と 大きな船。

 どこからきたの・・ どこへゆくの・・なにしているの・・むずかしいな・・

 嵐?

 ヘリコプターに助けられ とりあえず ありがとう おせわさま といったら どうやらすてられたようだ  地面の上。

 「あのね きみ みずにうかんですすむことにこだわりすぎているんだよ」といわれ 地面をすすむと すすむすすむ!

 やまにも のぼれる! はたけも いける! どこでも すすめる! どこへでも ゆける!

 くらいところもゆける! もっととおくにも ゆけそうだな!

 ぼくは ぼく ぼくは ふね。 あれこれいわれながらも ぼくは ぼく。自由に生きろ とでも いっているよう。

 

 船は 水の上をすすむものという固定観念を 打ち破ってみれば?

 五味流でいえば、作家は 家を作っても作家?・・

 子どもは学校にいくのが当たり前と思っているのが そうでもなくなるのか?


たのしいイソップ かえるのはなし二つ

2024年03月22日 | 紙芝居

  たのしいイソップ かえるのはなし二つ/脚本・堀尾青史 画・二俣英五郎/童心社/1975年

 

 二本立ての紙芝居。「ぱんくがえる」と「ぺちゃんこがえる」で、各々6画面。

<ぱんくがえる>

 こがえるが、池のそばで見た大きな牛にびっくり。おとうさんがえるにはなすと、池で一番大きいと自慢しているおとうさんが沽券にかかわると、おなかをふくらませました。もっと大きいと言われ、もっと おなかをふくらませると おなかの皮が つっぱって いたいこと いたいこと。こがえるから もっとおおきかったといわれ、おなかは風船玉のように ふくれ ごろんところがってしまいます。それでも もっと大きかったといわれ、おとうさんがえるが りきむと、おとうさんがえるの おなかは とうとう ぱんく してしまいました。

 われわれも 「井の中の蛙大海を知らず」になってはいないでしょうか。

<ぺちゃんこがえる>

 道路は広くて、いくらとんでも平気と、あおがえるが ピョーン。

 もっと とぶぞ。

 池の中では 飛べないし、池のまわりは 草だらけ。道で遊ぶのが いちばんいいや!

 ところが ブツブツブー 車がやってきて あおがえるは ぺちゃんこ。

 安全そうに見えても、危険もあります。 「油断大敵火がぼうぼう」です。


しろいやさしい ぞうのはなし

2024年03月21日 | 絵本(日本)

   しろいやさしい ぞうのはなし/かこさとし/復刊ドットコム/2016年(初出1985年)

 
 1985年紙芝居「ぞうのむらのそんちょうさん」と絵本をもとに復刊された絵本。インドの実話といいます。

 やさしくておとなしい、しろいぞう。しろいぞうは、弱虫で 負けるとべそをかきました。かくれんぼや 棒倒しで転んだり、したになると すぐに泣きました。
 そんなしろいぞうが、ある日、へんなにおいがする、きっと火事だと、森のみんなに危険を知らせます。まもなく、あたりに煙が流れてきて、パチパチ 音を立てて 火事が広がってきました。森のみんなが逃げる中、走るのが遅く逃げ遅れたしろいぞう。まわりは 燃える火と ゆらめく炎で、真っ赤になりました。お母さんぞうは、水を吸い込み、しろいぞうのまわりに鼻で水をまきますが、三度目に 水を汲みに行ってかえったとき、さすがの お母さんぞうの足も、すっかり やけどをして歩けなくなりました。

 お母さんぞうは、ものすごいいきおいで、しろいぞうのまわりをほって、穴を作ると しろいぞうをいれ、おかあさんぞうは そのしろいぞうのうえへ 自分のからだを かぶせるようにのせました。

 やがて火事が消え、助かったぞうたちが見つけたのは、くろくやけたお母さんぞうでした。お母さんぞうも しろいぞうも 死んでしまったとおもって みんなは泣きましたが・・・。

 

 しろいぞうは助かり、鋭い嗅覚で、ぞうがりや、ひでりのときに水や食べ物を探した しろいぞうは、やがて ぞうのむらの村長に選ばれます。

 しろいぞうをたすけるお母さんの愛に、ジーンときます。


 子どもたちに語りかける村長の言葉がすべてを物語っています。
 「ぞうには、はなのほそいのや、ふとったのや、よわいものや、しわしわ 年とった者もいる。いろんなのがいるのが、ぞうなんだよ。このしろいこは、力が弱くて、走るのがおそくても、りっぱなぞうのこどもだし、なかまなんだよ」

 ぞうを そのまま人間におきかえることができます。多様性を認め、個性を尊重することの大切さが 伝わってきました。


一郎次、二郎次、三郎次・・菊池寛

2024年03月20日 | 創作(日本)

        赤い鳥代表作集1/小峰書店/1998年

 1919年「赤い鳥」掲載の作品。「赤い鳥」は、鈴木三重吉が創刊した童話と童謡の児童雑誌。1918年に発行され1936年廃刊。寄稿者には、芥川龍之介、谷崎潤一郎、泉鏡花、高浜虚子らの名前もみられる。

 

 両親に別れた三人の兄弟が、都を目指します。大きい銀杏の木のところから、道が三本に別れ、一郎次は右の道、二郎次は真ん中、三郎次は右の道を進むことになります。ここまでくれば昔話風の展開。

 右の道をすすんだ一郎次は左大臣藤原道世につかえ、盗賊や悪者をとらえる検非違使になります。

 真ん中の道をすすんだ二郎次は、殿様に仕えるつもりが泥棒になり、頭が殺された後は、仲間の大将になって、多能丸となのり、家を荒らしまわります。

 左の道を進んだ三郎次は、鬼と呼ばれた余命まもない加茂の長者にこわれ、一人娘のむこにおさまり、財産の半分を都中の貧乏人にわけ、仏の長者と言われるようになります。

 わかれるとき、「兄弟がめいめい都で出世すれば、かならずどこかであえるにちがいない。」と、語り合った三人兄弟。その再会は?

 

 加茂の長者から、金ばかりか娘の花子までさらわれたという訴えで、検非違使左衛門尉の家来が生け捕りにしたのは多能丸。

 一郎次の左衛門尉が、花子を受け取りにきた加茂の長者をよく見ると、それはまぎれもなく弟の三郎次で、二人が両方からだきつくようにしてオイオイ泣くと、盗賊の多能丸も泣いていました。それは一郎次には弟、三郎次には兄にあたる二郎次にちがいありませんでした。

 

 一郎次がどうして、藤原道世の家来になったのか、二郎次が盗賊になった経緯、三郎次が長者になった経緯が、だいぶ長いのですが、結末は、再会の場面でおわり、三人兄弟の驚きよろこび悲しみは、みなさん自分で考えてみてくださいと結んでいます。


なんて いいひ

2024年03月19日 | 絵本(外国)

   なんて いいひ/文・リチャード・ジャクソン 絵・スージー・リー 訳・東直子/小学館/2024年

 

 外は雨。そんななかでも 子どもたちは、部屋の中で くるくるまわり おどり、ゆらゆら おどり 傘をもって外へ。

 傘をさしながら 水たまりを はねあげ スキップして うたをうたって くちぶえを ふいて・・。なんて いいひ・・。

 やがて雨がやむと、草原をすべり、木登りして、おやつを食べ・・。

 

 白黒から、色がだんだんつき 空の青、木や草の緑が 広がります。

 

 色調からだいぶ前の絵本と思ったら、原著は2017年の発行。

 カラフルな傘を見上げ、ぶら下がって 空を散歩する 子どもたちの笑顔。

 生きることの躍動感を しめしたかったのでしょうか。