どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

王さまと炭やき・・フランス

2014年05月31日 | 昔話(ヨーロッパ)

        王さまと炭やき/世界の美しい話/大石 真編/偕成社/1971年初版


 小学生向きシリーズのフランスの話です。

 “しらみ”を育てて、その皮の正体を当てさせる話は、ヨーロッパの民話に使われている(解説から)とありますが、これまで読んだ中ではしらみがでてくる話にふれたことがありません。

 王さまが、おひめさまの髪のなかにいた、“しらみ”を大事に飼わせ、かぼちゃほどの大きさ!になるとそのカワでマフをこしらえさせ、この正体を当てた者を婿にするという出だし。

 おおぜいの人が、マフの皮の正体を当てようとするが、だれもあてることができません。

 このおひめさまは、貧乏貴族の男といいなかだったが、王さまとそりがあわないでいます。
そこに炭焼きにばけた貧乏貴族がやってきます。

 しらみがかぼちゃほどの大きさになり、さらにそのカワでマフを作るという展開ですが、はじめて読むとびっくりします。

 どんなところでもあっというまに目的地に着いたり、天までのぼっていくというのは、何度も読んだりしているので、驚かないが、“しらみ”がとてつもなく大きくなるとは・・・・・。


ふしぎなえ

2014年05月29日 | 絵本(日本)
ふしぎなえ  

     ふしぎなえ/安野光雅・絵/福音館書店/1971年初版
 

 まさにふしぎな絵本です。


 文はなく、どのページからでもはいっていけます。

 出てくる人は、トランプより小さく、本のプールで泳いでいますから、こびとでしょう。

 このこびとたち、家の天井を歩いていたり、煙突を、横にブランコしています。

 上から俯瞰している絵かと思うと、横に人がいたり、見通しがよいと思うと、かくれた自動車がでてきたりなどなど。

 水道の水が川となってながれ、町を一巡すると、また水道水になるなど、不思議な光景の連続。

 どんな会話で絵本が読まれるか、興味があります。                        


天国と地獄

2014年05月27日 | 創作(外国)

     天国と地獄/ふしぎなオルガン/リヒャルト・レアンダー作 国松孝二訳/岩波少年文庫/1952年初版、2010年新装第一刷


 映画にでてくるような題名ですが、創作です。

 天国にいった金持ち。なんでも望みをかなえてあげるといわれて、美しくて大きな金のご殿、くる日もくる日もとびきり上等のごちそう、うんと楽な安楽椅子に、緑色の絹のねまき、下界のようすを知るための新聞、そして穴蔵という穴蔵に数えきれないほどのお金。こののぞみは、すべてがかなえられます。

 ところが、一回、死んでいるので、二度と亡くなることはないという天国。 千年たっても同じ状態が続きます。

 天国ではお金の使い道がありません。
 新聞も知っている人間が誰もいなくなって、興味がなくなる。

 おまけに、ご殿のなかは、どこも明るいのに、外は真っ暗闇。墓地に行ったように、しんとしています。

 さらに千年たっても、この状態はかわりません。永久に続くといわれてがっくりする男に、ペテロがいうことには、お前さんは実は地獄にいるんだよ。今の地獄は、昔のように火は釜は、ないんだよと諭す。

 天国と思ったところが、実は地獄なんだよというストーリー。この話には、貧乏人もからみ、さらに千年後のことも。

 三千年があっという間にすぎるという童話ならではの話。

 60年以上前に最初の訳がでていますが、グリムのお国らしい話であり、大人も楽しめます。      


アトリの鐘・・イタリア

2014年05月24日 | 昔話(ヨーロッパ)

        アトリの鐘/世界の心をうつ話/塚原亮一編/偕成社/1974年初版


 いま、ふれている昔話は氷山の一角のようで、まだまだ知らないお話も多い。
 これも、派手さはないが、こころあたたまるイタリアの昔話。意味深なタイトルだが、アトリは、単に地名である。

<前半部分>
 ある日、王さまの命令で、アトリという町の広場の塔に大きな鐘がつるされます。この鐘には、長いつなが下がっていました。
 王さまがいうのには、「この鐘は、ただ時刻を知らせたり、音を聞くだけのものではない。お前たちのうちの誰でも、もし人にいじめられたり、つらいめにあわされたりしたら、ここへ来て鐘をならせばよい。鐘がなれば裁判官がすぐに来て、お前たちの言い分を聞いてくれる。そして何が正しいかを、決めてくれるであろう」
 このつなは、子どもでも利用できるように、長くしてありました。
 それから町では、その日から人につらいめにあわされた人や、争い事のある人は塔の下に来て、鐘をならすようになり、裁判官がやって来て、誰が正しいか、何が真実かを決めてくれるようになり、町のみんなは、楽しく毎日を過ごせるようになります。
 長い年月の間に大勢の人がつなを引っ張ったので、つなが切れて新しいつなが出来るまでブドウのつるがさげられます。

<後半部分>
 一人の金持ちの騎士が住んでいましたが、これまでウマにのって悪者をたくさんやっつけた、いさましく正しい人でした。でも年を取るにしたがって、だんだんと意地悪のけちん坊になってしまい、お金をためる方法はないかと考えた結果、ウマにエサをやるのをやめてしまいます。
 主人から見捨てられたウマは、石ころのあいだの草をたべながら、つらいおもいをしてアトリの町へたどりつきます。
 そして広場の塔の鐘の、つなのかわりにたれているブドウのつるの葉を食べ始めます。
 すると、たちまち、たかい塔の上の鐘が鳴りだします。町の人たちも裁判官も広場に飛んで来て、そのウマを見ました。「かわいそうに、こんなにやせている」「口の聞けない動物が、私たちの裁判をのぞんでいるのだ。」
 すぐに、飼い主だった金持ちが広場に呼ばれ、裁判がはじまります。

 裁判の判決は
 「このとしとったウマは、長い間、あなたために働き、なんども危ない目を救った。いま、おまえがたくさんの財産を蓄えることができたのも、このウマのおかげといっていい。おまえの財産の半分をさいて、このウマのために、十分なエサと走りまわる牧場と、あたたかい馬小屋をつくるように命令する。」

 ウマの途方にくれた状況に同情していると、最後はこんな風に終わる話。
 うーん、こうしたすっきりした判決がでると、世の中、うまくまわるはず。 


青いけむりの羊・・フランス

2014年05月22日 | 昔話(ヨーロッパ)

         青いけむりの羊/世界の心をうつ話/塚原亮一編/偕成社/1974年初版


 気が強くて、言うことなどちっとも聞かない羊を集めようと苦労していた一人暮らしのおじいさん。

 気の毒に思った妖精が、一本の棒をおじいさんにわたします。
 この棒をいぶすとけむりがでて、そのけむりでのぞむものを書くと、それがおじいさんのかわりに羊を呼び集めてくれるというもの。
 おじいさんは、若者、犬、オオカミを次々とけむりのなかからだしますが、羊を集めることがうまくできません。
 そこで今度は、年寄りの羊をだします。
 年よりの羊は、若者や犬、オオカミのように力はありません。
 この年寄り羊が羊を集めるためにとった方法は?

 けむりのなかから、いろいろなものがあらわれるというメルヒンチックな展開。

 力よりも大事なものがあるということ。
 
 妖精がでてきて、不思議な棒がでてきて、終わり方も“そうか”と思わせる、いかにも、昔話らしい話ではある。

 期待をもたせる題名にも惹かれます。           


ハナンのヒツジが生まれたよ

2014年05月21日 | 絵本(日本)
ハナンのヒツジが生まれたよ  

    ハナンのヒツジが生まれたよ/文・井上友香 絵・小林 豊/小学館/2011年初版

 

 ヨルダン、ベドウインの羊飼いの少女、ハナンが主人公で、作者が実際に会った家族の生活を描かれています。今から20年前のことのようなので、今もそんな生活をしているのかは、さだかではありませんが・・・。

 砂漠の遊牧民であるベドウインの人々は羊を育て、それを売って暮らしをたてていますが、夏になるとオアシスをもとめて移動します。

 朝ご飯は、ナツメヤシ、ヨーグルト、トマトやキュウリ。
 そしてジャムをぬった焼きたてのホブズ(アラビアのひらべったいパン)。
 かたくなったホブズをお湯にふかすとやわらかくなり、子ヒツジのすきな餌になるといいいます。

 かわいた畑にトマトがなっているのが印象にのこります。

 一か月、日の出から日の入りまで断食をするラマダーンのことは知っていましたが、イスラム暦の関係で毎年、すこしずつずれていくんですね。

 ジンという変幻自在な魔物もはじめて知ることができたもの。「コーラン」にも書かれていて、「アラジンと不思議なランプ」にも「ランプの精」や「指輪の精」として登場しますが、もとのすがたがなく、何にでも化けられるという存在。

 「世界は広い。いろいろな国がある。いろいろな暮らしがある。」という巻頭の文からはじまりますが、知っているようで知らない世界がまだまだ多いということでしょうか。

 小さい子にはむずかしそうです。                  


なないろのプレゼント

2014年05月20日 | 絵本(日本)
なないろのプレゼント  

    なないろのプレゼント/石津ちひろ・さく 松成真理子・え/教育画劇/2012年初版

 

寒い冬に読みたい絵本。

虹って見ていると何か希望が叶うような気がするのがとても不思議な感じ。

虹色のマフラーが、幸せをちょっとおすそわけします。

寒さにふるえている、もみのき、うえきやさん、おじぞうさん、ねこ、トリのところに次々にとんでいって、あたたかさをプレゼント。

絵もやさしい。派手さはありませんが、ほっとさせてくれます。

そして、ねこの鼻水が笑わせます。


魔法の指輪

2014年05月17日 | 創作(外国)

     ふしぎなオルガン/リヒャルト・レアンダー作 国松孝二 訳/岩波少年文庫/1952年初版


 何でも一つだけ望みがかなう指輪を手にした百姓。

 百姓は、おかみさんから畑をもうすこしほしいといわれるが、そんなことはお願いするにあたるもんかと一年間、一生懸命働くと、これまでにない収穫があって、望みの畑を買え、お金もいくらかのこることに。

 次に、おかみさんは牛と馬を指輪にお願いしたらどうかというと、百姓はそんなくだらんことで、せっかくのお願いことをふいにすることはないといって、一年間、真面目に働くと、牛と馬を買うお金がたっぷりとできます。

 おかみさんが、その気になれば、王さまでも、天子様でも、うち中の長持ちをお金でいっぱいにできるのにとなげくが、百姓は、「おれたち二人は、まだ若いんだし、一生は長いぞ。指輪は一つしかかなえてくれないんだから、うっかりお願いしたら、取り返しがつかない。よく分別して、これからも、しょっちゅう、何をお願いしたらいいか、よく考えることだ。」

 百姓は、その後もせっせと働き、納屋も倉もいっぱいになって大百姓になりますが、結局は指輪にお願いごとをすることなく亡くなります。

 この物語は、最初の場面で、魔法の指輪が盗まれてしまい、ただの指輪にすり替えられるのですが、どんな展開になるのかぐんぐん引き込んでおいて、最後はなにか余韻の残る終わり方です。

 さらに指輪を盗んだ金細工師が、お金をお願いすると、銀貨が次から次へとふりそそぎ、深い穴蔵の中に落ち込むが、それでも銀貨がふりそそぎ、金細工師は銀貨にうずもれて息が絶えてしまうという、皮肉たっぷりな場面もあります。

 しっとりと味がある話です。                


むしさんどこいくの?

2014年05月15日 | 絵本(自然)
むしさん どこいくの?  

    むしさんどこいくの?/得田之久・さく/童心社/2006年初版   

 

 昆虫好きの小さな子には楽しい絵本。

 てんとうむし、ちょうちょう、ばった、かぶとむし、ありとでてくる昆虫は少ないのですが、輪郭がきちんとえがかれています。特に目がいいです。

 文は短く、リズミカルです。

 てんとうむしは“トコトコどこいくの?”
 ちょうちょうは“ひらりひらり どこいくの?”
 ばったは“ぴょんぴょんぴょーん どこいくの?”
 かぶとむしは“どっしんどっしん どこいくの?”
 ありは“ちょこちょこ どこいくの?”

 都会では、かぶとむしやばったを見る機会も少なくなっているのが残念ですが、蝶やありはまだまだいくらでも見られます。こんなところから昆虫に興味をもってくれたら、作者のねらいもいきてくるような気がします。


どうぐ

2014年05月13日 | 絵本(日本)
どうぐ  

     どうぐ/加古里子 ぶん・え/瑞雲舎/2001年初版

 

 「まさかりどんが さあたいへん」で楽しかったので、加古さんの絵本をさがしてきました。作者への思い入れはあまりなく、目につくものを順番に目をとおしていますが、それにしても工学博士の方がこんな絵本をつくっているのに魅かれます。

 前者は作者名をひらがなで、この絵本は漢字で表していますが、この違いはなんなのでしょうか。

 家で、はかったり、きったり、たたいたり、まぜたり、ひっぱったり、まわしたりと分類して“どうぐ“の世界にはいっていきます。

 糸も道具というのにきずかされました。布を縫うという意味では、たしかに道具です。

 そのほか、細々したものがたくさんでてきて、こんなにも道具が多かったのかと、あらためて身の回りを眺めてみました。

 何万点ともいう自動車の部品が画面いっぱいに丁寧に描かれていて圧倒されます。

 “道具を考え、工夫して作ってきたのは人間で、その道具をつかって豊かな楽しい暮らしをするのが、私たち人間です。”と結ばれていますが、人間がつくりだすのも生活のためだったらいいのですが、時には恐ろしい道具をつくりだすのも人間ですね、・・・。                         


ふしぎなオルガン

2014年05月11日 | 創作(外国)

     ふしぎなオルガン/リヒャルト・レアンダー・作 国松孝二・訳/岩波少年文庫/1989年初版


 とてもじょうずにオルガンを作るひとりの若者。若者が作ったオルガンは、神様のおぼしめしにかなった花嫁、花婿が教会にはいってくると、ひとりでに鳴りだすオルガンでした。ところがこの若者が、村で一番信心深く、きれいな子と結婚式をあげるため、教会に行って見ると、このオルガンは音ひとつたてません。これはだれのせいでもない、花嫁のせいだと、思い上がった心で考えた若者は、結婚式の夜に家をとび出してしまいます。

 ひとりも自分をしらない、たずねる人のいない国で10年過ごしたオルガン作りは、ふるさとや、おきざりにした花嫁のことを思い出します。

 ふるさとの花嫁にゆるしをこうために旅をつづけたオルガン作りは、花嫁がいまでも、やさしく親切にしてくれるだろうか心配しながら、ふるさとに帰ります。そこであったのは長いお弔いの行列。オルガン作りが誰の行列かたずねると、それはオルガン作りの花嫁。

 花嫁は、やさしく親切だったため、みんなから慕われていたのです。

 オルガン作りは、棺のそばにつきそって歩きます。そして行列が教会にはいっていくと、オルガンがひとりでに素晴らしい音色で、鳴りはじめます。

 オルガン作りが棺のそばに身をもたせていると、オルガンの調べは、しだいしだいに高まって力強くなります。

 しかし、長旅で疲れ切っていたオルガン作りは、まぶたがふさがります。オルガンの最後の音の響きがやんだとき、オルガン作りは息をひきとります。

 みんなが、それが誰だかわかると、棺のふたをあけ、オルガン作りを花嫁のそばに一緒にねかしてやります。棺のふたをしめると、オルガンンはもういちどかすかに鳴りはじめ、それから鳴きやむと、もう二度とひとりでに鳴り響くことはありませんでした。

 140年前に、独仏戦争に従軍していた医者が、ふるさとの子どもに書き送ったという童話。作者は銃弾の飛び交う中で、まじかで人の生死を見続けたに違いありません。なにかこうしたことも影響しているようにも思えます。

 鳴りやんだオルガンの音色がいつまでも続いているかのように感じられます。

 このオルガンの響きは協会の大柱をゆるがすほど力づよい壮大な調べとあるので、パイプオルガンをイメージすると、よく伝わってきます
     

 話される人も多いというのは、勉強会で話してみたときに教えていただきました。初版が半世紀もまえのものなので当たり前と言えば当たり前でしょうか。ただ、こうした話も聞く機会がないと気がつかないので、あらためて、お話会にまめに足を運ぶ必要がありそう。

 先日、他の人が、この話をするのを聞けました。文章では理解できても、聞く側にたつと、理解しにくいところにも配慮されていて、ゆったりと聞くことができました。

 「キラキラ日にかがやいて」を「太陽の光にかがやいて」、「棺」を「柩」、「死体」を「なきがら」として話されていました。


テレジン収容所のちいさな画家たち詩人たち

2014年05月08日 | 画集・写真集


      テレジン収容所のちいさな画家たち詩人たち/野村路子:編・著/ルック/1997年初版


 小学生から中学生の年代の人たちが残して行った絵。この絵を残して行ったのはアウシュヴィッツへおくられた子どもたち。

 花の絵があります。子どもたちの生活する部分には野草すらなかったといいます。野草が芽をだすと、それを見つけた人が摘み取って食べてしまうからです。

 絵に、何年何月何日アウシュヴィッツへおくられたかの注釈があります。

 極限の状況に追い込まれた人のなかに、ありったけの紙と絵具とクレヨンを収容所の中にもちこんだフリードル・ディッカーがいます。
 芸術家の彼女は、・・こにままじゃいけない! たとえ短い限られた時間でも、子どもたちに生きているって素晴らしいものだと教えよう、希望を捨ててはいけないと語りかけよう、子どもらしい笑顔をとりもどさせよう・・と子どもたちの絵の教室をひらいたといいます。
 しかし、彼女も子どもたちも生き残ることは、ありませんでした。

 テレジンは旧チェコの首都プラハから60キロほどのところ。テレジンの町すべてが収容所で、6千人の人びとが住んでいた町に、9万人もが詰め込まれたとあります。

 プラハにあるチェコ国立博物館に保管されているという絵や詩。

 どこかの国では、戦争中に残された絵や詩などを大事に保管しているという話は聞かない。

 前の戦争で没した画学生の作品を展示している無言館(長野県)も個人的な努力で開館されたもの。

 無限の可能性をもった人々の命を奪い取ったことへの反省があまりにもなさすぎる、どこかの国。

 残されていたのは、子どもたちの絵が4000枚、詩が数十編・・・・。

 そして、生き残っていた子は、わずか100人でした。


よもぎだんご

2014年05月05日 | 絵本(日本)
よもぎだんご  

     よもぎだんご/さとう わきこ さく/福音館書店/1989年初版

 

 よもぎだんごとあるので、よもぎがでてきますが、なずな、よめな、いたどり、つくし、のびる、せりなども。
 つくしのはかまというのをはじめてしりました。

  ばばばあちゃんが、つくしをまわしながら、指先ではかまをとります。

 ころんだあとによもぎをもんで、くっつけてくすりのかわりに。

 おばあちゃん(もしかするとおばあちゃんのおばあちゃんかも)の知恵がいっぱい盛り込まれています。
 手際よく、よもぎだんごを作る様子もよくわかります。

作っただんごは、ばばばあちゃんの誕生日に、だんごづくりした子どもたちといっしょにいただきます。


 なつかしい光景がひろがっています。

 野の草を生活の中にうまく取り込んでいた少し昔。今は見向きもしなくなったものに、貴重な知恵も置き去りにしてしまっているのではないでしょうか。

 自然と共生するという意味を再度考えさせてくれる絵本かなぁ・・。


むかしむかし

2014年05月03日 | 絵本(日本)
むかしむかし  

    むかしむかし/谷川俊太郎 詩 片山 健 絵/イースト・プレス/2010年初版

 

なんども読み返してみました。絵本は素直に入れることが多いのですが、正直よくわかりませんでした。
もしかすると絵の強烈さに圧倒されたのかも。
残念ながら子どもに読んであげる機会がないので、子どもがどう受け止めるか知りたいところです。
大人と違って子どものほうが直感的に把握できる詩なのかもしれません。

今自分がここにいることの不思議さ。

文は手文字で温かみがあります。


むかしむかしぼくがいた
すっぱだかでめだまをきょろきょろさせていた
いまのたいようとおなじたいようが
あおぞらのまんなかでぎらついていた
いまのかぜとおなじかぜが
くさのうえをさあっとふいてきた
がっこうはなかったけれどぼくはいた
おもちゃはなかったけれどあそんだ
ほんはなかったけれどかんがえた
はんばーぐはなかったけれどうんちをした
さびしくなるとなぜかわからずにないた
おかしいときはなにもわからずわらった
おなかにあるおへそがふしぎで
いつもゆびでさわりながらねむった
そしてゆめのなかではへびのあめがふり
ぼくはうまれたりしんだりした
むかしむかしどこかにぼくがいた
いまここにぼくはいる


まさかりどんが さあ たいへん

2014年05月01日 | 絵本(日本)

    まさかりどんが さあ たいへん/かこ さとし/小峰書店/1996年

 

テンポよく、歌いたいような文が続いています。
よってたかってイス、ピアノ、ドレス、ロボットをつくってしまうさまざまな道具たち?。

木を切り倒してイスをつくるところで、次から次へとでてくる大工道具には、“よき”“ちょうな“なども。
“よき”というのはまさかりの一種。“ちょうな“はカンナの種類。
のみも“みぞほりかんな”、“まるのみ”、“やまがたのみ”、“かくのみ”など。

ドレスをつくるところでは
“おすます はり“、”おしゃれの いと“”おてんばむすめの かたがみ“
”たてば ころがる すわればペタン かわいい ボタン“”つっぱりむすめの まちばり“”いじわる ゆびぬき“など楽しい形容詞がついています。

ロボットがドレスを着て、イスにすわりピアノをひくシーン。

テープとびちる はながまう
あしぶみ てびょうし かみふぶき
はくしゅ かっさい なりやまず
たいへん たいへん だいかっさい
だいだいかっさい たいへんで
たいへんばなしは おわりです。


早口言葉でいったら子どもたちも喜んでくれそうです。