どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

王さまの難題・・インド

2024年10月04日 | 昔話(アジア)

      語りつぐ人びと*インドの民話/長弘毅/福音館文庫/2003年

 

 王さまが、たいそうな金持ちの商人の財産をとりあげようと、手に入れてきたいものをいいだしました。

 「ひとつはどんどんへっていくもの、二つめは、どんどんふえていくもの、三つめはへりもせずふえもしないもの、最後はへってもまたふえるもの」。

 証文を書き、王さまの頼みごとをもとめるように手配し、八方手をつくしさがしますが、どうしても見あたりません。このままでは、財産は残らず王さまのものになると、すっかり気を落としてしまいました。商人が元気のないことを見た女房がわけを尋ねますが、商人はなにもいいません。女房がしつっこく尋ねると、とうとう商人はわけを話して聞かせました。話を聞くなり女房は、「そんなものだったら、あたしがお嫁にきたとき里からもってきたわよ。いまもちゃんとしまってあるわ」といい、「城にいって、おもとめになった四つのものは、女房が持っています。」というように商人にいいました。

 王さまは、女房をよぼうとしますが、女房は、信用のおける召使をよこし、召使からお妃、お妃から王さまに四つのものをわたそうとします。使いの者からそれを聞いた王さまは、それに耳を貸さず、また使いをだしました。同じことを四度目繰り返すと、商人の女房は、お盆に、牛乳のはいった器を一つ、ヒヨコ豆を一粒、ヤハズエンドウ豆を一粒、草を一本のせて宮廷に出かけました。

 こたえは、器に入ったものかと思うと・・。商人の女房のいうことには!

 へりつづけるものは、寿命

 ふえつづけるものは、人間の欲望

 へりもせずふえもしないものは、人の運命

 へってもまたふえるものは自然

 それでは、器に入ったものの意味は?

 「あなたにおつかえするものたちは、ロバか馬のいずれかでございます。大店の女房を人前によびだすことになっても、それをとめようとしないのは、畜生でございます。だからロバや馬が大好きなものを、こうして持ってまいったのです。それから王さま、あなたがご自分を子どもであると思いなら、その牛乳をお飲みくださいませ。もしわたしたちの王さまであるとおっしゃるなら、なにももうしあげることはございません」


横手五郎・・長崎

2024年10月03日 | 昔話(九州・沖縄)

      長崎のむかし話/長崎県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1978年

 

 「あんたがたどこサ 肥後サ 肥後どこサ 熊本サ」と、手まり歌ではじまりますが、最後はちょっと せつない。

 横手五郎は諫早の生まれで、おっかさんの手ひとつで育てられた。生まれつきの力持ち。おっかさんが仕事のとき石のひきうすに帯でしばりつけても、ちのみごの五郎は、この重たいひきうすをひきずった。

 おっかさんとふたり暮らしの五郎は、多良岳から薪をとってきては町へ売りにいって、暮らしをたてていた。ある日、五郎が枯れ枝をたくさんとって帰ってきたところ、おっかさんは留守。となりの人に、枯れ枝にさわらないように頼んで、また出かけた。おっかさんが帰ってきて、枯れ枝に手をかけようとしたので、となりの人はさわらんようにおしとどめたが、おっかさんは、「よか。よか。」と、ナタでたばねた縄を一気にたたき切った。ところが、五郎の怪力で固く締め付けられていた縄がいっときにぱっと四方に飛び散り、おっかさんはこれにはねられて死んでしまった。親孝行の五郎は、嘆き苦しみ、毎日墓参りし、一年間は家を離れなかった。

 そのころ、加藤清正公が城をきずきはじめられた。城造りの仕事をすれば、悲しみもまぎれるかもしれないと、五郎は人夫になって働きはじめた。どんな大きな石でも軽々運ぶので、あっちこっちの大事な仕事に重宝がられていた。ところが、五郎に城の秘密のところまでやらせたので、外の者にしられては安心ならんということで、城の工事があらかた終わったころ、深井戸を掘らせ、その底で働いていた五郎を、上から大石を落として殺してしまおうとした。ところが五郎はびくともせず、下かから大石をうけとめてしまった。それでも、城の外にはでられないだろうとあきらめ、いっそのこと城の柱石になってやろうと考え、砂をたくさん落とすように叫び、生き埋めになって五郎の姿は見えなくなった。

 熊本城の横手掘に名を残した長田村の五郎の話。


こまった こまった

2024年10月02日 | 絵本(日本)

    こまった こまった/ふしみ みさを・文 山村浩二・絵/アリス館/2024年

 

 コウモリのおねしょ かおにかかっちゃう!

 かたずけが にがてな カンガルー かぎが みつからず 部屋に入れない!

 りすのくしゃみ おべんとうが ちらばって だいなし!

 むかでの おでかけ くつをはいていたら ひが くれた!

 動物たちを こんな視点で 観察するのも 別の楽しみ?

 コミカルな絵をみないと、この絵本のよさがわからないのかも!


画本 風の又三郎

2024年10月01日 | 宮沢賢治

   画本 風の又三郎/原作・宮沢賢治 藤城清治・影絵/講談社/2014年

 

 宮沢賢治の「風の又三郎」を、藤城清治さんが、作中のいくつかの場面を影絵で描いています。制作過程のスケッチもそえられています。

 原作は、夏休みが終わって、九月1日の学校の再開からはじまって、九月十二日までの二週間に満たない期間を、日記風に展開していきます。

 「どっどどどどうど どどうど どどう、青いくるみもふきとばせ すっぱいかりんもふきとばせ どっどどどどうど どどうど どどう」とはじまる導入部。

 教室が一つで、全校生徒38人。運動場はテニスコートぐらいの小さな小学校にやってきた転校生の高田三郎。みんなは「風の又三郎」とよんでいました。・・・。

 赤い髪、ガラスのマント、光るガラスの靴。転校生というのははっきりしているのですが、どこか謎めいた三郎。たった二週間にも満たないうちに、前の学校にもどっていきますから、正体はわからずじまい。

 子どもたちの服装、小さな学校の校舎は、この舞台にふさわしい。馬をおったり、ぶどうをとったり、川遊びをする子どもたち。

 繊細で精密な絵を見ているだけでもうっとりします。だいぶまえ、藤城氏の影絵の森美術館にいって感銘したのを思い出しました。

 「雨はざっこざっこ雨三郎 風はどっこどっこ又三郎」のフレーズも忘れられない。


にじをかけたむすめ

2024年09月30日 | 絵本(昔話・外国)

   にじをかけたむすめ 中国・苗族のむかしばなし/宝迫典子・文 後藤仁・絵/BL出版/2024年

 

 むかし、ある小さな村に、花辺ねえさんとよばれる美しい刺繍飾りをつくるむすめがいました。むすめの刺繍した草花や動物は、生き生きとして、命がやどっているようでした。むすめのもとには、いつもたくさんの人があつまってきて、むすめは心をこめて、刺繍を教えていました。
 むすめの評判は、王さまの耳にもとどき、王さまは、むすめを手元におきたいと、村を離れたくないというむすめを、無理やり城につれてきます。王さまは、村に帰りたいというむすめに、「七日以内に、生きているように見える見事なオンドリを刺繍して見せよ。できれば、願いをかなえてやろう」といいました。
 オンドリと次に命じられたキンケイの刺繍ができると、むすめの涙で、オンドリとキンケイは、外へとびたってしまいます。
 驚いた王さまがつぎに命じたのが、龍の刺繍でした。こんどもまた、涙をながしながら、昼も夜も、刺繍をして、七日目に、ようやく龍ができあがりました。むすめは指をかみ、願いをこめて龍のひげを赤くそめあげます。むすめがまばたきすると。真珠のような涙がひとつぶ龍の口にころがりこみました。そのとたん、なんと龍がとびたちました。牢屋で龍を見た王さまは、「こ、これは龍じゃない。ヘビだ!」とさけびました。龍は、口を大きく開いて、王さまや家来たちにむかって、ボウボウ燃える火の玉をはきだしました。火の玉は、お城へと燃えうつり大騒ぎになりました。自由になったむすめは、龍にのって、はるかかなた天へとのぼっていきました。
 天上で、むすめは、あいかわらずせっせと刺繍をしています。空にかかる色とりどりの虹は、娘が刺繍したものなのです。
 
 
 中国・苗族(モン族)の刺繍にまつわる昔話。精密な娘の衣装、まさに生きているオンドリ、キンケイ、龍の絵。牢屋のまどには、ツバメ?、トンボ、フクロウ、月、クモが、一心不乱に刺繍をしているむすめを見守っています。

ひまんじょくれ・・長崎

2024年09月29日 | 昔話(九州・沖縄)

      長崎のむかし話/長崎県小学校教育研究会国語部会編/日本標準/1978年

 

 親と早く死に別れ、仲良く暮らしていた二人の兄弟。次郎が庄屋で働くことになった。

 庄屋は条件を出した。「次郎、おまえがひまをもらうとき、もうそう竹の数を数えてもらう。そのとき四のすうじを口にしたら、おまえは、ただぼうこう。もしも、おれが、四の字を口にしたら、ほうこうちんは倍返しする」。

 約束の三年がたって、次郎がもうそう竹の数を数えることになった。もうそう竹は、四百四十四本。次郎は三年前の約束を忘れていて、「四百四十四本あったばない。」といってしまった。銭をたいそうもらって、家に帰れると思っていた次郎は、ひどく悔しがって、楽しみにまっていた太郎に、一部始終を話した。太郎もひどく悔しがって、倍返しのほうこうちんをもらおうと、庄屋のところへいった。

 三年たって、太郎がやぶからもどってくると、「三百本、百本、三十本、十本、三本、一本」と、早口で言った。庄屋は、「なんだって・・」と聞き返した。太郎が何度も早口で、「三百本、百本、三十本、十本、三本、一本」というと、庄屋は、「それは、四百四十四本じゃなかか。」といってしまう。

 太郎は次郎のぶんまで、ほうこうちんをもらって、勇み足で家にもどった。

 

 昔話では、兄弟が出てくると、しっかり者は弟のほう。この話では兄が存在感を示しています。


イグアノドンのツノは なぜきえた? すがたをかえる恐竜たち

2024年09月28日 | 絵本(外国)

   イグアノドンのツノは なぜきえた? すがたをかえる恐竜たち /文・絵 ション・ルービン 訳・千葉茂樹/岩崎書店/2024年
 
 
 すっかり姿がわかっていると思っていた恐竜も、その姿が明らかになる経過が詳しい。
 最初の発見は見たこともない大きな歯の化石。それにつけられたのがイグアノドン。
 
 1850年ごろのイグアノドンのイメージ
 ・鼻先にツノ ・トカゲノの舌 ・ドラゴンのように長いしっぽ ・クジラサイズのイグアナ
 
 1854年ごろのイグアノドン
 ・鼻先にツノ ・大きなツノ ・するどい歯 ・分厚いうろこ ・四足走行 ・動きはゆっくり ・サイとイグアナのあいだのようなすがた
 
 そして20世紀のイグアノドン
 ・トゲのような親指 ・二本足で歩く ・しっぽをひきずる ・トカゲの舌とくちびる ・たぶんノロノロあるく ・二本足で歩くカンガルーのような巨大なトカゲ
 
 人間が見たことがないから、化石から想像をはたらかせるしかない。
 ・ツノがきえたのではなく、前足の親指だった!
 ・恐竜が すがたをかえたのではなく、科学者の努力で すがたが 明らかになってきたが、もし新しい発見があると すがたは またかわるのかも。
 
 古生物学者が、復元して絵を描いていたという。
 
 想像する大切さ!

むすこに世の中をおしえるゴハおじさん・・エジプト

2024年09月27日 | 昔話(アフリカ)

      ゴハおじさんのゆかいなお話/千葉茂樹・訳/徳間書店/2010年初版


 ゴハおじさんのむすこは、他の人が自分をどう思っているか気になってしかたがない。
 そこでおじさんは、ロバに乗って隣の村へ。
 ゴハおじさんがロバに乗って、息子があるいていると、茶店にいた男は、「おい、みろよ、なんて自分勝手なやつなんだ。自分はロバにふんぞりかえっているのに、かわいそうに、息子は歩いているよ」とささやく。
 そこで、今度は自分がロバをおりて、息子をロバにのせていく。こんどは、「あの子はひどいもんだ。おやじを歩かせているぞ。目上の者を敬わないなんて礼儀しらずもいいところだ」。
 つぎに二人がロバにのると、それを見た人が、ロバがかわいそうだという。
こんどは、二人でロバをかついでいくと、おかしな親子と大笑いされる。

 ここでゴハおじさんの教訓。
 全ての人に気に入られるのはそもそも無理。他の人がどう思うかくよくよ考えるのはやめなさい。

 これは他人の目をきにする、われわれにも教訓にとんだ話です。


おうさまのひげ

2024年09月26日 | 紙芝居

    おうさまのひげ/脚本・横笛太郎 絵・織茂恭子/童心社/2016年(12場面)

 

 りっぱなひげの威厳のあるおうさま。「わしは、国中で いちばんえらい。えらいから ひげが ある。ひげが あるから えらいんじゃ。」

 ところが、とうの ひげは、いつも おうさまといっしょで つまりません。おうさまが 寝ている間に 外に飛び出した。

 ひろい そら のび のび とびまわっていると 赤ちゃんの泣き声。

 ちょっといたずらと こまっているお母さんの顔に くっつくと あかちゃんは 大喜び。

 ひげはびっくり。これまで 一度だって ひとを よろこばせたり、わらわせたり したことは ないんですから。

 コケコッコー

 いそいで、おうさまに くっつくと やさしい 顔に

 なぜって? ひげは 逆さまに くっつきましたから・・。

 


蛙にされた坊さま・・ベトナム

2024年09月25日 | 昔話(東南アジア)

      ベトナムの昔話/加茂徳治・深見久美子・編訳/文芸社/2003年初版

 色っぽい場面が出てきて、大人向けでしょうか。

 厳しい修業を積んで、国中の噂になった僧が、ある寺院を訪れることにしました。若い僧の名声を聞いた観世音菩薩が、僧が旅に出る機会に、いかなる人物かを試してみようと、美しい娘船頭に姿をかえ、船を河岸につけて客を待っていました。
 僧が船に乗ると、娘船頭はすぐに船を漕いで、河の中州までくると、船をとめてしまいました。船にはふたりだけ。娘は、「こんな美男のお坊さまにお目にかかったのははじめててございます。だから、ここでお坊さまと情を交わしとうございます。」と、恥ずかしげもなく言いました。この地方の娘たちは、よくこんな悪さをすることを知っていた僧は、厳しい顔をしていいました。「阿弥陀仏、この修行者から娘を引き離してください」。けれども、娘は離れるどころか、綿々と僧を口説きました。いくら口説いても僧の心を動かすことができないとみて、娘は着ているものを全部脱ぎ僧にせまりました。僧は脱ぎ捨てられた衣服に目をやり、それをそっと娘の肩にかけてやり、経文を唱え続けました。

 観世音菩薩は感服され、仏弟子がみなこのようであったら、涅槃に達することにふさわしいものになるだろうと、思われました。ここまでためしたのであるから、もうすこしためしてみようと思われた観世音菩薩。
 九度目の誘惑もはねのけた僧でしたが、十度目の誘惑で、さしも堅固な城も思いもよらずれてしまいました。観世音菩薩はたいへん不満で、もはや目をかける必要はないと、僧を川に放り込み、ちっぽけな蛙にしてしまいました。

 

 欲と色に翻弄される人間。欲の話は数多くありますが、色にまつわる話は少ない感じです。


欲張りな人・・カンボジア

2024年09月24日 | 昔話(東南アジア)

      カンボジアの民話世界/高橋宏明・編訳/めこん/2003年初版

 

 母親にいわれて、芋を掘りにいった少女が、森の深い穴の近くに小さな丘を見つけ ほっていると、もっていた鍬を穴の中に落としてしまいました。
 女の子が「鍬の刃をとっていただければ、ご恩返しします。」と叫ぶや否や、一匹の年老いたトラがあらわれました。トラは、「わたしが鍬の刃をとってきてあげよう。でもそうしたら、私の頭にいるウジをさがしてくれないかい。私は、感謝されなくてもよいからね」と話しかけました。トラが穴の中から鍬の刃を取ってきてくれると、少女はトラの頭にいるウジをさがし、鋭い針で、トラの傷口にわいたウジをほじくりだして捨てました。

 トラはなんども少女に尋ねました。「私の傷のはれは臭いかね、それともいい匂いかね?」
 少女が、「とてもいい匂いよ。おじいさん」とこたえると、トラはまだ尋ねました。少女は何度でも、いい匂いだと答えました。少女が頭についていたウジをすべてとると、トラは、痛みとかゆみが止みました。トラは、籠に芋を入れ、さらに金と銀を詰め込み、家に着いたら、戸をしっかりしめて、そのあとで、籠を開けるようにいいました。

 昔話のパターンで、もうひとりの少女がでかけます。この少女は、傷の腫れの匂いをとわれ、「とても臭い」といってしまいます。トラが籠にいれたのはコブラでしたから、籠を開けるとコブラが出てきて、みんなに噛みつき、全員死んでしまいました。

 

 話はパターン化されていますから、ふたりめの少女が出てきたところで、結末が予想できます。ただ、二人目の少女のいう、「傷の腫れは臭い」というのが 本心で当然なのですが・・・。


おらびぐら・・宮崎

2024年09月23日 | 昔話(九州・沖縄)

      宮崎のむかし話/宮崎民話研究会編/日本標準/1975年

 

 むかしむかし、ずっと山おくに炭焼きの小屋があった。ある夏のはじめの夜、おやじさんは、おかみさんや子どもたちを里の家に帰し、ひとり ぐっすりねむっていた。

 すると夜中ごろ

 「ヨイ」と呼ぶ声がした。おやじさんは、はっと目を覚まし、ついうっかりして

 「オイ」と返事をしたが、耳をすましても何も聞こえない。

 だれじゃろうと考えていると、またつづいて

 「ヨイ」とよぶ声。またもや

 「オイ」と返事をしてしまった。するとまた、こだまのようなやみの声がしした。

 「ヨイ」「オイ」「ヨイ」「オイ」「ヨイ」「オイ」

 おやじさんは、はっと気がついた。

 「しまった。山んばの声くらべにひっかったか?。やりまけたら食い殺されるぞ。こら大変だ」

 「どうしようどうしよう」 いまごろ気がついても もうおそい。そのあいだも

 「ヨイ」「オイ」「ヨイ」「オイ」「ヨイ」「オイ」。 よび声がだんだん早くなる。

 おやじさんは、のどがかわき、のどがからからになった。もうだめかと思ったその時に、ひょいと、よい考えがひらめいた。

 旅の坊さんが、一夜の宿のお礼においていった琵琶だった。それを柱からおろすなり、ぎゅんと弦を張って、ピンとならした。

 「ヨイ」「ビン」「ヨイ」「ビン」「ヨイ」「ビン」

 おやじさんは、もう夢中で かきならした。何時間やったかおぼえていられない。

 と、ふっとやみの声がきえた。

 薄気味悪い静かさの中に、谷川のせせらぎが聞こえてきた。

 おやじさんは、にぎりこぶしで顔のあせをふき、琵琶をふし拝んで、ていねいに柱にかけた。

 夜、山ん中では、わけのわからないよび声には、用心がたいせつじゃということじゃ。

 

 タイトルがどこからきているかわからずじまい。声くらべする山んば!。日本の昔話には かかせない”山んば”は、まだまだありそう。


ペンギンのウィリー

2024年09月22日 | 絵本(外国)

   ペンギンのウィリー/ロバート・ブライト・作 こみや ゆう・訳/好学社/2024年

 

 ペンギンのウィリーは、だれもが似た姿のペンギンたちと一緒にいると、じぶんがどこにいるのか みわけがつきません、そんなじぶんをかえようと、南極から街へでかけていきました。
 街では、ひとめで どれがウィリーかわかります。レストラン、地下鉄、どこでも 目立ちました。しかし、ウィリーは目立ちたかったわけでありません。そこで、ウイリーはちょうネクタイ、かわぐつを買い、雨の日には傘もさしました。ある日の夕方、オペラをみるため、シルクハットを買い、帽子屋を出ると、同じような格好の人びとがいました。みんなはオペラを見に行くところでした。どの人も、ウィリーとそっくりで、ペンギンたちと一緒にいたころと同じです。そこで、ウィリーは、南極にかえることにしました。

 傘を持ち、ちょうネクタイ姿のウィリーに、みんなはびっくり。そこへ つよい風が吹いてきて、ウィリーは傘から手をはなしました。それからシルクハットもちょうネクタイも 空高くとんでいきました。かわぐつも ぽいぽいっと、ぬぎすてると、ウィリーは どこにいるかわからなくなりました。

 ところが、いまウィリーは とっても しあわせでした。ウィリーは もう、みんなと おなじとか ちがうとかなんて、どうでもよくなっていたのです。

 

 ウィリーの自分探しの旅。経験してみないとわからないことがあります。一皮むけたウィリーの旅は、まだ続くでしょう。


石を裁く・・ベトナム

2024年09月21日 | 昔話(東南アジア)

・石を裁く(ベトナムの昔話/加茂徳治・深見久美子・編訳/文芸社/2003年初版)

 貧しい夫婦が、やっとのことで三日分の工賃を前借し、大晦日に正月の品々を買いにでかけました。買い物は妻が行きましたが、とちゅう、小さな川をわたるとき、ぬるぬるした石に足を滑らし、たったいま市場でかってきたばかりのコメ、肉、線香などの品々が川にのみこまれてしまいました。あまりの出来事に、彼女は、ぺたんとすわりこみ大声で泣いていました。

 県内を見回っている県知事が、泣き崩れていた彼女を見ると、駕篭をとめさせて、そのわけをたずねました。わけを聞いた知事は、「犯人は、川の中の石に違いない。たとえ、石でろうと法をまげることは許されない。やつをとらえて弁償させるべきである。それっ! 犯人を役所に引き立てい!」と命令します。命令を受けた供のものはとまどいましたが、川から石を掘りおこし、縄でぐるぐる巻きにして、役所に運びました。

 知事が石を裁判にかけるという噂は、たちまち広がり、好奇心にかられた人が、役所の門前に集まってきました。知事は、門前に大きな桶を備えさせ、白銅三十文をいれたものに裁判の傍聴を許すと掲示しました。役所の中から、ビシッ、ビシッと石を打ちすえる音が門の外まで聞こえてくると、人びとは樽に三十文を投げ入れると、先を争って門の中にかけこみました。大きな樽には、たちまちお金がいっぱいあふれました。

 はじめから知事が見込んだものでした。「被告に原告への損害賠償を命じる。だが思うに,被告 川石には、判決を履行する能力がない。ここにあつまった傍聴者は、多少とも原告に同情して集まったものと思う。本官は、桶の金全部を原告への賠償にあてることに決定する。」

 知事の機知にとんだ裁きで、彼女はお金をいただき、たいへんよい正月を迎えることができました。

 

・石の裁判(象のふろおけ/世界むかし話11東南アジア/光吉夏弥・訳/ほるぷ出版/1979年
 

 ミャンマーに同じようなのがあります。昔話の中では、裁判の結果は明快です。

 男の子がポケットのお金が盗まれたら大変と、石の下にかくします。それをみていた悪い男が、そっととりだしてしまいます。男の子はおいおい、泣きだします。大勢の人が寄ってきて、男の子を慰めますが、お金はでてきません。

 わけを聞いた村長が、裁判長になって、石を裁判にかけることにします。
 「この子のお金をぬすんだそうだな」「そちは、ゆうべなにをした?どこかへいきはしなかったか?」と、いっても、もちろん石はなにもいいません。まわりの人はおかしくなって下を向いたり、顔に手をやったりしはじめます。

 かまわず、裁判長は裁判をつづけ、法廷をばかにした罪で、むち30をもうしつけ、かかりの者は石のムチでピチピチたたきはじめます。おもわず、みんなは笑い出してしまいます。

 すると、裁判長は「石にくだした判決に対して、笑いだすとは何事だ!裁判を侮辱した罪で、めいめいに罰金一チャットをもうしつける」と、きっぱりいいます。

 みんなはあっけにとられたものの、笑ったのは確かなので、一人一人が一チャット払います。すると裁判長が、「この村でうえた損害の償いだ」と、そのお金を男の子にわたしました。

 あまり大きな罰金ではなかったのでしょう。でも集まれば大金です。村人も名裁判に納得し、にこにこしながら帰っていきます。


あの木はなんの木か・・宮崎

2024年09月20日 | 昔話(九州・沖縄)

      宮崎のむかし話/宮崎民話研究会編/日本標準/1975年

 どちらが頑固か、我慢比べの話。

 ばったり道であった日高笹衛と横山久之助のふたり。こんもりと木々に囲まれたお宮には、大きなエノキがあった。その下には小さなムクノキ。

 森の木のあて比べがはじまった。

 笹ぼんは、「あれはムクノキじゃ」というと、久之助どんは、すかさず、「あれはエノキというもんじゃ」。

 大勢の見物人が、ふたりをけしかける。ふたりの言い争いは、日が西にかたむいてもおわらない。見物人も、ひとりへり、ふたりかえって、とうとう、頑固なふたりだけになった。

 あたりが暗くなっても、まだふたりはがんばっていた。しかし、だんだんつかれて腹もへってくる。ついに笹ぼんが「エノキじゃ。」というと、久之助も、「ムクノキじゃ。」と、よわよわしくいいだした。とたんにふたりはおかしくなって、わらいだした。「いやあ、おまえには根負けよ。」「いや、おれこそ負けたわい。」。

 

 ふたりが見ているのが、上か下の違い。どちらも正しいのだから、引くに引けない。