どんぴんからりん

昔話・絵本いろいろ。語るのを目的としたものでしたが・・。それにしてもまるで森に迷い込んだ感じです。(2012.9から)

お静かに、父が昼寝をしております・・ユダヤの民話

2018年08月18日 | 紙芝居
             お静かに、父が昼寝をしております/母袋夏生:編・訳/岩波少年文庫/2015年


 しゃれたタイトル、これだけでワクワクします。もっとも子どもにとってはあまりタイトルは関係ないでしょうが。

 ダマというところに、イスラエルの大祭司からの使者がやってきて、ヤシュフエ(碧玉)をどうしてもほしいと大金をつまれますが、ダマは、父親がねむっているので、いくらお金をつまれてもヤシェフエをゆずることはできないとことわります。

 ダマは、父親が昼寝をしているときに、おこされるのを好まないといいます。そのため商売熱心な一家ですが、午後の2時から4時までは店を閉めているというのです。

 使者は、ダマの親への気配りに感心し、親に孝行をせよという戒律の大切さを思い出します。

 それから一年後、今度は特別な赤牛が必要になり、又使者がダマのところにやってきます。

 父親は、また昼寝をしているところでしたが、赤牛は金庫にしまわれていなかったので、今度はダマは商談に応じます。

 ヤシュフエとおなじ代金で赤牛をうることにしたダマは「親を敬って多大に損をし、また多大にもうけてとりもどした」と、父親に話をすることにします。

 ヤシュフエは、金庫にはいっていて、そのカギは父親の枕の下の財布にはいっていたのでした。


 「ベニスの商人」のシャイロックをまつまでもなく、親への孝行と商売をうまく両立させるユダヤ人のしたたかさを感じさせてくる話です。


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二つ目のおばけ

2018年08月17日 | 昔話(日本)
                  川崎大治民話選 日本のおばけ氏話/川崎大治/童心社/1969年


 浅草で見世物小屋をだしていた伝七という男、あれこれやっても客が集まってこない。

 ある日、北の国に一つ目小僧がいるときいて、この一つ目小僧を目玉にして大儲けをしようと旅に出かけます。

 何日もかけ、暗い森のなかに迷い込んでいると、子どもの声。一つ目小僧です。
 ところが捕まえようとすると、逆に一つ目につかまって、ぐるぐるまきにふんじまれてしまいます。

 それからまもなく「世にも珍しい二つ目のおばけ」として、一つ目の国で、見世物にされてしまいます。


 大人の方に意味が伝わる話でしょうか。おばけにとっては、二つ目がおばけです。

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そばがらじさまとまめじさま

2018年08月16日 | 昔話(日本)

          そばがらじさまとまめじさま/小林 輝子・再話 赤羽 末吉・絵/福音館書店/2008年


 作者の小林さんは岩手のかたで、ちょっとなじみのない表現もありますが、なんともリズムがあります。

 話は「花さか爺さん」に、にた展開。

 大雨が続き、こんな日には、「ざっこ(うなぎや えび、こざかな) いっぺい とれるべ」と、ど(竹で編んだどうぐ)をかけると、かかったのは子犬。「なんだ こんたな いぬっこ」と、べんがり 川へ投げすてたそばがらじさま。その犬は川下のまめじさまに助けられます。

 犬はあっというまに大きくなり、やがてまめじさまと山へ狩りに行くと、たくさんのあおじし(かもしか)をつかまえます。
 まいにち、ししじるを食べているまめじさまのところに、そばがらじさまがきて、いやがる犬を借りていきます。
 そばがらじさまが山にいくと、でてきたのは、あぶやへびばかり。おこったそばがらじさまは、犬を殺してしまいます。

 まめじさまが、犬をうめて、木をうえると、すぐに大きくなり、その木でうすをつくると、うすからは、白い米が、もーりもり、もーりもりと、なんぼでもでてきます。

 そばがらじさまが、うすを借りて、まわすと、馬の糞だり、牛の糞が、べーたべた。
 おこったそばがらじさまが、うすを燃やしてしまうと、まめじさまは、灰をとりだし、家に帰ります。
 そして、「がんの まなこさ、はい はいれ、がんの まなこさ はい はいれ」と、まいたらば、がんは、ぱたぱたと おちてきます。

 そばがらじさまが、灰をまくと・・・・。


 意味の分からない言葉でも、絵本では絵をみればだいたいがわかります。
 しかし、絵がなくとも、リズムが心地よいので、話の内容は十分に楽しめそうです。

 個人的には、そばがらじさま、まめじさまというネーミングが気になりました。









に見つけた1冊。ストーリーは「はなさかじいさん」や「こぶとりじいさん」と同じく、良いじいさんと
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捨てられた犬と少女・・エスキモー

2018年08月15日 | 昔話(外国)
             エスキモーの民話/本多勝一・訳/すずさわ書店/1974年初版


 本多勝一さんの訳ですが、故郷の伊那方言が使われていて、戸惑うところもあります。

 会話の部分が「お前さまをよめにほしがっとるで」「そっちのほうだで」などとなっています。

 「捨てられた犬と少女」は、少女も犬も捨てられるところからはじまります。小さな部落が伝染病に襲われ、生き残った人は、土地を逃げ出し、この地に残ったのは少女と犬。

 少女と犬は避難用のイグルーで暮らすことに。(イグルーは、雪または土やコケや石で作られた家)

 ある晩犬が病気になり発熱に苦しみ、汗が毛を凍らせてしまいます。犬は悲しくうちひしがれた声で、「白熊がよめにほしいとやってくる」と少女にいいます。
 「熊がみえたに!」と少女がさけぶと、犬は少女に熊に出す食べ物を用意するようにいい、目くばせしたらすぐに外にでるように指示します。

 熊がやってきて「娘はもらっていく」というと、少女はイグルーを飛び出し、イグルーのなかからは決闘の音が聞こえます。

 おどろいたことに、病気で弱り切っていたはずの犬は、熊を殺していました。しばらくは熊の肉が食糧用に確保できます。

 また犬が病気になり、今度は二頭の白熊がやってきます。
 前と同じように、この二頭も大量の新鮮な食料になります。

 じつは、犬が病気になるのは、闘いの準備をするためでした。

 そして、今度は三頭の白熊がやってきますが・・・。


 犬と人間がでてきて、犬の恩返しの話かと思うと、エスキモーでは対等で共存する関係です。
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ちいさなたいこ

2018年08月14日 | 絵本(日本)

             ちいさなたいこ/作:松岡 享子 絵:秋野 不矩/福音館書店/1974年月刊「こどものとも」発行/2011年


 「ちいさなたいこ」というタイトルで、表紙の絵はかぼちゃ。たいことかぼちゃの組み合わせ?。

 もう、年をとって、あまり働けなくなり、遠くの田んぼを、人にゆずり、今では、家のまわりの畑に、僅かの野菜を作って暮らしていた老夫婦。

 その畑にかぼちゃがよくみのり、なかにひときわ大きく目だって、つやのいいかぼちゃが一つ。

 ある日、このかぼちゃから楽しそうな祭囃子がきこえてきます。かぼちゃから、ひとすじの光がもれていて、光のさしているところを指でちょっとおすと、丸い穴が。
 穴をのぞいてみると、親指ほどの大きさの男や女、三十人ほどが輪になって踊りをおどっています。

 それから、このお囃子を聞き、踊りをみるのが老夫婦の楽しみになります。

 ところが、いつもの時刻になってもお囃子がきこえなくなって、穴をのぞいてみると、太鼓打ちの男が腕組みをしてつったっています。どうやら太鼓が破れたようでした。

 そこで、おじいさんおばあさんは、何とか工夫して、小さな太鼓をつくり、かぼちゃの穴にいれてやります。すると、まもなく、いせいのいい、お囃子の音が聞こえてきます。

 その次の夜、穴のふちに米粒のようなものがおいてあります。

 「おれいのつもりでしょう」「なんとやさしいこころねだ」と、口に入れると、二人のからだはどんどんちさくなって、あっというまに親指ほどの大きさになってしまいます。

 そのまま、二人はかぼちゃのなかにはいって、踊りの輪にくわわります。
 
 おじいさん、おばあさんは、かぼちゃのなかの国で、いつまでも楽しく くらしますから、そこは、多分極楽だったのでしょう。

 小さな太鼓の胴は竹、そとがわは、どんぐりのかわ、かわは、しぶをぬったうすいかみとなかなか手が込んでいます。

 創作昔話でしょうか。


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ふしぎな財布・・ユダヤ

2018年08月13日 | 昔話(外国)
            お静かに、父が昼寝をしております/母袋夏生:編・訳/岩波少年文庫/2015年


 「むかし、ブルガリアのある村に、貧しい農夫がいた」とはじまり、ブルガリアの昔話であることがわかりますが、ブルガリアにすむユダヤ人に口承されてきた話です。

 ある国の昔話といっても、さまざまな民族で構成されている国では、ルーツは民族の間で語りつがれてきた昔話であることもおおそうです。

 ほんとうに貧しい農夫が、神さまにおねがいして手に入れたのが財布。

 天の声は、「財布には金貨が一枚、入っている。おまえがその金貨をとりだすと、また金貨が財布の中にわいてくる。だが金貨をつかいたかったら、まず財布を川に捨てなければいけない。もし、捨てる前に金貨を使ったら、財布は魚に、金貨はうろこにかわってしまう」と告げます。

 農夫はうれしくて、夜通し、次の日は一日中財布から金貨をとりだしつづけます。

 家に食べるものがなくなっても、農夫は金貨に手をつけようとしません。物乞いをしながらあと一袋、あと一袋と金貨を取り出し続けます。

 結末は? 結局農夫は金貨を一枚も使うことなく、あの世に旅立つことになりますが・・。

 金貨は十分にあったはずなのに、財布とわかれることがつらいとは。あああ!。

 人間の欲望にはきりがなさそうです。


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ほたるホテル

2018年08月12日 | 絵本(自然)

               ほたるホテル/カズコ・G・ストーン・作/福音館書店/1995年


 夏といえばホタル。

 夏の間にひらかれる「ほたるホテル」。

 ホテルのベッドを準備するのは、ばった、かたつむり、くも、あり。
 それぞれに名前が。ばったはトビハネ、かたつむりはキララ、くもはセカセカ、ありはセッセ家族。

 花のベッドは、つゆくさベッド、ねこじゃらしベッド、しだ、すかんぽ、くさふじベッドと、どれも素敵なベッドです。

 千客万来。くさかげろうのミドリさん、かみきりむしのシマシマさん、とんぼのピューさん、てんとうむしのテンテンさんなどなど、昆虫がせいぞろい。

 カマキリのおばあさんがやってきますが、そんなにおおきなベッドは用意していませんとことわられると、カマキリおばあさんは、のぶどうのつるで、おおきなベッドをつくります。でも、みんなはこわがってカマキリおばあさんのそばに いこうとしません。

 やがて 日が沈んで、あたりが うすぐらくなってきたとき「ほたるホテル」のあかりがともりますが、そこにやってきたのは、かえるのピョンタ。
 かえるさんのベッドは用意していないと、こわごわことわろうとすると、それならおおあばれするぞと、ピョンタは、看板をゆすって、おおあばれ。
 みんなうろうろしていると、カマキリおばあさんが、とっときの方法を!。

 昆虫の大集合で、夏に読みたい絵本です。

 舞台はおおきなおおきな柳の木の下の小さな小さな村。
 「やなぎむらのおはなし」というシリーズになっているようです。

 今の子どもたち、ホタルを見ようとしたら遠出をするしかなさそうです。


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ヨリンデとヨリンゲル

2018年08月11日 | グリム(絵本)

          ヨリンデとヨリンゲル/作:グリム童話 ベルナデッテ・ワッツ・絵 若木ひとみ・訳/ほるぷ出版/1982年


 昔話では、若者(ヨリンゲル)と娘(ヨリンデ)がでてくると、結末で結ばれるのがほとんど。
 ところが、この話では、二人は、はじめから恋人同士。

 間もなく結婚することになっていましたが、ふたりきりになりたくて、二人が森の中へはいっていくと、ヨリンデが魔女によって、ヨナキウグイスにかえられてしまいます。

 ヨリンゲルも魔法をかけられ、石のように動くことも、なくことも、しゃべることができなくなりますが、魔女は「こんばんわ、ツァヒエル、お月さんがかごのなかをてらしたら、はなしておやり。ツァヒエルや、ちょうどいいときをみはからってな」と呪文をかけると、ヨリンゲルの魔法はとけます。ヨリンゲルが、ヨリンデをかえしてくれるように頼んでも、いじわるく「もう、にどとヨリンデにはあえまいよ」と言い残して、姿を消すます。
 魔女が、わざわざ、ヨリンゲルの魔法をとくのは昔話らしいところです。

 魔女はお城に住んでいて、この城にちかずくのが若い娘だと、娘を小鳥の姿に変え、籠に閉じこめて城の部屋に連れていきます。こうした鳥かごが、もう7000個もありました。

 どうすることもできなかったヨリンゲルが、ある夜、まんなかにおおきな真珠のついた赤い花をみつける夢をみます。
 その花でさわったものはなにもかも、魔法とけてしまうというものでした。

 ヨリンゲルは、山を越え谷をぬけ、さがしにさがして九日目に、ついにこの花を見つけます。

 ヨリンゲルは、この花をもって魔女の住む城まで走り続けます。

 この花で魔女にさわると、魔女は、根が生えたように、その場に釘付けになり、魔法をかけることができなくなってしまいます。


 話としてはシンプルですが、ワッツの深い森にある城、白い鳥かご、魔女の絵が、この話にぴったりです。

 不思議なことに、魔女は7000羽もいる小鳥に、えさをやっていますから、娘を小鳥に変えて、人の不幸を楽しんでいたのでしょうか。

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イニーゴ・・フィリピン、黄太郎青太郎・・タイ

2018年08月10日 | 昔話(外国)
 見方ひとつでまったくちがうものに見えてくる話。

・イニーゴ(フィリピンの昔ばなし/カラオの洞窟/荒木博之:編・訳/小峰書店/1989年)

 イニーゴという若者が、一人の老人とあい、一緒に旅することに。

 この若者、老人の家が40キロ先にあると聞いて「何とかその道を短くできませんか」といいます。
 若者は、
  くつをはかずに、ひもでくくって肩にかけています。
  カンカン照りのところでは傘を閉じて、涼しい木陰で、こうもり傘を開いて頭の上にさしかけます。
  川を渡るときは、くつをはき、岸につくとくつをぬぎます。

  死んだ人を担架にのせてくる一行に会うと「あの人はいきているんですか」
  田植えをしている人をみると「米を食べちまって、それでも米を植えているんだね」という始末。

 老人は、若者がおかしなことを言っているなと思いましたが、老人の娘は、まったく別の意味にとらえます。

 「道を短くできませんか」・・「長い道のりでも面白い話をしてくれたら短く感じられる」
 「日照りの道で傘をすぼめて歩き、木陰に入ると傘を開く」・・「木陰では枯れた木の枝が落ちてきて、頭にけがするかも」
 「川を渡るのにわざわざくつをはく」・・「川にはとがった石などがあるから、けがをしないように」
 「死んだ男が生きているか聞かれた」・・「魂が生きているか聞いたのよ」

 もうすこし、やりとりがありますが、娘のいうことがもっともという感じです。


・黄太郎、青太郎(アジアの昔話4/松岡享子・訳/福音館書店/1978年)

 むかし、夫婦にイムという姉とオーンという妹がいました。
 父親はイムに黄太郎という青年を婿に、母親はオーンに青太郎という青年を婿にえらびますが、夫婦は互いの婿が気に入りません。

 ある日、父親は青太郎、黄太郎の二人を連れて、遠い田んぼにでかけるため、舟で出かけます。
 途中、父親は二人をためそうといくつも質問をします。
 
 「なぜペリカンは、水に浮くことができるのかね?」
 黄太郎「からだじゅうにびっしりはねがはえているからですよ」
 青太郎「もともと、うくようににできているからですよ」

 「なぜコウノトリは、大きな声でなくのかね」
 黄太郎「首が長いからですよ」
 青太郎「もともと、大きな声でなくもんだからですよ」

 「なぜペリカンは、水に浮くことができるのかね?」
 黄太郎「からだじゅうにびっしりはねがはえているからですよ」
 青太郎「もともと、うくようににできているからですよ」

 「なぜ外がわの葉は赤くて、内がわみどりなのかね?」
 黄太郎「外がわは、日にあたるので赤く、内がわは、かげになっているので、みどりなのですよ」
 青太郎「もともと、そうなんですよ」

 たんぼをみて「なにひとつそだっていないたんぼと、稲があおあおとみのっているのはどうしてちがうのか?」
 黄太郎「あれている田は、海からのしお水が流れ、もうひとつの田は、真水だからですよ」
 青太郎「もともと、そうなんですよ」

 青太郎の答えを聞いた父親は、青太郎はまぬけな婿だと妻にガミガミいいます。

 しかし、母親が、お気に入りの婿に尋ねると、青太郎は言います。
 「はねの生えていないココナツの実だって浮きます」
 「ガマガエルも、長い首こそないけど、大きな声でなきます」
 「スイカは、日のあたる外がわみどりで、日にあたるはずもない内がわが赤い」
 「はげ頭の男の頭の中をしお水が流れていますか」

 もっともらしくても、かならずしもそうだとは限りません。反証をあげることも可能です。
 婿自慢もほどほどに。
 フィリピンの「イニーゴ」を読んで、タイの「黄太郎 青太郎」を思い出しました。
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うみぼうず

2018年08月09日 | 絵本(昔話・日本)

              うみぼうず/岩崎 京子・文 村上 豊・絵/教育画劇/2000年

 お盆はどの村も漁はしないきまり。

 ところが元気な若者たちは、「海は ないで 風はなし、こんな日に船をださんでどうするだ」と海に出て、網を流すと、すぐに魚がかかって、たちまち船は魚でいっぱい。

 よろこんでいると、どこからか霧がわいて、あっというまに、どっちが岸か見当もつかなくなってしまい、波が騒ぎ、船もゆれだします。

 霧になかからでてきたのは、まっくろい のっぺらぼうの海坊主。
 海坊主が、ざぶう ざぶうと 波を掻き分けつかずいてきて・・。

 この海坊主、なかなか迫力があります。

 表紙の絵、タコみたいと思っていたら、若者が真っ青になった顔のようです。

 きまりをあまくみると、何がおこるかわかりません。
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ファンと空飛ぶ三頭の馬・・フィリピン

2018年08月08日 | 昔話(外国)
               フィリピンの昔ばなし/カラオの洞窟/荒木博之:編・訳/小峰書店/1989年

 
 日本の昔話には、馬が出てきても空を飛ぶという発想はなさそうです。

 この話では、白、黒、赤い馬が空を飛びます。
 この馬が、お城の庭の木の葉を食べると、きまって王さまが病気になっていました。

 誰のせいかようすを見に行ったのは、三人の王子。
 上の二人は12時を過ぎると、眠気がおそってきて、誰が、木の葉が食いちぎったのかわかりません。

 末の王子ファンはナイフとレモンをもっていき、眠気におそわれると、ナイフで指を切り、その上にレモンをたらし、一晩中起きていることができたのです。
 13時には白馬、14時には黒馬、15時には赤馬がやってきて、木の葉を食いちぎろうとしますが、ファン王子は、そのたびに馬をみごとに乗りこなします。馬はへたばって、「ご用のあるときは、いつでもお呼びください。すぐにとんでまいります」といって、天空のかなたにとんでいきます。
 そして、王さまの病気は、すっかりとよくなります。

 それから何年かたち、「良い嫁をみつけて、わしを安心させてくれ」という王さまの言葉で、三人の王子は妃を探すたびにでます。
 上の二人が馬小屋の立派な馬で駆け出し、馬小屋に残されたのはやせた老馬だけ。それでも白馬、赤馬
、黒馬のおかげで、ファン王子は兄たちにおいつきます。

 ある一軒家で宿を頼むと、おばあさんから、「婿を探しているという美しいお姫さまが、城の塔を馬で飛び越えた者のおよめになる」ということを聞きますが、これまで誰も成功したものはいないというのです。

 上の二人の王子が挑戦しますが無駄でした。ファン王子は、白、黒、赤の馬のおかげで城の塔を一気に飛び越えたのはいうまでもありません。

 三人の王子が出てくると、上の二人に残酷ともいえる結末がおおいのですが、どこか遠くの国にかくれてすんでいるうわさがきこえてきたというおわりかたです。

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ティギィの鳥・・フィリピン

2018年08月07日 | 昔話(外国)
              フィリピンの昔ばなし/カラオの洞窟/荒木博之:編・訳/小峰書店/1989年


 2,3羽のティギィの鳥が、テインギャン村のリギィという若者に声をかけます。

 稲を刈らせてくださいなというのです。

 もちろん鳥に稲刈りができるはずがないと思ったリギィでしたが・・。

 リギィの姿が見えなくなると、ティギィの鳥は戻ってきて、魔法を使って稲を実らせます。

 びっくりしたリギィでしたが、鳥は稲刈りは自分たちのまかせてほしいと、リギィを家にかえらせます。

 鳥たちは稲狩り鎌に稲を刈らせ、わらに稲を束ねらせます。

 リギィは、五百束の稲が刈り取られているのをみて、刈り上げのお祭りにくるようにいいます。

 お祭りにやってきた鳥たちでしたが、夕方になると人間の国にながくいることはできないからと、空高く飛び去っていきます。

 リギィが鳥を追いかけ、バナアシの木のところにくると、鳥たちが羽の衣を米の倉にしまいこもうとするところでした。

 するとたちまち、一人の美しい娘があらわれます。魔法がかけられて、ティギィの鳥にされていて、稲刈りを手伝ったら人間の姿にもどることができたのでした。


 魔法がとける方法も色々出てきますが、稲刈りの手伝いをすると魔法がとけるというのもはじめて。

 稲作の国ならではの展開です。
 
 ティギィの鳥、バナアシの木という、これまで聞いたことがないものもでてきます。
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あたまにつまった石ころが

2018年08月06日 | 絵本(外国)

          あたまにつまった石ころが/キャロル・オーティス・ハースト・文 ジェイムズ・スティーブンソン・絵 千葉 茂樹・訳/光村教育図書/2002年


 おはなし会のプログラムにあったので読んでみました。

 図書館の閉架図書にあって、普段目につかないところにありました。閉架は職員をとおさないと借りられないので、気がつかないとスルーしそうです。

 娘が夢をおいもとめた父親をえがいています。

 石というとなんの役にもたちそうにもないのですが、好きなことをとおして、博物館の鉱物学部長になった父親。
 本文にはでてきませんが、そうとうの年になってから、働きながら大学に通い、科学博物館の館長に就任しています。

 「あいつは、ポケットにもあたまのなかにも 石ころがつまってるのさ」といわれて育った父親。
 ただ、それだけではありません。ガソリンスタンドを経営しながら、当時フォード社がだしたT型フォードの修理用の部品をあつめます。
 ガラクタが売れるわけないだろうといわれながらも、飛ぶように売れ始めた車の部品。先見の明もあったようです。しかし大恐慌がおこりガソリンスタンドも車の修理の仕事もなくなってしまいます。

 ガソリンスタンドには、父親が集めた展示コーナーもあったのですが、石はやがて屋根裏部屋へ。

 仕事が見つからず、博物館通いをしていた父に声をかけたのは博物館の館長のグレース・ジョンソンさん。
 屋根裏部屋の石のコレクションをみた館長は、父親に夜の管理人にならないかといいます。

 やがて石を歯ブラシでみがき、まちがっている石のラベルを書き換えたりと、誠実な仕事ぶりが認められて・・・。

 好きなことに打ち込んでいると、それをちゃんと見ていてくれる人もいます。
 目先のことに右往左往しがちですが、それはあまりいい結果には結びつききません。そんなことをおしえてくれます。
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気だてのいいエルテ・ベルゲン・・ロシア

2018年08月05日 | 昔話(外国)
               世界のむかし話 ロシア/田中泰子・訳/ほるぷ出版/1988年


 昔話では時間のたつのはあっというま。

 二人とも百歳のおじいさん、おばあさんが魔法使いのシラカバにお願いして、髪は金、からだは銀の男の子がさずかります。
 一時間ごとにおおきくなり、5年たつとベルゲンは旅にでかけます。

 7年間馬にのり、それからさらに7年たちます。ベルゲンはベケルジュニという怪物にとらえられていたむすめのために、怪物とたたかうことに。

 このたたかいがすごくて、9年間たたかいつづけますが決着がつきません。次には火の海で9年間戦い続け、さらに空で9年間。

 戦いに勝って、むすめと馬にのって7年間たって、自分の家にかえりつきます。

 計算するとベルゲンの年齢は53になります。それでも計算する人はいないでしょうから話としてなりたつのでしょう。
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「三枚のお札」いろいろ

2018年08月03日 | 昔話(日本)
 一つの昔話でも、地域や伝承者によって細かい点で異なっている場合も多く、これに再話を含めると、さらに混乱するところもある。

 「三枚のお札」も
 ・小僧さんがでかける目的が、栗拾いだったり、山菜取り、花を摘むなどさまざま。
 ・札も、和尚がくれたり、便所の神様がくれたりする場合もある。
 ・そして、最後の場面もさまざま。
    豆にばけた鬼婆を、和尚が食べてしまう。
    和尚は小さくなった鬼婆を壺に閉じ込め、お経で封印してしまう。
    鬼婆を小さな虫に化けさせ潰してしまう。
    和尚の機転で小僧が鶏のマネをすると、鬼婆は夜明けを恐れて山に逃げ帰っていく。
 など。

 こうしてみると伝承者の方が楽しんで工夫したかのようにも思える。

 ところで、浜田廣介著の「こぞうと鬼ばば」(世界民話の旅9 日本の民話/浜田廣介著/さ.え.ら書房/1970年初版)は、「三枚のお札」と同じ内容であるが、途中の風景を楽しみながら列車にのっている感じになっている。

 豆にばけた鬼婆を、和尚が食べてしまう場面、浜田版では、豆を炉であぶり、火ばしで豆をはさんで、息をふきかけ、たたみの上でさましてから食べる。おまけに和尚の歯がまだ丈夫で、噛み砕く場面まである。
 そのほかのところでも、大分ふくらんでいて、語るには、ほかのものの倍以上の時間を要するので頭がいたいところであるが、すてがたい味のある話にできあがっている。
    

 最近読んだものでは、小僧さんがでかけるのが冬木を山にとりにいくというもの。
 冬木というのは耳慣れないが仏様におそなえするものという。
 小僧さんが逃げ出すとき、針の山、火の山、川がでてくる。
 最後は、鬼ばさが、井戸の中に飛び込んで閉じ込められてしまう。
 ここででてくる鬼ばさの髪にむかでやとかげがいて、小僧さんが真っ赤な火ばしで追うと、鬼ばさはうまそうに食べてしまう怖い場面があります。


     三枚のお札/日本の昔話5 ねずみのもちつき/おざわとしお・再話 赤羽末吉・画/福音館書
店/1995年初版

 1981年ユネスコ・アジア文化センターとアジアの国々が協力して出版されたアジアの昔話に、日本の「三枚のお札」が載っていました。(アジア地域共同出版計画会議・企画 ユネスコ・アジア文化センター・編 福音館書店)


              火と山と川のおふだ/大江ちさと・文 太田大八・絵/トモ企画/1989年初版


 「三枚のおふだ」を大江さんが再話したもの。こぞうさんが、和尚さんから「ほどけさまにあげる はぎの花おってこいや」といわれ、山に出かけます。

 おにばばにおわれた、こぞうさんが、一枚目のお札で火を、二枚目のお札で山を、三枚目のおふだで川をだします。タイトルどうりなのでわかりやすい。
 
 最後、和尚さんのところへおにばばがやってきますが、他の話と違うのは、こぞうさんをつづらのなかに入れてふたをし、天井にぶらさげるところ。おにばばが、天井にはしごでのぼると、はしごがこわれ、はしごの下敷きになったおにばばが、土間に落ちて、骨だけがのこります。

 方言が昔話を彩っています。
 「山おぐには なにがいるかわがんねえ。おそろしいこどにおうだら、このふだをなげろ。せえば、きいつけていってこいや」(和尚)
 「ばばさ、おれ べんじょ いぎとうなった」「かまわねえ、そごにすれ」
 「たまげた」が「たんまげた」です。

 おにばばが山をのぼるのは「わっしわっし」です。
 ”いっつくむかしが とっさけた ながとの ながぶち ぶらーんとさがった”は、結びの言葉です。

 絵もほんとに、昔話風です。

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