どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ルピナスさん

2025年04月07日 | 絵本(外国)

  ルピナスさん/バーバラ・クーニー・作 かけがわ やすこ・訳/ほるぷ出版/1987年

 

 少女アリスのおじいさんは、アメリカにやってきて、彫刻や看板を制作していました。アリスも時々その仕事をてつだっていました。夜、おじいさんは、遠い国々の話をしてくれると、アリスはいつも言っていました。

 「大きくなったら、わたしも遠い国に行く。そして、おばあさんになったら、海のそばの町に住むことにする。」

 やがて、町の図書館で働きはじめました。図書館には、外国のことをかいた本がたくさんありましたし、温室にはいると冬のさなかでも、ジャスミンの甘い香りにつつまれます。そこで、ほんものの南の島や高い山に登り、ジャングルにわけいったり、砂漠をよこぎったりしました。いくさきざきで、いつまでも忘れられな人たちに、おおぜいであいました。

 ところが旅行中にラクダからおりるひょうしに、背中をいためてしまい、海のそばに暮らす場所をさがしました。海を見下ろす丘の小さな家のまわりには、岩だゴロゴロしていましたが、そこを耕して、花の種をまきました。

 つぎの年の春は、いためた背中がまたわるくなり、ほとんどねてすごさなくてはなりませんでした。ところが、前の年の夏にまいた花の種が、岩の間から芽を出して花を咲かせました。その年は、種をまくことはできませんでしたが、翌年の春、ぐあいがよくなったミス・ランフィアスが散歩にいくと、丘の反対側に、青や、紫や、ピンクのルピナスの花が咲き乱れていました。風が種を運んでいたのです。
 ミス・ランフィアスは、ルピナスの花の種をたくさん注文し、村の野原や、海沿いの丘に、広い道の両側に、学校のまわりに、教会に裏に、いしがきぞいに・・・・。「頭のおかしいおばあさん」といわれても!。

 つぎの年の春、村中がルピナスの花であふれました。

 ミス・ランフィアスは、おじいさんからいわれた、「世の中を、もっとうつくしくするために、なにかしてもらいたい」という約束を果たしたのです。

 

 子どもの頃の夢をかなえていったミス・ランフィアスは、ルビナスさんとよばれることになりました。

 女性の一生というと、結婚し、子育てをするイメージが多いのですが、ルピナスさんは、生涯一人でした。絵本がかかれた時代には珍しかったことかもしれません。


 さまざまな選択肢があったなかで、おじいさんとの約束をはたしたルピナスさんの生き方に共感する方も多いようです。

 

 水彩画に色鉛筆でアクセントをつけるという画法でえがかれた絵は、やさしいかんじでルピナスのイメージとかさなります。

 おばあさんになったルピナスさんは、おじいさんからいわれたように、子どもたちにいいます。「世の中を、もっと美しくするために、なにかしなくては」。
 子どもたちは、きっと、何かを成し遂げてくれるでしょう。

 

 ところで、ルピナスの花言葉は、想像力、いつも幸せ、あなたはわたしのやすらぎなど。

  ルピナスの花


彼の手は語りつぐ

2025年04月06日 | 絵本(外国)

   彼の手は語りつぐ/パトリシア・ポラッコ/千葉茂樹・訳/あすなろ書房/2001年

 

 足を銃で撃たれ、意識朦朧になっていた少年を助けたのは、おなじ年くらいの黒人の少年。黒人の少年は、その少年をモー・モー・ベイという自分の母親のもとへ連れていきました。このあと、ふたりの少年のおかれた状況がうかびあがってきます。

 ふたりはともに北軍の兵士・・アメリカ南北戦争(1861年〜1865年) ・・で、白人の少年はセイとよぶよういいましたが、脱走兵でした。黒人の少年兵士は、ピンクといいましたが、所属の部隊とはぐれてしまったのでした。

 母親は、一か月前に、父も戦場に出かけていったことをピンクに話します。

 意外にも文字が読めるのはピンクで、ペイは文字が読めませんでした。ピンクは、詩を読むため、読み書きを教わっていました。
 「おれがおしえてやるよ、セイ。いつかきっとな」というピンクに、「ぼくだって、すごいことをしたことがあるんだ」と、リンカーン大統領と握手したことを話しました。モー・モー・ベイは、「セイの手を握ることは、リンカーンさんの手を握るのと、おなじくらいすごいことなんだよ」と感心しました。

 輸送係だったセイは、味方がバタバタ死んでいく中で、子どもまで銃をはこぶようになったこと。ピンクは、はじめ部隊には銃がなく、棒やハンマーでたたかったこと。ようやく届いた銃も、メキシコ戦争のときのお古で、暴発がしょっちゅうだったことを語ります。

 母親は、もういちど部隊に帰るというピンクをとめようとしますが、ピンクはいいます。「ねえ、母さん、この戦争でおれたちが勝たないことには、この国の病気は決して治らないんだ。」「おれたちは、いかなくちゃ。」。ピンクは、これまでも奴隷制のことを「病気」とよんでいました。

 ピンクの戦場に戻るという決意を聞いたセイは、おもわず脱走したことを、モー・モー・ベイにつぶやきます。モー・モー・ベイは、臆病者だというセイに、「ぼうやはこわかっただけだよ。だれだってこわいさ。」「勇敢だっていうことは、こわさを感じないっていう意味じゃないんだよ。」「死ぬよりこわいことなんざ、いくらでもあるさ。でも、いまはこわがらなくていい。」といって、抱きしめました。

 しかし、セイが助けられた借りがあるからとピンクと一緒に戦場に戻ろうとしたとき、敵軍がやってきて、モー・モー・ベイは殺され、地下室に隠れていたふたりは、一番恐れられていた南軍の捕虜収容所にいれられてしまいます。二人が別々のところに連れて行かれそうになったとき、ピンクは、セイに手をのばしていった。「おれの手を握ってくれ。リンカーンさんと握手したその手で。セイ、もう一度だけ」

 それがピンクの最後の姿でした。セイは、その後長生きし、娘のローザに、ローザは娘に、その娘は息子に、その息子は、その娘に、その娘は、作者に語ってきかせたという。

 

 原作は「Pink and Say」。二人の手と、それを 引き離そうとする手。ピンクは黒人だからと殺され、セイは、白人というので、かろうじて生き残りました。

 白人であっても、文字が読めなかったのは、この当時の教育事情を反映です。南北戦争は歴史の授業で習いますが、黒人連隊があったこと、少年まで動員されたことにはふれられることはありません。


いい夢とつまらない旅・・フランス

2025年04月05日 | 昔話(ヨーロッパ)

     空にうかんだお城/フランス民話 山口智子・訳 岩波書店 1981年

 

 オオカミが、ある晩、どっさり いいものをみつけるという夢をみて、でかけました。

 道で生ハム、ブタのあぶらみ、子ウマ、子ブタ、おヒツジをみつけ、たべようとしますが、うまくいきませんでした。

 オオカミは、朝でかけてからじぶんの身におこったことをおもいかえしていました。

 「あの生ハムは、そう塩からかったわけじゃない。あのままでじゅうぶんいけたんだ。(塩からいと食べなかった。)

 あの あぶらみは、そんなに古くもなかった。あれでけっこうくえたんだ。(古すぎると食べなかった。)

 蹄鉄屋でもないこのわしが、めウシのあしのとげなんぞにかかわりあうことはなかったんだ。(めウマの足のとげをとろうとして、後足の一撃をくらっていました。)

 あの、子ブタどもは、そうきたなくもなかったんだ。あのままとってくえばよかったんだ。(うまく逃げられていました。)

 わしはヒツジのうちの一ぴきをえらぶことはなかったんだ。どっちでもいから、うしろからがぶっとかみつけばよかったんだ。(二匹のヒツジの真ん中にはいって、おそろしい角の一突きをくらっていました)

  

 「わしはもう、むしゃくしゃして、いっそのこと、このすみやき小屋に、ちょうどすみやきでもいて、わしのしっぽを根からばっさりやってくれりゃいいとおもうくらいさ。」

 オオカミが、冗談めかしていうと、すみやきが ちゃんと しっぽを 切ってくれましたよ。

 

 反省の弁が、三かい続いて、後悔の念が伝わってきます。


巨石運搬!海をこえて 大阪城へ

2025年04月04日 | 絵本(日本)

    巨石運搬!海をこえて 大阪城へ/鎌田 歩/アリス館/2024年

 

 熊本城や姫路城を見たことがありますが、巨大な石垣と大小の石が巧みに積み上げられているのを見ると、どれだけ多くの人がかかわっていたのか気になります。

 この絵本は、大阪城につかわれた巨大な石の切り出しから、運搬、石垣ができるまでが臨場感いっぱいに えがいています。

 今から400年ほど前、小豆島から大阪城につかわれるたくさんの石が運ばれたといいます。

 いい石がみつかると、まずは岩のまわりの木が切り倒され、その木で足場を作ると、石を切り出す準備がはじまりました。石工が、石が割れる向きをさがすと、ノミでめじるしをつけ、石切歌に合わせてノミをたたきます。

 矢穴に、セリガネをはさんで矢をはめると、大ゲンノをたたいていきます。

 カン!カン!カン!
 ガン!ガン!ギン!

 バキバキバキ

 石が割れると、形をととのえ、シュラとよばれるおおきなそりにのせて、丸太の上を、歌に合わせて ひきだします。

 大きな石、おおぜいの共同作業を象徴するような多くの人が、三ページにわたって えがかれています。絵本は2ページ単位ですから、3ページ目は 折り込み。

 重機もなく、切り出し、運搬、組み立てまで、すべて人力が基本ですから、どれだけ多くの人が、かかわったことか。実際の作業は、名もない人びと。こうした人たちは、歴史の表面にはでてきません。


てんぐになったむすこ・・徳島

2025年04月03日 | 昔話(中国・四国)

      徳島のむかし話/徳島県教育会編/日本標準/1978年

 

 「むかしの子どもも、今のこどものように、親の言うことをあまり聞かなかったようじゃ」と、はじまり、「夕飯を食べなくていい。外で立っておれ。てんぐはんにさらわれたほうがよいわい。」と外へ出された六助。
 泣き声が聞こえなくなって、もうなかへいれてやろうかと、雨戸をあけて、「六助、六助。」とよんだが、どこにもいない。近所の人たちにも来てもらいあちこちさがしまわったが、とうとうどこにも見つからなかった。

 それから二十年たっても、五平さん夫婦は五つの年にいなくなった六助のことがわすれることができん。ところが、六助がやってきて「ただいまもどりました。」という。五平さん夫婦はびっくりしてたが、よくよく見ると、子どものときの六助とおんなじものがある。

 六助が立派な若者になってもどってきたので、夫婦は夢を見ているようじゃった。「おまえ、いったいどこで、何をしてくらしておったんじゃ。」と聞くと、「ほれはまたあとで言います。」という。そして、六助は、三日後、「今晩わたしの友だちが二十人来るけん、ごちそうを廿人分作ってください。友だちとお別れの会をするのです。お別れの会がおわったら、なんでも話します。ただ、友だちが来ても部屋をぜったいにのぞかないようにしてください。のぞいたらまたもとのところへもどりますから。」という。

 のぞくなといわれると、次にくるのは、のぞくこと。ちょっとみるくらいならかまわんじゃろうと、足あとを立てないようにそっとざしきの障子へあなをあけ、のぞいてみると・・・。

 またてんぐのところにもどることになった六助に、五平夫婦は、年に一度でいいから、帰ってくれと頼んだ。それ以来、お盆の十六日になると、五平夫婦は、いっしょうけんめいご馳走をこしらえて座敷に並べ、てんぐになったむすこのかえりをまった。夜が更けると、てんぐになったむすこがどこからともなくもどってきて、両親と話をしたという。

 五平夫婦がなくなっても、このあたりではお盆がすんだ十六日に、ご馳走をこしらえ、てんぐさんがくるのをまつ習慣ができてしもうたと。

 

 年に一度会う、七夕の織姫と彦星を思わせます。


ひとくち童話

2025年04月02日 | いろいろ

東君平 ひとくち童話から(フレーベル館/1995年)

 

くいしんぼ

 くいしんぼの いぬが
 おりました。

 なにを みても、
 たべる ものに みえました。

 あさ、
 おひさまが でると、
 ハムに みえました。

 ひる、
 ながれぐも みると、
 パンに みえました。

 よる、
 おつきさまを みると、
 たべおわった
 おさらに みえました。

かぜ

 くいしんぼの いぬが
 じぶんの こやを かじりました。

 よるに なると、
 そこから かぜが はいってきて、
 さむいおもいをしました。

こいぬ

 こいぬが さんびき うまれました。

 「まだ なまえを つけては いけないよ」
 おとうさんが いいました。

 もし なまえを つけると
 どこへも やりたくなくなるからです。

 それに、
 もらった ひとの たのしみも なくなります。

 

 笑い話でも、詩でもなく、「ひとくち童話」というタイトル。

 短いですが、六巻まで。一巻30編ほど。


おおきな おおきな おいも

2025年04月01日 | 絵本(日本)

    おおきな おおきな おいも/赤羽末吉:作絵/福音館書店/1972年

 

 楽しみにしていたいもほり遠足が、雨で、一週間延期になりました。

 つまんない つまんない

 先生から、1つ ねると むくっと おおきくなって

      2つ ねると むくっ むくって おおきくなって

      3つ ねると むくっ むくっ むくって おおきくなって

      ・・

      6つ ねて 7つ ねると いっぱいおおきくなって まってくれると いわれ 

 こどもたちが 紙をつないで おいもを かきはじめました。

   ごしごし しゅしゅ ぴちゃぴちゃ えっさか ほっさか

   もっと 紙 えっさか えっさか

 できたのは、十三ページ もの ながーい ながーい ながーい おいも。

 こんどは おいもほり すこっぷで すっぽん すっぽん つあひき ふれーふれー。

 どうやって はこぶ?

 バスやトラック、ダンプカー?

 いや いや はこぶのは ヘリコプター。

 ごしごしあらって いもざうるす

 いっぱいあそんで おりょうり おりょうり

 たべて たべて たべて 

 ガスがたまって ぷー ぶわーん おならで そらへ うちゅうへ

 

 リズムが抜群。いものほかは、黒い線だけ。

 タイトルの前に、”鶴巻幼稚園・市村久子の教育実践による”とありました。 

 いまから50年以上前の絵本ですが、なんとも、おおらかな子どもたちの自由な発想が楽しい。そして、子どもの発想をひきだす先生も素敵。
 
 でっかい でっかい 芋。最後の おならの オチにも 笑えました。

 

 この絵本も、世代をこえて読まれています。


ぼくは あるいた まっすぐ まっすぐ

2025年03月31日 | 絵本(日本)

   ぼくは あるいた まっすぐ まっすぐ/マーガレット・ワイズ・ブラウン・作 坪井郁美・文  林明子・絵/ペンギン社/1984年

 

 マーガレット・ワイズ・ブラウンの短編(1944年!)を、日本人コンビが絵本にしたもの。

 おばあちゃんからでんわが。
 ひとりでおいでといわれて、「ぼく」は おうちの まえの みちを まっすぐ いって いなかみちを まっすぐ まっすぐ、おばあちゃんのところへ むかいます。

 建物がならんだ街をまっすぐすすんで、野原、畑を通り、林の中、丘を越え、ぶつかったのは、馬小屋。犬小屋、蜜蜂箱にびっくりして、ようやくついたのは、おばあちゃんの家。
おばあちゃんは、大きなケーキを用意してくれていました。

 「ぼく」は、つぎからつぎへと はじめてのことに であいます。
 道端の花、ちょうちょ、野イチゴ。馬とか犬が はじめてというのは ご愛敬でしょうか。

 うすい緑の色合いが、やさしい雰囲気を醸し出しています。

 

 丘を後ろ向きで登り、後ろ向きでおりるのは?

 途中に丘や川があって、まっすぐ あるくのは 障害になるのですが、おばあちゃんが、「一人でおいで」と、いったのは「困難にぶつかっても、のりこえられるよ」というメッセージを 伝えたかったのかも。


子どもたちの遺言

2025年03月30日 | 画集・写真集

   子どもたちの遺言/谷川俊太郎・詩 田淵章三・写真/佼成出版社/2009年

 

 三十数編の詩と、生まれた瞬間から、成人までの写真のコラボ。

 写真がさきか? 詩がさきか? あるいは同時だったのか?

 笑顔の子、何かに夢中になっている子、ふざけている子、どこかで見たことのある自然な表情。忘れていた過去が重なります。

 

 子どもの目線で、願い、感動、不安、希望、感謝がうたわれていました。

 

 どきりとします。

 ・お化けや地震がこわい。でもお金がないのはこわくない

 ・わたしは幸せです でもわたしが幸せなだけでは 世界はよくならないと思うのです 違いますか?

 ・ころんだら起き上がる 迷ったら立ち止まり・・ 雲を見る 風を聞く そして話し合う 友だちと

 

 「生まれたぼく まだ眼は開いていないけど まだ耳も聞こえないけど ぼくは知っている ここがどんなにすばらしいところか」に 答えられているのだろうか?

 あとがきにある、「うまれたばかりの赤ん坊に遺言されるような危うい時代に私たちは生きている」に、同感。


峠の老い桜

2025年03月29日 | 紙芝居

   峠の老い桜/脚本・絵 北川 鎮/雲母書房/2011年(14場面)

 

 もう何百年も、峠を越える人々を見守ってきた桜の木。

 村を訪れる商人や、郵便屋さんの道しるべになり、村を離れたものが故郷を思い出すのも、隣村へ嫁ぐ花嫁と家族の別れの場にもなっていました。

 村の人たちは、この年老いた桜を”桜じいさん””と呼んで、まるで村の鎮守様とおなじように、大切にしていました。春になると、満開の桜の木の下で、ご馳走を持ち寄り、酒を酌み交わしながら楽しくすごしていました。

 何年も愛されてきた桜じいさんですが、年にはかてず、あちこちが弱くなり、自分の力でな、枝をささえられなくなってきました。村の若い衆が、桜じいさんを杖で支え、肥料をやって世話するようになりました。

 だが、戦争が激しくなって、ちいさな山奥の村からも、若者がつぎつぎと兵隊にとられ、桜の木が、別れの場になりました。若い働き手がいなくなった村では、いつしか桜じいさんの世話まで、手が回らなくなりました。虫に食われ、雨や風、冬の寒さに耐えられなくなった桜じいさんは、大きな台風で折れてしまいました。

 長い戦争がおわり、いっしょに征った何人かは、ちいさな白木の箱に入り、友人の胸に抱かれ、無言で帰ってきました。生きて帰ってきた二人は、「戦地では、ちらい時も苦しい時も、いつもいつも、桜じいさんのことを思い浮かべて生きてきました。夢もみました。」と、桜じいさんにむかって敬礼をしました。

 翌年の春、倒れた桜じいさんの始末に集まった若い衆は、桜じいさんの木株から、若い枝が何本か元気よくのびているのを 見つけました。これは戦地で散って逝ったあいつらの生まれ変わりに違いないと、村人は、戦争で失った夫や息子をしのび、それと同じ数の若い桜の木を育て、そのそばに、ちいさなお地蔵さんをたてました。

 それから何十年かたって・・・。

 

 桜は、日本人にはかかせない木。
 

 新しい道路ができて、峠の道を通る人はいなくなりましたが、峠の桜は、これから、どんな時代を見続けるでしょう。


俳句はいかが

2025年03月28日 | 五味太郎

   俳句はいかが/五味太郎/岩崎書店/1994年

 

 いくつかの段落にわけられ、五味さんの俳句論?が 自由に展開していきます。

 絵本といっても、絵?は、グレーの地に、白字でえがかれた線があるだけ。

 敷居が高い俳句ですが、五味さんがいうと 面白さがいっぱい。

 松尾芭蕉や小林一茶など、小中学校で習った有名な俳句を五味流で 読み解きます。もちろん、ご自身の俳句も。

  「閑や岩にしみ入る蝉の声」
  「秋深き隣は何をする人ぞ」

 何十年たっても小中学校で習ったことが、スムーズに口にでてくるのも、俳句の不思議さでしょうか。

 

 「ひとつの言葉にひとつの意味、ひとつの問題にひとつの答え、を尊ぶ精神には俳句はなじみません。俳句は試験問題にもなじみません、。言葉はうごく、言葉はゆれる、言葉は旅をする、そう、言葉すなわち人だからね、ということをあらためて俳句は思い起こさせます。」

 学校のテストのためにおぼえた俳句ですが、それはそれで、いつまでも残っているのも 俳句の良さでしょう。

 

 五味さんの一句。

 「走査線すり抜けて来る訪ね人」

 季語がないようだが、ブラウン管の細い線は、春の感じと、五味さん。作家には、言葉だけでなく感性も必要不可欠。


桜と椿

2025年03月27日 | 日記

    

 

一昨日開花した陽光桜。午前中は三輪だったのが、午後には五輪。

それが、一日おいて 満開に近い。20度以上の日が、つづいた影響か。

ちかくにあるソメイヨシノは、一輪咲いた。

一方、満開はすぎた椿のほうは、まだまだ 頑張っています。


いいこって どんなこ?

2025年03月27日 | 絵本(外国)

  いいこって どんなこ?/ジーン・モデシット・文 ロビン・スポワート・絵 もき かずこ・訳/冨山房/1994年

 

 うさぎのハニーぼうや、そとでなにかあったのか、おかあさんに、「いいこって どんなこ?」と聞きました。

 「ぜったいに なかないのが いいこなの?」
 「いいこって つよいこのこと?」
 「おこりんぼは いいこじゃ ないよね」

 つぎつぎと 質問する ハニーぼうや。

 ハニーぼうやの どんな質問にも、おかあさんは、こどもに よりそって 答えます。

 

 ハニーぼうやの 質問は、日ごろ、親が言っていること裏返しでしょうか。「なかないで」「つよくなれ」などは、つい いいがちな ことば。

 いい子、いい子っていうのは、子どもを縛ってしまう ことば。

 

 ハニーが、「おかあさんは ぼくが どんなこ だったら いちばんうれしい?」ときくと、「ハニーは ハニーらしく してくれるのが いちばんよ」という、おかあさんの境地には わかっているけれど、なかなか なれないのかも。

 

 絵はちょっと重苦しい感じで、もっと 明るくても よさそうです。


山父退治・・高知

2025年03月26日 | 昔話(中国・四国)

      高知のむかし話/土佐教育研究会国語部会編/日本標準/1976年

 日本の昔話には山姥がよくでてきますが、山父というのはでてきません。そういう意味では、めずらしい話です。

 

 土佐の国の国境の山の中に、宮ん谷という村があった。その村からは阿波の国へむいて、ひとすじの山道があった。

 この山道に山父があって人を食うという、うわさが広がり、人がばったり通らんようになった。旅の男がこの山道を通ったとき、急な雷と大雨で、岩屋に逃げ込んだが、もう旅人は、おらんかったという。なんでも岩屋と思ったのは山父の口の中だったという。

 村のもんがこまったときに、年若い村長の郷垣権之丞が、ひと月かかって千本の矢をつくり、太い太刀、おばのつくってくれたにぎりめしのふくろをもって、山父退治にでかけた。

 ここが一番と思ったところのまわりの木を切ったりして、ええ矢場を作った。
 腹ごしらえしていると、急に空が曇ってようすがおかしい。いそいで岩場のてっぺんで、火をたいた。そのへんが煙でいっぱいになると、山父が一番嫌いという女の髪の毛を、パチパチもえている火の中へ放り込んだ。においは、山風が吹いてきたので、山のうねをこえていった。権之丞が、「山のぬし、山父、よく聞けえ。きょうはゆるさんぞう。退治にきた」と、なんども呼ぶと、山がくろくなって、山や木が動き出した。よくみると、山か大岩がうごいてくるので、権之丞はそれにむかって矢を射かけたが、それでも山父はどんどんちかよってくる。山父は、はっきり見えるところまでくると、真っ赤な目を光らせて、ひとのみにしようとした。

 権之丞が、「千本の矢がつきてしもうた。村の衆は権之丞につづけ」と、大声で叫ぶと、山父は、矢が尽きたと思って、目の前までちかづいた。権之丞がかくしもった宝の矢を、山父の光っている目の真ん中に射かけると、山父は悲鳴を上げて、すみかへにげだした。

 天は真っ黒になって、山なりはするし、おおきな木がぐらぐらしてたおれ、山のはしがくずれおちた。山父は、「みつぼうし山の太郎ちちも、かがまし山の次郎ちちも、にどと、郷垣権之丞をあいてにするな」とさけび、きえてしまった。

 それからは、だれも山ごししても食われんようになった。けれども郷垣の家では、山父のたたりか、七代の間、男の子がうまれなかったと。

 

 山父はひとりではなく、みつぼうし山、かがまし山にもいるというから、続きを期待してしまう。


みっつのふえを もらった ヤーノシュ・・ハンガリーの昔話

2025年03月25日 | 絵本(昔話・外国)

  みっつのふえを もらった ヤーノシュ/ハンガリーの昔話/洞野 志保:再話・絵/福音館書店/2025年こどものとも通巻827号

 

 助けたものに助けられる定番と言える昔話。

 貧しい夫婦の一人息子が、仕事を探して旅に出ます。
 旅のとちゅうで、アリ、カラス、ちいさなさかなをたすけ、ふえを三つもらい、黄金の城にたどりつきます。

 王さまから、三つの仕事をすべてやりとげれば ほうびをやるが、失敗すれば首を はねるといわれ、 ヤーノシュはふかくかんがえず、返事をしました。

 一日目の仕事は、畑にかりとった きびのやまを、くずさず、きびのみだけを わけること。
 二日目は、三人の娘の 見張り。
 三日目は、海に落ちた王さまの 金の指輪を探す出すこと。

 

 アリは、きびのやまを、くずさず、みを あつめました。

 王さまの娘は、カラスに姿を変え、月にすわっていましたが、カラスは、むすめたちに、 たづなをつけ お城まで飛んで帰りました。

 海に落ちた金の指輪は、おおきなさかなのくちから、指輪をくわえた ちいさなさかなが とびだしてきました。

 

 アリ、カラス、ちいさなさかなに助けられ、すべての仕事をやりとげたヤノーシュに、王さまは、娘の一人と結婚してもよいし、馬車三台分の金貨を あたえるといいますが、ヤーノシュは、貧しい両親に、金貨をもってかえることを選びました。

 

 全体的に 沈んだ色で 表現されているのは、仕事をする前の不安感でしょうか。すべての仕事をやり遂げた城中の場面は あかるく 描かれています。