どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ロバのジョジョとおひめさま

2021年04月30日 | 絵本(外国)

      ロバのジョジョとおひめさま/マイケル・モーパーゴ・文 ヘレン・スティーヴンズ・絵 おびかゆうこ・訳/徳間書店/2015年

 

 ロバのジョジョは、おおきなメロンをやまほどのせて、毎日ベネチアをめざしてあるいていました。
 ある日、メロン売りのおやじさんは、サンマルク広場でメロンを売ることにして、ジョジョをいつもよりはやくおこしました。

 広場にはおおぜいの人がいましたがメロンを買ってくれる人はいませんでした。広場では金色に輝く四頭の馬が見下ろしています。「馬の彫刻の金の馬の下に、薄汚れたロバがいるぞ!」とはやしたてます。ロバのジョジョはよく、まぬけだとか、ぶかっこうだとかいわれて、ばかにされていましたから、メロンのかげに顔を隠しました。

 お昼になって、ドージュさまのお屋敷の扉があいて、小さな女の子がかけだしてきました。

 召使の人がとめても、女の子は、メロン売りのおやじさんに「ひとつ おいくらかしら?」と声をかけました。おやじさんは「おひめさま、おだいは けっこうなんで、どうぞ おすきなものを おもちくだせえ。ベネチアでいちばんあまい メロンでごぜえます」
 おひめさまは、ジョジョの首をやさしくなでました。ハエがたかっているジョジョを見たおつきの人は、おひめさまをつれて屋敷にもどっていきました。ところがメロンはあっというまに売り切れます。町の人たちは、おひめさまがほしがるものなら、なんでもほしがるのです。

 それから、おやじさんは毎日サンマルク広場へいくようになりました。お昼の鐘を合図に、おひめさまがお屋敷からでてきて、メロンを受け取ると、ジョジョにやさしく声をかけて、はなをなでてくれました。

 ドージュさまは、おひめさまの十歳の誕生日に馬をプレゼントしようと、町の人に自慢の馬をつれてくるよう命令します。ドージュさまは、あつまってきた馬から、おひめさまが自分で選ぶようにいいます。

 そう、おひめさまが選んだのは、メロンのそばにたっているロバのジョジョでした。

 立派でうつくしい馬がこんなにいるのに、なぜ、よりによって あんな ぼろぞうきんみたいなロバを選ぶのじゃ。不細工で、のろまで みすぼらしいロバなど、どこがいいのじゃ!」「ロバさんをもらえないなら、わたし、なんにもいらないわ!」

 おひめさまが、目になみだをためていうと、ドージュさまは、誕生日祝いはなしといいます。おひめさまは、お屋敷に戻る前に、ジョジョのところへ駆け寄ると「いっしょに にげましょう」とささやきます。

 ひどい嵐で、おおつぶの雨が 地面をたたき、風が吹き荒れた夜、ジョジョはおひめさまの屋敷をめざします。サンマルク広場に着いたとき、あの四頭の金の馬が「海の水がおしよせてくる。ねむっている 町の人びとを おこし、いっこくもはやく にげるように つたえよ。おまえが しらせなければ、おおぜいの人が おぼれてしまう。さあ、いそげ!」と、声をかけてきました。

 やがて、ジョジョは、おひめさまといっしょに駆け回り、町の人に危険が迫っていることを知らせます。「オイーン、オー、オー、オイーン!」


 うまれてよかったとおもったことなど、いちどもなかったジョジョでしたが・・。

 ひとりの人とのであいがなかったらヒーローになることもなかったロバでした。

 

 サンマルク広場に、水があふれるテレビ映像に、ひどくショックでした。ベネチアには水との長い闘いがあります。

 

命の安売り・・福岡

2021年04月29日 | 昔話(九州・沖縄)

            日本昔話大成 第七巻/関敬吾/角川書店/1979年

 

 貧乏な男が分限者に会って、一生に一度でいいから金を持ってみたいというと、その分限者は、お前の命を千両で売らないかといって、千両箱を男の前に置いた。

 分限者が、ちょっと安いが売りましょうといった男を切ろうとすると、男は千両箱から五百両取り出し、五百両もらいますから半殺しにしてくださいという。

 分限者は半殺しするわけにもいかず、五百両出して謝ったという。

 

 千両といえば貨幣経済が一般的になった時代。それ以前は物々交換。とすれば江戸時代以降の昔話でしょうか。見るだけでもいいというのは、貧乏人のせつないねがいです。

 「日本昔話大成」には、昔話の分布状況が詳しくのせられていますが、命の値段というので、外国の例も。シェークスピアの「ベニスの商人」に類似の話にもふれられていました。     

 朝鮮の話ですが

 ①李が金という男に千両を貸してくれと頼む。金は担保なしに貸すが、もし期限内に返済できない場合は、李の身体から一斤の肉を切り取ることにする。

 ②李は期限内に返済できなくなる。金は約束通り李の肉を切り取ると迫る。裁判官は両方から事情を聞いた後に、血を流してもようとの約束がなかったから、肉を一斤切り取ることはよいが、血を流してはいけないと判決を下す。

 おなじような例が、トルコにもあるといいます。


はりねずみのおいしゃさんと おばけのこ

2021年04月28日 | 絵本(日本)

      はりねずみのおいしゃさんと おばけのこ/ふくざわゆみこ/世界文化社/2021年

 

 はりねずみ医院には、風邪をひいたヒヨコや、木から落っこちたサルさん、うたいすぎてのどをからしたオオルリさんがやってきました。

 はりねずみ先生が、木で作ったヒヨコのおもちゃ、はしごのおもちゃ、ピアノのおもちゃもわたしてあげると、どの患者さんも笑顔になってかえっていきました。

 木のおもちゃは、はりねずみせんせいがつくったのかな?

 いやいや、このおもちゃは はりねずみせんせいが 森の中でであった”おばけ”さんがつくったものでした。

 ただこの”おばけ”さん、すごくはずかしがりやで、布のしたにかくれていました。

 おばけさんの家には、木のおもちゃがいっぱい。でも遊んでくれるひとがだれもいないと聞いたはりねずみせんせいは、病院におかせてもらおうと、おもちゃをあずかりました。

 はりねずみせんせいが 病院に帰る途中、ハムスターのはむちゃんが熱を出しているので、お薬をだし、木のおもちゃもわたしました。

 それから何日かたって、はむちゃんが 車輪がこわれた木のきつねのおもちゃをもって、病院にやってきました。

 はりねずみせんせいは、木のきつねのおもちゃは入院が必要と、おもちゃをあずかると おばけのこの家にいきました。

 おばけのこは、こわれるほど いっぱい遊んでくれたことがうれしくて、おもちゃをなおしはじめました。真剣に直していると、先生がいることもわすれるほど。やがて かぶっていた布がじゃまになり、ばさりとすると あらわれたのは?

 

 はずがしがりやの ぎんぎつねが、殻を打ち破る瞬間が、ほのぼしています。 

 自分の作った木のおもちゃで、森の仲間が楽しそうに遊んでいるのをみている ぎんぎつねの顔もうれしそう。

 思わず住んでみたいと思わせるぬくもりのある木の家でした。


ほら なにもかも おちてくる

2021年04月27日 | 絵本(外国)

      ほら なにもかも おちてくる/ジーン・ジオン・文 マーガレット・ブロイ・グレアム・絵 まさき るりこ・訳/瑞雲舎/2017年

 柔らかいタッチでとても落ち着く絵です。散文詩でしょうか。

 おちてきます。花びらが、噴水の水が、リンゴが、木の葉が、雪が、雨が、影が、夜のとばりが。

 自然の移り変わりと、一日の暮らしがゆったりと流れています。

 夜のとばりが おりてくると やがて ねる時間。朝、おとうさんが こどもをだきあげ、空中に ぽーんと ほうりなげ、こどもが おちてくると・・・。

 「どろんこハリー」のご夫妻の絵で、原著は、1951年。


ぼく、ひつじじゃなくて ぶたなんだ

2021年04月26日 | 絵本(外国)

      ぼく、ひつじじゃなくて ぶたなんだ/ピム・ラマース・文 ミルヤ・プラーフマン・絵 長山さき・訳/ほるぷ出版/2020年

 

 ひつじたちのなかで いっぴきが ぶたたちといっしょに どろのなかで ねそべったり、ころがったりしています。

 こひつじも ぶたたちも 「へんてこりんな こひつじだな!」「おかしな こひつじだね!」とさけびますが こひつじは「ぼくは へんてこりんじゃないぞ!」と さけびかえします。「ぼくは こぶたなんだ!」

 いくら笑われても「ぼくは こぶたなんだよ。どろのなかを ころげまわるのがすきなんだ!」というこひつじ。

 心配した飼い主のおじさんが獣医さんのところに連れていくと、獣医さんがいうには「ここのこは、こひつじじゃなくて こぶたなんだよ!」

 「どこからみても、こひつじじゃないですか」「それはみためだけだよ。このこのこころのなかは ちがうんだ。でもちゃんと からだとこころが ぴったりあうように できますよ。」

 獣医さんがこひつじの毛をそり、しっぽを くるりとまくと・・。

 ひつじたちも ぶたたちも こえをかけてくれます。

 

 LGTBを意識して描かれた絵本のように思いますが、作者はもっとひろく、「他人の意見や批評、期待に影響されるのではなく、自分自身の”心の声”に耳を傾けてみてください。」といいます。

 見た目を変えなくても受け入れられるのであれば、それが一番ですが、そこまではいたっていないという現状もありそうです。


モンゴル大草原800年

2021年04月25日 | 絵本(外国)

      モンゴル大草原800年/イチンノロブ・ガンバートル・文 バーサンスレン・ボロルマー・絵 津田紀子・訳/福音館書店/2018年

 

 チンギス・ハンがモンゴル帝国をつくりあげた1206年から2017年まで、歴史上の出来事を超特急で振り返ります。

 中央アジアやヨーロッパを支配し、元をつくり、日本に攻め入り、やがて清の支配と独立、世界で二番目の社会主義となり、民主化運動、憲法の制定まで。

 世界帝国をつくったモンゴル衰退の原因が、部族同士の争いだったこと、アジアで二番目の宇宙飛行士になったのがモンゴル人だったこと、モンゴル新文字がつくられたのが1941年など興味深いこともあります。

 ある家族とその子孫の歴史とのかかわりを軸に、大草原や都などの様子を俯瞰する絵は見ごたえがありました。

 でも、近い国でありながら、モンゴルのことはほとんど知らないことを思い知らされました。


ミョウガ宿

2021年04月24日 | 昔話(日本)

・ミョウガ宿(読んであげたいおはなし 松谷みよ子の民話 上/筑摩書房/2002年初版)

 落語にもある聞いていて楽しい話。

 ちいさな宿屋を営んでいた夫婦のところへ、ある日旅の薬売りやってきて、財布をあずけます。

 薬売りが風呂にはいっている間に、夫婦が財布をみると大金がはいっています。

 なんとか大金をわがものにしたいと、夫婦は、物忘れをするというミョウガを薬売りに食べさせます。
 夕飯も朝飯もミョウガづくし。

 朝、薬売りはあずけた財布のことはなにもいわず、宿屋をでていきます。ほくほくしていた夫婦でしたが、すぐに薬売りがもどってきて財布をとりもどします。

 客を見送った夫婦ですが、よくよく考えると宿賃をもらいそこねたことに気がつきます。客が宿賃を払うのを忘れたのです。
 
 ミョウガを食べると物忘れするというのですが、むしろミョウガは、脳の記憶や集中力を活発に活動させるようです。

 この話にもいろいろなバージョンがあります。

 松谷版にはないのですが、宿泊客がミョウガ料理の美味しさをあちこちで吹聴してくれたことで、それからその宿屋は「ミョウガの宿」と呼ばれ、たいそう繁盛したというオチがあるものもあります。


・ミョウガ宿(かたれやまんば3/藤田浩子の語りを聞く会/1998年初版)

 冒頭部に、宿屋の亭主がお坊さんの説教を聞く場面が入っていて、大分長くなっています。

 逆に後半に、特徴があるのが、こぐま社版(子どもに語る日本の昔話2/稲田和子・筒井悦子/1995年初版)。
 宿賃を忘れた客を、宿屋のおかみさんが探す場面があります。

 宿屋の夫婦も、松谷版は人のよさそうな夫婦ですが、藤田版もこぐま社版も欲深い夫婦です。

 松谷版では、魔がさして、財布に目をつけるというあたりが、うまくでているようです、

 はじめ松谷版をみていて、みょうがの食べ物がさっぱりしていて、藤田さんのものだったら、もっと凝ったもののように思ったのですが、そのとおりでした。

 (松谷版)
   夕飯・・汁の実もミョウガ、ミョウガの玉子とじ、なにからなにまでミョウガ
   朝飯・・ミョウガのつけものに、ミョウガのみそ汁

 (藤田版)
   夕飯・・みょうがの味噌汁、みょうがの飯、みょうがの天ぷら、みょうがの酢の物
       みょうがの煮物、みょうがの刺身
   朝飯・・みょうがの味噌汁、みょうが飯、みょうがのごまあえ、みょうがの漬物

 客がうまいうまいといってお代わりする場面も、目に浮かぶようです。

 藤田さんのコメントに、茗荷の由来がのっていて、話の理由がわかりました。名前の荷物の草と書いて、茗荷と読むというくだりがでてきて、なるほどど納得でした。

 

・落語絵本 みょうがやど(川端誠/クレヨンハウス/2012年)

 冒頭部に茗荷の由来。

 徹底したみょうがづくし。

 お客がやってきて、まずは みょうが茶、みょうが煎餅、みょうが羊羹、みょうが饅頭

 お風呂はみょうが湯

 お酒も地酒のみょうが酒。お吸い物、炊き込みご飯、刺身、てんぷら、田楽、茶わん蒸し、みょうが鍋、酢のものまで、すべてみょうがづくし。

 さらに、みょうが枕、みょうが布団。朝ごはんも もちろんみょうがづくし。

 お客がボンヤリしたようすで、宿をでるのですが、もしかしたら宿の夫婦のたくらみに気づき、逆手にとって宿代を踏み倒したようです。


百足の話

2021年04月23日 | 昔話(日本)

           日本昔話大成 第一巻/関敬吾/角川書店/1979年

 

・百足の医者迎え(宮城)

 虫仲間の一匹が腹が痛いといいだし、百足が脚がうんとあって早くていいだろうと医者を迎えに行くことになった。

 みんながしっかりしろと病気の虫の看病をしていたが、いくらまっても医者がこない。百足のところに行ってみると、脚がいっぱいあるから草鞋を履ききれず、まだ医者のところに、いっていなかった。

・百足とナメクジの競争(和歌山)

 百足とナメクジが江戸まで駈け比べ。ナメクジが遅れて江戸につき宿屋で草鞋を脱いで座敷に上がろうとすると、百足はまだ18足草鞋を脱がなければだめといったので、ナメクジが勝ちになった。

 

 百足が医者をよびにいくのも、殿様の命が危なくなったり、娘が病気になったり、きっかけは地域によってさまざま。ところでいまの子は、草鞋がわかるでしょうか?


清潔なんて真っ平

2021年04月22日 | 創作(外国)

     コルチャック先生のユーモア短編小説集/伊藤栄蔵・訳/山本麟郎/1993年

 

 ある晩新聞をみて、靴屋、仕立て屋、帽子屋、手袋屋、美容室と次々に訪ね、立派な服を身につけた男。

 それから男はがらりと変わりました。歩き方はゆっくりになり、動作もしっかりして全体に堂々としてきました。挨拶するのを待っていた多くの人々が、自分たちから先に挨拶するようになりました。

 男は、住居の外観や妻と子どもたちの服装も、男の服装にふさわしいものにしていきました。

 子どもたちには、不潔な彼らから病気を移されないように、近所の家具屋の子どもたちとは遊ばないように言い渡しました。

 うっかり挨拶を交わせば交友関係に障るかもしれないと思われるような相手には、一切答礼をしなくなりました。何度も帽子を脱げば帽子の格好が崩れ、何度もお辞儀をすればカラーやネクタイがしわになるからです。

 浮浪者に小銭を与えることも止めました、ポケットが痛むからです。子どもや妻にもできるだけ近づかないように努力しました。服を汚したり、完璧さを損なうような何かが出てくると気が狂いそうになりました。

 あるとき、喪服を着た婦人が援けを求めましたが、絨毯の上についた婦人の泥だらけの足跡が気になり、話を上の空で聞くだけ。あとで連絡をすると約束しながら、そのままにしてしまいます。

 劇場にいくのもすくなくなり、市電にも乗らないようになりました。どんな人間が側にやってくるかもしれないからです。

 衛生的な生活を続けていけば、さぞや血色がよくなり、仕事も精力的にこなし理想的な幸せが得られると思っていた男でしたが、事実は正反対。仕事がつらくなり、本気で自殺を考えはじめていたのです。医者の処方箋も効き目がありませんでした。

 自殺への誘惑は一瞬も去らず、祖父から譲り受けていたピストルを屋根裏部屋で探していると、古びて色あせたネクタイ、使い古したズボン、踵の擦り切れた古い長靴が目につきました。最初の瞬間には、どうしてこんな汚らしい物を身に着けるなどということがあり得たのかと怒りをおぼえます。しかし、しばらくすると、これらを身に着けたら自分がどんなふうに見えるのだろうかと考えはじめたです。そして二度と戻ってこない失った友を見たように感じたのです。ついにみつけたピストルを片手に鏡の前に立った時、過ぎ去った日々が、つぎつぎに映し出され、自分の行動を一つ一つ分析しはじめました。そして朝の太陽が部屋に差し込んだとき、古い服装を身にまとい、そのままとおりへと出ていきました。

 それから男はまた健康になり、妻は機嫌を直し、子どもたちも以前の楽しみをとりもどしました。

 

 ユーモアとありますが、人生の機微をうかがわせてくれます。エスペラント語から訳されたものですが、内容からすると”清潔”というのは、ニュアンスが違うようです。

 自費出版でしょうか。子どもの権利条約の父と言われ、ワルシャワのゲットーでなくなったコルチャックの作品は、もっと広く読まれていいと思いました。


気のいいバルテクとアヒルのはなし

2021年04月21日 | 絵本(外国)

      気のいいバルテクとアヒルのはなし/クリスティーナ・トゥルスク:作絵 おびかゆうこ・訳/徳間書店/2021年

 

 ポーランドの山奥の村に、バルテクという気のいい若者が住んでいました。ちいさなみすぼらしい家にすみ、家族も、ともだちもいませんでした。バルテクはアヒルをかわいがり、一生懸命世話をしていました。

 ある日、バルテクが森の池にむかっていると、どこからか、かすかな音が聞こえてきました。「たすけてくれ」という声がして、よく見るとイバラのしげみに、大きなカエルがいました。カエルは、トゲだらけの茎の下で動けなくなっていました。バルテクは、からまっていたイバラをどけて、カエルの王を救い出し、池にはなしてやりました。するとカエルは大きな嵐がおこり、カミナリがとどろき、はげしい雨がふって大水が何もかものみこんでしまうという魔法の口笛を教えます。

 さて、バルテクが山道をくだっていたとき、何千人もの兵士をつれた大将の一行とであいます。一晩泊めてくれという大将と兵士を自分の家の案内したバルテクでしたが、大将はアヒルを見ると、丸焼きにするよう大声でいいます。

 「どうか、それだけは かんべんしてください! わたしの、だいじなかわいいアヒルなのです!」というバルテクを、大将はどなりつけます。大将の怒った顔をみて、バルテクは心臓がとまりそうになりました。でもかわいいアヒルを 丸焼きになどできません。ふとカエルの魔法の口笛のことを思い出したバルテクが、口笛を吹いてみると・・・。

 

  昔話風ですが、再話ということではありません。魔法の力を持つカエルですから、自分の力で危機を逃れることができそうなものですが、そこはお話の世界。大将も兵士も空中に投げ出されたり、水に溺れたりしますが、アヒルは屋根の上でバルテクは無事。

 50年ほど前の絵本ですが、兵士の隊列が事細かくカラフルで全員髭をはやしています。茅葺の家の前で民族衣装を着た人々、池のアヒル、駆け回る豚、餌をついばむニワトリなどの風景も、この村の暮らしを表現しています。

 


雁と亀

2021年04月20日 | 昔話(日本)

               日本昔話大成 第一巻/関敬吾/角川書店/1979年

 

 カメが空を飛ぶといえば、棒をくわえツルやガンにつれていってもらうが、途中で口をひらいて落下するものがおおい。

 熊本の八代郡の話では、おてんとうさまが一本の藁しべをカメにくわえさせ、天にむかって飛んでいくが、中途でカメが目をあけると、目がまわって空から落ち、甲羅を割ってしまう。

 この話も全国的に分布し、今昔物語にもあるといいます。

 埼玉には、威張り屋の亀が雁に頼んで大空を飛ぶが、羽がなくても空を飛べると自慢した拍子に地に落ちる(川越市)、亀がどこか遠い国に連れて行ってくれと頼むが、途中で雁は、鉄砲で撃ち殺されて池のなかに落ちる(比企郡)といった話もあるといいます。

 空にのぼろうとするきっかけ、口をあくわけ、落ちた後の状況など、いろんな組み合わせがあります。

 外国でも多いパターンの昔話ですが、それだけ人間には空へのあこがれがありました。


カール少年とどろぼうたち

2021年04月19日 | 昔話(ヨーロッパ)

    オックスフォード世界の民話と伝説9/北欧編/山室静・訳/講談社/1978年改訂第1刷

 

 むかし、国が乱れ、泥棒たちがおおいばりで稼ぎまわっていた時代。着ているシャツはもちろん、シャツについているボタンまで泥棒にとられていました。

 母親と暮らしていたカール少年は、泥棒のところへ出かけ、とられたものをみんなに取り返してやろうと、母親がひきとめるにもかかわらずでかけます。

 泥棒の家には、赤ん坊のころから働いているおばあさんが一人いました。おばあさんはカール少年に、すぐに帰るようにいいましたが、少年はベッドの中にもぐりこみます。

 泥棒が帰ってくると、カール少年は、泥棒にしてほしいと頼み込みます。泥棒はひとつの試験をしてみて、もしこの試験にうかったら、泥棒の仲間にいれてやることにしました。試験というのは、ここからそんなに遠くないところにすばらしい牛を三頭持っているお百姓がいる。そのうちの一頭を、明日町につれていって売ろうと考えているので、そのウシをお百姓にきずかれないように、盗むことができたら、仲間にしようというのでした。

 カールは靴の片方を道のまんなかにおき、お百姓がとおりすぎると、大急ぎで先回りして靴を道の真ん中においておきます。前の靴をひろってきたらと思ったお百姓が、ウシを木につないで道をもどっていくと、カールは、すぐにウシをひっぱって逃げ出しました。

 おかみさんにしれたら、ぶちのめされちゃうと、お百姓は二頭目のウシをつれだします。二頭目のウシも木にぶら下がり盗み出したカールに、泥棒たちは、さらに三頭目のウシを盗んだら親分にすると約束します。三頭目はウシのなきごえで盗み出したカール少年は、泥棒の親分になりました。

 カール少年は、自分の家に泥棒に入ることを命令し、わざとまわり道をおしえました。泥棒たちがカール少年の家にでかけると、三頭のウシをもとの持ち主にかえし、泥棒の家にあるお金や宝物を残らず馬車に積み込むと、おばあさんをつれて故郷の村に帰りました。そして力を合わせて泥棒たちをやっつけてしまおうと村人にいい、やってきた泥棒をぶちのめしたり、やっつけたりしたので、生き残った泥棒たちは、ほうほうのていで逃げていってしまいます。

 カール少年は、持ち帰ったお金を村中の人にわけてやりました。

 

 ところで、泥棒と盗賊の違いですが、盗賊は組織、泥棒は個人のイメージで、この昔話は盗賊のイメージ。ただ、盗賊は暴力行為をすると考えると、暴力についてはふれられていないところは、泥棒のイメージです。


犬になった王子・・チベット

2021年04月18日 | 絵本(昔話・外国)

      犬になった王子/君島久子 後藤仁/岩波書店/2013年

 

 チベットの主食であるツァンパは、大麦をいり粉にしたものに、お茶やバターを入れてこねて食べるというのですが、この大麦の由来です。

 むかし、チベットのプラ国に、勇敢で心優しい王子がいました。そのころプラ国には食べ物といえば、ヤクや羊のお乳や肉。ほかには、なにもありませんでした。しかし、山の神のリウダさまのところには、おいしい食べ物のできる穀物のタネがあるといういいつたえがありました。アチョ王子は、そのおいしいものを、国中の人々に、食べさせたいと思い、王さまとおきさきさまがつよくひきとめるにもかかわらず、旅に出る決意をします。


 山の神のもとへは九十九の山と九十九の川を越えなくてはなりません。ところが山は険しく、川はさかまき、そのうえ猛獣や毒蛇が絶え間なく襲ってきます。九十八の山と川をこえるまで、同行した家来たちは、ひとりひとりと死んでいき、アチョ王子はたったひとりになってしまいます。

 九十九番目の山の頂上の大きな木の根元で、おばあさんが糸車をまわしていました。王子は、おばあさんから教えられた九十九番目の川の源の滝で、ようやく山の神と会うことができました。

 山の神は、タネは蛇王がもっていること、これまでにやってきた者は、みな犬にされて食われてしまったこと、タネを手に入れるためには盗み出すしかないことをおしえてくれました。そして、蛇王が竜王をたずねていくわずかな時間、番兵が居眠りをする、そのすきをねらうしかない、いざというときは「風の玉」を口に入れるようにいいます。

 一度は失敗しますが、蛇王のほら穴に忍び込むことに成功した王子は、玉座の下に積んである穀物の袋からタネをつかみだし、首にかけていた袋にいれ、ほら穴をとびだしますが、蛇王が帰ってきて、金色の犬にかえられてしまいます。

 王子のからだは羽が生えたように軽くなり、風のようにはやく、いくつもの山をこえていきました。犬になった王子はゴマンという娘にあい、タネをまくようにみぶりでおしえ、タネが芽を出し穂がみのるまで一緒にすごします。

 気に入った若者に果物をなげて夫を選ぶ儀式で、犬になった王子を選んでしまった娘は、村長の怒りをかい、村を追い出されてしまいます。

 犬になった王子は、麦のタネをまきながら、国へ帰るので、まいた麦のあとをついてくるよう娘に話し駆け出します。娘がタネのまいたあとをすすむと、だんだんタネが芽をだし、それがのびて、やがて穂をつけた大麦がみられるようになりました。

 やがて遠くの方に立派なお城がみえてきました・・・・。

 

 広大な大地、うっそうとした山々、人々の民族衣装、詳細な存在感のあるアチョやゴマンなどみどころいっぱいです。


日本版兎と亀

2021年04月17日 | 昔話(日本)

          日本昔話大成 第一巻/関敬吾/角川書店/1979年

 

 イソップのウサギとカメの駈け比べの日本版。筆者にとって初めてという。

・兎と亀の駈け比べ・睡眠型(福島)

 兎が最後にいう言葉。

 「兎さん兎さん、何やってるの。僕より足が速いのに、あんたは怠け者だね」「自慢そうな駈け比べを私に呼びかけるちゅうのは無理でしょう。あんたはなまけ者でしょう」

 

 東日本、西日本の八県に分布しているという。

 長崎 なめくじとむかでの競争。

 新潟 のみとしらみの競争。


うさぎのいえ・・ロシア

2021年04月17日 | 絵本(昔話・外国)

 訳と内田さんの再話がありました。


      うさぎのいえ/エウゲーニー・M・ラチョフ・絵 監訳: 牧野原 羊子・監訳/カランダーシ/2013年


 カランダーシというのは聞きなれない出版社ですが、どなたかが一人出版社と紹介されていました。

 絵は「てぶくろ」とおなじエフゲニー・ミハイロビチ・ラチョフ(1906~1997)さん。

 きつね、うさぎ、二匹のいぬ、はいいろおおかみ、としよりくま、おんどりの洋服は古いロシアの農民のイメージでしょうか。

 きつねに家を取られたうさぎを助けようと、いぬ、はいいろおおかみ、としよりくまたちが次々と登場しますが、きつねを追い出したのは、ちょっと恐ろし気な草刈鎌をもったおんどりでした。

 きつねがうさぎの家を乗っ取る駆け引き、きつねが、いぬ、はいいろおおかみ、としよりくまたちを脅かすやりとりがリズミカルで、おんどりがきつねをやりこめるところも楽しい。


      うさぎのいえ/内田 莉莎子・再話 丸木 俊・画/福音館書店/1969年

 今は絶版で、見られるのは図書館だけのようです。

 きつねがうさぎの家に入り込む場面。きつねが「おほほほほ、わたしですよ。きつねですよ。とおくの とおくのから 歩き通しで、足はくたくた。おまけに、あめにぬれて こごえそう」といかにもうさぎの同情をかうようにいうと、うさぎが、家に入れてくれるのですが、カランダーシ版では、うさぎが断っても、きつねが何とか頼み込み、はじめは庭に、次に玄関の先、家、暖炉のそばにと入り込むと、態度が一変し、うさぎを追い出します。

 またおんどりが、きつねを追い出すところは、おんどりときつねのやり取りが繰り返しあるのがカランダーシ版ですが、内田さんの再話は、おんどりが狩人がきたと歌うと、きつねが逃げ出すとさっぱりしています。そして、きつねを家から追い出そうと、うさぎに加勢するのは、犬、羊、おんどりと、登場人物もおさえめ。くどくなるのを避けたのでしょうか。