どんぴんからりん

昔話・絵本いろいろ。語るのを目的としたものでしたが・・。それにしてもまるで森に迷い込んだ感じです。(2012.9から)

そんなとき どうする? そんなとき なんていう?

2018年01月31日 | 絵本(外国)

               そんなときどうする?/セシル・ジョスリン・文 モーリス・センダック・絵 こみや ゆう・訳/岩波の子どもの本/2013年

 意外性に富んだ設定で「そんなときどうする?」とたずね、次のページには答?が続きます。

 マナーは厄介ですが、これならすんなりとはいっていけそうです。

  図書館で本を読んでいると強面のとんがりビルがつれだそうとしたら?
  雨の日、お姫さまから「お城が雨でしずんでしまいそう」とSOSのでんわがかかってきたら?
  北極の氷の家で食事中に大きなホッキョクグマが入ってきたら?
  こみあったゾウのバスにおじょうさんがどうしてものせてくれといったら?
  ともだちの誕生パーテイに、はらぺこりゅうがおしかけてきたら?

 どうする?と聞かれ、「そうくるか」と妙に納得してしまうものばかり。

 「わかき しんしの ための れいぎさほうのほん」なのですが、「図書館では静かに歩きましょう」「ごはんのまえには手を洗いましょう」「せきをするときは 手で くちをおおいましょう」には驚きませんが、思わずユニークな対処もあります。


               そんなときなんていう?/セシル・ジョスリン・文 モーリス・センダック・絵 たにかわ しゅんたろう・訳/岩波こどもの本/2016年

 原著は1958年。白黒、青だけのシンプルな絵です。

 どうする?とおなじように、いろいろな問いかけがあって、答えが出てきます。

 答えはシンプルですが、場面の設定が楽しいのは、「どうする?」とおなじです。

  牧場を見回っていると、とつぜん とんがりビルが 背中から拳銃を突きつけ「どたまに かざあなあけてやろうか?」と すごまれたら?
  ときどき そうしたくなるので うしろむきに あるいていると わにに ぶつかる そんなとき なんていう?
  自家用機で 空を飛んでいると、侯爵夫人が、「そのうち ぜひ おちゃでも」といっていたのを思い出して、そうすることにしたが、困ったことに屋根に大きめの穴をあけてしまったら?

 ゾウ、竜、騎士、カウボーイ、看護婦、ワニ、お姫さま、海賊がでてきて、それだけでも楽しい絵本です。


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ワニのおじいさんのたからもの

2018年01月30日 | 絵本(日本)

               ぼうしをかぶったオニの子/川崎 洋・作 飯野 和好・絵/あかね書房/2008年

 絵本は2008年に出版されていますが、1979年におなじあかね書房から出版された童話集「ぼうしをかぶったオニの子」(あかね創作どうわ6)におさめられています。

 小学3年の国語教科書にものっていますから、教材研究や指導案もあって参考になります。

 物語の舞台は、夕焼けがきれいな秋から初冬の時期。ただ節分の時期なので語ってみてもよさそうです。

 帽子をかぶったオニの子が、死んでいると思ったワニに、ホオノキのおおきなはっぱを何時間もかけて、かけてやると、ワニがめをさまします。
 ころして、宝物をとろうとするやつから長い長い旅をしてすっかりつかれたワニが眠っていたのでした。

 ワニのおじいさんは、宝物をしらないオニの子に、宝の隠し場所の地図をおしえ、宝物ってどういうものか、自分の目でたしかめるようにいいます。

 あたたかい葉っぱのふとんをつくってくれたオニの子に対する感謝の気持ちと「たからもの」をしらないという稀有な存在に驚いたにちがいありません。

 オニの子は苦労して地図のバツ印のある場所にたどりつき、きりたつようながけの岩場から、美しい夕焼けを見て・・・・。

 オニの子が宝物をしらない理由や地図のありかが、なんともうまくできています。

 綺麗な夕焼けを「たからもの」と思ったオニの子。もしかすると世代間の価値観の違いも示しているのかもしれません。そして、物質的なものに執着して大事なものを見失っていることへの警告かも。

 年長者を敬う礼儀正しく優しい素敵なオニの子です。オニの子は、夕焼けを見たとき、思わず帽子をとりますが、本当の自分にかえった瞬間だったかもしれません。帽子をかぶっているうちは仮の姿です。

 そのごのワニについては、なにもふれられていませんが「わしのたからものをあげよう。これでわしもこころおきなくあの世にいける。」というセリフが暗示しているようです。


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さんねん峠

2018年01月29日 | 絵本(昔話・外国)

                    さんねん峠/作:李錦玉 絵:朴民宜/岩崎書店/1981年

 さんねん峠とよばれるところに、むかしからこんないいつたえがありました。
 この峠で転ぶと、三年しか生きられないというのです。
 
 この峠でころんでしまったおじいさん。寿命はあと三年と、布団にもぐり、ご飯も食べず、病気になってしまいます。

 びょうきはどんどん重くなり、村の人たちもみんな心配しましたが、水車屋のトルトリが、見舞いに来て・・。

 繰り返しのフレーズがリズミカルです。

 「さんねん峠で ころぶでないぞ
  さんねん峠で ころんだならば
  三ねんしか いきられぬ」

 小学校の教科書にものっていて、1981年の出版ですから、この教科書で学んだ人の子が小学生という時期でしょうか。

 有名な話のようですが、おはなし会ではじめて知りました。

 なんともリズミカルで楽しさがつたわってきました。

 いいつたえを逆手に取った解決策に、ほっとしました。

 歌、劇にもなっていて、ネットで雰囲気がつたわってきます。


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クジラがクジラになったわけ

2018年01月28日 | 創作(外国)

               くじらがクジラになったわけ/テッド・ヒューズ・作 河野一郎・訳/岩波少年文庫/2001年

 表題作のほか、フクロウ、キツネ、北極クマ、ハイエナ、カメ、ミツバチ、ネコ、ロバ、ウサギ、ゾウと、それぞれがなったわけの話です。

 昔話にはサルの尻が赤いわけなど、由来話も多いのですが、現代作家らしく料理の仕方は大分ちがっています。

 クジラは昔、神さまの野菜畑にいたクジラ草!という意表をつく出だしです。

 クジラ草は、はじめは小さなものでしたが、毎日倍々ゲームでふえていき、神さまの家の台所の壁まで押し倒す始末。困った神さまは、動物たちをみんなあつめ、海の中へ放り込みます。

 小さくなったらかえってきていいよというのですが、クジラはちいさくなる方法がわかりません。

 神さまは、クジラのあたまに穴をあけ、水をあなから吹き出すように言います。

 たしかに、からだはぐっと小さくなりますが、昼寝をすると、また大きくなってしまいます。

 息をふいてちぢんだとたん、又眠り込んでふくらむます。その結果、陸に戻ることはなかかできなかったクジラ草は、他の動物からただクジラとよばれているという。


 したたかなのはフクロウ。森の小鳥たちに、昼を夜だと思い込ませ、次々に食べてしまいます。
 
 カメは、はじめからカメではなくオーバとよばれていて、すばらしく早く走ることができ、動物たちのかけっこ大会では、いつも優勝していました。それが一番のろくなったわけは?

 ロバはそのころのことばで「ひとつだけやっていられない」という意味。
 きまった動物になるのが嫌で、いろいろな動物になる練習をしていました。
 まずライオンに、それからワシに、次にはウシにオウムといったぐあい・・。

 ウサギがウサギらしくなったのは、他の動物から、「お月さまがきみと結婚しがっている」のをきいたから。
 どこまでおいかけても月にはあえなかったのです。


 テッド・ヒューズ (1930年-1998年)は、イギリスの詩人、児童文学者。
 調べてみると複雑な人生をおくっています。
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山いっぱいのきんか

2018年01月27日 | 絵本(昔話・外国)

               山いっぱいのきんか/文・君島 久子 え:太田 大八/童話館出版/2005年


 月夜の晩に山へ草刈に出かけたランフー。ふいに足もとがぴかりとひかります。よくみれば、なんと金貨が道いっぱいに、ずうっとならべてありました

 だれがとおもっていると、金貨の間から、銀色の髪のふしぎなおばあさんがすうっとあらわれます。
 おばあさんは、ランフーに「今夜は、八月の十五夜さまで、山の神が、月の光に金貨をさらす日じゃ。運良くそれに出会ったから、これをあげよう。」と、金貨を三つあげます。

 ランフーはほくほく顔でとっととっとかえりかけて、ふとふりかえりました。
 金貨は光の帯のようにきらきらかがやいています。もうちょと、もらってもとおもいつくと、すぐにひきかえし、おばあさんに、もうちょっとくだされというと、おばあさんはもう三枚の金貨をくれます。

 おばあさんの姿がどこにもみえなくなると、もう一度考えなおしたランフーは、背負い籠の草をすてて、金貨を籠につめこみます。

 家に帰る途中、石橋の上で一休み。何しろいくらでも金貨がありますから、大きなかつぎ籠があればもっと金貨を手に入れられると・・・。

 どんどんエスカレートして、じいさま、ばあさま、むすこにむすめ、ぶた、いぬ、ひよこにまで、大かご、小かご、ふくろに、ざるまでもって・・・。

 ところが月が見えなくなると・・・。

 結局、家族の信頼をうしない、いぬ、ぶた、こやぎ、ひよこにまで、しょいかごをすてなきゃよかったのにねと言われる始末。

 欲張りすぎるのも考えものですが、やっぱり人間の心理をうまくついた話です。

 何も夜に草刈にいかなくてもと突っ込みたくなりますが、金貨は満月にしかあらわれんませんから、やっぱり夜です。

 太田大八さんの絵も、ぎらぎらしたものがなく、この話にピッタリです。

 語ってみても楽しそうです。


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金のニワトリ

2018年01月26日 | 絵本(外国)

               岩波の子どもの本 金のニワトリ/文・エレーン・ポガニー え・ウイリー・ポガニー やく・光吉夏弥/岩波書店/1954年


 プーシキンの代表的な物語詩といいますが昔話風です。初版が1954年と70年以上も前ですが、古さは感じません。

 夫妻で作られた絵本で、カラーとモノクロの絵が交互にでてきます。文章が大分長く、筋も複雑で理解するのに手がかかりそうです。

 宣伝文句風にいうと、美食家のダドーン王と”くらやみ山”にすむ、悪い魔法使いの攻防やいかにということでしょうか。

 魔法使いは、王さまがのんきに、ゆかいにくらしているのがしゃくで、手下をダド-ン王の国せめこませ、ダドーン王も兵隊をさしむけますが、王さまの兵隊が北に行くと魔法使いの軍隊は南から、東をふせごうとすると敵が西からやってきて、両者がめぐりあうことはありませんでした。

 王さまは、国中のかしこい学者をあつめ、どうしたら敵がやってくる方向がわかるか会議をひらきますが、妙案はでません。
 そこにひとりの年とった男が、なにやらつつみをかかえてあらわれます。そしてつつもからとりだしたのは金のニワトリでした。
 男が言うことには、なにもかわったことがないと、このトリもしずかに、おとなしくしているが、敵が攻めてくる気配があると、敵がくるとなきだすというのです。
 疑心暗鬼の王さまでしたが、とにかくなんでもやってみようとトリを塔のてっぺんにとまらせます。
 じつは、この男は魔法使いでした。

 ところが魔法使いの持ってきた金のニワトリが、王さまの救い主になるのが後半にあります。

 あるひ、金のニワトリがけたたましくなきだします。

   コケコッコー!目をさませ!
   となりのてきが、せめてくる!
   さあ、さあ、やりをとれ、刀とれ!
   みんなで、国をまもりなさい!
   コケコッコー! コケコッコー!
 王さまは、年とっていて、自分の代わりに、ひとりむすこのイゴール王子をさしむけます。

 イゴール王子はタチアナ姫を、お妃にむえることになっていましたが、タチアナ姫をのこし、出発します。
 それから、一年たっても王子からはなんのたよりもありません。

 王さまが羽の布団のベッドにねているとき、また金のニワトリが、てきがせめてくると大きな声でなき出します。 

 こんどは王さまがでかけることになりますが、太りすぎで鎧をきるのも十人がかり。王さまは若いころはいくさじょうずであばれまわっていたのですが。

 王さまの軍隊が山の中の深いまっくらな谷でみつけたのは、石にかえられたイゴール王子と兵士たち。 王さまがなみだをながしていると、美しいテントが、ぽっかりわいてでてきます。そのなかには、とてもうつくしい月の娘シャマカ姫がおおぜいのおつきのものたちと一緒でした。
 王さまはたちまち、シャマカ姫のとりこになり、妃になってくれるよう申し込みます。(前の妃はなくなっていたのかどうかはさだかでありません)

 そのまま姫と王子をつれて都に帰った王さまの前にあらわれたのは、魔法使いでした。

 王さまは、金のニワトリをもってきた男に、なんでものぞみのものをやると約束していました。
 魔法使いは、月の娘をいただきたいといいだしますが・・・。

 王さまと魔法使いの軍隊の攻防があると思うと、一度も戦火を交えることなく物語はすすんでいきます。

 金のニワトリの正体は、シャマカ姫がすきだった王子で、魔法使いがニワトリにかえたものでした。

 魔法使いがニワトリにひたいをコツン!と、ひとつきされ、ころりと死んでしまうのは、あっけない最後です。




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リュックのピクニック

2018年01月25日 | 絵本(日本)

                 リュックのピクニック/いちかわ なつこ:作・絵/ポプラ社/2003年


 パン屋さんお休みの日、ジーナと犬のリュックが向った先はお店です。

 サンドイッチ用のハムを買って、チェダーチーズ、レタス、キュウリ、トマトを買って。
 そうです。お弁当を作ってピクニックです。

 坂道をえっちらおっちらのぼって。
 あらら、お弁当がはいっているバッグが籠から落ちて、きがつかずにのぼって、いざお弁当をたべようとすると。

 石畳の街並み、街角に立ち飲みのコーヒーショップ、自転車でとおりすぎるのはブドウ畑とどこか外国を思わせます。、 

 ほのぼのとした絵本です。



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ほしのむすめたち

2018年01月24日 | 絵本(昔話・外国)

               ほしのむすめたち/マーガレット・ベミスター・再話 羽根節子:訳・絵/福音館書店/2000年こどものとも発行

 カナダ・インディアンの昔話です。

 ウォーピーがけものを追って森のはずれまでくると、目の前の野原の上に、輪のようなあとがついています。
 ウオービーが、かくれてみていると、12人のむすめたちが小枝で編んだ籠にのっていて、むすめたちは地面につくと輪にそって踊り始めます。

 ウオービーは、一番年下のしろいむすめがきにいり、つかまえようと飛び出しますが、むすめたちはあっという間に、空の上にあがってみえなくなります。

 次に、ウオービーはふくろねずみに姿をかえますが、むすめたちはやっぱり空へのぼっていきます。

 今度はねずみの家族が住む切り株に、ねずみのすがたにかえて、かくれ、こんどはむすめをだきかかえます。

 羽衣伝説では、羽衣をかくしますが、この話では、むすめがねずみに姿をかえたウオービーを踏みつけようとしたとき、ウオービーが人間の姿にもどります。

 やがてウオービーとむすめに、男の子がうまれ、散歩の途中、野原の輪をみつけ、それまで忘れていたほしのくにのことを思い出し、ゆらゆらと空にのぼります。
 ウオービーはなげきますが、何年かたって、ほしのくににのぼった息子が、父親にあいたいといいだします。
 ほしのおじいさんは、息子に生まれ故郷をみせてやるように、父親をつれてかえるようむすめにいいます。
 その時、森にすむすべてのとりとけものの からだのいちぶを もってくるようにいいます。

 ほしのくにでは、地上からのおくりもので、けものやとりのからだのいちぶをえらぶと、選んだ動物の姿にかわります。

 ウオービーとむすめ、こどもが選んだのは、白いタカの羽でした。

 地上からの贈り物で、ほしのくに動物がうまれたとあるのは、星座につけられた名前をあらわしているのでしょうか。

 国によって羽衣伝説にもいろいろあるというのが実感です。
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ふくはうち おにもうち・・紙芝居

2018年01月23日 | 紙芝居

                紙芝居 ふくはうち おにもうち/作・絵:藤田 勝治/童心社/1984年

 この時期のおはなし会用に、ひさしぶりに紙芝居を借りてきました。
 
 節分の日、”おにはそと”ですが、昔話には”おにもうち”というのがあって、とても憎めない鬼がでてきます。

 佐渡の昔話がベースになっているようですが、”ふくはうち おにもうち”と豆まきする由来です。

 ここにでてくる鬼たちは、人がみえないところで田植えをし、秋になると稲穂を実らせてくれます。

 ごうじょっぱりのばあさまに、姿をみられた鬼は、それから米づくりを手伝ってくれないようになりますが、村の人たちは汗水たらしては働きますから、それからもええ米ができたようですよ。

 もっぱら人手で米作りをした昔の大変さもつたわってきます。
 いや、米作りには、いまでも昔と違った大変さがあります。


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「御伽草子」のなかの浦島太郎

2018年01月22日 | 昔話(日本)
 「浦島太郎」は、
   亀を助ける
   竜宮にいく
   竜宮でのもてなし
   竜宮からかえったあと
 と四つの段落にわけられます。

 再話の場合、どこかの部分がふくらまさせられています。

 前に、今知られている物語は、明治43年の国定教科書にのっているということがありました。

 「浦島太郎」は、丹後(京都)が舞台ですが、大岡信の(遠いむかしのふしぎな話 おとぎ草子/岩波少年文庫/1995年)おとぎ草子の現代訳をみると、別れの場面、元の浜辺にもどった場面、玉手箱をあけた場面など、随所に和歌がでてきます。

 結末も、浦島が鶴に変わって、神仙の住む蓬莱山にゆうゆうと舞う身になり、亀は亀で万年の寿命を生きるというめでたいおわりかた。
 人には情けあり、情けあれば行く末はめでたいとあります。

 乙姫はでてこず、亀が浦島太郎の妻になります。

 春、夏、秋、冬ごとの竜宮城の景色の表現も、普段なじんでいるものとは大分異なります。
 
 御伽草子というのは、室町時代から江戸時代前期にかけて作られた数多くの短編の物語を、総称していうようになったようです。
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火の雨 氷の雨

2018年01月21日 | 絵本(昔話・日本)

              火の雨 氷の雨/かやのしげる・文 いしくらきんじ・絵/小峰書店/2000年


 「シマフクロウとサケ」とおなじように神の方からアイヌに注文をつける形でかたられる神謡です。

 父神、母神から、気がみじかいおまえがなにをしでかすかわからない。ぜったい行ってはいけませんといわれた竜の神カンナカムイが、神ののりものシンタ(カンナカムイは、子どもで帆掛け船で先には竜の頭)にのって、これまで見たことがないアイヌモシリにむかいます。

 神を敬う村があれば、ないがしろにする村も。

 カンナカムイは神をないがしろにする村に氷の雨、氷の雪崩をおこし、石の滝、大岩なだれをひきおこし、広い村はうずまって、煙につつまれてしまいます。

 神をうやまう村人は、神がとおりすぎるまで手を休め、女は針仕事、編み物、織物すべてやめ、まるで一つの村が沼そこへもぐったようにしずかになります。

 神を敬わない村は、なにをうるさい、こちゃこちゃいうな はたらくなというなと、きたないとぎ水をカンナカムイにばしゃりとかけ、ひえつく音をひびかせ、大掃除のほこりがまいあがり、目も開けられないし、息もつけません。

 火の雨、氷の雨をふらせたのは、こうしたわけがありました。

 サケが川にあふれ、鹿の群れが走り、ウバユリをほる女たちの歌など、アイヌの暮らしがいきいきと描かれています。 

 絵も独特で神話の世界を垣間見せてくれます。

 文章のリズムからいうと、やはり歌で聞く方がよさそうです。現地までいかないと聞けないのでしょうか。





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幽霊の恩返し

2018年01月21日 | 昔話(外国)
               幽霊の恩返し/中国ふしぎ話6/画・史俊 文・朱慶坪 訳・趙非/舵社/1995年

 一人の漁師が、川で水死した酒好きの人をしのんで、いつも酒を川に注いでいました。
 他の漁師があまり魚がとれないのに、彼はいつも魚がとれます。

 ある日、一人の男がちかづいてきて、よもやま話がはずみます。ところがいつもと違って、網には魚がはいりません。
 がっかりしている漁師に、男は川下から魚をおいあげてきましょうといいます。
 男が帰ってくると、網には、いつもよりたくさんの魚がはいっています。
 
 それから半年がたち、いつものとおり酒を飲みに来た男ですが、今日でお別れしなければなりませんといいだします。

 実は、この男幽霊で、漁師が酒をのませてくれるので、お礼に魚がとれるようにしてきたが、生まれ変わるので、それができなくなるというのです。

男の生まれ変わりの身代わりにやってきたのは、赤ちゃんを抱いた女の人。ところが赤ちゃんは草むらに落ち大声で泣きますが無事、女の人も川の水のなかで浮いたり沈んだりしているうちに自力で岸辺にはいあがります。

 例の男がやってきて、赤ちゃんと女の人の二人を、自分のために死なせたくないとまた幽霊に。

 善行のせいでしょうか、天帝から”土地の神”になった男は、漁師のところへやってきて・・・・。

 酒ずきは、酒好きの気持ちがよくわかるのでしょう。
 このあたりを理解するのは、子どもには無理です。

 幽霊は怖い存在ですが、どうも昔話では礼儀正しく、幸せをもたらしてくれます。

 絵も古代中国絵巻物のようで、不思議な世界へいざなってくれます。
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シンドバッドの冒険

2018年01月20日 | 絵本(昔話・外国)

               シンドバッドの冒険/ルドミラ・ゼーマン:文・絵 脇 明子・訳/岩波書店/2002年


 子どもに語るアラビアンナイト/西尾哲夫・訳 茨木啓子・再話/こぐま社/2011年では、船乗りシンドバードの冒険が「クジラの島」、「ダイヤモンドの谷」と独立していますが、この絵本は、二つがつづいていきます。

 「子どもに語る」ほうは、語る場合の長さが、絵本も読む場合の長さが考慮されているようです。

 普段聞きなれている昔話より、ワクワクドキドキ感がするアラビアンナイト。

 絵本には舞台となる地図が乗せられていて、クジラの島はインド洋の下、クジラの島はさらにその南。
 はじまりはバグダートですから、シンドバードの航海の壮大さが伝わってきます。

 千夜一夜の導入部には欠かせないにシェラザードにふれ、さらにシンドバードが、同じ名前の荷かつぎのシンドバードに、自分の冒険をきかせるという形式です。

 絵本では、クジラの島からダイヤモンドの谷に流れ着いていきます。

 島だと思ったのがクジラで、巨大な鳥ロック鳥がでてきて、ダイヤモンドの谷には、大蛇がでてきたりと、次にはどうなるのだろうと、惹き込まれます。

 作者は、挿絵、描き文字、レイアウト、飾り文字、縁取りの模様などにペルシャじゅうたんのデザインや手触りを思い出させようとさまざまな工夫をされています。

 絵本の大蛇はさほど大きくえがかれていないのですが、「子どもに語る」のほうでは、ゾウを丸呑みできそうな大きさとあります。

 「子どもに語る」で覚えてみたいと思ったのですが、絵本の表現をみてみると、さっぱりしすぎているようでした。

 ついでに面白い数字について

 3桁の数字。もういちど続けます。例えば456を456456とします。この数字を1001でわると456になります。任意の数字でも結果は同じです。千夜一夜にからめて、1001をシェラザード数とよぶというのですが・・・。
 この数字のことも絵本で知りました。6桁の数字を7、11、13でわっていくとやはり結果は同じです。
 ちなみに7*11*13=1001です。


               
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あなのはなし

2018年01月19日 | 創作(外国)
      あなのはなし/ミラン・マラリーク・作/おはなしのろうそく4/東京子ども図書館編/1975年初版

 創作ならではの話です。

 赤いくつ下のあなが、どんどん大きくなってくつしたを飲み込むことからはじまります。

 あなが途中で出会ったのは、いずれも世の中をみたいとおもっていたドーナツ、かえる、つばめ、そしてひつじ。

 夜になって小屋にとまるとことになりますが、そこにおおかみがやってきて、ひつじもつばめもかえるもドーナツもパクリと飲み込んでしまいます。

 おおかみは、あなも飲み込みますが、おなかの中にあながあいてしまいます。

 そのあなのなかから、ひつじ、つばめ、かえる、ドーナツがころがりでます。

 最後、あなはおおかみも飲み込んでしまいます。

 それほど長い話ではないのですが、穴が人格?をもっているという意外な展開にびっくり。
 作者は、くつしたの穴から着想したのでしょうか。

 なにやらブラックホールのような穴。おおかみもでられなかったのでしょう。


               あなのはなし/文:ミラン・マラリーク 訳:間崎 ルリ子 絵・あな:二見 正直/偕成社/2014年

 「あなのはなし」がのっている「おはなしのろうそく4」(東京子ども図書館編)は1975年の初版。

 東京こども図書館編では、作者がよくわかりませんでしたが、チェコのかたでした。

 40年以上たってから絵本が出版されていますが、もっと早く絵本になってもおかしくはないと思いました。

 絵本には穴があいていて、オオカミが各ページのどこかにいて、探す楽しみもあるようです。

 皆さん 穴が旅をする発想にびっくりです。


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バグダートの妖怪屋敷

2018年01月18日 | 昔話(外国)
               子どもに語るアラビアンナイト/西尾哲夫・訳 茨木啓子・再話/こぐま社/2011年

 久し振りにアラビアンナイトを読みました。

 「子どもに語る」というので、大分読みやすくなっています。

 「バグダードの妖怪屋敷」は、でだしが、たいへんな遺産を手に入れたアリーという男が、湯水のように金を使って遊び暮らするところからはじまります。

 金の切れ目が縁の切れ目で、金がなくなるとだれも目向きもしなくなり困窮生活をつづけたアリーは、隊商の仲間に入れてもらいますが、隊商は盗賊の一団におそわれます。

 芥川龍之介「杜子春」も、金の切れ目が縁の切れ目という場面が二度でてきます。どちらも三年で財産をなくすというのも共通しています。

 バグダートのほうは、このあと、泊まった者が、あくる朝になると亡くなっているという屋敷に泊まります。
 他の話では、幽霊屋敷という表現がほとんどですが、イスラム教では幽霊という考え方はないといいます。
 この屋敷に住みついているのは、アラビア語で「ジン」と呼ばれる超自然の存在といいます。

 他の昔話では、妖怪とのやりとりが主になりますが、バグダードのほうは、かなり短く「お前の上に金貨の雨を降らせてやろうか!」という声に「その金貨はどこにあるのだ」とアリーがこたえると、金貨の雨がざあとふってきて、広間が金貨でいっぱいになります。

 妖怪は、答え方で宝の持ち主がわかるのですが・・・。

 浮ついた友人との交わることもやめ、貧しい人々のほどこしもし、偉大な神アッラーをこころからうやまうようになると、すっきりした終わりかをします。

 他の昔話や創作に同じような部分の展開がでてくるのは、互いに影響し合っているのかもしれません。

 

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