どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ヒキガエル・・アメリカ

2024年08月03日 | 昔話(北アメリカ)

   五分間で語れるお話/もっときかせて!短いお話48編/マーガレット・リード・マクドナルド・著 佐藤涼子・訳/編書房/2009年

 

 チャーリーは、なかなか抜け目のない若者、弟のパッドはやさしく人のよい若者でしたが口がきけませんでした。

 兄弟の近くに三人の娘がすんでいましたが、娘たちは池で泳ぐのが大好きでした。ある日チャーリーがやぶに隠れて三人をのぞいていて、この娘たちが、森の奥にある洞穴に父親がお金を隠していると話しているのを耳にしました。

 チャーリーはすぐさまパッドをさそって森の奥にいき、洞穴を見つけると、あちこちを掘って、掘りまくり、しっかり包まれた鍋を見つけました。中には金貨がいっぱい。チャーリーは、おそらくスペインの金貨で、家に持って帰ろうと、いいますが、パッドは、金貨を指で触ってみて古い金貨ではないことがわかりました。パッドは、この金貨はだれかのものに違いないから、持ち帰ってはいけないと思いました。しかしチャーリーは、金貨が欲しくてたまりません。そこで、チャーリーは重い鍋をもちあげ、パッドを殴ろうとしました。

 そのとき甲高い声がして、チャーリーがあたりを見回すと、小さなしわくちゃのおじいさんが、座ってパイプをふかしていました。おじいさんは、「わしはこのあたり一帯の王じゃ。この洞穴にすんでおるんじゃ」といい、「女の子たちが泳いでいるのを、こっそりのぞいているようなやつは、わしは嫌いじゃ。金貨を盗んで、兄弟の頭を鍋でぶん殴ろうとするやつは、特に嫌いじゃ」といいました。チャーリーが、「お前なんか怖いもんか。おまえが王だなんて信じるもんか。ちびのヒキガエルみたいなくせに!」というと、チャーリーは、だんだんとヒキガエルの色にかわっていきました。

 小さなしわくちゃの王さまがパッドをみて、「なにか、いいたいことはあるかな?」というと、パッドは、口をききました。そして話しはじめました。とてもなめらかに。

 小さな王さまは、金貨を埋め戻すようにいい、誰かにこのことをはなしたら、二度と話をとめることができなくなるぞといいのこし、姿を消しました。パッドがついに口をきけるようになったので、家のみんなは、ひどく驚き、そのためチャーリーのことはすっかり忘れられてしまいました。

 何年もたち、パッドは結婚し、子どもや孫に恵まれ、とても幸せな人生を送りましたが、死の間際、この話をすると、だれも年寄りの世迷いごとだろうとおもいました。けれど、パッドが死んだそのとたん、家の上手にある丘を流れている川が、ゴボゴボと大きな音をたてはじめたのです。旅人はこの川を”しゃべる川”とよびます。流れの音が、大きな声で話しているように聞こえるからです。けれど土地の人々は、”パッドの川”とよんでいます。そして、パッドは川に姿を変えて、いつまでもおしゃべりをしているのだと思っているのです。

 

 由来話ですが、展開からは想像できない結末。チャーリーが、誰からも気にされない存在というのも、悲しい。


ティッキ・ピッキ・ブン・ブン・・ジャマイカ

2024年06月26日 | 昔話(北アメリカ)

      愛蔵版おはなしのろうそく11/東京子ども図書館/2020年

 

 アナンシにたのまれ、クワとナタをもってヤムいもをほりにいったトラどん。

 トラどんは、ほってほって、ほりつづけましたが、深く掘るほどヤムは地面深くもぐりこんでいきました。夕方の四時になって、仕事をやめる時間になっても、ただのひとつもほれていませんでした。トラどんは、腹がたって 腹がたって、とうとう我慢できなくなり、いきなりナタで顔を出しているヤムを、かたっぱしからぶった切りました。

 畑に背を向けてうちへ帰りかけると、うしろからそうぞうしい音が追いかけてくるのです。ぶったきりにしたヤムいもが、”ティッキ・ピッキ・ブン・ブン ティッキ・ピッキ・ブン・ブン、ブッフッ!”という音を出し、一本足のヤム、二本足のヤム、三本足のヤム、四本足のヤムがせいぞろいして、おいかけてきました。

 こわくなって逃げ出したトラどんは、イヌの家にとびこんで、かくしてくれるよう叫ぶと、イヌは、「ああ、いいとも、トラどん、わしのうしろにかくれてろ。そしてひとこともしゃべるんじゃないぞ」といいました。ところが、ヤムたちが、”ティッキ・ピッキ・ブン・ブン ティッキ・ピッキ・ブン・ブン、ブッフッ!”とやってくると、イヌがしらんといっても、こわくなったトラどんは、「いわんでくれよ、イヌの兄貴、ヤムの奴らには、おれのことをいわんでくれ!」と叫んでしまいます。イヌはすっかり腹をたて、走り去っていきました。

 また逃げ出したトラは、アヒルねえさんにかくしてくれるようおねがいします。アヒルねえさんは、「ああ、いいとも、トラどん。わたしのうしろにまわってなさい。でも、口をきくんじゃないよ。」といいました。ところが、ヤムたちが、”ティッキ・ピッキ・ブン・ブン ティッキ・ピッキ・ブン・ブン、ブッフッ!”とやってくると、アヒルねえさんがしらんといっても、こわくなったトラどんは、「いわんでくれ、アヒルねえさん、ヤムの奴らには、おれのことをいわんでくれ」と叫んでしまいます。アヒルねえさんはすっかり腹をたて、ヤムの前にトラをのこして、いってしまいました。

 またまた逃げ出したトラどんは、川のむこうにいるヤギどんに、かくしてくれるよういいます。ここでも、声を出さないようにいわれますが、ヤムたちがやってくると、ヤギどんがなにもいわないうちに、うしろからトラどんがさけびました。「いわんでくれ、ヤギどん、たのむ、いわんでくれ」と叫んでしまいます。

 しかし、ヤムたちが、川の橋をわたろうとすると、ヤギどんは、頭を低くかまえて、やってくるヤムたちをかたっぱしから角でつきとばしました。ヤギどんとトラどんは、こなごなになったヤムをひとつのこらずひろいあげて、トラどんの家でおいしく料理して、腹いっぱいたべました。けれども、アナンシは、ごちそうにさそいませんでした。

 あれからあと、トラは、今でも足を踏みならし追いかけてくる足音を思い出し、ビクッとすることがあります。

 

 リズムがあって、読むより聞く方が楽しそうな話。語りのテキストを選ぶ場合、読んでみてあまり魅かれなくとも、聞く側にたって選ぶことが必要なのかも。


石になった男・・カナダ・インディアン

2024年05月29日 | 昔話(北アメリカ)

      大人と子どものための世界のむかし話20/カナダのむかし話/高村博正ほか編訳/偕成社/1991年

 

 こどもにきかせるのは二の足をふむ話。

 カナダのフレーザー川とハドソン川のぶつかるところで、まほうつかいの兄弟たちがキャンプをしていました。兄弟たちは、あっちの悪者をやっつけたり、こっちの人をたすけたり、そしてたまにはいたずらしながら川をさかのぼっていたのです。

 ある日、兄弟たちは村人をころしてたべている悪い魔女のうわさをきき、弟のひとりが、すぐに魔女をやっつけようとしました。夜に魔女のところへついた弟は、魔女の手をひっぱろうとしました。そのとたん、弟の右手は女のからだの中に、はいってしまい いくらひっぱってもぬけません。こまった弟はとうとう刀でじぶんの手を手首のところできりおとし、やっと魔女からはなれることができました。弟はキャンプにかえると、そしらぬ顔で、手首をかくしていましたが、すぐにみんなにばれてわらいのたねにされてしまいました。兄たちが弟の右手をとりかえしにいきますがだれも弟の右手をとりかえすことができませんでした。さいごに、末の妹がでかけ、すばやく魔女にちかづくと、じぶんの腕をつけねのところまで、ぐぐっと魔女のからだの中にいれ、さっとひきぬくと、その手には弟の右手がにぎられ、魔女は死にました。

 リロエの湖にやってきた兄弟は、岸の近くで水面を棒きれでかき回している男にあいました。なにをしているか兄弟が聞くと、魚をとっているがさっぱりとれないという。木の枝で魚をとろうとしても、とれるはずがありません。男は背中に大きな刀をしょっていて、「女房のはらが大きくなったので、刀できりひらいて赤ん坊をだすんじゃ。これまでなんどもそうしてきたが、きまって女房は死んでしまう。だからまた新しい女房をもらわないといけないのじゃ」といいます。

 兄弟たちが、じぶんのすねの毛をひきぬいて、そこらじゅうにまくと、毛のおちたところには、あっというまに草がはえてきました。兄弟たちは、その草で網をつくり、使い方までおしえ、さらに、こんどは魚の料理の仕方まで男におしえてやりました。男の妻にこどもがうまれるときがくると、妹は桜の木の皮でひもをつくって、赤ん坊にやさしくひっかけ、そっとひっぱりだしたので、こどもも母親も元気でした。兄弟たちはこうして、いろいろなことを夫婦におしえてやりました。しかしどう考えても、男がこれまで何人もの妻をころしてきたことを見逃がすわけにはいかず、男を石にかえてしまいました。

 「この石をみて、あとにつづく人間たちが、正しい生き方を学ぶように。」というわけで、いまでもカナダにあるという。

 

 兄弟たちが、「まほうつかい」とされているのですが、旅をしながら人びとに手を差し伸べるのは、「魔法使い」のおなじみのイメージとは違う存在でしょうか?


ふたりの悪魔・・イギリス系カナダ

2024年05月25日 | 昔話(北アメリカ)

    大人と子どものための世界のむかし話20/カナダのむかし話/高村博正ほか編訳/偕成社/1991年

 

 リューマチになってあるくこともままならない坊さん(と訳されていますが、神父さんでしょうか、プロテスタントだったら牧師さんか)が、パットというアイルランド人をやとい、パットに背負われて教会へかよっていました。ある夜、教会のかえりみち、教会にお経(と訳されていますが聖書のことでしょう)を忘れたことに気がつき、忘れ物をとりにもどりました。

 さて、その日の昼間、教会の墓地には、亡くなった大金持ちの信者と、その信者の全財産がうめられていました。夜になって泥棒がふたり、この信者の金をねらって、いっしょうけんめい墓をほり、なかをみてびっくり。金のかわりにクルミがはいっていたのです。泥棒の前に信者の親せきが、金をそっくりぬすみだし、かわりにクルミをいれておいたのです。ふたりは、はらの虫がおさまらず、近くの家からヒツジを盗んで、墓場でやいてたべることにしました。ひとりがヒツジを盗みにいき、もうひとりは墓石の上で、クルミをわりながらまっていました。

 そこへお経の本を忘れた坊さんがパットに背負われてやってきました。まっていた泥棒が、仲間が帰ってきたと思い、「おーい、そいつはどうだ、ふとってるかい、やせているかい?」と、クルミをカチカチわりながら、大きな声でききました。びくりしたのは坊さんとパットです。くらい墓場から、悪魔がカチカチと歯音をさせて、大声でさけんだとおもったパットは、坊さんをほうりだし、とんでにげていきました。あとから坊さんも、おいていかれてはたいへんと、いのちからがらにげていきました。おかげで、坊さんのリューマチは、すっかりなおっていました。


死んだあとはどこへいく・・カナダ・イヌイット

2024年05月15日 | 昔話(北アメリカ)

    大人と子どものための世界のむかし話20/カナダのむかし話/高村博正ほか編訳/偕成社/1991年

 北アメリカの昔話は、先住民の話と移住者の話がまじりあっているようですが、これはイヌイットのむかし話。

 寒い夜、死にかけていた女の人が、寒い夜空の氷の上に、ひとりすてておかれ、オオカミにのみこまれてしまいました。女の人は、しばらくオオカミのからだのなかにいましたが、やがてふんになって、またさむい外にほうりだされました。

 そのふんがキツネに食べられ、しばらくすると、またふんになって外へだされました。そこへクマが腰をおろし、身づくろいするうちにクマのからだの中へ。クマのふんとなって氷の上にだされると、アザラシにのみこまれ、セイウチのおなかの中に入って、セイウチ夫婦の子どもになりました。

 月日がたって、女の人はトナカイに食べられ、トナカイの子どもへ。トナカイがイヌイットの弓矢でころされ、食用の肉にされました。イヌイットが、トナカイの肉を食べると、その肉を食べた母親が身重になり、赤ん坊を生みました。赤ん坊になった女は、いままでどこへいってたか、どんな世界を見てきたか、みんなに身の上話を聞いてほしくてたまりませんでした。ところが、ひらいた口からは、「オギャー」という声しか出てきません。しかたがないので、しゃべれるようになるまでまって、こうして話ができるようになりましたとさ。


おならのでるろうそく・・カナダ

2023年10月25日 | 昔話(北アメリカ)

     世界むかし話20 カナダの昔話/高村博正・篠田知和基:編訳/ほるぷ出版/1991年

 

 むかし、あるところに、おばあさんとひとりむすこがすんでいました。むすこはたいそう内気で、もう五十近いというのに、まだよめさんもありませんでした。いくらおばあさんが結婚するようにいっても、いっこうにその気にならないのです。

 ある日、おばあさんは年頃のむすめが三人いる町の知り合いのところにでかけ、「おもてなしをしますから」というむすめの家に、むすこをせかして、晴れ着を着させて、おくりだします。

 むすこがいやいや歩いていくと、見知らぬおばあさんがやってきて手助けしようといい、三本のろうそくをわたし、むこうの家についたら、どうしたらいいかおしえてくれました。

 やがて日が陰ってくると、主人はランプをつけるようむすめにいいますが、むすこは三本のろうそうをとりだし、これをつけるよういいます。父親は一本は部屋のドアのうえ、一本は客間、三本目は台所におきました。けれども三人のむすめたちは、そのむすこをからかってやろうとおもっていて、いなかもののむすこをばかにして、じぶんたちだけでおしゃべりを楽しんでいるのでした。

 十時になって、長女のローズが、むすこを寝室に案内すると、むすこは、きものもくつもぬがずに、ベッドにとびこみました。ローズがろうそくをふきけそうとすると、どうしたことかブーッと大きなおならがもれてしまいました。むすこをさんざんばかにしていたローズは、「パパ! ブーッ・・ あたし、この人すきよ! ブーッ。。ねえ、おりてきて! ブーッ」とさけびますが、おならはおさまりません。

 二番目のマリーが ろうそくをけそうとしますが、「ブーッ・・ あたしもこの人すきだわ。パパ ブーッ・・ すぐにおりてきて!」。 三番目のデリマがろうそくをけそうとしますが、やっぱりおなじ。

 主人が、じぶんで ろうそくをけそうとしますが、おならが とまりません。母親もおなじ。「なんですね。あなたまで。こんなろうそくくらい、けせなくてどうします!ブーッ、あら、あたしもおなじ病気に・・・ブーッ・・かかってしまった! ブーッ・・ お医者さんを・・ ブーッ・・ はやく! ブーッ・・ほら!」

 お医者も、おならが とまりません。司祭がやってきて、ろうそくをじっとみていいます。「さいきん、ここにお客がきませんでしたかな?」「いま部屋で、ブーッ、寝てますがね。ブーッ。ローズ・・お客さんをおこしておいで、ブーッ」

 司祭が、「いったいぜんたい、なんだって、おまえさんは、この人たちにわるさをするんじゃ?」というと、むすこは、「わたしはよめさがしにここにきたんです。よめさんをくれればすぐに病気をなおしてあげますよ!」と、こたえます。

 父親は、「三人のうちだれでもいいからくれてやる。ブーッ・・ おねがいだから、ブーッ・・とめてくれ。」といいます。

 ただ、みんなのおならはがとまったかどうかは、わからないという結末。


アイルランド人の失敗・・カナダ

2023年10月19日 | 昔話(北アメリカ)

     世界むかし話20 カナダの昔話/高村博正・篠田知和基:編訳/ほるぷ出版/1991年

 

 カナダにやってきたアイルランド人が、土地の人から面白い遊びをおしえてあげるといわれました。

 土地の人は、手を岩の上におき、げんこつでおもいきりなぐるようにいいます。力の強いところを見せつけてやろうと、アイルランド人は、大きなげんこつをふりあげ、おもいきり岩の上の手をなぐってしまいました。しかし、土地の人が、さっと手をひっこめたからたまりません。アイルランド人は、げんこつでかたい岩をおもいきりなぐってしまいました。

 くやししがったアイルランド人は、おなじことを別の土地の人にもちかけます。手をおく岩をさがしましたが、まわりには適当な岩がありません。そこでアイルランド人は、、手のひらをじぶんの鼻の上に置き、なぐるようにいいます。土地の人のげんこつが振り下ろされた瞬間、さっと手をひいたからたまりません。つぶれた鼻をおさえ、もっとくやしいおもいをしながら、アイルランド人は、旅をつづけましたとさ。

 

 <イギリス系カナダ人のむかし話>とあります。先住民からみたらよそ者だったアイルランド人を、おちょくった話でしょうか。


天国にいきたかったジョン

2021年03月17日 | 昔話(北アメリカ)

          アメリカのむかし話/渡辺茂男:編・訳/偕成社文庫/1977年

 

 黒人の昔話ですから、天国にいきたいというのもうなずけまが、結末は?

 

 ご主人が、めっぽう人使いがあらくて、ちっともやすませてくれないので、ジョンのねがいは、天国にいくこと。ひまさえあれば、神さまにお祈りをしていました。

 奴隷の主人がジョンの小屋のそばをとおりかかり、このお祈りをきくと、じぶんの家に戻り、白い大きなシーツを頭からかぶると、ジョンの小屋の戸をたたきました。

 「ジョン、わたしは、神さまだ。天国の馬車にのっておまえをつれにきたのだ。さあ、このいやな世界からつれていってやる」

 おかみさんがだまっていると、神さまはまたジョンの名前をよびました。「ジョン、ジョン、天国へいこう。そうすれば、もう、畑も耕さなくてもよいし、トウモロコシの刈り入れもせんでよい。さあ、天国へいこう」

 おかみさんが、ジョンはいないというと、神さまのふりをした主人は、こんどは おくさんを つれていこうとします。

 あわてた おかみさんは、ジョンを 天国にいかせようとしますが、ジョンはベッドの下に身をかくし、そとにでようとしません。神さまが大きな声で呼び続けるので、おかみさんはジョンがかくれていることを いってしまいました。

 天国へいきたくないジョンは、きたないかっこうでは天国にいけない、神さまの白い着物がまぶしくて目がくらむなど、時間を稼ぎます。それから、神さまをほんのすこしばかりうしろにさがらせると、すきをみてカボチャ畑をかけぬけて、ワタ畑にとびこみました。

 神さまもおいかけますが、ジョンには おいつけません。

 おくさんは、泣く子どもにいいます。

 「心配おしでないよ。かけっこなら、神さまが、うちのとうちゃんにかなうもんですか。」

 

 主人のお遊びでしたが、天国へいきたいといいながら、いざとなると尻込みするのは、いくら苦しくとも、やっぱり命の方が大事なのかも。


クマ男

2021年03月13日 | 昔話(北アメリカ)

          アメリカのむかし話/渡辺茂男:編・訳/偕成社文庫/1977年

 

 アメリカ チェロキー族の昔話です。インディアンの昔話には、どことなく悲しい結末がまっているものが多い気がしています。

 

 山へ狩りにいった男が、黒クマを見つけ矢を射ると、矢は黒クマに命中しますが、クマはからだにささった何本もの矢を抜きながら、男に、一緒に暮らさないかと話しかけます。クマは魔法の力をもっていて、人間の心を見通し、話すこともできる力を持っていました。

 殺されてしまうかもしれないと考えた男でしたが、クマについていくと、何十頭ものクマが会議をしている場所につきました。ざわめきがおきますが、王さまの白クマの一言で、ざわめきはおさまります。会議では、山に食べ物が少なくなったことがはなされていました。

 食べ物をさがしにいったクマが、下の谷の森にクリやドングリがひざのたかさほどに地面にたまっていると報告すると、クマたちの踊りがはじまります。

 男は黒クマの家で、冬の間暮らしました。やがて冬がおわると、男のからだには、黒い毛がいっぱいはえ、クマの動作をするようになっていきました。ほら穴からでていくときは、外の空気をくんくんとかいで、外にきけんな動物がいないかたしかめてから、外にでるようになりました。

 ある日、クマが「長い冬がおわると、下の谷間の人間たちが、わたしをころし、かわをはいでしまう。わたしが死んだら、地面に流れた、わたしの血を、木の葉でおおってくれ。それから山をおりる途中で、いちど後ろをふりかえってみるがよい。」と言いました。

 すべてが黒クマのいうとおりになり、村人たちがクマの肉や皮をかつぎます。男はクマにいわれたように地面に流れたクマの血を木の葉でおおい、山道をおりるとちゅうで、うしろをふりかえります。すると、木の葉をかきわけて、地面からわきでたように、黒クマが立ちあがり、しずかに森の中へはいっていきました。

 村人は、男が、前のとし、村から消えてしまった男だと知り、からだじゅうにはえた、真っ黒な、長い毛をみて、おどろきました。

 クマ男は、村人たちに、七日七晩 人間に見られないで、何も食べずにいられれば、クマのたましいが、わたしのからだからぬけて、もういちど、普通の人間にもどることができると話し、村はずれの空き家ですごすことになりました。

 しかしクマ男のおくさんが、男が生きていることを知り、空き家にやってきては、どんなに寂しかったことかと泣き続けると、クマ男はかわいそうになり、五日目に戸をあけてしまいます。するとクマ男のからだが、どんどんよわり、病気で死んでしまいました。

 

 黒クマがなぜ、男をほら穴へ連れていったのか疑問が残りました。


ひねくれもののエイトジョン

2021年03月08日 | 昔話(北アメリカ)

          アメリカのむかし話/渡辺茂男:編・訳/偕成社文庫/1977年

 

 エイトジョンは、ひねくれもので、大人の言うことを、ちっともききませんでした。

 「ベッドで、頭を下にして、寝てはいけませんよ。家にお金が、なくなってしまいますからね。」と、おかあさんがいうと、エイトジョンは、頭を下にして、ベッドに逆さに寝ると、たちまちエイトジョンの家は、貧乏になってしまいました。

 「日曜日に、うめき声をだしてはいけませんよ。<皮をはがれた骨>という魔法使いが、やってきますよ」といわれ、エイトジョンが日曜日に、うめいたりうなったりすると、<皮をはがれた骨>がやってきて、エイトジョンを台所のテーブルの上で、油のしみしみにかえてしまいます。

 何も知らないお母さんが、テーブルの上のしみを、ごしごしふきとってしまうと、それっきりエイトジョンは、どこかえきえてしまいました。

 

 エイトジョンは、黒人の男の子として登場します。前段は、エイトジョンがいかにひねくれているかの例が 続きます。

 オチにびっくりする話です。


インディアンのシンデレラ姫

2021年03月06日 | 昔話(北アメリカ)

        アメリカのむかし話/渡辺茂男:編・訳/偕成社文庫/1977年

 

 シンデレラというとハッピーエンドにおわるものと思っていると、このインディアン版は、かなしい結末がまっています。

 粗末な小屋に貧しいインデイアンの少女が、ひとりで住んでいました。少女は金持ちが飼っているいるシチメンチョウの世話をしては、すこしばかりの食べ物と、ふるい着物をもらって暮らしていました。少女はシチメンチョウをたいへんかわいがり、シチメンチョウも少女によくなついて、少女のよび声ひとつで、集まりました。

 ある日、少女は、四日後に町で踊りの集まりがあることを知ります。この貧乏な うすよごれた少女は、いままで、いちども踊りの仲間にはいったこともないし、見にいっても追い払われてしまったので、こんどの集まりにはぜひ、いってみたいと考えました。けれども自分の身なりを見て、ため息をつきました。

 少女は、四日間、シチメンチョウに、じぶんが、ひとりぼっちで、どんなにさびしいか語りかけていました。すると、祭りの日、シチメンチョウがとびっきりのプレゼントをしてくれました。ぼろぼろの着物が、お姫さまの着るような着物に、どの少女にくらべても負けないようなすべすべした、きれいな肌。さらに きらきらした腕輪や耳飾り。

 踊りの集まりにでかける少女にむかって、シチメンチョウは、声をそろえていいました。   「やさしい娘さん。その戸をあけたままいってください。幸福になってしまったら、わたしたちのことを、わすれてしまうかもしれませんからね。もうシチメンチョウの世話などしに、かえってこないかもしれませんからね。けれども、わたしたちは、みんな、あなたのことを、愛していますからね。約束だけは、わすれないでくださいよ。必ず、遅くならずに、かえってきてくださいよ。」

 踊りの主役になった少女は、踊りが、あまりにも楽しいので、シチメンチョウとの約束の時間にまにあいませんでした。すっかり夜になると、シチメンチョウは、「ああ! やっぱり、そうだったのか! やさしいむすめも、わたしたちのことをわすれてしまった。やさしいむすめも、ほんとうは、心が貧しかったのだ。さあ、、わたしたちも、山へのげだそう。あんなにやさしかったむすめが、約束をまもれなかったのだから、こんな小屋にいる必要はないわけだ! さあ いこう! さあ いこう!」と、逃げ出しました。

 少女はシチメンチョウの声を聞いて、追いかけますが、シチメンチョウは逃げ続け、とびさっていきました。それだけではありません。いままでの目のさめるような、美しい着物や耳飾りなどは、きえてしまって、またもとのような、ボロボロな、哀れな格好をした少女の姿にもどっていました。

 

 タイトルからは想像できない内容。シチメンチョウが、それだけ少女を愛していたのなら、つかのまの幸せを許してあげてもよかったのですが・・・。


コヨーテの二つの話

2021年03月05日 | 昔話(北アメリカ)

      コヨーテのはなし/アメリカ先住民のむかしばなし/リー・ベック・作 ヴァージニア・リー・バートン・絵 安藤紀子・訳/徳間書店/2020年

 

・コヨーテ、ガラガラヘビをこらしめる

 恩を仇でかえそうとするガラガラヘビをこらしめる話。どこの国でも同じようです。

 ウサギが坂道を下っていくと、石の下にガラガラヘビが下敷きになっていました。ウサギが力いっぱい石を押したり引いたりして、ヘビを助けますが、ヘビは助かるとウサギを食べようとします。

 そこへコヨーテが通りかかります。それぞれの言い分を聞いたコヨーテは、当時の状況を再現するよういいます。へびがそれでいいといったので、コヨーテは、ウサギと力を合わせ、重い石をまたヘビの上において、そのままにしておきます。

 

・コヨーテ、オオカミからヒツジをすくう

 ふとったヒツジと、とてもやせたヒツジにであったオオカミが、ヒツジを食べようとします。

 やせたヒツジは「わたしはおいしくないですよ。がりがりで、おまけに骨がかたいのなんのって」、ふとったヒツジは、「あぶらっこすぎて、食べたら、むかむかしますよ!」といい、「あしたまでに、もう少しふとって、きょうよりおいしくなりますから」「もう少し痩せて、食べてもむかむかしないよういなりますから」と、なんとか食べられないようにします。

 オオカミは、コヨーテにきめてもらうことに。

 コヨーテは、オオカミは印のつけたところに立ち、ふとったヒツジは、印の北へ20歩、やせたヒツジは南へ20歩から走ってくるよういいます。そしてオオカミの方に先についた方が、あすまでいきのびられる。しかし、負けたほうは、きょう食われる競争をもちかけます。

 同じぐらいの早さで駆けだした二匹が、両側からオオカミのあばらに頭突きをすると、オオカミは息もたえだえで、地面にたおれてしまいます。二匹のヒツジは、すぐに一目散に逃げだしてしまいます。

 

 コヨーテはヒツジの頭突きの威力を知っていたのでしょう。


ジャックとどろぼう

2021年03月03日 | 昔話(北アメリカ)

          アメリカのむかし話/渡辺茂男:編・訳/偕成社文庫/1977年

 

 ヨーロッパからつたわったとして載せられている話。

 グリムの「ブレーメンの音楽隊」の流れが踏襲されています。

 

 アメリカには、ジャックという名前の男の人を主人公としたいろいろな話がつたわっているといいますが、このジャックが畑仕事が嫌で、父親からむちでたたかれたことから家をとびだすところからはじまります。

 ジャックが、途中であったのが、年をとった雄牛、ロバ、犬、ネコ、ニワトリ。この一行が、夜になって森の中に、一軒の家をみつけます。

 泥棒の家らしいと、たたかう準備をはじめ、雄牛は庭に、ロバは戸口のそばのポーチ、犬は戸のうしろ、ネコは暖炉、ニワトリは屋根の上で、スタンバイします。

 そこに、六人の泥棒がかえってきます。ひとりが、さきに家にはいって、暖炉の火をつけようとしますが・・・。

 お馴染みのながれですが、ジャックという十二の男の子、雄牛が加わり、泥棒が六人と具体的です。

 ジャックが、殺されそうになったロバや犬などに、「ブレーメンの音楽隊にはいろう」とさそうかわりに、「にげだせ にげだせ」とけしかけ?、ロバがジャックと犬、ネコ、ニワトリを背中にのせて、旅を続けますが、目的地は不明のまますすみます。そして、泥棒を追い払ったあと、しばらく、のんびりと暮らしたと、ありますから、さらに旅が続く予感があります。


コヨーテ、落とし穴からぬけだす

2021年03月01日 | 昔話(北アメリカ)

    コヨーテのはなし/アメリカ先住民のむかしばなし/リー・ベック・作 ヴァージニア・リー・バートン・絵 安藤紀子・訳/徳間書店/2020年

 

 マメジカカンチルが、インドネシアのトリックスターなら、コヨーテはアメリカ先住民のトリックスター。
 コヨーテは、オオカミとおなじイヌ科の哺乳類で、からだはオオカミより小さく、毛は灰褐色。主に草原に住み、ソウゲンオオカミともいいます。

 コヨーテが穴の底におち、知恵を使って穴から抜け出す話で、インドネシアのカンチル版をおもわせます。

 

 コヨーテが穴の中から出られないでいると、やってきたのがクマ。甘いトウモロコシとうまい肉があるといって、クマを穴のなかに誘い込みます。

 だまされたクマが、コヨーテを食おうとすると、クマはうまいはなしがあると持ちかけます。そこへやってきたシカたちに、「穴にとびこんでくるなよ! おれたちが先にきたんだ。このごちそうはおれたちのもんだ。おまえらになんか、やるもんか!」と、いうとシカが次々に穴のなかに飛びこみます。

 穴がすぐにいっぱいになると、コヨーテはシカたちの背中に飛びのり、穴の外に出ます。クマも、シカの背中にやっとのことでよじ登り、穴からはいだしました。

 この昔話には前段があります。

 広くて土地の肥えたトウモロコシ畑をもっていた<希望の星>という娘が、甘いトウモロコシを食べにくる動物たちを畑から追い払ってくれるものを夫に選ぶことにしていました。

 十数名の若者が畑から動物を追い払おうとしますが、だれひとりうまくいきませんでした。

 村はずれにおばあさんと暮らす<ワシの羽>という名の貧しく みにくい若者が、ほかの若者が全員失敗したと知ると、娘のところへやってきます。

 <ワシの羽>は、トウモロコシ畑に、深い穴を掘り、穴の上に枯れ枝と土を乗せ、その上にトウモロコシの茎をさし、その茎の間に、肉のきれはしをたくさんおいていました。

 コヨーテは、この肉につられてやってきて穴の中に落ちたのでした。

 ところで、穴のなかに残ったのはシカ。コヨーテもクマも逃げてしまったのですが、<希望の星>は、若者と結婚し、いつまでも幸せに暮らします。

 

 カンチルもそうですが、小さくて しばしっこく かつ知恵があるというのが、トリックスターのひとつの要件でしょうか。アフリカでは、うさぎもトリックスターです。


巨頭

2021年01月04日 | 昔話(北アメリカ)

     アメリカ・インディアンの民話/精霊と魔法使い/マーガレット・コンプトン・再話 ローレンス・ビヨルクンド・絵 渡辺茂男・訳/国土社/1986年

 

 人の名前やでてくるキャラクターが、これまでの昔話とはだいぶ違います。

 「はぐれおおかみ」というのは、十人の息子の父親。両親が死んでしまった息子たちは、母親の兄弟だった「ふかい湖」というおじさんのところで暮らすことになりました。「ふかい湖」は兄たちが狩りをして弟をやしなうことができるようになるまで、子どもたちに食べ物と住む場所を与えました。

 兄たちは狩りにでかけますが、そのまま行方不明になり、一番末の「小さいしか」だけが「ふかい湖」のもとに、取り残されてしまいました。

 ある日、「ふかい湖」と「小さいしか」が、森に行くと、ひくいうめき声がきこえました。

 大きな朽ち木のしたになり、土におおわれている男の体を、くまの油で、けんめいにこすると、やがて男は意識を取りもどしました。

 この男は「おれは、腐れ片足といって、巨頭のただ一人の弟だ」と、いいました。

 「巨頭」は巨大な頭だけの怪物で、大きな目玉、かたい髪の毛。どんな生き物でも、その姿を見つけると、空を切るような鋭い声で「みたぞ、みたぞ! そなたのいのちは、もらったぞ!」と、叫ぶのでした。

 おいたちが、巨頭に殺されたことはほぼまちがいないと考えた「ふかい湖」は、まだ十分に回復していない「腐れ片足」を看病し、巨頭を探すようにいいます。

 「腐れ片足」は、魔法の力で、もぐらのからだの中にもぐりこみ、見つからないように、地中の穴をほってすすみます。しかしいくらもすすまないうちに、「みたぞ、みたぞ! そなたのいのちは、もらったぞ!」という巨頭の叫び声がきこえました。しかしその叫び声はふくろうにむけられたものでした。

 「腐れ片足」は、矢で巨頭を誘い出し、近づいてくる音を聞いた「ふかい湖」は、「小さいしか」と、斧で待ち構えました。

 巨頭と腐れ片足は、もともと兄弟で、弟がとうのむかしに死んでしまったものだと思っていた巨頭は、北の国にすむ魔女をころしてやるといいました。

 「わしは、勇ましい戦士や罪のない子どもは、けっしてころしはせぬ」「魔女のやつは、あまい歌声で人間をおびき寄せ、情け容赦なくころしてしまうのだ。」

 魔女が、「小さいしか」の九人の兄弟をころしたことがわかり、「巨頭」「小さいしか」のふたりは、魔女のところにむかいます。魔女のすみかは、死人の骨でみたされたほら穴。指の骨が天井からぶら下がり、頭の皮が山と積まれて寝床になり、しゃれこうべが、なべややかんの代わりとなっていました。魔女の歌声を聞いたものは誰でも、体が氷のように冷たくなってふるえだし、ついには、体から皮や肉が、ぼろぼろになってくずれおち、かわいた骨だけになってしまうのです。

 「巨頭」「小さいしか」は、両耳にクローバーのつぼみをつめ魔女のほら穴に近づきます。

 「巨頭」の「おまえは、いつから、ここにすんでいる?」という問いは、魔女の魔法の力をさまたげますが、頭からも毛が抜けます。巨頭は「小さいわし」に、抜けた毛をすぐに、頭にもどすようにいいます。

 巨頭に魔女にとびかかり、許しをこうた魔女にかみつき、ころしました。魔女の体の肉片がとんで、平原は動物であふれ、川は魚でみたされました。

 それから一年だけしかたっていない骨をほら穴に集め、つむじ風をおくりこんで「みんな、おきろ!」と叫ぶと、骨は、いっせいに立ちあがり、たちまち人間の体にもどりました。兄弟たちはよろこびあい、「小さいしか」の勇気と忍耐心をほめそやし、森の中へ消えていきました。

 

 魔女や巨頭がどんなものかイメージしやしくなっていますが、巨頭というのはお化けにちかい存在でしょうか。楓のぶつ切りをむさぼり食います。巨頭には”おおあたま”というフリガナがついています。