どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

おやすて山

2024年09月13日 | 絵本(昔話・日本)

   おやすて山/岩崎京子・文 田代三善・絵/佼成出版社/1993年

 むかしむかし、あるくにのとのさまが、「はらけんものも やしなうのはむだじゃた」と、としよりを 山へ捨てるよう おふれをだしました。 

 なんと、むじひな とのさまだろうと おもっても しかたなく 父親をすてることになった若者。どんどん山のなかへはいっていった若者が、雨露のかからないところをみつけると、そこに父親をおろしました。父親は、若者が まよわず 帰れるよう、みちしるべに 木の枝を 落としていました。若者は、やさしい父親を、山へ捨てることはできないと、せおいなおすと 山をかけおり、床下に穴を掘り、父親を隠しました。

 ある日、とのさまが またわけのわからないことを 命じました。灰で縄をなえというのです。みんなが こまっていると、若者の父親の言うとおり灰で縄をなうと、また、とのさまは、一本の棒をとりだし、どっちが根っこか 調べるよう いいつけます。これも、若者の父親の知恵で、解決すると、こんどは、たたかんのに 鳴りだす太鼓を 作れと またまたわけのわからないことを いいだしたとのさま。

 みっつの難題をといたのが、若者の父親の知恵だったことを知ったとのさまが、おやすての とりきめを撤回します。


 語りでは灰縄のイメージがよくわかなかったのですが、この絵本で納得しました。棄老説話は、中国やインドにあったものが伝わってきたといいます。
 導入部は悲惨な感じがしますが、結末がわかっているとすんなり受けとめることができます。
 捨てる対象が、おじいさんがでてくるものと、おばあさんがでてくるものにわかれます。この絵本だけではありませんが、六十歳という年齢が出てくるあたりは、時代を感じさせます。(かといって、70歳、80歳という年齢をもってきてもどうでしょうか)


きつねとかわうそ

2024年06月30日 | 絵本(昔話・日本)

    きつねとかわうそ/梶山俊夫:再話・画/福音館書店/2016年

 

 山のきつねと、かわにすむかわうそが、道でであって「ごっつおの よびあいを しねえか」となって、きつねは、かわうそいえで、やきざかなをいっぺ いっぺごちそうに。

 次の日、かわうそが、きつねのいえにいってみると、きつねは、てんじょうばっか むいて へんじもしねえし、ふりむきも しねえ。かわうそは、しかたなく うちへ かえったてや。

 次の日、きつねは、かわうそのうちで、いっぺ いっぺ ごちそうに。

 次の日、かわうそが、きつねの家に行くと、きつねは こんどは したばっか むいて へんじも ふりむきもしねえ。かわうそは、おこって、うちに、かえたってや。

 仏の顔も三度ならぬ二度。次に、かわうそは、きつねがやってくると、こんどはさかなをくわせず、川に氷がはったら、しょんべんで、あなをあけて、しっぽを つっこんでおけば ひきあげられないほど さかながとれると、はなしてやります。

 真に受けたきつねが、こおりに穴をあけ、しっぽをつっこんでいくと、川は しみしみ こおってくってや。さかなが いっぺ とれたかなと しっぽを ひきあげようとすると、なかなか、ひきあげられない。ははー、ひきあげられないほど さかなが かかったとと、ほくほくしたきつね。

 そこへ、こどもらがやってきたので、あわててにげようと、しっぽがひきあげても、こおりついていて、あげつことも、できん。

 りきんでりきんで、しっぽをひきあげると、しっぽは ねもとから ぷつんと、きれてしまった。

 

 昔話には、どうしても方言が欠かせません。共通語では、特有のリズムがでてこないのです。新潟の昔話がもとになっているようですが、岩手、青森にも同様の話があり、イソップのほか、外国にもにもみられるパターン。

 梶山さんの ぴったりの絵と方言が楽しめます。


おにとあんころもち

2024年03月13日 | 絵本(昔話・日本)

   おにとあんころもち/おざわとしお・くのあいこ・再話 半田強・絵/福音館書店/2017年1月号「こどものとも」発行

 

 おかあが太郎の七つの祝いに あんころもちを つくったて。太郎があんころもちを食べようとすると、三つ目のあんころもちが、ころころころころ にげていっちゃうげな。太郎が追いかけていくと、山道をくだって のぼって やまの真ん中にある穴の中へ。穴の中には鬼がいて、あんころもちは鬼の大将の おなかのなかへ。鬼の大将は、ほんとにうまかったと、あんころもちを つくるよう 鬼たちへ命令。鬼たちは、大将の口元についとった あんこを とって、すり鉢の中へいれると、すりこぎで くるくるくる。ほのつぎに、大将の奥歯にはさまっとった 餅をとって また すりこぎで くるくるくる。あんこも餅もいっぱいになって、はらいっぱい くった。

 鬼がみんな眠ってしまったのをみて、太郎は逃げかけたが、すりこぎを もってかえろうとすると、ちょうど目を覚ました鬼に見つかってしまった。

 太郎が逃げて逃げていくと、川があってそこに船があった。船にとびのり、すりこぎをこいで逃げ出すと、鬼たちは、川の水を飲みだした。鬼が水を飲むと、太郎の船は 鬼の方へ流される。つかまっちゃいかんと、漕いでいたすりこぎを くるくるくる まわすと、川の水が ぶくぶく ぶくぶく ふえだして 鬼たちがいくら飲んでも飲みきれない。

 鬼のすりこぎを 家にもちかえった帰った太郎が、すりこぎを 米櫃に入れて、くるくるくる まわすと みるみる 米櫃は お米でいっぱい。そのあと、おかあと太郎は、いつでも お米が食べられるようになって、いっしょう しあわせに くらしたげな。

 

 鬼の絵も とってもユニーク。三つ目は大将、一つ目もいます!

 愛知県西三河の再話で、出典も明記されています。


こぶとり じい

2024年02月29日 | 絵本(昔話・日本)

    こぶとり じい/宮川ひろ・文 蓑田源二郎・絵/ほるぷ社/1985年

 右のほっぺに こぶがある 木こりの じいさまが雨宿りしているとき、天狗の酒盛りにでくわし、歌を歌いおどりまくり、その場を盛り上げたので、次の日もきてくれという約束のしるしに、天狗がこぶを とってしまいます。

 この話をきいた左のほっぺに こぶのあるじいさまが、天狗のところにでかけますが、歌も踊りも天狗が気にいらず、きのうのこぶをつけられ、両方の ほっぺに こぶがある じいさまになってしまう。

 宮川さんの絵本は、はじめてですが、好奇心が旺盛で天狗たちの踊りの輪にとけこんでいくじいさまと、となりのじいさまが、こぶをとってもらおうとでかけたはずなのに、ただふるえてしょぼしょぼするようすに、「自分にみあった生き方をしていけばいいよ」と、となりのじいさまをはげましたくなる とあとがきにありました。

 天狗の踊りの部分がリズミカルで、たしかに、おじいさんも踊りたくなる躍動感いっぱいです。

 よく知られている昔話ですが、おじいさんがであうのが、鬼というのが多いかもしれません。おじいさんも、良い、悪いじいさんというのではなく、ノリのいいおじいさんと、気弱なおじいさんといった感じ。

 「こぶとりじいさん」も、隣のじいさまのほうが踊りがうまい、隣のじいさまにこぶがない、ひとりのおじいさんしかでてこない、踊りではなく魚釣りの技を鬼に披露する、隣のじいさまもこぶを取ってもらうことに成功するなど、さまざまなパターンが存在するといいます。

 

    こぶとり/松谷みよ子・文 瀬川康男・絵/フレーベル館/2003年

 ふたりのじいさまが、神さまにこぶを取ってもらおうといっしょに出かけ、天狗に遭遇します。
 赤天狗、青天狗がでてきて、天狗の眉毛、髪の毛、羽根がついた衣装が カラフルです。

 じいさまが、天狗の前で踊る場面は、笛や太鼓の音が聞こえてきそうです。

 ♭くるみは ぱっぱ
  ばあくずく
  おてらの なすが なったとな
  いっぽんに ひゃくはち
  なったとな
  なるにゃ なったが くさくて くわれん
  ちゃあるるう すってんがあ

 ふたりのじいさま、お宮に おこもりしようと 米や味噌をもって でかけたのは、長期戦?を予想していたのでしょう。


かやかやうま

2023年11月03日 | 絵本(昔話・日本)

   かやかやうま/上総のたなばたまつり/梶山俊夫/童心社/1978年

 

 上総のたなばたまつりは、6月にマコモを刈って、かやかやうまとうしをつくることからはじまります。

 八月に入ると、各地で うま市が ひらかれます。

 三日 大原で 四日は長者町 五日 一宮と太東 六日 刈谷と茂原

 八月6日夕方 こどもたちは 桐のわっぱで 車をつけてもらい かやかやうまを ひっぱって遊び、七日の朝は、かやかやうまに かやかや(杉のかれっぱ)をつけて、川にいき、かやかやを 水に流したあと、田のくろの草をかい、刈った草をかやかやうまにつけて帰ってから、朝のまんま。

 たなばたまつりがおわると、かやかやうまとうしは、つぎの年まで、家や畑、村の守り神になります。

 

 かやかやうまというのは、藁でつくったものをイメージされるとわかりやすいと思いますが、梶山さんの絵では、人間よりもおおきく描かれているものもあります。

 茂原市のHPによると、かやかやうまは、湿地帯に繁茂しているマコモなどを材料にして作られるといいますが、現在では、原材料が入手困難のため製作していないといいます。

 この絵本は1978年の発行ですが、この時期頃までは おこなわれていたのでしょうか。

 「たなばたまつり」というと、笹に飾りをつけるイメージがありますが、こうした祭りもあったんですね。

 地域のお祭りが衰退して、いまでは絵や写真でしかみられない祭りもあるのかもしれません。


黄金りゅうと天女

2023年10月30日 | 絵本(昔話・日本)

    黄金りゅうと天女/代田昇・文 赤羽末吉・絵/BL出版/2018年

 

 1974年の復刊。舞台は沖縄慶良間(けらま)諸島。

 身分違いの夫婦は ならぬと、きびしくいわれ、毎日思案に暮れていた若い男女が、ふしぎな夢にみちびかれ、慶良間の慶留間(げるま)にすみつき、やがてうまれた女の子。島のしゅうは、可愛(かなー)とよんで、だいじにしていた。
 若い夫婦は、毎朝毎朝 拝所(神をまつってあるほこら)にもうでていたが、ある朝、とつぜん、「ようきけ、可愛は、天の神子じゃ。だいじに だいじに、そだてるがよい」というお告げ。
 可愛は、ひとから かたりきけば、ぴーんぴーんと なんでも おぼえるかしこい子でしたが、七つの誕生日の朝、とつぜん、「わたしは、天にいかねばなりませぬ」と、いいのこし、オタキ山に向かって、走りだし、黄金色の竜をてまねきすると、その背に飛びのり、ぱあっと、きえてしまった。
 
 やがて 可愛がきえた ふしぎなできごとも、そろそろ むかしがたりに なりはじめたころ、慶留間と阿嘉(あか)に、とつぜん、大和の海賊が押し寄せ、略奪がはじまる。そこにオタキ山のあたりから黄金竜があらわれ、海賊船を きゅるきゅるっ と まきあげ、ぐるんぐるんと ふりまわして たちまち こっぱみじんにしてしまった。
 島のしゅうは、黄金竜の背に、うつくしい天女のすがたをみて、「可愛が わしらを すくってくれたのじゃ」と、くちぐちに さけび、両手を合わせ いつまでもおがんでいたそうな。
 
 見どころは、竜が、大和の海賊を蹴散らす場面。竜巻がおこり、海が波立ち、海賊が空に巻き上げられます。赤い竜、緑色の海。赤羽さんならではの迫力ある絵です。

五分次郎

2023年08月15日 | 絵本(昔話・日本)

     五分次郎/谷真介・文 高田勲・絵/佼成出版社/1992年

 おじいさんとおばあさんが、こどもがほしくて毎日、観音さまへ いって、いのっていました。ある日のこと、おばあさんの右の中指が ぷっくりふくれて、かわいいこどもがとびだしてきました。

 おじいさんとおばあさんは大喜び。背の高さが五分(1.5㎝)くらいしかないので、五分次郎と名前をつけました。

 五分次郎は、おじいさんの方によじのぼってすべりおりたり、おばあさんの 手のひらで ぴょんぴょん はねてあそびます。ところが五分次郎は、いくらごはんをたべてもちっともおおきくなりません。

 五分次郎が二十歳になったとき、「いままで そだててもらったので、こんどは わしが 働きます。わしは 魚売りに なりたいんです」と、おじいさんに お金をだしてもらって、いわしをかい、売りに出かけました。

 大きな長者の家の娘が声をかけますが だれもいません。よくよくみると石のかげに五分次郎がいました。大きな長者の家の娘は、あんまり かわいいので すっかり五分次郎が すきに なりました。

 日が暮れて家にかえれそうもないので、五分次郎が一晩泊めてくれるようたのむと、長者はこころよく泊めてくれます。

 その夜、お弁当に もってきた いりこのこなを 眠っていた娘の口に こすりつけました。次の朝、五分次郎が泣いているのを見た長者が わけをたずねると、「むすめさんが、わたしのお弁当のいりこをみんな食べてしまったんです」

 長者が娘をよぶと、口に いりこのこなが ついています。

 「むすめさんを、およめさんに くれなければ、ぜったいに、ゆるしません」と、長者と直談判して 一緒になることに。お互いにすきになっていましたから長者からも許しが出ました。

 およめさんと家に向かう途中、五分次郎は馬に食べられたり、金毘羅にお参りに行く途中、タイに食べられたりと ご難続き。

 さらに金毘羅まいりから泊まった家でオニが相撲をとりだしたりと、この後の展開も波瀾万丈。

 オニの忘れて行った小槌で、おしりをたたくと五分次郎は五尺三寸のいい男になって、めでたしめでたしです。

 およめさんが馬のお尻からでてきた五分次郎を、つまんで谷川であらったり、タイのおなかのなかで「ほうちょう あぶねえ ほうちょう あぶねえ」、さらに小槌をふりまわすとき「五尺三寸の いい おとこに なーれ!」と叫ぶ場面など楽しさもいっぱい。

 五分次郎が ねじりはちまきの いせいのいい 魚やになったというのも、ほかのサクセスストーリーにないおわりかたです。

 五分次郎が、大きくなる寸前まで、小さく小さく描かれているのも雰囲気をよくあらわしています。

 

     ごぶじろう/稲田和子・再話 いなだ なほ・絵/福音館書店/2022年(2015年初出)

 ごぶじろうは、18歳のとき、世の中で修業しようと、笹船に乗って村をでました。大きい屋敷のおじょうさんに気に入れられ、讃岐の金毘羅詣りに同行します。

 馬に食べられたり、タイに食べられたりするのは、同様の展開。鬼どもの住処で、鬼どもが相撲をはじめると、ごぶじろうが、「まあー、やっちこい。あかどんの かちい」「まあー、やっちこい。あおどん かちい」と、大声を出すと、鬼どもは、声の正体がわからずに不気味に思い、たからものを おいたまま にげてしまいます。

 それから ごぶじろうは、小槌で、五尺三寸の若者に。

 おじょうさんとの結婚はでてきますが、どんな職業についたのかについては、ふれられていません。

 

 子どものころ、大人の会話に尺貫法がよくでてきましたが、最近はあまりきかれなくなりました。尺貫法も昔話のなかだけになるのかも。


つぶむこ

2023年07月26日 | 絵本(昔話・日本)

    つぶむこ/小林輝子・再話 飯野和好・絵/福音館書店/2006年

 

 田んぼの水漏れに難儀していた男が、「水が漏れないようにしてくれたら、つぶでも だれでも おれのむすめを よめにやってもよいがな」とつぶやいていたのを聞いたつぶは、その田んぼに はいって なんにちも なんにちも 泥を つめていた。

 ようすをみにきた一番上のむすめは、「のろまな つぶめ、いつまでも 田さ はいっていろ」と、大きな石を つぶめがけて べーんがりと 投げ込んで かえってしまいます。

 二番目のむすめは、小石を ぱーらぱら ぱーらぱらと、つぶを めがけて 田さ なげいれて、「だりゃあ、つぶの よめっこになんかに なるもんか」と、しりをたたいて かえってしまいます。

 すえのむすめは、ねばる 土を 田の すみっこさ そっとおいて、「つかれたら やすんでたもれ」と かえっていきます。

 約束をはたしたあと、すえのむすめが よめになることを 承知するのが、昔話のパターンですが、この再話では、事前に むすめたちに 話をしています。大きな石、小石、ねばる土で固めて 水の漏れない 田んぼが出来あがりますが、三人の むすめがいないと、水の漏れない田んぼは できあがらなかったかも。

 七日後、むすめをもらいに こいといわれ、つぶが 男の家に いきますが 家のまわりは 幅のひろい せきになっていて、みずがたまっていました。ただそこには、ほそい棒が 一本たててありました。すえむすめに助けられたつぶは、「おらの からだを おもいっきり ふんずけてけろ」といいます。すえむすめが おそるおそる つぶを ふんづけると、つぶは ぱかっと われて、目を見張るほど りりしい 若者に なり、すえむすめと じさまと ばさまのところへ かえっていきます。

 

 このつぶは、子どものいない夫婦が、さん、しち、にじゅういちにち、いちにちも かかさず 観音さまにおまいりして授かった小さな貝(つぶ)でした。このつぶが口をきくようになったのは、夫婦が、じさま、ばさまに なったころでした。

 

 人物の存在感が抜群ですが、好みがわかれるかもしれません。


茂吉のねこ

2023年05月13日 | 絵本(昔話・日本)

    茂吉のねこ/文・松谷みよ子 絵・辻司/ポプラ社/1973年

 

 茂吉は、茂吉の「も」の字を聞いただけでも けものという けものは、すかん すかんと にげだすほどの鉄砲うちの名人。この茂吉、とほうもない 酒飲みで、一日 やまへ入ると つぎの 三日は 酒を 飲んでいます。酒の相手は、かわいらしい三毛猫が 一匹。

 不猟のある日、酒飲んで ねるべと 酒屋によると 勘定が だいぶたまったから 払えといわれ、帳面を見ると 覚えのない勘定がついているので 言い争いに。

 あたりが暗くなったころ、赤い半纏を着た かわいらしい わらしが 店先にやってきて、「さけ 一升 おくれという」というと、「かんじょうは 茂吉だ。」と、表へ でていきます。

 あっけに とられた 茂吉が やにわに 手に持った 煙管を、わらしに めがけて なげつけると わらしは 悲鳴をあげ にげだしました。

 ぼんが ぼんがと逃げていくわらしを おいかけていく、そこは ばけものづくしの野原。

 青い火、赤い火の中で あっちゃぶんぐら こっちゃぶんぐら どんどんどん。ばけものが たらん、たらん、踊っていた。

 ばけものが、「やあ、茂吉の ねこ、はやく 酒こ だせ!」

 「おら、こんやは さけだせね、さっき さかやで おやじに ばったりあって、きせる なげられて けがしたもの」

 「けが したってか。だいたい あの 茂吉は、鉄砲など もってけしからん。茂吉は ころしべし」「茂吉のねこは あすのあさ、茂吉の ぜんのうえを ぽんと とべ、そのめしを くえば 茂吉は しぬ。」

 これをきいた、茂吉のねこは からだをうごかし、なき声をたて、「おら やんだ、おら、茂吉 すきだもの」

 「ばけものの つらよごし、茂吉のねこも しぬべし」と、ばけものの 火ばしのような ながい ほそい 手が、茂吉のねこの くびに のびました。その時、茂吉の鉄砲が火をくと、野原は ごうっと ゆれ、あたりは しいんと まっくら。

 やがて ねこの なき声がして、茂吉の 小さな 三毛猫が すりよってきました。

 「こら、おまえみた ちびっこねこが、いちにんまえに、ばけものの なかまいり すんでね、この ばかたれ」。茂吉は、ねこを しかりとばし かたにのせ、家へかえりました。

 次の朝、明るくなってみると野原には、古蓑や、ふるい 木の こづち しんだにわとりの ほねなどが ころがって いました。

 

 この絵本の出版は、1973年。その十数年前に書かれたといいます。秋田の昔話がベースになっていますが、「再話からはずれて、わたしなりのものに なっているかと思う」と、ありました。

 大酒のみではあるが ねこをしかりつけるあたりは 愛情がこもっていて こどもを 思うよう。茂吉の性格がでています。

 「大量生産、大量消費、大量廃棄」の傾向はかわってきましたが、廃棄されたものが おばけになるのは、現代への警告でしょうか。


天人女房

2023年04月21日 | 絵本(昔話・日本)

    天人女房/立原えりか・文 清水耕蔵・絵/ポプラ社/2003年

 

 木の枝にかけてあった布、それは天女が水遊びのさいに、枝にかけておいたものでした。

 かぐわしい布を見つけたのは”みかる”という働き者でしたが、天女に聞かれても黙って、天女を家に泊まるようはなし、もてなします。

 ひと晩、ふた晩がすぎ、十日が一か月になり・・・。七年がたって三人の子どもがうまれました。「しあわせだ」と、天女はおもい、みかるも、みちたりた暮らしに満足していました。

 ある日、みかるが魚とりに出かけ、天女が機をおっているとき、子どもの歌声で、屋根裏に隠してあった羽衣を見つけ、三人の子どもと天の国へ のぼっていきました。

 天女がのこした手紙には、「わたしとこどもに あいたくなったら、ぞうりを千ぞく あつめてください。あつめたぞうりを 土に埋め、その上に 竹をうえるのです。三年たつと、竹は 天までのびて、わたしのくににとどきます。あなたは 竹をのぼって、わたしとこどもに あいにくることができるでしょう。」ありました。

 あつめたぞうりは、九百九十九でしたが、「たりないのは いっそくだけだ。なんとかなるだろう。」と、みかるは竹をうえ、三年すぎると、天のくにへのぼります。竹は天のくにへとどいていませんでしたが、天女が 布をたらしてくれたので、みかるはやっと 天にのぼりつきます。

 天のくにで 天女と暮らせるとおもっていたみかるに、天の王が、条件をだします。一日で千町歩の畑を切り開くこと、そのつぎに 千町歩の畑を一日で耕すこと、その畑に 一日で うりの種をまくこと、そして うりのとりいれ。これらを天女の助けでやりおえたみかるに、王が最後の仕事をいいわたします。それは一日で、うりを たてに半分にきることでした。

 天女は、うりを たてに切るのは 父のわなで、よこにきるように助言しますが、いざきろうとすると、たてにきるか、よこにきるか、わからなくなって、たて半分にきりました。すると山ほどのうりが、つぎつぎと、さけはじめました。うりからは水があふれ、川になり、みかるは 洪水にのみこまれ、天から地へ落ちていきました。

 それから、みかるは 何年も、何十年も ひとりでくらし、天の川の東に浮かぶ あかるい星を 天女だと おもいます。みかるが、地上で命をおえたとき、天の王は やっと手をのばし、みかるのたましいを、天の川の 西の岸に おきました。七月七日のことでした。

 

 羽衣伝説は、昔の記録にもみられ七夕と結びついて、全国に分布しています。ほかの話では、天女が複数ですが、立原さんは、一人しか登場させていません。


しちどぎつね

2023年04月17日 | 絵本(昔話・日本)

    しちどぎつね/岩崎京子・文 二俣英五郎・画/教育画劇/2003年

 

 きつねが人をだます話は全国に分布していますが、これは、落語版。

 二人づれの旅人が、店から鍋ごと料理を盗み、食べ終えたあと 空になった鍋を 放り投げると、たまたま昼寝していたきつねの頭に当たったから さあ大変。

 一度やられると七回しかえしをするという しちどきつね。

 二人の旅人が、着物を脱いで川をわたっていて、村人から声をかけられ、気がつくと そこはムギ畑。

 あたりが急にくらくなり、小さな寺に泊めてもらおうとして、尼さんから 留守を頼まれ留守番をしていると、墓から亡者が出てきて踊ったり、相撲を取ったり。昨日亡くなった若い奥さんが あかんぼうを だいて「ねんころりん・・」。

 がたがた震えているところに、村の人たちが、ほんとの 仏さんだという棺桶をおくと、棺桶がふたが押し上げられ なかから「た、たすけてくれえ」という声。村の人から声をかけられ、気がつくと、暗闇どころか、かんかんでりの 真っ昼間。

 きつねを見つけ、追いかけるとやぶの中。きつねのしっぽを みんなで 引っ張ると・・・。

 

 関西弁で快調に展開し、絵も雰囲気抜群。オチも最高です。


スサノオとオオナムチ

2023年03月24日 | 絵本(昔話・日本)

    スサノオとオオナムチ/飯野和好/バイ インターナショナル/2022年

 

 兄弟に殺されかけたオオナムチは、死者の国を治めるスサノオの元を訪ね、スサノオの娘のスセリヒメにひと目で心ひかれ、夫婦になる約束をしました。

 オオナムチのくることを知っていたスサノオは、オオナムチをヘビの室屋やムカデとハチの室屋に寝かせ、さらには焼き殺そうとします。

 スセリヒメの協力もあって、無事危機を切り抜けたオオナムチは、スセリヒメを背負い、イクタチ・イクミヤという生命の宿る太刀と弓矢を手に取り、地上にむかいます。

 逃げていく二人に向かって、スサノオは、オオクニヌシと名前を改め、出雲に国を作れとと、叫びました。

 

 子どもはいずれ親の元から旅立ちます。スサノオが恋路を邪魔するように見えますが、試練を乗り越えられないなら、娘と一緒にさせないと思っていたのでしょう。

 飯野さんの迫力ある絵が、神話の世界に ぴったり。

 はじめに、「兄神たちに命をねらわれたオオナムチは・・」とはじまり、おわりは「国造りを始める」とあって、前後の神話の世界に浸ってみたいと思わせます。


まのいい りょうし

2023年03月05日 | 絵本(昔話・日本)

    まのいい りょうし/小沢正・文 飯野和好・画/教育画劇/1996年

 

 同じタイトルの瀬田貞二、赤羽末吉版の絵本がありますが、最後に、ほんとに ほんとに まが いい展開。飯野さんの絵も武骨な感じの猟師で圧倒されます。

 猟師なのに、鉄砲を撃っても、いちども 獲物にあたったことがない どんべえさん。なぜかこの日は、大当たり。

 鉄砲の玉が とんでもない方向にとんだと思ったら、あっちこっちへ はねかえったあげく、いのししのおしりにこつん。おこったいのししに追われ、木の上にのぼると、いのししは、木の根っこに頭をぶつけ、どたん。

 木のそばにふじつるをみつけ、いのししを しばろうと ひっぱると クリの実が ぱらっ ぱらっら。袋に入らないほど クリの実を袋に入れて、川の丸木橋をわたりはじめて、川の中へ ぽちゃ-ん。

 川の中で、木の根っこのようなものに さわると、それは、ウサギの足。さらに、地面から なにかが とびだしているのに気がつき、ひっぱってみると 大きな 山芋が ずるっ ずるっ。おなかのあたりが もぞもぞ しているので、ふところをみると 大きな鯉。

 「なあんて なあんて まが いいんだろう」と、帰る途中、長者どんから、うるさいカラスを うちおとしてもらいたいと、いわれ 鉄砲に 水が入って つかいものに ならないからと、ことわると、弓で うちおとせという。

 大きな弓の つるを ひきしぼり、「ええーいっ」と、はなつと、弓はとんでない方向へ。ところが ところが この矢が 宝物を盗んで 逃げ出そうとした 泥棒の 風呂敷をつらぬいて、そのまま 泥棒もろとも 蔵の壁に宙ずり。

 名人と見込まれた どんべえさんは、長者のむすめと いっしょになり、長者のあとを つぎます。

 

 「まが いい」と表現は いまの子は ? となりそうですが、何回も繰り返されるので、そんなに気にならないかもしれません。


しょうとのおにたいじ

2023年02月07日 | 絵本(昔話・日本)

    しょうとのおにたいじ/稲田和子・再話 川端健生・画/福音館書店/2010年(初出1996年)

 

 しょうと(ホオジロ:中国地方での呼び名)の三つの卵の番を頼まれたお地蔵さんが、赤鬼、青鬼、黒鬼に騙され、卵を全部鬼に食べられてしまいます。

 しょうとが、うたもうたわず、とぶこともせず、なきのなみだで、くらいているところに、どんぐりがやってきて、「ちいさいもんは、あたまをつかわにゃ。ちえでおにのやつを ごいーんと やっつけようじゃないか」と、鬼たいじに でかけます。

 とちゅう、カニ、くまんばち、ウシ、もちつきうすも くわわって 鬼のやかたへ。

 どんぐりは いろりの熱い灰のなか、カニはみずがめ、くまんばち おくの座敷、ウシは 家の入口に 糞をべったり、うすは戸口の上に ぶらさがって 鬼を待ちます。


 「さるかに合戦」そのものです。

 赤鬼がたいじされるところでおわりで、青鬼、黒鬼がでてこないので、あれ!とおもっていると、ひとりの鬼が、姿を変えただけ。(ほかの方の指摘がありました。絵で語っているのに気がつきませんでした)

 いかにも善良なお地蔵さん、かわいいこどもを みっつも 飲まれと聞いた、かに、くまんばち、うし、もちつきうすが くわわるのも自然です。

 赤鬼は、「ええ子だが、まだ 目が できとらんのう」とペロリ。
 青鬼は、「ええ子だが、まだ 鼻が できとらんのう」とペロリ。
 黒鬼も、「ええ子だが、まだ 口が できとらんのう」とペロリ。
 鬼が卵を食べるところも みょうにリアル。


にぎりめし ごろごろ

2022年11月27日 | 絵本(昔話・日本)

    にぎりめし ごろごろ/小林輝子・再話 赤羽末吉・画/福音館書店/1984年

 

 タイトルから「ねずみ浄土」の話かと思ったら、にぎりめしがころがったさきは、地蔵さまがいるお堂の棚。

 じさまが、にぎりめしの土のついたところを 自分で食べ、きれいなところを地蔵様に さしあげると、地蔵様は「じさまや、じさま。よなかに 面白いことがあるから、天井に隠れていろ」と いうたっけと。

 ところが天井にとどかない。お地蔵さまから「ひざかぶさ あがれ」といわれ、「もったいなくて あがれない」というと「あがれ あがれ」というので、じいさま 足の裏 手でこすってひざかぶへ。それでも天井にとどかない。お地蔵さんから「つぎは、肩さ、あがれ」「頭さ あがれ」といわれたじいさまは、「もったいねえことだ。ゆるしてたもれと」と、手を合わせて天井にかくれ、夜になるのを まっていたっけと。

 夜中になると、お堂の前に たくさんの鬼たちが集まってきて、飲めや歌えの大酒盛り。夜明け近くになっても 酒盛りは 終わらないで、じさまは「コケコッコー」と 叫びました。「やや、いちばんどり ないた」と、鬼たちはそわそわ。少し、時間をおいて、じさまがもういちど「コケコッコー」とさけぶと、鬼たちは、前より慌てだし、三度目には、「夜があけだぞ。たいへんだ たいへんだ」と、鬼たちは、わらわらと にげていってしまいました。後にはあずきめしや、くるみもち、あかやら あおやらの 着物がどっさり。

 ばさまとふたりで、あずきめし たべていると、「ひっこ たもれ」とやってきたのは、となりのばさま。「なんとして、そんたな うまそうなもの たべてるべ」と聞くので、じさまは、にぎりめしが ころがったこと、みんな はなしたんだと。

 じいさまの話を聞いたとなりのばさまは、じぶんのじさまを 山にいかせることに。

 となりの じさまはわざとにぎりめしを転がし、きれいなところは自分で、土のついたにぎりめしは地蔵様に。となりのじさまは、鬼たちに見つかって、ふんずけられたり、けられたり、たたかれたりとさんざん。

 家で待っていたばさまは「いまに あずきめしや くるみもちや、あかやら あおやらの 着物いっぱい しょって、おらのじさまも かえってくるべ」と、いままで 着ていた着物 ぜんぶ 焼いてしまって、腰巻一枚で、じさまのかえりをまっていると・・・。

 

 鬼たちが残していくのも、小判や宝物というのではなく、あずきめし、くるみもち、きものと、やや控え目。このほうが親近感がわきそうです。腰巻一枚でじさまをまっているばさま、ちょっと かわいそう。

 じいさまを、正直者と欲張り者にわけるものが多いのですが、ここでは、「じいさま」「となりのじいさま」としているのにも好感が持てます。 作者は岩手在住で、岩手弁もぴったりでした。

 じさまが、お地蔵さまにのぼるところで、「ばちがあたる」といいますが、いまそんなことを言う人も少なくなりました。ご飯粒を残すと「罰があたる」と よくいわれた記憶があります。