どんぴんからりん

昔話・絵本いろいろ。語るのを目的としたものでしたが・・。それにしてもまるで森に迷い込んだ感じです。(2012.9から)

チェコの人形劇

2018年07月30日 | ちょっと遠出
 大使館にはいったのははじめて。


 チェコのアルファ劇場の人形劇がチェコ大使館で。

 「三銃士」ですが、チェコ語ではじまりどうなるかとみていました。さすがにダルタニアンだけはわかりました。

 下のスクリーンに日本語の字幕があったのですが、はじめは気がつかず、気がついてもフラットな客席なので最後までみえませんでした。

 しかし、場面展開のはやさ、人形のコミカルな動きでなんとかイメージがつたわりました。ちいさな子どもさんも多かったのですが、多分楽しさは伝わったのでは。

 舞台の前では二人が楽器を使って歌ったり、舞台を三つに分けて、役者のかたが顔を出したりと、日本の人形劇とはだいぶちがっていたようでした。



 大使館も色々イベントを開催しているんですね。いまさらながら気がつきました。

 これまで読んだチェコの昔話が人形劇になることも思い浮かべました。


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アトリエ

2017年09月22日 | ちょっと遠出
 青年劇場の舞台公演。

 休憩を含め約3時間。以前はそれほど長さを感じさせない時間ですが、今では少し長すぎるようです。

 舞台は第二次世界大戦直後のパリ。

 いろいろ過去をかかえたお針子5人の縫製工房。
 迫害されたユダヤ人の家族、どうも迫害に協力した側の人も。

 一人一人の個性はよくでているのですが、迫害されたユダヤ人で、夫が強制収容所おくりになったシモ-ヌをのぞけば、もうひとつ過去が浮き彫りになりません。

 工房を経営する夫婦に間がなぜうまくいっていないかも、伝わってこないので、なにかもどかしらの残る舞台。

 材料はととのっているのですが消化不良でした。

 ドイツ兵とアメリカ兵で、ドイツ兵のほうがよかったという冒頭のセリフにドキッとしました。

 戦争直後の工房で、すべて手縫いのようで、5人のお針子の他に従業員もいるそれなりの規模ですが、ミシンはでてきません。この時点ではミシンはもうあったはずですが?

 新宿紀伊国屋ホール。24日まで。

 

 


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郡上の立百姓

2016年09月21日 | ちょっと遠出
 少し遠いのですが新宿、紀伊国屋ホールまで。
 久し振りの芝居で、3時間を超えるのは最近ではめずらしい。

 宝暦に郡上でおこった年貢の検見取りに反対する農民の一揆。
 
 江戸時代の飢饉をしらべてみると、4大飢饉というのがありました。
  寛永の大飢饉(寛永19年(1642年)-寛永20年(1643年))
    全国(特に東日本日本海側の被害が大)
    全国的な異常気象(大雨、洪水、旱魃、霜、虫害)
  享保の大飢饉(享保17年(1732年))
    中国・四国・九州地方の西日本各地、特に瀬戸内海沿岸
    冷夏と虫害
  天明の大飢饉(天明2年(1782年)-天明7年(1787年))
    全国(特に東北地方)
    浅間山、アイスランドのラキ火山等の噴火とエルニーニョ現象による冷害
  天保の大飢饉(天保4年(1833年)-天保10年(1839年))
    全国(特に東北、陸奥国・出羽国) 
    大雨、洪水と、それに伴う冷夏(稲刈りの時期に雪が降ったという記録がある)

 郡上一揆は飢饉が直接の引き金になったわけではないのですが、調べてみると興味深いことばかり。

 舞台をみていると、どうしても語りについてのいろいろ思いがめぐることになります。

 ストーリーテリングはほとんどがボランテアで行われ、芝居と比較するのは無理があるのですが、役者は発声から舞踊などを専門的に長い期間をかけて築き上げます。
 30m後方の一番遠くの席からみていても、役者さんの声ははっきりときこえてきます。
 腹式呼吸のせいでしょうか。

 芝居をつくりあげる過程では、演出家と役者のやりとり、大道具や小道具、照明、音楽など専門家の参画があって集団的に練り上げられていきます。

 これと比較すると、語りは集団的に練り上げられているでしょうか。

 一つの話について、さまざまな角度から分析されているでしょうか。

 個人を主としても、なにかもっと補うことが考えられてもよさそうです。
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あの夏の日

2015年12月15日 | ちょっと遠出
 青年劇場の公演に新宿まででかけました。
 公演場所までは2時間弱。ちょっと遠出です。

 普段は稽古場としてつかわれている場所での公演で、観客席は100程度でしょうか。舞台は真ん中で、まわりを観客が取り巻く形でした。

 実際の高校での活動がモデルで、被爆証言者の話を聞いて当時の状況を絵にするというもの。
 はじめ、8月6日や8月15日を知らない高校生がでてくるのですが、テレビのインタビューで、知らないと答えている学生?もいたので笑えない場面でした。

 2時間、休憩時間もなく、いつもだったら尻が落ち着かなくなって、足を頻繁に組み替えたりしているのですが、集中していたのか、今回はそれは一度もありませんでした。


 芝居もそうですが、音楽、絵の表現から学ぶものはいろいろあるのではないでしょうか。

 語るのはほとんどがボランテイアですが、そうだからといってさまざまな工夫をしなくてもいいとは言えません。

 その工夫が何かはうまくいえないのですが、一つは色です。具体的に何色というのではなく、いろのイメージをつたえるということです。
 お話の夜の場面。真っ暗も明るい夜も、薄明りの夜もあります。
 朝、陽がのぼるだけでなく、靄につつまれた朝、どしゃ降りの朝といろいろありそうです。

 テキストに言葉がなくても、語り手が意識してみることも必要なのではないでしょうか。

 初心者がえらそうなことをいうようですが、今日は芝居に感動して、気持ちが高揚したこともあって、こんなことも浮かびました。
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「水を運ぶ少女」の舞台

2015年02月01日 | ちょっと遠出
 近くにありながら、足が遠かった丸木美術館。

 原爆の図があるというのは、もちろん知っていたのですが、なんとなくこわさのようなものもあって、避けていました。

 しかし、この正月、地元の方が書いた「水を運ぶ少女」を読んで、背中をおされるようにいってみました。

 2階の展示室全部をしめている想像以上に大きな絵。

 一部から15部のなかで、常設展示されているのは第14部まで。
  それぞれ、幽霊、水、火、虹、少年少女、竹やぶ、原子野、救出、母子像、とうろう流し、焼津、米軍捕虜、ガラス、署名と題されています。

 (美術館のHPでそれぞれの作品がご覧になれます)

 さらに忘れてならないのは朝鮮人の被爆者。

 平和教育の一環でしょうか、中学生のメッセージが展示されていました。

 美術館にいってみて、作者の思いが少しはわかるような気がしました。

 丸木美術館





    「水を運ぶ少女」にでてくる美術館そばの都幾川
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影絵の森美術館

2012年11月05日 | ちょっと遠出
 甲府昇仙峡にある影絵の森美術館にいきました。

 藤城清治の幻想的な影絵のなかに「鶴の恩返し」がありました。雪が降りしきる空を鶴が飛んでいくさまが影絵になっていました。
 「鶴の恩返し」を読んでも冬という季節を思い浮かべることはなかったので、新しい発見をしたようで得をした気分。(後で絵本「つるにょうぼう」/矢川澄子再話 赤羽末吉画/福音館書店/をみていたら冬のイメージがはっきり。

 鶴には留鳥もあるということですが、やはり「鶴の恩返し」にでてくるのは冬鳥ということでしょう。渡り鳥の方がこの話にぴったりするところ)

 絵本でも同じ物語でも絵をかく人が10人いたら多分10人とも違った絵本ができるのではないかという気がします。
 
 ストーリーテリング(ということばをはじめて知りました。これまで先入観にとらわれそうで解説の類の本は読まず、もっぱら本を読んでいた)で語り手が物語にどんなイメージをもつのかが重要な要素の一つとしてあげられていますが、同じ物語でも10人の絵本の書き手がいたら10の絵本ができあがるように、語り手がこれまで蓄積してきた経験も大きな要素になると考えると、同じ物語でも10人の語り手がいたら微妙に違ってくるということが、当然のように思いました。
 
 演劇の場合でも演出家が違うと、同じ脚本であっても解釈のちがいで全く違った舞台になるという経験もあり、物語の受け止め方をもっと考えてみたいと思いました。
 
 しかし、藤城影絵の幻想的な影絵は一つ一つに物語が感じられてイメージを膨らませてくれるものでした。

         影絵の森美術館
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