どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

ベコになったばっぱ・・福島

2023年04月22日 | 昔話(北海道・東北)

        福島のむかし話/福島県国語教育研究会編/日本標準/1977年

 

 「旅人馬」をおもわせる話。

 一軒の宿屋に泊まった坊さまが、夜中にへんてこな音がするので、ふすまの蔭からのぞくと、ばっぱ(ばあさま)が口で何やら言いながら、炉の中へ ごまの種をまいていたんだと。ばっぱが種をまき終わったか終わらないうちに、にょろ にょろ芽が出て、葉が出て、花が咲いて、ごまの実ができてしまった。坊さまは、なんて不思議なごまだべと思いながら見ていたと。そのうち、ばっぱは、うまそうな ごままんじゅうをつくったと。

 つぎの日の朝、坊さまが起きだして、ばっぱのいる部屋に行ってみると、お膳の上に、ゆうべの ごままんじゅうがならべてあったと。「これは なにかあるな」と、思った坊さんは、「わしは、毎朝散歩してから 食べる」と、宿屋をでて、町で、ごままんじゅうを買ってかえってきた。

 だされた、ごままんじゅうと、買ってきたごままんじゅうをすり替え食べ終わると、ばっぱに ばっぱのつくったごままんじゅうをすすめた。ばっぱが 何も知らないで食べると、ばっぱは、みるみるうちにベコ(牛)になってしまう。やさしそうなばっぱが、こんな風にして旅の者をベコにしては、それを売って金をもうけていたことがわかっただと。

 坊さまが、「いままで、旅の者を苦しめてきたから、そのむくいで こんな姿になったんだ。」と、おしえてやったんだと。ベコになったばっぱは、「ベコになって、はじめてその苦しみを知ることができた。わたしは、なんてむごいことをしてきたんだべ。仏さま許してくんなしょ」と、拝んだと。

 心を入れ替えたのならと、ばっぱは もとの人間のばっぱになることができたと。

 

 昔話では、反省をすることが少ないが、あやまって、もとにもどるという安心感がありました。


サルとカエル・・福島

2023年04月18日 | 昔話(北海道・東北)

        福島のむかし話/福島県国語教育研究会編/日本標準/1977年

 

 むかし、山の上の森にいっぴきのサルが、その下の田んぼにカエルがすんでたんだと。

 ある日のこと、サルがカエルのところへやってきて、「うめえ餅でも食いたいと思ってきたんだが」ともちかけると、カエルは、「うめえ餅食うにはどうやるんだ」と聞く。サルは、「うめえものっていうのは、今すぐ食おうと思ってもできねえもんだ。これから おまえさんと田んぼを作って、秋には食いきれないほどの餅をついて、タヌキどんのように、腹づつみうってもてえもんだなあ」って、もちかけた。

 相談がまとまって、やがて春になって、お百姓が苗代の準備をはじめるが、サルからはいっこうに便りがない。カエルがサルのところにいくと、昨日から腹が痛くて、一人で苗代を作ってくれと、にわかに腹をおさえて、ウーンとうなる。

 正直なカエルは、わき目もふらず、苗代づくりに精を出し、種まきのだんどりになるとサルをたずねるが、サルは腹痛がまだよくなっていねえという。仕方ないのでカエルは、せっせともみをまき、水をかけて、苗を育てた。田植えの時期になると、またサルを訪ねていくと、こんどは木からおちたと寝床にもぐりこむ。

 それからカエルは、暑い盛りの草取りも一人でやって、やがて秋。ずっすり実った稲穂の取入れも終わるが、それでもカエルは顔を出さない。

 もち米もたんととれ、あした餅つきするからとサルのところへいくと、おれ、もちつきするという。

 サルは、餅をつきおわると、向かいの山のてっぺんから、臼ごと落として、先に餅さ追いついたほうが、全部食うことにすべえと、持ち掛ける。

 次の日、臼を山へもちあげ、「一二の三」で転がすと、臼はどんどんころがり、木の根っこにぶつかったはずみで、餅が臼から飛び出てしまう。サルはそれに気がつかないで、臼をおいかける。カエルがぴょこんとゆっくりはねていると、目の前に餅。大喜びして餅を食いはじめた。下の沢まで、転げ落ちていった臼に、ひとかけらの餅がついていないのをみたサルが、あっちこっち探しながら登っていくと、カエルどんが、さもうまそうに餅食っていた。

 「カエルどん、おれにも ちっと食わせてくれんか」とサルが言うと、カエルは見向きもしないで、「サルどん、神さまはちゃあんとみている。おらにおさずけくださったんだ。なまけもんのあんたには、ひとかけらだってやらん」と、いったんだと。

 

 最後のおいしいところだけをとろうとして、しっぺ返しされるのは、当然か。


ふえふき太郎・・岩手

2023年04月04日 | 昔話(北海道・東北)

           岩手のむかし話/岩手県小学校国語教育研究会編/日本標準/1976年

 

 継母からいじめられ、しまいにはころされてしまうかもしれないと、父親から逃げ出すように言われた太郎。風呂敷に晴れ着と、銀の笛を包んだ荷物を持って旅に出て、長者のところで働くようになります。そこでつけられた名前は「かってぇぼ」。

 長者の家では、みんなが嫌がる仕事を、はいはいと働いていた太郎でしたが、長者の家でつかってもらうまえに、父親にいわれたとおり、顔に泥をぬっていました。いつも、一番後に風呂に入って、すっかり顔を洗い、晴れ着を出すと、銀の笛を取り出し、練習をしていました。

 長者の家にはむすめが三人いました。ある日、末のむすめが、笛の練習している太郎に気がつきますが、なにか理由があるだろうと、だれにも何も言わずにいました。

 秋祭りには、村同士の笛上手が集まる笛比べがあります。長者は、今年こそ一等賞をとろうと、若い使用人に仕事を休ませて練習をさせていましたが、笛吹き比べがすすむにつれて、一番になりそうなのは、隣の村の人と決まりそうになります。がっかりする長者に、すえのむすめが、「かってぇぼ出せばいいんだ」といいます。みんなは笑いますが、とにかくだしてみるべと、かってぇぼがでると、その笛の音は、いままで聞いたこともねえような上手なもので、一番に。

 長者は、「いままで粗末にしたことを許してほしい。すえのむすめといっしょになって、家をついでもらいたい」と頼みます。それからふえふき太郎は、長者の家をつぐことに。

 

 継母が出てくると、女性が主となる昔話が多い中で、男が主人公になるという話です。


うんとく・・岩手

2023年04月02日 | 昔話(北海道・東北)

        岩手のむかし話/岩手県小学校国語教育研究会編/日本標準/1976年

 

 「はなたれ小僧」に にかよっていますが、”へんなこども”として登場します。

 

 貧乏なおじいさんが、川の中に、薪を投げてやると、生き物みたいにぐるぐるおどって渦の中に沈んでいきました。おもしろいと薪をつぎつぎに投げたので、薪は ゼロに。

 すると、川の中から、きれいな女の人があらわれ、おらへの家にきてくれという。水の底にいけないというと、目をつぶって背中へおぶされといわれ、ついたところは、立派な建物。

 そこで酒や魚などいっぱいごちそうになり、かえるとき、”へんなわらす”を連れて帰れという。無理にあずけられ、しかたなく連れて帰ると、「おじいさん、おれはうんとくという者だ。どこか座敷の奥にでも おいてけれ」という。このわらしの働くこと働くこと、朝から晩まで働くので、おじいさんのさいふのなかには、おかねがジャグジャグ、米びつには 米が 山もり。

 おじいさんは、わらしのことを誰にも言わず、山からかえってくると、こっそり座敷の奥にいって、”うんとく”の頭をなでて、にこっと笑っていた。

 それを見ていたおばあさんが、おじいさんのいないときに、座敷の奥に行って、なんともみぐるしいちんちくりんな わらすをみて 箒で 無理やり追い出してしまいます。

 おじいさんがかえってきて、なんともかんとも悲しんで、あちこち探したが、どこにも、うんとくはいない。それからは、おじいさんの家は、だんだん貧乏になって、さいふはからに、米びつは からっぽに。

 

 きれいな女の人というと、竜宮へいく場合が多いのですが、おじいさんが いったさきは立派な建物です。人を見かけで判断すると、運まで逃げてしまうという話。


わらしことネムの花・・山形

2023年03月23日 | 昔話(北海道・東北)

         山形のむかし話/山形とんと昔の会・山形県国語教育研究会共編/日本標準/1978年

 

 ちょっと、ほっこりする話。

 あるところに、仲の悪い二人の長者がいて、東の長者が「右」といえば、西の長者は「左」というように、なんでも逆のことを言ったり、違ったことばかりしていた。

 三月のひなの節句のとき、めんごいおなごがいた東の長者が、都から高いひなさまを買って、酒は飲ませるし、うまいごちそうを いっぱい食べさせてやると、村の衆に、ふれまわります。それを聞いた西の長者はくやしくてくやしくてしかたがないけど、西の長者には男のわらししかいない。そこで、たんごの節句をくりあげて、ひなの節句にぶつけて、これも、酒はいくらでもごちそうし、ご馳走の食放題だと、ふれあるきます。喜んだのは村の衆。飲んだりたらふく食べたり。

 また、大雨のとき、西の長者が東の長者に、「一枚しかねえだいじな着物、ぐしゃぬれになったらこまんべな」というと、東の長者も、「西みたいに、着物一枚しかもってねえものは、蓑を着たり、傘かぶったり、気の毒なことだ」と、やりかえすと、二人とも、裸になって、ざあざあふる大雨の中をあるいていきます。

 こんなことなら、かまわないけれど、こまったことがおきました。

 東の長者が「村の氏神さまをりっぱに建てなおすから、村の者は、みんな手伝え」、西の長者が「お寺をりっぱにするから、村の者は、みんな手伝え」といいだし、お寺らを先にするか、氏神さまを先にするかで、村の人は、困ってしまいます。

 東の長者は、「神さまのおかげで、コメとれるでねえか。そんな神さまをあとにするなんて、とんでもない」、西の長者は「おまえだの、ご先祖さまにもうしわけないと思わねえが。秋のお彼岸までまにあうように急げ。」と、どなりました。

 しかたがないから、村の衆は、今日は とうちゃが神さまで、かあちゃはお寺、あしたは、かあちゃが神さまで、とうちゃがお寺というあんばいにした。こうなると田んぼの仕事は夜しかできないし、どこの田んぼのイネも、ぐったとしていた。

 仕事を急がせようと、東と西の長者が急いでくると、狭い一本橋で鉢合わせ。どけっ、どけっ と、にらみ合いをしていると、東の長者の家の者が、「わらしこ、朝からいなくなった」と、大きな声で走ってきます。西の長者の家の者も走ってきて、「わらしこ、朝からいなくなった」。

 村中で探し回ったが、わらしこは どこにもいない。そのうち夕方になって、「暗くなったら、夜タカにさらわれる」「暗くなったら、山んばにさらわれる」と、心配した二人の長者は、地蔵さまのところで、また出会いました。すると、ふたりのめんごちゃんが、ネムの木の枝をだいて、すやすやねむっていました。そして、そのネム枝には、今まで見たことのないような美しい花。二人の長者は、顔を見合わせて、にっこり笑い、わらしこの顔をいつまでも じいっと見ていたど。

 それから、夏の夕方になると、村中のネムの花が美しく咲くようになったという。

 

 ネムの花は、控えめな感じです。


ひたいにトチの木・・山形

2023年03月17日 | 昔話(北海道・東北)

         山形のむかし話/山形とんと昔の会・山形県国語教育研究会共編/日本標準/1978年

 

 頭に柿の木がなる昔話があるなら、目に木が生えてもおかしくありません。タイトルは「ひたい」ですが、目に木が生える話。

 

 カモ取りのじいさまが、沼でカモをいっぱいとり、腰の帯にはさんでいると、足を滑らせたひょうしに、バタバタとカモが羽ばたいて、空中高くとんでしまった。そうしているうちに、元気なカモの一羽が、帯を抜けてとんでしまったもんだから、そのうち一羽ぬけ、三羽ぬけて帯がゆるみ、沼めがけてまっさかさに落ちてしまった。ピシャっと落ちたひょうしに、二つの目ん玉、ぺろりと飛び出してしまった。あちこちさがし、目を入れると、一つは見えたが、もう一つはトチの実。

 翌朝、目さましてみると、目から大きなトチの木が生えていた。そのトチの木に実がなり、カモとりに行くには、トチの木がじゃま。そこで町へトチの実を売りに行くと、これがみんな売れてしまった。次の年にも 「トチの実はいらねが トチ トチ」とふれまわると、じゃまだから、トチの木切らなければ、町へ来るなといわれ、トチの木を切るが、こんどは 薪にして売り歩いた。

 売るものがなくなったと思っていると、木の切り株にナメコが生えてきた。ナメコもよく売れ、村にもどる途中、雨が降ってきた。家で、ばさまのだしたお茶を飲んでいると、頭の上でゴチャゴチャ音がする。ばさまが見ると、頭のくぼんだところに雨水がたまって、そこにフナが 泳いでいた。「こりゃ、ええ。町さいって、フナを売ってくるべ」と、こんどは、フナを売りに町へ。

 このあと、どうなったかは?

 となりのじさまも、おなじように、空中から落ちて、ようやく探した目を、ひとつさかさに入れてしまった。そしたら、さかさにいれた目ん玉で、体の中みな見える。「なるほど、頭が痛いというのは、ここがわるいからだべ。はらいたいというのは、これがわるいからだべ」と、体の中のわるいところが、みな見えるもんだから、「はらいたには、ドクダミを湯に入れて、それを飲めば治るし、けがしたらここがはれるから、この薬をはりつければいい。」と、体のわるい人に教えたもんだから、この一番の名医になったんだと。

 

 現代医学では、体の状態を検査するというのは治療の出発点。昔の人も、体の中を見てみたいと思ったかどうか。


げんないとカッパ・・山形

2023年03月14日 | 昔話(北海道・東北)

         山形のむかし話/山形とんと昔の会・山形県国語教育研究会共編/日本標準/1978年

 

 最上川のほとりにすんでいたげんないは。背がでっかく、頑丈で力こぶも石みたいにもりあがっていたど。

 夜、せんべい布団にくるまって、壁の隙間からちらちらと光る星を眺めていたら、川のほうでコトラコトラと音がしたど。そっとおきて戸を少し開けてのぞくと、黒い影。よくみるとカッパ。げんないはしらんぷりしてねていたど。

 つぎの晩も、つぎの晩も、カッパがあがってきて、すぐそばまでくるようになり、雨降りの真っ暗な晩、カッパはびしょびしょにぬれた手で、げんないのしりごを、ひょえらっとおさえた。「つめでえ」と、げんないがおきあがると、カッパは、たたったあとは知って、チャポランと川の中にしずんでいった。

 「カッパのやつ、おらのしりごをねらっていやがる」と、のんきなげんないも、腕を組んで考えたど。

 つぎの晩、げんないは、しりごをわざとふとんからつんだしてねていたど。ねむったふりをしていると、カッパが、またこっそりもぐりこんできて、げんないのしりごめがけて、がぶらっとかぶりついたど。

 ガリッ ガリガリ ガリガリ

 なんとかたいこと固いこと。カッパの歯が、ぽろりぽろりと折れてしまったど。げんないは、寝る前に、大きな鉄瓶の蓋を、しりごにはめ込んでおいたもんで、かたいはず。カッパは 泣き泣き川へ沈んで、二度と上がってこなかったど。

 

 この話で楽しいのは、結末の部分。

 なに、カッパはどんな声でないたかって。さて、なんとないたもんだべな。キャッ キャッてなくのは、サルだし、カオカオッってなくのはカラスだし、やっぱりげんないにきいてみないとわからないな。


赤いこん箱・・山形

2023年03月06日 | 昔話(北海道・東北)

   山形のむかし話/山形とんと昔の会・山形県国語教育研究会共編/日本標準/1978年

 

 おばあさんが、川で 食器を洗っていると、川上から流れてきたのは赤いこん箱と白いこん箱。「赤いこん箱、こっちゃこい。白いこん箱、あっちゃいけ」というと、流れてきたのは赤いこん箱。白いこん箱は「あーん、あーん」と泣きながら流れてしまった。

 赤いこん箱には、めんこい子犬。大事にそだて、ある日、山へいき、「ここをほれ、カンコーカェン、あそこもほれ、カンコーカェン」というので宝物がでてきた。

と、ここまで「花咲かじい」と、おなじ進行。

 灰をまいて、花が咲くのではなく、灰を畑にまきます。すると畑一面にヒョウ(スベリヒユ)がでました。ふたりでヒョウを食べると、じいさんの腹がはってきて、ちょっと腹に力を入れると、屁が出て「綾ちゅうちゅう 錦さらさら ごよの股のあわいから ツツラプンバンピー」と聞こえます。

 山形一のだんな衆の家で披露すると、だんなは大変喜んで、宝物をくれます。

 となりのじいが、おなじまねをすると、「綾ちゅうちゅう 錦さらさら ごよの股のあわいから」のつぎは、「ビリビリッ」と、なんともきたない音がして、そこら一面よごしてしまったので、鼻をつまんだ若い衆から表に投げられ ひどく腰をうって寝込んでしまう。 (どんぴんさんすけ サルまなぐ)

 

 ”屁”の話は、昔話には欠かせませんが 外国ではどうでしょうか。

 「スベリフユ」は、地方によって、トンボグサ、チギリクサともよばれ、CAM型光合成をするといいます。雑草というイメージですが、世界では貴重な植物といいます。CAM型光合成おそるべしです。


かもとり‥秋田

2022年10月17日 | 昔話(北海道・東北)

          秋田のむかし話/秋田県国語教育研究会編/日本標準/1974年

 

 「むかしむかし、じっちゃは山へしば刈に、ばばは川さ、せんたくにいったど」と、「桃太郎」風の出だし。川から拾ったのは、白い子犬。このあとは「花さかじい」ふうの展開。

 「花さかじい」では、臼の灰で、枯れ木に花が咲きますが、ここでじっちゃが灰をまくと、鴨の目に灰がはいって、鴨がバタバタと落ちてきて、鴨汁にして食べてしまう。一方へちょへちょじっちゃ(ずるくてけちんぼな じっちゃ)が灰をまくと、自分の目に入り、めがみえなくなってしまう。

 

 話者の方がアレンジして話したものでしょうか。話好きの人が、ほかのものとは差をつけたくて、こうした結末にしたのでしょうか。


天ぐのおうぎ‥秋田

2022年10月13日 | 昔話(北海道・東北)

            秋田のむかし話/秋田県国語教育研究会編/日本標準/1974年

 

 ある日、じっちゃが、天子に、ばっちゃがその后になった夢を見て、ばっちゃに大きな声でいったが、ばっちゃは、何の反応も見せない。一言二言しゃべりあっているうちに、じっちゃはかんかんになって、ばっちゃをぶんなぐってしまう。それを見た近所の男が、とんでもないじっちゃだと、太い縄で木に縛りつけてしまいます。

 じっちゃが大声で叫んでも誰も助けてくれない。泣きっ面をしているところへ、大きな扇をもった天ぐがあらわれ、わけを話すと、これから乱暴しなかったら、助けてやってもいいというので、じっちゃは、これからは決してしないと約束し、縄をとってもらう。

 じっちゃは、天ぐが空を飛べるのが不思議でならない。人間でも飛べるというので、一回貸してくれるよう頼むと、一回だけだと、天ぐから扇を借りると空中へ。そのまま、返せと言っても、天ぐをしり目に、じっちゃはとんでいってしまう。

 下を見ながら飛んでいくと、呉服屋が見え、一番いい着物を身に着けると、便所に行くふりをして、また空へ。つぎはめがね屋。ここでもめがねを手に入れ、また空へ。料理屋では、うめえ料理をいっぱい食うと、また便所へいくふりをして、「テンテコテン、テンテコネン」と、飛び上がる。料理屋の人たちは「食い逃げだ、食い逃げだ」と大騒ぎ。

 どんどんとんで、隣町のりっぱな家に来ると、”娘の病気をなおしてくれば、娘のむこにする”の立て札。

 自分の年もわすれて、娘の病気をみてやる気になったが、ほんとうに病気がなおせるか心配になって、しんだねこで試してみることに。扇の柄でちょこっとついてみると、ねこは「ウーン」とうなる。もう一度つくと「ニャオーンとないて、三回目には、「ウワーッ」と、ねこはいってしまう。

 扇で娘の病気をなおすことに成功し、娘のむこに なることになった じっちゃでしたが、このあと思いがけない結末が・・?

 

 天ぐより、人間の方が悪賢い存在か、はたまた天ぐが正直すぎるのか。


人魚の恩返し・・福島

2022年03月03日 | 昔話(北海道・東北)

          福島のむかし話/福島県国語教育研究会/日本標準/1977年

 

 「鶴のおんがえし」とパターンは同じで、鶴を人魚と読み替えるとほぼ同じです。

 

 浜吉という漁師が釣り上げたのは人魚でした。しかし浜吉は、ほかのものにつかまらないように海へ放してやりました。

 それから何日かたって、大しけの日に、美しくて若い女が、浜吉のところにやってきました。つぎの日、浜吉が漁に行こうとすると、女は、岬の左にいったあたりに網を張ると、魚がいっぺいとれるからといいます。浜吉が船一ぱいに魚をとって、女はもういないだろうと帰ってくると、女は家の中でまめに働いていました。次の日も、漁をする場所をおしえられ、大漁になり、そのまま夫婦になります。

 それから浜吉は、女の言う通りのところへ漁にでかけると、いつも大漁で、村のあみ主よりも大金持ちになりました。

 「あの女はどこからきたんだべ」「おめえ、どんなことして、あの女を女房にした」「お前の女房はただもんでねえぞ。もしかすっと、竜宮からきたんでねえか?」と、村の人から言われ、女房のことが気になりだした浜吉。

 「風呂に入っているところは、ぜったいに見んねでくれろ」といわれていた浜吉が、風呂をのぞいてみると・・・。

 

 日本の昔話には、人魚はあまり出てこないようですが・・?。


大三の鬼たいじ・・福島

2022年02月27日 | 昔話(北海道・東北)

          福島のむかし話/福島県国語教育研究会/日本標準/1977年

 

 昔話というと、ひとのいいおじいさんと欲深いおじいさんがでてきたり、末っ子を大事にしない兄弟がでてきたりと、対立の構造が目立ちます。ただ、この話はこうした対立がないので、安心できます。

 

 むかし、西鬼といわれるおっかねえ鬼になやまされていた村の人々。この鬼の話を聞いた人々は、岳街道を通らず、鬼もいたずらはできないし、人の物をとることもできなかったから、岳山から人里近くまででてくるようになりました。

 この鬼退治にかけたのは、力自慢で頭のいい大三という若者。若造に大事な役がつとまるかと村人は心配したが、それでも大三に頼むしかないので、酒やさかな、食いものや着物まで用意し、大三に鬼退治を託します。

 岳街道をのぼり、もうちょっとで坂の上というところで一休みした大三。ガサガサ、ピチャピチャという音が聞こえてくるので、じっと音のする方をみると、赤銅色の鬼。

 よくみると、鬼は頭の毛もひげも伸び放題、ぼろぼろの着物で、力なく沢の水をガブガブ飲んでいた。「鬼のやつめ、何日もなんにも食わねえで、体がまいっているだんべ」と思った大三は、鬼退治にきたことも忘れ、持ってきた食い物を全部広げて、鬼にくれてやった。鬼はちょっとのあいだ、びっくりしたようだったが、目の前の食い物が山盛りにおいてあるので、夢中になって食いはじめた。

 満腹になった鬼は、大三の情けが身にしみて、大粒の涙を流し、なんどもなんどもお礼をいいます。大三が、「これ、鬼よ。おめえがいままでしてきたのは、悪いことだったんだぞ。んだから、村の人や旅の人は、どれだけ難儀したかしんねぞ。おれはおまえをつかまえにきたんだが、どうしたらいいべな」とさとすように言うと、鬼は両手を広げて大三の前にさしだします。鬼を村につれていくと必ず殺されると思った大三は、これからは決して人里に出てきたり、いたずらをしないようにといい、鬼を逃がします。

 このまま、村にかえることもできねえし、大三がこれからどうしようと考えていると、鬼が、でっけえ石をもってもどってきました。よくみると、その石は鬼そっくりの形をしていました。鬼は、この石をここへおくと鬼退治した証拠になるといって、笑って別れました。

 次の日、村人は大三の案内で、おっかなびっくり、退治した鬼を見にきましたが、鬼の形をした石をみて、みんなたまげて、村ににげもどりました。

 それから鬼は、人里にあらわれなくなり、鬼石は、いつまでもおなじところにころがっているという。

 

 「原瀬の才木(西鬼)」という地名がでてきますが、二本松市に原瀬というところがありました。この原瀬には、縄文時代集落跡があり原瀬上原遺跡として整備されています。


パナンペ・ペナンペ話・・北海道

2022年02月19日 | 昔話(北海道・東北)

        北海道のむかし話/北海道むかし話研究会編/日本標準/1978年

 

 アイヌの昔話です。”パナンペがいた。ペナンペがいた”と はじまります。

 ペナンペ(川上の者)はまじめな働き者で、やさしい心の持ち主。一方、パナンペ(川下の者)はなまけ者、ひがみやで意地のわるい男。

 

<海の水を飲むほす>

 パナンペが、ペナンペをやりこめようと、魚をすっかりとるため海の水を飲みほしようにもちかけます。

 「それは勘弁してくれ」とあやまるだろうと思っていると、ペナンペは「海の水だけならすぐにも飲みほしてやろう。けれど、あそこの川からも向こうの川からも、川の水が流れてくるので困る。お前がまえもって、川の水を全部せきとめて、一滴も海に流れ込まないようにしておくれ。」と、切り返しました。

 

<キツネがり>

 ペナンペが河原の石の上に死んだマネをして、ねころびました。そこへキツネがやってきてパナンペのからだをゆすりますが、ペナンペはじっとがまんします。しばらくして、からだの下にかくしておいたこん棒で、キツネどもを打って打ちまくり、たおれたキツネの肉を毎日食べ続けます。

 話を聞いたパナンペもおなじようにします。キツネが、わきの下やら首のまわりをかぎまわったので、がまんしきれず目をあけてしまいます。ペナンペが、こん棒でキツネを打とうとすると、キツネはいっせいにとびかかったり、ひっかいたり、かみつきます。

 

<金の犬と銀の犬>

 ペナンペが川で釣りをしていると、カラスがやってきて「魚を一匹くださいな。」というので、ペナンペは、魚の中でいちばん大きなやつをつかんで、川の水できれいに砂をあらってカラスにあげます。

 魚をとりながら川を上っていくと一軒の草ぶきの家がありました。ひと休みさせてもらおうとすると、金と銀の子犬がじゃれついてきました。そして、家から黒い着物を着た若い女がでてきて「おや、先ほどはありがとうございました。おかげでうちの年よりが、よろこんでいただきました。」といって、ていねいにもてなしました。

 帰り際、黒い着物の女が金の犬と銀の犬のどちらかをつれていくかたずねます。ペナンペは銀の犬とウバユリだんご二つをもらい帰り道につきました。しばらくして子犬がなくのでウバユリだんごを一つやり、二つやりしながら歩くうちに、ペナンペの食べるウバユリだんごはなくなってしまいます。その夜、音がするのでペナンペがおきてみると、金のおかね、銀のおかね、美しい玉が部屋いっぱいにあり、銀の子犬のすがたはありませんでした。

 パナンペも宝物を手に入れようと川へ出かけると、そこへカラスがやってきて魚をいっぴきくれるようといいます。パナンペは、いちばん小さな魚を、泥だらけのまま、投げてあげます。ここから先は同じような展開ですが、パナンペがもらったのは金の子犬。そしてはらをすかした子犬に、だんごをあげることもしません。

 夜中になって音がするので、よろこんだパナンペがよくみると、ごつごつした砂と岩だらけ。さらっては捨て、とっては投げたが、きりがありませんでした。


繁次郎のとんち・・北海道

2022年02月16日 | 昔話(北海道・東北)

         北海道のむかし話/北海道むかし話研究会編/日本標準/1978年

 

 江差の町に住んでいた繁次郎のとんち話。背が低く頭と目玉が大きく、甘いもの、お酒、なんでもござれの大食漢でした。

<頭も名人>

 ニシンつぶし(とれたニシンの腹をさいて、なかのものを取り出し、カズノコヤシラコをえり分け、魚体は身欠きにまわす作業)の名人というふれこみで、やとわれた繁次郎。

 ところがさっぱり働かない繁次郎をぎゅうととっちめてやろうと、大だるにいっぱいニシンをいれて、腕前を見せたら全部くれてやろうと親方がいいます。

 すると、繁次郎は人を呼び集め、「これからニシンつぶしの競争だ。つぶしただけは、みんな自分のものだ。さあ、かかれ、かかれ」と、たるのニシンをつかんではなげ、つかんではなげしたので、あっというまにニシンつぶしが終わってしまいます。

 くやしがる親方に、繁次郎はいいました。

 「親方、おれはニシンつぶしも名人だけど、頭の方もめいじんだね。」

<家宝のハラワン>

 おれの家には家宝があるから、いつでも借金をかえせると、けむにまいていた繁次郎。

 暮れもおしせまって、借金とりが繁次郎のところにいくと、繁次郎は、頭にはちまき、着物の前を広げて腹をだし、へその上におわんをひとつ のっけていました。

 「借金はどうしてくれる。家宝はどこだ」

 「これだよ、これだよ」

 「これとはなんだ」

 「これ。腹の上のわん。ハラワンハラワン。借金はハラワンという家宝だ」

<火がもえている>

 夕暮れの町にクリをにるうまいにおい。腹ペコの繁次郎が、いきなり大声で、「そのへん火がもえている」とさけんだので、「火事はどこだ。火事はどこだ。」と、みんな大騒ぎ。

 火元がわからないので、繁次郎を問い詰めると「おれは、そこらだ火がもえている、といっただけだ」

 「そこらだとは、どこだ。」

 繁次郎「その鍋の、クリの下だ。」といって、うまくクリにありついた。

<大飯ぐらいは身の毒>

 なまけるわりに、たくさんの飯を食う繁次郎に困った親方が「大飯は身の毒だぞ」と文句をいいます。

 次の日から、繁次郎、山から運ぶ薪が半分になってしまった。「どうしてそんなに少なく背負ってきた?」という親方に、繁次郎はいいます。

 「親方、大飯ぐらいは身も毒といったべさ。重荷は背中の毒だってばせ。」

<とうふとセンベイ>

 繁次郎酒一升のかけを若者にもちかけます。

 「とうふ一丁を四十八に切って、ひとつづつ全部食べられたら一升ふるまう。もしくいきれなかったら、そいつは おれに一升出せ。」

 繁次郎は、とうふのいっぽうを薄く切り、その一枚を四十七に細かくきざみます。そして残った大きなとうふとともに若者にさしだします。若者は細かいほうは、あっというまに食べますが、大きい方は一口ではたべきれず、賭けは繁次郎の勝ち。

 この若者が、繁次郎をやりこめようと、センベイ五十枚を三百までかんじょうする間に食えたら、お前の好きなもの腹一杯ごちそうしてやると、山もりのセンベイを繁次郎の前につきだします。

 繁次郎は、台所から、スリばちとスリこぎをもってきて、若者が持ってきたセンベイを粉々にして、水でこね、団子を作って、あっという間にたいらげてしまいます。

 

 この他にもたくさんあります。


がっくび・・岩手

2022年01月05日 | 昔話(北海道・東北)

          岩手のむかし話/岩手県小学校国語教育研究会編/日本標準/1976年

 

 ”がっくび”というのは?

 昔、山おくにかっこどりの親子が、いだったど。

 母鳥が、ヤマイモほってきて、子鳥にあげると、子鳥は「ああ、みぁなあ」「ああ、みぁあなあ」(うまいうまい?)って食ったど。

 母鳥は、子に うまいところを 食べさせ 自分は いっつも イモに少しついている がっくびを食っていたと。

 ところが、いつも一緒に食べない母鳥のことをふしぎにおもった子鳥が、もっといいものを一人でくっているにちがいないと思い悩みます。母鳥の腹さいで見れば いいものがはいっているにちがいないと、とうとう母鳥の腹ぁさいてしまったずに。そしたら、ヤマイモのがっくびばかり、はいっていたと。

 「ああ、たいへんなことをしてしまった。どうすんべ」と、何日も何日も泣いた子鳥は、ここにいられないと、渡り鳥になってしまったんだす。それでも、年に一回お墓参りにきては またかえっていった子鳥。

 はじめは、親鳥の腹のなかさ、がっくびばかりはいっていたので「ガックビ、ガックビ」とないていたが、年たちうちに、だんだん「ガックウ、ガックウ」となって、そすて「カックウ、カックウ」と変わり、今では「カッコウ、カッコウ」と、山でなくようになったのだす。

 

 ”がっくび”というのは、ヤマイモのつるでしょうか。親の思いが誤解されるのは、食い物だけにかぎったことではありません。