どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

嫁の草取り

2015年03月30日 | 昔話(日本)

     嫁の草取り/かたれやまんば 藤田浩子の語り 第五集/藤田浩子の語りを聞く会/2003年初版


 嫁、姑の微妙な関係。嫁姑が同居というのも都市部では少なくなっているのは、住居の状況にもよりそうだ。  

 婿に不満たらたらの嫁さん、家を追い出してもらおうと、あの手この手。

 しかし姑もさるもの、嫁さんが、辛い味噌汁を出すと、辛い味噌汁を食べたら、あとなんぼ稼いで汗だしても大丈夫だなあ、薄い味噌汁を出すと、年よりむきだ、焦がした飯出せば、焦がした飯もなかなかうめえなといいます。

 ならばと嫁さん、田の草取りの時、うんと引っ掻き回せば、稲が倒れて、追い出してもらえるかもと草取り。しかし秋になるといっぱい米がとれます。

 柿の皮、厚めにむくと、漬物にちょうどいいとほめられ、芋の皮厚くむけば、うさぎやにわとりの食わせるのにいいと褒めれ、姑から褒められどうしの嫁さん、そのままずっとその家で暮らします。

 人間、褒められればうれしいもの。この姑さん、嫁さんの気持ちを察していたんですね。

 大人が楽しめそうな話である。


わらじのすりきれた話

2015年03月24日 | 昔話(日本)

     わらじのすりきれた話/かたれやまんば 藤田浩子の語り 第四集/藤田浩子の語りを聞く会/2000年初版 


 「馬方とやまんば」では、やまんばに「その馬の脚一本よこせ」と言われると、馬方は馬の脚を一本切って後ろに投げ、三本脚の馬に乗って逃げていき、「もう一本」と言われると、もう一本切って投げ与え、二本脚の馬に乗って逃げていく場面がでてきます。

 馬の脚をどうやって切ったか、馬はあばれたのか、血は流れたのかなど、現実の中であれば起きるであろうようなことは、ひとことも語られていません。

 「わらじのすりきれた話」では、ある男が、わらじを三足もって旅に出かけ、歩いて歩いてわらじをすりきらせ、三足めのわらじもはきつぶし、そのまま歩いて行くと、足がなくなり、歩き続けるとひざのあたりまでなくなり、胸のあたりまでなくなってしまう。
 これは大変と、男は首をふろしきにつつむとまたずんがずんが歩いていくという話。 

 まさしくファンタジーの世界。ここには、出来事を決して写実的には語らないという昔話の性質がよく表れているという。


ノースウッズの森で

2015年03月22日 | 絵本(自然)
ノースウッズの森で  

       ノースウッズの森で/文・写真:大竹 英洋/福音館書店/2005年初版

 

 北アメリカの、冬になると気温はマイナス50度まで下がるノースウッズと呼ばれる森と湖にひかれた作者が、ここでふれた自然。

 「きらびやかな貴婦人のスリッパ」という蘭は、7月の7日間ぐらいのあいだだけ人知れず咲くという。

 ライチョウの親子とのであい、フリーズした小鹿、夜明けのムース、南に渡るカナダガン。

 オーロラが湖にうつる幻想的な風景。

 そして一面の雪の上に、オオカミの足あとだけが点々と続いています。
 
 見る側は、あっという間ですが、この一枚一枚の写真を撮るだけに、どれほどの時間が必要だったのでしょうか。

 想像力を広げてくれます。


心臓がどこか別のところにある話

2015年03月20日 | 昔話(外国)

 魔法昔話として最も古い話で、心臓または命がどこかに隠されているので、相手はこの者を殺すことができないという話。
 なとなんと紀元前13世紀のバータ昔話に同じモチーフがでてくるというから古い。

 身体の一部が、分離されているという発想は、日本の昔話には見られない特徴です。


からだに心臓のない巨人(世界むかし話15 北欧 ソリア・モリア城/瀬田 貞二 訳/ほるぷ出版/1979年初版)

 北欧の話で、トロルかと思ったら、訳は“巨人”とシンプル。
 長い話の中には、途中経過がなかなかわかりにくいものもあるが、この話は比較的わかりやすい。

 上6人の兄たちが、自分の嫁を探すにいって、それぞれ相手を見つけてかえってるくる途中、巨人に石に変えられてしまう。
 ここで、末の王子が、兄たち探すに行く展開。
 途中、大ガラス、サケ、オオカミを助け、後半には、この助けをかりて、無事に上の王子たちを救い出す。
 王子たちを助け出すのは、遠くにある湖の島の教会の井戸に泳いでいるというアヒルのたまごにある、巨人の心臓をこなごなにする必要があって、これを聞きだすのに、なぜか巨人のところにいるお姫さまの力をかりることに。
 
 このお姫さまがなぜ、そこにいるかにはふれられていないのが、昔話らしいところか。

    
心臓のない男(世界むかし話7ドイツ メドヴィの居酒屋/矢川 澄子 訳/ほるぷ出版/1977年初版)

 「からだに心臓のない巨人」と同じ話型で、七人の兄弟、末の弟が石になった兄たちを救う。
 助けを借りるのは、赤いお牛、イノシシ、グライフ鳥。
 心臓は教会のなかをとびまわっている小鳥の心臓となっています。


漁師の息子(子どもに贈る昔ばなし13 桃もぎ兄弟/小澤昔ばなし研究所/20127年初版)

 デンマークの話。魔法使いにとらわれた乙女と貧しい漁師。
 この魔法使いの心臓は、鳩のたまごの中にあり、その鳩はきつねのはらの中に、きつねは熊のはらの中と、三重にまもられています。
 ここで漁師の助けになるのは、熊、鷲、犬に変わることができる変幻自在の術。

 魔法使いの心臓を額に投げつけないと、魔法使いは亡くならないが、漁師が手に入れた心臓をもって、魔法使いの部屋に向かうところで、「おれの心臓がやってくる。おれの心臓がやってくる。何打か気分が悪くなってきた」という魔法使いの言葉が真に迫ってくる。
 前段の入り方も昔話らしくて楽しい。


氷の心(ラング世界童話集3 みどりいろの童話集/西村醇子 監修/東京創元社/2008年初版)

 姫の心をどこかにかくしてしまった妖精。

 この心は氷の山にある氷の宮殿の玉座の上の雪のクッションにおかれたダイヤモンドのなかに。
 この”心”を取り戻すマニキン(ちび助)、実は王子の冒険が展開されます。 
 
 話すとしたら1時間はかかりそうなラング集におさめられた話。

 主人公を助けてくれるものに注目したい話。


マーロンおばさんのむすこたち

2015年03月18日 | 絵本(日本)
マーロンおばさんのむすこたち  

    マーロンおばさんのむすこたち/作:穂高 順也 絵:西村 敏雄/偕成社/2008年初版

 

 マーロンおばさんが三人の息子たちの誕生日に帽子とセーターとズボンをおくり、パーテイを開くことに。
 これってもしかすると三つ子かも。
 しかしやってきたのは四人?
 ひとりは帽子を忘れ
 ひとりはセーターを忘れ
 もう一人はズボンを忘れ
 息子たちの忘れ物でできあがった4番目の息子は、透明人間。

 おばさんは、言いつけをまもってやってきた四人目の息子にごちそうをふるまいます。
 なにもごちそうがたべられない三人の息子はおもしろくありません。

 結局は三人の息子もごちそうが食べられ、楽しい誕生日パーテイになるのですが・・・・・。

 髭の息子、三番目の息子のハートマークのパンツ姿。
 読み聞かせでどんな感想がでてくるか楽しみな絵本です。


昔話の子どもたち・・はなたれ小僧さま

2015年03月17日 | 昔話(日本)

 今、はなをたらし、涎れを垂らしている子どもはほとんど見ることができないが、少し前までは、普通に見られる光景だったように思う。
 子どもが多く、親が仕事におわれて、子どもに手をかけられずにいたころの風景で、そのうち、昔話にしかみられなくなるのかも。

 三省堂の日本昔話百選から、子どもが何をしているか見てみると、栗をひろい(三枚の札コ)、機をおる(瓜姫コ)、ますをとる(魚女房)、手習い(黄金の爪)、栗や柿、梨狩り(風の神と子ども)などがでてくるが、子どもの生活や遊びが意外に少ないようだ。

はなたれ小僧さま(日本昔話百選/稲田浩二・稲田和子 編著/三省堂/2003年改訂新版)

は、竜宮の乙姫さまにもらった子どもに、米や味噌、お金、さらには家をだしてもらったじさまが、身上がよくなり、つきあう人もお金持ちが多くなって、はなを垂らし、涎れをたらす小僧が我慢できなくなって、どこかへいってしまえと言うと、それまでのものが全てなくなり、貧乏になってしまうという物語。

 三省堂版では、乙姫さまからとくに条件はだされていないが、こぐま社版(子どもに語る日本の昔話3/稲田和子・筒井悦子/1996年)では、毎日、えびなますを作って小僧に食べさすことが条件になる。

 多分、読むことに重点がある三省堂版と、子どもに語るという視点のこぐま社版のリライトでは微妙に変わっている。
    
・龍宮童子(新潟のむかし話新潟県図書館協議会編日本標準1976年)

 花売りの男が、花が売れ残ると川に流して乙姫様に差し上げていると、ある日、亀が竜宮城につれて行く。乙姫さまは、大事にすればなんでも望みかなうという男の子をさずけてくれるが、この子も鼻を垂れ、涎をたらした子。

鼻垂れ小僧様(かたれやまんばー藤田浩子の語りー第三集/藤田浩子の語りを聞く会/1998年初版)

 小僧がもうすこしリアルで、「手も足も垢だらけ、鼻はずるずる垂らしているわ よだれはだらだら垂らしてるわ しまりのねえ 口開けて にたらにたら笑っている」。
 そして、臍のあたりをくじっていると、一日一枚の小判がでてくる。この小判で必要なものをそろえなさいという展開。

 爺様が一枚ではなく、いっぺんに何枚もだそうと、小僧の臍をいじると、小僧が死んでしまうというあたりが、笑わせる。

 外国では、このタイプの話がないのも面白い。


みさき

2015年03月16日 | 絵本(日本)
みさき  

    みさき/作:内田 麟太郎 絵:沢田としき/佼成出版社/2009年初版

 

 真っ黒に日焼けしたシャツ姿の少年が、船をみるために岬にむかいます。
 走っているとき、道端に怪獣のぬいぐるみが落ちているのを見ますが、間に合いそうもないのでそのまま走り抜けますが、急な夕立。

 もう一度引き返してぬいぐるみをひろいあげ、バス停で雨宿り。

 やがて、雨がやむと、少年はまた野原を走り始めます。しかし・・・。

 岬の上からぬいぐるみと眺める海は、どこまでも広がっています。

 じっと海を眺めて、少年は何を考えていたのでしょうか。

 夏の緑、空と海の青色が強烈です。              


ペコロスの母に会いに行く

2015年03月15日 | 日記

 無料映画会の上演作品で、まっさらの状態で足を運びました。
 長崎を舞台に、認知症の母と団塊世代の息子の絆を描いていました。

 山の段々の上まで家が広がる光景。長崎はやっぱり坂の町。

 息子は、こどもと母親の三人暮らし。なぜ離婚したのかはでてきません。
 母の認知症がひどくなってグループホームにはいることに。

 認知症がすすんで、息子もわからなくなりますが、ハゲ頭が息子を思い出させてくれます。
 行きつけの喫茶店のマスターもハゲで、もう一人でてくるグループホームに入っている母親の息子も、実はハゲなのだが、いつもはかつらをかぶっていて、母親からは誰といわれる始末。映画の後半でかつらをとると母親が息子とわかる。

 この息子、サラリーマンでミュージシャンで漫画もかいているが、母の介護がはじまってから、会社を首になっても、深刻にならず、いつも母親をあたたかく見つめているのだが、多分自分だったら落ち込むことになりそうだ。
 孫も離れず近すぎない人物で、できすぎかなー。

 認知症の母の過去との対話は、戦争中のできごとからえがかれていて、原爆の投下、原爆の後遺症で親しかった幼馴染の死、飲んだくれでもらった給料を全部飲んでしまう父とのエピソードが。
 あまり楽しい過去がでてこないのがつらいところ。

 いろいろエピソードがでてきますが、息子が、車いすの母親と公園を散歩しているときに、乳母車にのった赤ちゃんと交差する最後のシーンが印象に残りました。
 
 さいわいというか、身近な人で認知症になった人がいないので、大変さは分からないが、実は、いつ認知症になってもおかしくない年齢だけに、笑いながらもどこか怖さがある映画でした。


なけない ちっちゃい かえる

2015年03月14日 | 絵本(外国)
なけない ちっちゃい かえる  

   なけない ちっちゃい かえる/作:エクトル・シエラ 絵:やまうちかずあき/鈴木出版/2004年初版

 

 なにか、足をふみだせない自分の背中を押してくれるような絵本。

 みんなと同じようになけない、ちっちゃい かえる。

 一生懸命、なく練習をしますが、なかなかうまくなけません。
 あひるさん、おんどりさん、うしさん、ひつじ、ぶたのなき声が みんなちがうことに気がつきます。
 ぼくのなきごえは「ケケケ」でいいんだと、仲間のところで「ケケケ」となくと、みんなはかわいい!かわいい!じょうじ!じょうじ!とほめてくれたので、自信がでてきて・・・。

 あひるもおんどりもうしもひつじもぶたも、すごい!すごい!と拍手です。
 
 一歩を踏み出してみると、なにか拓けてくるのかも。       


桃もぎ兄弟・・山形

2015年03月12日 | 昔話(北海道・東北)

    桃もぎ兄弟/子どもに贈る昔ばなし13 桃もぎ兄弟/小澤昔ばなし研究所/2012年初版


 「なら梨とり」に似て、題名通り親孝行の兄弟が、お母さんのために桃もぎに行く話。
 梨の方は兄弟が三人であるが、この桃は二人兄弟。
 梨では、婆さまで、桃の方は爺様が、兄弟の道しるべを与えてくれる。

 日本の昔ばなしは、どことなく安心感があるところ。

 兄弟が山へはいっていく場面(桃もぎ兄弟)
     行げぇざんざん  行げぇざんざん
     もどれぇ ざんざん もどれぇ ざんざん
     行ぐな ざんざん 行ぐな ざんざん

 この場面、「なら梨とり」(日本昔話百選)では
     行けっちゃ ガサガサ 行けっちゃ ガサガサ
     行くなっちゃ ガサガサ 行くなっちゃ ガサガサ

 「山梨もぎ」(かたれやまんば)
     行げっちゃ さぁらさら 行ぐなっちゃ さぁらさら(笹)
     行げっちゃ とんとん  行ぐなっちゃ とんとん(鳥)
     行げっちゃ どどぉん  行ぐなっちゃ どどぉん(滝)

 こうした擬音語だけで楽しくなるところ。


ちいさな きの ねがい

2015年03月10日 | 絵本(外国)
ちいさなきのねがい  

   ちいさな きの ねがい/作・絵:エリック・バテュ 訳:神沢 利子/フレーベル館/2004年初版

 

 やさしくて楽しめるのは、2歳ごろからでしょうか。
 文も絵もシンプルで、待ち続けて待ち続けて、みごとな花を咲かせた木。

 あとから生まれながら、一足早く花が咲くのを横目で見ながら、大きくなりたいと思う木。

 すぐ結果をもとめてしまいますが、自分のペースで生きていくことの大切さを教えてくれます。

 長い時間をかけてゆっくり大きくなる木だからこそ、長い命が宿ります。

 それにしても、長い時間をかけながら、あまり成長のない自分です。


みずくみに

2015年03月08日 | 絵本(日本)
みずくみに  

    みずくみに/絵と文:飯野 和好/小峰書店/2014年初版

 

 暑い夏の盛りにみると雰囲気が伝わってきそうです。

 ちよちゃんという女の子が、畑仕事をしている両親とおじいちゃんのために、竹筒をもって、沢の水をくみにいきます。

 鳥の鳴き声、山のにおいが伝わる里山の風景。鳥の目線で俯瞰する風景が新鮮です。

 ちよちゃんが汲んでくれた水は、おいしそうです。

 竹筒というのも見られなくなりましたね。


コルチャック先生 子どもの権利条約の父

2015年03月07日 | 絵本(社会)
コルチャック先生 子どもの権利条約の父  

    コルチャック先生 子どもの権利条約の父/作・絵:トメク・ボガツキ 訳:柳田邦男/講談社/2011年初版

 

 ナチス占領下のポーランドで、ユダヤ人孤児たちと運命をともにした医師、ヤヌシュ・コルチャック先生の伝記です。

 絵は、とてもおさえられた感じで、大人も子どもも、目がとても印象的です。
 悲しみと怒り、何かを訴えてくるような目です。

 ゲットーを歩き回るコルチャックの脇の死者を運ぶ荷車と、ステファ先生が洗濯してきれいになった服で着飾った子どもたちとトレブリンカ収容所に向かう場面が衝撃です。

 実は、子どもの権利条約を読んだことがなかったのですが、この絵本で、はじめて読んでみました。

 コルチャック先生については、ユニセフのHPにのっていて、あらためて歴史の歯車を動かした先人の思いにふれることができました。

 毎度思うことですが、絵本はいろいろなきっかけを与えてくれます。
                
<ユニセフの広報誌のなかから>
 コルチャック先生(本名 ヘンルイック・ゴールドシュミット)は1878年、当時のロシア領ポーランド王国の首都ワルシャワに住む、高名なユダヤ人弁護士の家庭に生まれました。18歳の時、父を亡くし、生活が一変。以後、家計を支え続けます。
 コルチャック先生は「明るい学校をつくり、子どもたちから慕われる優しい先生になる」ことが夢でしたが、4つの戦争と3つの革命という歴史の過酷な体験がコルチャック先生に大きな影響を与えます。医学部に入学した20歳の頃から、その後、小児科医になっても、ワルシャワ慈善協会のメンバーとして、非公式の学校などで社会の底辺にいる子どもたちに温かい手を差し伸べました。33歳の時に小児科医を辞めて、きびしい状況にある子どもたちが安心して過ごすことができ、楽しく学べる家庭と学校がひとつになった「ホーム」を設立します。ユダヤ人の子どものための「ドム・シェロット(孤児たちの家)」と、ポーランド人の子どものための「ナシュ・ドム(僕たちの家)」です。双方の子どもたちは交流を通して友情を深めます。コルチャック先生はこうした子どもたちの教育を通して戦争のない平和な世界への道を見出そうとしたのですが、ユダヤ人絶滅政策により、200名の子どもたちとトレブリンカ(ガス室があった場所)に向かいます。
 コルチャック先生は作家、教育者、ラジオのパーソナリティとしても活躍していたため、命を救われる特赦の嘆願が通ったにもかかわらず、最期まで子どもと共に生きたのです。


金貨のつぼ・・ベトナム

2015年03月06日 | 昔話(東南アジア)

   金貨のつぼ/子どもに贈る昔ばなし13 桃もぎ兄弟/小澤昔ばなし研究所/2012年初版


 百姓が田んぼをたがやしていると、金貨がつまったつぼがでてくる。しかし、「本当に天が金貨をくださるのなら自然におれたちの家にはいってくるさ」と思った百姓は、田んぼのあぜ道に、つぼをおいたままにする。

 百姓とおかみさんがつぼの話をしていたのを聞いていたふたりの泥棒が、つぼを開けてみると、なかにはヘビがはいっていて、こわくなった泥棒は庭にそのつぼを埋めてかくす。

 百姓が田んぼにいくと、つぼはなくなっていて、おかみさんは、「天からのさずかり物を大事にしなかったからあたりまえじゃないか」という。

 ヘビを金貨とおもっているなんて、まったくかわいそうだと思った泥棒は、つぼを庭から掘り起こして、あぜ道にもどしておく。

 翌日、百姓がつぼを見つけ、金貨をはいっているのを確認するが、またそのままあぜ道においたままにしておく。

 やがて泥棒は、つぼにヘビがはいっているのを見て、このつぼを百姓の庭においておく。
 百姓は「天からのさずかり物が自分から家にやってきたぜ」と喜び、その金貨で幸せに暮らします。
 
 泥棒の役割が隣の爺さまで、ヘビが蜂になってでてくるのが日本の「天福地福」。

 つぼの中身が見る者によって、金貨や蜂になるという話は、日本の昔話ではみられないと思っていたら、中国の5世紀ごろに同系の話が記録されているというから、原型は中国にありそうだ。                    


とこちゃんはどこ

2015年03月04日 | 絵本(日本)
とこちゃんはどこ  

    とこちゃんはどこ/松岡 享子・さく 加古 里子・え/福音館書店/1970年初版

 

 赤い帽子がトレードマークの、とこちゃんは、お母さんが目を離すと すぐにどこかへ、とことこと行ってしまいます。

 市場の中、動物園、海にデパート・・・さまざまな所でとこちゃんが行方不明に・・・。

 大勢の人の中から、赤い帽子を目印に、とこちゃんを探す楽しみがあります。

 絵本は装丁が丁寧にできあがっているので、大事にすると三世代にわたって楽しめます。
 (引っ越しを契機に、大分本は整理しましたが、なぜか絵本だけは大事にとってあったものです)

 絵がレトロな感じがするのは、出版が1970年というのもありそうです。