どんぴんからりん

昔話・絵本いろいろ。語るのを目的としたものでしたが・・。それにしてもまるで森に迷い込んだ感じです。(2012.9から)

昔のくらしと昔話

2016年12月31日 | 昔話あれこれ
 昔話を聞いたり読んでいるとき、今の暮らしと差があるのをどう受け止めたらいいのかということ。

 おばあさんが、川に洗たくにいくと桃がながれてくるのは「桃太郎」のでだし。
 川で洗濯するというのが当たり前の生活と洗濯機に入れると自動的に洗たくしてくれる今の生活。

 「牛方とやまんば」では、囲炉裏がでてきますが、今では囲炉裏がある家はどのくらいでしょうか。

 牛や馬が貴重な流通手段とされていた昔。

 それに井戸。井戸に映った影がでてくる昔話も多いのですが、今の子に、その光景がイメージできるでしょうか。

 職業もさまがわり。昔話に出てくる猟師。今、猟師で暮らしている人はいないのでは。

 この間、ケニアでかまどが活躍している絵本がありましたが、かまどをみることもほとんどありません。
 かまどにかけた鍋のなかに、魔物や鬼を閉じ込めてしまう話は、ガス台ではうまくいくあらわしにくいのでは。

 「三枚のお札」のかわや。
 便所が屋外にあったというのも、今の子には理解できないかもしれません。

 夜は真っ黒といいますが、昔の夜は闇夜。それこそ何もみえない世界。月あかりだけというのを理解するのもむずかしそうです。

 「古屋のもり」は、雨漏りが一番怖いと勘違いします。この話を聞いたとき、大分前のことになりますが、わが家では、洗面器やバケツで雨水をうけていたのを思い出しますが、雨漏りも今ではみられないかもしれません。

 ただ一方では、世界には電気も水もないところで生活しているおおぜいの人々もいることにも思いを寄せる必要もあります。

 さいわいなことに、保育園などで、絵本や紙芝居にふれる機会もおおいようですから、それほど心配する必要もないかもしれませんが、こんな暮らしもあったのを忘れないようにしたいものです。




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ヒギンスさんと とけい

2016年12月30日 | 絵本(外国)

        ヒギンスさんと とけい/パット・ハッチンス・作 たなかのぶひこ・訳/ほるぷ出版/2006年初版

 ヒギンスさんの家は、3階建てで屋根裏部屋もあります。
 ある日、屋根裏部屋で時計をみつけたヒギンスさん。
 時計があっているか心配になったヒギンスさんは、もう一つ時計を買って、寝室におきました。
 寝室の時計が3時をさしたとき、屋根裏部屋の時計をみてみると、3時1分です。

 どっちの時計が正しいか、もう一つ時計をかうことにしました。
 三つの時計をみてみると時間はちがいます。
 そこで、ヒギンスさん、もう一つ時計をかいます。
 四つの時計をみてみると時間はちがっていました。

 時計屋さんに相談にいくと、時計屋さんは、懐中時計をもって、ヒギンスさんの四つの時計の時刻があっていることを確認します。

 時間がちがっていたのは、移動時間を考えていなかったというヒギンスさんの単純な勘違いなのですが・・・。

 今では懐中時計をめったにみることもなくなりました。

 時計の見方に興味をもちはじめた頃の子に、懐中時計というのがあったんだよと説明してあげられそうです。

 几帳面で心配性なヒギンスさんですが、男のようにも女のようにもみえます。

 屋根裏部屋で時計をみつけるまで、ヒギンスさんのところでは時計のない生活をしていたようでもあります。


 それにしても時間は歩みを止めませんね。もう一年が終わります。
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ひめねずみとガラスのストーブ

2016年12月28日 | 安房直子

           ひめねずみとガラスのストーブ/安房直子・作 降矢なな・絵/小学館/2011年初版
                                 (初出1969年)

 風の子のくせに寒がりのフーは、くまのストーブ店でガラスのストーブを手にいれます。みかん色の光で、春の若葉にふわりとくるまっているようなストーブです。
 「お日さまがおっこちてきたのかと思った」とやってきたのは、ひめねずみ。

 ストーブに、おなべとやかんをかけ、ひめねずみは、料理をつくり、食後のあついお茶ものみます。
 ひめねずみのやきりんごはとてもうまいのです。

 ひとりぼっちだったフーとひめねずみは、いっしょにくらすことに。

 しいんとこおりつくような寒い晩にオーロラという風の子のお客がやってきます。

 「日のくれない国」にひかれたフーは、すぐに帰ってくるからと、オーロラと旅立ちます。

 まってもまってもフーからは、手紙もはがきもきませんでしたから、一人のこされたひめねずみは、料理する張り合いもなく、つくるのをやめます。
 悲しい気持ちでいく日もいく日もすごした、ある朝、ひめねずみはオーロラがおいていったコーヒーを思い出し、コーヒーをわかします。
 コーヒーのかおりが森の中にたちこめると、かおりにひかれて、五十匹のひめねずみが、ストーブのまわりに集まります。
 たった一人ぼっちだとおもっていたひめねずみは、たくさんの仲間が、同じ森の中にいたことをはじめてしります。

 それから何年もたって、フーが遠い国からもどってきます。

 フーがみたのは、千匹ものひめねずみでした。
 昔と同じようにたった一匹のひめねずみがまっていると信じていたフーでしたが、よくよくきいてみると、料理の上手な女の子のひめねずみは、とっくに死んでいたのです。

フーが旅立つ日、多分二度とあうことがないことを予感したひめねずみ。

 もどってきたフーは、おおぜいのひめねずみや小さくなったストーブを見て、ここに入っていくことのできない世界を見て、「さよなら」とゆっくり歩きだします。

 真黒な森の中で、ガラスのストーブがもえるさまが、気持ちを温かくしてくれます。
 降矢さんの絵も素敵です。
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「こぶとりじいさん」に類似する外国の昔話

2016年12月27日 | 昔話(外国)
 お話し会などでもっと聞く機会があってもよさそうな「こぶとりじいさん」。
 よく知られた話であるが、今のこどもたちにとっては、どうなのでしょうか。

 「こぶとり」は頬のこぶ、「ノックグラフトンの昔話」「背中にこぶのある男」は、背中のこぶの話。

 どちらもこぶをとることに成功しますが、話の展開として、もう一人が前の人のものまでもらってしまうという話。

 ヨーロッパなどの話には、話のすじに直接関係しない背中にこぶのある人物がでてくることがありますが「ノックグラフトンの昔話」では、このこぶがないと成立しません。

 ラスモアという背中にこぶのある貧乏な男が、妖精が音楽を楽しんでいるところにでかけ、そこで歌われていた唄をより楽しいものにします。
 するとよろこんだ妖精は背中のこぶをとってくれます。

 背中のこぶをとってあげるというのは、こぶとりじいさんそのものです。

 「こぶとり」では、鬼の踊り、「ノックグラフトンの昔話」では、妖精の音楽というあたりが地域差を反映しています。

 こぶとりじいさんの話は、すでに宇治拾遺物語にみられますから、相当前のものです。
 
 ノックグラフトンの昔話はアイルランドの昔話ですが、背中のこぶを顔のこぶ、妖精を鬼とおきかえると「こぶ取り爺」になります。

 「背中にこぶのある男」(ポルトガル)にでてくるのは魔女。
 やはり音楽がキーワードです。背中のこぶをとってもらったばかりでなく、真珠や金貨の入ったふくろまでもらいます。
 面白いのが魔女のことば。
 「わたしたち魔女は日曜日という神さまの日がとてもきらいなんだ」
 
 宗教的なものも入っている昔話です。

 イギリスマン島にも、背中のこぶをとる話があります。
 「ビリー・ベックとトム・ベックと妖精」では、二人の靴屋がでてきます。
 いつもビリーのいいなりになっていたトムが、山の羊をつれかえろうとしたとき、道に迷い、そこであったのが妖精の行列。
 ここでの合言葉が「月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日」。
 ここで妖精の王の命令で、トムの背中のこぶがなくなります。

 これを聞いたビリーも妖精のところにでかけますが、自分の利巧なことをひけらかそうと「月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日」のあとに「日曜日」というと、もうひとつのこぶが背中にくっつけられてしまいます。
 ポルトガル版とおなじように、妖精も日曜日がきらいだったようです。
             
 朝鮮の「こぶじいさん」は、耳の下のこぶ、あごの下にこぶをもったじいさんがでてきて、鬼ならぬトッケビがでてきます。トッケビがいい声がこぶからでてくると思いこんで、最初のおじいさんのこぶをとるのが楽しい話です。


       こぶとり/宇治拾遺ものがたり/川端義明 訳/岩波少年文庫/1995年初版
       ノックグラフトンの昔話/イギリスとアイルランドの昔話/石井 桃子・編訳/福音館文庫/2002年初版
       背中にこぶのある男/世界の民話7 スペイン・ポルトガル編/三原幸久・文/家の光協会/1978年初版
       マン島の妖精物語/ソフィア・モリソン・著 ニコルズ恵美子・訳/筑摩書房/1994年初版
       こぶじいさん/アジアの昔話4/松岡享子・訳/福音館書店/1978年初版

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ぼうし

2016年12月26日 | 絵本(外国)

             ぼうし/ジャン・ブレッド・作 松井るり子・訳/ほるぷ出版/2005年初版


 少女のリサが、冬ものをだして、ものほしにつるして、冬の準備。

 ところがくつしたの片方が風に吹き飛ばされてしまいます。くつしたを見つけたのは、はりねずみのハリー。
 
 はなをつっこむと、はりのせいでぬけません。
 めんどりの親子、ガチョウ、ねこ、いぬ、ぶた、馬の親子から、なにかぶっているのいわれ、あたらしいぼうしよとこたえるハリー。
 リサがハリーからはずしてくれますが、リサが家に帰ってみると、ほした冬ゆものが、全部きえています。
 じつは動物たちがぼうしがわりにぜんぶもっていったのでした。

 リサは「どうぶつに ぼうしなんか いらないのにな」とおいかけますが・・・・。

 ”みっともない””きみょうなもの”と、みんなからわいわいいわれて、”雨でも平気、ふぶきでもあったかいよ。”とこたえるのは、ハリーの強がリです。本当はこまっていたのです。

 冬をひかえて、どうぶつもあたたかいものがほしかったのでしょう。


 絵が額縁のように、えがかれ、そのまわりには鏡をおもわせる絵が次々に変化していきます。
 一度読むだけでは気がつきませんが、二度目に枠のまわりをみる楽しみもあります。

 このくつした、北欧のフェアアイル編みという細かなところに目が行く方もいらっしゃいました。

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どうする どうする あなのなか

2016年12月24日 | 絵本(日本)

       どうする どうする あなのなか/きむらゆういち・文 高畠純・絵/福音館書店/2008年初版

 三匹ののねずみが、二匹のはらぺこやまねこにおわれ、必死でにげる途中深ーい深ーい穴のなかに落ちてしまいます。
 穴の壁はつるつるして、いくらのぼろうとしてもでられません。

 とにかく知恵をだしあい、穴から脱出しようとするのですが・・・。

 互いに肩車をして、穴から出ようとしますが、組み合わせにひと悶着して、なかなかきまりません。

 のねずみを先頭にすると、せっかくのごちそうに逃げられそうです。
 やまねこが先に出ると、食べられそうで、ねずみが反対します。

 そのうち雨がザアザアふりだして・・。

 縦長の絵本で、深い穴にピッタリです。

 オチも素敵で、思わずニヤリといった感じです。 

 穴に落ちていくのねずみとやまねこの表情も、あっという雰囲気がよくでています。
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イスラムの女性

2016年12月23日 | 昔話あれこれ
 イスラムでは、女性の地位が低いように思っていたら、必ずしもそうとばかりいえないようである。

 アラビアンナイト(バートン版 千夜一夜物語4 大場正史訳 河出書房)の原注に次のような記述がありました。

 回教徒の女性はヨーロッパの女性にくらべ、つぎのような有利な地歩を占めている。
 彼女らはいつも自由に父または夫の家を去り、許しがなくとも、友だちを訪ねて、一週間ないし十日間逗留できる(といっても情夫に合うばあいは別である)。

 原注とあるので、ここのヨーロッパの女性は、昔の女性ということでしょう。ヨーロッパの女性も、さかのぼればさまざまな制約のもとにおかれていたのかもしれません。

 「亭主をだました女房の策略」は、一週間も家をあけた女房が、亭主をうまく丸め込める話。
 隣近所の人は、亭主の言い分を無視し、女房の言い分を信用します。

 アラビアンナイトでは、若く賢い美しい女性が大活躍する物語が多いようですから、今のイスラム世界で、過激派?が女性を誘拐するなどといったこととは、大分イメージがちがっています。



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守銭奴・・ロシア

2016年12月22日 | 昔話(外国)
       守銭奴/ロシアの民話3/アファナーシェフ・著 金本源之助・訳/2010年初版


 「守銭奴」というと、うかぶのはモリエール。守銭奴というのは物語になりやすいようです。


 大金持ちの商人と貧しい男がでてきます。

 大金持ちが散歩していると乞食にあいます。右に出るほどのけちんぼは、またとみつからないほどの大金持ち。

 乞食にはもちろん素知らぬ顔で通り過ぎた大金持ちでしたが、すぐ後ろで貧しそうな男が1コペイカをやったのをみて、きまりわるくなり、貧しい男から1コペイカ借りて、乞食にあたえます。

 借りた1コペイカは、明日屋敷にとりにくるよう貧しい男にいいます。

 男がやってくると、「いま小銭がない」、もういちどやってくると、高額紙幣をだして「つりをくれ」と。なかなかかえそうとしません。

 もういちど男がやってくると、大金持ちの商人は、今度は死んだふりです。

 男は、体を清めさせてくれと、煮え立っているやかんのお湯を金持ちの体にふりかけます。
 それでも金持ちは、じっと我慢。

 男はお祈りをするからと、教会についていきます。

 真黒な夜、この教会に盗賊がやってきて、盗品の山わけをはじめますが、最後の黄金の剣を誰がわがものにするか、喧嘩をはじめます。

 男は「死人の首を見事にはね落とした者が、剣を手に入れたらいい」と大声。

 これを聞いた金持ちが、首を落とされては大変と、はねおきると、盗賊たちは宝物を放り出し、一目散に逃げてしまいます。

 盗賊が残していった宝物は、二人で山分け。
 結局、金持ちは、小銭の1コペイカも返さずじまい。

 金持ちは、ここまで徹底しないとなれないし、さらに幸運にもめぐまれます。

 昔話では、金持ちはもともと損な役割ですが、きまりわるくなって乞食にあたえるというあたりが、人間的でしょうか。
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ねずみがでてくる昔話

2016年12月22日 | 昔話(日本)
 ねずみがでてくる昔話は、どれも楽しいものばかりです。

 ・「ネズミのすもう」は、やせたねずみとふとったねずみのすもう。

 ・「ネズミ浄土」は、歌。

 ・「ねずみ経」は、ねずみにからむなんともリズミカルで愉快なお経。

 ・世界に類似のはなしが多くある「ねずみの嫁入り」

 ・イソップの寓話ににた「山のネズミと町のネズミ」

 ・「ネズミの金干し」は、ねずみが金干しをするという、なんとも奇想天外な話。


 「ねずみのお礼」は、「ネズミ浄土」と「鳥呑爺」をあわせたような話。

 ネズミ浄土と同じように、じいさまがねずみにあげたむすびのおれいに、ねずみのところにいくと、じいさまは、すきなうまいものを、たくさんごちそうになります。
 そして、ねずみの親玉から、一羽の雉をもらい、丸呑みにすると、おひそに雉のしっぽがでてきます。
 このしっぽを「ピピン、ピヨドリ、ゴヨウノオンタカラ」と唱えながら、ひっぱると、なんでも願いがかないます。
 そこで、立派な屋敷、小判をだします。

 ここで終わるような話が多いのですが、この話では、もうひとひねりあります。

 小判を出しすぎたじいさまが、小判に押しつぶされそうになり「小判は、いらね」と叫ぶと、すべてが元の木阿弥になってしまいます。

 いずれも掛け声が出てきて、リズムを感じることができます。

 ねずみがでてくる昔話は、年代を問わず楽しめそうです。


          ねずみのお礼/子どもに贈る昔ばなし10/再話・茅野昔ばなし大学再話コース 監修・小澤俊夫/小澤俊昔ばなし研究所/2010年


 藤田浩子さんの語りに「ネズミ浄土」を「もぐら昔」とした話があります。

 リズムをおっていくだけで楽しい話です。

  焼きめしがころっところがる場面(ここは焼きめしでなければいけません)
     「焼きめし待て待て」の繰り返しが3回
  ねずみが歌う場面
    「ぺったらぺったん ぺったらぺったん
     ネコの来ねうち ねずみの餅つき
     ぺったらぺったん ぺったらぺったん
     百になっても二百になっても
     にゃごという声 ききたくねえなン
     ぺったらぺったん ぺったらぺったん
     孫の代まで 曾孫の代まで
     にゃごという声 ききたくねえなン
     ぺったらぺったん ぺったらぺったん」
  この繰り返しが3回
  隣の爺様が、土に閉じ込められる場面
     「どっちから出たらいいんだべえ どっちから出たらいいんだべえ」
     「出口はどっちゃだべえ 出口はどっちゃだべえ」


          もぐら昔/かたれやまんば 藤田浩子の語り 第二集/藤田浩子の語りを聞く会/1997年初版


 藤田浩子さん「ねずみ経」。

 ねずみの動きで
   「おんちょろちょろ 穴のぞきそうろう」
   「おんちょろちょろ 何やら ささやきそうろう」
   「おんちょろちょろ でていかれそうろう」
 とお経をあげるのですが、このお経の文句の前後に、「なんまいだあ なんまいだあ」が、うまくいかされています。
   「なんまいだあ なんまいだあ
    おんちょろちょろ 出てこられそうろう
    なんまいだあ なんまいだあ
    おんちょろちょろ 穴のぞきそうろう」
    なんまいだあ なんまいだあ 
    おんちょろちょろ 何やら ささやきそうろう
    なんまいだあ なんまいだあ
    おんちょろちょろ でていかれそうろう
    なんまいだあ なんまいだあ」

 このテキストで話される方が、まわりにいないので残念なのですが・・・。


          ねずみ経/かたれやまんば 藤田浩子の語り 第一集/藤田浩子の語りを聞く会/1996年初版

      
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美しい娘・・イタリア

2016年12月21日 | 昔話(外国)
                 イタリアの昔話/剣持弘子・編訳/三弥井書店/1992年

 これまでとはやや趣のことなる昔話です。

 王子さまがテレジーナという娘を見染めます。

 王子が魚屋のかっこうをして、娘のところへいき、魚の代金はいらないからキスがほしいといいます。娘は、あまり考えないで魚屋のキスをします。すると王子は魚を取り返し逃げてしまいます。

 すると今度は、おばあさんに相談した娘が、調教師のかっこうをして純金のベルトをしめて、ラバの尻にキスした者には、ベルトをあげようと呼び声をあげます。その声を聴いた王子がラバの尻にキスすると、娘はベルトを渡さないで逃げ出します。

 二人のやりとり。
 「あなたはその口でキスしたね。 それで魚はもらえなかった」
 「あなたもラバのお尻にキスしたわ。それでもベルトはもらえなかった」

 今度は王子が悪魔のかっこうをして、娘を連れ出そうとしますが、王子は、おばあさんの姿をみると逃げ出してしまいます。
 娘は、おばあさんから夢だったといわれますが、夢じゃなかったと言い張ります。そこで、おばあさんは、娘に死神のかっこうをさせ、王子さまのところへやります。

 死神に「一緒に行こう!」といわれ、「死にたくない。ぼくはまだ若いんだ!」「明日の朝までまってくれ、美しいテレジーナに会いたいんだ!」と大声をあげる王子。
 御殿じゅうの人がかけつけ、死神は逃げ出します。

 王子も夢をみたといわれますが、王子はとても夢とは思えません。
 そこで王子はまたテレジーナにところへでかけ、二人しかわからない会話をします。
 「あなたはその口でキスしたね。 それで魚はもらえなかった」
 「あなたもラバのお尻にキスしたわ。それでもベルトはもらえなかった」
 「あなたは叫んだ。⦅おばあさん、悪魔がわたしをつれていく⦆」
 「あなたもいった。⦅明日の朝まで待って、美しいテレジーナにまた会いたい⦆」

 娘が好きというのがばれてしまった王子は、結婚することをもちかけます。テレジーナも承知します。

 ところがお祝いの会がおわると、王子は手にナイフをもって、ずいぶんひどいことをやってくれたな!と花嫁の首に突きつけます・・・・。

 これまでのパターンに見られない展開をします。昔話は類型別に番号がふられているようですが、このような話は他にもあるのでしょうか。

 ここにでてくるおばあさん、半分魔女みたいなものだったとちょっとだけでてきます。


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オフェリアと影の一座

2016年12月20日 | 創作(外国)
 絵本にもなっている(文: ミヒャエル・エンデ 絵: フリードリヒ・ヘッヘルマン 訳: 矢川 澄子/岩波書店)のですが、調べてみると、そのほかの地域でも取り上げられていました。

 主人公は劇場をお払い箱になったオフェリア。
 といってもオフェリアさんは、表舞台に立つ舞台俳優ではなく、裏役のプロンプターです。

 世界中のあらゆる悲劇、喜劇をそらんじて、本なしでもすらすら暗唱でき、仕事に打ち込んできたオフェリアでしたが、映画やテレビに押されて、町の劇場は閉鎖され、お払いばこになります。
 最後の公演が終わって、誰もいなくなった劇場を立ち去りかねていたオフェリアさんは、影法師と出会います。
 影法師は「だれのものでもない影」でした。

 オフェリアさんは、さびしがる影法師をわが身に引き受けます。うわさをきいた「だれのものでもない影」や「だれのものにもなりたくない影」たちが、つぎつぎにオフェリアさんのところへ舞い込んできます。

 狭い部屋が影たちでいっぱいになり、とうとうケンカまで始めます。オフェリアさんはケンカがだいきらいです。でも芝居のセリフや舞台の上でならどんなあらそいだって許されます。そこで思いついたのが、影たちに自分に染み付いた世界の名作を教えることでした。

 ところが、しだいに、近所迷惑と思われたオフェリアさんは、アパートの家主から家賃を二倍にするといわれて、トランク一つと影たちを詰め込んだハンドバックをもって、あてもない旅にでます。
 しまいにやってきたのは海辺。疲れて座り込んだオフェリアはうとうと眠り込んでしまいます。

 影法師たちは、オフェリアさんに、いまこそ恩返しをしようと決心します。そして「オフェリアと影の一座」として、村々を旅して公演を続けていきます。 
 オフェリアさんはだんだん有名になり、どこでも歓迎されるようになります。
 しばらくしてお金もたまり、車を買い込み、世界中を旅するようになります。

 しかし、なみはずれて大きな影があらわれて・・・。じつはこの影は「死」。

 オフェリアさんがこの影を引き受けると、彼女はひえびえとした影にすっぽりつつまれ、あたりは一面闇に閉ざされます。
 けれども次の瞬間には、にわかにぱっとあらたな眼がひらかれたような気がします。
 そこは・・・・。

 生きているときには決して光をあびることのなかった人生の最後にまっていた素敵なスポットライト。
 芝居好きの人にはたまらない話です。

 おはなし会で、こんな素敵な話にあえるとは!
 まだまだ楽しい出会いがありそうです。

 オフェリアというのは、大女優になってもらわなければと、親が「ハムレット」からつけた名前でした。
 眼鏡をかけた小さなおばさんです。

 影に「死」と名乗られて、それでも「いらっしゃい」とこたえるオフェリアさんの胸の内はどうだったのでしょうか。  


             魔法の学校 エンデのメルヘェン集/矢川澄子他訳/岩波書店/1996年初版


 この話を4か月ほどかけて勉強会で語ってみました。読んだときは抵抗がなかったのですが、語ってみると主語の「オフェリアさん」というのが、少し多すぎるかなと思いました。
 流れのなかでいわなくてもいいと思われたところを、少しカットしてみました。





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エンザロ村のかまど

2016年12月19日 | 絵本(日本)

          エンザロ村のかまど/さくまゆみこ・文 沢田としき・絵/福音館書店/2004年初版

 作者自身がケニアのエンザロ村に足を運び、実際に見聞きしたことです。

 水は川から汲んで、夜はランプのケニアのエンザロ村。

 そこで活躍しているのが、日本人から教わったというエンザロ・ジコ。三ツ口のかまどです。
 このかまどができるまでは、地面に石をならべ、その上に鍋をのせて煮炊きしていたそうですが、これでは熱効率がわるかったといいます。
 
 これを考えだしたのは岸田袈裟さんという方。

 子どもの頃、岩手県遠野でつかわれていた「かまど」からヒントをえたといいます。

 これだけではありません。
 村の人たちは川の水を飲んでいたため、上流で病気が流行ったり、家畜が糞をしたりで、下流の人も病気になったりだったので、セメントでつくった箱に小石や砂をいれたろ過装置を工夫します。

 もうひとつは、わらじです。
 はだしで、足に傷があったりすると、そこからばい菌や寄生虫がはいってくる心配があります。
 わらじづくりから、けがや病気がへって、学校を休む子どももぐんとすくなくなったといいます。

 わらじぞうりづくりは、遠野のおじいちゃん、おばあちゃんから習ったといいます。


 出版が2004年ですから、事情は大分変っているのかもしれませんが、つい最近までそんな暮らしあったということ。

 40年ほど前、唯一の海外旅行でケニアにいったことがあります。動物をみるのが目的でしたが、観光客のコースだけで、暮らしにふれることがなかったのがくやまれました。

 お金だけにたよるのではなく、日本の昔ながらの知恵を生かした国際貢献も大事なのだと思い知らされました。







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つるかめ

2016年12月17日 | 私家版
 おはなし会で、なんとも面白かった藤田浩子さんの「つるとかめ」。
 もとのテキストで、悩ましいのは方言。流れの中で理解できるのですが、少し工夫が必要なようです。

 最後は(かもとりごんべえ/ゆかいな昔話50選/稲田和子・編/岩波少年文庫/2000年初版)から、いただいて、自分用に構成してみました。

 この手の話は、やっぱり聞くのが一番のようです。
 お住いの図書館やグループでのおはなし会も、よく気をつけていれば探すこともできます。
 これまで興味がなかった方も、一度足を運べば、何かしらの新しい発見ができると思うのですが・・・。

 
 むかし、お大尽の家の一人息子が嫁さまもらうことになったんだと。
 なにしろ、お大尽の屋敷だから広い屋敷にお膳ずらあーと並べて、お客さまたくさんよんだんだと。
 床の間にはつるかめの置物、おきなおうなの人形飾って、床の間の前には、婿さまと嫁さまが座って、呼んだ人たちは まあ 飲んだり食ったり、歌ったり踊ったりしてたいそうにぎやかなことであったと。
 振る舞いがおわり一人帰り二人帰り、しまいには 皆お客様帰ってしまい、床の間の前に婿さまと嫁さまの二人きりになってしまったと。
 むかしのことであったから、婿さま、その嫁さまの顔、まだ ろくに見ていなかったんだと。
 おらの嫁さま、どうした顔しているかなあと思って 綿帽子の下の顔、のぞいてみると、まあ めんこいこと めんこいこと それでまあすっかりうれしくなっちまってな
「あね あね もう だれもいなくなったぞ そんなに離れていることねえ もうちょっとこっちにこらんしょ」と、こうゆったんだと。
すると、嫁さま 座布団の上に、座ったきり
「そんなことゆったって おらあ 恥ずかしいども」
と、いいながら ちょこっと婿さまの方によってきたと。
「いいから、だれもいねえんだから、もっとこっちに こらんしょ」
と婿さま、よばったが
「そんなことゆったって おらあ 恥ずかしいども」
といいながら またちょこっと 婿さまの方にきたんだと。
それでもういちど
「もうちっと こっちに こらんしょ」
と婿さまがいうと
「ほだこと ゆったってえ」
と言いながら、嫁さま すっと 寄ってきて、婿さまと嫁さま ぴたーっらこと くっついてしまったと。

 それを見ていた床の間のおきなとおうな、熊手をもっている爺さまがなあ、ほうき持っている婆さまの方みてなあ
「婆さま 婆さま あれ わけえもんは ええなあ あんなに ほれ ぴったらこと くっついてしまってよお おめえも そんなとこで 箒なんぞ持ってねえで もうちっと こっちゃきたらよかっぺ」
「なあにまず爺さま いい年こいて なあに語るんだべ ほんにい」
といいながら、婆さま ちょこっと こっちゃよってきたと。
「なあに おめえだって いまさら 恥ずがしがる年でもなかんべ もうちっと こっちゃきたらよかんべ」
「ほんに まず 爺さまは・・・」
と、言いながら、ちょこっと こっちゃ よってきてなあ それで とうとう 爺さまと婆様 ぴたらあーつこと くっついてしまたんだと。

 それを見ていたつるとかめ つるがかめに ゆったと
「見てみろ 見てみろ 若えもんはいいなあ あれ 二人とも ぴたらーつこと くっちいてちまってよ それにしても ほれ かめさん おめえも まだ独り者のようだし、おらの嫁さまになんねえが。そしたら高い空につれてあがって、世界中をみせてやる」
と こうゆったんだと。すると かめ
「うんにゃ」
と首をふる。
「なしてだ おらの この細くて なんげえ口ばし 気にいらねえだが」
「うんにゃ そんなことでねえ」
「それじゃあ このほそくて なんげえ首 気にいらねえだが」
「うんにゃあ そんなことでねえ」
「それじゃあ このほそくて なんげえ足 気にいらねえだが」
「うんにゃあ そんなことでねえ」
「それじゃあ なに 気にいらねえんだ」
「おめえさまが、気にいらねえわけではねえんだけどよ むかしから つるは千年、かめは万年ていうべ。おめえと一緒になったって、おまえの死んだ後で、九千年も、ひとりでくらすのは いやなこった」
と こうゆったんだと。
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はろるどのクリスマス

2016年12月16日 | 絵本(外国)

           はろるどのクリスマス/クロケット・ジョンソン・作 小宮由・訳/文化出版局/2011年

 シリーズになっている「はろるど」。
 今度も、絵は、紫のみ。文は黒。

 ハロルドはクリスマスツリーをさがしに、紫のクレヨンをもって、北の森へ。
 魔法のクレヨンで、星をかき、雪をふらせ、ゆきだるまをつくります。

 そしてもちろん、サンタさんと六頭のトナカイも。

 最後は、ツリーで、準備万端でサンタさんをまちます。

 ツリーには、お月さまも飾ってあります。

 シンプルですが、こんなクリスマスがあってもよさそうです。

 ハロルド君、どんなプレゼントを期待していたのでしょうか。

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プーさんとであった日

2016年12月15日 | 絵本(外国)

             プーさんとであった日/リンジー・マテイック・文 ソフィー・ブラッコール・絵 山口文生・訳/評論社

 副題に、世界でいちばんゆめいなクマのほんとうにあったお話とあります。

アラン・アレグサンダー・ミルンが1926年に発表した「クマのプーさん」は、自身の息子クリストファー・ロビン・ミルンが持っていたテディ・ベアから着想しているといわれます。
 しかし巻末の写真には、息子が動物園のクマとふれあっている写真がのっています。

 このクマのウィニーがロンドン動物園でくらすようになったは1914年といいますから第一次大戦がはじまった年です。

 クマのウィニーは、特別人なつこく、おだやかなクマで、当時はおりに入って一緒に遊ぶことができたそうです。

 興味をひかれるのは、ウィニーが動物園にくるまでのことです。

 きっかけは獣医のハリーが、軍馬の面倒をみるための途中の停留場で、20ドルでコグマを買ったことでした。
 戦場への旅への途中で、連隊長はクマなんかとんでもないとおこりますが、コグマはすぐに、兵隊のマスコットになり、名前もウィニーとつけられます。

 しかし、いよいよ戦場にむかうため、ハリーはいろいろ悩みます。こうしてウィニーはロンドン運動園でくらすことになったのでした。

 おかあさんが、子どもにクマのお話をするという形で進行するのですが、この物語を書いたリンジーさんは、ウィニーを育てたハリーのひ孫という重層的な構造になっています。

 運命とか一期一会のであいは、あとになって理解できるようになるのでしょうか。

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