木はえらい イギリスこども詩集/谷川俊太郎 川崎 洋・編訳/岩波少年文庫/1997年初版
「なんで学校に行かなきゃならないの」と聞かれたらどうこたえますか。
「人生に備えるためと いちおういえるかな」
しっかり答えてよと、もういちど聞かれたら
「分数や歴史をまなぶため というあたりかな それと お母さんがちょっと休めるようにだな」
はぐらかさないで、とさらに聞かれたら
「先生が失業しないようになんて 聞いたことがあったけ あるいはまた おまえがいつか子どもの質問に答えられるように」
答えは難しそう。
ちいさなろば/ルース・エインズワース・作 酒井 信義・絵 石井 桃子・訳/福音館書店/2002年
原著は1961年、1979年こどものともから発行され、それが2002年にこどものとも傑作集として発行されていますので、子どもの頃読んで、自分の子どもに読んであげた方も多い絵本です。
表紙はワインレッド?で、ろばの線画だけと、とてもシンプルです。
クリマスイブの日、足を痛めてしまったトナカイのかわりに、ひとりぼっちでさびしかったろばが、サンタクロースのお手伝いをします。
子どもたちのくつしたに、プレゼントを届けたサンタクロースから、クリスマスに素敵なプレゼントがありました。
絵本にも季節感が大事。夏には夏、冬には冬にふさわしい絵本があります。派手さはありませんが、12月にはぴったりでしょうか。
雪でおおわれた町、しずかにねこのようにあるきながらプレゼントをとどけるサンタクロースと、絵全体に静寂感がただよい、そりのすずの音が聞こえるようです。
裏表紙には、黒いろばと白い線画のろばが、駆けまわっています。サンタクロースのプレゼントは友だちでした。
エインズワースが紡ぐのは、どれも心温かくなる物語です。
だぶだぶ/なかの ひろたか:作・絵/福音館書店/1998年
1970年に「こどものとも」で発行され、「おさがり」「けんぼう」といういいかたにピンとこない方もいらっしゃるのは時代を感じさせます。
以前は、近所の子どもを「○○坊」と呼んだのは普通だったような気がしますが、子どもが少なくなり、人間関係も希薄になって、気安く呼べなくなってきたのでしょうか。
「おさがり」も、兄弟がいないと成り立たないし、男の子一人、女の子一人では、おさがりも難しそう。
けんぼうが、遊びに行こうとすると、寒いからと、おかあさんが、兄さんのおさがりの上着と帽子をもってきました。いやがるけんぼうでしたが、だぶだぶの上着と、だぶだぶの帽子で遊びに行きます。
だぶだぶの上着にもいいところがあって、ねこといぬとなかよしになり、だぶだぶのポケットにいれてあげます。
ハトは、帽子の中へいれてあげます。
森を探検しようと奥に入っていくと、あらわれたのはおおかみ。「こいつはごちそうだ、丸々太った 朝飯だ」とよろこぶおおかみ。
でも、はと、ねこ、いぬが、けんぼうを救ってくれます。
木によじ登ったけんぼうは、おおかみの上におっこち、しばらくしてきがつくと、おおかみは、もうどこにもいませんでした。
おおかみと女の子がでてくると「赤ずきん」。おおかみがでてこないと成り立たない話は多い。おおかみの絵も結構迫力があります。
月はどうしてできたか/ジェームズ・リーブズ・作 エドワード・アーディゾーニ・絵 矢川 澄子・訳/評論社/1979年
「グリム童話より」とあります。グリムの昔話もいわば再話ですが、再々話です。
昔、月がなかったころの話。
夜になると真っ暗で、あとはもう、さっさとねるだけのエクスのまちの四人兄弟がワイの町にでかけました。
ところがワイの町は、夜になってもエクスのようにくらくありません。よく見ると木の上にあかりがありました。
この町の男を呼び止めてたずねると、市長が2ポンドで買ってきて、カシの木にぶらさげたといいます。この男は月に油をさし掃除をするため、月に10ペンス市長にはらっているといいます。
町ではまた別のものをかえばいいという理屈で、四人兄弟は月をいただいて(盗むという感覚はなさそうです)エクスの町へもどります。
エクスの町は、夜になっても明るいので大喜び。月は掃除し、油をいれなければならず、町の人は週に10ペンスづつ、四人に払います。
ところが一番上の兄がなくなるとき、月の四分の一は、おれのものだと、お墓に持っていくことになります。
市長が木に登って四分の一を、お棺にいれてやります。
二番目の兄がなくなるときも、月の四分の一はおれのものだといい、お棺にいれてやります。
三番目、四番目のときもおなじようにすると、エクスの人びとは、また暗闇です。
一方、地面の下では月は一つになって、明るくなって、死人たちはおどろきます。お墓から出てきて飲めや歌えの大騒ぎ。そのうちついつい飲みすぎて、けんかが始まり、こん棒をもちだして殴り合い。この騒ぎは天国までとどきます。
天国のご門番、聖者ピーターが、ものおとをききつけて、いくさでもはじまったのかと思い、天の軍勢を呼び集めます。ところが軍勢がなかなかあつまってこないので、業を煮やした聖者ピーターは、天国の門をとびだし、かみなりのような声で死人たちに、「おとなしくお墓にもどれ」といいわたし、さわぎの原因になった月をかつぎあげ、天の高みにぶらさげてしまいます。
お金も払わず、月の恩恵をうけているのは、聖者ピーターのおかげだったのです。
天の月が、あまねく地上を照らすようになったのは、四人兄弟が地下へ月をもっていった結果でもありました。
ところで四人兄弟ですが、上からアルン(としより)、ボーア(おとなしい)、キャス(やりて)、ドール(ずる)という意味ありげな名前ですが、それぞれの特徴が生きていないのが残念です。
やぎのはかせのだいはつめい/槇 ひろし:作・絵//福音館書店/2011年
動物村の丘の上から合図の花火が上がり、ヤギ博士の発明品の完成を知らせてくれました。
五年八か月と一週間かけて完成したのは巨大な機械。機械の巨大さに驚いていると、ヤギ博士が作りたかったものとのギャップに、おもわずほっこりです。
大型モータが18台、小型と中型あわせると1200台のモーター。長さ616歩分。360m?。
この機械で何をしようとしているのでしょうか?
みんながみつめるなか、山の向こうのもうひとつ山のおくからリフト・ロボットではこばれてきた大きな木が機械に飲み込まれ、一番目の出口から出てきたのは葉っぱ。小鳥のおうちの屋根ができます。
二番目の出口から出てきたのは、丸太。知恵と力を合わせ木の橋を作ります。
三番目の出口からは、板。丸太と板で動物小学校をつくり、イスもつくります。
四番目の出口からは、輪切りの板。自転車や、モッコ、乳母車の車輪になります。
五番目の出口からは、木の繊維。とかし、のりをいれ、うすくすくって紙をつくります。
六番目の出口からは、積木になる小さな木。積木の国をつくります。
そして、最後は、ヤギ博士が、一番ほしかったものですが?。
次々に出てくるワクワク感が子どもの心をとらえます。
木をあますことなく利用し、動物村を楽しくするのが博士の本当の目的だったのでしょう。
いすうまくん/かどの えいこ・作 こうもとさちこ・絵/福音館書店/2014年
子どもの夢がつまっています。
夏休み、タッくんが、お父さんの実家の物置で見つけたは、お父さんも使ったオニヤンマのついた麦わら帽子と古いイス。イスはすわるところは破れ、古いハチマキがぶらさがっていました。
「ほこりだらけだから」と、おばあさんからいわれますが、内緒で物置にもどると、どこからかツクツンツクツンという音が聞こえてきます。イスに促され、うまのりになると、そのまま外にとびだします。
外では、イスが子どもたちをのせてとんでいました。
学校のイスに坐った子どもたち、回転いすに座った双子の女の子、公園のベンチの五人のこども、赤ちゃんイスもヨーグルトだらけでとんでいます。
タッくんののったイスが、ぽーんと三回転します。すると目の前がをなにかがおりていきます。オニヤンマでした。どんどんおいかけて、イスが止まると、オニヤンマがタッくんのうえを、くるーりくるーり まわり、麦わら帽子に、すーっと とまります。
さいごには、おばあさんとスイカをたべるおいしそうなタッくんがいます。麦わら帽子には、オニヤンマが二匹になっています。
どこか秘密っぽい物置部屋。古い思い出もつまっています。いつまでもなくならないで、タッくんの子どもにも思い出をおすそ分けしてくれるといいのですが。
おおかみのおしょくじ/角野栄子のちいさなどうわたち2/作:角野 栄子 絵:長崎 訓子/ポプラ社/2007年
「おかしなうそつきやさん」には、「大きくなりたい おおかみ」「おおかみの おしょくじ」「おおかみのおよめさんに なるのは だれ?」「おおかみのかぜを なおすには・・・」の四話があります。
うそつきやさんへの注文も「せかいではじめてのうそ」「どきっとする すごい うそ」「いいきみの いー っ、っていう うそ」「ほんとの うそ」といろいろ。
アンデルセン賞受賞後にラジオ番組に出演されて、うそつきやさんの冒頭部「うそつきやのおばあさんは、ポケットを、じゅんばんにあけたり、しめたり、においをかいだりして「ちょうどいいのが ありましたよ」と話しはじめます。」と朗読されましたが、その心地よさにひかれました。
「おおかみの おしょくじ」は、おおかみに食べられますが、まずは「おおかみって、おばあさんを みると、どうして たべちゃうぞとしか いえないの」とうんざり。
ねむれないというおおかみに「おきのどくさま どうぞ わたしを めしあがれ」と、食事の作法まで伝授です。
「テーブルクロスをかけて、ナプキンをそえて、たべものは ちゃんと おさらにのせるのよ」
「おしょくじまえの おいのりを わすれちゃ だめよ」と、いたれりつくせり。
ところが、おおかみがパカッと口をあけて、おばあさんをくわえると、うんのわるいときは はうんがわるく、おおきな しゃっくり ひっくり。おばあさんはのどをするりと とおりぬけ、あっというまに一直線におなかのなかへ。おおかみもたべたんだか、たべなかったんだか、わからないくらい。
おばあさんは、おおかみのおなかのなかでクークーおやすみ。
おわりかたも、「わたしのうそは これでおしまいの まいまい」と軽快です。
うそを注文した男の子の疑問。
「おばあさん、どうやって おおかみのおなかから でてきたの?」
おばあさんのこたえは?
「赤ずきん」「おおかみと七ひきの子ヤギ」では、おおかみが、おなかを切られてしまいますが、一味ちがいます。
うそのお値段も、握手が三回と洒落ています。
「うそはついていない」と強調すればするほど、うそっぽい人もいれば、うそといってもほんとうのように聞こえる人もいます。おばあさんは後者でしょう。ほっこりする話でした。
図書館に今年アンデルセン賞を受賞した角野栄子さんの企画展示がありました。
児童文学のノーベル賞ともいわれるアンデルセン賞を日本人では誰が受賞しているかみてみました。
日本の最初の受賞者は赤羽末吉(画家賞)さんで1980年。
二人目は、1984年に安野光雅(画家賞)さん。
三人目は、1994年でまど・みちお(作家賞)さん。
上橋菜穂子さん(2人目の作家賞)は2014年。
外国の方で、これまで読んだ絵本だと「すてきな三人組」のトミー・ウンゲラー(フランス)が1998年、「百年の家」のロベルト・イノチェンティ(イタリア)2008年に画家賞を受賞しています。
「兵士のハーモニカ」を語ったことがありますが、作者のジャンニ・ロダーリ(イタリア)が1970年、「人間だって空をとべる」のヴァージニア・ハミルトン(アメリカ)が1992年、語る人が多いリナー・ファージョン(イギリス)が、1956年アンデルセン賞最初の受賞者です。
授賞式は二年に一回、画家賞は1966年の第六回からもうけられています。
絵本の作者の紹介に太田大八さんが1970年アンデルセン賞大賞次席を受賞というのもありました。赤羽さんの10年前です。
アンデルセンの絵本 空とぶトランク/作:角野 栄子 絵:スズキ コージ/小学館/2004年
スズキコ-ジさんの絵が、見慣れたものよりやや抑えめです
角野栄子さんの文とあるので、アレンジされているかと思いきや、ほぼ原文につかいようです。
大金持ち商人のひとり息子が、親の死後財産を湯水のように使い、あっというまに財産がなくなって、最後は銅貨四枚、あとには着ていた古い部屋着とスリッパだけ。
こうなると誰も相手にしてくれないのが相場ですが、たったひとりだけ親切な友だちがくれたのが古いトランク。
何もないのを承知でトランクをくれたのは皮肉でしょうか。
しょうがなく男が自分でトランクのなかに入ることにします。これが、かぎをおすと空中にとびあがるふしぎなトランク。トランクはとびつづけ、やがてトルコにおりていきます。
そして町の人にきいたお姫さまがいる城のまどからそっと忍び込みます。
トルコの神さまとなのり、「あなたの美しいひとみは、黒いみずうみのようです。その中を、人魚のように、あなたの思いが泳いでいます」とほめあげ、楽しい話をすると、お姫さまは結婚の申し込みを承諾し、今度の土曜日王さまとおきさきさまのお茶の時間に、おもしろい話をきかせてくれるよういいます。
このときお姫さまは金貨をちりばめた剣を男にあたえます。この剣は大分役に立ち、神さまにふさわしい部屋着を買い入れ、約束の土曜日に城にでかけます。
話に満足した王さまは、お姫さまとの結婚をゆるしてくれ、結婚式の前の晩には、人びとにパンやおかしがふるまわれます。
男も何かお祝いをしようといろいろな花火をかいこむと、トランクで空にのぼり、派手に花火を爆発させます。
町の人びとは、「お姫さまが結婚するのは、正真正銘のトルコの神さまにちがいない」「わたしは、神さまの星のようにかがやく目をみましたよ」「わたしも、とんでいる神さまのそばに、天使の顔を見ましたよ」と、大きな声で話し合っています。
うれしい話をきいて満足した男が、森にかえってみると、トランクは?
親の遺産を食いつぶすところからはじまるのは、アラビアンナイトの「シンドバッドの冒険」も同じですが、食いつぶす息子は、それだけでおわりません。この話でも、トランクが燃えてしまったあと、男はお話しをしながら世界中を歩き回っています。シンドバッドは冒険、この男は話をしながら世界中をあるきまわっていますから、誰からも束縛されない自由な生涯をおくっているようです。
ところで、男が王さまとお妃さまの前で話す物語には、マッチ棒、鉄鍋、ひうち箱、土なべ、火ばさみ。お茶わし、買い物かごなどがでてきて、それぞれが自慢をはじめますが、一番由緒正しい出自をほこっていたマッチ棒が家のお手伝いさんにつかわれると、燃え尽きてしまいます。
道具たちの結論は、「どうやったら家の中をきちんとできるか考えよう。めいめいの役目をまもって、自分の場所におさまるべきじゃないか」と、おさまります。
だれのこどももころさせない/文:西郷 南海子 絵:浜田 桂子/かもがわ出版/2017年
「だれのこどももころさせない」、シンプルですがすべてのことを物語っていると思いました。
戦争の理由をつくる人がいます。
利益のために戦争の道具をつくる人が会社があります。
誰もが平和でいたいと思いながら、なぜ戦争がなくならないのでしょう。
今もどこかで、戦争が続いています。
戦うのは子どもです。
だれのこどももころさせない!!!!
「安保関連法に反対するママの会」発起人の西郷さんの作ですが、広く読まれてほしい絵本です。
トビウオのぼうやはびょうきです/いぬい とみこ・作 津田 櫓冬・絵/金の星社/1982年
「お日さまが もう 一つ できたようね」
そらから雪のように白い、ふわふわの こなが ふりはじめます。
トビウオのぼうやは おもしろがって こなの ふっている 海の上をぱっぱっと とんであるきます。
しんだマグロやフカたちが頭の上のながれていきました。へいわだったうみの中が、まるでおそろしいはかばのようになります。
1954年ビキニ環礁での水爆実験の後。
トビウオのおかあさんは、病気になったぼうやを助けようと、病院や薬屋さんに泳いでいきますが・・・。
スリーマイル、チェルノブイリ原発事故もありますが、広島、長崎、第5福竜丸、3・11福島原発事故と、実際に何度も核の被害を受けた国は日本以外にはありません。
この日本で残念なことは昨年の核兵器禁止条約に不参加だったこと。この条約は2017年7月に122か国・地域の賛成多数により採択され、条約の推進には2007年に核兵器廃絶国際キャンペーンの貢献が大きいとされ、同団体が2017年10月にノーベル平和賞を受賞したのはつい最近のことです。
この条約は、50ヵ国が批准して90日後に発効するようですが、2018年7月31日までに合計14か国が、この条約に批准。
ただ、一方では日本政府は1994年以来、核兵器廃絶決議案を国連に提出していますが、決議案では象徴的な意味合いだけでしょう。
先の見通しは楽観できませんが、それでもあきらめるわけにはいきません。
この絵本は、こんなことを考えさせてくれました。
ピーボディ先生のりんご/マドンナ・作 ローレン・ロング・絵 村上 由佳・訳/集英社/2004年
ピーボディ先生は小さい町ハップヴィルの小学校教師。
夏の間、土曜日にはありったけをささげて、よその学校と野球の試合ができるよう手配していました。
ピーボディ先生は、フルーツマーケットでリンゴを買って帰るのが、日課でした。ある日、トミー・ティトルボトムは、先生がお金をはらわず、ぴかぴかのリンゴをかばんのなかにほうりこむのを目撃します。
トミーはすぐさま友だちに教え、次の土曜日も仲間とフルーツマーケットの前で、先生がお金を払わず、りんごをかばんにほうりこむのをみていました。
みんなは友だちから友だち、その親のおしえ、そのうわさは小さい町中に広がっていきます。
次の土曜日、野球場では先生がぽつんとひとりです。そこへビリーがやってきて「みんな、あなたのことを泥棒だおもっているんだ」と、理由を教えてくれます。
じつは、りんごのお金は、土曜の朝前払いしていたのです。そのことをビリーがトミーに話し、トミーが先生のところにやってくると、先生は羽毛のいっぱいつまった枕を野球場にもってくるよういい、外野席から枕を半分に切って羽毛を逆さにふるようにいいます。
羽毛は風にのってどこまでも飛んでいきますが、先生は今度は羽を一枚のこらず拾いに行くようにいいます。
「羽を全部拾うことなんて、できるとはおもえない」というトミーに、「そう、それと同じでね。君がひろげた、私が泥棒だといううわさも、なかったことにできないんだよ」と、先生は言います。
トミーは長い沈黙の後、先生のいおうとすることがわかってきます。
あとがきで、マドンナは「言葉の持つ力と、そして、他人を傷つけることのないよう注意深く言葉を選ぶにはどうすればよいか」が主題だとしています。
マドンナ? そうあのマドンナです。マドンナの歌は聞いたことがないので名前にはあまり興味がなかったのですが、この絵本は、子どもたちのための五冊のうちの二冊目(大人になった子こどもたちにも)とありました。
マドンナは、歌だけでなく女優、映画監督、文筆家、実業家としての顔をもつマルチな才能の持ち主。
この絵本の語りをきいたことがあるという方もありました。
「どう見えたか、というのは、どうでもいいことなんだよ。大切なのは、ほんとうはどうか、なんだ」というメッセージもストレートです。
歌も言葉を聞き手に届ける作業。絵本も同じでしょうか。
子どもに語る北欧の昔話/福井信子・湯沢朱美:編訳/こぐま社/2001年初版
気が早いですが、クリスマス時期の昔話でしょうか。
それまで、クリスマスを普通にすごせなかった一家が、ふとしたことで、何の心配もなく、クリスマスを楽しめるようになった話です。
クリスマスイブの日、ハルヴォルさんのところに、泊めてくれとやってきた男。男は白熊をつれていました。
ハルヴォルさんの家には、クリスマスには、いつもトロルがやってきて、大騒ぎ。自分の寝るところもありません。
ハルヴォルさんは事情を話してことわりますが、どうしてもと頼まれて、男は壁の寝台、白熊はストーブの下にねむることになります。
その夜トロルの集団がやってきて、食べたり飲んだりします。
トロルのこどもが、白熊をねことおもって、ソーセージを鼻先につきだすと、白熊は鼻をやけどしてしまいます。
おこった白熊は、トロルたちを家から追い出してしまいます。
次の年、ハルヴォルが木をきっていると、森のおくから「お前の大きなねこは、まだいるかい?」と声がします。 ハルヴォルが「いるよ、7匹子どもが生まれ、親ねこより大きくて乱暴だ」と答えると、声は「なんだって!それじゃあもう、おまえのところには、こんりんざい行かないよ!」といって、それからはハルヴォルの家にトロルは来なくなり、何の心配もなくクリスマスを楽しめるようになります。
男が白熊をつれていたのはデンマーク王にさしあげるためでした。ノルウエーの昔話ですが、デンマーク王がでてきます。この結末からいうと、どうやら白熊はハルヴォルのところに居ついたようです。
物語にあまり起伏がないので、子どもからはどううけとめられるでしょうか。
-オックスフォード 世界の民話と伝説 北欧編ーに「ドーブル山のネコ」として、おなじものがあり、こぐま社版より、もう少し具体的ですが、語りにくそうです。
コヨーテ太陽をぬすむ: アメリカインディアンのおはなし/高野由里子・翻訳 古沢たつお・絵/風濤社/2016年初版
動物や人間を残酷なやりかたで殺してしまう怪物スカンク。
スカンクという何やら意味深な名前。
おならで空高く男をふきとばしたり、おしっこでおぼれさせたり、うんちで人間を殺し食べてしまいます。
怪物スカンクは、女魔術師が、とがったキリを林にかえると、おならでなぎ倒し、砥石を山にかえると、おならでこなごなにしてしまいます。
水の入った袋を池にかえると、スカンクは、池の水をのみほし、おならをふきかけ女魔術師を食べてしまいます。
ところが小さな女の子が、おばあさんに言われ、死んだふりをすると、死んだ肉は食べないというスカンクは、どこかえいってしまいます。
パニックになった村をすくうため、勇敢なコヨーテとボブキャットが立ち上がります。
激しい戦いが続き、スカンクがおならでコヨーテとボブキャットをふきとばそうとしたとき、コヨーテはスカンクのおしりのあなに石をつめます。出口をうしなったおならは、スカンクの腹の中で膨らみ、破裂してしまいます。
怪物の武器が、おしっこ、おなら、うんちと、これまでの昔話に見られない異色な展開です。
ボブキャットはネコ科。アメリカインディアンの神話やヨーロッパからの開拓者の民話にも登場。
体長65–105cm、体重6–15kgとありますから、それほど大きくありません。
世界むかし話 ドイツ/矢川澄子・訳/ほるぷ出版/1989年
ことわざはじつに的確。
「後悔先に立たず」とはよくいったもの。このオオカミはまさにそのとおりです。
若い肉でも食べてしゃんとしようとでかけたオオカミ。
途中キツネとであい、ブタのあぶら身をみつけ、キツネからいっしょに食うかいとたずねられ、そんなものは欲しいともおもわなかったオオカミ。
次にロバが子ロバにえさをたべさせているのにあい、どうにも手に負えない子ロバなので、殺してくれるようたのまれますが、親ロバが足をひきづっているので、尋ねると、足にとげが刺さっているようなので、足を見てくれと言われ、とげをぬこうとするが頭に足蹴りをくらいます。
二匹のヤギが境界がめぐって、角をふりたてはげしくつきあっているところで、草地の両はしからかけくらべさせ、はやくついたほうがたくさんの領分をとっていいことにすると仲介したのはよかったのですが、両方のヤギが左右同時にオオカミにつきあたります。
四度目は、メスブタが子ブタを九匹つれているところにであいます。子ブタの洗礼をたのまれ、牧師とかんちがいされたのは悪い気がしなかったオオカミ。ところが丸木橋で洗礼しようとすると、メスブタが突進してきて川におとされてしまいます。
すぐに食べてしまえばよかったのに、「やれやれ、医者のふりしてロバの足をなおしてやろうとするなんて、土地裁判のマネをしたり、牧師のマネをして子ブタに洗礼をうけさせようとするなんて。こんなことなら、いっそ天から斧でも降ってきた方がよっぽどましだ」とぼやいたオオカミ。
この時、オオカミがくるのをみていた百姓が、オオカミから逃げるため、シラカバの木の上にいて、オオカミのぼやきを聞いて、もっていた斧を木の上から投げ落とすと、オオカミのおなかにあたってしまいます。
それでもオオカミはまだ口走ります。「やれやれ、まさか、本気でいったつもりはなかったのに!」