さじかげんだと思うわけッ!

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「お詫びの日」

2009-01-25 20:27:47 | 

今日は何でも、「お詫びの日」だそうで。
その由来は、カノッサの屈辱(Walk to Canossa、1077)が、今日のこの日に起こったからだそうです。

カノッサの屈辱は、世界史を習ったことのある人なら、おそらく必修事項であるはずです。
ドイツ周辺は古く、神聖ローマ帝国と呼ばれた国家連合体でした。
頂点には神聖ローマ皇帝。これはローマ教皇が任命していました。
その下には、各王国の王がおりまして、例えば、ドイツ国王やイタリア国王などですね。
この時点で、権威の順としては教皇>皇帝>国王みたいな。こんな感じだったわけです。
ところが、時が経つにつれ、皇帝が権力を振るい始めたのです。つまり、教皇をないがしろにしたわけですね。
何とか教皇の権威が強い北イタリア地方に勢力を伸ばしたい当時の神聖ローマ皇帝、ハインリヒ4世(1050~1106)は、自分と仲の良い宗教関係者を、北イタリア地方の教会の要職に勝手に起き始めたのです。
つまり、教会の内部から親皇帝派を増やす工作をしたわけです。
それに怒ったのが、ローマ教皇グレゴリウス7世(1020?~1085)です。
宗教に関する決定権(聖職叙任権)はローマ教皇にあるのであって、ローマ皇帝ではないと。
ところが、ハインリヒ4世は調子に乗っているので、その忠告を聞かない。
怒り心頭のグレゴリウス7世は、帝位剥奪などをちらつかせ、何とかハインリヒの手綱を取ろうとしたのですが、それにハインリヒ4世が逆ギレ。
逆に、「グレゴリウスやめちまえ、いや、やめさせたる」と勝手に決めてしまいます。
ほんじゃとばかりに、ローマ教皇側もハインリヒ4世の帝位及び王位剥奪と、教会からの破門を言いつけます。
ここで、動いたのがハインリヒ4世を日頃からよく思っていなかった、帝国下の領主たちです。
ここぞとばかりに四方八方からハインリヒ4世を突き上げます。
挙げ句、皇帝がいないにもかかわらず帝国会議を開いて、教皇を招聘。
ハインリヒ4世が教皇に謝罪しない限り、許さんということになりました。
ハインリヒはすっかりしょげ込んでしまい、使節を送ってごめんといいましたが、拒絶されます。
おそらくプライドの固まりであろうハインリヒは、ここでピキッと来たでしょう。
しかし、ここはぐっと堪えて、自らの足で教皇が滞在しているカノッサ城に赴き、修道士の地味な服を着て拝謁を願い、「申し訳ありませんでした」と跪いたのでした。
グレゴリウス7世は一瞬やばいと思ったそうですが、謝りに来たと知って、破門を取り消すと言い残して、そそくさとローマに帰ります。

ハインリヒはその後、ドイツに飛んで帰って、謀反を起こした地方領主たちをメッタメタのギッタンギッタン、再起不能にします。
そのままローマに軍隊を進め、包囲。グレゴリウス7世は、命からがらローマを脱出。逃亡先のサレルノで死んでしまいます。

東洋風に言えば臥薪嘗胆。
一時の屈辱を耐え、明日の復讐を誓う。
目先の一万円より、10年先の一千万円。
今の悔しさが、未来の幸せに繋がることを思えば、そんな悔しさ、甘んじて受けようではありませんか。
…とはいえ、わたしは怒られるのが嫌い。謝るのも嫌いという、治療の仕様のない大馬鹿ものなのです。


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