さじかげんだと思うわけッ!

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学ぶことを問う。

2008-02-24 22:49:08 | 

asahi.com:日本史必修化「10年度から試行」-マイタウン神奈川

県議会2月定例会が20日あり、県教育委員会が全国で初めて打ち出した県立高校での「日本史」必修化について、引地孝一教育長は「日本史の必修化で21世紀を切り開く心豊かでたくましい人材の育成に取り組みたい。10年度から試行校で実践、検証していく」と改めて述べた。自民党の田島信二議員の代表質問に答えた。

歴史を学ぶというのは、わたしも大賛成です。
「温故知新」という孔子(前551~前479)の言葉は、あれは真理ですよね。いや、それで徳が備わるかどうかはまた別の話ですが、確かなことです。
しかし、ここで注意すべきことは「学ぶ」とはどういうことか、ということです。

政治家さんたちがいっている「日本史」というのは、きっと近代以降の日本と欧米列強との関わりと、1900年代前半の険悪なアジア情勢、そして戦後の国際関係のことです。
それよりも一段下に"伝統"が来るのではないでしょうか。
ところがどっこい、たぶん今の日本史はそうではない。
流れとしては重要なのでしょうが、結局、直接的に関係がないであろう古代から順を追い勉強し、テストなども近世以前が大体を占めるのではないでしょうか。
わたしなどは高校時代には世界史を専攻してましたが、課程上、日本史も一年だか半期だかやらねばならなかったので、勉強しましたよ。
ただし、はじまったのは幕末からです。
前にも話をした気もするんですけど、幕末から明治、明治から大正、昭和を経て、平成…そう、まさしく今生きているこの現代まで勉強をして、そして折り返して古代へと戻っていったのです。
その学習方法が正しかったのかどうかは別として、わたしは大変その学習順序に驚きましてね。
でも、古代から順を追って勉強するよりは、幾分かは実用的かなとも思いました。
これはつまり、わたしが考える「政治家たちがいう歴史の勉強」だからです。

しかし、実際はそうじゃありません。
日本史では古代からですが、世界史に至っては「猿人」から話が始まります。
一から順を追ってやっていくのです。
なぜかと考えれば、それはきっと受験に必要だからです。
そう、学校の勉強は受験に向けてやっているのであって、社会に出てから役に立つかどうかは二の次なのです。
いや、本当はどうだかわかりませんが、わたしはそう思うんですよ。
政治家の言う歴史が理想だとするならば、受験のための歴史は現実です。まさしく理想と現実。そのギャップといえるでしょう。

わたしは説教くさいというか、メッセージ性の強い漫画が好きでしてね。
とある漫画にこんなことが書いてあったのです。
「なぜ一流と呼ばれる大学に入る人間を、一流と呼ばれる企業が採用するか。それはその人がその大学にはいるためにどれだけ努力し、効率的に計画的に勉強しなければならないかを知っているからだ。企業は、その勤勉さと計画性を欲している」
まったく同じ文ではありませんが、こんな内容のことです。
おお、それはそうだ。
東大とか京大とかは、生半可な努力では合格することはできません。
しかし、なぜそんな苦労をしてまで大学に合格したがるのか。
それは自己実現をしたいから、と考えるのが妥当でしょう。
だけどもその先…その先のことを考えている人がどれぐらいいるでしょうか。
キャリア公務員になって、出世して、それなりのポストに就き、国家運営に携わるような重要な仕事をする。
それはえらいことです。大した夢です。尊敬に値します。
しかし、それを夢見ている人はどれほどいるでしょうか。
大学に合格して、それで終わりになってしまう人がいるのではないでしょうか。

そのとき、受験のための現実の勉強は一気に無意味なものになります。
その人に残ったのは浅はかな、そう実に浅はかな知識と優れて高い学位。そして、ものごとを効率的に、楽ちんに行おうとする意識。
もちろん、一流大学を出て懸命に生きている人もいます。そこはわかります。そういう人がいないと、やはり世の中は回りません。
しかし、今日の問題の多くは結局、そういったことが原因なんだろうと思います。
だから、わたしは思うのです。
勉強なんたるかよりも、まずなぜ学ぶのか。

「勉ルコトヲ強イラレル」ことを「学ブコトヲ問ウ」ことを教えるべきなんだろうと思います。
って、これも漫画からのお借りした言葉なんですけどね。
まったくその通りだと思いますねぇ。