さじかげんだと思うわけッ!

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『耳をすませば』に見る「生活」観

2008-02-22 22:08:43 | 

おっと。今調べてみたら、まだ『耳をすませば』(1995年、柊あおい・原作/集英社・二馬力・TNHG)について書いたことがないようです。
今日、金曜ロードショーで放映すると言いますから、いい機会です。
ちょっと書いてみたいと思います。

この映画を好きか嫌いかと問われれば、まぁ、普通ですね。好きでも、嫌いでもない。
というのはどういうことかと言うと、もう少し丁寧に説明しましょう。
一言で言えば、この映画を見ると照れてしまうんですね。
この映画のテーマである「初恋と未来の夢」というものは、その照れてしまうんです。
登場人物たちが純粋だとか、ごく普通とかそうことは関係ないと思います。
ただ、最後のシーンとかね、見ると赤面してしまうんです。
なので、好んで見るものではありません。
好んで見るものではないんですけど、やっているとつい見てしまいます。
そんなぐらいの、好みさかげんです。

わたしがものごとを好きになる理由は、実は自分でもよくわからないことが多いんですけど、この作品に限ってはかなりはっきりとわかっている気がします。
それはどこかというと、「風景の描写」です。
この点において、名高いスタジオ・ジブリの作品の中でも高いレベルにあると思うんです。
ファンタジーでもSFでも、昔でも未来でもない。イマジネーションの世界ではない。
現実の今現在の風景。
現代…といっても、もはや"平成初期"ですか、そういう日本を丹念・緻密に描いているところが、この作品の中でもっとも好きなところなんです。
特に好きなのが、エンド・ロール。
最後の場面、雫と聖司が自転車で坂を駆け下って、そのままエンド・ロールに突入すると思うんですけど、その「坂の一日を描く」という実に地味なエンド・ロールが、わたしは大好きです。
間違いなく、全スタジオ・ジブリ作品中、BEST OF ENDROLLです。
あ、もちろんわたしの中での話ですよ。
このエンドロールを見て、わたしが何を感じたかというと、ずばり「人の生活」です。
「おお、人が生活している」という、実感…というのも変ですね。
言葉では言い表せない。シンプル過ぎて、話すのが難しいんですよね。
そういう当たり前の感覚に襲われたんです。
今まで見てきたどんな作品とも違う。こんなに「人の生活」を意識させられた作品は、ありませんでした。

イギリスの詩人バイロン(1788~1842)の有名な金言があります。
「Fact is stranger than fiction.」
訳せば、「事実は小説よりも奇なり」。
とかく奇怪な事件や奇蹟に用いられがちな金言ですが、わたしはこの言葉はもっと別の意味で解釈します。
「普段の生活」こそが物語の重要なファクターになるのだと思っているのです。
そこにスポットが直射するわけではありませんが、しかし「普段の生活」という背景にこそ、本筋の物語をもっと深くする、小さい物語がたくさん詰まっている。
そんなふうに思うのです。
もっと、「生活」を描ければいいと思います。
そこが書けなければ、むしろおもしろい話は書けないんじゃないかと、そんなふうにさえ思うのです。