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これどうしようかな・・・どうしようか考えてみます。

2019.1 「No.17 ポケット新日記 (ポケットダイアリー)」 のイマココ

2019-01-30 | _かく__

小型横線当用日記・ソフト[H判] を使い始めて、
○ 巻末メモ(自由記入)欄のページ数が少ない。
ことに 初めて気がついた。

発行元は 「日記帳」 を作っているのだから、「少ない」ということはないのだろうが
こちらは カテゴリーにしたら「雑記帳」みたいな使い方をしている(してきた)ので
メモ欄・計4ページでは とても足りない。
(購入する時に メモ欄のページ数まで気が回らなかった><。)

ドウスル。(2018年末くらいにそのページ数の少なさに気付き〔年末年始年中行事関連のひと口メモ、来年ここ見たらきっと役立つよ。今年はこんなへっぽこなことしてる。だから一年後の私、繰り返さないでね。的備忘録をメモ欄に毎年書き込んでいる。繰り返さないけど、新しきへっぽこはなんだか毎年毎年生まれるもので。。。〕、でも新年は目の前だ。披露宴が始まる直前にこの結婚どうなんだろう?と迷い込んでる新婦〔大げさ!〕レベルに迷ったがHappy New Yearやってきちゃって、とりあえず書き込み始めた。補充ノートみたいなの足してみたが、なーんか気に入らない。)

気が添わないと 書き込む心意気が薄れていき、楽しくない。
ちょいやっさ、半月以上新年になっているのに 急遽 日記帳変更、
「No.17 ポケット新日記 (ポケットダイアリー)」に戻した(改めて買ってきて、半月分くらいせっせと書き写してrestart)。

大騒ぎな割に 一つウキウキした事も。
同時期に 無印良品「詰め替えるペン。キャップ式 替芯 ゲルインキボールペン 0.5mm・ブルーブラック」 を使い始めて、その色、その手触り・書き味、とりあえず「No.17 ポケット新日記 (ポケットダイアリー)」では裏写り無し。。。に 心弾んだ。
弾みついでに
○ 日記本文に2色使う。→ブルーブラック1色で行ってみよう。
にしてみた、イマココココ。

 

 

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「ヴィオレット─ある作家の肖像─」

2019-01-28 | _気な・気な_

パリだ。サルトルだ。ボーヴォワールだ。+αだ。
「ヴィオレット─ある作家の肖像─」を見た。
(いっしょに借りたもんで。)
(カミュもごにょごにょ。)

ヴィオレット。
ヴィオレット・ルデュック。
今、見終わった!高揚で ざっくり書いてしまうと
拡張型サルトルと破壊型ヴィオレットと
それぞれに対峙する時のボーヴォワールをこう描くんだな、と比べてみることになる2作品鑑賞機会でした、と書きましょうか。
描かれている実際の時期の近似値加減が なのにこんなにも多面的なボーヴォワール像をかえって、人間的に深めていく 私の勝手な2作品怒涛の連続再生が。(へっぽこ翻訳調日本語だぁ。でも、今推敲している時間がないっ。)

途中、カルヴァドスが出てきました(^_^)/。

ヴィオレット・ルデュック 1972年、フォコンにて死去。
おぉ、南仏ブーメラン。

 

 

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「サルトルとボーヴォワール 哲学と愛」

2019-01-28 | _気な・気な_

パリだ。サルトルだ。ボーヴォワールだ。
南仏から飛んで
「サルトルとボーヴォワール 哲学と愛」を見た。
(カミュも登場。)

例えば手元にある 「私の巴里・パリジェンヌ」 朝吹登水子著 文化出版局 1977 の中の彼ら紹介、

ボーヴォワールが大学生時代にサルトルと邂逅し、新しい形式の“人生の伴侶”として今日に至ったことも有名である。つまり彼らは世間並みの法律上の結婚はせず、お互いの自立性と自由を尊重する、別居形式の新しい男女の結びつきを実行したのである。最初、二年契約だったこの二人の世界的作家の“結婚”と愛情は四五年余も続き、彼らが優れた知識人のカップルだけに、実に羨しい成功と思える。

範囲の知識だったところに この(テレビ)映画を見ると
朝吹解説の 「実に羨しい成功と思える。」部分は 非常に深い解釈の領域が必要だ!
ボーヴォワール基点の映画なので、哲学と愛において 自主・自由を手にするって こんなにも苦しい。その点が強く印象に残る作品なのです。
でも私たちは 特に彼女の
 こんなにも長い間 共鳴し合えたこと
 それだけで すでに素晴らしいことなのだ。
という言葉も知っている。(なんだかスローガン風書き方になってるが。)

 友春はもしや
  ○ “ミツ”にとっての触媒
 なのではあるまいか?

 「触媒」ではデリカシーに欠ける表現だとすると、
 他に何と言ったらいいのかうまく浮かばないが
 とにかく
 友春は大事な人なんだ、と急に思ったのです。

「ちりとてちん」時の 自分の感想を サルトルとボーヴォワール にも考えてしまっている。
ネルソン・オルグレンに心も体も寄り添うことができたのに 映画の演出のようにその席を立つことができなかったのは オルグレンに友春的存在感を得ることができなかったから、説。
(ただ最大の問題点は、「ちりとてちん」ストーリー展開予想、私は全く外してるからなあ。)

 

 

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朝からバレエでダイエット 19-01-03

2019-01-25 | _動的平衡_

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ○ 食べ過ぎない。
 ○ 間食置き換えダイエット 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

20190125 前回比 +0.20kg/トータル +0.95kg ○○☆☆○|●○

「|●○」の「|」は、「20080609 ダイエットスタート(±ゼロ地点)」ポイント。
“八っつぁん「ん?下がったかと聞かれりゃあそうとも言えねえが、(2008より)上がったわけでもねえし…。」”
なーんて嘯いていた頃がなつかしい。
なーんて言ってる場合ではない。
ホントニナントカシマショウ!
間食だね間食、問題点は。
間食=美禰子説(三四郎?)、間食を何かに置き換えて 棚上げしてしまおう、今は。
泥縄ですので さて、置き換える先が闇である。
今日はとりあえず、「グーパー運動」にしてみた><。

 

 

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旅するユーロ 2 南仏の旅 03

2019-01-25 | _ゴガク_

第21章 アルベール・カミュを巡る
ルールマラン
アルベール・カミュAlbert Camus(1913-1960)Un destin n'est pas une punition.運命とは処罰ではない/1956年、40代前半という若さでノーベル文学賞を受賞したカミュ。受賞後、プロヴァンス地方の人口1,000人ほどの小さな美しい村・ルールマランに別荘を持った。その地に 貴子とアルノやってきた。その別荘には現在もカミュの娘さん(そうするとセイン・カミュの何にあたる人なんだ?)が住んでいて、特別に中を見せてもらう二人。いい作りでいい眺めを持っている家屋。バルコニーからの眺め、すばらしい。毎日眺めちゃったらもったいない?くらい。カミュ行きつけだったカフェ。オーナーは店内リノベーション時、奥まった場所に「カミュの間Salle Albert Camus」を作っていた。パッと見印象が、吉村順三記念ギャラリー(一度だけ訪れたことがある)の施主との打ち合わせコーナーを思い出させた。(その打ち合わせコーナーの画像検索をしてみたら、私が訪れた時と違うデザインの椅子が配置されている。その椅子にも座りに(違う雰囲気を体感しに) も一度訪ねてみたいです。)

第22章 アルベール・カミュを巡る
ルールマラン
オーベルジュaubergeに泊まります、貴子。その中のmasという石造りの伝統家屋に泊まるのだ。ちょっとした料理教室にも参加、講師役のシェフのモットーは、教室開始前に参加者とコーヒータイムを持つ事。おいしそうな焼菓子付き。なんだかその辺は、栗原はるみさんが「打ち合わせはまずティータイムから」とか何とかの記事を読んだことを思い出します。はるみ氏、甘いものが苦手な人にも配慮して胡椒?の効いたシフォンケーキとか用意していたような。おもてなしとは、奥の深い文化ですなあ。あれ?料理教室で使っていたスライサーが、うちにあるのとたぶん同じ製品だぞ。「スライサーQシリーズ、海を渡る」なのかな(^_^)/。

第23章 アルベール・カミュを巡る
リル・シュル・ラ・ソルグ
ルールマランの西へ車で30分、リル・シュル・ラ・ソルグL’Isle sur la Sorgueにやってきた。カミュも貴子も気になる(なっていた)アンティークめぐり逢いに。毎週日曜日に のみの市brocante が開かれているところなのだ。プロヴァンスの古い家具、中でも椅子専門家の店へ向かう貴子とアルノ。椅子よ、椅子。ちょっと私も、舞い上がります。様式とか全然詳しくないんですが、椅子って何というか、求心力があります。(単に好きって事かな。)今 自分が座っている椅子は、「HSKの横置き丸太を突いているキツツキ」(1952年~1969年)マークのもの。座っていると 幸せです。 

第24章 アルベール・カミュを巡る
旅をふりかえって
アルノ「アーティストを巡る旅はどうだった?」貴子「Il y a eu beaucoup de miracles.」貴子「C'était bien?」アルノ「C'était excellent.」 で、私もです!(“ザッザッと進んで キーワード(?) 書いといて、いつか振り返ろう。”予定からは、見事に寄り道だらけでしたが。)

 

 

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旅するユーロ 2 南仏の旅 02

2019-01-24 | _ゴガク_

第17章 ジャン・ラシーヌを巡る
ユゼス
ジャン・ラシーヌJean Racine(1639-1699)劇作家。ギリシア神話、古代ローマを題材とした悲劇が有名。「もちろん演劇が好き」と冒頭に表明済みの貴子がそう説明してくれました。「ラシーヌって誰?」レベルの私がそれについていきます。代表作に「フェードル」。あなたは愛している 運命にはあらがえないのですねVous aimez. On ne peut vaincre sa destinee.プロヴァンス地方の西、ユゼスUzès。人口8,000人ほど。「フランスで最も美しい。」とまで言われているんですって。17世紀の邸宅が残っている街並み。映画ロケ地になったりしています。21世紀ロケ先で出会ったマダムにユゼスの印象を問うと、彼女はここが気に入ってパリから移住してきたとの事。○程よい大きさ・人との距離感/○美しい/○パリは何をするにも遠くまで行かなくてはならない(?パリっていろいろまとまった大都会なのかと思ってた。尺度をどこに置くかかな?)でですね、17世紀のラシーヌさんも遥々パリからやってきてユゼスが気に入ったのだとか。1年ほどユゼスに暮らした。がなかなか仕事を得ることができなかった。その間にいろいろな軋轢の気配を感じとっていったらしい。→そこが彼の作風へと膨らんでいく。(で次回に続く。)

第18章 ジャン・ラシーヌを巡る
ユゼス/アヴィニョン
Et nous avons des nuits plus belles que vos jours.あなたの過ごす日々より 美しい夜がある/ってラシーヌさん、随分断定的です。一文見本訳を取り上げて言ってしまうこちら側も断定的ですが。つまりは そんな夜があるのは確かかも知れない、そう降参しているということです。さて貴子とアルノは、ユゼス公爵邸へ。現在は17代目公爵。16代目がお屋敷(お城?)買戻し、一般開放型現住邸宅。貴子Q「何部屋あるんですかVous avez combien de pièces?」17代目A「わからない(数えたことがない)。Je ne sais pas.」やはり、やんごとないです(^_^)/。
Festival d'Avignonが有名だという演劇の都(+α♪橋の上で踊ろよ踊ろよ)、アヴィニョンAvignonへも二人やってきた。演劇三昧。エンゲキって、とても豊かな響き。展覧会系は何とかしよう(行ってみよう)と思われても、エンゲキのナンガツナンニチナンジからの「何時~」に合わせ(て出かけ)るのは本当にタイヘンだ!

第19章 ジャン・ラシーヌを巡る
アヴィニョン
(貴子とアルノ、歴史的建物を回り、演劇関係の人に会い、アヴィニョンの旅を満喫していました(^_^)/。)

第20章 ジャン・ラシーヌを巡る
旅をふりかえって
こうしてアヴィニョンの演劇人と演劇話花咲いている貴子を見ていると 彼女の美が日本人女優枠からアジアンビューティー的地域の広がった美に見えてくる(揺らいでくる?)変化の感じに浸りつつ、さて、今まで俳優さんを実際に見たことがあるのは何人くらいなのだろと 余計なことを考え始めた。“「は は は。」 と 通る笑い声”の佐野周二、木暮 実千代、池上季実子、風吹ジュン、小倉一郎…こんなところ(!)に何ずらずら書いてんだーでありますが、みんな買い物途中の時などに偶然見かけた人たちでみんなTVとかで見るよりもっともっとカッコよかった。特に、小倉一郎。へー、実際はこんなにもスタイリッシュな歩き方をする人なんだ、とどこか儚げな役どころの映像の印象との違いがくすぐったかった。(見かけたのは、30年くらい前の時の話なんですが。)

 

 

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旅するユーロ 2 南仏の旅 01

2019-01-23 | _ゴガク_

第13章 フィンセント・ファン・ゴッホを巡る
アルル
フィンセント・ファン・ゴッホVincent Van Gogh(1853-1890) 赤い屋根の町、アルルArles。アルルと言ったら「アルルの女」と言ったらドーデーと言ったら「風車小屋だより」。なんだか遥々?とやってきてしまったが、“遠いむかしむかしに大おばさん(おじいさんの妹)が「はい、おみやげ。」と 買ってきてくれたものだった。”の時代の別の機会に「風車小屋だより」をその大おばさんが買ってきてくれて(もちろん子供向け大胆抄訳版と思われます。)、子ども成りに一生懸命読了したが分からなさもあってちっとも面白くない。大おばさんにそのまんま「面白くなかった」と伝えたら、そうか。じゃ取り替えてもらおう。話はとんでもない方向に進み、書店に出向くこととなった。「この子がね、この本面白くなかったって言ってるの。(概略。実際にはご当地方言での物言い。)」と店員さんに伝え、読了「風車小屋だより」は何か他の本と本当に!交換されていった。(子ども心に衝撃的で、新しいタイトルの方は全く覚えていないのだがその出来事だけ忘れることができない。昭和真ん中近辺年代のその本屋さん、ゴメンナサイ。)で アルルです。アルノはファン・ゴッホが大好きで、アルルの地を以前訪ねていたらしい。人力車で浅草観光するみたいに 三輪車タクシーに乗って「ファン・ゴッホの足取りをたどるツアー」に出かけた、貴子とアルノ。「夜のカフェテラスTerrasse du café le soir」のカフェが今もあるようです。ゴッホさんのアルルのカフェの黒ではなくてコバルトブルーの夜空に鏤められた星々の。跳ね橋には徒歩でやってきました、貴子とアルノ。跳ね橋はその周りの風景と共にすてきです。奈良・明日香村辺りの変わらぬ感と似ているのかな。(行ったことないけどね。)

第14章 フィンセント・ファン・ゴッホを巡る
アルル/サン・レミ・ド・プロヴァンス
赤い屋根そして青い空、アルル。で 本当に「アルルの女」になった、貴子。いやなに、アルルの伝統衣装オーダーメイド店で試着させてもらってたんです。特徴は「三角形スカーフfichu」「リボンruban」など。十二単のように重ね着付けされたfichuは、針でスカートに止め付ける。(針止め着付けはアーミッシュ衣装と同じかな。)まとめ髪にruban、日傘の着付け仕上がりは アルノならずとも とれびあん!っま、女優さんなんで(^_^)/。オーダーメイド店主の一言アドバイスも効いています。「あとは堂々と歩くのが肝心」

第15章 フィンセント・ファン・ゴッホを巡る
サン・レミ・ド・プロヴァンス
アルピーユ山脈の麓、東西25kmに広がる地、サン・レミ・ド・プロヴァンス。ファン・ゴッホの入院していたところがこの地にあり、貴子とアルノはそこを訪ねた。本日の貴子のファッション、ブラウスの色は黄色です。向日葵色のふんわりデザインブラウス。

第16章 フィンセント・ファン・ゴッホを巡る
旅をふりかえって
ゴッホ そして 浮世絵。「花魁」(ゴッホは浮世絵模写を3点行った。)(1887年)を説明してくれる学芸員。「花魁」展示会場の背景壁面の色は、赤。朱赤かな。1888年2月、ゴッホはパリを離れアルルに行き着いた。その日のアルルの一面の雪。弟への手紙に ゴッホはこう記す。「その風景は日本の浮世絵のようだ」 作品「雪景色」(1888年)展示会場の背景壁面の色は、ブルー。それは 広重流れなのでしょうか。

 

 

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旅するユーロ 2 南仏の旅 12

2019-01-22 | _ゴガク_

第9章 クリスチャン・ディオールを巡る
グラース
クリスチャン・ディオールChristian Dior(1905-1957)/ニュールックNew Lookと来れば 朝ドラ「カーネーション」 を思い出しますが、それにしても出てきた当時の映像の中のウエストラインの細過ぎさ。100分 de 名著「風と共に去りぬ」録画しつつありますが(あー、そう言えばハンナ・アーレント「全体主義の起原」、まだ見終わっておらん><。)、勢いで買っちゃった鴻巣版第1巻のジャケットカバーのスカーレットより細いかも、ディオール・ウエスト!…は置いといて、貴子とアルノ、グラースGrasseに来ている。カンヌからおよそ12km、ディオールの別荘(Le Château de la Colle Noire)があってそこを特別見学中。1950年頃(1951年?)に購入、ということは ディオール晩年のバカンスを過ごしたところ、だそうです。近年再入手、修復されて2016年にグランドオープン。信心深かったというディオールさん、寝室のベッド上部梁みたいなところに幸運の星étoile porte-bonheurが組み込まれていた。幸運を身に着ける→アクセサリー→リングと辿ると、星の他に蜂やクローバーetc.もあるみたい。個人的には “OUI” リング が気になった。写真に写るモデルさんは、見える範囲でも人差し・中・薬・小指、4つの“OUI”を身に着けていた。そんなにも“OUI”と答えたくなる愛の誓いに圧倒されました。
ところでグラースは世界的に有名な香水産地。フランス産香水の半分以上を生産。香水店に寄る二人。「バラの記憶」というネーミングの香水をすすめられる貴子。「モーターオイル」(男性向け)なんてのもあり。香水の名前って奥深いものですなあ。自分向けにもし作ってもらうとしたら、「日々新面目あるべし」なーんてのを作ってもらいたい。硬すぎる、か。(博物館サイトに行ったら英訳が付いていた。Everyday should be a new day.(^_^)/。)

第10章 クリスチャン・ディオールを巡る
グラース
Le parfum,... c'est la "finishing touch " d'une robe.香水は 女性の着こなしに必要な 最後の仕上げ Christian Dior/フランソワ ドゥマシーFrançois Dumassey/香水クリエーターparfumeur セドラ 仏陀の手 ミカン属(食べられるん?)
トリスタン・ド・グドーの「つづり字と発音のABC」 今回は「oi」わ。遥かなる昔、先生が「お岩(さん)」と覚えるとよい、と教えてくれました。遥かなる昔。。。(なんだかそれくらいしか覚えていなくて儚いぞよ。)(さて、なんということだ。録画は「緊急地震速報」も録画されるのであった。再生途中、あの音が流れた!)

第11章 クリスチャン・ディオールを巡る
グラース
女性の次に 最もすばらしいのは花である ディオール/ディオールさん、花の中でも特にグラースのバラが好きだった。「5月のバラrose de mai」のまさに今、貴子とアルノ、グラースのバラ園にやってきた。バラ摘みは朝にする。(あら枝豆みたい。と私、食い気先行><。)バラ摘みのための起床時刻は、5時起き。 「バラが特に香る瞬間があるの その時に摘まなくちゃ」 まだ見たことのない映画、「緑の光線」のことがふと頭に浮かんだ。

第12章 クリスチャン・ディオールを巡る
旅をふりかえって
南仏ゆかりのアーティスト ジュリアン・ドレJulien Doré/「Le Lac(湖)」 ジュリアンにインタビュー。「リフレインに真のメッセージがあります」 このタイミングで聞いたら、 OUI・OUI・OUI・OUI が目の前に押し寄せてきたぁぁぁぁ。

 

 

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旅するユーロ 2 南仏の旅 11

2019-01-21 | _ゴガク_

第5章 マルク・シャガールを巡る
ニース/サン・ポール・ド・ヴァンス
Marc Chagall(1887-1985) ロシア→パリ→晩年はずっと南仏 ...il ya une seule couleur...qui fournit le sens de la vie et de l'art. C'est la couleur de l'amour.人生と芸術の意味を与えてくれる色が ひとつだけある それは愛の色だ 貴子とアルノ、世界的に有名なホテルレストランへ。メインダイニングルームなのかな、壁一面に歴史に名だたる画家の作品が。もちろんシャガール、ミロ、レジェ、ピカソ、マティス…。ところで、レジェ。フェルナン・レジェ。で レジェって誰?(ごにょごにょ検索。)あ、「読書」の人だった。。。

第6章 マルク・シャガールを巡る
サン・ポール・ド・ヴァンス/ニース
(貴子とアルノ、いろいろお出かけしていました(^_^)/。)

第7章 マルク・シャガールを巡る
ニース
Ben(Ben Vautier)/Fluxus 例えばトラム駅名と「ちょっと一言」にも、Benの書き文字が使われている。ちょっと一言、「自由でいること」が掲げてある「ガリバルディ」という駅。「自由でいること」と 今ふと思った「おまえも死ぬぞ」とは 何が違うと言えばいいかな。その日その時をどう広げるか、に対して どう収めるか、風な違い?

第8章 マルク・シャガールを巡る
旅をふりかえって
練習する文章が 「J'ai mal aux pieds.」 画面には石畳の道の続く様子。実践的でありまする(^_^)/。も一つ、Benさんの言葉。「過ぎていく時間はユートピアであるle temps qui passe est une utopie」 フランスのシンガーソングライター、ヴィアネVianneyに好きな言葉を聞く。「哀愁mélancolie」。響きも意味も好きなのだそうだ。あら、Vianneyさん。私は“ りた。 私はこの音(オン)が好きなのだ。”なんですよ。意味?意味はないけど。

 

 

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旅するユーロ 2 南仏の旅 10

2019-01-21 | _ゴガク_

第1章 ジャン・コクトーを巡る
ヴィルフランシュ・シュル・メール
地中海沿岸ニースNiceにやってきた。誰が?常盤貴子が。(2017-10-10、録画時とこの再生とだいぶ時間がたった。)青くて穏やかな海。(そういえば、もらってきてかけてあったカレンダーの1月2月は ルノワールの『ジャンヌ・サマリーの肖像』。おや?ルノワールさん、没後100年ですね。と すぐ色々飛んでしまう。仏語に戻って、)旅のパートナーはアルノ・ル・ギャル、1978年フランス生まれ。(トリスタン・ド・グドーもどこかで出てくるらしい。)貴子とアルノと二人、ジャン・コクトーが大好きだったという町ヴィルフランシュ・シュル・メールへバスで向かう(ニースからバスでおよそ10分)。その地のホテルで コクトー話あれこれ。コクトーの映画「オルフェの遺言Le Testament d'Orphée」(1959)のロケ地にも行ってみた。わっ!Orpheus/Orfeo/Orpheusだ。コクトー映画にはそもそも、「オルフェ 」(1950)という作品もあるようで目が回りまする。 

第2章 ジャン・コクトーを巡る
ヴィルフランシュ・シュル・メール
サン・ピエール礼拝堂 と 魚のスープ。(。。。短い。録画たまっていて、でも気になるので、ザッザッと進んで キーワード(?) 書いといて、いつか振り返ろう。) 

第3章 ジャン・コクトーを巡る
サン・ジャン・キャップ・フェラ/ニース
ニースから東に6キロ、サン・ジャン・キャップ・フェラ。1908年創業の高級ホテル。Le style est une façon très simple de dire des choses compliquées. Jean Cocteau 様式とは 複雑な物事を とてもシンプルに語る方法

第4章 ジャン・コクトーを巡る
旅をふりかえって
Jean Cocteau(1889-1963) 今日たまたま見かけた 青山士 の没年も1963。なんとなく、書いておく。

 

 

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