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これどうしようかな・・・どうしようか考えてみます。

EURO24-6 独・西・語 3(4-3) 寄り道 「夕映えの道」

2015-05-31 | _気な・気な_映画・ドラマ_

“…で なんだか ドリス・レッシングの方がなぜか気になりだして手元に用意してみたが、ページ進まない。。。”
本は進まなかった。映画ならどうだろう。借りることにした。


「夕映えの道」


ドリス・レッシング原作ではロンドンが舞台とのことだが、映画では パリ。20区。ルトレ通り。
主人公イザベルが近くのドラッグストアで 偶然知り合った 一人暮らしの老女、マド。
処方箋を手に レジの薬剤師に詰め寄っていた、マド。
本人はアスピリンを処方してもらったつもりなのにValiumになっている、
そのヴァリウムとフリガナのついている映画字幕の日本語が「鎮静剤」になっていて
…Plus que morte Oubliée.
のところで 「鎮静剤」という言葉に出会ったばかりの私としては、
こちら側の巡り合わせに 少し驚いた。


マドの頑なさに 
会ったこともない mori mariばあさん に遭遇しているような既視感が揺らめき、
それじゃあ私は イザベルか小島千加子か…、
勝手に盛り上がりながら 静かな映画に ひきこまれていった。


DVDに付いていた監督インタビューでは 
この作品がデジタルビデオカメラ撮影であることに質問がまとめられていた。
監督の手もとに置かれたそのデジカメ、
何だかうちにあるのと同じものに見えたけれど、こんなに味わい深い作品一本作れてしまうんだな。
イザベル役は 当初 ナタリー・バイ だったとのこと。
わっ、「緑色の部屋」。
あちこちで わっわっと驚きながら 再生したのでありました。
(出発点は独語なのに 寄り道先は すっかり仏語であります(・o・)。)


 


 

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直江の浦。雑太。(直江津。)(佐和田。)…「読んで」から「見た」のです。

2015-05-22 | _気な・気な_映画・ドラマ_

「山椒大夫」を録画した。
そういえば 鴎外原作、読んだことあったかな?
(その昔 厚紙絵本で、「安寿と厨子王」を読んだような気はするのですが。)


では、と 先に読んでみた、そして録画再生した。


切なさ、虚しさ、緊張感。
読んだ時と見た時と それぞれに面白く、それぞれに違った。


やはり気になった、姉か妹か、という点。
「東京物語」 1953
「山椒大夫」 1954
こう並べたら 「妹」配役に 私も一票、そう流れていきそうです。


 


 


 

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緑の中の平面ジェットコースター

2015-05-18 | _気な・気な_

「では、また来年。お元気で。」

まるで 緑の中の平面ジェットコースターだな。
疾走する移動体、
右にも左にも今この季節の
幾通りもの色重ねの
緑の中の平面ジェットコースター。

右手に見下ろす
際にあっては軽く渦を巻く水流までもが、
苔むしたような粋にも渋い緑色だ。

疾走する移動体、
トンネルもあっという間に
長いのか短いのか、分からぬままに そして そして。

三脚のずらりと並ぶポイントも(いったい 何人いるんだろう。) 
二人、一人 ぽつねんとその時を待ち構えるポイントも
私(たち)にとっては 走り抜ける、流れる、後ろへ 後ろへ。

ゆったりと止まる。

彼らの待ち受けたるものは 止まることなく 早くも遅くもなく行き違っていった。
それでは こちら側とて出発です。

日が高くなりました。風、さやさや。葉擦れ、シャラシャラ。
水の色は いつのまにかに 水色です。

 

「旅の人は
シベリアまでも いってしまったのだろうか。」

…すかれて田となりぬ。
疾走する移動体、時々に続く早苗田に 昔教えてもらったフレーズが続いた。 

「では、また来年。お元気で。」

 

 

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海を見にゆく  18世紀少女と20世紀子供

2015-05-14 | _気な・気な_映画・ドラマ_

♪ Live your life with arms wide open
    Today is where your book begins
    The rest is still unwritten…


『Unwritten』を高らかに歌いながら、16歳になったばかりのアーミッシュの少女・アンナは
ラムスプリンガのために 外の世界に走り出した。
けれどそこは、金髪ロングヘアーの女性刑事が殺人課にいるフィラデルフィア市警の管轄。
ってことは その先に大きな事件が待っていて(*_*)…、の 
一時間もの刑事ドラマの中のお話であります。


アンナが住んでいたアーミッシュ・コミュニティの地、ランカスターを確認しようと地図を広げた。
フィラデルフィアからもボルチモアからも ほぼ等しく遠い だいぶ離れた内地にあった。
ラムスプリンガ、
アーミッシュが近代的な暮らしを経験してその先の生き方を決める儀式、その始めの行き先の一つに
アンナは 海に行きたがった。まだ海を見たことがなかったのだ。


 


私が初めて海を見たのは たぶん4歳か5歳の頃だったと思う。
家族が何かの集まりで海辺の町に行くことになり、
遊びでもないのに私も付いていけることになったようだ。
集まりに来ていたのは大人ばかり。ちっとも楽しくなかった。
休憩時間に浜まで連れて行ってもらって、気持ちは一変した。
ざざ ざざざ。波が来て、波が去り。それだけでころころと面白かった。
太平洋を初めて見た日だった。


昼食は やけに広い集会室のようなところに
仕出し弁当のようなものがテーブルの上に並べられていた。
会議用の折畳みテーブルを何個も細長くつなげたような形にしてあって、
連れていってくれた家族と一緒にその部屋に入った途端、
私は自分の座るべき場所がすぐにわかった。一つだけカレーライスが用意されていたのだ。
スプーンには 紙ナプキンがくるりと巻かれ、きゅっとねじり止められていた。


 


 

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「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

2015-05-09 | _よむ__

“「疑う」は哲学で 哲学は人生か。
ポール・オースターぐるぐるに着いていく、私も探偵になっていました(^_^)/。”
ほっぷ 「幽霊たち」から すてっぷ 鴻巣 友季子に流れ着き、あんどじゃんぷ 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだ。

村上春樹、久しぶり。
“村上春樹は好きだったので よく読んでいた。”と書いておいて どこら辺まで読んだんだっけ、と 年表のようなところへいったら
ハードボイルド辺りで途切れているような気がするのだ。
その後の年表の長さに驚いて、 「“よく読んでいた。”なんて書いておきながらそんなに読んでいないではないか。」「いやいや、私としてはよく読んでいた方なのだよ。『風の歌…』って本があるよって教えてもらって。。。誰に教えてもらったんだったかなあ。」おいおい、誰と話しているんだい?の自問自答状態となった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

十年くらい前に読んだ本のあとがきに
「人生に必要なのは『仕事と友情』だ。」 ( 『森まゆみの大阪不案内』 ) 
という言葉 * があった。

主人公・多崎つくる には 天職のような仕事と 途切れた友情があって、その友情の途切れ方というのが凄まじかった。断ち切られたのである。
森まゆみの「友情」はライブなものであって、というか 友情、と言う時のそのほとんどはライブなのであろう。そうではない、すでに途切れた、断ち切られた友情。友情は無くなったのに 存在したという過去と 断ち切られたという大きな傷口は つくる の中に今もあった。なぜ断ち切られたのか、その理由すら つくる には分からなかった。そこから つくる がどう生きてきたのか。いくつかの言葉が繰り返し出てきて、その様子を伝えている。
「洗濯と入浴と歯磨き。」「プール。」
清潔と 重力からのちょっとした解放。
その「育てている」感に 気を引かれながら読んでいった。

 


その言葉がずいぶん気になった私は、読後ノートに書き写していた。けれど このノートはあまり続いていない。ご六フレーズくらいしか書き込まれていないのだ。あ、こんなノート作ったんだったと時々見返すのだが、そのせいだろうか そのご六個の言葉がその時の感動以上の強調となってノートに眠っている><。

 

 

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