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これどうしようかな・・・どうしようか考えてみます。

「世界名作の旅」に出る 2-15 コナン・ドイル

2025-06-09 | _よむ__
「バスカビル家の犬」
「バスカヴィル家の犬」

この頃では 後者の表記の方が多いでしょうか。
「世界名作の旅」 朝日新聞社 昭和41年版(全四巻) では、前者です。
などとじっと見ていたら、来たね、ゲシュタルト崩壊。
(イヌが犬ではなく大に何か付いている?に見えまする><。)
は置いといて、「バスカヴィル家の犬」 小林司・東山あかね訳 河出書房新社 を読んだ。

◯ The Hound of the Baskervilles
◯ hound 猟犬 → 定着している邦訳は バスカヴィル家の「犬」 でも本当は バスカヴィル家の「猟犬」って意味ですよ、と 小林司・東山あかね両氏は書いている。
◯ 「世界名作の旅」に載っているカラー写真は、英国南部のダートムアー地方の木立とカヤぶき屋根の家。急に連想気になって、イングランド北東部のノーサンバーランド州と英国南部のダートムアー地方の2か所を地図に探した。
◯ イングランド北東部のノーサンバーランド州は、楽しく見ている「ヴェラ~信念の女警部~」の舞台。(「ヴェラ」の事件ってイギリスのどの辺りで起こってるんだろう。地名で確認しようと思って、そのままだった。)―ホントウダ、英国は北東と南に2か所の地名は出てきた。ノーサンバーランドの風景はこちら方面と特に空の色が似ているのです。雲の色かな。天気予報だったら「くもり」って一言かもしれないけれど、曇っているけれど明るいは明るいんです。
◯ 何のタイトルのもとに今書いてんだか、コナン・ドイルでした。で 読みました。

「世界名作の旅」この回の担当者が
「バスカヴィル家の犬」は、ドイルの最長編小説で、世界探偵小説の古典とされている。
と書いている。
そんな風に書かれていると 何かしらの達成感に浸れて、良いもんどすなあ。
面白かったしハラハラしたけれど 最長編を読了した、にしては 割りとすっきり頂上に来ました、みたいな気分。
ベネディクト・カンバーバッチの「SHERLOCK(シャーロック)」が
いちからじゅうまでわかりませんっ><。面白いけど!?ね。
だったのと比べてしまうからかなあ。

この回の担当者は
◯ 「シャーロック・ホームズ協会」創立者の一人、アンソニー・ホウレット(ハウレット)と会い
◯ 「バスカビル家の犬」の舞台、ダートムアー地方を巡り
◯ スコットランド・ヤードの警視や警部に話を聞きに行っている。
副本部長・バルドック警部はこう言った。
「刑事の離婚率は、おそらくどの職業より高いでしょうな。日本ではどうです?」
「刑事モース〜オックスフォード事件簿〜」の中の誰かが言ってるみたいに聞こえました。。。


[2025/06/09 投稿]



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「Newton」 2024年10月号 もつれる量子

2025-05-18 | _よむ__
「量子物理学(2021)」(放送大学)全15回、第6回まで再生。
ろっかいまで行ったことに驚き、ってか、先に進みません。
で、雑誌にやってきた。
「Newton」 2024年10月号 もつれる量子
  ↓
なんとか読んだ。
  ↓
では。
NHKスペシャル 「量子もつれ アインシュタイン 最後の謎」
を これから も一回 再生だあ(^^)/。



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「新和風のすすめ」

2025-05-11 | _よむ__
「新和風のすすめ めいめいの暮らし、クリエーティブに」 秋岡芳夫著 モノ・モノ文庫 2020.11 A

書名は(奥付によると)
「新和風」のすすめ めいめいの暮らし、クリエーティブに
なのかもしれません。

最近
「わたし時間を取り戻す 暮らしの技術」 阿部絢子著 だいわ文庫 2023/12 B
を購入。通読というよりは時々パラパラ読み、したい本で
◯ あー、(買ったはいいが)読んでないなー
◯ あー、(貰ったはいいが)読んでないなー 群の本と一緒に並べて 背なんかを眺めています。
その中に
「新和風」のすすめ めいめいの暮らし、クリエーティブに
が あった。
久しぶりに パラパラ ページを広げてみると
AとBには 何か同分野感?を感じるのだった。

さっくり体操かなんかして 今の自分の力加減を体感したなら、ほれ、飛んでごらん(^^)/。自分の好きなベクトルを感じられるよ。

なーんてなことが書いてある気になってくる。
◯ 片付ける。
◯ 暮らしを整える。
の中の 「今」 を探せ。それはたのしいのかも。せつないのかも。



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「キリンのなやみごと」

2025-05-08 | _よむ__
絵本「キリンのなやみごと」。
しかけ絵本です。
読んでみた。

◯ 黙読

面白いなあ。音読もしてみよう。

◯ 音読
◯ 音読 誇張バージョン

読み聞かせの対象が周りに見当たらない、今日この頃ですが
一人音読
一人音読 誇張バージョン(要は「受け」を意識してのちょいとオーバーな読み方)
共に面白い、楽しい。(→自分自身への読み聞かせみたいになっている。)
前者は フツーの読み方、と言うのか 訥々バージョンとでも言うのか
それが「面白い」と感じるのが新鮮。
後者は後者でその誇張に照れるどころか、これはこれで必要脚色(^^)/なんて感じる、そこも新鮮。

黙読と音読の違い、も 今回やけに気になった。例えば

春色の汽車に乗って 海に連れて行ってよ

これの 黙読/音読/歌うように の違いくらい気になった。
何書いてんだか。。。


春色の汽車に乗って 海に連れて行ってよ

春色の汽車に乗って
海に連れて行ってよ

♪ 春色の汽車に乗って 海に連れて行ってよ



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「誤解を招いたとしたら申し訳ない 政治の言葉/言葉の政治」

2025-04-20 | _よむ__
「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいた時に
「誤解を招いたとしたら申し訳ない 政治の言葉/言葉の政治」 藤川直也著 講談社選書メチエ 2025年02月
という新刊案内を目にした。で、その題名が気になってしまった。
↑んもう、この書き方自体がこの本の内容に取り込まれているような雰囲気なんですが
◯ 誤解を招いたとしたら申し訳ない という表現には、出会う度に思いが残る。
◯ 「その通りには受け取れない」のではないか、と構えるからだ。
◯ それは「ねじまき鳥クロニクル」という作品を読んでいる時にも湧き上がっていた感覚だった。「その通りには受け取れない」のではないか。誰の発言・行動について?それはもう、一旦そう思いだすと出てくる人出てくる人、そう思えてきてしまう人だらけ。

で「ねじまき鳥…」も読み終えたことだし、「誤解を招いたとしたら申し訳ない…」を読んでみることにした。
が、。。。難しかった。読み進まなかった。

少しは読めた
第九章 犬笛とイチジクの葉

「犬笛」と「イチジクの葉」
という言葉をここに書き写しておこう。



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「ねじまき鳥クロニクル」+「100分de名著」

2025-04-14 | _よむ__
「ねじまき鳥クロニクル」、読了。
面白かったかと自分に問えば面白いの先の(手前の?周りの?)「気になる。」「この本の中の人たちが。」に引っ張られての読書だった。
元々の出版年はいつ頃だったのだろうと見にってみたら、
1992とか1994とか、30年ほどの昔。
登場人物の日常に(ストーリー展開はそりゃタイヘンですが、生活の所作なんかに)
そんなに目新しさを感じない、そこに新鮮さを感じた。
んんん?矛盾を買って出ているが、
2025年の今に読んでいると主人公のライフスタイルがそう特出したものに感じられない、そんな現代での浸透性を感じた。

初めて読んでおりまするが、長かった。
よく読み通せたものだ。
「100分de名著」で取り上げられると知ったから弾みがついたとも言えます。
その 第1回 日常のすぐ隣にある闇 を見た。
沼野充義さんも初めてお見かけしたんですが、なんとも軽快(第一印象)。
その印象に引っ張られて、作品「ねじまき鳥クロニクル」も弾んで?いく。
読んでから見て、の順で(私の場合は)よかった。



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『ベニシアの「おいしい」が聴きたくて』

2025-04-03 | _よむ__
『ベニシアの「おいしい」が聴きたくて』 梶山正著 山と溪谷社 2024.3

梶山さんは妻のベニシアさんを2023年の夏至の朝に見送った。
8年間における闘病生活だったそうだ。
梶山さんは写真家で登山もよくなさるようだ。
そう思って読んでいくと この本の文章に山行きの人の呼吸を感じた。
【今のこの状況を自分はこう感じている。】―それは、
「新しい時代の技術者倫理」の「セブン・ステップ・ガイド」、「で、どうする?とにかく直感的な思いをまず表現してみなさい。」を思い起こすこととなった。

かてて加えて
“パンデミック期、確かに日々暮らしていたはずなのに この頃思い出そうとすると 思い出せはするが、「絶対的時間」みたいなモノががついてこない。年齢はきちんと5年6年増えていて、でもそのすっぽり抜け落ちたように感じる時間を探しに行きたくなる。”
気味の私としては、
読み進むことが勉強していくような気になってくる本だった。
自分の人生に照らし合わせての
予習?復習?どっちも?



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「結局、会社は思うように動かない。 上手に働く人の社内コミュニケーション」

2025-03-13 | _よむ__
「結局、会社は思うように動かない。 上手に働く人の社内コミュニケーション」 下地寛也著 総合法令出版 2025年2月

あ!たらい回しだ!と思ったら。
をそれこそぐるぐる考えている時に
相聞歌(違うね、意味><)かなんかのように この本を読み始めた。

短めに章立てされた内容。
序ー3 仕事においてコミュニケーションが得意かどうかは関係ない
序ー7 コミュニケーションに本番はない
3-4 報告時にメモを渡す絶大な効果とは
3-13 根回しとは単なる事前ヒアリング
↑etc.「たらい回し・連想ゲーム」で引っかかった章をとびとびに読んでいった。

と、ほんの少し読んだだけですが
「あ。(こんな風に心掛けたら)たらい回るの、止められるのかも!?」と期待してしまいました。
この「社内」を「人生」に応用することはできるだろうか。
(展開し過ぎかなぁ。。。)



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「量子とはなんだろう 宇宙を支配する究極のしくみ」

2025-03-12 | _よむ__
「量子とはなんだろう 宇宙を支配する究極のしくみ」 松浦壮著 講談社ブルーバックス 2020年06月

「Newton」2025年2月号 大特集「量子力学100年」 の表紙や出版広告には

すべては、粒であり、波だった(すべては 粒であり 波だった)

という キャッチフレーズ? のような小見出しが付いています。
では。
この本、「量子とはなんだろう 宇宙を支配する究極のしくみ」ジャケットカバー後ろの方に行くと

「量子は、粒子なのか波なのか」
――長らく続いていたこの論争は、
「量子は、粒子でも波でもない何かである」という
予想外の結論に至りました。

と すべては、粒であり、波だった の先に行っています。(デイイノカ?)

で読み始めましたが、すぐ読み続かなくなった。
少しの抜き書きはしてみた。

◯ 量子の世界では「存在すること」と「見えること」は同じではあり得ない(p.7)
◯ フラッシュメモリのような半導体技術からMRIのような医療技術に至るまで、量子力学を駆使したさまざまな科学技術が開発されて、私たちの生活を豊かにしてくれている(p.7)
◯ 量子を表現する方法はひとつではありません。ハイゼンベルクの行列力学、シュレディンガーの波動力学、ファインマンの経路積分などなど。(p.11)
◯ 「太陽は何からできているか知っていますか?」…太陽は水素(とヘリウム)の塊です。(p.86)
◯ 水素の塊が高温になれるのは、酸化反応ではなく、水素の原子核(陽子)4個が融合してヘリウムの原子核1個になる「核融合反応」のおかげ(p.90)
◯ 夜空に輝く星々のほとんどが、太陽と同じように水素の核融合によって光っている(p.90)

すいそってすごいのね
どこで どこに向かって 呟いてんだか、呟いています。



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「過越しの祭」「ロサンゼルスの愛すべきダンス仲間」

2025-02-19 | _よむ__
「山火事で「全て失った」 LA在住の芥川賞作家・米谷ふみ子さん」
毎日新聞 2025/1/15 20:58(最終更新 1/15 20:58)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

米谷ふみ子作品を読んだことがなかった。
と、上記のニュースを見て思った。
  ↓
「過越しの祭」と「ロサンゼルスの愛すべきダンス仲間」を読んだ。
(何というきっかけで読むこととなったことか…。)

米谷ふみ子氏は1930年大阪市に生まれ、94歳。
1952年、大阪女子大学国文科卒業。
1960年、アメリカのマックドウェル・コロニーから奨学金を受け、渡米。同年、ジョシュ・グリーンフェルドと結婚。
1985年、「過越しの祭」で芥川賞と新潮新人賞を受賞。

ふと須賀敦子のことが浮かび、経歴を見に行った。
須賀敦子
1929年、大阪生まれ。
1951年、聖心女子大学文学部外国語外国文学科卒業。
1960年、ジュゼッペ・ペッピーノ・リッカと出会い、1961年結婚。
1991年、「ミラノ 霧の風景」で女流文学賞、講談社エッセイ賞を受賞。

自分の親世代なんだなあ二人は、ちょうど。と
今更のように感じ入った。
大学に通っていたり、渡欧、渡米、…、そういう特別な人々、という思いが先に来ていて、
けれど今回、年表みたいに眺めてみると
経歴を外し、年代だけを身内と並べれば
自分の親世代なんだなあ二人は、ちょうど。と繰り返す思いになった。

「ロサンゼルスの愛すべきダンス仲間」は マガジンハウス、2013.05.23発行。
雑誌「クロワッサン プレミアム」に連載されたエッセイを中心に加筆修正されたもの。
2013年ならば、米谷さん82歳。ダンス歴はかれこれ30年(フォークダンス系)。
「著者がロサンゼルスのダンス教室で出会った、愛すべき普通の人たちの普通でない人生とは。」(出版社サイトより)とある、
“ダンス教室で出会った、愛すべき普通の人たち”の年齢層は高い。
80代、90代、100歳も!お仲間の方々もダンス歴数十年と長いのかしら。
ある時(と言ってもイラク戦争が始まった頃の事ですが)米谷さんは気付く。
その時のクラスのメンバーで戦争(第二次世界大戦)体験のある人は、米谷さんともう一人、1939年にワルシャワ近郊に住んでいたユダヤ人・スポラの二人だけだった。(p.082)
「このクラスのアメリカ人は、戦争のことを何も知らない。」米谷さんはそう続けていた。
時は巡る。ダンス教室のメンバーも巡る。
米谷さんとスポラが体験していない「戦争」体験を持つ人々が現れる。
1952年春、ネバダ。
1950年、漢江の橋を越える。



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