紙類スキー(^_^)/などと口にしているうちに
「私は小紙片(≒切り抜き)が好きです」とおっしゃる 三國一朗さんの本、
「鋏と糊」 ハヤカワ文庫 1987 をもう一度、ぱらぱらと眺めていった。
バウハウスの先生でもあったパウル・クレー関連の小紙片の話も載っている。
〔クレー 「涙」 (デッサン)〕
ユーモアとは、涙の中の笑いです。ドイツのことわざにもあるように「にもかかわらず、微笑する」ことです。クレーは、一つの顔の中にも悲しみとおかしみを同時に描き込むことのできた画家ですが、この顔をみていると、子供のころのあの泣いているのか笑っているのかわからないといった、不思議な心理状態が思いだされてなりません。一筆がきに似た簡単なデッサンですが、実にほほえましい作品といえるでしょう。(p.156)
(この小紙片は新聞連載記事の一部で、その連載はのちにまとめて単行本化されたようだ。坂崎乙郎「女の顔」美術公論社1979 p.147に 〔クレー 「涙」 (デッサン 1933年)〕 として収められている。)
三國さんは続いて、「私が再録したこの解説を読んで、このクレーのデッサンを見たくなった、という方がいらっしゃるのではないでしょうか?」と書いていて、まさに私がそのデッサンを見たくなって 「女の顔」 をネット古本店で買い求めたのだった。
手元にやってきたその本を広げ、目次で確認したp.147に行ってみると
そこに本当に 「子供のころのあの泣いているのか笑っているのかわからないといった」表情のものが現れた。遠い昔の自分のような、それとも、遠い昔にあるいはそう遠くない時に見かけた誰かのような、自分の中に呼び覚まされた何かを感じた。
本の帯には 「112の女の顔!!」(が収められている) とあって、タイトルページを開けると 青インクで「坂崎乙郎」と縦書きのサインが入っていた。その書き文字の面白い美しさ(「乙」が「2」みたいに見えて、そうみなすと「坂」の旁部分は「3」のように略されていて、「郎」の最後の画は思いっきり引っ張られていて「1」になっている。3,2,1!のカウントダウン・サイン(^_^)/?)に魅せられるままに 他にも何か書き込みはあるのだろうか、繁々と見ていった。
そのほとんどが1ページに1作品の割り振りになっていて、ページのナンバリングも 右ページは右下に、左ページは左下に印刷されている。ただ、「繁々」眺めていたせいで 変なことに気がついた。2か所だけ ページの印刷が違っているのである。一つは、そのページで扱っている作品の縮尺上ページ数を印刷する場所にかぶさってしまったのだろう、ページ数印刷がされていない。もう一つは、眺めている私にはなぜそうなっているのか理由を想像することができない、実に不思議なところにページ数が印刷されていた。左ページなのに そのページの右下に印刷されているのだ。そしてそのページが まさにp.147 〔クレー 「涙」 (デッサン 1933年)〕 のページなのだ。
なんで右下なんだ?校正ミスなのかな?ぼんやりと気にしながら 「あとがき」 のところにやってくると そこに思いがけず「三國一朗」という文字が現れた。「ハサミとのり」(「鋏と糊」の元版)の中で 「これは実に美しくチャーミングなつづきもので、スクラップのたのしみが倍加したことをおぼえています。」 と書かれていたことへの謝意のような文章が出てくるのです。
3,2,1!の坂崎さん、とひとり面白がっていたところに 三國さんの名前も出てきたものですから
これは校正ミスではなく
おちゃめな坂崎さんから三國さんへの サンキュー!メッセージ だったとしておきたくなった、
真夜中の本読み、いや、本眺め。