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これどうしようかな・・・どうしようか考えてみます。

「世界名作の旅」に出る 1-6 マイアーフェルスター

2007-10-30 | _よむ__

戯曲「アルト・ハイデルベルク」の著者、マイアーフェルスターである。
名前はまだ無い。…とか何とか ちゃかしてごまかしそうになるくらい、
マイアーフェルスターの名を知らなかった。
けれども それはどうも私だけではなさそうだった。

この回の旅行記は
「忘れてしまったのか。捨てられたのか。
それとも、やはり、名作ではなかったのだろうか。」と
なんだか 活動の弁士になったような始まり方だ。
この回の作品、「アルト・ハイデルベルク」の舞台は もちろんハイデルベルク。
現地に赴いたこの回の著者は 周りの人々に「アルト・ハイデルベルク」の事を
たずねてまわるが、この作品を知っている人になかなか巡り会えない。
メリメ「カルメン」の回に状況が似ているようでもあるが、
こちらでは 大学近くの本屋の店員、
独文(当地ですので“国文学”ですネ)専攻という女子学生…と
知っていてもよさそうだなと思われる相手からも“振られて”しまっている。

作品解説によると
日本では大正二年に 坪内逍遥の文芸協会が最初に公演し、
主人公と恋に落ちる娘ケーティーの役は 松井須磨子が演じている。
こう読んだだけでも 日本での当時の人気がだいぶ伝わってくるような気になるが
さて どうして本国の方では忘れ去られたようになっているのか・・・

まあそれは 文学の専門のかたに任せたっ!
ハイデルベルクの近く(と言えるのか?)にはライン河も流れているようだし
久しぶりに 犬養道子「ラインの河辺」を広げてみることにした。
(オプショナルツアーに ようこそ。)

1976年(手元にあるのは1991年増刷分)の中公文庫版。
いやあ、活字が小さい 小さい。
それで読み進めにくいかというと そうでもない。
活字の組み方、余白の配分、・・・見慣れたレイアウトはそれだけで
どこか心安らぐものです。
雑誌(?途中からムック?)「暮らしの設計」に載ったものをまとめたもので
当時ボンの郊外に在住の犬養さんだったので 表題となったようだ。

この本で
 ○ 「ドレーキップ窓」の存在を知った。
 ○ 書類整理の要は「とじこみ穴」にあり、と受け取った。
   (あー、その割りにこの頃 紙類の並べ方に行き詰っている。
    2・3年ごとくらいにいろいろ試行錯誤していたら
    収拾つかなくなってきたんです。)
   (そういえば 役所のお知らせがリニューアルした際に
    2穴のとじこみ穴がつくようになった。
    これが 周りで評判がいい。
    Aさん「あれ(2穴のこと)いいわよね。」
    Bさん「そうそう。先に(とじこみ穴が)あいていると
        なんとなく ファイルしようという気になるのよ。」
                      ・・・とのことです。)
 ○ 「ケルンの家具屋」を知った。
   と言っても この本の中でしか知らないのだけれども
   「おべんとう持ちで行くのよ。二日がかりで行くのよ。
    半日なんかじゃ見切れませんからね。ただ見るだけでも」と
   犬養さんの友人が紹介している 「P」というお店、
   読んでいるだけでも わくわくしたものだった。
   「P」は なんという店名の頭文字なのだろうと、ケルン 家具 で
   検索してみると ケルン国際家具見本市 関連のところがたくさん出てきた。
   おー、楽しそうですね。
   新し物好きで優柔不断(数 見ないと決断できないタイプです)な
   私には、“国際家具見本市”の響きは TDLと同じです!!
   これで 購入もできれば天国ですが・・・
   お金が… スペースが… 足りない物だらけだいっ。 
   (結局「P」は 何の略かわからなかった。)

そろそろ本旅行の方に戻らなければ・・・

戦争で爆撃されなかったハイデルベルクは
古城と大学の街として 観光客を集めているが
それは車の洪水も起こしていた。
狭い石畳の道は歴史の記念碑でもあって 簡単にはひろげられない。
さてこちらは 約40年後の現在の新潟ですが
先週 県内最大級のモール型ショッピングセンターがオープンし
やはり 車の洪水も起きているようです。
そうは言っても やっぱり見に行ってみたいよう。
ケルンの家具屋よろしく、二日がかりくらいの広さかなあ・・・
(勝手な想像ですが。)

で、「アルト・ハイデルベルク」は どこへ行った・・・。

 

 
[2012/10/18 編集]

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光石研・連想ゲーム 3 内野聖陽→有賀の涙 ハゲ×ハゲ×ハゲ付き 2 <気になる・気になる>

2007-10-25 | _気な・気な_スポーツ_

“本城くんブーム”あたりからラグビーを見るようになった、一般的女子です。
スタンドから「(代わりに)瀬古出せぇ、せこおぉー!」のヤジが飛んで
(↑そのシーズン、チームは少し不調だったと記憶…)
周りでどっとウケていた、あの頃・・・
何年前?えっと、もう四半世紀以上も前ですか。やれやれ。

歴史はあるが 中身が無い→それは、私!!!!!!
未だにルールがよくわからん。
なぜここで笛が鳴らず、なぜそこで笛が鳴るのだ?
そんなギモンは一試合中“茶飯事”です。
それでも ラグビーは面白い。
野球は高校野球という人がいるように
ラグビーは大学ラグビー、私の中ではそんな感じがある。

高校ラグビーは
華奢なイメージがあって(頼まれてもいないのに)ハラハラしちゃうし
社会人ラグビーは
おっさんおっさんしてて(ゴメンヨ そんな風に見えちゃうの・・・)
………残るのが大学ラグビー、でした。
それがあるとき
「早めに子どもが生まれる という人生だったら
この選手たちって息子と言ってもいい年齢なのか」なんていう
超個人的な思いが 突然前面に噴き出してきて
そうなると 大学チームの観戦時まで高校ラグビーみたいにハラハラし始め
そのうちに 時々見る の頻度になっていった。

で 興味が薄れていた頃にやってきた
内野くん似の選手がいるよ情報、である。
どれどれと見たものでした。

2年近くたとうという今、録画しておいたのを久しぶりに見ている。
有賀選手は
〔内野くん似、野村将希ミックスタイプ〕辺りに見える。
「♪でもそんなの関係ね~」…というか、
そんなことはどうでもよくなってくる。
前半、有賀チームはなかなか攻めきれない。
つまり、15番有賀があまり画面に現れない。
会えないと会いたくなる・・・オイオイどんな心理なんだ状態で
後半に突入。がんばれの応援むなしく、有賀チームは敗退した。

勝者チームの監督がインタビューを受けている。
うれしそうだ。
その監督の声を背に テレビカメラは優勝したチームの選手たちを映していく。
はしゃいでいるなあ、今の若い人たちなのね。
途中、クリクリ坊主ヘアスタイルの選手が3人並んでいて
互いの肩を組んだり そのクリクリ頭を撫で回したりしながら
「ハゲ!ハゲ!ハゲ!」と大はしゃぎだ。

カメラは 敗者チームのキャプテンに切り替わった。
泣いていた。主将・有賀が泣いていた。

「文四郎さまが泣いている。」
有賀の涙を見たとたん、
そこは テレビドラマ「蝉しぐれ」の世界になってしまった。
ハゲ・ハゲ・ハゲ3人組なんか とってもよい演出だ!?
敗者って 美しくなってしまうんだなあ。


時は流れて、2007年ワールドカップ決勝戦。
ぼうっと眺めていると やっぱり世界は広かった。
10番ジョニー(イングランド)と12番フランソワ(南アフリカ)がやってきた!
!?ポール・ニューマンvsライアン・オニール!?←そんな風に見えちゃう。
(あぁ、また妄想ゲームになってきてしまった。。。
 試合見てんだか イケメン見てんだか・・・。)


………、世界は強くて 美しかったとさ。  どっとはらい。

 

[2012/10/20 編集]


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光石研・連想ゲーム 2 内野聖陽→有賀の涙 ハゲ×ハゲ×ハゲ付き <気になる・気になる>

2007-10-22 | _気な・気な_スポーツ_

「ちりとてちん」も だんだん調子が出てきたところだろうか。
まだまだ このアニメ的演出法の波に乗り切れていない出演者の中で、
「一人気を吐いている」、いやいや「二人」気を吐いているのが
“シャク半さん”と“ミツ”だ。
(言い切っているのが 我ながらスゴイ。おばさんは 暴走するっ!)
カメラ割りの関係なのだろうか、
カックンとワンテンポ遅れているように見えることが多い大阪チーム。
その中で一人、“ミツ”のところは遅れではなく「間(ま)」に見えるのだ。
それも 落語の「間」に、である。
片や、小浜斑。トントントンカラリとリズムよく、この辺で締めがほしいな、
とその時 ストンと“シャク半さん”の台詞が滑り込む。着地完璧
なんだか持ち上げすぎたでしょうか、
漫才の人も コンビ組んで10年ほどでも新人あたり、と聞く。
連ドラもこれからかしら。。。
ただ心配なのは このまま進んでいくと、
落語的「間」と演劇的「乗り」の軋轢が生ずるのでは?ということ。
(それってあまりによけいなお世話!? シツレイシマシタ。)

で、内野くんです。(いまだにお名前のほうのヨミに迷う・・・。)
いつから意識しだしたのだったか、
「昨日の敵は今日の友」あたりでは、
おもしろーい♪と毎週見ていたはずだが
どちらかというと回りの三人(原田・山口・浅野)に気をとられていた。
「エースをねらえ!」「不機嫌なジーン」と気になりだし
「蝉しぐれ」でぐっと来てしまった。
(本放送、再放送いろいろで見ているので 時系列的にはおかしい…。)
なので珍しく大河ドラマを見ている年です、今年。
そうしたら、勘助の兄は光石研だった。。。
盆と正月がいっぺんに来たってぇやつですな。
勘助・兄の出番は(一年のうち)ほんのわずかだったので
噛み締める(こう変換するとちょっとコワイ…)ように見ました。

あれ?内野くんの事を書いているんだっけ・・・
それも 題にある「有賀の涙 ハゲの3乗付き」の話なのですが
いつもながら なかなか行き着けない。

ラグビーの有賀選手が内野聖陽に似ていると聞き、
実際の試合中継を見たのは 2006年1月8日 日曜日のことだった。

 

[2012/10/20 編集]

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流れてくるものは… 2 「東京の灯よいつまでも」 <気になる・気になる> 

2007-10-20 | _きく__

 ♪雨の外苑 夜霧の日比谷
  今もこの目に やさしく浮かぶ・・・

久しぶりに耳にした曲だった。
そう思ってから さらに時が流れた。
時々口ずさむと もう一度聞きたくなってくる。
歌手名も題名もうろ覚えだが、歌い出しだけはわかる。
 あーめーのーがいえん、よーぎりのひびやー
歌詞検索をすると 新川二朗「東京の灯よいつまでも」と出てきた。

耳にしたのは確か NHK BSの 時間がたっぷりある歌番組でだった。
NHKオンラインで調べてみると 平成15年2月8日放送の
「BS日本のうた」に 新川二朗が出演してこの歌を歌っている。
番組後半の特集歌手が氷川きよしで 何曲も歌ったことになっている。
そうだった、
氷川君を聞こうと この番組にチャンネルを合わせたような記憶がある。
平成15年。。。もうそんなに前のことなのか。。。
その日の日記を広げてみたが 特に何も記していない。
再放送かなんか 見たのかな。

昭和39年、東京オリンピックの年にヒットした曲だそうだ。
さすがに同時代と意識して聞いた記憶はないが
この曲とセットのようにして 思い出す物があるのだ。
それは バナナ、それも大房バナナである。

私が小さかった頃、父親は東京に出稼ぎに出ていた。
正月休みの帰省みやげは、そう 大房バナナだった。
上野駅で長距離列車に乗り込む際に
ホームで買ってきたと父から聞いた(ような気がする。はるか昔のことだ…)
バナナが好きだったというより
大房バナナの存在感に圧倒された・・・
小さかった私の心の内は そんな感じだったろうか。

「東京の灯よいつまでも」の歌詞を追っていっても
外苑、日比谷の他に出てくる地名は羽田だけで 上野は出てこない。
なのにこの曲を聴くと、大房バナナを中心にして むかしむかしを思い出す。
東京≒上野≒大房バナナ←その頃の私の頭の中はこんなに単純だったのかも。

検索していると 新川「二朗」と新川「二郎」が出てくる。
途中で改名されているようだ。
昭和39年からずっとずっと 磨きをかけて歌い上げてきた、
そんなふうに
心にしみる歌です。


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「世界名作の旅」に出る 1-5 アンデルセン 2 ちひろ流れ

2007-10-14 | _よむ__

一度 いわさきちひろから 葉書をいただいた事があった。
こう書くと変かもしれない。
いただいたのは いわさきちひろのお葬式の通知だった。
一読者へのものだから 
お葬式というよりは お別れ会といったものだっただろうか。
「婦人画報」2006年9月号に いわさきちひろの特集があり
その中の年表によると 1974年に亡くなられている。
もう30年以上も前のことになってしまった。
あの葉書はどこへ行っただろう。
私宛に届いたことにずいぶんびっくりしたことを 覚えている。

「青いりんごのふるさと」という作品を読み 感動した私は
作者の畔柳二美はすでに亡くなられていたので
この版の画を描いたいわさきちひろ宛てに 
ファンレターを書いた(のだったと思う)。
本の裏表紙に「昭和46年2月11日(木)購入」と書いてあるので、
(当時はそんな風に日付を書いていた)その頃送ったのだと思う。
子どもなので住所などわからず、版元の学研に宛てたのだろう。

どんなことを書いたんだか、
書いてポストに入れて そこで満足して その後はすっかり忘れていた。
「青いりんごの・・・」という題なのに
表紙の絵には 赤いチューリップとセーラー服の女の子の横顔が描かれている。
少年少女学研文庫というシリーズに所収されていて
このシリーズのテーマカラーは
正に 青りんごの色なのだ。
舞台は北海道で その当時うちの近所に北海道から引っ越してきた家族があって
そこのところも 気を引いたところだったか・・・。
そこのうちのおばさんは よく「なーんもだ。」と言った。
「なーんも」は北海道方言で no problem というような意味らしかった(合ってるかな…)。
なーんもだ と聞くと どこかおおらかな気持ちになれた。
私は今 あの頃のおばさんの年齢をはるかに超えているのだろう。

アンデルセンだった。
(戻ります。。。)

アンデルセンが生まれた町、デンマークのオーデンセを訪ねたこの回の著者は
泊まったホテルで アンデルセンを読み直す。
外は一面まっ白の ひっそりした冬の日だ。
いくつも読み続けた中のひとつ、ある母親の物語。

瀕死の子を母親が見守っていた。
そこへ トントンと戸をたたいて
一人のみすぼらしいおじいさんが入ってきた。
外は雪、ふるえるおじいさんを母親はあたためてあげた。
ところが、おじいさんは死神だったのです。

キャー こわーいっ。続きはどうなるの!?

アンデルセン人気が しっかりわかった気になりました。


※※※
10月15日 追記
「青いりんごのふるさと」 学研 1970 では
岩崎ちひろ の表記になっています。

 

[2012/10/18 編集]


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「世界名作の旅」に出る 1-5 アンデルセン

2007-10-13 | _よむ__

この「世界名作の旅」は、各回とも
 ○ その回に取り上げた作家の紹介 と
 ○ その回を担当した著者の旅行記 の二つの構成になっているようだ。
アンデルセンの紹介のなかに 次のような文があった。

一生独身だった。
結婚したいと思ったことがあったが、彼女はほかの人を愛していた。

おお、なんだかね この表現に感じ入ってしまったのですよ。
そうか、彼女はほかの人を愛していたのか。。。人生、めぐりあわせだなあ と。
映画「リトル・ロマンス」の二人も
“パリのアメリカ人”13歳のダイアン・レインが
ベルサイユでハイデッガー(だったっけ?そのあたりの人…)を読んでいると、
即座にその哲学者を批評する同い年のフランス人の男の子と出会い、
ベネチアめざして旅立つことになる。。。
…めぐりあわせ よねえ、人生は。

(と よくぽうっとしていると
 『映画だよ、エイガ。とんとん拍子にいくようになってるのっ』と
 夫か子どもが 現実に引き戻しにやってくる。
 さてさて、そのベネチア行の途中 
 自転車ロードレースにまぎれて 先を急ぐのだが、
 ダイアン・レインが 先に行った男の子を呼び止めるシーンで声をかける。
 『ダニエーールッ』・・・ここもいいんです。
 『イチローーッ』『ダイスケーーッ』『カズオーーッ』っとかでなくて
 『ダニエーールッ』。・・・“エー”がちがうんだなあ。)

会津八一も同じように生涯独身だったようだが
八一のやわらかいあの書を見るときには
失恋 や 片思い といった言葉の方が合うような気がする。
八一は新潟出身なので
普段の暮らしの中に 彼の書は よく現れる。

先の紹介文に戻ると 書き出しは、
『赤いクツ』という童話をご存じであろう。
と始まっている。添えられた写真には、
コペンハーゲンの港で夕日に光る 『人魚姫』の像が写っている。
『赤いクツ』『人魚姫』に思うところあって、
大きな本屋に出かけた。

児童書の作家別のコーナー、あ行のところに言ってみると
はたせるかな、(←使い方合ってる?一度使ってみたかった言葉なンデス…)
いわさきちひろ・画の『あかいくつ』『にんぎょひめ』が棚にあった。

前から気になっていたので ぱらぱらとめくり、
近くにあった『マッチうりの少女』も手にとった。
こちらは モノクロの絵に時々赤の(朱か?)効いた作風で
これもいいなあと思った。


長くなった気がするので
次に続けます。

 

[2012/10/18 編集]




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流れてくるものは… 1 「悲しくてやりきれない」 <気になる・気になる> 

2007-10-10 | _きく__

NHK BS「日めくりタイムトラベル 昭和43年」から
「悲しくてやりきれない」が 流れてきた。

 ♪胸にしみる 空のかがやき・・・

私の耳元に流れるのは
けれど
おおたか静流の歌声のほうだった。

1992年11月9日 月曜日 (貴花田、連敗しています!)
当時の日記によると
私は用事があって 実家に来ている。
山田太一作のTBSドラマ「悲しくてやりきれない」を録画している。

翌日 昼の空いた時間に再生していて 感動したのか、
「夜 母ともう一度『悲しくてやりきれない』をみる。」などと
書いてある。

ザ・フォーク・クルセダーズは「帰って来たヨッパライ」のグループ、
と覚えていても
「悲しくてやりきれない」も彼らの作品 とまでは
なぜか私はわかっていなかった。

そのためか
ドラマに感動したのには間違いないが、
とにかく おおたか静流の歌声が
強烈な印象となって残っている。

懐かしい曲なのに、新しかった。

山田太一 悲しくてやりきれない で検索していたら、
今月 CS放送のほうで見られることを偶然知った。
が、契約をしていないので 無理。非常に残念。

当時の録画テープを探しているが、
今のところ見つからない。。。。

 

[2012/10/18 編集]


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「世界名作の旅」に出る 1-4 ドストエフスキー

2007-10-09 | _よむ__

730歩。
ドストエフスキー作「罪と罰」の主人公ラスコールニコフは
殺人計画を立て、自分の下宿から現場までは きっかり730歩と
計っていたのだ。

この回の著者も 数えてみることにした。
ところが
何度計っても 730をこえてしまう。
「罪と罰」のモデル地は実在し
主人公の下宿はここ、金貸し婆さんの家はここ、と
何人ものドストエフスキー研究者によって調べ尽くされた
ペテルブルグの街中を
この回の著者は 730目指して歩き回る。

NHK BS「わが心の旅」で
ロンドンの漱石下宿を訪ねた 孫の夏目房之介の表情を思い出した。
その下宿を訪れるまで 漱石の孫である自分を意識することを
封印してきた自分は 下宿に着いても淡々とした気持ちのままなのではないか
・・・そんな風に予想していたのに、画面の中の房之介氏は
不意に涙ぐんでいた。

現在住んでいる人によって こざっぱりとしつらえられた室内に房之介氏が入ると
なんだか見ているだけの私にも 漱石の憂鬱が伝わってきたような気になった。
調べ尽くされて 整え尽くされて
それでもその先に 新しい何かが待っていた。
「会えてよかったね、房之介さん。」と
なんだかその時 知り合いみたいな気分になった。
(高校生の頃だったか、新聞と一緒に『週刊朝日』も 家で取っていた。
 『デキゴトロジー』という連載を毎週楽しみに読んでいたので、
 夏目房之介には どこか親戚のオジサンのような親しみを感じる。
 〔じゃ、漱石も親戚!?←そんな気になれるほど読んでみたいものだ…〕
 この間見たテレビ番組の中で 最近学生の間ではやっている言葉として
 KY〔空気、読めない〕、MMKなどが紹介されていたが、
 あっ、MMK!と 『デキゴトロジー』に何週にもわたって登場した
 『MMK〔もてて、もてて、困る〕おばさん』の話を思い出した。
 彼女たち〔何人もいたんです!〕は 今も
 MMKおばさん〔おばあさん!?〕としてがんばって?おられるのだろうか。。。)

えーと
ドストエフスキーの話でした。

あくまでも730を目指すこの回の著者が
この通り回りか あの広場経由か と 
730歩の試行錯誤を繰り返すペテルブルグの町は
博物館にあった19世紀なかばごろの地図と
道路の造りに違いは見当たらない。
けれど
この本そのものが1966年の発行なので
バザールで売られているのは
近くのコルホーズ(!)から運ばれてきた物だったり
肉や野菜の売り手から
「ソニー持ってるか」と声をかけられたりしている。

コルホーズとくればソフホーズ
テスト前に呪文のように丸覚えした言葉が
30年ほどの時を超えてもセットで響いてくる。
(内容は、というと 説明できるほど覚えていないが。。。)

「ソ連」のその地で
730歩に挑んだ(スミマセン、また大げさデス)この回の著者は
ある推理に達する。
けれど
推理もののラストは 明かしてはいけないような気がするので
今回は この辺でお開きということで。。。
                  どんど晴れ。

 

[2012/10/18 編集]

   

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光石研・連想ゲーム 1 松重豊  <気になる・気になる>

2007-10-06 | _気な・気な_映画・ドラマ_

こんなに“ミツ”に似た子役 いるんだなあ。
→惹きこまれる。上手な子だなあ。
  →えっ!来週もう“ミツ”なの?子役もう少し見たかったなあ。
と 「ちりとてちん」見始めた。 

ぁ、主人公のお父さん役は
「クライマーズ・ハイ」に出ていた人だ。
名前を知らなかったので ウィキペディアにいってみて
驚いた(なんだかこの頃 驚いてばかり)。

主人公の父・松重豊は
「拝啓、父上様」のシャク半さんだった!

「拝啓、父上様」毎週見てたのに・・・
シャク半さんみたいな人が近所にいたら
結構大変だよね、と 長女と話したりしていたのに・・・
…気づかなかった。

〔私の中の結論〕 シャク半さんは、シャク半さんです!

眉間にしわを寄せたら日本一! のような俳優さんなのだろうか。
なのに どこか寂しげな表情がかすかに見え隠れして
誰かに似ていると思った。

少し考えて 思い当たったのは、ハンフリー・ボガート。
ボギーも
ハードボイルドに徹するには 悪役に成りきれないところが
新しい路線を作り出したと 何かで読んだ記憶がある。

それでは “ザ・ルック、ローレン・バコール”が必要だ。
身長や「ちりとてちん」繋がりで
松下奈緒あたりはいかがだろう。
(連想ゲームじゃなくて、妄想ゲームになってきた。。。)

それにしても “ミツ”、
あんなに上手な子役の後で 大丈夫かしら? ハラハラ。


 


[2012/10/20 編集]

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「世界名作の旅」に出る 1-3 メリメ

2007-10-04 | _よむ__

『肌は滑らかではあったが銅色に極めて近く、…、切れが長くパッチリした好い目』
メリメの描く「カルメン」像を聞いてパッと浮かんだのは
なぜか
映画「僕のスウィング」で主人公の少年が惹かれる少女、
スウィングの顔だった。

〔主人公の少年が
 この映画の中に流れる音楽(それはこの映画のテーマでもあるのですが)、
 マヌーシュ・スウィング(というらしい)の音に
 心地よさそうにからだを預けているシーンも思い出される。
 とても10歳の少年とは思えなくなってくる
 大人の“乗り”で、ギター演奏を聞いている少年。かっこいいのだ。〕

さて
うちの中に「カルメン」の小説はなかったと思うが
オペラのCDはあったような気がして 夫に聞いてみた。
2組ある、と 出してきてくれた。
一方は カルメンがマリア・カラスで
他方は 指揮がカルロス・クライバー、
独身の頃マリア・カラスの“何か”を買ったように覚えていたので
マリア・カラス版は私のCDだと思ったら、どうも夫のものらしい。
「君が(結婚の時)持ってきた(CDで、カラスな)のは、『トスカ』だよ」
との事でした。(なぜか、夫のほうが詳しい。)

(自分で買っておいて忘れちゃっているのはちょっと情けないが、
 当時。。。独身の頃は…今もそうだけれど…、
 クラッシック、なんかいいなあ。結構好きかも。と興味がわき
 かと言って特段の知識を持っている訳でもなく
 眺めていたファッション誌の
 「今月の一枚」のような所で紹介されていた作品を
 ぽつぽつ買ってみたりして・・・
 そのうち 買ったことを忘れてしまったようだ。)

なんだかその気になって
両方聞き始めた。
(DVDプレーヤーに入れて、テレビのスピーカーで聞いている。)
カラスのカルメンは情が深そうで
エレーナ・オブラスツォワのカルメンは
どの殿方も万遍なく?たぶらかしそうだ・・・などと
勝手なことを考えながら聞いた。

この回の著者は
小説の方が数倍も面白いと私は思う、と言っており
片や カラス版の解説書のなかでは
小説と(台本を)読み較べると、どの幕も見せ場や聴かせ場があり と
盛り上がっている。
思い入れは 互いに相当深そうだ。

物語の冒頭とそっくりな出で立ちをし、
作品の後をたどるような取材に出たこの回の著者だが
行く先々で思惑から外れてしまう。
コルドバからセビリア、ジブラルタルからグラナダまで
途中 オレンジの並木道をぬけ
空にはレモンの香が満ちているスペインの地を
「カルメン」の面影探して回る 著者。

メリメなのか 「カルメン」の中の「私」なのか
ドン・ホセなのか 著者なのか
こちらとしても 目の回ってくるような回だった。


オペラは長い。
2作品も一度に聴いているのだからなおさらだ。
続きはまた今度にしよう。 
(でも 今度っていつだろう。)


***

2008年11月6日 追記
「…今もそうだけれど…」は
「特段の知識を持っている訳でもなく」に かかります。
(日本語が変だった。)

 

[2012/10/18 編集]

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