「 今年はどうしたわけか東京にセミが鳴かなくて、しんとしています。新聞でも
もんだいになってるくらい鳴かないのです。ところが慶応の国際センターの窓の
外には、ひょっとしたら東京中のセミが集ってmeetingをしているのでは
ないかと思われるくらい、ワイワイワイワイ、少し、大分少しうるさすぎる
くらい油ミンミンなんとかかとかが大合唱なのです。」
「須賀敦子の手紙 1975―1997年 友人への55通」
友人への55通、とナンバリングされているものの9通め、
1977.8.12付けの手紙の中に出てくる一節です。
さて、2016.8月こちら方面のセミも
鳴いたり鳴かなかったり まっとうな感じがありません。
それでも鳴きます。
あ、セミ(ちゃんと)鳴いてるじゃん。
そう意識する時のタイミングが まさに「夏」という感じで
まさに「夏」、とは
これが夏だったね、といった日ざし/熱気/熱気とはまた別に分類したくなる湿気。。。
それらがちゃんと(酷すぎない程度に!)そろっている、
由緒正しき「夏」のタイミングに
それはそれは一生懸命に セミたちが鳴いている(いた)。
ね!わかってる?こーゆー時に我々セミは鳴きたいの。
ん。わかってるよ。でも、お天気がずいぶんにおかしいの。
ここ何年もの気象状況を前に
セミと、手紙じゃないけど問答しちゃうわい。で 手紙に戻れば
さて、私の 1977.8.12 辺りはどんなだっただろうと
ほぼ同時代書簡集を読むことでの 過去訪問。
40年ほど前の自分を 日付もぴったりと思い出すには 残っているものはあまりなく、
○歳の夏(休み中)だったのだから まあそれなりの事に追われ、いっぱいいっぱいだったのだろう。
そんな風に 思いめぐらす。
まあそれなりの事に追われ、いっぱいいっぱい…。
淡々と書いたつもりの 今から見た過去への感想は、なんということだ、
今の今に対する感想を書いたとしても そのまま当てはまりそうである!
何も変わっていないのだろうか。
ふふふ。
ちゃん?と シワもシミもたるみも増えている。
猫背は少々治ったか。
授業参観後の保護者(クラス)懇談会。
下の子が中二の時の担任の先生は、
「こんにちは。
(では皆さん、ご自身の自己紹介も兼ねて)お子さんの良いところ・長所をお話なさってみてください。」
と 口を切った。
先生!
うちの子は勉強しません。部活もテキトー。塾にも身が入らない。家でゴロゴロ、ゲームばかりしています。。。
別に顔に書いてあったわけではないけれど
どの親御さん!も たぶんそんなことを口にしようと思っていたところに
「良いところ・長所を聞かせて。」の担任からの先制パンチは実に効いて、
どのお母さんも「長所!?」と 不意を突かれてシドロモドロの挨拶になっていった。もちろん私も。
(小学生低学年ぐらいまでならいざ知らず、中二に〔も〕なった自分の子を人前でほめる形になる。それは、相当に大変なことだった。)
その担任の先生の名前は もううろ覚え(ゴメンナサイ><。)なのに
その懇談会の事は 強烈に覚えている。
で シワシミたるみ猫背話 につながるのかつながらないのか、
時の流れはあるようで
いや、今だけがあるのかもしれなくて(中島義道系?いやいや、また読むの挫折途中(+_+))
見わたすことはできないのだけれど
ぽつんぽつんと 言葉にして、振りかえる。今でさえも。