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これどうしようかな・・・どうしようか考えてみます。

黒い大きな壁一面 2

2015-12-31 | _きく__

ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」 フルトヴェングラー バイロイト祝祭管弦楽団
(控えめ後光とポートレート)
に付いていた解説本の中に
第4楽章 「歓喜に寄す」 の対訳が載っている。

♪ フロイデ シエーネル・・・ の段、後半の部分は
次のように訳されていた。

Deine Zauber binden wieder,         今の世が仮借なくわけへだてたものを
Was die Mode streng geteilt;         おん身の魔力がふたたび結び合わせる。
Alle Menschen werden Brüder,       おん身の翼がおだやかにたゆたうところでは
Wo dein sanfter Flügel weilt.         あらゆる人間が兄弟となる。         (訳:西野茂雄)

「黒い大きな壁一面」は
次のような詩から始まる、という。 

  樹々は成育することのない
  無数の芽を生み、
  根をはり、枝や葉を拡げて
  固体と種の保存にはありあまるほどの
  養分を吸収する。

そして
“なんだか読み進めそうな形態で 年末
出会うこととなった。”の中にあったとおり、
次のように続いていく。

  樹々は、この溢れんばかりの過剰を
  使うことも、享受することもなく自然に還すが、
  動物はこの溢れる養分を、自由で
  嬉々とした自らの運動に使用する。

時に
“なんだか読み進めそうな形態で 年末
出会うこととなった。”のタイトルには
利他性
という言葉もあった。

  りた。

私はこの音(オン)が好きなのだ。
急に何言ってんだ、でありますが
発音すると 何か甘く切ない響きに包まれるのである。

利他性を 果たして自分はどんなふうに解しているのか 自分にも分らないところがあるが
シラーと
ベートーヴェンと
りた に包まれて、
考える、スペースにいる年末である。
(あれもこれも進んでない。→あれやこれや、少し進んだ。)

 

 

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空き教室の隅 3

2015-12-30 | _よむ__

カズオ・イシグロ で うろうろしていた時に、
おすすめ(どの漢字なんだ。。。)として出てきたのが ジュンパ・ラヒリ だった。
そもそも 「テレビドラマ化、そうなんだ。」と カズオ・イシグロ、そうだ 読んでいなかった。で
話は始まり。

と言うよりも
今やるべき事は 他にたくさんあってだな、と
他本タイトル風に 自分を急かさなければなるまいて。
(あれもこれも進んでない。)

 

 

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空き教室の隅 2

2015-12-29 | _よむ__

“「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読んでいる。何年ぶりなのだろう。”
読了した。と言うことは最後まで読んだということなのに(当たり前だが)
後半に出てくる部分とか
(例えば 「『>○』は、カドでワだから、・・・・って意味になるんだ。」なんて辺り。)
さっぱり記憶にない。
そのくせ 当時の読書会で
「足の親指のけがが象徴していることは、○×※*なのではないか!」などと
自分だか周りだかが 口角泡を飛ばす、みたいに 
ぽきっと折れるような感覚をぶつけ合っていたようなシーンは思い出されるのである。
それでは もしかすると
きしんちゃん。懐かしい。
初めのうちはそれでよかったのだが よみすすんでも
ストーリーの先が さっぱり蘇らない。
どうも 最後まではよんでいない作品だったようだ。

にしても ホントウは ちゃんと最後までよんでいたのかもしれない、当時に。
ナンテコッタイ。。。

で、年末なのです。
あーんな事やこーんな事、そーんな事をやらなければならない。
だからなのか、かえって いつまでも読書に向かっていたくなり
「停電の夜に」(新潮クレスト・ブックス)の表紙を眺めている。
スパイスボックスのような写真を前に
チャイが いただきたくなりました。
(本日の予想最高気温 一桁。は、ココだけじゃないか(^_^)/。。。)

 

 

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空き教室の隅

2015-12-26 | _よむ__

“さて 読み始めると
献辞に載っている名前を見て 今頃になって
しょうじ(名前)⇔しょうじ(筆名)なんだ? と 驚く。 
本名も筆名も知っていたのに! この人の本、けっこう読んだのに!!”

懐かしいという感情なのかどうか分からないながらに 気になって、
もう一度
「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読んでいる。何年ぶりなのだろう。
(赤フードちゃん。。。テンプレート選択に、ちと〔いや、だいぶ〕ムリムリ感が><。)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

その時、
読書会のために読んだのだったと思う。
テーマが
「赤頭巾ちゃん気をつけて」だったのか 「庄司薫」だったのか、
会場が 「部室」と呼んでいた、空き教室だったことはよく覚えている。
“掲示板の張り紙には
「…実習時には、各自タイプライターを用意するように。
 なお 購入希望者には 斡旋販売が○月○日○時~予定。…」、こんなふうに通知されていた。”
その掲示板のところから 二つめの部屋だったかな。
一つの空き教室を 二つも三つものサークルで利用していて、
あまり片付けもされていないような 雑然とした空間だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ある時 探しものかなんかの途中、その部屋の隅に積み上げられていた紙ごみがなだれを起こし
やれやれと 積み直している時、 ふと手にした印刷物の上に 安保 という文字を目にした。
アンポ?
なぜそんな昔の事が印刷されているものが ここにあるんだ?
私がとっさにそう思ったアンポは 60年安保であって、
その隅に眠っていた 紙ごみと思われていた印刷物は 70年安保の頃のものだったのだろう。
それにしても ずいぶんもの間 ここに眠っていたものだ。
それよりなにより
「ここの先輩である、その時代の人々が 70年安保闘争と共にあったらしい。」、そんな
その時の自分たちの周りのムードからは ほとんど想像できない、過去からの手紙を手にしたようで
驚いたものだった。

 

 

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黒い大きな壁一面

2015-12-24 | _きく__

動的平衡」、気になる本へはたどり着かず(読み進めず)
数字はとどまらず。
どうするか。そうだ、読んだことにしよう(^_^)/。(いつか読めるかもしれない。)


なんだか読み進めそうな形態で 年末
出会うこととなった。


いつか
黒い大きな壁一面のところにも行けるかな。
と 第九聞きながら 考えている。


ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」 フルトヴェングラー バイロイト祝祭管弦楽団
(控えめ後光とポートレート)


ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」 バーンスタイン ウィーン・フィル
(指揮する事は楽しき哉)


 


 

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「題名のある音楽会」 「吹奏楽部の音楽会」

2015-12-18 | _きく__

O.レスピーギ 交響詩『ローマの祭』より 「Ⅳ.主顕祭」より
J.S.バッハ 「トッカータとフーガ ニ短調」 より

などなどの、放送ラインナップ。 

バッハ 「トッカータと…」 は無かった。
レスピーギ リュートのための古風な舞曲とアリア ロペス=コボス ローザンヌ室内管弦楽団
を聞いた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

餅つき大会だったのかクリスマス会だったのか 行事準備の人員動員、
役員のお母さんたちが招集をかけられて 講堂に集まっている。
子どもたちも一緒に来ているから 夕方の事か。
上の子たちも一緒に付いてきている。 上の子たちはりっぱにOBとOGであって
勝手知ったる かつての遊び場、外はたぶん雪なのだ。
集合時間には まだあって、
お母さんたちは 壁際に三々五々集まっては立ち話、
子どもたちは まるで流れるプールか ちびっこスケートリンクのように
走り回っている。

ピアノの音が聞こえ始めた。

(あ。○ちゃんのお母さん、ピアノ弾けるんだ。)

子どもたちはそのまま遊んでいるし
お母さんたちも お、ピアノだとほっこりしながら 立ち話の方に夢中だし
○ちゃんのお母さんのピアノは 聞き手がいるんだかいないんだか 
まるでBGMのように続いていった。

あの時の曲。 なんという曲だったのだろう。
今聞いたら あの時の曲だとわかるのかな。

 

 

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EURO24-5 伊・独・仏・西・語 15(7-3) 寄り道 ロルカ (1898-1936)

2015-12-13 | _きく__

ロルカ。どんな人だろう。
さまよえば
ショスタコーヴィチが 現れた。
読む前に聞く?
で 聞きました。

(交響曲第14番 * がなかった。)

ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 「革命」 バーンスタイン/チェロ協奏曲 変ホ長調 ヨーヨー・マ
(ベスト・クラシック100)←↑言語化するのが難しいジャケットであった。で代わりにシリーズ名。

ショスタコーヴィチ ピアノ五重奏曲 リヒテル
(静かなるその時、なのかなジャケット)

ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番/グラズノフ ヴァイオリン協奏曲 パールマン メータ
(バスキア?)

聞いた順番のせいもあるのかな、パールマンに引っ張られました。

 


独唱の歌詞には ロルカ アポリネール キュッヘルベケル リルケ の作品が出てくる。キュッヘルベケル?

 

 

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romance

2015-12-05 | _気な・気な_スポーツ_

フリースケーティング使用曲。
ちょっと(使用曲時系列まわりを)ブーメラン。
聞こえてくるは ラフマニノフ。と
“○ 「逢びき Brief Encounter」まで再生した。”あたりまで ブーメラン。

何度めかの再生鑑賞と 関連本散策、
「英詩と映画 その愛と生と死」 松浦暢(とおる)編 アーツアンドクラフツ 2003
を眺めた。

「21編の洋画に登場する英詩と映画のかかわりを分かりやすく解説する」本、とのことで
4編目に 「逢びき」が登場する。
と言うより まえがき の中の例示として 早々に 「逢びき」は現れる。

「…映画のなかで、短い詩が、無意識のうちに、い
 や意図的に、映画全体の中心テーマを構成している例がおおい。
 …中年の平凡な主婦の
 人生最後の儚い夢をエピトマイズする「逢びき」(イギリス映
 画)を見るがよい。夢うつつで、わずか二週間の恋を回想して
 いる妻に、クロスワード・パズルをしている夫が訊ねる。「え
 えと、おまえはキーツの詩が好きだったね。彼のソネット『死
 の恐怖』の一句‘huge cloudy symbols of a high ~’の次の語は何
 だっけ?」と。妻は即座に‘romance’と答える。なんとロマン
 スこそ、この映画全体の切ない逢びきの主題(テーマ)を象徴する言説の
 パラダイムとなっている。…」

エピトマイズ、言説、パラダイム、どういう意味かな、と 
romance、ロマンス、思いめぐらせているうちに

“ さて。
 逢びき夫(主人公・ローラの夫)は いつから気づいていたのか(・・? ” に 加えて

その夫の差し向かいたるクロスワード・パズルの中に 果たして
‘huge cloudy symbols of a high ~’ は 本当にあったのか。それとも…

なる問いも 生まれてきた。


 

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