goo blog サービス終了のお知らせ 

入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

       ’24年「秋」(56)

2024年10月12日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 文句のない秋日和、晴天。一昨日に続いて霜が降りたのか、周囲の草がびっしょりと濡れて朝日に輝いている。
 午前7時の気温3度、どこから入ってきたのかスズメバチが天井のすぐ下で行きあぐねたようにして飛んでいる。この時季の侵入者は気が立っていて危ないから、即退治した。
 そう言えば、Oさんは先週の高尾山行でスズメバチに4回も刺されたと聞いた。幸い大事にはならなかったようで良かったが、それにしてもその回数の多さには驚くばかりだ。

 先日、キシャヤスデの発生について呟いた。これとイノシシの牧場荒らしが関連しているのか、掘り起こしがまだまだ続いている。そうそう、多足の虫だから「ヤツデ」だと思っていたら、「ヤスデ」だと誤りを指摘された。訂正いたします。
 異常気象で生態系も狂ったらしく、掘り起こされた土の下にこのキシャヤスデが昨年に続き今年もいて、イノシシはこれを食べに来ている可能性が考えられる。それにしても7年に一度のはずが2年続けてとは恐れ入った話で、よく見るとこのヤスデ、本来は白い色のはずだが若干黄土色をしている。待て、これ以上素人がこの虫についての要らぬ想像は止めにしておこう。
 何年か前トンコレラが発生し、その被害がイノシシにも及んだと聞いたが、あの惨状を目の当たりにするとどうやら敵はしたたかにも難を逃れた奴らのようだ。

 レンゲツツジの葉の色が幾分だが赤色を帯びてきたのが目に留まった。マユミの木も大分葉が落ちて、赤い色の実が目立つようになってきた。
 今朝はその向こうに穂高や槍の峰がよく見えていて、もう何年も見てない涸沢のナナカマドの紅葉のことを思い出した。初めて穂高に登ったまだ10代のころ、この灌木の名前を知らないまま、圏谷を埋める紅葉の美しさに息を飲んだ記憶がある。
 今、「信州の山(信毎書籍出版センター)」の著者宮坂七郎氏が同書を持って伊那ケーブルのI氏と訪ねてくれ、その話をしたら、すでに見ごろからは10日ばかり遅いと言っていた。


 
 穂高も様々な思い出を残したまま、いつの間にか行くことのない山になってしまった。存分なことができたとは思わないが、それでもいい時代にいろいろな体験をした。
 屏風の頭から眺めた涸沢とその後での意外な友との出会い、やはり同じ時季の奥又白谷で味わった苦い経験、右岩稜では重い決断もしたし、涸沢ではダケカンバの林の中で同行者と一夜を明かすという予想外のこともした。どれも秋の山の出来事だ。
 きょうは訪問者を待ちながら、宮坂さんから頂いた貴重な本を開いて、秋の山のことなどを振り返ることにしよう。

 山小屋&キャンプ場の営業案内は下線部をクリックしてご覧ください。
 本日はこの辺で。明日は沈黙します。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

      ’24年「秋」(55)

2024年10月10日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 

 キノコの季節は終わったと思っていたら、先日の法華道に続いて、北原新道で草を刈っていた時もヌメリカラマツタケを幾本か見付けた。山にもまだキノコ採りを見かける。
 このキノコの名前ばかりしか呟かないのは、他に自信を持って知っているのがないからだ。この時も採らなかった。たった4,5本採るくらいなら、そのままにしておいた方がいいと思ったのだ。

 ところが今、冷蔵庫にはマツタケが入っている。ここは標高が高く、マツタケは生えないし、それに、赤松の林もない。仮に生えていても、多分自分では見付けることができないだろう。
 このマツタケは有難い到来物で、北原のお師匠の長女のKさんが日曜日の夜にご主人と一緒にここまで持ってきてくれた。 草葉の陰から師が、愚かな弟子の苦難な様子を見ていて、持っていってやれとでも言ってくれたのかも知れない。
 一人では勿体ないので、今夕3人の訪問者と一緒に酒を飲む際に土瓶蒸しにして頂戴するつもりだ。
 後日になるが、新米でマツタケ飯にすることも忘れていない。男一人の夕餉、それにも相応しかろう。

 先週の金曜日、里に下りて友人2名と某所で酒宴を張ったその時も、昨年と同じようにマツタケの土瓶蒸しを注文した。今回も、ほんの薄っぺらなのが二、三片、お義理のように入っているだけだったが、感心するほど美味かった。
 ついでながら、この高価な野の物を最も美味しくいただく方法は土瓶蒸しだと信じている。牛肉とマツタケの銀串焼きなどというのもあるが、この肉は禁断中とあれば遠ざけておく他はなく、すき焼きでもまたしかり。

 昨日も、午後は北原新道で悪戦苦闘していた。3本の歯の抜けたゴミ掻き(くま手)を苦心して1本にして、それで刈ったクマササを片付けたまでは良かったが、帰るとき、うっかりしてそれを軽トラの下にしてしまった。もう使えない、涙。
 北原新道の草刈りもあと半日、長くも1日あれば終わる。

 今朝6時の気温は2度だった。この狂った気候に翻弄されながらも、いい秋が静かに深まっていく。ここだけの秋、それでも充分過ぎる。

 山小屋&キャンプ場の営業案内は下線部をクリックしてご覧ください。
 本日はこの辺で。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

      ’24年「秋」(54)

2024年10月09日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 よく降る雨だ。眠れぬまま独り言を呟いて、終えたのでいつもの結びの言葉「山小屋&キャンプ場云々」を加えたら、すべてが消えてしまった。そのようにできているか知らないが、これが初めてのことではない。文字が消えたとか、行ごと消えたとか似たような話を他からも聞く。

 昨日は午後、雨の中を北原新道で草刈りをした。作業は予想以上に進み、中段に残る以前に使われた木材の搬出路まで進み、「谷川岳のナントカルートを1本攀ったような満足感を覚えた」と呟いたが、もうそれを詳しく繰り返す気力はない、失せた。
 まだ半分くらい残っているし、刈ったままにしてあるクマササの葉も片付けなければならない。できればツルハシを振るって、少し道を整備したいとも思っているが、はたして今の勢いが続いてくれるかは自分でも分からない、と言っておいた方がよさそうだ。

 テイ沢の下流の登り口に、注意書きを記した案内板が出た。沢の南側、下流から見て右側、六兵衛山(これも「権兵衛山」と同様の仮称)上部の伐採が近く行われるため、落石や切り落した丸太の一部が落下する恐れがあるので注意するようにというものだ。
 この沢を訪れた人は、この注意書きに従い、そうするしかない。今は沢が観光ルートのように見做されていても、元はと言えば森林管理署や林業関係者が使用した作業道であると言われれば、古い時代の話を持ち出しても詮無く、そうですかと言うしかないだろう。
 沢に架けられていた丸太橋は放置され、危険であったため勝手に新しくしたのであって、それは黙認された形になったが、国有林内はそこを管理する森林管理署には逆らえない。
 注意書きには業者の名があるだけで、森林管理署の名は入っていないが、とにかく気を付けよう。

 山小屋&キャンプ場の営業案内は下線部をクリックしてご覧ください。
 本日はこの辺で。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

      ’24年「秋」(53)

2024年10月08日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 

 雨の降る音がする。もうすぐ午前4時になる。夏が終わり秋が来て、牛がいなくなったこのは頃、こんな時間に目が覚めることが多い。
 
 昨日は予定通り電気牧柵の一部の冬支度を済ませ、そのあとは高座岩に通ずる北原新道の草刈りに行った。北原のお師匠の苦心の作であるこの山道は春、クマササが角ぶくころに一度刈っておいたが、案じていた通りあの時の苦労がすっかり元の木阿弥になってしまっていた。
 ここの草刈りは山道が急なため、絶えず刈り払い機を抱えるようにして作業をしなければならず、それと比べたら法華道の草刈りなどは余程楽だと言える。それに、斜面を横切るようにクマササを刈っただけで、伐根などお師匠一人の手でできるわけもなく、傾斜している所が多く足場も良くない。

 こういう仕事は根を詰めてやっては駄目で、いくら気が急いても、いやになる前に止めるのがコツだと思っている。昨日もそうした。恐らく、高座岩にたどり着くまでにはまだ幾日もかかるだろう。
 ある人は、この山道を下ってから北原師のしたことを「正気の沙汰とは思えない」とまで言った。近年はそのような山道を、もっぱら不詳の弟子がブツクサ言いながら草刈りを続けているわけだが、そうしなければこの山道は消えてしまう。
 
 テイ沢は人気も出て訪れる人が増えてきた一方、その後に林道をしばらく牧場へ向かって歩くと目に付く高座岩への案内板に誘われ、足を向ける人がどれほどいるだろうか。
 単調な林道を歩くよりか、高座岩から御所平峠までの気持ちの良い古道を歩き、案内に従って再び林道に下る方をお勧めしたいが、登り口で先行き不安になり迷う人が多いかも知れない。
 特に今の状態で、しかも雨でも降っていれば、二の足を踏むのは無理もないと言える。

 1472年だったか、京の都では応仁の乱の騒乱が始まっていたはずだが、身延山の第11代法主日朝上人がこの高座岩を訪れ、そこで説法を行ったという。しかし、今となってはそこに至る上人のたどった道が残っておらず、ならば何としてもお師匠の手で道を開けねばならないと、一念発起したようなのだ。
 2,3本も木を切ればかなり道は良くなると分かっていても、国有林とあってはそんなことをしたら大変なことになる。北原のお師匠も森林管理署に通い詰め、その挙句にようやくクマササを刈るだけの許可を得たのだというのだが、それだけでも大変なことだったらしい。

 少しでも歩く人が絶えなければ道は消えない。歩きづらくも林道からは10分程度で高座岩に達っする。眺望も良いので是非とも訪れて、眼下に「仏の谷」を眺めつ、遠い昔しを偲んでほしい。

 山小屋&キャンプ場の営業案内は下線部をクリックしてご覧ください。
 本日はこの辺で。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

      ’24年「秋」(52)

2024年10月07日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 今朝も曇天、東の空にかろうじて太陽の位置が分かる程度の明るい部分が見えていなければ、まるで夕暮れ時かと錯覚を起こしてしまいそうだ。きょうの権兵衛山は霧をまとわず良く見えて、山腹の落葉松の葉は赤みを帯びた茶の色を一段と濃くしてきたのが分かる。

 きょうは第1牧区と第2牧区の境界に張ってある電気牧柵の一部を外し、他の部分は地面に落とす予定だ。いよいよ冬支度である。
 NMさんからの通信では、電気牧柵の設置がこの牧場ではすでに1977年には行われていたらしいとのこと、大いに驚いた。今も使われている古い方の機械は1994年製造の国産で、他にもソーラー発電を利用した物があったが、これもかなり古く、製造年は不明で現在は使用してない。
 小入笠に設置し現在も使用している電気牧柵とは、県が調査を兼ねて第1牧区に鹿対策用に設置した外国製で、この方が出力があるため、何年か前に小入笠のある第4牧区に使うために切り替え、代わりに距離が短い第1と第2の境界の一部に古くて出力の弱い94年製を使用している。

 恐らくこれらの電気牧柵が使われた理由は設置が簡単であったからで、70年代には鹿の害はまだそれほど深刻ではなかったと思う。
 入笠山の山腹に張り巡らされた電気柵は、呆れたことに入笠山の裏側の登山口、(ここは今「首切り登山口」などという名前が付いているが、古くからある名前は「仏平」である)近くにまで及んでいた。それもクマササの生い茂る中をである。
 第3牧区に設置されたソーラー発電の電気柵もやはり信じられないような林や渓の中に延々と続き、漏電、断線による牛の脱柵が後を絶たなかった。
 
 今では不適当な場所の電気柵は全て取り外し、あるいは新たに張り直し、電圧も一定以上を保持できるよう計測を怠らないようにしている。しかし、保守していくのは今後も大変であることに変わりはない。
 もしも有刺鉄線を張った通常の牧柵であったらと考えることもあるが、これだけ鹿が増えてしまえばやはり破られてしまう。鉄だかアルミの牧柵なら牛の脱柵は防げるし鹿も破ることはできないが、侵入を防ぐことは無理だし、そもそもそんな費用など出るわけがない。中古の軽トラに甘んじている者が宝くじを買って、メルセデスの新車を夢見るようなものだろう。

 山小屋&キャンプ場の営業案内は下線部をクリックしてご覧ください。
 本日はこの辺で。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする